南川純平
著者:南川純平(みなみかわじゅんぺい)
1950年、伯耆國生まれ、現在、相模國在住。子供の頃からチャンバラが大好きで、最初に書いた小説は、小学校三年生のときの『怪傑紫頭巾』。傑作だったという記憶はありますが、残念乍ら現存しません。歴史小説を、その時代に生きた人々の感覚で書きたいと思っています。そこから、混迷した現代に逆照射できる何かがあると信じて。
小説/歴史・時代

艶文

[読切]
天正二十年四月、朝鮮出兵の指揮を執るため名護屋城に入った秀吉であったが、悲報が相次ぐ。一方、兵糧を積んだ船が転覆し、積み荷の一部が漁師たちによって回収された。その中にあった文には、狂おしい情念の言葉が綴られていた。それを読んだ秀吉は……。
「今朝は魚じゃのうて、えらい拾いものをしたとよ」
 筑前博多の浦に船をつけるなり、漁師の五郎八は仲間の平吉に積み荷を見せた。びしょ濡れとはいえ、しっかり梱包された包みが五個、小さな船に積まれていた。
「未だあったんやけど、これ以上は積むのはむりじゃ」
「どこで拾ったと?」
「西浦の先……残りは志賀島の向こうへ流れてしもうたわ」
 二人は積み荷を解いて中身を調べる。米、味噌、餅、干魚などの食べ物と着物、下帯などの衣類が出てきた。
「こりゃあ、多分、明国を攻めに行っとる兵への兵糧たい。夕べの大時化で船が転覆したもんじゃろ」
 次の積み荷を開けていた平吉の指が硬い感触のものをとらえた。柿渋色の油紙で丁寧に包まれた漆し塗の文箱が出てきた。表には美しい大輪の菊の蒔絵が描かれている。
「なんと、見事なもんじゃ!」
 感嘆する平吉の手からその文箱を奪いとり、五郎八はしげしげと眺めた。小ぶりだが美しく気品に溢れるその文箱が一目で気に入ってしまった。
「こいつは、うちの家宝にしちゃる」
「馬鹿いうか。これは太閤はんが明国の大王に宛てた文たい。それに間違いなか。こりゃぁ、名護屋の城に届けんといかんぞ」
 着物で頻りに手を拭いながら、五郎八は今にも文箱の蓋を開けそうな勢いである。
「やめとけ、下手に触るとどげんお咎めがあるか分からんたい。見てどげすると? 何を書いたるか読めるんか? このまま、そっくり奉行所に届けるのがよかばい」

 太閤秀吉が肥前名護屋城に入ったのは天正二十年四月、五十六歳の春であった。日本の統治を甥の関白秀次に任せ、みずから朝鮮出兵の指揮を執るためである。名護屋城は一年前におよそ五ヶ月足らずで築いた朝鮮出兵のための基地である。玄界灘に面した松浦半島北西端の小高い山には、威風堂々とした本城とその周辺には徳川家康、加藤清正ら百二十以上の諸将の陣屋が取り囲んでいる。一年前には痩せた玄武岩の台地に過ぎなかった名護屋は、出兵部隊十五万と留守部隊十万を擁する大軍事都市に変貌していた。
 当初戦局は余りにも順調であった。出陣から約一ヶ月後の五月半ばには、小西行長、宗義智らの第一軍が東大門から、加藤清正、鍋島直茂らの第二軍が南大門からほぼ同時に朝鮮の首都漢城に入った。更に第一軍は西寄りを進んで平壌を占拠、第二軍は半島の東寄りを進み、豆満江を越えて明との国境にある女真族の地区にまで達していた。
 戦局に翳りを見せ始めたのは水軍からであった。九鬼、加藤、藤堂らからなる日本水軍は、最初こそ準備の整っていなかった朝鮮水軍を圧倒した。しかし間もなく、全羅道左水師の李舜臣が朝鮮水軍の指揮を執るようになると、もともと数の上でも劣っていた日本水軍の形勢は一気に不利になり、黄海の制海権を簡単に失ってしまった。
 そうなると補給路として海路が使えず、釜山から平壌以北までずっと陸路に頼らざるをえない。これは格好の餌食となった。朝鮮義勇軍が各地で、日本軍の長く延びきった補給路を分断する動きに出たのである。
「朝鮮の百姓一揆なんぞ、一気に踏み潰してしまえ!」
 十月に再び名護屋城入りし、戦況の報告を聞くなり秀吉は屏風を蹴飛ばした。
 七月末に死去した母の弔いを終え、二ヶ月ぶりの現場復帰であった。秀吉の心の中には、これまでには無かった悲しみの虫が住み着いた。それが時々激しい苛立ちとして現れた。
「儂が明国を攻めると言い出したら、途端に皆次々と死んでしもうて。何でや?」
 前年の一月には弟の秀長が病に倒れ、二月には秀吉自身が命じたとはいえ千利休が切腹して果て、八月には三歳になったばかりの愛児鶴松を亡くした。そして今度は母の死去である。

