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天野雅
著者:天野雅(あまのみやび)
埼玉県生まれ、千葉県育ちの関東人だった。結婚を機に関西の人間になる。現在は関西とも東海ともいえる近畿地方に在住。10年経って方言にも慣れた。血液型はマイペースで知られるB型。住めば都を地で行く性質。ネット作家歴20年。同人作家歴はプラス5年。趣味は映像鑑賞。写真撮影。歌唱。創作料理。好物は自然万物一般。美術芸能一般。パソコン。ゲーム。漫画。文章。
小説/現代

カンタループの月夜に(後編)

[連載 | 完結済 | 全2話] 目次へ
詩穂をアパートに案内した慎志。なにもする気は無い。そうして眠りにつき、目が覚めると夜だった。現れた有美が手提げ鞄を押しつけ、その後ろから詩穂の声が聞こえる。偶然が慎志と有美、詩穂の運命を動かす。
 アパートは単身者向けの2階建て、川べり近い住宅街の一角にある。
 慎志の部屋は1階の、階段の横だった。隣の住人は年配の男性で、朝は早く夜は遅い勤め人らしく休日にすら顔をあわせたことはほとんどない。生活音も気にならないほど静かで、夜中に出入りする慎志が咎められるようなこともなかった。
 家々の庭に飼われた犬も猫も寝静まり、本当に月と星だけが冴え冴えとしている夜道を足音も立てずに通り抜けて、慎志が部屋の鍵を開けると、詩穂は興味深げに後ろから入り口を覗きこんだ。
「散らかってるから3分待つように」
 慎志の申し出に詩穂が頷くと、ひとりドアから入り照明をつけた。
 玄関口から二畳ほど板張りの炊事場があり、ひとつ点すだけで六畳ひとまの間取りが見渡せた。
 家財と呼べる物は和室の壁に沿って置かれたオールシーズン机兼用の75センチこたつと、ビデオラックに衛星チューナー内蔵の小型テレビ、隣に開けっ放しのノートパソコン、室内のほとんどを陣取った布団が一式、それだけ。
 タンスのたぐいは押入れでまかない、片側は申し訳程度の物干し用ベランダに出る掃きだしのサッシ窓、炊事場の横にセパレートユニットのバス、トイレがある。
 数歩で室内を突っ切り、流しの足元にある唯一の電気ストーブをつけた。
 外出する直前まで温まっていた部屋だ。そう寒くはない。
 もともと物の少ないうえに、つい最近までほぼ眠るだけに帰っていた場所だったから、漫画本やオーディオ関係の品物が山積みになっていたり、インテリア小物があふれていたり、生活ゴミが大量に溜まっている、といったような散らかり方はしていない。
 けれど独り暮らしの男の部屋はそれなりに気の抜けた様相を呈していて、つまりは脱ぎ着した服が出しっぱなしになっていたり暇つぶしに買った雑誌くらいは散見されるわけで、慎志はひとまず大きな市の指定ゴミ袋にまとめて突っ込むと、文字通り押入れに押しやった。
 コタツのスイッチを入れ、布団を持ち上げて急ごしらえのヒーター代わりにする。
 慎志が首を廻らせて呼ぶより先に玄関のドアが開く気配がして、詩穂が入ってきた。
「3分経ったよ。外にいたら冷えてきた」
 そっか、と肩をすくめてみせた。あまり慌てた様子のない慎志に、つまらない、という顔をしている。
「何か期待してるとこ悪いな。こんな感じだから、たいしたおもてなしもできませんよ、と」
 少し考えて押入れからプレゼントにもらったきり新品同様だったクッションを出して枕に使うかと綺麗なタオルを巻いてやった。
 貸せるほどないんだけど、と足りない寝具を示すと、ドアを閉めたあとウインドブレーカーのポケットに手を突っ込んだまま好奇心いっぱいの瞳できょろきょろ見回しながら靴を脱いで炊事場にあがってくる。
「コタツ布団でいっかぁ」
 思案げに選ぶものの動かない。
「あ、トイレはそっち。風呂は要らんだろ? オレもう寝るだけなんだよ。客用の気の利いたモンなんかはないからな、言っておくけど」
「了解」
 助かる、と片手を振ってトイレに消える。初めて明るいところで見る詩穂の笑顔は思いがけず年相応に可愛くて、一瞬反応に困りながら慎志は歯を磨くかとシンクに立った。
 なんだか妙な夜になったなぁ、と思う。
 自室で年下の女の子といることが、急に現実味を帯びて感じられた。
 一応、初対面で単なる顔見知り以下の関係のはずだ、お互いろくな自己紹介もしていないのに。
 それでもアルコールの入った深夜の慎志はテキトーにアバウトだった。
 こうなると詩穂も正常な判断力が残っているのかどうか疑問だ。
 ちょっと久々に遊びに来た従兄妹か遠い親戚みたいに、一晩だけ泊めたら日常もう接点はないのだろう。
「おまたせ」
 すぐに出てきた詩穂が慎志の背後を歩いて、
「少しいじるよ? コレ枕? 使うね」
「おう、どぞ」
 うがいしながら短く答えた。
