騒人 TOP > 小説 > 現代 > ハザードランプはつけたままで(22)
寺尾豊
著者:寺尾豊(てらおゆたか)
1958年東京生まれ。千葉大学工学部画像工学科卒。子供の時からの夢は作家だったが、文学部に進学することを父親に反対され理系の道へ。卒業後、結局エンジニアにはならず、文章を書く仕事につくため日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社。日経パソコン、日経デザインなどの雑誌で記者や副編集長を務める。映像部に異動後も、日経ビジネスアソシエでエッセーを連載していた。2009年末に退社してからはフリーの映像制作者。
小説/現代

ハザードランプはつけたままで(22)

[連載 | 完結済 | 全33話] 目次へ
複雑な思いを抱えて、リコは仕事に向かう。また祐太郎も、あっさりと別れて別の男の家で暮らす奈津美に憤りを覚えていた。
 内村はベランダに出て深呼吸をした。初夏の風が吹いている。青空は高く、小さな雲が南に一つあるだけで、どこまで見渡しても気持ちよく澄んでいる。自分の幸せを肯定するような天気だ。奈津美は自分を家族へ紹介しようとしている。バツイチで30歳も年上の男との結婚が簡単に許されるとは思えないが、それでも彼女の気持ちがうれしかった。
 スマホが着信を告げる。リコからだった。
「リョータ、元気?」
「ああ、リコはどうだ?」
「私も元気だよ。竹川さんから電話があって、最初のお客さんは六本木なんだって。私、自宅から地下鉄で行くから、迎えにこなくていいよ」
「えっ、なんで?」
「天気がいいから、少し早目にぶらぶらしながら行こうかなと思って」
「そうか、じゃあ接客が終わるまでに、車で乗りつけるよ」
「うん、だから家でゆっくりしていてね」
「ありがとう」
 リコとの距離も確実に縮まっている。奈津美とは違って、どちらかと言えば親子のような関係だ。親しげに会話をするが、どこかで気を遣いあっている。そう考えると、奈津美とリコの間に、対立関係が生まれるのも無理はない。いわばリコは小姑のような立場で、奈津美が気に喰わないのだろう。
「お客さんのマンションの場所だけ伝えておくね。えーとね、六本木通り沿いだって。歩道橋が近くにあるみたい」
「昨日、車を止めていたところに近いのかな」
「そうだね。奈津美さんが入っていったところと同じかも」
 内村は胸騒ぎを覚えた。祐太郎に会ったことはなく、彼がいずみことリコを指名したという偶然にも気づかなくて当然だ。だが、あの六本木通り沿いのマンションには、なぜか近づいてはいけないような気がしていた。昨日、歩道橋を降りてくる奈津美の姿を目撃したときも、リコの手前、遠慮しただけでなく、重い空気を感じていた。はっきりとした理由があるわけでもなく、あくまでも直観だ。

 祐太郎はマンションの中で掃除を始めていた。奈津美の私物は完全に片づけられていて、一昨日まで女性と2人で暮らしていたことを物語るものは何もない。改めて怒りがこみあげる。奈津美の行動がドライに感じられたからだ。
 男と女の別れについて、男は新しい出会いがあるたびに別のファイルを作って保存していくが、女は上書き保存という言葉がある。奈津美はまさに上書き保存をするタイプで、祐太郎のことを思い返すこともほとんどないだろう。まだ、新しい出会いもなく、奈津美に対して未練がたっぷりの祐太郎にしてみれば、想像のできないことだった。
 洗面所を片付けようとして、奈津美の使い古した歯ブラシを見つける。奈津美はおおざっぱなところがあり、肝心なところで抜けていた。祐太郎は歯ブラシをそっと手に取り匂いを嗅ぐ。犬でもない限り、個人を特定できないだろう。しかし、祐太郎には奈津美の体温が感じられた。鏡に向かって、自分の口に当てる。別れ間際に、力ずくで彼女を抱いたことを思い出しながら、歯ブラシを動かし、自分の口の中を撫ぜまわす。
 つい力を入れ過ぎて、口の中を傷つけてしまう。白い陶器の洗面台に、赤い血が2滴ほど落ちる。再び、奈津美への怒りがこみあげてくる。許せない。自分をこんなに苦しめておきながら、すぐに次の男の家で暮らしているというのはどういうことだ。麻布十番のマンションを出て大学へ向かう奈津美は、さわやかな笑顔を浮かべていた。
「ちくしょう!」
 祐太郎は大声をあげて、ゴミ箱に歯ブラシをたたき捨てた。

