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浅川こうすけ
著者:浅川こうすけ(あさかわこうすけ)
猫が好き。毛がつやつやの黒猫が特に好き。自分で飼ってるわけではなくて人様の猫相手に猫じゃらしを振ったりしています。でも本心では、自分自身が猫じゃらしにじゃれつきたいのです。時間やしがらみを忘れて一心不乱にじゃれつきたいのです。猫じゃらしを振っているのが美しい奥方ならなお嬉しい。――と、こんなことを真顔でいう30代の未婚男子でございます。
小説/ホラー

ファスナーのむこうがわ

[読切]
タイミングよく、うめき声を上げた男に、つい声をかけてしまった三杉。男を支えようと左手をつかんだのだが――大きくよろけた彼は男と2メートルも離れてしまう。しかし、左手はつかんだままだった……。不条理なホラー作品。
 火曜日
 三杉信吾は目をあわせるのをさけた。
 視線が意味もなく、右や左へ泳いだ。薄暮のなか、灰色に染まる家々をながめる。
 定刻に帰社したのだから、まだ六時にはたっしていないはずだ。なのに、あたりは人通りもなく、やけに静かだった。夕餉のにおいさえ、なりをひそめている。
 世界にはあなたたちふたりしかないよ、といわれているようだ。
 道のむこうから歩いてくる女性は、右手に紙のたばをかかえていた。それだけなら、視線をそらすこともない。異常、と感じたのは彼女の着ている服であった。
 薄暮のなか、世界は灰色に染まっていたが、彼女だけは白かった。
 白衣を着ている。ただそれだけなのだが、病院外で見る白衣のなんと不自然なことか。清潔感というよりも、むしろ無機質な印象をうける。美人なのもまた、人形くさい。
「あの、あなた」
 その白衣美人が、かかえているたばから、紙を一枚さしだしてきた。
 いつの間にか接近していたらしい。まるで気づかなかった。目線をそらしていたためだろう。足音がまったくしなかったせいもある。
「これ、お願いね」
 さしだされた紙は、A4サイズだった。上半分のスペースに、カラーで男の顔がプリントされている。下半分には、この人を見かけたら連絡くださいという文と、連絡先が書かれていた。
 三杉信吾は片眉をあげた。
 男の特徴を書いているかしょに、怪我をしているので包帯などを顔にまいているかもしれません、と書かれていた。
 男の写真をながめているうちに、白衣美人はいなくなっていた。存在感はあるが、気配がほとんどない。白衣を着てはいたが、医者ではないのかもしれない。そんな気がした。
 三杉はチラシを丸めてすてた。
 マンションについたら、まず郵便受けを見るのが習慣になっていた。階段横についている集合ポストで、八戸分ある。
「おいおい」
 三杉はついひとりごとをもらした。
 自分の郵便受けのなかに、ダイレクトメールにまじって、白衣美人のくばっていたチラシもはいっていたのだ。
 使っていない郵便受けにもいれていた。チラシが口からだらしなくでており、男の写真がさかさまにたれさがる形になっている。
 使っていない郵便受けは、だれも中のものをとらないので、広告などがたまってしまう。どうしても、底があがる。チラシが半分たれているのは、はいりきらなかったせいだろう。
 三杉は男の写真が見えるのが気にくわなかった。チラシをつまむと、強引に郵便受けのなかに押しこんだ。


 水曜日
 三杉信吾が月を見あげたのは、宇宙飛行士になる夢を思いだしたからではない。
 体と心が両方とも疲れると、ついつい上をむいてしまうのだった。高校生のころ、ハンドボール部の練習帰りによく上を見あげて帰ったのは、もう七年以上も前のこと。
 常盤神社をすぎて右にまがると、外灯の数が少なくなる。まっくらではなく、物が見えるていどに明るいところがミソだ。なにか事故でもおこれば、即心霊スポットになるだろう。
 残業で、体と心が疲れた自分にはピッタリの場所だと、三杉は心のうちでごちた。
 歩道の端に、黒い塊が見えた。比較的距離があったのに発見できたのは、月光のなせるわざ。今夜の満月はいつもりあかるかった。
 その黒いかたまりはゴミにも見えたが、近づくにつれて人間がうずくまっているとわかった。肩幅の広さからして、男だろう。シルエットが山形なのは、コートのようなものを着ているためだと思う。しゃがんでいるので、長い裾が地面についてひろがっている。
 靴紐をむすんでいるのか? 免許証を落としたか? それとも百円玉でも見つけたか?
