騒人 TOP > 小説 > ホラー > 眠太郎懺悔録 憑護の願った夢(3)
青島龍鳴
著者:青島龍鳴(あおしまりょうめい)
青島龍鳴と申します。メタ化されたものしか受け入れられないこの時代で、黴の生えたような古臭いものばかり書いている時代錯誤作家です。既刊本「But the world is beautiful」。
小説/ホラー

眠太郎懺悔録 憑護の願った夢(3)

[連載 | 完結済 | 全3話] 目次へ
ミツトシが夜の闇に消えてから、有紀と真白は飲んでいた。真白が眠りに落ちた後、ミツトシの仕事の現場を目のあたりにした有紀は着の身着のまま逃げ出す。有紀の故郷で真白が聞いた哀しい憑護の宿命とは? 憑護の願った夢、最終章。
 第三幕

 アロマショップ『El Branco』。
 真白が新規オープンしているお店だ。
 まだ新装中の店舗の二階に、真白の棲む部屋がある。
 今日は親友の有紀を招いたパーティーだ。
 つい一時間前にミツトシと別れたばかりの二人は、コンビニで買い込んだ酒で大いに盛り上がっていた。
 ビール缶1ダース・リキュールと割り用のジュース・チューハイ4本……。
 正気の酒量ではない。
「凄いじゃん真白、店長さんになるんだ」
 有紀は親友の新たな門出を心から喜んだ。
「店長さんっても、流行らなきゃ、ただの借金持ちだけどね」
 苦笑いしながらも、実のところは既に多量の注文を抱えていることを、既に有紀は聞いている。客がいないどころか、注文通りの商品数を揃えられるかのほうが切迫した問題なのだ。
 有紀に語られた真白の人生は、なかなか波乱万丈なものだった。
 真白は昔から霊を感じる体質だった。そして、憑かれやすい体質だった。
 更に悪いことに、霊に強い体質ではなく抗う術さえ知らなかった。
 ミツトシに会うことがなければ、憑いたものに殺されるところだった。
 ミツトシと同時に知り合ったお婆さんは、魔除けの煙草を売る人だった。快く売って貰えたものの、その煙草は酷い臭いのするものだった。
 真白は考えた。この臭いをどうにか和らげる方法はないものかと。
 真白の行き着いた結論は、お香――つまりはアロマテラピーだった。試行錯誤を繰り返し、お婆さんの煙草と同じ成分を含む心地良い香りのするお香を、とうとう発明した。
 自分と同じ困難に苦しむ人は、きっといるはず……と考えた真白は、インターネットでお香を売り始めた。
 霊障に効くという、やや割高なお香が効果を認められるには少々の時間がかかったが、本物であるとわかり人気に火が点けば、後の展開は真白が追い付けないほどになった。
 万人に一人に客層を絞ったビジネスだが、全国に網を広げれば顧客は万に近かった。
 店を出そうという夢が叶うのも早かった。
 ミツトシのツテで対面できた全国最強の呼び声高い霊能者の家系である『帝家』の当主に話をすると、顧客情報を提供することを条件にあちらから融資を申し出てくれた。
 同意を得られた客のみということで真白は話を受け(当主は若い割に世事に疎い人だった)話はトントン拍子に進んだ。
「それでさ、ミツトシさんにもアロマ勧めてみたんだ。あの煙草ガンガン吸ってるから、体臭が悲惨なことになってるし。でもミツトシさんたら、『そんな女々しい香水みたいのつけてられっか』だって」
 真白は酒豪だ。
 女の子なのに強いと褒められる有紀の倍のペースでビール缶を空にした。
「……でもね、帝の当主様がこっそり教えてくれたんだ。融資の一部は、ミツトシさんのポケットマネーなんだって。内緒にしてくれって念を押されたから、絶対に言わないでくれって。も〜マジ笑かす〜」
 酒を散々飲み散らかして、話すことの殆どがミツトシのことだった。
「ところでさ」
 有紀が口を挟んだ。
「真白って、あのひととどうなってんの?」
 いくらビールを飲んでも変わらなかった真白の顔が、真っ赤になった。
「べっべっべっべべ別に、ミツトシさんはただのアレだし。命の恩人だしぶっきらぼうだし愛想ないし煙草くさいし人に言って良いことと悪いこと区別つかない人だし……でも、ときどき、ちょっとだけ優しいし……」
 ビール缶を殲滅させた真っ赤な真白は、チューハイを開けた。
「これ、アルコール入ってないやつだし……」
 今度はリキュールの瓶を開け、グビグビと飲んだ。
「ちょっ!! それ、割って飲むやつだし!」
 有紀の制止は間に合わず、真白はふやけた顔で横になった。
「ミツトシさんなんて、だいだいだ〜い嫌いだし……」
 そのまま、恋に落ちたまま眠りに落ちた。
 こうして女二人の宴は、真白のノロケ話で終始した。
「こいつ、だメンズに振り回されるタイプだし……」
 有紀はこんなにも幸せそうな寝顔を見たことがなかった。

