騒人 TOP > 小説 > 現代 > ハザードランプはつけたままで(16)
寺尾豊
著者:寺尾豊(てらおゆたか)
1958年東京生まれ。千葉大学工学部画像工学科卒。子供の時からの夢は作家だったが、文学部に進学することを父親に反対され理系の道へ。卒業後、結局エンジニアにはならず、文章を書く仕事につくため日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社。日経パソコン、日経デザインなどの雑誌で記者や副編集長を務める。映像部に異動後も、日経ビジネスアソシエでエッセーを連載していた。2009年末に退社してからはフリーの映像制作者。
小説/現代

ハザードランプはつけたままで(16)

[連載 | 完結済 | 全33話] 目次へ
奈津美を銀座のバーに案内し、いい雰囲気でお酒を飲むふたり。そのころリコは客のマンションにいた。
 奈津美は安い店でいいと言ったが、内村は銀座のバーに案内した。雑居ビルの8階にある保志はエレベーターを降りるとすぐに店になっている。バーカウンターはエントランスから死角で、それでもエレベーターの到着に気づいたバーテンダーから元気のいい声がかかる。
「いらっしゃいませ」
 暗がりを左に折れて店内へと進むと、バーにしては珍しいぐらいに明るい。白いバーコートをピシッと着こなした店長の杉谷が笑顔で迎える。切れ長の目と七三分けが真面目な性格を強調している。
「内村さん、久しぶりですね」
 杉谷の目が三日月形になる。満面の笑顔で迎えられ、内村もうれしかった。カウンター中央の席に座る。金さえあれば、毎日のように通いたいぐらいだ。
「貧乏なんでね。すっかり、ごぶさたしてしまったよ」
「いやいや、何を言っているんですか。早速ですが、お食事はしていらっしゃいましたか?」
「いや、まだだよ。奈津美ちゃん、嫌いなものはあるかな?」
「パクチー以外なら何でも食べます」
「そうか。じゃあ、任せてもらっていいかな……。馬刺しとハンバーグ、それにソーセージ盛り合わせをもらおうかな」
「おっと、内村さん得意の肉づくしですね。かしこまりました。ハンバーグはお取り分けしますか?」
「ああ、頼むよ」
 奈津美はきょろきょろしていた。L字型に曲がっているカウンターの奥に、サラリーマン風の男性が一人で飲んでいるほかは、客の姿は見当たらない。それに対して店員の数は多い。杉谷を含めて白いバーコートを着たスタッフが3人、そのうち1人は女性だ。さらに厨房とカウンターの中を忙しく往復している黒いベスト姿の男性店員がいる。カウンターに座れるのは10人。テーブル席を入れても16人で満席となる。奈津美が友人と良く行く店は、注文してもなかなか店員が気付いてくれないのと比べて、このサービス過剰ぶりはどうだ。
「リョータさん、なんだか緊張しますね」
「えっ? 大丈夫だよ。こう見えてもカジュアルな店だからさ。夏に短パンで来たこともあるぐらいさ」
 奈津美は内村の唇が動くのをぼんやり見ていた。よく見ると少しキラキラしている。自分の口紅が、キスしたことでついたに違いない。杉谷も気づいているはずだが、2人の関係を問いただすこともない。銀座のバーとしては当然の対応が、ようやく酒を飲める年齢に達した奈津美には不思議で仕方がなかった。
「さあ、何をお飲みになりますか?」
 杉谷がうやうやしくオーダーを取る。
「じゃあ彼女にはプリティーウーマン、俺はJFKで」
「かしこまりました」
 奈津美は内村の耳元でそっと尋ねた。
「プリティーウーマンって何ですか?」
 内村は温かいおしぼりで、自分の指を一本一本ていねいに拭きながら説明した。
「イチゴとシャンパンのカクテルさ。奈津美ちゃんにぴったりだよ」
 使い終わったおしぼりを内村は器用な手つきで畳んでいる。意外と長い指にリコは色気を感じる。1時間ほど前、渋谷のホテルで自分の胸を確かめていた内村の手の動きを思い出して、まだ飲んでもいないのに体の芯が熱くなる。こんなに早く関係が進展することに戸惑う一方で、もう自分にブレーキをかけられないと覚悟していた。
