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天野雅
著者:天野雅(あまのみやび)
埼玉県生まれ、千葉県育ちの関東人だった。結婚を機に関西の人間になる。現在は関西とも東海ともいえる近畿地方に在住。10年経って方言にも慣れた。血液型はマイペースで知られるB型。住めば都を地で行く性質。ネット作家歴20年。同人作家歴はプラス5年。趣味は映像鑑賞。写真撮影。歌唱。創作料理。好物は自然万物一般。美術芸能一般。パソコン。ゲーム。漫画。文章。
小説/現代

うちのチビいりませんか(5)

[連載 | 完結済 | 全7話] 目次へ
誰でも、何かを抱えてる。ひとりひとり違う何か。ドアの倉庫と配送センターを兼ねた業者へ。特注のドア10枚がなくなってしまったという。えらいことになった。書類をチェックすると信じられない事が発覚する。
 誰でも、何かを抱えてる。
 生きてきた長さだけ、ひとりひとり違う何か。
 それは、責任や、愛や、夢や、希望――

   ◆ ◆ ◆

 クーラーが効きすぎるフロアで、カーディガンを着込んでいると、澄原主任から声がかかった。
「おぅ、綾野すけ、ちっとお茶煎れてくれっか」
 振り返ると、商管1部2課には他にユニット部隊の桜井さんと森内くんしかいなかった。みんな男性だ。半袖のワイシャツからのぞく腕は陽に焼けた肌がむけかけて、それぞれまだら模様になっている。
 他の女性達は、離れたコーナーにあるパソコンに向かって伝票入力中だった。
「……はい、わかりました」
 私は席を立つ。3人がいつも使っている湯呑みを思い出しながら。
 給湯室へ向かいながら腕時計を見ると、そろそろ5時になるところだった。
 澄原主任は、お茶の味にうるさい。
 部署共同で使う急須には、大抵お茶っ葉が残っている。私はものぐさだから、つい面倒でそれに新しい葉を足して注いだりするのだが、主任はそれを一発で言いあてる。そして淹れ直し。
 結果として、すぐ急須を綺麗にする癖がついた。他のOLが見たら『もったいない』と言うのだろうが、社費で買っているお茶ッ葉なんか安物なので気にしない。
 私は薄いお茶が好きだから、同時に淹れても自分だけ湯を足してしまう。味見していないわけで、悪いと思う。
「お茶ぐらいおいしく淹れられなきゃ困るだろ」
 と澄原主任は言う。それは、決して女性蔑視につながらない。と思う。
 来月は決算月だ。見回すと、フロアに男性の姿が少ない。
「ええっ? ですからぁ、それはちょっと待ってってば……あーっ」
 派手に溜め息をついて髪をかきまぜる。私が積まれた書類の隙間に湯呑みを置くと、桜井さんは目だけで恐縮した。肩で受話器をはさんでファイルをめくり、シャープ片手にタバコを吸っている。
 彼も、主任だ。澄原さんより5歳ほど下。以前、澄原さんが担当していた仕事を引き継いだとかで、今でも桜井さんチームの打ち合わせに澄原さんが呼ばれたりする。そんな時、澄原さんはしょうがねぇな、と言って席をたつけれども、いつも楽しそうに目を輝かす。楽しいというより嬉しいのかもしれない。
「あ、どうも、すみません」
 隣の席の森内くんは、今年の高卒の新人だ。女の子みたいに柔らかい声をしていて、黒縁メガネが細面に似合っている。私はつい自分に重ねて、連日残業のハードな仕事を気の毒に思ってしまうが、本人は手当てがたくさんつくので嬉しいらしい。
 私は彼の電卓や書類から、少し離れたところにマグカップを置いてあげた。同じ机なのに森内くんの面積は桜井さんの倍ほども広く感じる。桜井さんが片手で拝んで、ファイルを置かせてもらっていたりするところもよく見かける。
「おぅ、さんきゅーな」
 澄原さんも相変わらずだ。機関車のように煙を吐きながら、ヤニと灰で真っ黒になった指を書類の隅にこすりつける。電話の横の灰皿は山盛りだ。
「それ、片づけましょうか?」
 机の横に立ってから、思わず私が言うと、
「ああ、自分でやるからいいよ」
 と軽く手を振って、
「夏休みは遊べたか?」
