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南川純平
著者:南川純平(みなみかわじゅんぺい)
1950年、伯耆國生まれ、現在、相模國在住。子供の頃からチャンバラが大好きで、最初に書いた小説は、小学校三年生のときの『怪傑紫頭巾』。傑作だったという記憶はありますが、残念乍ら現存しません。歴史小説を、その時代に生きた人々の感覚で書きたいと思っています。そこから、混迷した現代に逆照射できる何かがあると信じて。
小説/歴史・時代

諭吉の自慢

[読切]
安政六年、桑港より日本に帰る途上の咸臨丸の甲板に、福沢諭吉らが涼を求めて上がってきた。懐から取り出した写真には、年のころ十五、六歳の色白の娘と写る諭吉の姿が。その娘、ドーラとその母親エリザベスを思い出す諭吉。どのような出来事があったのだろう。
「暑いぞ、暑いぞ」
 長尾幸作は褌一つになって、甲板に敷いた筵に寝転がりながら団扇でぱたぱたとしきりにあおいでいる。雲一つない空と南太平洋の海の碧さが眩しい。寒暖計はすでに摂氏三十度を越えている。
「何を贅沢なことをいっとるか。往きに比べたら雲泥の差ではないか。またあのような嵐をお望みかな」
「いやいや、それだけは勘弁してくだされ、海神さま」
 福沢諭吉の冷やかしに、長尾は船首に向かって大仰に手を合わせた。
 安政六年(一八六〇)一月十九日、浦賀を出航して桑港(サンフランシスコ)に向かった咸臨丸の往路は最悪だった。悪天候が続き、勝麟太郎(かつりんたろう)副艦長以下多くの者が船酔いに苦しめられた。諭吉は平気であったが、同室で最も仲の良かった長尾は床に就いたままの航海となり、桑港に着いてからは暫く海軍病院に入院するという苦い経験をしていた。
 蒸し風呂のような船室の暑さに耐えかね、同室の秀島藤之助、大橋栄二、それに公用方の小永井五八郎が涼を求めて甲板に上がってきた。思い思いに筵に座り、胸をはだけて風を入れている。
「もうすぐ帰るんだなぁ」
 大橋が大きなため息をついた。ハワイで石炭と水を補給してからすでに十日、そろそろ小笠原諸島が見える頃である。
「なんだ、あれだけ帰りてえって言ってたじゃないか。向島あたりで、派手に打ち上げられた花火を見ながら差しつ差されつ……なんて言ってたのは誰だい」
「それもいいが、金髪碧眼のアメリカの町娘としっぽりとな……。いや、一度でいいからじっくりと話もしたかったなぁ」
「無理無理、貴様の英語力では夢のまた夢だ。それにその面ではなぁ」
「何を、こいつ」
「おい、おい、こんな太平洋の真ん中で喧嘩するなよ。それに、口でいくら言っててもしょうがねえだろう」
 そう言って諭吉はニヤリと笑った。
「なんだ、福沢、気持ち悪いやつだなぁ」
 何か企みを含んだ諭吉の表情に気づくと、長尾がすかさず突っ込みをいれた。諭吉はそれには応えず、その代わり懐から大事そうに一つの小箱を取り出した。
「このクソ暑いのに、よくそんなものを懐にしまっとるなぁ」
 諭吉は黙ったまま息を詰め、箱を恭しく開けた。
「うお! これは……」
 覗き込んだ一同から感嘆の声が洩れた。
 箱の中身は写真であった。ただの写真ではない。そこには諭吉が美しいアメリカ娘と二人きりで写っていたのである。諭吉は丸腰で腕を組んで椅子に座り、その傍らに十五、六の色白の娘が、着飾った姿で椅子に片手を置いた姿で立っているという構図であった。それは恋人同士のようにも見えた。
「こいつ、いつの間に、こんな抜け駆けしやがって、怪しからんやつだ。許せんぞ!……うむ、それにしても羨ましいぞ」
 大橋は溜息を洩らしながら、写真の娘に見入っている。
「福沢、貴様、またあそこに行ったな、そうだろ? 桑港のデキュルタイムハウス、えーと……ショウ写真館とか言ったかな」
 米国海軍造船所のあるメーア島に滞在中、小永井らは六人で桑港のモンゴメリ街のショウ写真館を訪れ、集合写真を撮ったことがあった。大きな硝子貼りの天窓がひときわ目立つ建物で、入り口には『Daguerreotype House』と書かれているのを、蘭語風に『デキュルタイムハウス』と読んだのである。現代なら『ダゲレオタイプハウス』と読まれるもので、これは最も古い写真技法であるダゲレオタイプからとられている。
 ダゲレオタイプは一八三七年フランスのジオラマ画家ダゲールによって考案された写真法である。銀メッキした銅板にヨード蒸気をあてて表面を沃化銀にし、これを木製のカメラに入れて三十分程度かけて撮影、その後水銀蒸気により露光部の金属銀をアマルガム化することで現像し、残りの沃化銀をハイポで除いて定着するというものである。ダゲレオタイプは銀メッキ銅板を用いるので銀板写真ともいわれている。
 鮮明で高級感溢れるダゲレタイプはまたたく間に広まり、米国でも肖像写真中心に大流行した。一八五〇年時点で紐育(ニユーヨーク)市だけで七十七軒の写真館があったされている。一八四八年に始まった西部のゴールドラッシュの影響で桑港にも写真の波が押し寄せた。一八六十年の頃には桑港の人口七万人に対して五十人以上の写真家がいたといわれている。ショウ写真館もその中の一つであった。
 ダゲレオタイプは一八五五年くらいがピークであった。一八五一年、イギリスのアーチャーが、タルボットが始めた手法を元に考案した、より感度の高いコロジオン湿板法が急速に普及したからである。これは、磨いたガラス板に沃化コロジオンを塗布し、暗室で硝酸銀溶液に二分ほど浸漬することで感光性の沃化銀を作り、それが濡れている状態で撮影する。十から六十秒ほどの露光で写るようになったのは大変な進歩である。その後、硫酸第一鉄溶液で現像し、シアン化カリ液で定着することで、ネガ像のガラス写真が得られる。そこで、このガラス板の裏面に黒ニスを塗り、黒布の敷いた箱に収めればポジ画像に見えるのである。桑港の写真館でも、すでにこのアンブロタイプと呼ばれるこのガラス湿板が主流になっており、諭吉が皆に見せびらかしているその写真もアンブロタイプであった。
 皆がその写真を代わる代わる見とれている間、諭吉はその写真の中の娘ドーラのこと、そしてその写真を撮ってくれた母親、エリザベス・ショウのことを思い出していた。