 そんな秀吉の下に菊の文箱が届けられたのは、秋も深まり野菊の花も枯れ始めた頃であった。
 秀吉は不機嫌だった。敵の水軍の油断を衝いたつもりで、暴風雨中に船出した補給船が、対馬のすぐ先で難破し、積み荷は全て流出したと聞かされた後だったからである。
 秀吉は無造作に文箱の蓋を開き、放り投げるように文を広げた。側近の奉行である大谷吉隆はすました顔で正面を見つめ、時折ちらっと視線だけを太閤の方に送っている。
 文を読み始めた秀吉の目が急に大きくなり爛々と輝いて来るのが分かった。額は紅潮し、汗さえ滲んでいる。
『あなた様のいない閨(ねや)の淋しさにはとうてい耐えられませぬ。毎夜、密かに呻き、身悶えし、涙に濡れて夜を明かすばかりで……』
 狂おしい情念の言葉が女文字で露骨に綴られていた。
 その文は竜造寺家の家臣、瀬川采女正の妻女お菊から戦地の夫に宛てた艶文であった。
「瀬川采女正は鍋島直茂の陣におります。竜造寺家の実権は鍋島に握られておりますから」
 秀吉が文を読み終わる頃合いを見計らうように、大谷吉隆は言った。
「わかっとる。余計な事を言うでない」
 未だ先ほどの怒りを残した声であったが、秀吉の心はすでにそこにはなかった。
「申し訳ありませぬ。で、いかが致しましょう?」
「すぐじゃ、直ちに呼んでまいれ!」
「直ちにと言われても、直茂の陣は朝鮮の奥深く、すでにかなりの積雪があるやに聞いておりますが」
「ええい、瀬川采女正とやらではないぞ、菊じゃ。妻女の菊とやらを即刻ここへ呼んでまいれ!」

