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青島龍鳴
著者:青島龍鳴(あおしまりょうめい)
青島龍鳴と申します。メタ化されたものしか受け入れられないこの時代で、黴の生えたような古臭いものばかり書いている時代錯誤作家です。既刊本「But the world is beautiful」。
小説/ホラー
【電子書籍】父と子と 眠太郎懺悔録(その七)
退魔師を統べる帝家と邪鬼を束ねる西の業界。共生関係を結ぶ動きに反発した幹部の裏切りで業界の新たな頭領となった黒鵡は明らかに敵対的となり、“柱神”と呼ばれる神クラスの邪鬼との正面衝突は避けられない情勢となった。そんな中、襲撃情報がリークされ、眠太郎は狸の硯治郎と転生した御嶽巴が待つ木霊寺に赴く。やがて襲い来たのは、かつての業界の女王の息子であり、その女王を殺害した張本人、狐の孔重丸と、巴を戦死させた蛇神貫禍、そして黒鵡の妻である畜兵琴理とその息子、鬼道介であった。御印破壊を狙う彼らと絶望的な戦いに挑む眠太郎たち。黒鵡と鬼道介、帝家当主である梅岩とその父、友源。父と子の哀しき想いが錯綜する。

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父と子と 眠太郎懺悔録(その七)


 前章

 ある春先の日のこと。
 冠木町(かぶきちょう)所轄刑事・日凪敏郎(ひなぎとしお)は非番の日に一泊二日の旅行に出掛けた。

 日凪は普通の刑事と、少しばかり違うところがある。事故や事件に遭遇しやすいという、希有な体質の持ち主なのだ。ただ呆然と外を出歩いているだけで、年に数度も万引きやらひったくりやら交通事故やらの現場に出くわしてしまう。
 一時期など日凪がいるせいで悪いことが起きているのではないかという、非現実的な妄想にかられていた時期さえあった。が、居住地域周辺における事件数や事故数の年間推移を調べたところ、日凪の影響で悪いことが増えているわけでも減っているわけでもなかった。もともと理屈に合わない非常識な妄想だったが、やはり数字の上で否定されて、日凪はようやく安堵した。どうやら「日凪のせいで悪いことが起きる」のではなく「日凪の方が無意識に悪いことが起きるところに足を向けている」が正解であるらしい。
 いずれにしろ非常識極まりない考えではあったが、日凪なりに綿密に調べた末に出た結論なのだから受け入れる他にない。厄介な体質に生まれついたものだと自虐しつつ、この類い希な特異体質を何とか良いことに使えないものかと試行錯誤した結果、警察官の道を選んだ。学もコネもない日凪は出世に縁がなかったが、検挙数は抜群だった。なにせ日凪が歩けば事件に当たるのだから、人より検挙のチャンスが圧倒的に多い。
 あまりに日凪の検挙数がずば抜けているので、事件を自作自演しているのではないかと、痛くもない腹を探られたことまである。が、火のないところに煙が見つかることもなく、日凪は順調に私服の刑事まで叩き上げた。

 家族を作る機会を得ないまま五十を過ぎてしまった日凪だが、孤独ではなかった。日凪には息子のような後輩がいた。その若者はなんと日凪と同じ、事件や事故と遭遇しやすい体質だった。むしろその頻度は日凪より高いと感じるほどだ。
 この世に二人といないだろう特異体質だと思い込んでいた日凪には意外なことだった。不運なのか幸運なのかわからない、特別な運命の持ち主二人が出会うというのは偶然にしては出来過ぎている。両方ともにそんな体質だから引き寄せ合ったのかもしれないが。