 残業で貴重な数時間を無駄にしている身としては、だまってとおりすぎるのが正解だ。
「あの、どうかしましたか?」
 三杉は男に声をかけた。
 つい、声をかけてしまったのは、横をとおりすぎるときに、
「うう」
 という、うめきを聞いてしまったせいだった。
 早くても遅くても、聞こえないふりができるほど、ちいなさうめきだったが、タイミングがよかった。無視するという選択を考えられなかったほど、ちょうどいいタイミングだった。
 ある意味では、最悪のタイミングともいえた。
 男が顔をあげた。
 信吾は反射行動で、一歩うしろに下がり、逃げるように上体をそらした。
 男は顔に包帯をまいていた。バンダナみたいに、というようなかわいいものではなく、顔が見えなくなるくらいにねんいりだ。かろうじで、目と口の部分があいているのが、かえって気味悪かった。
 近づいてはじめてわかったが、男は黒いフェルト帽を目深にかぶっていた。うしろから見て、包帯をまいていることがわからなかったのもしかたない。
 三杉はいますぐ踵をかえしたかったが、一度声をかけてしまった以上、引くに引けなくなった。唾をのみこみ、意を決して、もう一度声をかけようとしかけた。
 男がたちあがるほうが早かった。
「ほうっておいてくれ」
 男がくぐもった声でいった。
 三杉の目は、男の左手にそそがれた。ここにも包帯がまかれていた。顔もそうだが、けしてうまいまきかたではい。へたというのでもない。なにかに追いたてられるみたいに、慌ててまいたという感じだ。
 男が一歩をふみだそうとして、体をおおきくゆらした。
「危ない!」
 三杉は思わず、男の左手をつかんだ。体重をうしろにかける。ささえてやろうとしたのだ。
 男が片膝をついた。
 三杉はおおきくうしろによろけた。
 男と二メートルははなれてしまった。
 でも、いまだに、右手は男の左手をにぎっていた。もっとも、手首からさきは、たれさがった包帯しかなかったが。
「ひいいいいいい!」
 三杉は右手をふった。男の手首が持ち主のもとへ飛んでいき、肩にあたって地面に落ちた。
 右手の指と指のすきまがぬるりとしていた。
 しりもちをついた三杉は、自分の右手を月光にさらしてみた。暗くてよくわからないが、なにか粘液のようなものがついているのは、まちがいなかった。
「う、うわあああ、げ、げええええええ」
 三杉は道路にうつぶせて嘔吐した。夕食に食べたカップめんが喉を逆流していくのがわかる。吐瀉物の水たまりに、麺が落下し、しぶきが飛んだ。すっぱい味で、口中がヒリヒリする。
 涙がにじんだ。しゃにむに右手を地面にこすって、付着した粘液をなすりつけた。
 顔をあげたとき、包帯男の姿はすでになかった。


 木曜日
 三杉信吾はベッドからはねおきた。
 額、首筋、背中と汗の感触が気持ち悪い。なにか悪夢を見ていたという記憶はあるが、どんな夢だったかは思いだせなかった。
 きっと、昨夜の包帯男との邂逅が原因だろう。昨日は帰ってきてシャワーをあび、疲れきってベッドにはいったまま眠ってしまった。いったい彼はなんだったのか。
 いま冷静になって考えてみれば、一昨日の火曜日に、白衣美人にわたされたチラシ。あの写真の男がそうではないのだろうか。包帯で顔を包んでいたので人相がまるでわからないが、逆にそれが特長と合致している。
 三杉は額の汗を手のこうでぬぐった。ふう、とため息を落とし、ベッドからおりる。壁にかけた時計は、いつもの起床時間より一時間も早いことをつげていた。
 パジャマをぬぎながら、バスルームへとむかう。こう汗だくでは、さすがに気持ち悪い。
 バスルームのドアをあけるために、ノブをつかんだ。
 カチリ。
 と、そんな音がした。固いもの同士が、ふれあう音だ。
 そこではじめて、手のひらの違和感に気づいた。右手をひっくりかえして見てみる。
「な、な、な、なあ」
 言葉にならなかった。
 中指のつけねから手首の位置まで、ファスナーがついていたのだ。白い色をしており、ちょっと見にはプラスチック製のファスナーに見える。開閉するための小さなタブもついていた。
