騒人 TOP > 小説 > ホラー > 眠太郎懺悔録 憑護の願った夢(1)
青島龍鳴
著者:青島龍鳴(あおしまりょうめい)
青島龍鳴と申します。メタ化されたものしか受け入れられないこの時代で、黴の生えたような古臭いものばかり書いている時代錯誤作家です。既刊本「But the world is beautiful」。
小説/ホラー

眠太郎懺悔録 憑護の願った夢(1)

[連載 | 完結済 | 全3話] 目次へ
仕事帰り、携帯でノリよく話していると、有紀は異常な男とぶつかってしまう。待ち合わせをしていた彼氏――唇にピアスをした大男に助けを求めるが、彼氏は化け物に変じ、そしてまた変質者もありえない姿に変貌をとげる。違う世界へと足を踏み入れた有紀の見たものとは!?

 あれはもう五年も前のこと。
 当時中学生だったあたしは、いつも通りに朝は学校に行き、いつも通りに昼は授業を受けて、いつも通りに夕方には家に帰りました。
 いつも通りに帰宅したはずでした。

 でも、おうちがなかったんです。

 おうちがあったはずの一角は、まるで長い間空き地であったかのように草がいっぱい生えていました。小さな一戸建ては跡形もなく消えていました。

 お父さんもお母さんも、お姉ちゃんも居なくなってしまいました。
 朝までは何事もなくおうちにいた家族が、学校に行っている間におうちと一緒に消えてなくなったんです。


 あたしは親戚に引き取られて、それからは平和に暮らしています。
 でも、あの日からいままで一緒にいた家族はいなくなったままです。
 お父さんもお母さんも、とても仲良しだったお姉ちゃんもいなくなったままです。
 なにがどうなっているのか、全くわからないのです。

 なんとなくですが、
 お姉ちゃんたちとはもう会えないような気がするんです。


 第一幕

 月森有紀(つきもり・ゆき)はその夜、仕事帰りに行きつけのクラブに寄ることにした。七年前に家族を失った傷はとうの昔に癒えていた。
 むしろ元来の独立心の強さが頭をもたげ、一時期は磁石のようにくっついて離れなかった伯母を疎み始める始末だ。過保護な伯母はいつまでも可愛い姪を傍に置きたがった。独り身の伯母としては寂しいのだろうと、有紀も責めるつもりは毛頭ない。
 願いを叶えてくれたのは、皮肉にも伯母の紹介で就職した不動産屋だった。何故だか出張の多い会社で、しかも有紀ばかりが全国あちこちに飛ばされる。
 転勤願いはなかなか通らないものの、家にあまり居たくない身としては、出張地獄も天国のうちといった風情だ。
 その夜は楽しい都内長期出張のことだった。ろくな仕事をするわけでもないくせに、地元に帰る日はずるずると延ばされていく毎日。いっそこのまま転勤にならないかしら、そう思い始めたのにはわけがあった。
 夜遊びが大好きな有紀にとって、暗闇に負けじと輝き続ける街はそれだけで魅力に溢れていた。だが、それが都内永住を望む一番の理由ではなかった。