   *

 宿舎を出るとき曇っていた空は、桑港に着いた頃には雨に変わっていた。初夏の爽やかな季節を迎える前の小さな雨期だった。
 福沢諭吉は一ヶ月余りのアメリカ滞在中何度か公用で桑港を訪れたが、私用で来たのも一人で来たのも初めのことである。三日前、ワシントンから条約調印の正使、新見(しんみ)豊前守一行が無事到着したという打電を受け、咸臨丸には帰国命令が出された。帰路も並大抵な航海ではない。ひょっとしたら生きては帰れぬかもしれない。この世の見納めにもう一度美しい桑港の街を歩いてみたい。いや、それ以上に諭吉にはもう一度会っておきたい人がいたのである。
 雨は激しさを増し、軒先にあっても跳ねが容赦なく足下を濡らす。見上げると、運良くそこはお目当ての三角硝子屋根の建物だった。二週間前に小永井ら仲間数人と訪れたデキュルタイムハウスである。その硝子貼りの屋根の下は写真スタジオになっていて、ショウ夫妻が二人で忙しく働いているはずである。
「おお、この前のサムライさんですね。ようこそ、どうぞ」
 エリザベス・ショウの明るい笑顔が諭吉を迎えた。スタジオには夫であるウィリアム・ショウの姿はない。
「ウイリアムは写真家組合の会合に出かけています。写真なら私が撮影しますわ。ウイリアムほどではないけど、私の腕もなかなかのものですよ」
 この雨の中でも明るい室内は、天窓のせいだけではない。エリザベスの笑顔を見ていると、諭吉は故郷、中津の満開の桜の花に包まれるような心地がした。
「ぜひ撮って下さい。ところで、ひとつお願いがあります」
「なんでしょう? なんなりと。ハラキリ以外ならなんでも撮影しますわ」
「あのぉ、貴女と一緒に撮りたいのですが……いけませんか?」
「私と? この私とですか?」
「そうです」
「大変嬉しいのですが、それは不可能です。私がモデルになると撮影する人がいません。それとも、ウイリアムが帰って来るまで待ちますか? 多分、夜遅くなるとは思いますが」
 諭吉は首を振った。宿舎のあるメーア島海軍造船所までは、桑港から船を乗り継いで三時間以上かかる。遅くとも午後四時の便には乗らないとその日のうちには戻れないのである。
「では、どうでしょう、娘のドーラでは?」
「えっ、娘さん? お幾つですか?」
「十二歳です。未だ子供ですが、ドーラは実にしっかりした娘です」
 スカートを釣り鐘状に膨らませたクリノリンスタイルのワンピース姿で現れたドーラは、十二歳とは思えないほど大人びて見えた。それでも、澄んだ青い目や固く引き締まった唇は固い果実のような幼さを残している。
「ドーラです。よろしくね」
 少女の微笑みには、大人の女の色気があった。大きなスカートが揺れる度に風が動き、甘いミルクのような匂いがする。
「そうね、ミスター・フクザワが座って、少し斜めになって、顔は正面ね」
 エリザベスはすでにポーズを決めにかかっている。
「若い女性と撮るのに、カタナは似合わないわね。この国でもピストルを提げて女性と写真を撮る殿方はいないですからね」
 諭吉は言われるままに大小の刀を外し丸腰になった。何だか身も気分も軽くなった。いっそのこと、髷も切ってしまったらどんなにスッキリすることだろう。手はいったいどこに置いたらよいのか迷った。刀があれば柄に手を添えることで一応の格好がつく。そうかといって膝に置くのでは、商家の手代のようで威厳がない。諭吉はさんざん迷った挙げ句、軽く腕を組むことにした。