 一人で取り残された有紀は真白に毛布をかけた後、とても寝付けない精神状態にあることに気付いた。
 短い時間で、あまりに多くのことがあった。
 好いた男がゴリラ怪人だったこと。救ってくれたのは理想の男性だったが、精神面で最悪だったこと。中華料理屋での老人との対話で思わぬ活躍をしたこと……。
 考えばかりが頭の中でぐるぐると回る。
「そういえば、ここって……」
 有紀は元々、地図を見るのが下手だった。
「あいつの家から、結構近いんだよね……」
 不動産屋で物件を回るうちに、地図の見方がかなり上達していた。
 まだトートバッグの中に入っている地図を引っ張り出し、開いた。現在地と、ハートマークをつけたアパートは歩いて5分とかからない。
 良からぬ考えを実行に移すまで、時間は殆どかからなかった。

 あの男の部屋に来たのは、ほんの1日前のことだった。
 あの時は少しくらいボロい建物は気にならなかった。恋は盲目とはよく言ったもので、暗がりの中に一人でアパートを前に立つと、霊感ゼロの有紀でも不気味さを感じた。
(まるきり、お化け屋敷じゃん……)
 傾きそうな木造住宅を前に、ここまで来ておいて帰りたくなった。蒼い月明かりに照らされた昭和中期の産物は、それ自体が一匹の怪物のようだった。
 アパートに人の気配はない。
 ミツトシがあのゴリラを殺しに来ていたはずだ。しかしミツトシと別れてから小一時間が過ぎている。全ては終わっている可能性が極めて高い。
 きっと、あの部屋は蛻(もぬけ)の空になっているだろう。
 何もなさそうだったら、その足で真白の店に戻ればいい。
 そう考えて、戦場になっているはずの場所に、足を向けた。
 部屋の前のほど近くまで来ても、物音はなかった。
 やはり、遅かったのだろう。だったら、それでいい。そのくらいの気持ちで扉の前に立った。
「うー……うー……やだ……」
 小さな、呻くような声。
 小さ過ぎて、ゴリラのものかミツトシのものか判別できない声だった。声が小さくて、扉のまん前まで聞こえなかった。
 有紀は固まった。冷や汗がこめかみを伝った。
 このまま帰るのが正解だ。そんなことはわかっていた。頭では理解していた。
 しかし、好奇心の仕業か運命の悪戯か。有紀は扉の前に屈んで、郵便受け口をそっと開けて、部屋の中を覗いてしまった。

 そこは地獄だった。
 月明かりの蒼いスポットライトに照らされた地獄だった。



 呻いていたのは黒い獣
 あのゴリラ男だった

 ゴリラは片腕がなかった
 正確な言い方を努めれば
 何かに腕を呑まれていた
 大蛇に腕を呑まれていた

 人の胴ほど太い大蛇に
 腕から呑まれている途中だった

 ミツトシも片腕がなかった
 間違いなく隻腕だった
 争う中で千切られたのか
 ならばその方がマシなこと
 有紀の頭に上ったのは
 腕が蛇に化けていること
 蛇が腕に化けていたこと

