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天野雅
著者:天野雅(あまのみやび)
埼玉県生まれ、千葉県育ちの関東人だった。結婚を機に関西の人間になる。現在は関西とも東海ともいえる近畿地方に在住。10年経って方言にも慣れた。血液型はマイペースで知られるB型。住めば都を地で行く性質。ネット作家歴20年。同人作家歴はプラス5年。趣味は映像鑑賞。写真撮影。歌唱。創作料理。好物は自然万物一般。美術芸能一般。パソコン。ゲーム。漫画。文章。
小説/現代

うちのチビいりませんか(6)

[連載 | 完結済 | 全7話] 目次へ
いったい自由はどこにあるのか。人事異動の噂でうわついた社内に常務が訪れた。問題が明るみになり、部長も課長も飛ばされるかも知れない。一方、チビを手放そうという話しに、涙を堪えて反対する聡美。
 いったい自由はどこにあるのか。
 生まれた時から社会の一部分であり、気づいた時には時間の枠に押さえこまれて。
 追い立てられるように、幼稚園、小学校、中学校、高校。そしてOL……。
 私は自分が歯車だとは認めたくない。いなくなったら代替えのきく、部品なんかじゃないんだと言いたい。
 でもここにいる限り、会社に行って仕事をする他に存在の価値がなくて。
 何が真実なのか、私は知らない。

   ◆ ◆ ◆

 8月の末になると、社内は人事異動の噂でうわつき始めた。正式な辞令は9月の20日頃に出る。それまで、ひそひそと『営業の誰々さんは業績不振だから……』とか『管理の誰々さん、関西に飛ばされるんじゃないの』など、無責任な予想が飛び交い続けることになる。
 私は3時を過ぎて会話の止まらない小谷先生達から逃れるように、給湯室へ向かった。クーラーの効いた場所でじっとしていると、汗もかかないのに喉が乾く。
 ノックして重い扉を引くと、先客がひとり、食器棚とコーヒーメーカーの間を往復していた。小さい冷蔵庫に板を乗せて台にして、そこにカップを出しているのだ。
「おっと、ナミちゃん」
 同期、経理の穂波正子だった。短いソバージュのサイドを後ろにやって黒いバレッタで留めている。制服の青いベストからのぞくブラウスの半袖はピンクで、洒落た透かしが入っていた。高校の白いブラウスをそのまま着てる私とはえらい違いだ。
「ん? アヤちゃんか」
 ちらりとこっちへ視線を投げて、それからすぐにコーヒーサーバーに向き直る。横顔にピアスと、握りに掛けた指の爪が同じ色のパールピンクに光っている。
「お客さん?」
 邪魔にならないように、彼女の後ろをまわって食器棚を開けた。一番下の段に個人の湯呑みやマグが置かれ、2段目が来客用の茶器、最上段は皿が積んである。
 私は退職した人が使っていたという、六角形の小さなマグを出した。持参しようと思ったけれど、可愛いので借りっぱなしだった。
「お客さんていうか……常務が来てるんだって」
 流しの横に給湯器がある。彼女と背中合わせになってお茶を煎れながら、私は首を傾げた。
「常務? って、偉い人だっけ」
 ナミちゃんの呼吸が揺れた。
「ちょっと、笑わせないで、熱いの注いでるんだから」
「あっごめん」
 別に冗談のつもりはなかったんだけど。どのくらい偉いのか、訊けなくなってしまった。きっと入社式には居られたに違いないが、名前も分からない。去年は来なかったはず……
「ななつも持ってくんだ?」
 私は協力して砂糖とミルクを出してあげた。ソーサーにカップとスプーンが並ぶと、四角いお盆はもう一杯だった。
「うん、さっき内線かかってきてさ、本部長から。もうすぐ締めだから決算前のお小言でも、もらってるんじゃない」
「ああ……10月か。経理もそろそろ忙しくなるね」
 私はドアを開けて支えた。
「サンキュー」
 彼女はエレベーターの方へ向かいながら、ついでのように私に言った。
「商管も出席してるみたいだよ」