 そんな日凪のことなので、非番の日に旅行するだけで事に出くわすことがしょっちゅうだ。どこぞの小さな名探偵に準ずる頻度で事件に遭遇する。宿に着けば小火(ぼや)が起き、土産物屋では田舎者同士が喧嘩を始める有り様だ。
 そのときは西地方に、釣り竿だけが友の一人旅をしていた。いくつかの名のある川釣りスポットを梯子するつもりでいた。きっと一度くらいは川で溺れる子供に遭遇するんだぞ、と予想していたのだが……実際のところ、そんなことはなかった。トラブルサマナーの日凪にしては珍しいくらいに平和過ぎて、拍子抜けしてしまった。
 強いていえば、ちょっと変わった家族に会ったな……ということだけだった。

     ※

 それは旅行の二日目の、陽も昇った昼前ごろのことだった。
 早朝に行った池をボウズで諦め、気を取り直して山沿いの穴場と云われる渓谷の地を踏んだ。初春の日差しが柔らかくて気持ち良く、今度こそ釣れそうだぞと、根拠もなく楽観的な予感がしていた。
 ガイドブックには知る人ぞ知る穴場として紹介されていた渓谷には、客は日凪の他にもう一組いた。よくよく考えてみれば、日曜日の午前中だ。家族連れと行き合うくらい、何の変哲もないことだ。
 日凪の靴が砂利を踏み分ける音に混じって、子供の声がした。
「父さま、見て見て! 魚が取れました!」
 川の真ん中で、年の頃中学生ほどの少年が立っていた。毬栗頭(いがぐりあたま)の笑顔が眩しい少年だが、何だか奇妙に映った。
(……いまどきトウサマときたか)
 違和感の正体は、それだろうと日凪は思った。良家のお坊ちゃまなのだろうか。川辺を見渡すと、少年の保護者らしき人影が目に入った。少年の姉だろうか、高校生ほどの年齢の女の子が少年に手を振った。口元の黒子が白い肌に生える、綺麗な子だ。将来はきっと美人になるだろう。
「キドく〜ん! 捕ったど〜!」
 テレビで聞いたような台詞を叫んだ少女にも、日凪は得体の知れない違和感を抱いた。
 少女のそばではバーベキューコンロを囲む大人が二人。煤けた銀髪の男性が、黙々と炭をくべる。その横で、上着を羽織った女性が少女の箸から肉を貰っている。
 違和感の正体が、何となく読めてきた。少年は猊磴気洵瓩噺世辰拭それは銀髪の男性の他には有り得ない。が、あの少女が姉だとすると、父親が若すぎる。見たところ三十前後、少年と大差ない年齢で子供を作ったことになってしまう。
「のえるちゃん、あなたも食べなさいよ」
 女性が少女に擦り付けるように頭突きをした。
「お姉ちゃんが優先じゃない。常識的に考えて」
 少女はそう言って、肉を女性の口にねじ込んだ。
 なるほど、娘ではなく歳の離れた妹だとするれば辻褄が合う。子供を作ったのは十代末と当たりをつけると、早熟ともいえるが不自然というほどではない。上着を羽織った女性が少年の母親だとすると……日凪には二十代前半にしか見えない。今頃の女性は若く見えるというが。だいたいにして、あの少年が炭焼男と羽織り女の子供だという保証はない。後妻かもしれないし、実子ではなく養子かもしれない……。そこまで考えて、他人の家庭の事情を詮索するような野暮な真似をするから頭がこんがらがるということに気付いた。日凪は釣りに来たのだ。親が若すぎるだの貰いっ子だの邪推するために来たのではない。とっとと道具箱を開いてルアーを選ぶことこそ、日凪のやるべきことなのだから。
 少年に針が引っかかる事故を防ぐため、日凪は家族連れから距離を置いた。ひょっとしたら、少年は水流に足をとられて溺れるかもしれない、などとあらぬ妄想をかきたてられた。でも、もしそうなったら少年を助けるのは炭焼男の役割だ。万が一――と呼ぶには頻繁過ぎるきらいもあるが、また日凪が犹に誘われた瓩里世箸靴討癲∪屬梁梢佑任靴ない日凪など二番手三番手に過ぎない。
 なので、たまの非番の日くらい呑気することに決めこんだ。