 その妄想を支えたのは
 ミツトシのジーンズから
 はみ出していた両の脚
 茶色い毛に覆われた
 踵のない鉤爪の生えた
 猛獣を思わせる脚

 妄想ではないと思わせたのは
 触手のように伸びた髪の毛
 蛸足のように動く毛は
 ゴリラの首を締めていた

 バンダナを取った後頭部に
 大きな口が開いていた
 大きな歯を見せた口が
 餌を欲しがりねだるように
 幾筋もの涎を垂らした


 いやだいやだ死にたくない
 喰われながら死ぬなんて
 痛い苦しい惨めだ怖い

 駄々をこねるようなゴリラを
 嗜虐的な笑みとともに
 ミツトシは馬乗りになり
 見下ろしながら言葉を綴る

 お前は餌にした人間の
 命乞いを聞いてやったか
 食べ物が暴れるのを
 可哀想だと思うのか

 啜り泣く獣を前に
 獣より遥かに恐ろしい
 百鬼夜行で形造られた
 全身が邪鬼で出来た
 究極の怪物が
 ただの邪鬼をなぶっていた

 コッカケも遠当ても関係なかった
 ミツトシが体を変え
 離れた敵を傷つけたのは
 武術でもなんでもなかった

 人の身でないものが
 人の身で困難な技を
 繰り出していくのには
 修行も工夫も要らなかった

 ゴリラが邪鬼のくせにして
 ミツトシを化け物呼ばわり
 鼻で笑った有紀だったが
 何一つ間違ってなかった

 ミツトシという男は
 化け物の目から見ても
 化け物と言うしかない
 化け物の中の化け物だった

 ミツトシの首から上が
 半周り回転した

 人の顔と邪鬼の顔
 前と後ろが入れ替わり
 大きな口は哀れなゴリラの
 首をばくんと音をあげて
 うまそうに平らげた
 がりがりと音をたてて
 満足げに咀嚼した

 その際に人の面が
 回転するその途中
 玄関の方を向いた

 人のふりをしていた顔が
 有紀と視線を合わせたのだ
 ミツトシと一瞬だけ
 眼を合わせてしまった有紀は
 恐怖に発狂しそうになった

 ミツトシは白眼がなかった
 両の眼は黒眼しかなく
 暗い瞳が有紀を見つめた

 有紀は声も上げぬまま
 全速力でその場を去った



 逃げ出した有紀は、その足で駅まで行った。
 そのまま始発を待った。夜も明けかけていて、さほどの時間は待たなかった。汗を垂らしながら歯の根が合わないほど震えている有紀は、他人から見ればそれこそホラーだっただろう。
 有紀は着のみ着のまま伯母の元に帰った。
 仕事を放ったらかしてきた有紀を、何故か伯母はろくに質問もせずに受け入れた。まるで事情をいくらか知っていたかのように、「怖かったね」と言ってくれた。


   ― それから3ヶ月 ―


 黄木真由は久々の休暇をとった。
 昼に店を閉め、次の日の昼過ぎにはまた店を開けるという弾丸スケジュールを決めた上での一泊旅行。そこまでして休みを取りたい理由があった。
 月森有紀から連絡があったのだ。
 部屋で飲んでいたはずが、いつの間にか消えていた。その日にあったことがアレなので心配したが、翌日には実家に帰っていたという。
 あの日にあったことがアレだったし、深く追求するのもナンだと無理矢理自分を納得させていた。ただ、あれだけ仲が良かった有紀に挨拶もなく消えられたのは、やはり気分が晴れなかった。
 有紀からの着信を見たとき、真っ先に立ったのは腹ではなく、喜びだったのは真由の欠点でもあり長所でもある。
「元気してたドン亀ぇ?」
 開口一番、つい『真白』で応対したのが、たまたまだろうが吉だった。
「うん。久し振り……調子どう?」
 さすがにばつが悪そうだったが、声が僅かにうわずっていたのが真白には追い風だった。
「死にそう。全っ然落ち着かないの。また遊びたいんだけど」
 普段は陰気で大人しい真由が、有紀が相手だと陽気で活発な『真白』になれる。
「いいね。でも、そっちに行くのはちょっと……」
 かつては都会が大好きだった有紀は、逆に都内に行くことに恐怖心を植え付けられていた。
「つか、あたしが行くわ。むしろ、泊めさせろ。羽、伸ばさせろ。でないと死ぬぞ。今すぐ死ぬぞ」
 本当に休みを取らないと鬱になりそうだったが、そんな機会が真由にはなかなか訪れなかった。(ミツトシを誘えれば良いのだが、根が気弱過ぎる彼女がそんなことをしたら、本当に死んでしまうかもしれない)
 しばらく電話口で返事を待たされて、遠くで誰かと話す声がした後、
「ゴッ……OKだって!」
 有紀が慌てて受話器に額をぶつける音に笑った後、真白は翌日の昼に仕事を一段落出来るよう遅くまで書類の整理に根を詰めた。そのせいで、特急列車を寝て過ごしたのだった。