 と訊いてきた。
「ああ、はい。海に行ってきました」
「デートか?」
「家族とですよ。犬も一緒に。車に酔いそうになってましたよ」
「人間なみだなあ」
「主任は?」
「あん?」
「小学生でしたっけ、息子さん」
「おう。そうですよん。遊園地連れてけば『楽しいナリー』なんて言ってな、野球したら『ストライクなりー』とかな、おもしれぇぞ。知ってっか、なりナリって」
「ああ、アニメのセリフですね」
 ……それで『綾野すけ』か。ということは主任からみたら私はコロ助なのか。
「さすが若い子はよく知ってんなあ」
「エンディングが可愛いから、よく見ますよ」
「日曜、テレビばっか見てねぇで、デートしろよ」
 灰皿の山に、また1本増えた。
「ところで綾野さんさあ」
「はい」
 本題はここからだ。今までの会話は、ほんの挨拶にすぎない。
「明後日、あいてる?」
「あ……木曜ですよね。特に会議はなかったと思いますけど」
 まさかデートの誘いじゃないよな、と私はありもしないことを考えた。
「ちょっと館林に行ってくれっか」
「え? ……HRDですか?」
 ドアの管理を頼んでいる業者の名前だ。栃木県の館林に広い敷地を持ち、ドアの倉庫と配送センターを兼業している。
「これ見といてくれ」
 散乱している書類からA4用紙を1枚くれた。
 コピーで見出しは『在庫調査徹底のための日程』となっている。文責・営業4部2課、橋本。ワープロ文字だ。
「まさか明後日、数えに行くってことですか、私が?」
「明日はオレ行くけど、木曜は現場のクレームあるからさ、ヨロシク頼んでいい?」
「……1本1本?」
「もちろん。だから2日がかりなんですよん」
 主任はさらりと言ってのけ、マッチで煙草に火をつけた。
 ドアを数えるのは本来『1枚/2枚』のはずなのだが、3枚で1セットなんてのもあったりして、『1本/2本』と私達は数えている。
 紙には他商品の調査についても連記してあって、ハウジングドアの在庫チェックメンバーには、営業が橋本さんと椎ノ木さん、商管に澄原さんと私の名前が……ん?
「岩瀬さんは伝票処理があるからさ」
 先を読んだかのような、澄原さんの言葉。私はとりあえず頷いた。
「在庫に関係する書類は一式、営業の椎ノ木さんに預けといてくれな」
「あれ。澄原さんが持って行かれるんじゃないんですか」
「重いからな。車で行くから、彼女」
「車……って椎ノ木さんの?」
「パワフルな子だよね。オレは電車で行くからな。ヨロシク」
「了解しました」
 電話が鳴って、話はそこで終わってしまった。
 書類を1冊にまとめてファイリングすると、もう6時近かった。私は急いで4部2課へ持っていった。
 椎ノ木さんは今年の5月に中途採用で入ってきた人だ。小柄な体に大きな目、ひとつに束ねた長い髪が尻尾みたいでリスを連想する。直接に話すのは初めてだった。
「入出庫の伝票は、4月分から入れておきましたから」
 私が言うと、ジーンズの似合いそうな彼女は軽快にパソコンを打ちながら頷いた。
「綾野さんは明後日来るんだっけ? 明日は数えるだけで終わっちゃうと思うんだよね。向こうとの照合は、綾野さんにお願いすることになるかもしれないから」
「あ……じゃあ、在庫表だけにしましょうか」
 膨大なドアを数える作業に比べれば、重いファイルを持っていく方がはるかに楽に違いない。
「ん、いいよ、車だからね、ついでに持ってっちゃう」
「車だと、近い? ですか」
 まるで旧知のような受け答えに、つられて敬語が崩れそうになる。彼女はいったい何歳なんだろう。私とそう違わないように見える。
「高速乗っちゃえばね」
「澄原さんは電車で行くみたい……?」
「うん、館林駅で落ち合う予定」
 なるほど。
「綾野さんもそれで来る?」
「はい、そうします」
 館林までは、浅草から『あさま』に乗る。1時間に1本しかない。本当は出向時刻に相手先に着いていなければならないのだが、無視して9時台に乗っていた。澄原主任が電車を選ぶのは、時間的にのんびりできるからだ。私は車に酔いやすいし、遠慮もあった。
