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寺尾豊
著者:寺尾豊(てらおゆたか)
1958年東京生まれ。千葉大学工学部画像工学科卒。子供の時からの夢は作家だったが、文学部に進学することを父親に反対され理系の道へ。卒業後、結局エンジニアにはならず、文章を書く仕事につくため日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社。日経パソコン、日経デザインなどの雑誌で記者や副編集長を務める。映像部に異動後も、日経ビジネスアソシエでエッセーを連載していた。2009年末に退社してからはフリーの映像制作者。
小説/現代

ハザードランプはつけたままで(21)

[連載 | 完結済 | 全33話] 目次へ
彼と別れ、内村の所に戻った奈津美だったが、元彼は執拗だった。さらなるトラブルを予感させる展開に……。
 スマホのアラームが鳴る。時刻は7時40分。奈津美はそっと布団を抜け出す。内村はうつぶせになって寝ている。何時に帰ってきたのかは知らない。奈津美が深夜に一度目を覚ました時は姿がなかった。仕方なく内村の代わりに枕を抱いて寝た。
 今日の2時限目には体育の授業がある。この単位を落としたのでは、専門課程に進んでからスケジュールを組むのが難しくなる。昨日に続いて自主休講にしたいのが本音だったが、奈津美は力を振り絞って出席することにした。麻布十番から西千葉までは1時間以上かかる。大学に着いてからグラウンドに出るまでの時間などを考慮すれば30分後にはマンションを出たかった。少しあせりながら着替えていると、内村が目を覚ました。
「おはよう。今日は大学へ行くのかな……」
 奈津美に話しかけてから、内村の表情は固まった。視線の先は奈津美の胸だった。ブラジャーで隠されていない部分に、キスマークを発見したからだ。もちろん自分がつけた覚えはなく、祐太郎との間で何かあったことは確かだ。内村の視線を感じて、奈津美もすべて伝わってしまったことを悟った。
「ここから大学まで時間がかかるだろう? 気を付けていってらっしゃい」
 内村は何も咎めなかった。その優しさが奈津美にはつらかった。
 いっそのこと問い詰められたほうが楽だったかもしれない。内村と深い関係になった後に、つまらないセックスを過去の男としてしまったことに自己嫌悪している。そこに自分の意志はなかったとしても、内村に申し訳ない気持ちでいっぱいになっていた。
「彼とはもう会わない。ずっとリョータのそばにいる」
「そうか、ありがとう。俺も奈津美のそばにいるよ。そうだ、一度写真を撮らせてくれないかな?」
 内村は話題をそらそうと思いつきで提案をした。
「えっ? もしかしてヌードとか……」
「ハハハ、裸じゃなくてポートレートだよ。奈津美のきれいな顔をカメラに収めたくなった」
「うれしいなあ。だったら、あさっての土曜日はどう?大学の授業もないし」
「いいね。ピーチクッキーからも、リコが出勤しない日は忙しくないから来なくていいって言われているんだ。土曜は俺も大丈夫だ」
 リコという言葉に奈津美は少し反応したが、内村とリコの仲に嫉妬する資格なんてないと考え直し、すぐに笑顔に戻った。
「ねえ、良かったら私の実家に行かない? 近くには秋川渓谷もあって、撮影場所選びには苦労しないと思うよ」
「えっ? 奈津美のご両親にも会うってことかな」
「だめ?」
「いいや、俺たちの関係を知ったら、お父さんがさぞかし怒るんじゃないかなと想像してさ……。お父さんっていくつかな?」
「リョータと同じかな」
「そりゃあ怒るだろうな。俺だって自分の娘から、俺と同じ年の男を彼氏だと紹介されたら、殺したくなるかもしれない」
「本当のことを言わなければいいでしょ。少しずつ我が家と打ち解けて、それから実は彼だって紹介する」
 内村は黙ってしまった。奈津美は意外と大胆なところがある。外見のクールな美しさで、ごまかされているのかもしれない。
「分かった。奈津美の実家へ行こう。お父さんはお酒を飲むかな?」
「全然飲めないよ。ビール一杯で赤くなっている。お母さんは大丈夫だけれどね」
「そうか、手土産に何がいいかを考えていたんだけれどね。お菓子にしようかな」
「リョータって意外と細かいね。大丈夫だよ、何も持っていかなくても。私がお世話になっているカメラマンさんで、特別に写真を撮ってもらえることになったからと言って紹介するから。そういうカメラマンの先生が手土産を持ってくるなんて、おかしいでしょ?」
「まあね。でも、ジャケットぐらいは着て行こうかな」
「しょうがないな。もう任せます。私は大学へ行かなくてはならないから、続きは帰ってからね」