 撮影が終わると夫人は現像作業に忙しく、暗室に入りっぱなしになった。スタジオにはドーラと二人きりである。話す事といえばどんな食べ物が好きか、朝は何時に起きるのか、学校は面白いかというようなことで、その話も直ぐに途切れた。間もなくドーラも着替えのために自分の部屋に行ってしまい広いスタジオに諭吉一人になった。
 少し蒸し暑さを覚えて窓を開ける。雨はあいかわらず舗道に降り注ぎ、街並みも桑港も靄の中にあった。この雨の桑港の街を、エリザベスと肩を並べて一つのパラソルで歩く姿を想像してみた。
 桑港は十二年前の一八四八年、メキシコ領からアメリカ領になったばかりの新興都市である。東のシェラネバダ山中に金鉱が発見されてから一気に注目を集めた。いわゆるゴールドラッシュである。当初八百人だった人口は三年後には一万人を超えた。桑港で五十もの写真館が乱立したのもこのゴールドラッシュのためである。一攫千金を夢見てやってきた男達にも家族はあった。自分の無事な姿を故郷の家族に知らせるには写真が一番である。しかしその頃は、ゴールドラッシュの大波も一段落し、落ち着いた街並みに整備されつつあった。若く活気にあふれ、そして美しい街、それが桑港であった。
「さーあ。出来上がったわよ。これは私の作品の中でも傑作だわ」
 明るいエリザベスの声が部屋中に響いた。
 彼女から手渡された額入り写真の美しさに諭吉は驚いた。
「こんな綺麗な写真はこれまで見たことがない。素晴らしい出来ですね。しかも、そこに自分が美しい少女と一緒に並んで写っている」
 諭吉は興奮のあまり喜びを隠しきれなかった。
「ありがとうございます。満足していただけて」
 そう言いながらエリザベスはティーカップに紅茶を注いだ。上品な芳香が諭吉の気持ちを和らげる。
「お礼を言うのはこっちの方です。突然押し掛けた上に無理な注文をして。ぜひお礼をさせて下さい」
 諭吉は抱えてきた風呂敷包みを膝に乗せた。
「いえ、正規の一ドル五十セントいただければ充分です。高い値段でしょ。この頃は五十セントで撮るという写真家もいますからね。でも、うちは高いだけの丁寧な仕事をしているつもりです」
 諭吉はお金を払うと、包みの中から一冊の本を取り出した。
「これは日本の珍しい絵です。浮世絵と言います。お礼にエリザベスさんに差し上げます」
 エリザベスは芸術的な素養もあるらしい。絵と聞いて目の色が変わり、机の上に置かれた和紙の綴じ本を素早く捲った。それは男女の絡み合いが綿密に描かれた画集、つまり春画であった。
 頁をめくるエリザベスの手が震えだし、みるみる顔が紅潮してくるのが分かった。全頁を捲り終えたエリザベスは、気持ちを抑えるかのように無言のまま一口紅茶を呑むと、突然諭吉に向かって叫んだ。
「今直ぐ、ここから出て行きなさい!」
 同じ言葉を何度も繰り返さなかったが、エリザベスの剣幕は凄まじいものであった。机の上の春画を力任せに部屋の隅まで投げつけた。
 諭吉は青ざめながらも不思議に、美人は怒っても美しい、などと暢気なことを考えていた。
 出来あがったばかりの写真を後生大事に抱え、転がるようにショウ写真館を出た諭吉は、降りしきる雨の中を港に向かった。
「やっぱり、アメリカの女は粋ってもんがわからねえのかなぁ」
 春画を見たときアメリカの御婦人はどういう反応を示すか? これは諭吉にとって一つの危険な賭けであり実験でもあったのだ。