 特急列車で2時間。
 鈍行で30分。
 無人の駅に、人は一人きり。たった一人の降車客、真白を待つ有紀だけだった。
 迎えに来た親友は控え目に手を振った。
 らしくない態度にテコ入れしようと、真白は会うなりラリアットを食らわして「元気ですか〜!?」と叫んだ。
「ちょっ……こいつ、マジ痛いし……」
 有紀はボロボロ涙を流しながらも、笑っていた。
 痛くて涙が出たわけではないことを、真白はわかっていた。真白だって、痛くもないのに涙が出て仕方がなかったからだ。
 一度タガが外れたら、二人の暴走は止まらない。
 渓谷を走る乗客二名のバスは、修学旅行並みの騒がしさになった。
「くっっっそ田舎っしょ? ウチって」
 窓を全開にして肘を出しながら、有紀が苦笑いして言った。
「いやいやいや。かっっっくいいんですけど、あのへんとか」
 谷川を挟む棚田に、真白は釘付けだ。上半身まるまる窓の外に乗り出している。
「こんなイイトコに住んでたんだ。うらやま〜。あたし田舎とかないから、こういうとこ初めて」
 有紀は谷川の上流を指差した。
「あのへんで、少しピクニックするか」
 真白は首を縦に何回も振りすぎて、バスの窓から転げ落ちそうになった。

 有紀の実家まではまだ山を登るらしく、バスを終点まで乗っても届かない。
 近所の人が車を出してくれるらしく、迎えを待つ間を川でピクニックして過ごすことにした。
 有紀の伯母さんが作ってくれたという山菜のおにぎりをペロッと平らげた二人は、車を待ちながら川で遊んだ。
 流れが緩く浅い清流で疲れの溜まった足を冷やした真白は、よほど気持ち良かったのだろう。
「あたし、ここに住むわ。ていうか一歩も動かないで、川の精霊として生きるわ」
 意味不明なことを口にした。
「アホほざくな、店はどーすんの」
 ファンタジーの世界に逃避しようとした真白を、有紀が現実に引き込んだ。
「やだやだ。少しくらい夢見たっていいじゃん」
 駄々をこねてそっぽを向いた真白が、それがかなり可愛く見える真白が、有紀は羨ましくて仕方がなかった。
 有紀が駄々をこねても、真白がやるように可愛くならない。美人の真白がやるから可愛いわけで、どうってことない有紀がやっても可愛くならない……。
 そうだ。
 可愛い真白に不幸せは似合わない。
 真白には幸せになってもらわなくちゃならないのだ。
「真白、あのさ……」
 有紀も靴と靴下を脱いだ。
 川に足を入れる。水の冷たさが気持ちいい。
 有紀は唾を飲んだ。
 有紀は知っている『あのこと』を知るのと知らないのでは、真白はどっちが幸せなのだろう?
 真実を知って悩み苦しむのと、知らないまま夢を見続けるのと、どちらが幸せだろう?
 ……違う。そんな短絡的な話じゃない。
 夢を見るのは、一時的なものじゃなきゃならない。
 今は川の妖精でもいい。でも、車が来たら家に来てくれなきゃ困るし、明日には都内に帰さなきゃならない。
 それと同じことだ。真白はあの男の本当のことを知らなくちゃならない。
「真白。あの人、人間じゃないんだ……」
 可愛い真白の背中に、恐ろしい現実の言葉を投げつけた。
 川のせせらぎの音だけが、しばらく響いた。
 恨まれるかもしれない。そう思った。
 でも、構わない。そう思った。
 いつか真白が幸せになってくれればいい。そう思った。

