騒人 TOP > 小説 > ホラー > 大理石の壁 眠太郎懺悔録 その6
青島龍鳴
著者:青島龍鳴(あおしまりょうめい)
青島龍鳴と申します。メタ化されたものしか受け入れられないこの時代で、黴の生えたような古臭いものばかり書いている時代錯誤作家です。既刊本「But the world is beautiful」。
小説/ホラー
【電子書籍】大理石の壁 眠太郎懺悔録 その6
各話完結。邪神レベルの邪鬼をも統べる西の業界(カンパニー)。千年を生きた妖狐・青麗を倒し、新たな頭領となった畜兵・黒鵡は、鬼族の罠をやすやす突破し、妹ノエルを助けるが、どこか様子がおかしい。そして、東の帝家を訪れたひとりの少女。帝家の長、梅岩はノエルをかくまうが、そもそもそれほど強くない畜兵が柱神を務めることに疑問を抱く。ノエルを奪還しにきた邪鬼を迎え撃つ眠太郎たちだったが、あまりの実力差に勝てる気がしないと絶望に駆られる。なにせカンパニーには同程度の邪鬼が十ほどいるのだ……。信じていたもの——純白の大理石の壁に見つけてしまった汚れにどう決着を付けるのか、人間と邪鬼のやるせない物語。

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大理石の壁 眠太郎懺悔録 その6


 プロローグ

 そこは、昔から鬼が棲むといわれていた島だった。
 現代では凡百とある過疎地に過ぎない、野薊(のあざみ)と芝桜が点々と自生するだけの荒れた島。かつて島民たちに生業を与えていた漁港も、今や錆びついた鉄塊が浮かぶだけの船墓場。外の世界はもっと豊かで華やかだと知った人々に、貧しく物資に乏しいだけの島に拘泥(こうでい)する理由もない。島は徐々に寂れていき、いまさら新たな生活に移行できない老人たちが行政の補助金だけを糧に細々と生活していた。
 こんな島に、特別な何かがあるなどと思ったものはいなかった。
 鬼の伝説も昔の人が創作した御伽噺だと島民の誰もが思っていた。時代とともに島が寂れていく事実こそ、それが作り話であった証拠に他ならないだろうと。

 誰も考えに及んだこともなかった。
 伝承が本当だからこそ、魑魅魍魎(ちみもうりょう)の垂れ流す邪な気配や得体の知れない陰鬱な空気を感じ、人々が何となく寄りつかなくなり離れていったとは誰も考えなかった。

 いや。
 むしろ島に居残っている古い家系のほとんどが、実のところ鬼の眷属であったのだ。
 地方の各地で起こっている過疎問題に、自分たちの島だけに特別な理由があると考える者が出るほど、そのような疑念を抱くだけの人間が出るに足るほどの人数が残っていないというのが実態だったのだ。


 とある春先の夜のこと。
 島の真ん中に広い丘陵地帯がある。そこで五人の老人が焚き火をしていた。夜闇の中で格子状に組まれた生木がバチバチと爆ぜている。恰幅の良い老人を中心に臙脂(えんじ)色のジャージを着たもの、白髪にまみれたもの、目に深い隈をつけたもの、片耳のないもの。揃いも揃って、いかにも人相が悪い。そんな連中が暗闇で顔を火で照らされているせいで、まるで山賊の集団のようだ。
 轟々と燃え盛る炎のそばで、年の頃二十歳にも満たなそうな蒼白な顔をした少女が荒縄で体を縛られ座らされていた。ただの島の寄り合いなどではないのが一見してわかる。

「こんなことして、お兄ちゃんが黙ってないよ」
 少女は老人たちをキッと見つめた。老人たちはゲラゲラと下卑た声でせせら笑った。
「お嬢ちゃん、いいねえ。そんぐらい気が強えと、オレたちも攫(さら)った甲斐があるってモンだ」
 片耳の老人が少女に近寄り、山刀を抜いた。炎に照らされた刀身が赤く光る。雪のように白い顎を、短い刃で持ち上げた。
 彼女の兄は全国の魑魅魍魎を統べる組織、通称・業界(カンパニー)の当主の地位を、つい最近手に入れたリーダーだった。クーデターにより地位を得たばかりの兄には、まだ敵が多い。鬼族も忠誠を誓うかどうか微妙だと危ぶまれた矢先に、その妹が拉致された次第だ。
「あんたら兄妹に恨みはねえんだがね。踏み台になって貰うぜ」
 総白髪の老人が、無感情にそう言った。
 鬼族といえば、かつてその族長のためにカンパニーの大幹部に収まる枠が用意されていた、いわば名門だった。いまやお山の大将にまで落ちぶれた鬼族の棟梁(とうりょう)である蒼鬼の五十六(いそろく)は、カンパニーの騒乱という危機を一発逆転のチャンスに変えようと企んだのだ。
 革命の頭の妹を拉致し、返して欲しければ一人で島に来るよう言いつけたのだ。