「そうそう、さっきの銀座線にリコがいたんだよ」
「えっ? 気づかなかったけれど…」
「隣の車両だった。こっちを見てにらんでいた」
「どういうこと?」
「よく分からない。もしかしたら、夕方の道のラッシュを避けて、電車でお客さんのところへ移動していたのかもね」
「そうではなくて、なぜ、にらんでいたのかなって」
「ジェラシーかな。君とおれが仲良さそうだったからじゃない」
「ねえ、本当にいいの? リョータさんはリコさんに会いたくて、いろいろ探していたんでしょ?」
「うん、その通りだよ。でも、奈津美ちゃんと過ごしていたら、なぜ、あんなに彼女にこだわっていたか分からなくなった。警察に連れて行かれるときに、なんだかもう2度と会えないような気がして、それがたまらなく切なかったのにね」
 人は失うことを恐れている。それでいて、満たされていることへの感謝を忘れてしまう。内村の気持ちは、だれもが持っている残酷な現実だった。
「そうか。そのうち、私も捨てられるのかな」
 奈津美がつぶやく。内村はすぐに否定したかったが、言葉が出てこなかった。口先だけで言っているように思われたくなかったからである。沈黙が続く。杉谷は雰囲気を察して、カクテルを出すタイミングを逡巡している。
「逆だろ。奈津美ちゃんが俺に愛想をつかすことになると思うよ。君には必ず次がある。俺には最後の恋かな」
 最後という言葉を聞いて、奈津美の心が揺り動かされた。本当に内村が自分をそう考えてくれているなら、ずっとそばにいてもいいとさえ思った。出会ってから数時間、しかもデリヘルという即物的なきっかけだったのにもかかわらずだ。いま奈津美が付き合っている男は、自分と別れても、すぐに次の彼女が見つかるだろうと考えていた。すらっとした美男子で、人当りがいい。奈津美は自分が相手にとって必要な存在なのかどうか、いつも気にしていた。別れ話を切り出しても、いまの彼氏は笑顔で送り出してくれそうな感じさえしている。
「困ったな。リョータさんのことを本気で好きになっている。簡単には捨てないで欲しいな」
 内村は思わず奈津美を見つめる。人目をはばからず口づけをしたくなる。ふたたび沈黙がおとずれた。ここぞとばかりに、杉谷がカクテルを差し出す。
「お待たせしました。プリティーウーマンです」
「わあ、すごくきれい。リョータさんが頼んだものは?」
「これから仕上げです」
 杉谷は軽く微笑みながら、まるで儀式のように、いくつものオレンジの皮を絞って、ショートグラスに注がれた液体に香りを付けている。最後に大きめの一片にライターを近づけると、ぼうっと火柱が立った。マジックさながらだ。奈津美は目を丸くして固まっている。
「すごいだろう。でも、見た目だけでなく、美味しいんだ」
「ねえ、私にも一口飲ませて」
「いいけれど、強い酒だから気を付けてね」
 なみなみと注がれた液体に、奈津美はそっと唇を寄せる。きりっと冷えたジンの味が口いっぱいに広がると、かっと熱くなって揮発してしまう。残されたのはジンにも負けないオレンジの香り。鼻孔をくすぐる余韻だけで酔いそうだ。JFKは保志オリジナルのカクテルで、ジョン・F・ケネディが生きていたら、こんなマティーニを飲んでいたに違いないという想像で作られた。
「美味しい。大人の味ね」
 つまらない感想しか言えなかったことに、奈津美は照れたようになって、目の前のプリティーウーマンを一口飲む。こちらも絶品には違いなかったが、内村の飲んでいるJFKの刺激の後では物足りなく思えてしまう。自分が内村に求めているものが何か分かったような気がした。
「二十歳でこの味が分かるのはすごいな。酒が飲めるというのは恋人として理想だね」
「リョータさん、相当の酒好きね。いろいろ教えてくださいね」
 いつもは内村と軽口を叩き合う杉谷が遠巻きにしている。内村がこの店に女性を連れてくるのは初めてではない。だが、こんなデレデレとした様子を見せたことはなかった。年齢差はあるものの、目の前の二人は微笑ましく思える。ひょっとしたら、結婚するのではないかと勝手に想像している。