 釣果こそ相変わらずだったが、暖かな陽射しに包まれた長閑(のどか)な休日だった。事によく呼び寄せられる日凪だが、魚を呼び寄せる力には恵まれないらしく、釣れないことの方が多い。それでも、川のせせらぐ音を聞きながら自然に身を任せる、心の休まる日曜日だった。
 家族連れの女二人と少年は始終はしゃぎ通しだったが、父親だけは無愛想な表情で火の番ばかりしていた。きっと不器用な男なのだろう、と日凪は思った。仕事人間の父親が、たまには家族サービスを頑張ろうとしたのはいい。が、緊張感の中に居続ける他に身の置き方を知らない男が、今日に限って楽しく談笑できるはずもない。
(きっと、オレも家族なんか持ったら……)
 たぶん、あの父親と似たようなことになる。現に日凪が家族連れを目に入れたときに真っ先に考えたのは、少年が溺れたりしないかの心配だった。一介の釣り人ではなく、一人の刑事がいた。きっとそれは、あの男だって似たり寄ったりなのだ。およそ非科学的な日凪の事情と、おそらく職業と役職を聞くくらいで納得できるだろう男の事情、その程度の違いしかないだろう。
 しかしながら男の様子は、それにしても無愛想にもほどがある。無表情のまま火ばかり見ている、そのくらいならまだわかる。だが炭焼男の表情はまるで、その場に居ること自体が苦痛であるかのようだった。額に皺を寄せ、顔から汗を垂らし、ときどき嗚咽する。休日に張り切っちゃうお父さんの絵面ではない、まるきり地獄の苦役だ。
 いや、そんな筈はない。家族を持たない日凪だが、家族とはそういうものだと信じていた。たとえ血が繋がっていても、所詮は他人だ。年中顔を突き合わせていれば反りの合わない部分が出てくるだろうし、対立することだってあるだろう。今でこそ無邪気にはしゃいでいる少年だが、普段はひょっとしたら素行不良なのかもしれない。ガラの悪い友達と連(つる)んだり、タバコを吸っていたりするのかもしれない。ニコニコしている妻と思しき女性も、家では罵詈雑言ばかりかもしれない。端から見る分には平和な仲良し家族であっても、他人にはわからない鬱屈というのもあるのかもしれない。
(あまり、余所様の家庭事情を詮索するのは……)
 良くない、と頭ではわかっている。ろくなことじゃないし、第一失礼だ。妙な雑念にかまけているようだから魚も釣れないのだ……と、理に適わない屁理屈で自らを諫めようともした。が、気になることをやめることなど出来はしない。

 余計なことを頭の中でぐるぐる回しているうちに、ついに見つけてしまった。一見して平和そのものの家族に秘められた、暗部の一端らしきものを。母親(らしき女性)がバーベキューの肉を妹の箸ばかりから食べていることがおかしかった。こんなことに気付くのに何十分もかかってしまったのだから、刑事としての沽券に関わる。観察眼が乏しいも甚だしい。
 羽織り女には、両の腕がなかった。
(そんな……わけないだろう)
 妻に障碍があることが、炭焼男の苦々しい表情の正体であるなど、日凪は考えたくなかった。そんなことで壊れるのが夫婦の絆だろうか?この年まで結婚というものをしたことがない日凪だからこそ抱く、幻想に過ぎないのだろうか?