 三杉は震える手で、ファスナーにかるくふれてみた。
 ビジュ、と歯と歯の隙間から水が飛んで、右胸にあたった。
 水ではなかった。
 黄土色した液体が、右胸に付着していた。粘りけがあり、少しづつたれてきている。
「おえ」
 えずいた三杉は、バスルームに飛びこむと四つんばいになった。排水溝にむかって、せいだいに吐きだす。吐瀉物のはねる音がひびいた。
 包帯男の顔が、いくつも脳裏にうかんだ、そのどれもが、口を三日月にして笑っている。包帯は黄土色に汚れていた。ファスナーからでてきた粘液の色だった。
 吐くだけ吐いたあと、三杉は胸の汚れをシャワーで洗い流した。膿のような粘液が、吐瀉物とまじって排水溝に消えていく。
 鼻の奥がツンとして、涙がにじんできた。三杉は頭からシャワーをあびた。
「なんなんだよ、いったい」
 ファスナーに爪をかけて、思いっきりひっぱった。
「痛」
 三杉は指をなめた。勢いよくひっぱりすぎたので、爪がわれている。ファスナーは皮膚の一部になってしまったかのように、こびりついたままだった。
 三杉はバスルームをとびだした。体もふかずに、てきとうに服をきた。髪をとかしている時間もおしかったが、タンスのひきだしから保険証をとりだすことはわすれなかった。
 右手のファスナーを見られるわけにはいかない。ズボンのポケットをさぐると、ハンカチがでてきた。これを右手にまくころには、三杉はすでにマンションをでていた。
 海鳴中央病院は、巨大な黒い墓石を思わせる。コンクリの外壁が、長い年月雨をすって黒くそまっているからだ。
 三杉は大股で歩いていたが、病院の姿が見えるとかけ足になった。砂漠でオアシスを見つけたときの気分は、きっとこんなものなのだろう。
 左手には病院の壁が、長々と続いている。赤レンガ風の壁は、これも雨で色がくすみ、赤黒くなってしまっていた。
 入り口の門が見えてくると、三杉の足がにぶくなった。眉間にしわをよせて、右手にまいたハンカチに目を落とす。
 もしここにテレパスがとおりかかれば、彼はきっと意味不明な言葉を聞くだろう。
「ファスナーをどう説明しよう」
 という言葉を。
 それでも、医者にかからなければたいへんなことになると、三杉の足はよく知っていた。牛の歩みだが、なんとか門についた。
 とりあえず、ファスナーをつきつければ、あとは専門家がなんとかしてくれるだろうという一種投げやりな態度で、三杉は病院の敷地に足をふみいれようとした。
 門の影から、のっそりと男があらわれた。黒いコートに黒い帽子、そして、顔は黄土色に汚れた包帯でかくされていた。
 三杉は一歩うしろにさがった。
 いや、二歩さがった。
 もう一歩。もう一歩。
 太陽のしたで見る包帯男も、また不気味であった。
 見えないからこそ怖いことがあれば、見えるからこそ怖いことも、またあるのだ。
 男のまいている包帯は、たったいまこのときも汚れつづけていた。黄土色の染みが、じくじくとひろがっている。きっとファスナーからでてきている膿なのだ。あの粘液にふれると、またファスナーができてしまう。
 三杉はその場にとどまることができず、きびすをかえした。脱兎のごとく走りだす。
 包帯男がなにか叫んでいたが、うしろはふりかえらなかった。昨日の男の歩き方を見ていれば、全力疾走する必要がないことくらいわかりそうなものだが、混乱した頭ではそこまで気がまわらず二百メートル近く全力疾走した。高校時代ハンドボール部で鍛えていたおかげではなく、純粋な恐怖心からであった。背後から大岩が転がってくることを想像すればいい。命がかかっているのだ。走れる走れないではなく、走らなければならないのだ。
 二百メートルをすぎると、さすがにばてた。走るどころではない。三杉はよろよろと、それでも前に足をだした。
 自分の部屋に戻ると、ソファに倒れこみそうになる体にむちうち、とにもかくにもシャワーをあびた。とちゅうで気づいて、右手のハンカチはといた。
