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寺尾豊
著者:寺尾豊(てらおゆたか)
1958年東京生まれ。千葉大学工学部画像工学科卒。子供の時からの夢は作家だったが、文学部に進学することを父親に反対され理系の道へ。卒業後、結局エンジニアにはならず、文章を書く仕事につくため日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社。日経パソコン、日経デザインなどの雑誌で記者や副編集長を務める。映像部に異動後も、日経ビジネスアソシエでエッセーを連載していた。2009年末に退社してからはフリーの映像制作者。
小説/現代

ドーブブルーに街は暮れて(1)

[連載 | 連載中 | 全6話] 目次へ
あいにくの曇り空の中、恵利は車の助手席からぼんやりと海を眺めていた。七里ケ浜で出会ったワーゲンバスの男は直樹の先輩だった。三人の運命はどこに向かうのだろう。中年からの恋愛を赤裸々に描くシリーズ第一話
 あいにくの曇り空だった。細川恵利は藤岡直樹が運転する車の助手席から、ぼんやりと海を眺めていた。平日の134号線は渋滞することもなく、天候には恵まれなかったものの快適だった。
「あっ」
 恵利は小さな声をあげた。数人のサーファーが波を待つあたりが急に明るくなった。まるでスポットライトを浴びたかのように光り出す。
「ねえ、見て。陽が射して来たよ」
「ああ、いいね」
 直樹の返事はどこか冷たかった。昨晩のことをまだ怒っているのだろうか。秋になったらどこかへ旅行しようとの約束は果たされなかった。12月の声を聞いたのが昨年より早い気がする。年末年始はお互いに実家で過ごす予定だ。「どこにも行けなかったね」と軽く言ったら、直樹がキレたのだ。
(忙しかったからしょうがないだろう)
 恵利の頭の中で、直樹の怒鳴り声が繰り返し再生される。結局、恵利が謝る形で冷戦は終了した。それからしばらくして直樹の提案で、明日は有給休暇を取得して鎌倉へ行こうということになった。
 直樹は少し強引なところがある。勤め先には体調が悪いと、恵利はウソをつかなければならなかった。日帰りドライブを提案した本人は、クライアント回りをしていることになっている。勝手だなと思う。だが、少しずつ雲が薄くなってきていることに、自分たちの将来を重ねて考える。恵利の気持ちが次第に明るくなる。不機嫌だったのは直樹だけではなかったことに気付く。
 七里ケ浜の駐車場に車を入れる。一軒、海辺を眺めるレストランがあるが、ここで食事をするのだろうか。ダッシュボードの時計は11時47分を指している。
「ここで食べるの?」
「いや、まずは海を眺めようよ」
 回復すると思っていた天候は安定していなかった。先ほどのスポットライトは消えて、江ノ島の沖、水平線のあたりが少しオレンジ色に光っているだけだ。太陽は姿を見せていない。それでもシルバーの海の一部に、明るいグリーンの部分がある。二人で旅行したかった沖縄の海とは違うが、落ち着いた良さがあった。
 二人で海に目をやっていると、少し大きめのエンジン音がして、1台の青い車がこちらへ向かって移動してきた。古い車だとすぐ分かる。どこかで見たような気もするが、恵利には車種が分からない。
「直樹、あの車はなんていうの?」
「ワーゲンバスだよ。俺も欲しかったことがある。いいねえ、海が似合うな」
 車は恵利たちが止めたところより、ワンブロック先に駐車した。1人の男が降りてくる。驚いたことに後ろのドアは観音開きだった。後席から荷物を取り出している。マグカップを手にしているようだ。ハンディポットから何か注いでいる。コーヒーの香りがここまで漂ってきたような気がした。ワンボックスカーの正面に移動して、よりかかって海を眺めながらカップを口に運んでいる。
「なあ、話しかけてみようか」
「ええっ、やめなよ。1人を楽しんでいるように見えるし」
「大丈夫だよ、ああいう車に乗っている人は見せびらかしたいものさ」
 恵利は直樹の声が男に聞こえるのではないかと気が気ではなかった。恵利が止めるのも聞かず、直樹は車に向かって歩き出した。仕方なく、彼女も後に続く。
 二人の様子に気付いた男が顔を向ける。すかさず直樹が挨拶する。
「こんにちは」
 竹田陽介は少し驚いた様子だった。自分たちよりも10歳ほど、年齢は上だろう。紺のダウンジャケットとデニムに、少し色があせたように見える赤のニューバランスを履いている。少し間を置いてから陽介が返事をした。
「こんにちは」
 一言発した後は、人懐っこい笑顔になった。日焼けした顔に深いしわが刻まれている。サーファーだろうか。
「素敵な車ですね。自分も欲しかったことがあるんですよ」
「ありがとうございます。良かったら運転席に座ってみますか」
 竹田陽介は二人の返事を待つこともなく、左側に回るとドアを開けた。
「いいんですか」
 直樹が子どもみたいにはしゃいでいるのが分かる。そこが恵利には魅力的に思える部分だ。
「わーすごいなあ、初めて乗りましたよ。なんだかカリフォルニアにいるような気分です」
「ははは、西海岸はこんなに曇っていないでしょうけれどね。奥さんも座ってみますか?」
 恵利は顔を赤らめた。直樹はこの夏に40歳になり、自分は来年の3月に39歳になる。知り合ったのは2年前。二人とも離婚経験があるバツイチ同士で、まだ、どちらからも結婚を口にしたことはなかった。奥さんと呼ばれるのは久しぶりだった。
「ダンナじゃないですよ。二人とも独身です」
 直樹が車の中から助け舟を出す。恵利に席を譲るつもりはないようだ。ハンドルに手を添えて、運転しているつもりになっている。
「もう子供なんだから。いつまでもお邪魔していたら迷惑よ」
 陽介が間に入る。
「暇だから大丈夫ですよ。仕事がようやく一区切りついたところですから」
「分かった、カメラマンさんでしょ」
 直樹が車から降りてくる。陽介は一瞬、真顔になるが、すぐに笑顔になって答えた。
「おしい! ライターです」
「えっ、そうなんですか。私は東洋ビジネスパブリッシングという出版社に勤めているんですけど、もしかしたら共通の知り合いが多いかもしれませんね」
 驚いているのは直樹だけではなかった。陽介も目を丸くしている。
「もう10年近く前になるけれど、私も東ビジにいたんですよ」
「えっ、本当ですか」
「希望退職制度に応募して辞めましたけどね」
「先輩だったのか……。あ、ナンバーを見て分かりましたよ。もしかして1964年生まれの55歳ですか」
「するどいね。私が生まれた年に作られた車なんですよ。あなたは誰と同期だろう?」
「実は中途採用で3年前に入ったところだから、詳しくなくて」
 恵利は置き去りにされて、いつの間にか二人の男で話が盛り上がっている。やがて恵利を巡って争う関係になるとは、想像できなくて当然だった。
(つづく)
(初出:2019年12月)
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登録日:2019年12月22日 12時00分
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