 すぐに自分もトイレに行ったらデリカシーに欠けるだろうか。
「彼女いるならもう少し女っケがあるかと思ってた」
「狭いからな、彼女を泊めるようになったら新しいトコ探すさ。そういや、荷物なんにもねえの? 手ぶらで引っ越し?」
「先に宅配で送っちゃった。さっきのあれだけ、手荷物にするつもりで……ね」
 考え直して焼いてしまった、というわけ。
「思い切ったなぁ」
「だって重いんだもん」
 それは単に嵩張るという意味なのか、精神的に負担を感じるということなのか。
 慎志がついでに洗顔もしてちらりと目をやると、コタツの天板を下ろし正方形のキルティング掛け布と格闘しているところだった。
 1枚だけ洗ってあった夏掛けの存在を思い出し、これも押し入れから取り出して渡してやった。
「まぁ、そういうこともあるよな」
 ホコリたてるなよ、と注意して、深く訊かず、トイレに入る。
 出ると、詩穂はすでにヒーターのスイッチを切り、むき出しにしたコタツの天板と骨組みを壁に立てて、つきでた脚に上着を引っ掛けて、夏掛けのうえから分厚いコタツ布団を巻きつけるようにしてそのスペースに転がっていた。
 丸まった簀巻き状の片端からクッションと焦げ茶色した頭のてっぺんだけ覗いている。
「悪いな、そんなで。息苦しくない?」
 大丈夫、とくぐもった返事があった。そろそろ眠れそうで、慎志も電気を消して横になった。
 詩穂に釘を刺されるまでもなく、何もするつもりはなかった。
 たいがいこの状況で何もないのは詩穂の運が良いということなのかもしれない。でも何かあったら犯罪だろうと思うのだ。
 自分としては見境も分別もない男じゃない。つもりだ。
 そうぐるぐるとつい目を閉じたまま言い訳めいた考えで眠れずにいると、詩穂が何か言ったようだった。
「ん?」
 頭だけもたげて、目をやる。しかしカーテンの閉まったサッシにコタツの脚がシルエットに浮かんでいるだけで、あとは闇に沈んでいる。
 詩穂の寝言かと思ったが、また呼ばれてはっきり起きていることが分かった。
「なんだ? 眠れない?」
 寒くて……とか理由を探し並べる前に、詩穂が答えた。
「慎志さん、起きてるかなって……思っただけ」
 くぐもった声はひどくのんびりと、間延びして聞こえる。眠そうなのに、どうしたのかと尋ねたかったが、詩穂の言葉は続いた。
「本当に、ありがと、ね」
「……」
 それは布団の礼だろうか、それとも何もしないのを揶揄されているのだろうかと慎志は反応に迷った。
 もし、お礼に、とか今ここで布団に入ってこられたら拒む理由はないように思える。
 いや断じてその気はないけれど。
 暗がりに目を凝らしたが、詩穂の姿を見分けられなかった。
「あたしね、先輩と一緒に住んでたの」
 相変わらず詩穂は同じ調子で話をしている。距離が近づく感じはしなかった。
「でも、デビューが決まってから先輩、あんまり帰ってこなくなって。それで1週間かけて荷造りして少しずつ送って……そのあいだに先輩が帰ってきたらどうやって話そうかって考えてたのに、結局黙って出てくるしかなかった」
「それは……あとで分かったら心配するんじゃねーの」
 普通、同棲相手が勝手にいなくなっていれば探すか追うかするだろう。
「そう、だよね。でもまだケータイ鳴らないし」
 メールなんか来なくなって2週間だよ、と詩穂は笑ったようだった。
「先輩から放っておかれてるって分かってたけど、確かめる勇気なかったんだ。はっきりサヨナラって言われるの怖かった。あたしからも言えなくて、でももう独りでいるなら出てくのも同じでしょ。待ってるの、もうイヤで……けど駅で電車にもなかなか乗れなくて、終電の時間になって、しかたなくやっと乗って窓の外に河原を見つけて衝動的に降りちゃった」
 ああそれで、始発まで行くとこないってことになるわけか。
 慎志は軽くうなずいた。
 つまり詩穂がここにいるのは、まったくの予定外ということになる。
 ゆっくりと話す詩穂は、無言でいる慎志が眠ってしまっても良いらしく、呼びかけてこない。ただ訥々と言い募るだけだ。
「夢の残骸コンサート、お客さんになってくれて嬉しかった。駅前とかで歌ったりライブハウス借りたりしようかって、計画してたこともあったの。全部、ダメになっちゃったから……高校の文化祭が楽しかったな。慎志さんは、最後のお客さん」
 黙っていると眠ってしまいそうだったので、慎志はひとこと、くちを挟んだ。
「やる気がないならやめればいいけど。つくれるヤツはつくれないヤツに提供する使命があるんだぜ」
 ふふ、と篭った笑い声がして、詩穂は「オヤスミ」と言った。
 それきり、しばらくして意識するのは自分の呼吸音だけになり、まぶたの上に眠気がのしかかる。慎志は抗わず、目を閉じた。