 二人がかりそめの恋人から、確かな関係へと発展しつつあるとき、リコは客のマンションにいた。新橋で銀座線を降り、再び渋谷に戻ってピーチクッキーに出勤したのだ。
 ホームページのボカシが入った写真だけを頼りに自分を指名した客は、さきほどから「可愛い」を連発している。おそらく30代前半。いつも相手にしている男たちよりは若い。がっしりとした体つきで、目をつぶっていれば、本当の恋人に抱かれている気持ちになれた。
 だが、ねっとりとしたディープキスを何度も求められているうちに、温まりかけた心が急速に冷えていく。左手で胸を触る力が少し強い。かといって、たしなめるわけにはいかない。相手は客なのだ。ふと、相手が内村だったらと妄想する。乱暴な手の動きなのに、次第に快感へと変わる。つい、小声ではあるものの本気の声を出してしまう。調子にのった客は、デリヘルのルールを破って、リコの体の中に自分自身を挿入しようとしてきた。
「ちょっと、反則だよ」
 急いで体を起こして抗議する。客に悪びれる様子はない。
「分かったよ。いくらだったらいい? あと1万円?」
 リコは客の質問には答えず、携帯電話に手を伸ばし店へ電話する。客は呆然と見守るばかりだ。
「もしもし、お客さんが本番を要求しているんですけれど代わってもらえますか?」
 それだけ言うと、すばやく手を伸ばして客に電話を突きつけた。その勢いに押されて客は電話に出るしかなかった。受話器の向こうで竹川のすごんだ声が響いた。
「お客さん、困るね。うちはそういう店じゃないんだ。警察に連絡するぞ、こらっ」
「ごめんなさい」
 必死でそれだけ絞り出すように言うと、急いで服を着始めた。
「もうサービスはいいです。罰金として1万円差し上げますから許してください」
 リコは当たり前のように金を受け取ると、シャワーを浴びることもなく身支度を始めた。すぐにまた、シャワーを浴びることになるから構わないと判断したのだ。何度も頭を下げ続ける客の視線に応えることもなく、リコは乱暴にドアを閉めてマンションを後にした。
 いまごろ、内村がデート中かと思うと、むしゃくしゃした気持ちになる。いつのまにか満月が、南の空から自分を見下ろしていた。
(つづく)
(初出:2014年02月20日)
前へ1 ...... 13 14 15 16 17 18 19
登録日:2014年02月20日 14時48分
タグ : デリヘル

Facebook Comments

寺尾豊の記事 - 新着情報

  • ハザードランプはつけたままで(33) 寺尾豊 (2014年04月24日 13時37分)
    いちどは否定された内村とリコの関係。殺人教唆でつかまった祐太郎の告白。内村がかつて捨てた女との邂逅。ついに最終回を迎えたハザード。内村の想いが収束してゆく。(小説現代
  • ハザードランプはつけたままで(32) 寺尾豊 (2014年04月21日 23時42分)
    リコは取調室で覚悟を決め、素直に自白していた。奈津美に謝りたい一心だった。アリバイを作り、つかまらないよう周到に計画した渡辺だったが悪いことはできない。事件の顛末が明らかになる。(小説現代
  • ハザードランプはつけたままで(31) 寺尾豊 (2014年04月17日 12時37分)
    リコは内村と連絡を取った。復讐のため内村をも殺害しようとするが、真実が明らかとなり泣き崩れしかないリコだった。(小説現代

小説/現代の記事 - 新着情報

  • 園生に咲く花(7) 北見遼 (2016年08月13日 12時42分)
    事件が一段落つき、夜も明けようというころで気が付いた。「今日は受験日だった!」 焦る小紅をよそに姉の小百合は涼しい顔で飛ばしていた高速を降りる。そんなときが来た小紅の晴れやかな笑顔がまぶしい。園生に咲く花、最終章!(小説現代
  • 園生に咲く花(6) 北見遼 (2016年05月31日 14時28分)
    「見つけたわ!」深夜の高速道路を爆走するピンク色のワゴン車。誘拐犯の車を見つけた一行はカーチェイスの末、ついに犯人を追い詰める。重苦しい現場で露わになるそれぞれの想い。(小説現代
  • 園生に咲く花(5) 北見遼 (2016年05月12日 14時06分)
    誘拐犯と思わしき晴美――姉の旦那がかつてつき合っていた女性のアパートに雪崩れ込むがすでに空っぽだった。取り乱す姉に愕然とする小紅だったが、事態はそれどころではない。(小説現代