 人の行き交う夜の街を、有紀は携帯電話で話しながら歩いていた。
「もーマジウケる。今日も『お勉強だから』とか言っちゃってさ。何軒かのおうちの地図渡されて、鍵開けて間取り見て、それで一日終わって今クラブ行くとこ。なんなの? うちの会社って」
 話し相手は青木真白(あおき・ましろ)。
 この楽しい出張の初日に飲み屋で知り合い意気投合した。それから一週間しか経っていないが、早くも親友のような間柄だ。
「アホユキさんに残念なお知らせがあります。おたくの会社にはもうドン亀を飼っている余裕はありません。もう役目がないから遊ばせているだけです。地元にお帰りになると同時に退職願いが用意されていることでしょう」
 三度の飯より冗談が好きな真白がおちゃらける。
「はいはい、わかったから死ね」
 気兼ねない仲でなければ洒落にならない言葉の応酬が、真白となら成立する。
「だって有紀って、出張のたんび、そんなんでしょ。いらない子には旅をさせよって言うじゃない。もう決まりだね。ご愁傷様」
 真白のボケは今日も絶好調だ。
「いやいや何も決まってないし。それ普通に放逐だし……」
 有紀の突っ込みが入ったとき、あらぬところにも突っ込みを入れてしまった。
 電話に夢中になっていて人に突っ込むという、きわめてありがちな失態を有紀はやらかした。
「ひゃっほう! ……ごめんあそばせ……」
 素っ頓狂な声をあげた有紀は、とんでもないものを目にすることとなった。
 正面からぶつかったのは、異常な男だった。
 その男は、もう初夏だというのに分厚い皮のロングコートを着ていた。
 頭のバンダナは大きすぎる上にグロテスクな緑色。
 真っ黒なサングラスも大きすぎて、顔の肉に埋もれている。
 男の容姿には突っ込みきれないところがあったが、その最も驚嘆すべきは男の服装よりも体格だった。
 身長が160cmに満たない有紀が見下ろすほどなのに、横幅はその身長と変わらないぐらいだったのだ。
「すすす、すみません。産まれてすみません。あんたが産まれてすみません」
 どさくさ紛れに失礼なことを言いながら、有紀は小さな巨漢の視界から逃げた。特に何かされたわけでもないのに、命の危険を感じる程に恐ろしかった。
「……アホ子、なんかあった?」
 ただならぬ有紀の慌てように、電話の向こうで真白なりの心配の声が聞こえた。
「あった、あったの! キモデブ一号! すごい物体と遭遇しちゃった。マジ規格外の未知との遭遇だった! あんなのに乗られたら、間違いなく命がない!」
「落ち着けアホ子、何で乗られること前提で話が進んでんの。そこマゾらないでいいから。誰も望んでないから」
 親友の宥めにより、有紀は辛うじて自分自身を取り戻した。
「そうよ。あたしに乗っていいのは世界にあの人ただ一人だけ!」
 電話口から溜息が聞こえた。有紀の復活の早さに感動したのだろう。
 彼女にとって、都内に居続けたい最大の理由は男だった。
 これから足を運ぶクラブで、一昨日ナンパされた。
 有紀にとって理想のルックスと男らしさを兼ね備えた、まさに完璧な男性だった。
「今流行の草食系っての? あれ、全然ダメね。やっぱ、男は狼じゃないとね」
 なぜか有紀はドヤ顔だ。
「いやいや。流行りって、そういう意味と違うし。男はオオカミって昔のCMだし。アホ子、頼む。せめて突っ込み所は絞ってくれ」
 懇願する真白の声は、恋する乙女の耳には届かない。
「狼さん、今日もあたしをおいしく食べてね」
 とうとう下ネタに暴走しだした有紀を蔑みながら、真白はふと思い出したことがあった。
「そういえば、これは一応の話なんだけど。変な噂聞いたから」
「えっ、彼があたしと結婚したいって?」
「うん、それも充分に変だけど聞けよ淫売。あり得ない話なんだけど、おたくの彼氏、ガチで女を食ってるっていうの」
 真白の言わんとしていることが、有紀にはいまいち伝わらない。
「うん。あたしも一度食べられてるけど?」
 真白の深〜い溜息が有紀の耳元に伝わった。
「有紀ちゃん。いいこと? 近頃、この街で奇妙な事件が頻発しているわよね。若い女性が行方不明になったり、まるで野犬にでも食べられたような無残な死体で発見されたり。
 あたし……聞いたのよ。変死体の傍から逃げている彼氏さんらしき人を見たっていう噂をね。
 貴女の彼氏さんって男前の美男子だし、嫉妬されている部分もあるとおもうの。いくらなんでも人食癖なんて突拍子もない話、ただの誹謗中傷だと考えるのが自然よね。
 でも、この町でおかしなことが起きているのは事実なの。うるさいことは言いたくないけど、行きずりの男の人と寝るなんて、無防備すぎるわ。
 彼氏さんがいい人で、貴女と幸せに暮らしていける人だったら本当によかったのに……。でもね、その人がこの街で起きていることに関わっていない保証はないのよ。お願い、有紀ちゃん。わたし、あなたのことが大切なの。もう少し、自分を大切にして頂戴」
 有紀は驚愕した。
 真白の語った内容もトンデモだったが、それよりも口調がまるきり別人だったからだ。
「真白……?」
 二言目にはアホ子だの淫売だの罵る真白を親友だとおもっていた有紀にとって、彼女の変貌はショックだった。
 しかし、一度口に出そうとした言葉を修正せざるを得なくなるような事態が起きていた。
「真白、やばい! キモデブが追ってきた!」
 それは親友の変貌を上回る異変だった。
 さっきぶつかった、縦と横が同じ男が有紀の後ろを歩いていたのだ。
「有紀ちゃん落ち着いて。それ、デブはデブでも別デブってことない? デブなんて養豚所が足りないくらいいるわけだし。キモデブ2号ってことはない?」
 真白の口調が変化前と変化後と混じっているのは気になったが、それ以上に後ろから迫る危機のほうが切迫していた。
「あんな個性的なキモデブ、他にいないから!」
 あの変なバンダナとサングラス、見間違える要素がない。
 有紀は急ぎ足になりながらも、闇雲に動いているわけではなかった。背後の変質者を退けられる希望のあるところに向かっていた。
「うそ……想定外じゃない……」
 真白がまた何か言い出したが、意に介している余裕はない。
「有紀、いいこと? いままで通りに……」
「わかってる!」
 真白(なのかどうだかわからないもの)は有紀と同じことを考えていることがわかった。有紀は行先をそのまま、クラブへと足を急がせた。

