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寺尾豊
著者:寺尾豊(てらおゆたか)
1958年東京生まれ。千葉大学工学部画像工学科卒。子供の時からの夢は作家だったが、文学部に進学することを父親に反対され理系の道へ。卒業後、結局エンジニアにはならず、文章を書く仕事につくため日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社。日経パソコン、日経デザインなどの雑誌で記者や副編集長を務める。映像部に異動後も、日経ビジネスアソシエでエッセーを連載していた。2009年末に退社してからはフリーの映像制作者。
小説/現代

ドーブブルーに街は暮れて(2)

[連載 | 連載中 | 全6話] 目次へ
初めて行くレストラン――ではなかった。走りゆく陽介のワーゲンバスを目で追いつつ、恵利は直樹とのなれそめを思い出していた。
 まだ話していたそうな直樹の腕をつかみ、恵利は自分のほうに引き寄せる。
「私、お腹空いてきたから、もう行こうよ。それに寒いし」
「分かったよ。名刺交換だけでもさせてくれ」
 直樹は口を尖らせながらも、恵利の言葉に従うことにした。直樹の言葉を聞いた陽介が頭を下げる。
「ごめんなさい。今日は名刺を持って来ていないんです。竹田陽介と言います」
「そうですか、私は東ビジの藤岡です」
 直樹が差し出した名刺を、陽介は丁重に受け取った。しばらく眺めた後、車の中からカバンを取り出し、その中にあった文庫本に挟んでしまった。恵利は陽介の態度に好感を持った。普通ならポケットにねじこんでもいいような状況なのに、ぶしつけな後輩にも紳士的に接している。もう少し話していても良かったかなと思い直している。
「さあ、ランチに行こう」
 いつも直樹の切り替えは早い。陽介への挨拶もそこそこに、恵利を置いて、自分の車へと歩き始めている。あわてて後を追う。恵利は陽介のほうを振り返り、会釈をしようとした。そのとき、自分の後ろ姿をじっと見つめていたらしい陽介の視線に気付く。自分の頬が北風のせいではなく、赤らむのを感じる。気付かれたくなく、軽く頭を下げてから、すぐに直樹のほうへと向きを変えた。もう一度、振り返りたい気持ちを抑えながら、大股で進む直樹を追いかけた。
「寒かったね。ごめん、付き合わせて。ここからすぐのところにいいレストランがあるから」
「ううん、大丈夫。何の店なの?」
「着いてからのお楽しみ。少しだけ急な斜面を登るけどね」
 どこの店に行こうとしているのか、恵利にはすぐ分かった。離婚後に付き合った男に連れて来られたことがある。江の電の線路を渡り、階段を上り、バナナの木が生い茂る斜面の上にあるイタリア料理店だ。
 道路脇の専用駐車場に車を止めて、電車が来ないことを確かめてから線路を渡る。一つの儀式のような手順。隠れ家に向かうような高揚感。二人の距離を縮めるには好都合だろう。だが、すでに経験済みでは、効果が期待できない。おそらく直樹も、別の女性とここに来たことがあるだろう。自分は知らないふりをすべきか恵利の心は揺れた。
 やっと店の入口にたどり着く。二人とも息が切れている。室内の席も用意されているが、屋外のテラス席にしか客はいない。ここはどんなに寒くても、風を感じながら食事をすることが最大の売り物だ。目の前に葉山と江ノ島を結ぶ水平線が、なだらかな弧を描いて一面に広がる。江ノ島に近い沖の部分が、スポットライトを浴びたように再び光りはじめた。
「うわー、きれいだなあ」
 2度目の訪問にも関わらず、恵利は思わず感動を口にしてしまう。
「だろ? しかも美味しいんだぜ」
 ストーブに近い席に案内されたので、それほど寒さは感じない。ブランケットも用意されている。直樹は恵利が止めるのも聞かず、グラスワインの白を注文した。昼なので取り締まりもなく、帰る頃には醒めるというのが理屈だ。
 運転することもなく、飲んでも構わなかった恵利だったが、あえて自分は注文しなかった。何が引っかかっているか分からないものの、昼飲みを楽しむ気分にはならなかった。結局、初訪問のふりを通すことにした。
 134号線が空いているのが分かる。有給休暇を使ったかいがあった。先ほどまでいた七里ケ浜の駐車場に目をやる。小さく青い車が見えた気がするが、陽介の車かどうかは判断つかない。
「恵利は目が悪いからなあ。さっきのワーゲンバスなら、ここから見えているよ」
 どうやら直樹に見透かされていた。
「海の色のように、ポツンと青く見える車がそうなの?」
「ドーブブルーって言うんだよ。くすんだ青。ブルーグレーと言い換えてもいいかな。俺もバスが欲しくて、ずいぶんと中古車店に通ったからなあ」
「へえ、知らなかった。買えばよかったのに」
「いい状態のものがなかったんだよ。なにせ50年以上過ぎたものばかりだからね。たまにきれいなものがあると、めちゃくちゃ高いんだ。さっきの人のバスは500万円くらいしそうだな」
「ああ、竹田さんね」
 名字が出てきたことに、意外だという顔をして直樹が恵利のほうを向く。
「渋いイケメンだから好きになっちゃったの?」
「まさか、ただ、覚えていただけ」
「そうかなあ、俺のときなんてさ、初めて一晩過ごした後も、名前を覚えていなかったからね」