(余計なことを考え過ぎだ……)
 日凪は釣り竿を椅子に立たせた。気分転換にトイレに行くことにした。
 だいたいにして、炭焼男とその妻の仲に亀裂があるのか、本当のところはわからない。男が生まれつき極めて無愛想な顔の造りをしているだけの話なのかもしれない。現に、日凪の知己にもそんな男がいたことを思い出した。一時は冠木町を恐怖のどん底に落とそうとした連続殺人事件に風のように現れ、およそ常識からかけ離れた事実を日凪たちに突きつけ、また風のように去っていったあの大男のことだ。あれも悪い男では全くないが、家庭を持つようなタチではない。持ったりしたら、他のものが大変だろう。
(人間なんて、一絡げに考えることが大間違いだ……)
 人にはそれぞれ事情というものがある。傍目からでは謎だらけ、何がどうなってそうなるのか話が全く読めない。しかしながら、当人たちにとっては不思議なことでもなんでもない、当たり前のことが当たり前のように起きているにすぎない。得てして、世の中はそういうものだ。まず日凪自身のアクシデントだらけの人生を他人に語ったとして、果たしてどれだけの人に納得してもらえるだろうか。
(くだらない、よな……)
 日凪はそう断ずることにした。ろくに事情も知らない余所様のことをあれこれ邪推するより、思考停止した方がまだ健全だ。川原に建てられた仮設トイレで小水を切りながら日凪は思った。泊まりがけの旅行までして、いったい何をやりに来たのだと。めったに取れない二連休を、おもいきり楽しみに来たはずじゃなかったのか。下手の横好きの釣りを楽しみに来たのに、何が楽しくて見知らぬ家族のことをあれこれ考えているのだ、と。
 日凪はチャックを上げて、改めて決心した。何もかも妄想に過ぎないのだから、考えるのはやめることにしよう。

 やめたかったのだが
 そこはやはり日凪なのか
 犹瓩和圓噌修┐討い燭のように起きた

 トイレから出ようとした日凪の視界に、人影が入った。あの銀髪の炭焼男だ。
 男は個室へと駆け込むように入った。扉を閉める余裕すらなかったようだ。日凪に丸見え丸聞こえであるのも介せずに、耳障りな声をあげながら吐瀉物を便器にぶちまけた。
「おいっ! あんた、大丈夫か!?」
 日凪には声をかけずにいられなかった。気のせいでも考え過ぎでもなかった。家族水入らずのレジャーだというのに苦々しい面をぶら下げていたのは、妻のせいでも子のせいでもなかった。真実は日凪の思考とは全く別のところにあった。男は体調を崩していたのだ。にも関わらず、この男は傷んだ体を引きずって家族との時間を守ったのだ。
 日凪はつい目頭が熱くなった。これほどの男がどれだけいるだろう。僅かでもこの男が酷い夫ではないかと、邪推した自らを恥じた。
「大丈夫だ。大したことではない」
 蒼白な顔をしていながら、男は強がる様子を見せた。武士は食わねど高楊枝、とはこのことだろう。そう考えると、男の雰囲気はどことなく侍を想起させるような気がした。世が世なら、たいそう腕の立つ立派な武人であっただろうなあと勝手に感心した。

「あんた、男前も大したもんだが、無理はダメだぞ無理は。風邪だってんなら、女房だって子供だってわかってくれるだろうに」
 こういう男には末永く幸せな人生を送って欲しい。そう望んだ日凪は、つい御節介な口をきいた。こういう素晴らしい男ほど、無茶をする。人より多くの気苦労を背負い、肉体をすり減らし、いずれ身体を壊し早逝する。そんな例をいくつも見てきた日凪は、尊敬すべき先輩たちの後をこの男に追って欲しくなかった。でも、それはおそらく叶わぬ願いなのだ。彼が人から尊敬される所以(ゆえん)は、その男前に徹するあまりに自らの身を省みないところにあるからだ。無理をせず、人並みの幸福を享受するがために人並み以上の努力を忌避することは、彼を人並みの堕落へと誘うことになるのだから。
「無理など……していない」
 銀髪の侍は、まるで台本通りのようなお決まりの台詞を口にした。
「んなわけあるか。風邪か? 体調が悪いんだろう? もし何もないのに吐いちまうんだとしたら、むしろその方が心配だ」
 なぜ通りすがりでしかない人間がわざわざ心配するのか、そのあたりは考えにない。意識できないのが日凪という男だ。
「……あんたには、関わりのないことだろう……」
 男の言い分は、正論でありながら矛盾している。
「そりゃ、関係ないっちゃ関係ないがなあ……こちとら、たまの休みを満喫してるってときに、横でそうゲーゲー吐かれちゃ、気にしたくなくても気になるってもんだ。
 あんたが良い男なのはわかる。面子だってあるだろう、格好もつけたいだろう、そいつは決して悪いことじゃあない。何かしらの形で矜持を持てないヤツは男として失格だ。けどな、あんただって人間だ。体調を崩したときくらい、家でゆっくり休め。奥さんだって息子さんだって、愚痴垂れたりゃしないだろうに」
 日凪は誠心誠意を込めて、精一杯の口上を並べたつもりだ。が、それでも届かないことは百も承知だった。赤の他人にダラダラ捲くし立てられたところで心変わりする人間など、会った覚えがない。が、それでも言わざるを得なかった。日凪とはそういう男だった。