「橋本さんは、こっちからあたしの車で行くんだけどね。東京駅に8時半集合なの」
 なんだ、そうなのか。
「……豊田さんも?」
 私はさっき澄原主任に訊けなかった質問をした。
「ああ。明後日? うん、あの人免許持ってるって言うから、運転は交代でね」
 A4の予定表。2日間、振り分けられてるメンバーは『水曜日・営業 橋本/椎ノ木・商管 澄原』『木曜日・営業 椎ノ木・商管 豊田/綾野』となっていた。
 豊田さんは、商管だけど1部1課の人だ。建具と関係なかったはず。
「どうして豊田さんも行くんでしょうか」
 私が尋ねても、営業の彼女は何も知らなかった。

 HRDの倉庫は壮観だ。
 ウチの会社は一応印刷業界では古株の大手で、得意先も有名メーカーばかり何社も扱っている。けれどHRDはそう有名でもないのにそこへ収める商品全部をメーカー別・品別、特注品においては出荷先についてまで、すべて管理していた。そんじょそこらの『倉庫』とはわけが違う。
 栃木県の館林市は、駅前に大きなタクシー会社があったり、ガラリの硝子戸を軋ませて入るような古い造りの食堂が建っている他は、山と田畑と旧家が連綿と続くような田舎だった。ただし道路はしっかりしていて、専用自動車道を何台もトラックが走る、首都圏近郊の田舎だ。その周辺になると多少は立派なレストランもある。
 夏の栃木は蒸し暑かった。見渡す限り田畑ばかりで影がない。風も感じるけれど、陽射しの方が強烈だ。山の後ろからわきあがる入道雲の白が目に痛い。
 HRDの門のところで豊田さんと私は椎ノ木さんの愛車から下りた。白い車体にピンクのラインの入った女の子らしい軽自動車は、早朝なら配送用の大型トラックが何台もスタンバイするだだっ広い駐車場の入口近くにちょこんと停まった。
 門を入って右に駐車場、左に平屋の事務棟があり、その奥に工場と肝心の倉庫が建っている。会社概要は知らないけれど、とにかく敷地が広大だ。電話でつきあう限り応対の仕方にもどこか大企業並みのプライドがうかがえる社員達がいる。
 椎ノ木さんがこっちへ歩いてくる。事務棟の硝子扉から半身つっこんで受付と挨拶していた体格の良い豊田さんが、首だけねじって私を呼んだ。
「伊川部長さんて、どんな人?」
 ……と、訊かれても、私も困る。
 硝子扉の隙間からクーラーで冷えた空気が流れ出てくる。透明な硝子の向こうのカウンターは今誰もいなくて、どうやら受付嬢は部長を探しに行ったところだ。
 事務所には社員の席がまとめて置いてあるらしい。いつ来ても机がすべて埋まっているのを見ることはない。ほとんどは工場で作業しているのだ。ファックス機の近くに内勤事務の女の子がかたまっている。いつも私と電話で話す仕入担当の永島さんと出荷担当の安西さんもいるはずだが、顔は見えない。
「私は電話を取りつぐだけだから……主任の無理をいつも聞いてもらってますけど」
「それは知ってる」
 豊田さんが厚い下唇をつきだして口をすぼめた。背が高く、胸板は厚い、骨格もがっしりしていて学生時代はアイスホッケーかなんかやってたみたいな、頑健そうな人だ。陽に灼けて健康的な肌。澄原さんと比べると何もかも対照的だし、旅行にTシャツ着て来るくらい歳も若い。直接話したことは少ないが、印象で感じる限り頭の中も若そうだ。思考の回転が早く、柔軟性に富む。
 椎ノ木さんが私の横に立った時、事務室の奥から50歳くらいの痩せた男性が出てきて、片手をあげるのが見えた。仕事灼けした顔に、笑い皺が深く刻まれている。
「あ、伊川部長です」
 私より先に椎ノ木さんが言って、私達は中に通された。
「昨日は、御苦労様でした」
 堂々とした態度で椎ノ木さんが切り出す。豊田さんと名刺の交換をした直後。事務所の奥の、ブースの一角。私は2人の斜め向かいのソファに坐って、出された麦茶を黙って飲んだ。溶け残った小さな氷がひとつだけ浮いていた。
「……で、ありましたか」
 探るような視線を向けられた伊川部長は、強張った顔を伏せた。よく見ると、目の下に隈ができている。肌が黒っぽくて気づかなかったのだ。
 なんのこと?