        *

 アブラゼミの断末魔が聞こえる、と思ったら頭を小突かれた。
 セミじゃない、来客の呼び鈴ブザーだ。慎志が飛び起きて玄関へ行き鍵をはずすと、外側へ勢いよくドアが引かれた。
「なによ、やっぱりいるんじゃない。会社は辞めたっていうしケータイは切れてるし、いったいどうなってんのよ」
 マシンガンなみにまくしたてられ、はっきり目がさめた。耳になじんだ声だ。
 敷地を囲む塀の上から街灯の光線がふりそそぐ。薄暗がりに淡茶色のニットスーツが見てとれた。
「おー。こんな朝早く、どうした……」
 寝ぐせをなでつけながら、あくび混じりに発した質問は次の弾丸に撃ち落とされた。
「バカっ、夜よもう。私は会社の帰り。こんな荷物で出社して疲れたわよ」
 上質紙の手提げ袋ふたつ、足もとから自分と慎志の間へパンプスで押しやる。ストレートパーマをあてた長い髪を片手で乱暴に背中へ払った。
「有美、美人が台なし――何時?」
「7時半。寝てたの?」
「ご覧のとおり。なんだかひさしぶりにぐっすり……」
 ひたいに手をやり経緯を考えかけた時、
「慎志ぉ、おなかすいたぁ。冷蔵庫どこ?」
 背後からの声にすべて思い出した。首だけめぐらせる。
「なんだ? 始発で行ったんじゃ」
「ふうぅん。そういうこと?」
 有美のねめつけるようなまなざしに引き戻された。
「あのコはなんでもない、マジで」
「言い訳するコトないじゃない、もう私たち、カンケーないんだもん。じゃ、お幸せに」
 最後のひとことは室内に投げて、ファッションショーのモデル顔負けに優雅なターンを決めた。
「あ、おいっ」
 呼び止める。肩越しに振り向いた。
「なんだよこの中身」
「――そういうトボけたところが好きだったけど、今は嫌い」
 腹立ち紛れにかかとを無理に高く鳴らし、行ってしまう。
「ゴメンなさい、恩をアダで返しちゃった」
 すぐ後ろに詩穂が立っていた。
「ちょっと幸せに緊張を与えてあげようかと冗談のつもりだったの……あたし今から追いかけて、説明しようか」
「真に受けたアイツの落ち度。あとで電話するからいいよ」
 こともなげに紙袋を室内に引きずりこんでドアを閉める。とたん視界が真っ暗になった。
「電気電気」
 天井の蛍光燈がまたたく。
 慎志は炊事場の流しで顔を洗った。
「本当に夜らしい。帰らねぇの?」
「これ、ずいぶんいろいろ入ってる」
 詩穂はまだ、たたきにしゃがみこんでいる。
「本とか服とかヌイグルミとか」
「指輪とか腕時計とか?」
「さあ? こまかい物はないみたいだけど」
 慎志は無関心なふりで敷居をまたぎ、散乱するふとんや枕をまとめにいった。詩穂が片頬をふくらませる。
「こんなケンカは日常茶飯事ってわけ?」
「嬉し恥ずかし初体験」
 話題をはぐらかしたくてトイレに入った。
 出ても、残念ながら詩穂はしつこく荷物を見ていた。
「このキリン、かわいいね」
 有美が緑色の毛皮を恐竜みたいと言って欲しがったミドルサイズのぬいぐるみ。両手に抱いて笑いかける詩穂を横目に、慎志は小さく首をふった。
「やるよ」
「え?」
「気に入ったんだろう」
「ダメよ、彼女に返さなきゃ」
 デートの途中で通りがかったゲームセンターの店先にあったクレーンゲームの景品で、バカみたいに張り切って奮発したのを覚えている。
「有美がオレに返したんだ。ここに置いといても埃になるだけだし。大事にしてやってくれ。着替えるからこっち見るなよ」
「……はぁい」
 なるべく死角で手早くズボンを穿き替える。
 見られたって自分はどうということはないが、彼女でもない相手は嫌がるだろう。そう思った。
 詩穂はどうという反応もしなかったが、場を取り繕うように言った。
「冷蔵庫は? 泊めてもらったお礼に朝ゴハン作るよ」
「もう夕飯だけどね」
 シャツも脱いだ。手近なハンガーからワイシャツをつかみかけ、別のポロシャツに代える。
「それで帰れなかったのか。悪い、オレはコンビニさえあれば不自由しないヤツなの。したくするから少し待って」
「納得。会社も彼女も必要ないのね?」
「そんなわけねぇだろっ!」
 やつあたりだ。思わず大きな声が出て、直後、慎志は自己嫌悪に硬直していた。
「――やっぱり追いかける。まだ間に合うよ」
 靴を履く気配。慎志は慌てた。
「いいんだ、やめてくれ」
 詩穂はドアノブに手をかけたところだった。
「好きなんでしょ? 彼女いるって、言ったじゃない。それともただの見栄だったのかな」
 肩越しに振り向いたまっすぐな彼女の瞳に射ぬかれ、慎志は胸の痛みに唇をゆがめた。