「何か、誤解があるようだが……」
 男は呟くように言葉を落とした。
「あれらは、俺の家族なんかじゃない。俺の家族だったものが、別の何かに変わり果ててしまったものだ」
 日凪は、頭をガンと殴られたような感覚に陥った。
 なにを言ってるんだこいつは?
 日凪には男の言っていることの意味がわからなかった。まるで真っ白なカラスに遭遇したかのように、西から登る太陽を見たように、不可解だった。
 彼のような善人にはありがちなことだが、人は目の前にいる人間を特に根拠もないままに善人だと思い込んでしまう。人は己を以て人を測る。悪人がわけもなく疑心暗鬼に陥るのと同じように、善人はろくに考えもせず見ず知らずの者を信用してしまう。自分がそうだから他人もそうだろうと先入観で決め込んでしまうのだ。
「……あんた、人生、色々とあるだろうが、そいつはないだろう」
 衝撃や失望を通り越して、日凪は深い哀しみに襲われた。
「そりゃな、人間、年がら年中顔を突き合わせてりゃ、色んなことがある。オレから言わせりゃ、あんな綺麗な嫁さんでいてナニが不満だってんだってぐれえだ。でも、あんたにしちゃ、ソレとコレとは話が別なのかもしれねえ。デートだランデブーだハレタホレタ言ってる時期と、結婚ってな別なことだってのは馬鹿なオレにだってわかる。年がら年中顔を突き合わせてりゃ、嫌なとこも目につくだろうさ。
 でもな……あんたみたいな男前と違って、こんな武骨なツラ構えたオレにゃ家庭なんかねえがな、仕事の後輩とはよく連むんだが……そいつがまた、今時の若えモンのダメなとこを袋詰めして手足くっつけたような馬鹿野郎だがな、それでも気兼ねなしに付き合える仲がいるのは幸せなこった。だから……」
 そこまで言葉を並べたて、日凪はつい息が詰まった。あまりに寂しい男の心根が、理解できなかった。
「だからよ、あんまり冷てえことは言いなさんな。何でだよ。せっかくの楽しい日曜日じゃねえか。一緒にいる家族もあるんじゃねえか。何で、ツラ合わせてるのが嫌で吐いちまうんだよ。何がどうなってるんだよ……」
 咽び泣く一歩手前の日凪に、流石に気後れしたのだろう。男は頭を痛そうに押さえながら、便座に腰を下ろした。