 その頃リコは、すでに六本木に到着して、客との約束時間が来るまでを桜並木の散歩に費やしていた。霊南坂教会に向かう登り坂を、息を切らしながら歩いている。桜の若葉を通した木漏れ日が美しい。意識していなかったが、客の一方的な欲望に応え続けるのはストレスのたまることだった。
 坂道を見下ろす歩道橋に着いて立ち止まる。内村との関係について、ぼんやりと考えている。居心地がいい一方で、許せないという思いがこみあげてくる。内村自身が気づいていない過去。本当は復讐をしてやりたい。だが、リコは内村との距離が近づけば近づくほど、彼との関係を失いたくないと考えている。自分の母親が背負った悲しみを、内村にも思い知らせてやりたいと感じながらも、行動に移せない。いつか、内村を問い詰める日が来るのかと思うと、少し気が重くなった。アークヒルズの中のスターバックスで、アイスコーヒーを飲もうと決めて歩き出した。
 1時間が経過する。アイスコーヒーを半分ほど残し、客が待つマンションにリコは向かった。内村が予想した通り、昨日、奈津美を見かけたのと同じマンションだった。インタホーンを押して、オートロックを解除してもらう。明るい声のトーンに少し戸惑う。
 マンションのドアの向こうにいたのは若い男だった。自分と同じ年ぐらいだろう。六本木のマンションに一人暮らし出来るのは、もともと裕福であるからに違いない。仕立てのいい白いシャツに、ダメージ加工したデニム姿が似合っている。どちらかと言えば色白で背も高い。涼しげな顔をしたイケメンで、デリヘル嬢を呼ぶほど不自由をしているようには見えない。
 リコは身構えた。こういう男に限って、変わった性的な趣味があり、彼女との間では無理なことを要求することが少なくない。
「すぐ場所が分かったかな? どうぞスリッパを使って」
 意外と紳士的な対応に予想が外れる。まともな男かもしれない。
「初めまして、いずみと言います。ご指名、ありがとうございます」
「ああ、写真で見るより実物のほうがいいね。驚いたな、君みたいなかわいい子が働いているなんて想像していなかった」
 少しでも濃いサービスをしてもらおうと、お世辞を使ってくる客は多い。だが、祐太郎の言葉に嫌味はなかった。きっと、女性をほめ慣れているのだろう。プレイボーイに違いない。そう意味では楽な客だ。遊びと割り切っている。あの警察に捕まった男のように、ストーカーに変身することはないとリコは勝手に想像した。
 一緒にシャワーを浴び、ベッドルームに移動する。少し乱暴なところはあるものの、何も変わったことは求められなかったことに安心する。一区切りつくと、祐太郎の腕を枕にして世間話が始まった。「ねえ、延長できるかな。君みたいなかわいい子だと60分間ではもったいないからね」
「分かりました。すぐ、店に確認しますね」
 まだ早い時間ということもあり、次の予約は入っていなかった。竹川が客に電話を代わるように要求する。
「渡辺様、本日はありがとうございます。いずみですが、午後3時までなら時間がありますが、どれぐらい延長なさいますか?」
「そうですか、じゃあ、せっかくだから3時までお願いしますよ」
 竹川は受話器の向こうで喜んでいる。初めての客だが、リコから特に問題あるという連絡は受けていない。いきなり長時間の予約を入れるということは、今後も常連客になってくれる可能性が高い。
「もう一度、いずみに電話を代わってもらえますか?」
 祐太郎はニコリと笑って、リコに電話を渡した。
「ああ、いずみちゃん。変なお客さんではないのよね? じゃあ延長料を前金でもらってね。ドライバーさんには、こちらから迎えの時間が遅くなると連絡しておくから」
 リコが電話を切るのももどかしく、祐太郎が覆いかぶさってきた。若いだけに回復力も早いのだろう。まさか、このまま3時までプレイが続くのかと、リコは少しだけ憂鬱な気持ちになった。