 真白が振り向いた。
 真白は笑顔だった。
「知ってるよ」
 真白の笑顔は綺麗だった。
「言ったじゃん。あたし、感じる人だって。ミツトシさん、色んな手を尽くしてわからないようにしてるけど、いつも完璧に隠せるわけじゃないから。だから、わかっちゃった」
 知ってた?
 有紀には予想外だった。
「怖くない?」
 真白はどこまで知っているのだろう? あの、思い出すだけでも震えそうになる姿は見たのだろうか?
「怖い……かも。ミツトシさん、ただの邪鬼じゃない。相当に強くて危険なものだと思う。ミツトシさんて、あたしがアロマにした煙草を、吸って体の中に入れてんだ。最初、ミツトシさんは感じるだけじゃなく見える人だから、魔除けしないと寄って来ちゃう人だから、魔除けの煙草を吸ってるんだと思ってた。
 でも、違った。ときどき、嫌な感じがミツトシさんからするんだ。魔除けの煙草を吸うのは、あの人の邪鬼の部分を弱くするためだった。そうしないと、ミツトシさんは人間でいられなくなっちゃうから……」
 真白は何か勘違いしている。
「あのね、違うんだ。あの人は、もう……」
 既に人間ではない。人ではない、別のものなのだ。
「ミツトシさんは、人間だよ」
 真白は言い切った。
 確信があるように言い切った。
 それでも有紀は引き下がらない。
「……あの人、左手、まだある?」
 この質問に、真白は固まった。何を聞きたいのかわからない。それが答えだった。
 それが、有紀の予想した答えと一致していた。
「あたし……あの日、見ちゃったんだ。ミツトシさんが、左手がない状態でゴリラ怪人をやっつけてるところ。まだ左手があるってことは、やっぱり左手が蛇だったってことか。あの人、ものの喩えとかじゃなくて、普通に人間じゃなかった……」
 しばらく、川のせせらぎの音だけが聞こえた。
 真白が信じたいのはわかる。
 でも、真白は現実を知らなくてはならない。
 報われない想いを抱えて生きていく人生なんて、真白に背負って欲しくない。
「……そっか……そういうことだったんだ……」
 真白はあまりショックを受けているようには見えなかった。
「帝家の当主様がね、言ったの。
『あれは、肉体のほとんどが邪鬼で出来ている。だが、人間には変わりない。生まれたとき、あれは人間だったしな。少なくともオレはそう思っている』
 何をもって『人間』って呼ぶべきなのかは、ときに難しいことなのかもしれない。
 あたしね、自分に取り憑いた亡霊を『あの人』って呼んだことがあるの。そしたらミツトシさん、『あれが人に見えるか』って言って、すごく優しい笑顔を見せてくれた。
 あたしは、心を通わせることの出来る相手は『人間』だと思う。
 同じ事を有紀に押し付けるつもりはないけど、あたしはミツトシさんを人間だと思いたいんだ……」
 有紀は考えた。
『何をもって人間と呼ぶべきか?』
 有紀のほうこそ、あの老人たちと人間と同じように接してしまった。真白が恐怖してばかりで一言も話せなかった相手と。
 人というものの定義においては、むしろ真白より広いといえるかも知れない。
 有紀の脳裏にこびり付いた恐ろしいミツトシの姿を払拭するのは並大抵のことではないだろうが……。
「あ、あたしも…ミツトシさんのこと、人間として相手できるよう、頑張ってみる……」
 真白はクスリと笑った。
「いや、それ言い方酷くね?」
 言い回しとは裏腹に、真白は有紀が羨むほどの可愛い笑顔を見せた。
 川の土手から声がした。
「おひいさま、迎えに上がりましたよ〜」
 軽トラックの窓から、中年男性が手を振っている。
 有紀が「行こう」と言い、広げっ放しの弁当箱を片付け始めた。
 