 私は豊田さんと椎ノ木さんを見たが、誰もこっちを見てくれない。
「ありませんか」
 溜め息をついて、豊田さんがソファの背にずっしりと沈みこみ、ワイシャツの胸ポケットからタバコを取り出した。
「ええ……」
 苦しそうな伊川部長。前かがみのまま、腰にさげた汚れたタオルで額をぬぐう。
「倉庫、調べていただけました?」
 のそのそと豊田さんが訊く。火をつけないくわえタバコで。
「ええ、夜中の2時までかかって……担当者は間違いなく出荷したと申していますし、ここにはないと思います」
「運送屋さんは、なんて?」
「伝票と物が別々に送られてるのは説明ありましたよね。伝票は向こうに着いてるそうなんですけど」
「物は?」
「……出てきません」
「そんなバカな、ねぇ」
 緊張感のまるでない声で、豊田さんは椎ノ木さんに同意を求めた。私は今のやりとりでだいたい飲み込めたので、普通に訊いた。
「何邸の話なんですか?」
 答えてくれたのは、椎ノ木さんだった。
「長嶺邸。特注、10枚組のドア」
「嘘っ」
 思わず私が声をあげると、
「ほんとー」
 いつの間にか煙をくゆらせながら、豊田さんがのんびり言った。
 えらいことになった。
 遅ればせながら、私も事態を呑み込んだ。
 特注品は規格品と何もかも扱いが違う。ハイムとかハウスとか、大手建築企業は各地に工場を持っている。普通は工場からドアの種類と本数の注文がファックスで入り、HRDの在庫からまとめてHRDのトラックで納期までに納入する。
 当たり前だけど、特注品には在庫がない。邸名別にドアの寸法色硝子の指定と枚数がファックスで入り、HRDは1枚につき1ヶ月かけて作って、納期までに工場や指定の建築現場へ収める。値段も当然、違う。ピンキリだけど、だいたい規格品の3〜5倍はザラだ。もしこれにクレームがつくと、当然搬入は1ヶ月以上遅れて結果的に賠償金が請求されるし、現場扱いになって運送費がかかるし、代金は納入分しかいただけないし、踏んだり蹴ったり殴ったりになる。
 現場扱いは運送費がかかる。最初から指定されていれば、着払いで送れる。個別対応なのでHRDから別会社の宅配便に依頼される。○○運輸とか、○○運送とか、赤帽とか。
「ドア10本……なくした?」
 私がつぶやくと、豊田さんが面白くもなさそうに身振り手振りで説明してくれた。
「こんっなでっかいやつよー。10枚でワンセットなんだって。1枚10万円とかするみたいだよ。綾野さん、知らなかった?」
「特注品の依頼書は私の方には来ないので……でも長嶺邸の出荷指示なら、夏休み前に出してます。もしかして、あれですか」
「そう、それ。現場から届いてないって月曜に連絡があったのよ。岩瀬さんが大慌てで追っ掛けたんだけど、運送会社の配送係でピタッと止まっちゃったんだって」
 椎ノ木さんの言葉に、伊川部長はますますうなだれてしまった。
「……まあ、メシでも食いますか。部長、おいしい店御存知なんでしょう?」
「ああ、はい」
 豊田さんはアクリルの大きな灰皿にタバコを押しつけた。
 壁の時計はまだ11時になったばかりだった。

 ひどく冷房の効いた和風のレストランで、自分で払うなら絶対頼まないような定食をいただいた。ドアの件はもう出てこなくて、もっぱら地元の話題に終始した。
「あっ、佐野の厄除大師ってこの近く?」
 ひときわ大きな声で豊田さんが言う。他に客はいなくて、響きが良すぎる。
「帰りに寄ってみましょうか」
 椎ノ木さんが応じた。伊川さんが地図を広げている。
「ナイスアイディア。綾野さんも、車で帰ろうよ」
 まだ仕事もしてませんけど……と思いながら、私は頷いた。
 食後、私は事務棟のブースに残り、永島さんと安西さんからHRDに保管されている書類を預かって持参のファイルと照合にかかった。