「瀬川采女正の妻、菊と申します」
 面を上げたお菊の顔を見たとき、秀吉は腰が抜けるほど驚いた。細面の顔に強い意志を感じさせる目と、形の良い鼻、項から首筋のかけての曲線は淀君そっくりであった。
「もしや、茶々か、茶々ではないのか?」
「いえ、菊でございます。淀君様でなくて申し訳ございませぬ」
 お菊の冷たい言い方に、一瞬秀吉の顔は強ばった。
「ところで、何故ここに呼び出されたか分かっておろう。この文のことじゃ。どういうつもりなんじゃこの文は? 男がこんな文を読んだら戦なぞする気が無くなって、すぐにもおなごのもとに帰りたくなるではないか。幸い暴風雨で積み荷は流され、瀬川にこの文は届かなかったからええが、これを読んだら戦意を無くして戦死しとったぞ」
「いえ太閤様、お言葉ではありますが、それは全くさかさまでございます。この文はお守り替わりなのです」
 太閤の厳しい責めにも、お菊は平然と答えた。
「なに! お守りだと? この艶文がか?」
「はい、わたくしの家では先祖代々女の情念を綴った文や男女の交合図を戦地に持たせております。その甲斐あってこれまで先祖の誰も戦死した者はおりませぬ」
「交合図もか! ……な、なんと淫らな家よ!」
「妻が夫の無事を祈り、早う戦を終えて帰って欲しいと願う気持ちのどこが悪いのでしょう?」
 菊は堂々として悪びれるところがない。
 秀吉はこれまでの渋面から一転、顔面の皺を一層際だたせながら、嫌らしい笑みを見せた。
「まあ、よいわ。のう、それより、儂にあの文の続きをじっくりと語って聞かせぬか」
「あの文に続きはございませぬ。いえ、たとえあったにしても、夫以外の方には語れませぬ」
「菊とやら、よくぞ申したな。儂を誰だと心得るか!」
 そう言いながら秀吉はすくっと立ち上がり、隣の間に続く襖を勢いよく開けた。そこには金の刺繍を施された布団が敷かれていた。
 さすがのお菊もそれを見た時、体の中を悪寒が走り抜け思わず身震いがした。
「おお、寒いのか。よしよし、儂がじっくりと温めてやろうぞ」
 何処から出るのか猫撫で声をさせながら、秀吉は菊に近づいた。秀吉の手が肩に触れた瞬間、菊は急に立ち上がった。その勢いで小柄な秀吉は体勢を崩し、膝を着いた。菊は両手を胸元に置き、懐刀を取り出すような仕草をした。
「な、何をする!」
 秀吉が呻き声を上げたのと、襖の向こうから大谷吉隆の声がしたのはほぼ同時であった。
「太閤様、大坂より火急の文が届いておりますが、いかが致しましょう?」
「なに、火急の文だと?」

 それは、淀君からの文であった。
 驚いたことに、『懐妊』の二文字がいきなり秀吉の目に飛び込んできた。
「なに? か、懐妊! ……まてよ……儂の子か?」
 頭の中で計算を始めた。大政所の死去で京、大坂に戻っていた時期、何度か淀城に泊まっている。もし、子供が来年の六月から八月初旬の生まれなら間違いなく自分の子供に違いない。
「あははは、齢五十六の儂に子を作る能力があったとは、世間の誰もが驚くじゃろう。なあ紀之介よ」
「それは、まことにおめでとうござります。太閤様の並外れた力に世間の誰もが平伏致すこと間違いござりませぬ」大谷紀之介吉隆は大仰に平伏して見せた。
 淀君からの文の内容は懐妊の知らせだけで終わっていなかった。その後には、独り閨の淋しさと女の愛の情念が綿々と綴られていた。最後は『早いご帰還を祈っております』と結ばれていた。
「おなごとは、言ってもせん無い文句を書き連ねるのが好きよのう」
 秀吉の呟きは穏やかなものに変わっていた。
「ところで、隣に控えております、瀬川菊はいかがいたしましょう?」
 吉隆は事務的に聞いた。
「おお菊か、情の深い天晴れなおなごよのう。あやつの夫、采女正と申したかのう、鍋島直茂の陣から連れ戻してやるがよい」
「戦の真っ最中ですがよいのでございますか?」
「よい、儂がよいと言ったらよいのじゃ。直茂にそう申し伝えよ」

 年が明けた文禄二年の上巳の節句、秀吉は名護屋城内の桃李園に立っていた。側近の玄蘇に命じて造らせた明国風の庭園である。
 桃の花が咲き匂う辺りに、一対の雛があった。秀吉にお礼を言うために訪れた、瀬川采女正、菊夫妻であった。礼を述べる間にも熱い視線を交わし合う二人に、秀吉はひと言嫌みを言いたくなった。
「お菊よ、そちには桃の花は似合わんでな。采女も桃李の国、明に行かずに良かったのう。やはり菊の花じゃなあとあかんか。そうじゃ、重陽の節句にもう一度二人で出直して来い。それがええぞ」
 秀吉の眼には、大輪の菊の花を背景に我が子を抱いている未来の自分の姿が映っていた。
(了)
(初出:2017年03月04日)
登録日:2017年03月04日 13時03分
タグ : 秀吉

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