 恵利の頭の中に、2年前のことが浮かぶ。友達に誘われて、20人ほど集まる飲食会に参加した。そのとき斜め前の席に座ったのが直樹だった。最初から積極的で、途中から自分の隣に席を移動してきた。飲み放題プランということもあり、ビールに始まり、ついワインを4杯ほど飲んでしまった。酒には強いほうだったが、さすがに自宅から遠い吉祥寺だけに不安を感じていた。まあ、いざとなれば友達の佳子とタクシーで帰ればいいと気軽に考えていた。
「恵利、ごめんね。私、先に行くね。会費渡すから払っておいて」
 締めの玉子かけご飯を食べている途中で佳子が帰り支度を始めた。
「え? どうしたの」
「カレから呼び出された。女子会だってウソついて来たから急いで戻らなくちゃ」
 会がお開きになったのは23時過ぎだった。幹事の段取りが悪く、会計に時間がかかってしまった。急いで駅に向かおうとする恵利を、直樹が呼び止める。
「同じ方向だから一緒に帰ろうよ」
 少し軽いところのある男だと思っていたが、自分に熱心に話しかけてくるのは嫌ではなかった。酔いも手伝って、素直に応じることにした。
「分かった。でも終電も近いから少し急ごうよ」
「大丈夫、いざとなればタクシーで送って行くよ」
 佳子と割り勘で乗るのと違って、懐が痛まないと恵利はとっさに思ってしまった。
「本当に? わかった。どうせ明日は土曜日だし、ゆっくり帰りましょ」
「やったー」
 直樹が少年のようにはしゃぐ。自分も大学生時代に戻ったような気持ちになる。なつかしい光景がよみがえる。
「ここ雰囲気がいいバーなんだよ。一杯だけ寄っていこう」
 駅まで歩いてもう少しのところで直樹が一軒の店の前で立ち止まった。
 もしかすると親密になるのではないかという予感が、恵利になかったと言ったらウソになる。だが、20年近く前と同じように、積極的にせまってくる男の存在が、自分を若返らせてくれる錯覚に陥った。
 バーの重い扉を開いたとき、恵利の中で覚悟が生まれた。浅い夢を何度も見ているようなふわふわした気分は久しぶりだ。体の奥が熱くなっているのを感じた。
(つづく)
(初出:2019年12月)
登録日:2019年12月22日 12時00分
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