 HRDの入庫伝票には特注の場合、澄原主任がそのままファックスした受注時の依頼書もついていて、長嶺邸の用紙をそれとなく探すと難なく見つかった。規格品より幅が狭くて縦長で、造りつけのクローゼット用かなんかの扉に見えた。10万円というのは販売単価なのだろう。HRDに本来それは知らされない。仕入れ価格だけ見ると、1枚1枚値段はばらばらで、合計50万円ちょっと。それでも凄い。豪邸なんだ。
 書類の方は多少抜けがあった。ファックスの送受信ミスは仕方がないが、信じられないような事も発覚した。
「えっ、工場から?」
 私の報告を聞いて、椎ノ木さんは安西さんに理解を求めた。
「向こうが何を言っても、こちらから指示があるまで出さないでください。または急ぎなら、出す前に必ずこちらに連絡してください。お願いします」
 出荷指示のないままドアを出していたらしい。売り上げ洩れになる。
「クレーム対応の品でも、です」
 ……違う、また赤字が増えただけだった。
「こりゃー厄払いした方がいいかもねぇ」
 帰りの椎ノ木さん運転する車の中で、人ごとみたいに豊田さんが言った。
 佐野厄除大師は有名だ。世間にうとい私でも知っている。ラジオのCMのせいだ。
 砂利の敷き詰められた駐車場を出て、コンクリの鳥居をくぐってお守りを選ぶ。
「綾野さんてさあ、好きなことしてる?」
 整然と掃除の行き届いた神社だった。広葉樹の枝葉に夕日がかかり、宝石のように輝いている。それを仰ぎ伸びをして、唐突に椎ノ木さんが訊いてきた。
「え、まあ……だいたい。椎ノ木さんは? ここに来るまで、何か仕事を?」
「仕事は初めてかな。短大出て、留学したり、マンガ家の手伝いしたり、小説書いてみたり、色々やった。免許もとってね。それで気が済んで、就職したわけ」
「それだけやったら、OLなんかもったいないんじゃないですか?」
「うーん。まあ、ここもすぐ辞めちゃうかもしれないけどね」
「まだ辞めないでよ」
 いつからか後ろに豊田さんが立っていた。
「やだー、盗み聞きー」
 車に戻りながら、椎ノ木さんはもう1度だけ私に言った。
「若いうちは色々やんなきゃ、損だよ」

   ◆ ◆ ◆

 台所のテーブルの上に、写真が置いてあった。
 母とチビ。妹の紗紀子とチビ。知らない女の子とチビ。後半は、海で撮ったもの。それには父も私も写っていた。
 チビの黒い身体に白い毛が混じっているところを見ると、すべて最近撮影している。紗紀子がいるということは、今月に入ってから。 私とチビは散歩はしても、写真を撮ってもらったことは1度もなかった。
「あ、お姉ちゃん、お風呂いいよ」
 部屋に戻ると、クーラーが効いた中で紗紀子が髪にドライヤーをあてていた。服はタンクトップに短パン。ベッドの目覚まし時計は11時。親は寝ている時間だ。
「車に慣らして、友達のとこにチビ連れてった?」
 いつだかの妹の電話を思い出す。脈絡のない私のセリフに紗紀子は不思議そうな顔をしたが、すぐ頷いた。
「公子ちゃんちだけ。どんだけ大きくなったか、見たいっていうから。お母さんの運転で毎日1時間ぐらい近所まわったんだよ。獣医さんに言われた通り、計画して10日間ぐらい。海にも行けたし、良かったよね」
「良かったけど……チビは迷惑だったかもね」
 私もたいがい車に弱いが、チビはそれ以上だったのだ。海へ行くのに2度休憩して、家に戻るまで3度車から下ろした。
「何言ってんの? 公子ちゃんちにはチビのママがいるんだよ? 行って良かったに決まってるじゃん」
 妹の言葉に応えず、私は部屋の外に出た。
 この家の住人は愛情に気まぐれだ。私はそれにすがって居候する、息を殺すような毎日を過ごしてきた。罪のないチビは天使のような存在だった。
 ずっとそう思っていたのに……。
 私は初めて、説明できない辛さを感じた。
(つづく)
(初出:2011年12月)
登録日:2011年12月29日 13時47分
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