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かたやま伸枝
著者:かたやま伸枝(かたやまのぶえ)
1963年生まれ。NHK教育テレビ「おはなしのくに」原作でデビュー。現在「マイナビウーマン」などWebを中心に作家活動中。また占い師(中野占い館「ランプ」で「碧」名で所属)としても暗躍中。物書きとしても占い師としても、人の心の中にあるイワクイイガタイキモチを掘り出して言葉にすることがライフワークです(占い師としては個人の秘密は厳守します)。2013年 第二回空想科學小説コンテスト、巽孝之賞受賞。
小説/現代

天使の中指(7)

[連載 | 連載中 | 全7話] 目次へ
沢木とともに桜子の部屋へと急ぐ辻森。ここまで全力で駆けてきたこともあっておれは沢木には追いつかない。だけどそれでいい、これがおれたちなんだ、そう思えた。
 全力で走っても、走っても、まだ大学までもつかない。
 見慣れた風景が、まるで別物にみえる。
 走るおれに合わせて、歩道も車道も電柱もたらいの水をゆすったように、大きく揺れている。
 店の赤い看板や歩道の石畳が、ぐらんぐらんと右や左にせり上がっては落ちた。
 誰もが走っているおれのことなど、気にもとめない。
 ましてやこの瞬間に、学校のそばのマンションの一室で、ひとりの女性が男に襲われていることなど、知るわけもないだろう。
 くそっ。
 携帯からはあれから、桜子の悲鳴と大きな物音と男の叫び声が、何度か聞こえた。
 聞こえる度に、怒りと不安と安心が一度に押し寄せる。
 桜子が襲われている怒り、ひどい目にあっていないかという不安、そしてまだ生きているのだという安堵。
 でも携帯も、自分の心臓と息の音で、なかなか聞こえない。
 耳がひどくぬるぬるした。あてている携帯にも、耳にも、粘りけのある汗がべっとりとついているからだ。
 気が変になりそうだ。
 それでも大学が近づくにつれ、名前は知らないが顔だけは見たことのある人間が、ぼつぼつと現れる。
 根拠のない安心感が胸にともり、そんな気分がすぐにたまらなくイヤになる。
 視力が、いつもとぜんぜんちがう。通行人の顔がやけにはっきり見えては、流れるように後方へ遠ざかっていった。
 誰もが楽しそうだったり、だるそうだったり。
 おれとはまったく関係ない世界で、まったりとすごしていた。
 その中のひとりが、おれを見た。


 沢木だ。
 ふいにまわりの風景が白くとんで見えなくなり、沢木だけが大きくおれの頭に強くインプットされる。
「おいっ、沢木!」
 叫ぶと力のない様子で、沢木が立ち止まった。
 一瞬だけおれの中に、先ほどの講堂でのいさかいがわだかまったが、そんなことを気にしている時ではなかった。
「――さ、さくら、桜子が」
 足を止めると心臓が爆発しそうになり、頭に血が上って息が切れ、ひとことも口をきけない。
「どうしたんだ」
「桜子が、じ、自分の家で――ストーカーに襲われて……」
 沢木が見えないくらい素早く寄ってきて、おれの肩をつかんだ。
「おいっ! それで警察は呼んだのかっ」
 おれは無言で首を横にふった。
「おまえ何のためにケータイもってんだよっ。警察に知らせるのが最優先だろっ!」
「通じてるから……絶対切るな」
 ケータイを黙って沢木に差し出す。ひざの上あたりを両手でつかんで、前屈みになる。もう立っているのもやっとだった。
 携帯を耳に当てた沢木の表情が、すっと変わった。
「おまえは早く桜子さんの所へ行けっ! おれは警察に連絡しながら、タクシー拾って後を追いかける。早く、早くいってあげろっ!」


 おれはふたたび走り出した。
 大学をすぎると、あたりは一度通っただけの見慣れない町並みに変わった。
 まるで子どもの頃に戻ったように不安だ。一度立ち止まってまた走り出したせいもあって、ペースもガクンと落ちた。
 だが携帯からは、怒鳴り声が聞こえてくる。桜子の声だ。
「おまえなんか、死んじまえっ!」
 そうだ、がんばれ桜子。おれが行くまで、絶対に無事でいてくれ。
 だがそう思ったとたん、携帯が大きくピーッピーッと鳴って、切れた。
 電池切れだ。
 何ということだろう。絶望的な気持ちになった。
 その時、うしろから小さく聞こえてきた呼び声がどんどん大きくなって、ぴたりと止まった。
「おーいっ、辻森、止まれーーっ!」
 タクシーの窓を開けて、沢木が怒鳴っていたのだ。
 バタンとドアが開き、乗り込むとタクシーは急発進した。
「よくつかまったな……タクシー」
「警察に連絡する前に、ピッチで呼んだ。すぐ来てくれたよ。もう金は渡してあるから、ついたら急ごう」
「ナイス」
 そうだ。沢木は段取りの組み方が、これ以上はないほどうまい。
 仕切らせる方にまわすと、天下一品なのだ。
 おれはぜいぜいと息を切らしながら、思い出していた。


