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寺尾豊
著者:寺尾豊(てらおゆたか)
1958年東京生まれ。千葉大学工学部画像工学科卒。子供の時からの夢は作家だったが、文学部に進学することを父親に反対され理系の道へ。卒業後、結局エンジニアにはならず、文章を書く仕事につくため日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社。日経パソコン、日経デザインなどの雑誌で記者や副編集長を務める。映像部に異動後も、日経ビジネスアソシエでエッセーを連載していた。2009年末に退社してからはフリーの映像制作者。
小説/現代

ハザードランプはつけたままで(17)

[連載 | 完結済 | 全33話] 目次へ
どうしてすぐに内村のところに向かわなかったのか……後悔するリコ。電車の中で向けた殺意は奈津美に対するものであった。一方、奈津美はつきあっていた彼氏に別れ話を告げる。
 日付が変わる。リコは家に帰って眠りたかったが、竹川から「あと一人だけお願い」と連絡をもらい断れなかった。ピーチクッキーのドライバーは仕事を終了しており、客のマンションがある中目黒からタクシーで渋谷まで向かう。時折、ルームミラー越しに運転手の視線を感じる。深夜、渋谷のホテル街まで向かう若い女性は、好奇心の対象でしかなくて当然だろう。自分からデリヘル嬢であることをカミングアウトしなくても、世間に伝わってしまう機会は少なくない。ホームページの写真にボカシを入れて、身を隠していることがリコには無意味に思えてくる。少なくともこれまで相手にした客の脳裏には、風俗嬢として自分の姿が刻まれている。すべてを削除して新しい人生を歩むのは不可能だ。
 渋谷の交差点は終電を前に、多くの人でごった返している。こんな時間にいるはずがないのに、内村の姿を探してしまう。なぜ、もったいぶったことをせず、警察から解放されたらすぐに彼のマンションへ向かわなかったのだろう。内村が自分に好意を抱いていることを確信したリコは、さらに彼の気持ちを高まらせようとして、あえて1週間消息不明となった。ところが、その間に新たな女が入り込んだ。リコは内村が奈津美と知り合ったいきさつを知らない。おそらく風俗とは無縁で、小さな幸せに鈍感なタイプに違いないと、リコは奈津美のことを決めつけていた。彼女の存在が自分の人格を否定しているような気にさえなる。できれば、この世から姿を消して欲しい。銀座線の中で内村に伝えた殺意は、奈津美に向けたものだった。
 同じ頃、内村は銀座のバーで会計を頼んでいた。2人で2万8600円。さすがに飲み過ぎた。カードで支払いを済ませると、カウンターでうつぶせになって眠っている奈津美を起こして銀座線へと向かう。奈津美の足取りはおぼつかない。本来ならタクシーに乗りたいところだが、これ以上の出費は避けたかった。デニムのショートパンツ姿の若い女性が、年配の内村にぶら下がるように歩いている様子を、すれ違う男たちは目をそらして見ないようにしている。渋谷では無遠慮な視線がつきささったが、大人の街である銀座では、ホームレスを避けるかのごとく、内村と奈津美の組み合わせはないものとして片付けられている。落とし穴にはまった男に救いの手を差し伸べるほど、勝ち組の企業戦士たちは暇ではない。
 そんな3人にも平等に朝はやってくる。時刻は午前10時。3人とも昨晩の余韻の中で、静かな寝息を立てていた。
 最初に目を覚ましたのは奈津美だった。頭痛がする。いつもとは違う景色に、あわてて周りを確かめれば内村の部屋だった。銀座のバーを出たところから、奈津美は記憶がはっきりしない。二日酔いは初めての経験だった。すぐ自分の隣で、内村が裸でうつぶせになって寝ている。気がつけば自分も全裸だった。5月にしては夜が寒く感じられて、内村にしがみつくような格好だった。