迎えに来た男性は、有紀の親類にあたる人らしかった。
「分家で車を出せるのはオレだけなんでさ。なんにせ、ジジババか怪我人だらけなんでね」
 かくいう男性も、左腕が包帯で巻かれている。右腕だけの片手運転だ。
 事情は既にミツトシから聞いていた。これから向かうのは、月森一族の役を終えた者たちの集う集落だった。
 一族の多くが生まれつき霊を寄せやすい強い性質を持つ。憑護の家系に定められた宿命により、邪なものがいる地に住まう。時折お祓いを受けては邪なものを寄せ、他の住民の盾となるのだ。
 しかしながら祓ってもらっても厄や呪いが残るケースも多く、いつかは事故などに見舞われてしまう。これ以上役目を負わせられなくなった者や、年老いた者は集落行きとなり細々ながら平和に余生を過ごすのだ。
「余所から客がいらっしゃるなんて珍しいこった。奥様とひいさまんとこで、ゆっくりなせえ」
 有紀が『姫(ひい)さま』などと呼ばれるのは、本家である叔母の養子だからだ。
 男性の笑顔に陰が見られないことが真白を安心させた。もっと暗いイメージを予想していたので、有紀が陰鬱な生活をしていることを恐れたからだ。

 軽トラックの止まったところは、集落とはいっても家屋もまばらな田園地帯だった。
 人口は数十人程度とみられる割には区役所兼郵便分局もあり売店もあり診療所もありで、最低限の設備は揃っている。僻地にしては暮らすのに不便は少ない。
 ただの僻地ではないことを知っていれば、納得できる。知らなければ、首を傾げるところだろう。
 人家の表札は月森さんのオンパレードかと思えばそうでもない、比率は半分以下といったところか。近辺の過疎化した村落から、最低限の文明のあるところに人が流れ込んでいることが、少し考えれば察せられた。
 有紀の叔母は事情を先に聞いていたようだ。
「近頃は若様とも御無沙汰しております。お元気してらっしゃいますか?」
 松葉杖をした妙齢の婦人が真っ先に話題にしたのは、帝家のことだった。
 真白もそう頻繁に顔を合わせるわけでもない。
「大変そうですが、卒の無いかたですから上手くやっていますよ」
 『真由』に人格変化して、適度に取り繕った。