 右手のファスナーに、集中的にお湯をあびせる。にじんだ粘液を洗い流す。いまできることは、これしかなかった。
 バスルームからでると、救急箱から包帯をとりだし、右手にまいてやる。ハンドボール部の練習で足をくじいたときは、包帯は毎日かえていた。、その経験がこんなふうにいきるとは、あのころは想像もつかなかった。いまは片手でまかなければいけないので、お世辞にもうまいとはいえなかったが。
 包帯をまきおわると、三杉はベッドに横になった。正午を少しまわったくらいだが、すぐに寝息をたてはじめた。


 木曜日深夜
 真っ暗闇のなか、三杉信吾は目をさました。
 また全身が脂汗にぬれていた。右手のこうで、額をぬぐう。包帯の肌ざわりに、ぼんやりした頭がめざめた。
 枕もとの時計を見ると、光るデジタル表示が、午前零時四分前をつげていた。
 三杉は頭をかきむしりながら、ベッドからおりた。裸でも平気なのは、タイマーによってエアコンが作動しているからだ。
 壁をまさぐり、部屋の電灯をつけた。
「うわああああ!」
 胸にファスナーができていた。歯と歯のすきまから、例の膿のような粘液がたれている。へそのほうまでべっとりだ。
 胃が痙攣して、胃液がこみあげてくる。三杉は口を手でおさえ、喉もとまできていたのをのみこんだ。すっぱい匂いが、のどから鼻へとひろがる。
 三杉はバスルームにとびこんだ。シャワーを全開にして、ファスナーにかける。水だったが、まったく気にならなかった。
 昨日の朝、右手のファスナーから飛びだした膿が胸にかかった。いまそのかしょにファスナーができている。自分の膿からでも転移するのだ。このままでは、全身にまわるのも時間の問題かもしれない。
 三杉はおおきく身震いした。シャワーはとっくにお湯になっているのにだ。
「朝になったら、病院に」
 三杉は念仏のようにとなえながら、バスルームをでた。タオルで髪をふく。陰鬱な気分をごまかすかのように乱暴に。
 ふいに、右手に手ごたえがなくなった。バスタオルをさわっていた感触が消えたのだ。
 背後の床に、なにか落ちる音がした。
 三杉は生唾をのみこんだ。
 いやな予感が、汗といっしょにこめかみを流れる。
 右手が軽かった。
 おそるおそる、背後をふりかえる。
 床のうえには、だれかの右手が落ちていた。
「だ、だれの右手なんだよ?」
 眉根をさげて、三杉はふるえる声でつぶやいた。自分の右手に視線を落とすと、手首から先がなくなっている。
 よつんばいになり、こんどこそ吐いた。
 昨日からなにも食べていない。喉から逆流してくるのは、胃液だけだった。
「おげえええ」
 三杉は涙をにじませながら、すっぱい液をはきだした。床に転がる右手にかかる。
 はくものがなくなっても、胃袋はまだ痙攣していた。三杉は体を横たえると、落ちたバスタオルを左手でつかんだ。にぎりしめて、嘔吐感にたえる。
 きもち悪さの波がすぎても、三杉の呼吸は乱れたままだった。
 ぼんやりした脳が、どこかでサイレンがなっているのに気づいた。これは、消防車だろうか。どこかで火事でもあったのかもしれない。
 呼吸が落ちつくと、三杉は上半身をおこした。右手首をみると、ふちのところにファスナーの歯がついていた。切断面からは膿がにじみだしているので、よく見ることはできなかった。
 落ちた右手のふちにも、ファスナーの歯がある。思えば、一番はじめにファスナーができたかしょは右手のひらであった。膿が手首まで流れていた可能性は、十分にある。
 三杉は右手をひろうと、右手首にくっつけた。すきまから、膿がにじんできて、ぷちゅぷちゅといやな音をさせた。
 三杉は何度かまばたきした。ファスナーを閉めようとして、両手がふさがっていることに気づいたのだ。
 けっきょく、どうすることもできない。
 考えたすえ、三杉は水道で右手をたんねんに洗った。右手首にも水流をあびせ、膿をぜんぶながす。
 三杉は、さきほどと同じように、右手を手首にくっつけた。ぶらさがっているタブを歯でかみ、ひっぱる。