「正面玄関は開かないから、裏の非常階段から行こう」
 桜子のマンションに着くと、おれたちはバラバラとタクシーから下りて走った。
 裏の自転車置き場へ回ると、鍵の開いている鉄製のドアをくぐり、螺旋階段を一気に駆け上がる。
 沢木の足は速いが、おれはさっきまで駆けていたこともあって、なかなかあがれない。
「六階だ。急いでくれ!」
 うなづいた沢木は、おれを置いてぐんぐんと鉄製の階段を駆け上がっていく。
 おれはすこしづつ遠ざかっていく、沢木の背中を見上げながら走った。
 これと同じ様なシーンを、何度も見たような気がする。
 沢木に追いつかないおれ。それが悔しかったから、忘れていたフリをしていたんだ。
 やっと、それでいいんだという気になれた。
 桜子を助けてやってくれ。
 お願いだ。
 そしてやっとのことで六階にたどり着くと、向こうから沢木が走ってくるところだった。
「ダメだ。いくらチャイムを鳴らしても、叩いても開かない。当たり前だがな」
「管理人室にいって、開けてもらおう」
「ああ、それしかない」
 おれたちはふたたび、桜子の部屋の前を通り、すぐわきにあるエレベーターの下りボタンを押した。
 エレベーターはなかなかこない。
 前に桜子のいったとおりだ。イライラした。
 だがそのとき、エレベーターの横に不思議な空間を見つけた。
 非常階段から桜子の部屋の前を通る廊下は一直線だが、このエレベーターホールからは建物がL字型に曲がっている。
 だが建物はL字型に作られているわけではなく、長方形に作られたふたつの建物を廊下でだけステンレスの金具でつないでいるのだ。
 案外、セコい。
 しかしその、つなぎ目の隙間の空間に、その奇妙なものはあった。
 ……壁にハーケンが打ち付けてあって、そこにロープが通されている。
「おい、沢木あれ」
「間違いないな、犯人はあのロープを伝って、壁際に桜子の部屋に入ったんだ」
「行こう!」
「おうっ」


 マンションの壁には、床のある場所に沿って、五センチほどの出っ張りが儲けられていた。
 犯人はそこを歩きながら、ハーケンで打ち付けたロープをつたって、バルコニーへ入ったのだろう。
 マンションのL字型の隙間は五十センチぐらい。
 その狭い空間は、下へ行くほど狭くなって、細い三角形を作っているように見えた。
 正直、コワイ。
 気をまぎらすように、前をいく沢木に声をかけた。
「でも犯人も間抜けだな。こんなものを残していったら、すぐに誰かに発見されるのに」
「バカ。これを残していったってことは、犯人は見つかってもいいって思ってるんだ。要するに捨て身なんだよ」
 ぞっとした。急がないと、桜子がマジで危ない。
 おれはなるべく下を見ないようにしながら、沢木の背中にだけ視線をそそいで、先を急いだ。
 たどりついた沢木は、ひょいひょいと身軽な動作でバルコニーに登っていった。
 そして腕を伸ばして、後から来るおれの手をつかんで引き上げる。
 沢木の手のひらは、熱かった。
 たどりついたバルコニーの大きな窓は開いていた。真ん中より少し下の部分のガラスが、四角く切り取られている。
 無理矢理しのびこんだ跡だ。
 おれと沢木は、目配せをすると桜子の部屋へ飛び込む。


 中は、惨憺たるありさまだった。
 椅子は砕かれて木の破片が散らばり、ガラステーブルはぶち割られ粉々になり、クッションは引き裂かれて、中の羽根がふりまかれていた。
 引き倒された家具。
 散乱している、服や置物や、割れた食器。
 足下に転がっている瀬戸物の白い天使には、首がなかった。
 そして写真。
 部屋には何十枚もの大延ばしの写真が、一面に散らばっていた。
 ほとんどのものがそうなように、写真は特殊な液でコーティングされ、表面がつるつるしている。
 不思議な草の香りのする派手だが古風な桜子の部屋では、その振りまかれた大判の写真だけが、異様に人工的だった。
 犯人は、山男風のひげ面の男だった。
 一見精悍そうに見えたが、その顔は日に焼けていながらぶくぶくとむくみ、細い目は赤く充血していて焦点があっていなかった。
 手にはナイフを握って、顔はへらへらと笑っていた。
 桜子は壁においつめられ、それでも手に食器をかかえて、犯人に投げつけようとしている。
 全身、傷だらけで、服からにじんだ血が細くしたたっている。
 落ちた物を踏んだのか、足は血で真っ赤だ。
「桜子っ!」
「うそぉ、辻森くん、来てくれたんだぁ……ああんっ、沢木くんまで」
 桜子は泣きそうな顔で笑った。
「なんだよ、こいつらも客か? おまえらも桜子にチンポしゃぶってもらったのか」
 おれは目の前が、さあっと暗くなった。
 しかし逆に桜子の顔は、怒りで真っ赤になった。
 手に握っている皿を、犯人めがけて投げつける。
 犯人は、片手で皿をなぎはらった。
「ばーか、ムダなんだよ」
 手から、血がしたたる。
 皿は壁にあたって、ギリンといやな音をたてて床に落ちた。
「ふんっ。この人たちはわたしの大事な人たちよ。アンタなんかとは、ぜんぜんちがうんだら」
 今度は、犯人の顔がゆがんだ。目の下がビクビクとけいれんしている。
「くそーっ、みんな死ねーーーっ!」
 ひげ面の犯人が、桜子めがけて突っ込んでいく。むくんだ顔をひきつらせ、ナイフをふりたてて飛びかかっていった。
 おれの暗くなりかけた視界は、ふたたび元の明るい世界に戻った。光で白くまぶしいほどだ。
「このーーっ!」
 走った。
 桜子に突っ込んでいく犯人に向かって、おれは体当たりする。
 だが、犯人はちょっとよろけただけで、すぐに体勢をたてなおした。
 そして手に持ったナイフを、迷いもせずにおれの胸元へ突き出す。

 うそだろ……

 胸元に銀色にギラつく刃が、当たり前のように吸い込まれようとしていた。
(つづく)
(初出:2001年10月)
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登録日:2010年06月15日 17時22分
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