 恰幅のいい老人が太い声を出した。
「嬢ちゃんよ。きさんはな、大切な踏み台だ。儂らはな、本当はカンパニーの頭になるべき眷属なのだ。儂らのこと人間どもは“邪鬼”って呼ぶだろう? 鬼の字が入るじゃねえか? 昔はな、鬼族ってのはそんぐらい強くて数が多かったのよ。
 そういう時代に、戻りたいんだよ。戻るべきなんだよ。狐の次は鬼の時代になるべきなんだ。わかるか? 嬢ちゃんよ?」
 五十六は手前勝手な理屈を並べたが、少女に通用するはずもない。
「はあ。聞いたことあるわよ。昔々、朱天童子(しゅてんどうじ)っていう、そりゃもうお強い鬼の大将さんがいたって。狐の女王サマともあろうものが割とマジで警戒しちゃうくらいの、ホントに強い人だったみたいね。
 鬼って言えば人外のものの代名詞みたいな時代があったのはわかるよ。鬼が出るか邪が出るか、鬼の目にも涙……とか、鬼に纏(まつ)わる言葉って沢山残ってるし。でも、今は少数派だよね。何でだろうね? まさか、そのあとを継いだ誰かさんらが不甲斐なくって、零落(おちぶ)れちゃったなんてことはないよね? そんなことって絶対にないよね? 絶対に! アハハ……」
 人質の娘はせせら笑った。その瞳に恐怖の色は見られない。まるで虫の群れでも見るかのように、老人たちを流し見た。口元で小さな黒子が、濡れたように光った。
「ってめえ! このアマぁ! 立場わかってんのかゴラア!!」
 隈のついた老人が乱暴に娘の髪の毛を掴んだ。が、娘は怯える様子も痛がる様子もない。
「あんたらみたいな卑怯者に、お兄ちゃんが負けるはずない」
 炎が映った瞳の、強い眼差し。隈つき鬼は、つい髪から手を離した。
 その瞬間、空気がどよめいた。

 蒼白な疵顔
 煤けたジーパン
 背に負った野太刀

 畜兵の黒鵡(くろむ)
 カンパニーの新たな王が、自ら姿を現したのだった。

「けっ……うけけけけけけ! こいつ! 本当に独りで来やがった! たった独りで! うけけ! うけけけけ!」
 臙脂(えんじ)色のジャージの老人の体が、風船のように膨らんで弾けた。
 痩せ枯れた老人だったものが、剛毛に覆われた茶色い肌と、額から聳(そび)え立つ大きな角と、筋骨隆々の巨躯を持った大鬼に変じた。
「こいつ、バカだ! 大バカだ!」
 隈つき老人の変じた赤色の二本角の鬼が、ゲタゲタと笑った。
「五十六どん、間違いねえ。こいつ、馬鹿正直に独りで来ましたぜ! まさか本当に独りで来るなんて、ある意味計算違いだぜ!」
 白髪老人が正体を現した。右側頭部に一本の角を生やした白い肌の鬼が手を挙げると、木々の陰から数十もの鬼が姿を現した。
 これは周到に張られた罠だった。黒鵡が手下を連れて来ることを計算づくで、島に棲む鬼たちを伏兵にして隠していたのだ。

「お兄ちゃん! 来てくれたの……アッ!」
 声をあげた少女を、片耳老人から変じた黒鬼が足蹴にした。黒鵡は妹が蹴られたのを一瞥だけして、青鬼に視線を戻した。
「黒鵡、か。要求通りに独りとは、天晴れな奴よのう。殺すには惜しうなってきた」
 正体を現し、額と両側頭部に三本の角を生やした青鬼の五十六は黒鵡を目の前にして慈悲にかられた。
「どうじゃ? 命乞いをすれば、儂の配下にしてやらんでもない。カンパニーの長は行き過ぎにしても、きさんは大した器と見た。共に新たな秩序を形作るのに、きさんのような男が欲しい」
 五十六は黒鵡に手を差し伸べた。仮にも革命を成功させ、あの狐の女王青麗(チンリー)を倒した男だ。ただ運が良かっただけとも思えなかった。