 右手がくっつくと、三杉は床にしりもちをついた。おきてからまだ一時間くらいしかたっていないが、もう疲労困憊だった。
 はうようにして、ベッドにたどりつく。
 床上にまだ嘔吐した胃液が残っていることは、横になったあとで気づいた。
 もう、あしたで、いい。
 心のうちでそうつぶやき、三杉は深い眠りに落ちた。


 金曜日
 三杉はシャワーのコックをひねった。まず水が、ついで温水が体にかかる。
 もうすっかり日課とかしてしまった。
 と、思わずつぶやいてしまいそうになる。
 朝おきて確認すると、腹にファスナーができていた。膿をじくじくとにじませて。
「へへ」
 と、三杉は口のはしをあげた。
 三杉はバスルームをでた。ぶるると少しふるえると、すぐに服をきた。
 病院に行くためというのもあるが、たんじゅんに寒かったのだ。
 昨夜、ゲロをはいたままにしていたので、部屋内に酸い匂いがただよっている。ベランダにつづくサッシをあけて、空気のいれかえをしていた。暦のうえでは春とはいえ、まだまだ寒い。
 保険証をもって部屋をでようとした次の刹那、あけたサッシから風がふきこんできた。テーブルのうえにおかれていた紙が、浮きあがり舞う。
 三杉は空中でキャッチした。なんのことはない。スーパーの広告だった。タマゴが一個一円らしい。ただし、おひとりさま一個まで。
 頭のなかで、なにかがスパークした。
「そうだ!」
 チラシだ。
 あれはたしか火曜日だった。女医のような女に、チラシをわたされた。たしか、男を見つけたときの連絡先が書かれていたはず。そこに連絡すれば、このファスナーの治療をしてくれるかもしれない。病院にいくよりも、確実に思えた。いや、連絡先自体がどこかの病院なのかもしれない。
 そこまで考えて、三杉はこうべをたれた。
 肝心のチラシがなかった。あのとき、捨ててしまった。
 ここはすなおに病院に行くべきだろうと、三杉は外へでた。マンションから一歩をふみだし、あわててひきかえす。
 集合ポストのひとつからはみでたチラシが、よれよれと風にゆれていた。だれも使っていない郵便受けにいれられたチラシ。ずっと残っていたのだ。
 三杉は部屋に戻ると、そのチラシに書かれた番号をプッシュした。
 ぴんぽーん。
 玄関のベルが鳴った。
 三杉は舌打ちひとつ受話器を置いて、玄関ドアののぞき窓を見た。
「あ」
 ふいの来客は、あの白衣美人だった。
「あけてくれないかしら」
 部屋にいるのがわかっているのか、彼女は目をほそめてほほえんだ。
 三杉はドアをあけた。ただし、チェーンはかけたままだ。
「このあいだのチラシ覚えてる?」
 開口一番、白衣美人がいった。
 三杉がなにもいわないでいると、
「おかげさまであの男は発見できたのよ。病院を見はっていたの。だって、ほかに行くところないでしょ。あんな状態じゃあ。で、見はってた人間が、あなたを見かけたのよ。あの男に追われるあなたを」
 三杉の背中に、鳥肌がたった。
 あの包帯男が「あんな状態」だというこを知っている、ということを知られている。
 さきほどまでは、この白衣美人に連絡をとってなんとかしてもらおうとしたが、それはおおきなまちがいだったのではないかと、三杉はこめかみに冷や汗をたらした。
 白衣美人はおかまいなしに、話をつづけていた。
「きっと、彼、いっしょに病院に行こうとしたんじゃないかしら。ひとりだと不安だったのかもね。ま、本人からはもう話が聞けないから、これは想像なんだけど。で、あなたは逃げた。見はっていた人間をまくほどに慌ててね」
 期せず、見はりをまいていた。なら、どうしてこの場所がわかったのだろうか。三杉が不思議に思うと、白衣美人がすぐに教えてくれた。
「この場所がわかったのは、ここさいきん、会社を無断欠勤した人間をかたっぱしから探していたから。何軒もむだ足ふんだけど、やっとあたりみたいね。その右手、なにか怪我?」
 ドアのすきまから見えてしまっていた右手を、三杉は背後に隠した。
 白衣美人があごにひとさし指をあて、