 それから数日後、咸臨丸艦長の木村摂津守のもとに桑港裁判所から出頭命令が届いた。折しも風邪で臥せていた木村は、副艦長の勝麟太郎に対応を託した。
「誰ぞ桑港で乱暴でも働いたのだろうか? それとも盗みか? いや、日本武士が卑しい盗みなぞやるわけがないが……」
 さすがの勝も、この突然の呼び出しにはやや不安を覚えた。
 正装した勝が桑港の法廷に出向くと、四人の法衣を着た厳めしそうな裁判官が並んでいた。型通りの質問を終えた後、中央に座った裁判長が一冊の本を高々と差し上げ、「これをなんと見ますか?」と聞いた。
 受け取ってその本を開くと、勝は目を瞠った。そして、次の瞬間には思わず吹き出しそうになった。
「こんなもので、仰々しく呼び出すとは、ばかばかしい」
 そうは思ったが、口には出さず、ここは真面目な顔をしなくてはならない。
「貴艦の乗組員が、嫌がる婦人にこれなる書物を与えようとした。その婦人は大いに怒って侮辱の訴えを本法廷に起こしたものである。法律に従い取り調べ、至急処分されたい」
 取り調べと処分の誓約書にサインをし終わると、待ちかねたように裁判長が別室に勝を招いた。
「お忙しいところお越しいただき有り難うございました。これは法律というものの宿命でしてね。ところで、その本のことですが、実に珍しく、しかも大変貴重なものです。芸術的な価値も高い。実はさっき訴えてきた御婦人が、ぜひともその本を手に入れたいと言われておるのですが」
「はっ? その御婦人は差し上げるというのを断った上に酷くご立腹なのでは?」
「いやいや、それが、裁判で自身の貞節と名誉を守った上で、ぜひ、あの本をご主人にプレゼントしたいと仰有るのです。これが気の強いわが国の女性のやり方ですな。あははは……。ところで、あのウキヨエとかいう本、もう一冊ありませんかな? 私のコレクションにもぜひ加えたいと思っとるんですがね。どうか宜しく」

 出港を翌日にひかえ、皆がその準備で忙しく動き回っている頃、諭吉は一人桑港に立っていた。その日も細かな雨が降り、桟橋から見上げる丘の上は霞んでいる。そこは桑港裁判所が建っているところである。
「おい、福沢、これはお前のもんだろう。明日、これとお前の所持してるもう一冊も桑港の裁判所に届けるんだな。この国ではこういうものを持ってると法律に触れるんだ。いいか、分かったな」
 昨晩、勝は宿舎に戻ってくるなり諭吉の前に春画の入った包みを投げ出してそう言った。
「それにしても、勝さんはろくに調べもしないで、儂のことを春画騒動の犯人扱いだ。その洞察は間違ってはいないが……。しかし、なぜ儂って分かったんだろう?」
 諭吉がぶつぶつ独り言を言いながら裁判所に入ると、恰幅の良い裁判長が上機嫌で出迎え、諭吉から包みを受け取った。
「明日出港だそうだね。私のオフィスでお茶でもどうかね」
「いえ、まだ準備がありますので」
「そうかね、それは残念だ。無事な航海を祈ってるよ」
 裁判所を出る頃には雨が上がり、雲の切れ間から太陽が現れた。港の辺りが明るく輝いている。港から北の方角に向かっては虹がかかっている。日本で見る虹と違って、遮る山も無いため、半円形の線が全てくっきりと見える。諭吉はその虹の美しさにしばし見とれていた。
 ふと、背後で人の気配がした。白い大きな帽子を被った女性が諭吉の側を通り抜けようとしていた。美しいスタイルで颯爽と歩いている。
「どこへ行くのだろう? この道の上には裁判所しかないはずなのに」
 諭吉が疑問を抱いて女を見ようとした瞬間、女が諭吉の方を振り向いた。
「あっ、エリザベス!」
 それは紛れもなく、ショウ夫人であった。
 夫人は振り向いたとき、軽いウインクを諭吉の方に投げると、あとは一度も振り返ることなく傾斜のきつい坂道を軽い足取りで上って行った。
 夫人の残り香に混じり、どこからともなく初夏を告げるライラックの匂いがした。                            
                       (END)
[参考文献]
(1)中崎昌雄『福沢諭吉と写真屋の娘』大阪大学出版会、一九九六年
(2)福沢諭吉『新訂・福翁自伝』岩波文庫、一九七八年
(3)『富士フイルムフォトミュージアム・展示品図録』富士フイルム、二〇〇九年
(了)
(初出:2012年05月)
登録日:2012年05月22日 16時06分
タグ : 写真 春画

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