 竹川からの連絡を受けた内村は、ソファに座り直していた。まだ13時半だ。この間に送迎がないということは、それだけ収入が減ることを意味する。自由な時間ができたのはうれしかったが、ドライバーの仕事が決して実入りのいいものでないことを実感していた。
 玄関のドアを開ける音がする。奈津美だった。
「あれ、早いね。午後の授業は?」
「休講だった。昨日行かなかったから分からなかったの。ねえ、リョータはご飯食べた?」
「中途半端な時間に朝食だったから、まだお腹が空いていないな」
「そうか……。あれ? ドライバーの仕事は?」
「いま、リコについているお客さんが3時まで指名したらしいんだ。だから、しばらく暇だ」
「ほんと? うれしいなあ。ねえ、そこのオープンテラスの店に行かない? 私はランチをオーダーするけど、確かいまの時間ならお茶だけでも大丈夫なはずだよ」
「そうか、じゃあ俺はコーヒーでも飲もうかな」
 すぐにマンションを出ると思って、奈津美は靴を履いていたが、内村がなかなか来ない。部屋の中で何かごそごそしている。
「あれ? どうしたの」
「せっかくだから、カメラを持っていこうと思って」
 光線状態のいいテラスで、奈津美のとっておきの笑顔を撮ることを思いついた内村だった。
 まさか、そのうちの1カットが奈津美の遺影になるとは想像もしていなかった。
(つづく)
(初出:2014年03月13日)
前へ1 ...... 19 20 21 22 23 24 25
登録日:2014年03月13日 12時58分
タグ : デリヘル

Facebook Comments

寺尾豊の記事 - 新着情報

  • ハザードランプはつけたままで(33) 寺尾豊 (2014年04月24日 13時37分)
    いちどは否定された内村とリコの関係。殺人教唆でつかまった祐太郎の告白。内村がかつて捨てた女との邂逅。ついに最終回を迎えたハザード。内村の想いが収束してゆく。(小説現代
  • ハザードランプはつけたままで(32) 寺尾豊 (2014年04月21日 23時42分)
    リコは取調室で覚悟を決め、素直に自白していた。奈津美に謝りたい一心だった。アリバイを作り、つかまらないよう周到に計画した渡辺だったが悪いことはできない。事件の顛末が明らかになる。(小説現代
  • ハザードランプはつけたままで(31) 寺尾豊 (2014年04月17日 12時37分)
    リコは内村と連絡を取った。復讐のため内村をも殺害しようとするが、真実が明らかとなり泣き崩れしかないリコだった。(小説現代

小説/現代の記事 - 新着情報

  • 園生に咲く花(7) 北見遼 (2016年08月13日 12時42分)
    事件が一段落つき、夜も明けようというころで気が付いた。「今日は受験日だった!」 焦る小紅をよそに姉の小百合は涼しい顔で飛ばしていた高速を降りる。そんなときが来た小紅の晴れやかな笑顔がまぶしい。園生に咲く花、最終章!(小説現代
  • 園生に咲く花(6) 北見遼 (2016年05月31日 14時28分)
    「見つけたわ!」深夜の高速道路を爆走するピンク色のワゴン車。誘拐犯の車を見つけた一行はカーチェイスの末、ついに犯人を追い詰める。重苦しい現場で露わになるそれぞれの想い。(小説現代
  • 園生に咲く花(5) 北見遼 (2016年05月12日 14時06分)
    誘拐犯と思わしき晴美――姉の旦那がかつてつき合っていた女性のアパートに雪崩れ込むがすでに空っぽだった。取り乱す姉に愕然とする小紅だったが、事態はそれどころではない。(小説現代