 起こさないようにそっと布団を抜け出す。奈津美が着ていた服は枕元に整理して置いてある。内村が畳んでくれたのだろうか。自分で整えた覚えがない。スマホが重しのように服の上に置かれている。着信を告げるランプが点灯しており、確かめてみれば、同棲している彼から午前0時過ぎのコールだった。その後も5回の着信履歴がある。バイブレーションにしていたが、まったく気づかなかった。ふたたび、内村が眠っているのを確かめる。聞こえないようなところで電話だけでもしたい。下着だけを身につけ、忍び足でトイレへと向かい彼へ連絡することにした。
「ゆうちゃん、いま電話いいかな?」
「なっちゃん、おはよう。昨日、帰って来なかったね。いま、どこ?」
「友達の家。ごめんね。お酒飲まされて、酔っぱらっちゃって、そのまま寝てしまったの」
「もしかして花歩のところかな。あれ? 少し風邪気味だね。声がかすれているよ」
「花歩のところじゃないんだ。ゆうちゃんの知らない子のマンションにいるの。声がおかしいのは起きたばかりだからじゃない。あのね、夕方までには帰るけれど、ゆうちゃんにお話ししたいことがあるんだ」
 戸川奈津美の恋人は渡辺裕太郎という。奈津美とは大学の歴史同好会の活動を通じて知り合った。祐太郎は慶応大学文学部の3年生で、奈津美は千葉大学教育学部の2年生。奈津美と高校時代の同級生の阿部花歩が慶応に通っていて、その縁で他校の同好会に入ることになった。
 祐太郎は三重県津市の出身で、六本木のワンルームマンションで一人暮らしをしている。裕福な家に育った一人っ子で、はっきりとした二重の目と細身ながら筋肉質の体は誰の目にもイケメンに映る。奈津美は最初、祐太郎のことを警戒していた。ハンサムというだけで浮気者に思われるのは、女に溺れて人生を台無しにしないようにと、神から与えられた試練である。事実、不細工だが気が利く男の方が、何人もの美女を自分のものにしている。世の中は意外と公平なのだ。
 奈津美は千葉県稲毛市のマンションに住んでいるが、ほとんど帰ることはなく、たいていは祐太郎のところから大学まで通っている。奈津美の実家は八王子からバスで15分ほどのところにあり、親からは千葉大まで自宅から通えとうるさく言われていた。2時間以上の通学時間が1時間半足らずになったと思えば苦ではなく、朝早い授業があるときだけ、稲毛のマンションに泊まる生活を続けていた。
 二人が深い仲になったのは祐太郎の作戦がうまくいったからだ。1年ほど前、渋谷で開かれた歴史同好会の飲み会の帰り、奈津美はうっかりして終電を逃してしまった。いつもなら自由が丘に住む花歩のところに泊まることにしていたが、その日は途中で気分が悪くなり早めに帰ってしまっていた。奈津美は「朝までカラオケボックスで過ごすから」と宣言した。もしかすると、3人残っていた女性メンバーの誰かが「それならば、うちに泊まりなよ」と言ってくれることを期待したのだ。だが、花歩のように昔からの付き合いでない彼女たちの態度は冷たかった。「そう、じゃあね」とだけ言い残して帰ってしまった。奈津美が誰よりも美人であることに嫉妬していたのだ。困惑顔の奈津美に「俺がカラオケにつきあうよ」と祐太郎が声をかけた。他の男性メンバーは「じゃあ、任せたぜ」と意味ありげな微笑みを浮かべながら去って行った。
 それから二人で、何軒もカラオケボックスを回ったが、みな考えることは一緒で、始発電車待ちの客でどこも満室だった。祐太郎は「タクシーに乗って六本木に行こう。心当たりがあるから」と提案した。彼の住まいがある六本木であることに、少し胸騒ぎを覚えたが他に選択肢はなく、一緒に行動することにした。しかし、六本木でも空いているカラオケボックスはなかった。
「仕方ないな。俺んちに来る? 大丈夫だよ、俺はソファーに寝るから」
 奈津美は覚悟を決めた。十分、予想できた結果だった。それに祐太郎に彼女がいないらしいことは知っている。深い関係になったとしても、すぐに捨てられることはないだろうと自分に言い訳をしていた。
 マンションのエレベーターに乗り込んだときから、奈津美の胸の鼓動はさらに速く大きくなっていて、祐太郎に聞こえてしまうのではないかと気にしていた。11階に着いてエレベーターを降りる。奈津美が住んでいるマンションとは違い、共用スペースにもカーペットが敷かれていた。祐太郎は鍵を開けると、まず奈津美が先に入るように促した。靴を脱ごうとしている奈津美に、扉を閉めたばかりの祐太郎が抱きつく。すぐにキスを迫られる。顔を下に向けて逃れようとしたが無駄な抵抗だった。奈津美があきらめたのを感じ取って、祐太郎は彼女を抱き上げてベッドまで運ぶ。