小説/現代の電子書籍 - 新着情報

  • オンラインマガジン『騒人』総集編  (2015年08月20日 17時44分)
    オンラインマガジン騒人に掲載の編集者オススメ作品と書き下ろし作品をまとめて発刊した投稿Web小説『Sohzine.jp』Vol.1から10までを一冊にしました。一巻ずつ購入するよりお得。単体で電子書籍化した「作家の日常」は小説家、阿川大樹氏の日常を公開。また、宇佐美ダイ氏の「LeLeLa」は、不思議な力を手に入れ吸血鬼となった男の対決を描く伝奇小説。眠太郎懺悔録シリーズの青島龍鳴氏「ファーストキスは鉄の味」、城本朔夜氏の電子書籍「イペタムの刀鞘」外伝など、充実した内容でお送りします。コメディや児童小説の他、時代小説、ファンタジー、笑える・泣けるエッセイまで、70作品を一気に楽しめます。(小説現代
  • 投稿WEB小説『Sohzine.jp』Vol.9  (2015年08月20日 17時29分)
    騒人編集部お勧め作品を掲載! 青島龍鳴氏『ファーストキスは鉄の味(前編)』は、退治屋不足のため狐の女王と取引をする帝家。眠太郎懺悔録シリーズ。樹都氏『ヤミネコ』。猫にまつわるあらぬ話。阿川大樹氏『作家の日常』では、お金にまつわる話しを赤裸々に告白。宇佐美ダイ氏『LeLeLa』。美智子は朋子に“気”を扱うための栓を抜かれるが……。綺羅星沙々羅氏『太陽は君に輝く』はククルの森に入った一行の前に難敵が出現。南川純平氏『ポトゲラヒ』。下田にやってきた久之助は写真術を学ぶ機会を得る。いちばゆみ氏『ゆうきゃんの人生迷走案内』。電車で見たポスターに思い出したのはカオルくんのことだった。あのとき、何が出来たろうか? (小説現代
  • 投稿WEB小説『Sohzine.jp』Vol.8  (2015年08月20日 17時24分)
    騒人編集部お勧め作品を掲載! 浅川こうすけ氏『恋人ボックス』。モニターに映し出された恋人、デアルを独り占めしたい村木は作戦を練る。天野雅氏『永遠の海』。中学三年の千彩子。案内された崖の上。彼女の計画とは? 阿川大樹氏『作家の日常』は編集者との出会いについて。宇佐美ダイ氏『LeLeLa』は逃げ出した美智子の前に“新人類”を称する吸血鬼が現れる。綺羅星沙々羅氏『太陽は君に輝く』では、貴族と一般人の混合チームで試験に挑むことに。新連載、南川純平氏『ポトゲラヒ』は日本における写真の開祖、下岡蓮杖の青春を描く。おおみち礼治氏『宣う躰 キンタマチェック』は当時十六歳だった著者の入院録。今号も面白いに決まってる! (小説現代

あなたへのオススメ

  • ハザードランプはつけたままで(33) 寺尾豊 (2014年04月24日 13時37分)
    いちどは否定された内村とリコの関係。殺人教唆でつかまった祐太郎の告白。内村がかつて捨てた女との邂逅。ついに最終回を迎えたハザード。内村の想いが収束してゆく。(小説現代
  • ハザードランプはつけたままで(32) 寺尾豊 (2014年04月21日 23時42分)
    リコは取調室で覚悟を決め、素直に自白していた。奈津美に謝りたい一心だった。アリバイを作り、つかまらないよう周到に計画した渡辺だったが悪いことはできない。事件の顛末が明らかになる。(小説現代
  • ハザードランプはつけたままで(31) 寺尾豊 (2014年04月17日 12時37分)
    リコは内村と連絡を取った。復讐のため内村をも殺害しようとするが、真実が明らかとなり泣き崩れしかないリコだった。(小説現代