 有紀の行きつけの『white monkey』は路地裏の地下にある小さなダンスクラブだ。
 そこに、唇にピアスをした丸坊主の大男が立っていた。
 この人と待ち合わせていたことが、彼女に幸いした。
 息を切らせた有紀と目が合うと、彼は「どうかしたか?」と声をかけてくれた。
 有紀が無言で背後を指さすと、その先では横だけ大きな小男がポリバケツのゴミ入れに引っかかって乱暴に蹴飛ばしていた。
「助けて!」
 息が上がった有紀が、ようやっとのことで声をあげた。
「あんたに用じゃないんだ……」
 小男は初めて口を開いた。背中に悪寒が走るような、しわがれた声だった。
「そっちはオレに用がなくても、こっちにはあるんだよ」
 色男が啖呵を切った。
 有紀はそのこの言葉だけで、歓喜のあまり打ち震えてしまった。
 彼女は強い男が大好きだった。野球もサッカーも興味がないが、ボクシングなどの格闘スポーツには目がなかった。
 そんなわけで、彼氏の弓のように引き絞って放たれた右ストレートが、隙だらけで素人丸出しのテレフォンパンチだったのには少しだけがっかりさせられた。
 一方で、醜男の反撃には目を見張るものがあった。
 腕に捻りを入れたスクリューパンチは、彼氏と暴漢の間のリーチに雲泥の差があるため、届くはずがなかった。彼氏の拳だけが届いて、暴漢は無様にもアスファルトにキスをするはずだった。
 しかし、暴漢の腕の回転に彼氏の腕が逸らされて、正義の鉄拳は悪党の耳を掠めただけだった。20cm近いリーチの差は何の効果も発揮しなかった。無様にもゴミ袋にヒップアタックを食らわせたのは、まさかの彼氏の方だった。
(陳式太極拳!)
 格闘マニアの有紀はその奇跡の技を知っていた。知ってはいたが、実際に眼で見たのは初めてだった。
(デブ! あんた凄いよキモデブ! 凄いデブだよ!)
 とても褒め言葉とは思えない賛辞が、有紀の脳内で反芻した。
「やりや……がったな……」
 彼氏は醜男を睨みつつも、起き上がることができない。
 有紀は消失した記憶を取り戻した。そもそもキモデブは彼女を狙う変態で、彼氏はそれを阻止するために戦ってくれているのだ。
 もしも彼氏が負けてしまったら、有紀が襲われてしまう。強姦だとかいう以前に、あんなのに乗られたら圧死の危険がある。
「ちょっ……あたし、ガバ子だから。良くないから……」
 有紀は貞操と生命の危険に身震いしたが、キモデブは彼氏を見据えたまま彼女には目もくれない。
「言ったはずだ。女、あんたに用じゃない」
 しわがれ声は、確かにそう言った。
 有紀にはキモデブの言わんとしていることが、わからない。
 用がないなら、後をつけた意味がわからない……。
 ここまで考えて、有紀にはふと思い当たることがあった。
 有紀は足の遅さには自信がある。
 一昨日はヒールを履いた真白に、運動靴でも追いつけなかった。
 昨日は彼とデート中にはぐれかけた。有紀の歩くのが遅すぎて、人混みに紛れてしまったのだ。
 今日は仕事でマンションの敷地内で道に迷い、三件しか廻れなかった。