「……さっきから、気になっていることがあるのだが……」
 黒鵡は静かに口を開いた。
「俺に独りで来いと言ったのは、お前たちの方だ。望み通りにしてやったのに、どうしてそんなに騒いでいるんだ?」
 黒鵡が真顔で質問した。黒鬼と赤鬼が顔を見合わせた。黒鵡の質問の意味がよくわからない。
「おいおいおい。てめえ、立場わかってんのか? 妹を拐(かどわ)かされて、頭に血が昇って、まんまと罠にハマったんだろうが? この状況を切り抜ける秘策でもあろうってんなら、教えて貰いてえもんだぜ」
 茶色い鬼が、やれやれといった顔をした。ひょっとしたら黒鵡という男はとんでもない阿呆なのかもしれないとも思った。

「そこだ」
 黒鵡が茶鬼を指差した。
「お前たち鬼族が俺に反逆の意志があることは予想できていた。ただ確信もないのに皆殺しにするのもナンだと思うから、見逃されていたのだぞ。ところがお前らは、自ら『オレたちは反逆者だ』などと宣言し“勝てぬ戦”を挑んだ上に、まるで自分らが有利かのように振る舞う。不自然に危機感が無さすぎる。何がどうなっているのか、全くわからない」

 黒鵡の反論に、鬼たちは呆然とした。
「……きさん、まさかこの数を相手に、人質をとられて勝てるとでも言いてえんじゃねえだろうな?」
 青鬼は怒りでわなわなと震えた。だとすれば、鬼族を舐めているにも程がある。
「……ああ。ようやくわかった。それに人質としての価値があると思ったのか。道理で、羊の群れに狼を呼び込むような真似をするわけだ……」
 黒鵡には冗談を言っているような気配がない。ハッタリのようにも見えない。鬼たちは激怒した。たった独りで数十もの剛力を誇る鬼たちを、本気で倒せるとでもいうのだろうか。
「ひ……羊だと……てめえ、このアマに人質の価値がねえとか吐(ぬ)かしたな! じゃあ、お望み通りにしてやんよ!」
 黒鬼が山刀を振りかざした。
「お兄ちゃん! 助け……」
 黒鬼の足の下で、少女が悲鳴をあげた。
 少女の背中に、無惨にも山刀が突き刺さった。
 けほっ、という声をあげて、少女は多量の吐血とともに動かなくなった。
「はっ……これで満足かよお兄ちゃ……」
 黒鬼が皮肉を言い終わるのも待たず、一筋の剣閃が宙を舞った。黒鵡が背中の刀を抜いた。黒鬼の肌よりも黒い、漆黒の刀身。何枚もの呪府が貼られた、禍々しい野太刀。
 腹を横に凪がれた黒鬼は、声をたてることもなく仰向けに倒れた。

 戦の火蓋が切って落とされた。
 いや、それは“戦”とは到底呼べない一方的なリンチとなるはずだった。
 強靭な肉体を誇る鬼が数十匹に対し、黒鵡はたった独り。畜兵というのは人に邪鬼の血を混ぜたもので、生命力が高く回復能力が図抜けていることの他はただの人間と大差ない。
 羊の群れに狼どころか、常識的に考えれば真逆のはずだった。狼の群れに羊を放り込んだ、と表現した方がずっと正解に近いはずだった。

 ところが。
 狼と羊は逆転していた。
 黒鵡が刀を振るたびに、鬼が一人、また一人と倒れていく。

 五十六は舌打ちしながら状況を眺めているしかなかった。剛力無双の鬼族には戦士として致命的な欠陥がある。一度火がついたら戦を止められないことだ。五十六のような希少な例外を除き、目の前でどんなに多量の犠牲が出ても、事態を改めて俯瞰し策を立て直すことができない。攻撃停止命令を出しても、誰も言うことを聞かないのだ。
 今回もそうだ。鬼たちは黒鵡の一刀のみで蹲(うずくま)り、次々と倒されていった。五十六は地に伏したものの傷口を見たが、さほど深いものには見えないし急所も外れている。屈強な鬼族の戦士には、痛手ではあるが動けなく程ではない傷口ばかりだった。明らかに不可解なことが起きているにも関わらず、五十六以外に様子を見ようと考えるものはいない。次から次へと自ら黒鵡の毒牙にかかりにいく。
 黒鵡は羊の群れに狼などと豪語するだけあって、剣の技術は大したものだった。野太刀の間合いの長さを最大限に生かし、鬼たちの持つ棍や棍棒や山刀が届く前に太刀が伸びる。背後を取られないために頻繁に方向転換を繰り返すが、体幹のブレがほぼゼロのために斬り合いを繰り返しても体のバランスが一向に崩れない。何より巧いのは、器用に鍔迫(つばぜ)り合いを避け一合で一人一人勝負を決めていることだ。このままではいずれ数が減り、黒鵡の予言した通り狼が羊の群れを食い尽くす惨劇となってしまう。