 フロアに戻ると、なんだか暗かった。
 言われてみれば席に斎藤部長の姿がなかった。澄原さんは2部1課の人と建築現場へ出張している。見回すと、岩瀬さんは壁際のパソコンの席にいた。
「あっ光った」
 誰かが声をあげた。
「通り雷じゃん?」
 マグを自分の机に置いた時、首をねじって窓の方を見ながら大木さんがつぶやいた。とおりかみなり……彼女の造語だ。
「やあねリコ、夕立よ、夕立」
 笑いながら有沢さんが言う。
「困ったわ。傘持って来なかったのよ」
 小谷さんの言葉に、
「あたし持ってるから大丈夫だよ、一緒に帰ろっか」
 大木さんは腕時計を見ながら軽く答えた。
 私も書類を出しながら時間を見た。4時過ぎ。先生達はそろそろあがる時刻だ。
 閉め切った窓硝子に大粒の雨が叩きつけたのは、それから数分後のことだった。

 台風が来ている話は聞いてなかった。定時の6時を過ぎて、仕事もなくなり、できるだけ時間をかけて着替えをしてトイレに寄っても、雨はやみそうになかった。
 濡れると薄布のワンピースは透ける。カーディガンは着てこなかった。
 とうとうタイムカードの前に来てしまった。
 真剣にタクシー会社に電話しようか考えていると、営業の永嶋さんが現れた。私が更衣室を出た時は誰もいなかったから、よほど私がぐずぐずしていたのか、彼女が素早かったのか。
「お疲れ〜」
 カシャンと刻印を押して、黄色い折りたたみ傘を開こうとする。
「あっ……お疲れ様でした……」
 もしかして私はとても情けない顔をしていたかもしれない。
「綾野さん、誰かと待ち合わせ?」
 足をとめて永嶋さんが振り向いた。もう傘の骨は真っ直ぐに伸びている。
「えっ……いえ、実は傘がなくってどうしようかと」
「あらあら」
 永嶋さんは確か岩瀬さんと同期だった。いつも明るめのファンデーションをして、黒縁メガネがよく目立つ。背が高く、細身で、颯爽と手際よく仕事をこなし、どこかテレビに出てくる女流評論家のような印象を持っていたのだが、直接言葉を交わしたことはほとんどなかった。
 まったく親しい間柄じゃなかったわけで、こう言われるとは思ってなかった。
「入ってく? 総武線でいいんでしょう?」
 すいません……と私は肩幅を半分にして、ありがたく彼女の傘に収まった。
 車道からの水はねに注意しながら、私達はゆっくりと駅へ歩いた。雨は思ったより穏やかで、騒音も会話を消すほどではなかった。雷雲は行ってしまったのだろう。途切れがちに話を続けると、彼女と私は家も同じ方向だと分かった。
「じゃあ、乗り換えの上野駅まで一緒に行きましょうか」
 永嶋さんに言われて、私達は並んで山吹色の電車に乗り込んだ。
 おおよそ、職場は同じでも年上のしかもあまりよく知らない女性相手に、どんな話題を出せばいいのか困ってしまうのだが、永嶋さんの場合は違った。
「アヤちゃんて呼んでいい?」
 車内はそこそこの混みようで、ドア近くの同じバーにつかまると、まずそう訊かれた。気さくな人なのだ。
「一度あなたと喋ってみたかったのよ」
 岩瀬さんと組んでたからだろうか。
 永嶋さんは電車の振動に身を任せながら、少しかすれ気味の声で続けた。
「商品管理の人達ってさあ、独特でしょう。個性が強いっていうか。特にアヤちゃんのいる2課ね。澄原さんにしてもさ、すっごいヘビースモーカーじゃない? あの人ずっと前からあの調子。何度か入院してるのよ。でも席の周り、いつも真っ白だものね。桜井さんは溜め息つくのクセになってるし。あんな環境で仕事してたら、誰だって気分悪くなると思うのよ。仕事にならないっていうかね。特に千加子なんておとなしいからストレス溜まると思うのよ。知ってる? 寮でお酒飲んでた話」
「ええ……まあ」
 こんなこと喋ってていいのかなあ、と思いつつ頷く。