 毎日のように真白曰く「ドン亀伝説」を更新し続ける有紀を、デブは追いつけないままクラブまで逃した。
 そんなことってあるだろうか?
 赤ちゃんのハイハイよりも遅いと評判の有紀に、ノロさで優る人類がいるとは信じられない。
 つまり――デブは有紀について行っただけで、追いかけたつもりはなかった。
 もしくは、彼を探してクラブを目指して歩いていただけで、有紀とは途中から道が一緒だっただけで……。
 そうだとしたら、キモデブは彼と喧嘩をするためにここに来たのだろうか?
 今の世の中、そんなワイルドにも程があることなんて……。
 信じられないことの連続は、更にエスカレートしていった。
 ゴミ袋のそばで座ったままの彼は、物凄い形相でキモデブを睨んでいた。
 それは、普段の快活なイメージとは完全に別人だった。
 気のせいか、彼の周りの空気が暗くなっているように見えた。
 やがてそれは、気のせいでも見間違いでもないことが明らかになった。
 空気が暗くなっているわけではなかった。彼の周りに黒いものが増えていたのだった。
 正確な表現をすると、彼の全身から恐ろしい勢いで真っ黒な毛が生えて、彼の周りを暗く黒く染め始めていたのだ。
 変化は彼の周りだけではなかった。
 全体的に大きめのサイズでダブつきがあった服が、パツンパツンに膨れ上がっていた。
 引き締まっていた顔も膨れ上がって、口蓋が前方にせり出した。口が頬を貫き耳まで裂けて、まるで獣のような顔になってしまった。
「馬鹿が。人前で変じて、どう収拾をつけるつもりだ」
 キモデブがしわがれた声で吐き捨てた。
「しゅう……しゅう……だぁ?」
 野性味を帯びた男らしい彼の声は、既に別物になっていた。
 獣が人語を覚え、鳴き声をそのままに喋っているような、酷く不自然な音質だった。
「そんなもの、てめえも女も殺して収拾だ!」
 彼だったものは、耳を疑うようなことを当たり前に言ってのけた。
「仕方がない……」
 キモデブも、何か決断したらしい。
 その場でしゃがみこんで、両手を地につけた。
 ゴキリ、という脱臼するような音がキモデブの体で鳴った。
 獣へ変貌を続ける彼に対抗するように、この男の体にも変化が訪れていた。
 ゴキゴキと不気味な音をたてながら四肢がうねりながら伸びていった。成長期の子供に起こる肉体の変化10年分を、無理矢理早回ししたように見えた。
 奇しくも、二人の豹変の終了のタイミングはほぼ同時だった。
 格好良かった彼は見る影もなく、ゴリラが服を着ているような姿になってしまった。
 それに引き替え、キモデブだったものは上背が30cmほど伸びて、均整の取れた180僂鬚罎Δ鳳曚┐詢ち姿になっていた。
(あらあらあら……)
 まるきり、正義の味方と悪役とが逆転してしまった。
 ゴリラ男の方は、あれが昨晩を共に過ごした相手だと思うと鬱になりそうだ。しかし、かつてキモデブだったものは縦に伸びた分だけ横がまっとうになっている。
(二人して、今のが正体だってわけ? だったら……)
 どちらが正義の味方でどちらが悪者か、一目瞭然だ。
「よくも騙したなゴリラ!
 あんた、そんな奴ぶっ倒しちゃってよ!