 秋の山の暮れは早い。
 真白と有紀は昔懐かしの五右衛門風呂に黄色い声で騒ぎながら入った後、山の幸に舌鼓を打ち、地酒をしこたま頂題した。
 早々とダウンした有紀を膝枕した叔母と、真白はしばらく飲み続けた。
「……烏傘様はいかがしていらっしゃいますかね……」
 この片足が不自由な女性のことで、真白は予備知識があった。
 かつては帝家の屋敷から丑寅の位置、つまり鬼門に家を構えていた。敵の少なくない退魔の総本山の盾として、役目を負っていたわけだ。
「烏傘さんは、苦労してるみたいですよ。当主様って暴れん坊将軍なとこあって、ジイヤは振り回されっ放しだって……」
 帝家御用達の祓い屋である老人とは、過去にロマンスのあったらしい噂も耳にしていた。
 もしも若き日の烏傘が、この女性の呪いを祓い切れていれば……災難に遭わせる悲劇がなかったなら、二人とも独身を貫くことはなかったろうに。
 過ぎ去りし時代の恋人の苦労話に散々笑った後、叔母は杯を置いて神妙な顔付きになった。
「でも、ありがとうね。この子のお友達になってくれて。こんなに楽しそうな和子ちゃんを見たのは久し振り」
 真白は苦笑いした。
「いやだ、おばさまったら。和子って誰ですか? 有紀の名前間違えるなんて、飲み過ぎですか?」
 ケラケラ笑った真白は、笑い返さない叔母の様子に固まった。とても哀しそうに、それでも愛おしげに、鼾をかく姪を見つめていた。
「和子ちゃんにはね、有紀ちゃんっていう妹がいたの……」
 真白にはわからなかった。
 叔母の話が、どこに向いているのかわからなかった。
「和子ちゃんと有紀ちゃんはね、とっても仲の良い姉妹だったの。学校にいるときの他は、いつも一緒にいたの。でも……憑護の宿命ね。二人の家は、火事で燃えてしまったの」 真白は少しずつわかってきた。
 これは、物凄く怖い話である予感がした。
「たまたま学校の帰りが遅かった和子ちゃんだけが生き延びたの。とても可哀想だった。焼けて亡くなってしまった有紀ちゃんの名前を、何度も何度も叫んで……おかしくなって、病院に入れられて……」
 『月森有紀』という名前の女の子は、火事で亡くなっている?
 なら、叔母の膝で寝ているこの子は……。
「ある日、和子ちゃんは病院から抜け出したの。捜したら、焼けた家のあった所にいたの。それで……おうちがない、おうちがないって呟いていたの……。
 和子ちゃん、ようやくおかしいのが治ったのね。止まっていた和子ちゃんの時間が、ようやく動いたの。それで何年か振りに記憶が繋がって、おうちに帰ろうとしたら家がなかったのね。
 そして……和子ちゃんは自分のことを、妹の有紀ちゃんだと思い込むようになっていたの」
 有紀……ではない、和子の頬に大粒の涙が落ちた。
 叔母の眼から落ちたものだった。
「私ったら、最初は和子ちゃんが妹になりたかったから、そうしたと思ったの。昔から、有紀ちゃんのことを羨ましい羨ましいって言っていたから……。
 でもね、それは少しだけ違ったの。
 この子を引き取ったとき、あんまりに自分のことを有紀ちゃんだって言い張るから、嫌になって叱ったことがあったのね。あなたは和子ちゃんだ、有紀ちゃんじゃないって。
 そうしたら、有紀ちゃんは死んでない、死なせないで。死んだのはお姉ちゃんだって……よくわからないことを言い出したの……」
 叔母の涙は懺悔の涙だった。
 時折、ごめんね、ごめんねと繰り返しながら、叔母は話を続けた。
「和子ちゃんは、有紀ちゃんのことが大好きだったの。有紀ちゃんがいなくなった世界で、生きていくのが辛くて仕方がなかったの。それで、おかしくなってしまったの。
 だから、和子ちゃんは、焼けて亡くなってしまったのは自分だったことにしたの。生き残ったのは有紀ちゃんだったことにしたの。
 それがわかったから、私はこの子が有紀ちゃんであることを許したの。そうでないと、とても生きていけそうにないから。優し過ぎるこの子には、大好きだった妹のいない世界は哀し過ぎるから……」
 叔母は寝静まった姪を抱きしめた。なぜだか、真白の目尻にも熱いものがこみ上げた。

「……どうしてこの子に、呪いが絶対に効かないか、わかる?」
 真白は首を横に振った。
 脈絡なく話が変わった。初めはそう思った。
「『隠し名』というのは知っている? 本当の名前を隠して別の名前を名乗って、呪いを避けるおまじない」
 それは知っていた。なにせ『真由』が『真白』になったのは、そもそも烏傘老人のアイデアで隠し名を使ったのが始まりだ。
 事件の犯人が呪詛の類の使い手ではなかったので、結果的に無駄な手間であったのだが。
「この子はね、無意識のうちに、とてもとても強い念で隠し名を使っているの。『有紀ちゃん』という子をいくら呪っても、利くはずがないの。だってこの子は和子ちゃんだから。有紀ちゃんはいたけど、今はいない子だから。
 心の凄く深い所に、とても複雑な形で名前を隠しているの。きっと、これからも呪いでこの子を傷付けられるものは現れないわ。和子ちゃんが有紀ちゃんを好きでいる気持ちに勝てる呪いなんて、絶対にありっこないのだから」
 真白にはピンと来なかった。
 真白は呪いに関しては素人だから、わかるはずもないと思ったが。
 そんな真白の表情を、叔母は見て取ったようだ。
「真白さん……本当は真由さんでしたっけ? 貴女も、いつかわかるわ。人を愛することに勝る呪(しゅ)は存在しないって、いつかわかるときが来るのだから……」
 真由にはよくわからなかった。
 足の良くない叔母を手伝って有紀を布団で包んだ後、隣に布団を敷いて真由も床に入った。
(いつか、あたしも呪であの人を守れるようになるのかな……)
 寝ぼけながらそんな事を考えていたら、自己嫌悪に陥るほど布団の中が暑くなった。
(了)
(初出:2012年12月)
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登録日:2012年12月04日 20時03分
タグ : アクション 伝奇