 五十六は思考を巡らせた。敵が剣の達人だとしても、決定的な矛盾があった。黒鵡の勝ちパターンを成立させている一合一殺が機能しているのは、鬼の生命力を前に致命傷たりえない刀傷が、どういうわけか必殺の一撃となっているところだ。
(あの刀……しびれ薬でも塗ってあんのか?)
 この仮説が過ちであることは瞬時に解した。鬼の体力というものが薬ごときでどうにかなるものではない。
 五十六はそばに倒れている仲間を再び観察した。傷の深さは二、三センチ程度。やはり、絶命するほどの深手ではない。首を触って脈を計ると息がない。
(冷てえな。ついさっき殺られた死体じゃねえみてえだ)
 五十六はさらなる矛盾に気付いた。それなりの傷口が開いていても出血がほとんどない。五十六はもう一度、敵の持つ太刀を見た。真っ黒い刀身が高速で振り回され、貼られた呪府が靡(なび)いている。
(斬られたものが即死するような呪……?)
 五十六はそのように仮定した。そして、それ以上の追究を無駄だと判断した。もう半数の仲間が毒牙にかけられている。精査している時間の余裕はない。

(若造めが! 好きにはさせん!)
 五十六は倒れた仲間の持っていた棍棒を手に取り、黒鵡と対峙した。技では後れをとる相手だが、力なら負ける気がしない。
 名乗りはあげなかった。あげれば、子分たちは余計な気を遣って手を出さなくなる。それでは困る。正々堂々と一対一で戦うつもりなど毛頭ないのだ。
 五十六は黒鵡の剣先を見つめた。
 速い。目で追うのがやっとだ。が、見切る必要はない。受ければ、いい。
 黒鵡の刃が戦場を舞う。五十六は棍棒で受けた。
(いける!)
 暗闇の中で燃え盛る焚き火を背に、五十六は内心ほくそ笑んだ。一対一で、斬られれば死ぬ妖刀を持った剣の達人に勝つ気はない。大将が受けている間に、手下の誰かが黒鵡の背を襲う。正々堂々にはほど遠いが、もはや体裁を気にしている余裕はない。どんな手を使おうが、勝てば官軍。五十六と黒鵡、どちらが強いかは重要ではない。勝ったという事実が必要なのだ。
「おっ! 五十六どんが討って出た!」
 白髪鬼が余計なことを口走った。敵と大将の一騎打ち。鬼族の間ではこのような場合、子分たちは手を出さず、周りで囃子方(はやしかた)に徹するのが慣例だ。

 む〜かし た〜んばの お〜えやま〜
 おにども お〜く こもり〜て〜
 みやこにでては〜 ひとをくい〜
 わ〜かき ひめを〜ば ぬすみゆく〜

 げんじ〜のたいしょ〜 らいこ〜は〜
 と〜きのみ〜かどの みことのり〜
 お〜けも〜して おにたいじ〜
 いきおいよ〜くも でかけたり〜

(バカどもがっ! オレがどうして名乗りを省いたか、考える奴はいないのかっ!)
 五十六は絶望した。が、これは鬼の戦場における伝統上、自然な流れといえば自然な流れだった。鬼族は粋を好み、不粋を罪とする。
 五十六が敵の手を止め、他の誰かが背後を襲う。五十六の考えた策は合理的ではあったが、鬼の価値観を無視したものだったのだ。
 黒鵡の野太刀と五十六の棍棒が撃ち合い、火花を散らした。観客と化した鬼たちは五十六を応援し黒鵡にヤジを飛ばすばかりで、抜け駆けして黒鵡に斬り込もうという者が出る気配がない。
(くそっ! 揃いも揃って、しっかり空気を読む連中ばかりか!!)
 五十六は焦りを感じていた。黒鵡との体格差は倍近い。腕力の差もそれに比例していて、一見すれば明らかに五十六に分がある。
 だが、
(なんという剣筋だ。こいつ……)
 五十六は恐怖の中で戦っていた。腕力で勝っているにも関わらず、押し切れない。前進しているのは五十六の方なのだが、黒鵡は後退を余儀なくされる度に真後ろではなく斜め後方に逃げる。
「おら! ちっこいの! 逃げてばっかじゃ勝てねえぞ!」
「仕方ねえよ。五十六どんの豪腕に、敵うわけがねえ!」
「ゲラゲラゲラ!!」
 野次馬どもは気楽なものだ。剣技のケの字も知らない連中が揃っているのだから仕方がない。力で有利な五十六が押しているように見えるのだろうが、実質は逆だ。黒鵡に軽く一撃でも食えば、五十六の負けなのだ。
 今のところ黒鵡の剣を全て弾き、駕(しの)げている。五十六の体に刃を届かせずに済んでいる。が、技量の差が大きすぎる。五十六も百戦磨だからこそわかる。最小限の予備動作から繰り出される技の冴えの鋭さ、下手に撃ち込めば瞬時のうちに膾(なます)のように切り刻まれるという事実が。
 いや、相手には何発も斬る必要さえないのだ。死の剣の魔力は、たった一刀の傷さえ負わせれば致命傷に至らしめるのだ。天下一品の剣技と、浅い傷で死に至る妖刀。卑劣なほどに最悪の組み合わせと、五十六は対峙しているのだ。