「あの時うちに電話がかかってきたのよ。辞めるとかって泣いちゃって。限界よね、ああなっちゃうと」
 初耳だった。岩瀬さんが辞める……? でも、そうかもしれない。彼女ぐらい賢い人なら、それが当たり前の選択だ。そうなると、いずれ岩瀬さんの仕事は私が引き継ぐのだろうか。
「でもね、あなたが入ってきたら、ちょっと雰囲気変わっちゃったのよ。千加子は何も言わないのだけど。あなた、あそこの仕事場、どう思ってる?」
 いきなり難しいことを訊いてくる。この人はどんな感想を欲しがってるんだろう。
「みなさん、楽しい人達ばっかりですよ。なんていうか、学校じゃみんな同じ世代で、年上って先生だけで、閉じた世界っぽいじゃないですか。会社に来たら、人生の先輩って感じの人達ばっかりで、なんだか私には肌が合うみたいで」
「ああ」
 永嶋さんは思い切りスポーティに短くカットした髪から水気を取るみたいに首を振って、前髪をかきあげて少し笑った。
「なんか納得しちゃう。他のコが言ったら嘘っぽく聞こえるけど」
 ……そうですか。私は視線をそらして窓の外を見た。灰色に煙るビルの群れ。無数の水の粒が斜めに硝子を濡らし、すぐ新しい粒達に押しのけられて飛び散る。
「あなたって、そうでしょう。ちょっと変わってるのよ。同じ年のコとは話合わないわよね。精神年齢が高いんだと思う。だから周りに負担がかからないのね」
 えっ?
 私は驚いて永嶋さんを見た。いたずらっぽい、黒曜石のような……と形容される瞳はこういうのだと思えた。
「まあでも、あんなところにいつまでもいるもんじゃないわ。あたしもそろそろ辞めようかと思ってるの。千加子がいなくなってから考えるつもりでいたけど、最近仕事もつまんないしね。よくない噂も立ってることだし」
「噂って……どんな」
 永嶋さんのことを、私はもっと知りたくなった。彼女が辞めようと考えた理由に興味がわいた。
 電車が停まって、ドアが開く。入口付近の人の流れが慌ただしくなり、会話はドアが閉まるまで中断された。
「今日、常務が来てたの知ってる?」
 彼女は話を続けてくれた。
「普通なかなか来る人じゃないのよ。常務が来たのは、取引先からFAXが本社に入ったからなの。アヤちゃんも担当してるから知ってるわよね、モノが現場に入るの遅くて、損害賠償しろって話」
「ああ……たまにありますけど。大工さん待たせた分を払えとか」
「そうそう。だけどそれだけじゃないの。そんな生易しいもんじゃないのよ。お客さんにしてみたら、家に住める予定の時期が来ても家が建ってないわけじゃない? 遅すぎるってクレームがついて、会社のイメージダウンになったっていうわけよ」
「それで損害賠償?」
「異例だと思うわ。びっくりしたんじゃない、本社も。担当者がいつまでもちゃんと対応しないから、会社が責任取れって言われたわけよね。それで突然、本社から事情説明しろって言われて、大騒ぎ。資料作らされて。実際に常務が来たわけね。今日のあれって、ハウジングの会議だったのよ。今まで隠してた問題が一挙に明るみに出たんじゃないかな。在庫計上のハンパじゃない赤字とか」
 それは私の仕事でもある。
 何か訊かれるかと思ったが、永嶋さんは気づいていないようだった。
「あるはずの在庫がなかったら、全部損失になっちゃうのよ。マイナス利益。全部で何千万単位らしいじゃない。HRDも責任取らされるわ。営業も商管も、本部長は異動でしょう。特にあなたのところは、部長や課長も飛ばされるんじゃない?」
「……ホントですか?」
「うん、まあ、多分ね。澄原さんも危ないわ。常務がホントに来ちゃったからね」
 永嶋さんの喋り方が早口になった。気がつくと、上野駅に着いていた。
「じゃっ、お疲れさまっ」
 大勢の待ち行列の中へ、流される、ホームへと吐き出される背広姿の塊に押されながら、それ以上聞きたいことは何も話せずに、私達は手を振って別れた。