 最初は荒っぽく迫っていた祐太郎だったが、奈津美が処女であることを知ると、とたんに優しくなった。長い時間をかけて祐太郎は奈津美の中に入り、終わってからもずっと抱きしめていた。奈津美に後悔はなかった。
 次の日から奈津美と祐太郎は半同棲生活を始めた。毎晩のように祐太郎は奈津美の体を求めたが、1週間が過ぎる頃から次第に回数は減り、半年後には月に1度あればいいぐらいになった。ある日、祐太郎の帰りが遅いときに、パソコンの検索履歴をチェックしてみると、自分がいない間にアダルトサイトを見ていることが分かった。奈津美とは全くタイプが違う胸の大きな女性が出演する動画ばかりを、祐太郎は好んで視聴していた。ジェラシーを感じるというより不安で胸が締め付けられた。自分には性的魅力が不足しているのだろうか。祐太郎に直接尋ねる勇気はなかった。
 風俗でアルバイトをしようと大胆な結論を奈津美が出したのは、それから10日ほど経ってからだった。祐太郎には聞けないが、他の男なら確かめられそうな気がしたのだ。ただ、実際にホテルへ派遣されてみると、見知らぬ男性にサービスする勇気は出なかった。まさか、その最初の客であった内村と深い関係になり、祐太郎と別れようと決意するまでになるとは想像していなかった。
「なっちゃん、もしかして別れ話じゃないよね」
 電話の向こうの声で我に返る。なぜ祐太郎が奈津美の心の変化を読み取れたかは分からない。奈津美は何か話そうとしたが言葉にはならなかった。
「やっぱりね。そんな気がしたんだ。まあ、ゆっくり話そう。今日は家庭教師のアルバイトがあって、家には21時半頃に戻るから、それからでいいかな。ねっ、問題ないよね」
 奈津美はなるべく、早い時間帯に話をしようと思っていた。深夜近くの話し合いは感情的になるものだ。だが、祐太郎の口調はいつになく威圧感があり、しぶしぶ承諾した。別れるなら少しでも早いほうがいい。1日伸ばしにしたくなかった。奈津美は二股の期間を作りたくないと思っていたのだ。
 電話を切って寝室に戻ると内村が目を覚ましていた。
「おはよう。大学は行かなくていいのかな?」
「おはようございます。頭が痛くて無理みたい」
「ああ、二日酔いだね。やめろって言ったのに、最後にJFKを飲むんだって人の言うことを聞かなかったからな」
 昨晩の光景が少しだけよみがえってくる。ショートグラスになみなみと注がれたカクテルを二口飲んだあたりから、奈津美の記憶は途絶えていた。内村はやさしい笑顔を浮かべながら尋ねた。
「大丈夫? 気持ち悪かったのかな。トイレから声がしていたから」
「違うの。本当のことを話すと、彼に電話をしていたんだ。ちゃんと別れようと思って……」
「ということは本気で俺とつき合うつもりと受け止めていいかな?」
「うん、お願いします」
 それだけ言うと、奈津美は内村の布団に飛び込んだ。内村はすぐに体勢を反転させて奈津美に覆いかぶさる。下着を取るとカーテン越しの柔らかい日差しの中で、白い胸があらわになった。内村はゆっくりと唇を寄せた。
 奈津美は恥ずかしくなかった。内村が胸の大きさを気にしていないことが、言葉ではなく態度で伝わってきたからだ。
「やっぱり、きれいだな」
 いつのまにか内村が奈津美の胸をじっくりと見つめていた。首に手を回して奈津美は自分の胸に内村の頭を密着させる。内村は少し強い力で奈津美を抱きしめた。息苦しさが内村の愛情の深さと比例しているように感じられる。これから大きな事件に巻き込まれることになるとは思えないほど、二人にとって幸せな瞬間だった。
(つづく)
(初出:2014年02月24日)
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登録日:2014年02月24日 19時17分
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