 有紀の長所といえば、無節操なほどの切り替えの早さというべきか。
 サングラスをかけた元キモデブは、一瞬だけお調子者の野次馬に目線を向けた。
(えっ……?)
 有紀には、その視線が酷く悲しげに見えた。大きなサングラスのせいで眼どころか顔の造りもろくにわからないというのに、瞳に悲しみの色が見えた。
 それは瞬きするほどの間だったので、気のせいかもしれなかった。とあれ、有紀がことの真偽を確かめる前に、状況は動いていた。なにせ彼は、上背が2mを越えようかというバケモノと対峙していたのだ。
「てめえ、ちょっとでかくなった程度でオレに勝てるつもりか」
 ゴリラのくせに言うことは正鵠を得ていた。この変身勝負、明らかに男に分が悪い。少しばかり背の高い人間と、筋肉ダルマのゴリラそのもの。変身前より差は目に見えて広がっていた。
 ……不利であるはずだった。
 しかし、次の刹那、胸から血を流したのはゴリラだった。
「ええっ!?」

 どのような攻撃が行われたのか、有紀には全く見えなかった。
 男とゴリラは、とても手が届かない距離があった。男に武器を持っている様子もない。
「……この化け物めっ!」
 ゴリラは捨て台詞を吐き終わる頃には、姿がなかった。
 有紀にはテレポートで消えたようにしか見えなかったが、男の上向きの視線を追うことで、建物の屋上に姿を消す影を僅かに捉えることができた。
 どうやら跳躍力一つとっても、ただの野生動物の常識では図れない相手のようだ。
「バケモノって……おまえが言うか、ってかんじ?」
 有紀は何気なく男のそばに近寄ってみた。
 有紀の目の前に現れた新しい男は、まごうことないヒーローだった。ついさっきまでキモデブ呼ばわりしていたことは綺麗に忘れている。
 見てくれに完全に騙されて、有紀はいつゴリラのお化けに餌にされてもおかしくない危機に陥っていたのだ。
 そんな彼女の危機を察し、醜男に姿を変えてまで見守り、恐ろしい怪物を目にもとまらぬ早業を用いて撃退した「武術の達人」(有紀の中ではそのように設定された)。
 変わり身だけは早業の彼女は、怪物に化かされていたショックに打ちのめされる隙もなく、新たな相手の肚を探りに入った。
「あたし、知ってるよ。『コッカケ』も『遠当て』も」
 彼女の中では、男の変身も遠距離攻撃も「武術の達人」ということで説明がついていた。
 コッカケというのは特殊な肉体操作法を指し示す。常人は金的を避けるべく睾丸を下腹部に収納するので精一杯だが、極めれば顔・体格・身長さえ思いのままだという。
 遠当てというのは気を発して相手を攻撃する必殺技のことだ。某アニメのカメ○メハのような兵器級の威力はファンタジーだが、なにせ達人なのだからバケモノに傷を負わせることくらいは朝飯前だろう。
 いずれも漫画で得た知識で本物が存在するとは想像もしなかったが、直で見た今なら信じることができた。
「ふふ、詳しいでしょ。あたしみたいな女の子、そうそういないよ」
 有紀は全開で自己アピールに努めたが、返答はいかにとおもえば……。
「なんだ、まだいたのか。危ないからさっさと帰れ」
 清々しいほどの迎撃を食ってしまった。
 ところがどっこい、迎撃されて素直に撃沈する有紀ではない。
「はいはい。それ、オレに触ると火傷するぜ、って手法ね。残念、古すぎ。あたし、危険であればあるほど燃えるタチなんだ」
 不沈艦有紀号は、こんなに刺激的な目標を失うつもりはさらさらない。
「それにしたって、あの人、狼のようなワイルドな人だと思ってたのに、まさかゴリラだったなんてね……あんたのほうが、ずっとマシよ」
 有紀は追撃の手を緩めない。漫画のヒーローみたいな達人と付き合うチャンスなんて、逃したら永遠にない気がしていた。
「あれはゴリラじゃない。『ましら』だ」
 有紀には男の言っていることがよくわからない。何故ここで真白の名前が出てくるのかわからない。
 男にはとりあえず有紀が何もわかっていないことはわかったようだ。
「何も知らないまま、というのも酷かな……」
 男はゆっくりと歩き始めた。歩幅の広い大男のゆったり歩きは移動力が致命的な有紀には速足が必要だったが、逃げるつもりもない獲物を逃す手はないと追いすがった。
「憑護(つくもり)という人間のことは……恐らく知らないだろうな……」
 変身前のしわがれ声とは全く違う、柔らかな低音を励みにして、有紀は男について行った。