   ◆ ◆ ◆

 家には車がある。迎えを呼ぼうかと思っていたが、降りる駅で雨はやんでいた。
 午後7時過ぎ。雨雲も薄まって、西の空はまだほんの少し明るかった。
「あっお姉ちゃん、おかえり」
 自宅前のアスファルト道で、妹と鉢合わせした。短めの黒いタンクトップに、オレンジ色のショートパンツ。犬を連れてなかったら、こんな住宅街でも危ないと思える恰好だ。
「ただいま。今頃散歩してんの?」
 チビがスカートに足を掛けようとするので、私は数歩さがった。白かったはずのあごの毛から胸にかけて泥水が滴り落ちている。
「うん。お母さんね、ダウンしちゃった」
「……いつ」
 私は片手だけのばしてチビの頭を撫で、紗紀子から家へ視線を飛ばした。
「今日の夕方から寝てたんだって。暑いのに無理したんじゃないの、午前中は2時間ぐらい、チビと散歩したみたいだし」
「あんたどこ行ってたのよ」
「友達と、遊園地。さっき帰ってきてさ。早く電話しろって怒られちゃった」
「……当たり前じゃん?」
「なんでよお」
 私が構わず歩き始めると、チビが追ってきた。ひきずられるようにして妹もついてくる。柴犬程の体格しかなくても力は相当だ。大型犬と争ってもきっと負けない。
「だってチビはもともと紗紀ちゃんの犬でしょ。休み中こっちにいる間ぐらい、散歩してやったら」
 夕飯は誰が作ったのだろう。父はもう帰ってきているはずだ。
「あたしだって行ける時は行ってるんだよ。だけどたまの休みぐらい、こっちの友達と遊びたいじゃない。そんなさあ、四六時中面倒見てらんないよ」
「それが最初の条件だったでしょう」
 私は玄関の門扉を押した。庭でチビの汚れを取らなければならない紗紀子はついてこなかった。すぐにガレージのシャッターを開閉する音が聞こえてくる。
「お母さんは面倒見てるよ」
 私はつぶやいた。
 靴下を脱いで、ストッキングと洗濯機に放り込んでいると、父がやってきた。半袖シャツに短パン姿。すっかりリラックスしきっている。
「ああ、聡美か。お母さん暑気あたりで寝てるから」
「知ってる。外で紗紀子と会ったよ」
「そうか。おかえり」
「ただいま」
 チビが庭で吠えている。父にも聞こえたようだった。
「出前頼んだから、おまえも食べなさい。天丼があるから」
「ん、分かった」
 洗面所を出て、そっと親の寝室を覗く。暗がりに布団と盛り上がる影が見えた。
「……聡美ちゃん?」
「あっただいま」
「んー。ごめんね、適当にあるもの食べてね」
「大丈夫だよ」
 私は短く応えて、台所に行った。洗面所へ向かう紗紀子と廊下で擦れ違う。
「食べた?」
「これから」
 数分で食べられるわけないだろう。
 眩しく電気のついた台所で、椅子に腰掛けていた父は、私が入っていくと広げていた新聞をたたんだ。板目の床に放り、テーブルの上のお碗を示した。
「そこにお吸い物の粉があるだろう。ポットのお湯で溶かすといい」
「うん」
「冷めてないかい? 電子レンジを使うかね」
「ううん」
 赤いお重の天丼はまだ暖かかった。正確には天重と呼ぶはずだが、ここの店に天重というメニューはないのだ。
 父はラジオをつけようとしなかった。
「仕事、忙しいのか」
「来月決算だから、ちょっとね」
「そうか。決算か」
 私が食べ始めると、妹が入ってきた。
「あ、紗紀子、お茶煎れて」
「はあい」
 私は自分でやるよと言おうと思ったが、父も飲みたいのだと気付いた。
「お姉ちゃん、チビねぇ、昨日注射したんだって」
「あん? なんで?」
 私は口を動かしながら顔をあげた。
 昨日。
 何も聞いていない。
「夏風邪ひいたんだろうって。海で濡れたからじゃない?」
 そんなことあるだろうか。海へ行って、もう10日は経っている。
「そう、先週から具合が悪かったらしい。昨日で2本目の注射をしたんだよな」
 父が紗紀子に同意を求めて、振り返った。
「うん。1本5千円もするんだって。あたし、思うんだけどさあ、」
 妹は父の湯呑みと私のマグをテーブルに置くと、自分のコップを持って父の隣の椅子に坐った。