「いくらあなたが被害者で同情できるとはいえ、困るのよねえ。世間に知られると、ほら、パニックになっちゃうでしょ。なおる方法がないわけだし、すぐにうつるし」
 さらっといわれたなおる方法がないという言葉に、三杉の頭はハンマーで殴られたようになった。誇張ではなく、ほんとうにゴンときたのだ。
「ほんとごめんなさいね。わたしたちもつらいのよ。でも、給料をもらってる身としては、掃除でもなんでもしないわけにはいかないから。息子も小学校に入学したばかりだし、クビにはなりたくないのよ。そこのところわかってね」
 白衣美人の横から、ひょいとおおがらな人間があらわれた。たぶん、男だろう。
 たぶん、と注意書きがついたのは、その人物が宇宙服のようなものに身をつつんでいたからだ。頭にもヘルメットのようなものをかぶっている。
 白衣美人の姿が、いつのまにかいない。あいかわらず、気配が希薄だ。
 男がなにかをドアのすきまからほうってきた。
 三杉は足元に転がってきたものを見た。円柱形の金属だった。手のひらよりも、ちょっとおおきいくらいだ。
 部屋のドアが閉められた。
 次の瞬間、金属が破裂した。
 紅蓮の炎が、四方八方にひろがる。
「うわ!」
 叫びをあげた三杉の口に、炎がわれさきにとおしいってきた。
 口からのど、のどから肺と、灼熱が奔流となっておそいくる。
 熱い痛い。
 そんな感情がごちゃまぜになって、脳裏をかけめぐった。
 そのすきまから、ある考えがうかんだ。
 昨日の深夜、消防車のサイレンがなっていた。どこかで火事があったのはとうぜんだが、それはいったいどこでなにが燃えたのか。もしかしたら、あの包帯男が焼かれたのかもしれない。この部屋でおこっているように。
 生かせ生かせ生かせ。
 ふいに、体内から声がきこえた――ような気がした。
 三杉はふりかえった。不思議と熱さや痛さは感じなかった。ただ、夢のなかにいるようで、頭がぼんやりとしていた。
 生かせ生かせ生かせ。
 声がまだしている。
 その声にみちびかれ、三杉はおおきく右腕をふった。
 ハンドボールの試合でも、これほどみごとなふりはしたことはなかった。生涯最高だ。
 部屋を横ぎって一直線にとんでいったのは、三杉の右手首だった。膿が糸をひいていた。
 あいたままのテラス窓から、手首は外へ脱出した。
 生きる生きる生きる。
 生きる。
 声がとだえたが、三杉にはもうどうでもよかった。部屋中が炎につつまれたなか、うつぶせで火の海にねころがる。
 彼の体中のファスナーから膿がいっせいにふきだした。
 しかし、炎にあぶられ、すぐに水蒸気とかした。
 三杉信吾は首をふりあおいで上を見ようとしたが、炎にあぶられた天井が見えただけだった。


 けたたましいサイレンの音が近づいてきたが、サスケはまるで気にしなかった。道路にエサがころがってないか、鼻をふんふんいわせながら歩くだけだ。
 サスケという名前も、前の買主がつけただけで、サスケ本人にはその自覚がなかった。首輪だけが、飼い犬であったなごりである。
 サスケはなにか見つけると、その物体に近づいた。
 人間の手首であった。切断面から、膿のような粘液がこぼれ、アスファルトに染みをつくっていた。
 もちろんサスケは意にかいさず、鼻先をつきつけた。
 膿がサスケの黒い鼻についた。
 サスケが両方の前足で、鼻の頭をこする。
 しょせん畜生。サスケは気づいていなかった。
 頭上のマンションで燃えている部屋から、黄色い水蒸気が煙となって噴出したことを。
 その水蒸気が一瞬、まるで笑っているかのように、三日月形になったことを。
 サスケはもう手首には目もくれず、目的地めざして歩きだした。
 いつもエサをくれる場所だった。さしだす手に鼻の頭をこすりつけたり、前足を置いたりすると、給食の残りをくれるのだった。
 サスケがめざすのは、海鳴小学校であった。
(了)
(初出:2001年03月)
登録日:2010年06月14日 22時46分
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