「守れ……なかったんだ」
 男は茫然としながら、言葉を漏らした。
「そうだ。お前の言うとおりだ。あいつらに責はない。守ってやれなかった俺が悪い……」
 日凪は男の評価をまたまた翻さなければならないことに気付いた。何やら、深い事情があるらしい。
「オレはよ、お察しの通りのお節介焼きだ。良かったら、話しちゃくれねえかなあ?面倒かもしんねえが、一人で抱え込むくらいなら、誰かにぶちまけた方が気が楽になるもんだぜ……」
 日凪は手前勝手な屁理屈をこねた。自覚しながらも、そう言った。日凪という男は昔からこうだ。ただでさえ厄介事に出くわしやすい体質の上に、厄介事を背負いこみやすい性分が乗っかっている。
「これだから、人間というヤツはなあ……」
 男は便座に腰掛けたまま、フッと笑った。
「何もかも、俺のせいだ。俺に力がなかったから、妹も、息子も、そして妻までも。俺の知るものとは別のものになってしまった……」
 やはり、詳しい事情は話して貰えそうにない。話が全く見えて来ない。当然だろう、日凪がいくらお人好し丸出しだとはいえ、見ず知らずの人間に家庭内のトラブルを易々と明かせるわけがない。
「何があったかわかんねえけどな、別のものって、なんだそりゃ?どこの誰かか知れねえ、狎屬梁梢佑箸垢蠡悗錣辰舛泙辰伸瓩錣韻任發△襪泙い法帖帖
 日凪は、あくまでものの喩えでそう言ったに過ぎなかった。
 だが、男の表情は、まるで図星を指されたかのように、驚きと怒りに満ち満ちていた。
「お前に、何が……」
 男は何か言おうとして、やめた。
 日凪にはわからなかった。男の表情が意味するところが全くわからなかった。宇宙人に攫われたわけでもあるまいに、見知った人と他人が入れ替わるなど有り得ない。それでいて、日凪が特に意味もなく口にしたデタラメは、偶然にも男の持つ秘密に肉薄しているというのだろうか?

「あっ……」
 日凪が何か言おうとする前に、男は踵を返してトイレから出てしまった。
 奇妙な現象だった。ついさっきまでトイレの個室で便座に腰掛けていたというのに、立ち上がって身を翻したかと思ったら、疾風のように去って行った。いや、それだけなら奇妙とは言えないだろう。日凪が下手なことを言ったせいで逃げられた、それだけのことだ。
 奇妙に見えたのは、男の動きだった。さほど急いだようでもない、ただ立ち上がって早足で去っていった、それだけだったのだが。そのくせ、日凪の目には全く映らないほど素早かった。
(何の達人だよ?)
 まるで剣道の名手のような足捌きだ、と、そんなことを思った。


 これで、日凪の体験した話は一旦終わる。
 用を足した後も日凪は釣りを続けていて、炭焼き男は相変わらず全く楽しくなさそうに、火と顔を突き合わせることに逃げていた。家族たちは家長たる男をほったらかしにしたまま、川から上がっても服を脱ぎもせずに走り回る少年を中心にはしゃいでいた。よく見れば奇妙なところばかりの家族だが、日凪もそれ以上関わろうとするほど御節介焼きではなかった。
 さしたる釣果もないまま、あの男を気にかけながらも川辺を去った。それだけの話だったはずなのだが。

 帰宅するのに乗った電車が途中で急に混み始めなければ、終わった話だった。やけに窮屈な帰路になった原因が、まだ肌寒い春先の季節であったからで、乗り合わせた人々が着膨れしているからであることに気付かなければ、大した話でもなかった。
(まだまだ、暖かい日はお預けか……)
 隣席に置いていた荷物を、誰か座れるよう足元に動かしているうちに、あの家族連れの最もおかしかった点に、やっと日凪は思い当たった。

 炭焼き男の息子
 毬栗頭の少年は
 こんな寒い季節に、服を着たまま川に入って遊んでいたのだ

 寒そうな素振りを見せることもなく、また母親も妹も「風邪引くからやめなさい」等々、少年のやんちゃ騒ぎを諫める一言もなかった。

 あれが何だったのか
 日凪が知ったのは、それよりずっと後の話だった。
(続きは電子書籍で!)
登録日:2017年07月27日 17時01分

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