「わからない。最近なかなか会えないし、仕事があるんだ、学生のころみたく遊んでばかりいられないさ。オレなりに頑張ってたつもりだった。だけど別れようって有美に切り出されたら、なんだかどうでもよくなったんだ」
 心の澱を吐き出すように、気がつくと一気に喋っていた。
 年下の女の子に、みっともないと思う余裕もなかった。あまりよく知らない相手のほうが話しやすいこともある。
「理由もないのに明け方にならないと眠れなくなってきて、連日会社は遅刻してクビだよ。主任に言われなくたってわかってる、オレは社会人失格だ。そんな男じゃ有美だって愛想つかすだろう?」
「片想いで死ねるんだ、慎志さんは」
「死にたくて死ぬわけじゃない」
「混乱してるよ、大事なことを見失ってる。クビになったからフラれたの? 彼女、心配したから来てくれたんじゃないの。まだ話し合えるよ」
 気がつくと慎志は板の床に手をついていた。
 いつからそうしていたのか、詩穂が正面に膝をつき、ふいに泣きだしそうにうるんだ瞳をやわらげて微笑した。
「あたしはねぇ、もうダメ。高校の先輩が、文芸部にいたあたしの詩を好きだって言ってくれて。うちの親、おかたい公務員なの。猛反対、説得してこっちに出てきてさ。歌手になるとかならないとか、ホントはどうでも良かったの。ただ一緒にいたかった。オーディション受けたら彼だけスカウトされて、飛んでっちゃった。あたしはいらないって。終わっちゃった。ろくに別れの挨拶もしなかった」
「それは大変そうだけど……オレの事情とは、まったく別の次元の話」
「同じだよ」
 詩穂は小さな手でにぎりこぶしをつくって言い放った。
「あたしは先輩が好き。でも彼はねぇ、歌と両想いになりたかったの。だからあたし、応援した。彼が幸せになれるなら、この恋はあきらめてもいいって思った。慎志さん、彼女の事情、確認した? 自分の片想い捨てても平気なくらい彼女が大丈夫って確かめたの?」
「オレは……」
「漁師はローレライに何もしないんだよ。自分を見せようとも、話しかける努力も。ローレライが何を考えてるかも知らないまま。慎志さんは、それでいいの?」
「……よくない。よな」
 立ち上がる。部屋へサイフを取りに戻り、靴を履くと緑色のキリンを渡された。
「サンキュ」
「あたしも行こうか?」
「援護射撃ならいらねーよ」
 うながして2人で外へ出ると、ドアに鍵をかけた。
「メシ抜きでゴメンな」
「それはいいけど。追いつく?」
「家まで行ったっていい」
 詩穂は目をみひらいてから、優しくほそめた。
「じゃ、オレこれから全力疾走する。気をつけて帰れよ」
「……ありがと」
 昼間はいい天気だったらしい。水銀灯のとぎれた空には無数の星が輝いてみえた。
 ゆうべの続き、ついさっき川原で知り合ったばかりかと錯覚しそうだった。これから夜明けが来るような。
「帰るって、」
 詩穂の笑顔が夜空に消えそうに儚げに見えた。そういえば、と気になって尋ねた。
「どこに? 実家?」
「うん……まぁ」
「勘当同然で出てきたんだっけ。帰りにくいんじゃないか?」
 昨夜から詩穂の歯切れの悪さを感じていた。そこまで踏み込む気がなかったから、放っておいた。けれど今は見届けてやりたい気分になっていた。
「待ってられるんなら一緒についてってやっても良いぜ?」
「付き添いなんていらないよ、遠い南の島だから」
 ホントかよ、と目を丸くして訝ると、ホントだよ、と楽しげに笑うので、真偽のほどが分からない。
「本気で帰れんの?」
「大丈夫。慎志さんが頑張ってるって思えば」
「なんだそりゃ」
「一宿の恩てやつ?」
「意味不明だぞ」
「心配しないで、ってこと」
「なるほど?」
「あたしも頑張るから」
「了解。じゃな」
 慎志は駅の方角へ走りだしてからすぐに停止すると、手を振る詩穂にむかって届くよう大きめの声で言った。
「先輩の次、歌が好きだろう」
「恋敵だけど、ね」
「その気がないなら仕方ないけど、もったいないんじゃないかな。オレ、生活おかしくなってから今日初めて熟睡できた。きっとアンタのおかげだ。これ、フトンでチャラな」
「あ、あたしも」
「うん?」
 後ろ向きになって歩く。車通りのない一本道だ。危険はない。
「彼が行っちゃって、夜、ひとりじゃ眠れなかったの。慎志さんのおかげ。だからね、ちゃんと納得のいくまで話してね。あたしは、」
 すぐ背後で自転車のベルが鳴った。詩穂の言葉の最後が紛れて聞こえなかった。
 慎志は進行方向に体を戻しながら叫んだ。
「詩穂ちゃん、人生あきらめるのは、まだ早いってことだ」
 駆けだす。もう、振り向かなかった。