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小説/ホラーの電子書籍 - 新着情報

  • 大理石の壁 眠太郎懺悔録 その6 青島龍鳴 (2016年03月18日 19時10分)
    各話完結。邪神レベルの邪鬼をも統べる西の業界(カンパニー)。千年を生きた妖狐・青麗を倒し、新たな頭領となった畜兵・黒鵡は、鬼族の罠をやすやす突破し、妹ノエルを助けるが、どこか様子がおかしい。そして、東の帝家を訪れたひとりの少女。帝家の長、梅岩はノエルをかくまうが、そもそもそれほど強くない畜兵が柱神を務めることに疑問を抱く。ノエルを奪還しにきた邪鬼を迎え撃つ眠太郎たちだったが、あまりの実力差に勝てる気がしないと絶望に駆られる。なにせカンパニーには同程度の邪鬼が十ほどいるのだ……。信じていたもの——純白の大理石の壁に見つけてしまった汚れにどう決着を付けるのか、人間と邪鬼のやるせない物語。(小説ホラー
  • 南の島の小さな英雄 眠太郎懺悔録外伝(その一) 青島龍鳴 (2015年07月14日 17時07分)
    島をリゾート地に改造しようと目論む三上だったが、何者かに工事を邪魔されいらだっていた。島の守り神キムジナーが現れたのだと噂する島民たち。裏組織カンパニーから送り込まれた人外の眷属である“百眼”のモモエは赤髪の怪物と対峙するが、分の悪い闘いを放棄してしまう。一方、帝家に仕えた尚平は役を外され島に帰ってきていた。プライドだけは一人前のくせに、何一つ人並みにこなせず、いじけていた尚平。赤髪の怪物との関連を疑われるが、やる気のないモモエに変わり凶悪な吸血鬼が送り込まれてくる。真実を知り、すべてを拒絶していた青年は変わる。モモエが嫉妬するほどに。後に帝家の英雄になる青年の端緒を描く眠太郎懺悔録外伝。(小説ホラー
  • カンパニーカーニバル 眠太郎懺悔録(その五) 青島龍鳴 (2014年09月16日 17時58分)
    眠太郎が属する退魔師集団・東の帝家に対し西の業界(カンパニー)では、国中の神々が集まる柱神祭が迫っていた。そのさなか、カンパニーを束ねる女王、青麗が何者かに襲われる事件が発生。女王は何とか難を免れるが、忠臣を殺され激怒する。一方、眠太郎は瘴気の刃を操る天才、斬児の元にリベンジに行こうとして帝梅岩に咎められ、カンパニーと共生関係を結ぼうと動く流れに向けて恩を売るため、百眼の末裔、百重灯と共に西に送られることに。そして、西の京。異形の神々が集う柱神祭では、カンパニーの謀略と帝家の百五十年にわたる大仕事が明らかとなり前代未聞の大騒動が起こる! 巻き込まれた眠太郎と斬児、百重。それぞれの決断やいかに。(小説ホラー

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  • LeLeLa 宇佐美ダイ (2013年02月22日 19時13分)
    渋谷の喫茶店『スピード』店長で、身長185センチ、握力は100キロを超える北島は頭の中に響き渡る“声”に悩まされていた。狂気の男に襲われる女を助けた北島は、そこで心の力を形にする不思議な力『LeLeLa』に目覚める。しかし、その力は人肉を喰らう吸血鬼――女を襲った津山にも伝染していた。空中に浮かび、信じられない速度で移動する吸血鬼たちは、社会の中に紛れ込み、不可解な殺人事件を起して世界をパニックに陥れようとしていた。炎の『LeLeLa』を駆使する津山に対し、細胞を崩す力を得た北島は鬼と化す。身長203センチのヤクザ、鳴海と協力して吸血鬼の一掃を目指すが……。凄まじい拳と想いが炸裂する伝奇アクション登場! (小説ホラー