 そう言い残すと元気よく奈津美はマンションを飛び出していった。早朝4時過ぎに戻った内村に、再び睡魔が襲う。まだ見たこともない奈津美の父に、にらまれている夢を何度も見る。仕舞いにはナイフを取り出し、内村に斬りかからんばかりの勢いだ。どこかで見たことがある。誰だろう。マンションのエントランスで対峙したリコのストーカー男と同一人物だった。汗びっしょりになって目を覚ます。まだ10時になっていない。
 もう一度、眠ろうとしても無理だった。布団を片付け、コーヒーメーカーのスイッチを入れる。パスタでも食べようと流しの上の棚を開けると、ボロネーゼソースのレトルトパッケージが一つ減っている。乾麺の袋もきちんと畳まれてはおらず、戸棚の隙間からいつも使っている洗濯バサミが見つかった。最初は何が起きたか分からなかった。どうやら奈津美の仕業らしいと気付いたのは食べ始めてからだった。
 そのとき、来客を告げるチャイムがなる。モニターに若い男の姿が写っている。
「すみません。お届け物なのですが、高橋さんで間違いないですか?」
「いいえ、内村ですけど」
「失礼しました」
 内村は知る由もなかったが、マンションの下に立っていたのは渡辺祐太郎だった。昨晩、奈津美が帰り支度をしているとき、寝たふりをしていた。彼女はきっと、新しい彼のもとへ帰るに違いないと考えて様子をうかがっていた。奈津美が扉を閉めたのを確認して、飛び起きて後を追った。彼女がシャワーを浴びている間に、身支度を済ませて布団にもぐっていたのだ。機転が利くというよりは、奸計をめぐらすことが得意だった。
 奈津美は泣き続けていて、すぐ後ろから祐太郎がつけていることに全く気付かなかった。土砂降りの雨も祐太郎にとっては幸いだった。晴れの日と違って、視界が狭くなる。気配を消すのに好都合だ。
 麻布十番のマンションに着く。少し離れたところで祐太郎は奈津美の様子を観察する。バッグの中からカギを取り出し、慣れない手つきでオートロックを解除している。すでに合鍵を男から渡されているらしいことが、祐太郎にはショックだった。だが、いまは落ち込んでいる場合ではない。奈津美がどこへ行こうとしているかをピンポイントで確かめる必要がある。
 ガラス扉が自動で閉まる直前に、祐太郎はエントランスへ駆け込んだ。前を行く奈津美から見つからないように郵便受けの方へ向かい、エレベーターの扉が閉まるのを確認してからエントランスホールに戻る。エレベーターのサインを見て奈津美が7階で降りたことを確認する。それから自分もエレベーターに乗り込み7階のフロアまで上がった。ワンフロアに8室ある。その中で雨に濡れた足跡が続いているのは702号室だった。残りの部屋は、ここしばらくの間、人が出入りした様子がない。詳しくは翌日確かめることにして、六本木のマンションへと祐太郎は帰ることにした。
 それからは不思議な興奮で眠れなくなった。いとも簡単に奈津美の新しい男の住み家が分かったことがうれしい。次は男の苗字だけでも知りたい。木曜日は千葉大で体育の授業がある日だ。おそらく奈津美は8時過ぎにマンションを出発するだろう。祐太郎の読みは完全に当たっていた。
 午前7時50分。昨晩と同じマンションの下に祐太郎の姿があった。物陰で奈津美が出てくるのを待つ。8時半近くになって、長袖のポロシャツにデニムのミニスカート姿で奈津美は現れた。声をかけたくなるのを我慢して、彼女が道の向こうへと消えたのを見届けると、702号室のインターホンを押した。あとは適当な名前を言えば、相手から名乗るだろう。実際にその通りとなり、祐太郎は奈津美の新しい恋人が内村という名前であるという情報を得た。
 次第に笑いがこみあげてくる。昨晩、2人はセックスをしただろうか。もし、そうだとしたら奈津美の胸に残されたメッセージを、内村という男はどう受け止めたのだろう。嫉妬で激しく彼女の体を求めたかもしれない。昨日まで、自分の女だった奈津美が、別の男に抱かれている姿を想像して、祐太郎は激しく興奮していた。
 あせらなくていい。自分を簡単に捨てた女に復讐するチャンスは必ずやってくる。それよりも、この欲求を処理しなければならない。六本木のマンションに戻って、デリヘル嬢でも呼ぼうかという気分になった。先日、チェックしたサイトで、ピーチクッキーという店のいずみという女の子に目星をつけていた。
 祐太郎好みの巨乳で愛嬌がいいらしい。奈津美が昨晩見せた悲しい顔を思い出しながら、たっぷりとサービスしてもらうのも悪くない。自宅から近いインターコンチネンタルホテルでゆっくりと朝食を取りながら、受け付け開始時間を待つことにした。大学はさぼるつもりだ。奈津美のことを知る仲間と顔を合わせたくなかったからだ。
 昨晩までの雨が上がり、五月晴れの一日となりそうだ。気温はぐんぐんと高くなっていた。
(つづく)
(初出:2014年03月10日)
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登録日:2014年03月10日 20時32分
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