        *

 洋風弁当にビールとハッシュドポテトを買い、その明るさで車道まで照らす店をあとにすると天空に上弦の月が浮かんでいた。
 半月の切り取られ具合がメロンのハーフカットそのものに見えた。黄色いスイカというよりも、メロンの方がぴったりだ。
「カンタループ……」
 ひとりごちて、苦笑する。
 カッターの襟元に締めていたネクタイを片手でゆるめた。
 ――ハラ減った。
 提げたコンビニ袋をそよ風がなでていく。
 どこからか吹きとばされてきた桜の花びらが雪のように舞い、慎志を土手コースに誘う。

――あなたと初めて会った秋
  感じた第一印象は
  春の花 咲かす 風のよう
  きっと私の こごえる気持ち
  そっと とかしてくれそうで――

 有線でかかっていた曲を自然と繰り返した。
 川は土手沿いの街灯をせせらぎに反射させ地上の天の川に見えた。かすかな風は黒々と寝そべる鉄橋を沈黙させたまま。

――夜は明るく 星を消して
  カンタループ ムーンライト ナイト
  照らして――

 どこからか、慎志より先に続きを歌う声が聞こえてきた。
「んー? なんだかホンモノそっくりな……」
 見回す。つくしとペンペン草のおおう川原。はためくウインドブレーカーの裾。まさか。
「コンサート代、イモでチャラな」
 大声で告げると、髪をのばしたローレライは両手を振って、出会いの曲を歌いはじめた。
(了)
(初出:2013年07月23日)
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登録日:2013年07月23日 19時38分
タグ : 音楽

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