「チビ、誰かにあげちゃわない?」
「ええ?」
「そうなんだよ」
 私が思わず取り落とした箸を拾って差し出しながら、父が続けた。
「お母さんだって、体を壊してまで世話なんかしたくないだろう。紗紀子は夏休みが終わればいなくなってしまうし、お父さんが散歩できるのは土日ぐらいだ。おまえだって、そうだろう?」
 私は沈黙したまま、とにかく天丼を食べた。なんだか味がしない。
 父が妹を見た。
「エサをつくるのは全部お母さんだ。手のかかるペットなんかいらないだろう。犬をくれた友達にも、ちゃんと説明すれば済むことだ」
「公子ちゃんには悪いけど、犬が好きなコに連絡とって、あげてきちゃうよ」
「近所にいるのか? 車で行ける範囲なら、お父さんもついて行くから」
「もし断られたら、誰か紹介してもらえばさ。犬1匹ぐらい、なんとかなるよね」
「……貼り紙でもすんの?」
 私はなんとか食べ終わり、お重にフタをしながら、口をひらいた。お茶を飲む。
「貼り紙? それ、ナイスアイディア」
 妹がコップを指ではじいた。私は普段の口調を保って続けた。
「……『うちのチビいりませんか』とでも書いて?」
「うちの壁に貼るか」
 父が笑った。私は語気を抑えて言った。
「そんで、あげて、どうすんの」
「え? ……残ってるドッグフードとかも、あげちゃえばいいんじゃない」
 妹と目が合う。私はできるだけ冷静に言葉を選んでそれを無視した。
「あんな手のかかる犬、誰がひきとってくれるわけ。注射代も出しますって言うの」
「聡美は反対かね」
 父が、予想外だったというふうに口をはさんだ。
 父と目を合わせる。
「あそこまで育てちゃって、他の誰になつくわけ? あげちゃって、うちらはそれで終わりかもしれないけど、チビはいつ私達が迎えに来てくれるんじゃないかって、じっと待ったりするんじゃないの? 手間かかるからって、手放していいの?」
 どうして捨てるようなことができるの。
 私は努めて感情的にならないように、言葉を連ねた。
 私には信じられない。
 去年の今頃はいなかったチビ。今年の春に初めて来たチビ。生まれたばかりで。
「そりゃ……そうだけど」
 妹がうつむいた。
 私は唇がわななきそうになるのを、必死になって堪えて続けた。
「ペットってさあ、飼い主のこと、家族だと思ってるんだよ? お父さんのことだって、お母さんのことだって、自分の親みたく思ってるんじゃないの? 紗紀ちゃんだって普段は家にいないけど、ちゃんと覚えているじゃない。私だって、帰りが遅くなってみんな寝ちゃってたって、チビ起きて尻尾振ってるんだよ。ちゃんと可愛がってやんなきゃ、無責任じゃない。――邪魔なら私が家を出て飼う」
 チビを、よそへやっては、いけない。思いつきでも、全部並べた。
 頭にはただ母の笑顔があった。チビを撫でている笑顔。チビの紐を持って、一緒に走っているところ。近所の犬達と、散歩している人達と、楽しそうにお喋りしていた。体を壊しても、チビのためだから何時間も散歩するのだ。車だって出して医者に連れていくし、医療費だって払って治してやろうとするのだ。母にとってはチビは息子だ。今の私より大切にしている、娘の私より身近な子供なのだ。
 父と紗紀子にはそれが分からないのだろうか。本当に?
「……まあ、聡美がそこまで言うならな、これは別に決めてた話じゃないわけだし。チビはこれからも、うちで育ててやるか」
 父がそこで初めて『チビ』と言った。本心では手放したくなかったに違いない。
 私は黙って、頷いた。涙がこぼれそうになって、お茶を飲んで、誤魔化した。
 この話を母の耳には絶対に入れまいと思った。
 子供が欲しいといって生み、いらなくなったと言って捨てる親もいる。そんな人間にだけは、なりたくない。
 チビは私の弟であり、この家にとっての私自身だった。
(つづく)
(初出:2012年01月)
登録日:2012年01月25日 20時52分
タグ : OL ペット

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