(手元だ。奴は小手を狙ってくる……)
 五十六には読めていた。おそらく黒鵡は、鍔迫り合いの位置から最も近い部位、つまりは棍棒を持つ五十六の手を狙っている。腹や胸、喉などの急所を狙う必要も、深手を負わせる必要もないからだ。切り傷の一つでも付けられれば危ない、と考えて良いだろう。
 五十六は技で途方もない溝を空けられた相手に、傷一つつけられずに渾身の一撃を食らわせなければならないのだ。
(勝てる……気がせんわ……)
 戦況のあまりの厳しさに絶望したことが、過ちを生んだ。棍棒で弾いた剣先を、足元に飛ばし過ぎた。撃ち込むために前に出した足先に、近い位置に黒鵡の剣先を飛ばしてしまったのだ。
(しまった……)
 剣は五十六の足の甲を掠めた。それは、皮一枚切られただけの掠り傷だった。普段の戦なら「ツバでもつけときゃ治る」とばかりに、気にもかけない浅い傷だった。この程度の傷でギャーギャー喚くような奴は戦場に出るなと蔑むような、掠り傷だった。
 にも関わらず、
 五十六は膝から下を切断されたかのような感覚に陥った。足が石のように重たく、冷たい。
 黒い刀身に貼られた符が、嘲笑うように夜風に靡いた。
(こやつっ……)
 五十六の棍棒が、宙を躍った。ほんの一瞬前まで五十六の体を守っていた棒だったが、不意な状況にパニックに陥った五十六の手は、いうことを聞いていなかった。

 その隙を見逃してくれるほど、敵も甘くなかった。
 彼の名前と同じ程の数の剣閃が、
 五十六の体を貫くのが感触でわかった。

 朦朧とする意識の中。
 体の芯に冷や水を注ぎ込まれたような感覚の中、
 五十六は確信した。

 今夜は鬼がいなくなる夜


 数分後。
 五十六の予感が現実になったとき、
 死屍累々の丘に黒鵡が背を向けたとき、
 剣士の妹が息を吹き返した。

「ケホッケホッ……お兄ちゃん、迎えに来てくれてありがとう。ケホッ。でも、どうしてあんな……」
 背中から刃が貫通したにも関わらず、人と似て非なる種の少女にとっては痛いで済む程度らしい。自ら吐いた血に噎(む)せ込みつつも、独力で立ち上がれるくらいの力は残している。
「起き上がったか。行くぞ」
 黒鵡は素っ気なく言い放った。あたかも妹が刺されたことなど見なかったかのように。
「待ってよ。お兄ちゃん、どうしてあんな……」

 “そいつに人質の価値があると思ったか”

 妹が簡単には死なない体であることを計算に入れてのハッタリだったか……と考えれば、さほど間違った判断でもない。だが……。
「凄く痛かったんだよ。お兄ちゃん、酷い……」
 たとえ生命力が図抜けていても、受ける苦痛は変わらない。妹はさめざめと泣き出した。焚き火の残り火が火の粉を舞わせる中、黒鵡は苦々しげに言い放った。
「くだらないことでグダグダ言うな。置いていくぞ」
 涙にくれる妹に背を向けて、黒鵡は歩いていった。
「待って、待ってよお兄ちゃん……」
 妹はふらつきながらも、背中から胸まで貫いた傷を抑え、非情な兄のあとをトボトボと、足をふらつかせてついて行った。
(続きは電子書籍で!)
登録日:2016年03月18日 19時10分
タグ : 眠太郎懺悔録

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