 男は道を歩きながら煙草を吸った。これがまた、酷い臭いだ。どこのメーカーか知らないが、嗅いだ事のない苦みがある。
 有紀は教育の必要性を感じた。まず人が見てなくても歩き煙草は止めさせ、できれば禁煙させる。他にもファッションの独特さも改善し、頭の半分を覆うバンダナも眼が隠れるデカサングラスも禁止だ。今は責めるべきではないが、先程の変身で足の長さが変わったせいで、ジーンズが寸足らずになっているのも気にするようにして欲しい。
 それだけの苦労をさせる価値が、この達人にはあるのだから。
「憑護ってのは、一般でいうところの『生贄』の一種とおもって間違いない。邪なもののいるところに、わざと邪鬼に憑かれやすい体質の奴を向かわせたり住まわせたりするんだ。そうすると、邪なものは真っ先にそいつに憑いたきり、他の者に悪い影響を及ぼさなくなる。
 大抵の場合は本人に事情を知らされないまま、騙されたも同然でモロに影響を受けて、長生きできずに逝っちまう。
 稀に憑かれやすいが強い性質のもいて、ときどき祓って貰うのと一族の経済的政治的保護を条件に役目を甘んじて受け入れることもある。周りの連中だって、騙して罪悪感背負った挙句に、さっさと死なれて次の生贄を探すのは嫌なことだ。ましてや、都合よく憑かれやすいやつが見つかる保障はない。システムさえしっかりできるなら、報酬を払ってでも気持ち良く役目を負わせたほうが寝覚めがいい。そんな一族はたいそう重宝されたもんだが……」
 有紀はといえば、格闘のことなら興味深々だがオカルト話に興味はない。生贄なんかよりも男との歩幅の差のほうが大問題だ。
「そんな憑護の一族に、規格外の天才が現れた。どうも、邪鬼の影響を全く受け付けない特異体質らしい。たまに祓ってもらうどころか、何もしなくても平気の平左。邪なものがむきになって呪い障り(さわり)を食わそうとしても、傷の一つもつけられない。さらに霊の類に呆れるほど鈍感で、ビビらすことさえできやしない。憑いてるのに気付いてもらうこともできずに、どんな呪いも障りも根負けして効力が切れちまうときた。
 全国チェーンの不動産屋が目をつけて、そいつを雇って全国のワケアリ物件を行脚させたら、悪霊ホイホイの一丁あがりだ。金の成る木を見つけた社長は欲をかいて、てめえの抱えたババをあらかた掃けた後は仲間の業者に貸しては儲け、ついには無関係な変死事件にまで向かわせたところが、だ……」
(休憩したい、ジュース飲みたい……)
 夜の街を競歩しながら、有紀はベンチや自販機を見かけるたびに男に小休止を願おうかと幾度も考えた。
 しかし、負けるわけにはいかなかった。相手はモンスターをたやすく撃退する武術の達人。当然、体力だって並の人間では遠く及ばない。彼にとっては喫煙しながら怪談話を交えながらの散歩で、音を上げるような女はいらないだろう。
「今度ばかりは畠がチョイと違った。邪鬼の仕業には違いないんだが、呪いや地縛霊の類じゃない。肉体をしっかり持った大猿の怪物『ましら』の眷属のやり口で、無敵の憑護を遣わしたところで食われてお終いになるだけだと。
 大事な大事な金の成る木のことだから、万が一の保険のつもりで専門家のフォローを頼んでいたのが初めて役に立ったとさ。でなけりゃ、ピンチに気付いて泣き付くこともできなかったところだ……」
 十数分も歩いただろうか。(有紀にはマラソンと同じだったが)
 男の足は場末の中華料理屋の前でようやく止まった。油汚れと誇りにまみれていて、まだ午後九時の宵の口だというのに中に客の気配がない。こんな有様で商売をしてどうなるものか、不思議でたまらない。
「女、引くならここまでだ。このラー油くせえ店に入ったら、オレらの世界だ。とっとと帰って酒でも飲んで、このまま役目を続けるかどうか考えるのを勧めるが。
 さて、どうするね?」
 男の表情はサングラスに隠れて窺がうことができない。
 ただ、それはとても優しい視線のように感じた。
 実のところというか、お約束通りに男の話はほとんど聞いていなかった。
 彼女自身も知らなかった秘密を明らかにしてもらったことも、全くわかっていない。
 話を聞くどころか、ドン亀の足でついていけたことからして奇跡に近かった。
「ちょっと……この期に及んで『女』はないでしょ……ゼイゼイ……。月森有紀! これからは、『ユキ』か『ハニー』って呼ぶように! ……ウプッ! あんたの名前も教えてよ……ゲフゲフ!」
 疲労のあまりに吐き気すらおぼえながらも、有紀は精一杯強がってみせた。
「……三年眠太郎(ミツトシ・ミンタロウ)だ。月森、来るならついて来い」

 ミツトシに『イエス』と『ノー』の境界をスッパリと引かれた有紀だったが、負ける気はさらさらなかった。
「絶対……無条件でイエスって言わせたる……」
 負けん気だけは一人前だが、体はついてきてくれなかった。
 有紀は油の臭いの染みついた歩道に倒れて顔を埋めてしまった。
(つづく)
(初出:2012年11月)
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登録日:2012年11月17日 14時29分
タグ : アクション 伝奇

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