小説/現代の電子書籍 - 新着情報

  • オンラインマガジン『騒人』総集編  (2015年08月20日 17時44分)
    オンラインマガジン騒人に掲載の編集者オススメ作品と書き下ろし作品をまとめて発刊した投稿Web小説『Sohzine.jp』Vol.1から10までを一冊にしました。一巻ずつ購入するよりお得。単体で電子書籍化した「作家の日常」は小説家、阿川大樹氏の日常を公開。また、宇佐美ダイ氏の「LeLeLa」は、不思議な力を手に入れ吸血鬼となった男の対決を描く伝奇小説。眠太郎懺悔録シリーズの青島龍鳴氏「ファーストキスは鉄の味」、城本朔夜氏の電子書籍「イペタムの刀鞘」外伝など、充実した内容でお送りします。コメディや児童小説の他、時代小説、ファンタジー、笑える・泣けるエッセイまで、70作品を一気に楽しめます。(小説現代
  • 投稿WEB小説『Sohzine.jp』Vol.9  (2015年08月20日 17時29分)
    騒人編集部お勧め作品を掲載! 青島龍鳴氏『ファーストキスは鉄の味(前編)』は、退治屋不足のため狐の女王と取引をする帝家。眠太郎懺悔録シリーズ。樹都氏『ヤミネコ』。猫にまつわるあらぬ話。阿川大樹氏『作家の日常』では、お金にまつわる話しを赤裸々に告白。宇佐美ダイ氏『LeLeLa』。美智子は朋子に“気”を扱うための栓を抜かれるが……。綺羅星沙々羅氏『太陽は君に輝く』はククルの森に入った一行の前に難敵が出現。南川純平氏『ポトゲラヒ』。下田にやってきた久之助は写真術を学ぶ機会を得る。いちばゆみ氏『ゆうきゃんの人生迷走案内』。電車で見たポスターに思い出したのはカオルくんのことだった。あのとき、何が出来たろうか? (小説現代
  • 投稿WEB小説『Sohzine.jp』Vol.8  (2015年08月20日 17時24分)
    騒人編集部お勧め作品を掲載! 浅川こうすけ氏『恋人ボックス』。モニターに映し出された恋人、デアルを独り占めしたい村木は作戦を練る。天野雅氏『永遠の海』。中学三年の千彩子。案内された崖の上。彼女の計画とは? 阿川大樹氏『作家の日常』は編集者との出会いについて。宇佐美ダイ氏『LeLeLa』は逃げ出した美智子の前に“新人類”を称する吸血鬼が現れる。綺羅星沙々羅氏『太陽は君に輝く』では、貴族と一般人の混合チームで試験に挑むことに。新連載、南川純平氏『ポトゲラヒ』は日本における写真の開祖、下岡蓮杖の青春を描く。おおみち礼治氏『宣う躰 キンタマチェック』は当時十六歳だった著者の入院録。今号も面白いに決まってる! (小説現代

あなたへのオススメ

  • ハザードランプはつけたままで(33) 寺尾豊 (2014年04月24日 13時37分)
    いちどは否定された内村とリコの関係。殺人教唆でつかまった祐太郎の告白。内村がかつて捨てた女との邂逅。ついに最終回を迎えたハザード。内村の想いが収束してゆく。(小説現代
  • ハザードランプはつけたままで(32) 寺尾豊 (2014年04月21日 23時42分)
    リコは取調室で覚悟を決め、素直に自白していた。奈津美に謝りたい一心だった。アリバイを作り、つかまらないよう周到に計画した渡辺だったが悪いことはできない。事件の顛末が明らかになる。(小説現代
  • ハザードランプはつけたままで(31) 寺尾豊 (2014年04月17日 12時37分)
    リコは内村と連絡を取った。復讐のため内村をも殺害しようとするが、真実が明らかとなり泣き崩れしかないリコだった。(小説現代