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寺尾豊
著者:寺尾豊(てらおゆたか)
1958年東京生まれ。千葉大学工学部画像工学科卒。子供の時からの夢は作家だったが、文学部に進学することを父親に反対され理系の道へ。卒業後、結局エンジニアにはならず、文章を書く仕事につくため日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社。日経パソコン、日経デザインなどの雑誌で記者や副編集長を務める。映像部に異動後も、日経ビジネスアソシエでエッセーを連載していた。2009年末に退社してからはフリーの映像制作者。
小説/現代

ハザードランプはつけたままで(26)

[連載 | 完結済 | 全33話] 目次へ
殺された奈津美の元彼である渡辺は麻布署の事情聴取においてシロと判断されていた。奈津美の死を忘れるかのように仕事に励む内村だった。
 午前10時ちょうど。内村は明け方になって、ようやく睡魔に襲われ、ホテルのベッドの中で深い眠りの中にいた。
 そのころ麻布署の取調室には渡辺祐太郎がいた。任意で引っ張ってきたのは交友関係を洗っていた米澤刑事だった。安田と成川も事情聴取に加わる。
 任意同行に踏み切ったのには理由がある。真犯人だけが知りうる奈津美が腹部を刺されて死亡したという事実を、祐太郎が口にしたからだ。
 今回の事件に関して、記者会見は開いておらず、腹部刺殺との情報についても箝口令が敷かれていた。しかし、十分想像できる範囲の死因であり、秘密の暴露と捉えるには無理があった。
 祐太郎の態度はふてぶてしかった。取調室のイスにもたれて、刑事たちをにらみつけるようにしながら質問に答えている。
「だから、何度説明すれば分かるんだよ。俺はずっと、城南島で肉を焼いていたんだ。仲間に聞いただろう?」
 安田はあくまでも穏やかに話しかけた。
「渡辺さん、確かにお友達の皆さんも、それは認めています。ただ一つ、教えてほしいのですが、3時半ごろ携帯で奈津美さんとお話ししていますよね。何を話していたんですか?」
 ほんの一瞬だったが、祐太郎がぎくりとしたのを安田は見逃さなかった。
「大した話はしていないよ。俺の部屋に奈津美の忘れ物があったから、取りに来るか、それとも送るのがいいかを尋ねていたんだ」
「そうですか。どれぐらいの時間、お話しされていましたか?」
「忘れたよ。短かったと思う」
「なるほど。お友達の話では、バーベキューの最中に、あなたが電話をしていたのを見ていないというんですよ。となると、トイレに行くとかの理由をつけて、お友達から離れたところで電話をした可能性がありますね」
「それが何か問題とでも?」
 安田は一回笑顔を見せてから、急に冷たい表情になって問い詰める。
「店の中でもない限り、もしくは何かまずいことでもなければ、人払いをして電話をしないものじゃないですかね?」
「ひどいことを聞くね。俺は奈津美にふられたんだ。仲間に細かい事情を知られたくなくて当然だろ?」
 立って二人の会話を聞いていた米澤が話に割り込んだ。
「仲間が言っていたよ。君と彼女が別れたという話は、バーベキューが始まる前に聞かされていたってね」
 祐太郎が口ごもる。だが、彼にとっては王手ではなかったらしい。
「それでもかっこ悪いじゃないか。だからだよ。ねえ、俺を拘束する正当性がないと思うので帰るよ。任意同行だろ? いいよね」
 そこまで言われたら警察は拒否できない。刑事にしてみれば大した手がかりは得られないまま、祐太郎を解放することになった。

「印象は完全にクロなんだけどなあ」
 安田が口を開く。成川がうなずきながら加わる。
「私もそう思います。だれか殺し屋を雇ったという可能性はどうでしょうか?」
「まあ、なくはないだろうけれど。日頃から、そういう輩と付き合いがあるとは思えないからなあ。ネットで、いわゆる闇の仕事人に頼むにしても、時間が短すぎる。それに大金を引き出したりしたという事実もないことが分かっている。
「謎ですね」
「ああ、意外と手ごわい事件だな」
「前日の祐太郎の足取りは分かっているんですか?」
「本人の説明では、部屋で勉強をしていたそうだ。マンションだし隣室の住人に聞いても状況は分からなかった。防犯カメラの映像をあたってみるか。そこに、殺人の前科者の出入りがあったことが分かれば、もう一度引っ張れるだろう」
 そこに鑑識の佐々木が飛び込んできた。
「安田さん、成川さん、新たな事実が判明しました。殺される直前に奈津美は、性交渉をもったようなんです」
「本当か?」
 安田が目を輝かせる。
「じゃあ、体液が検出できたのか?」
「いいえ、膣内に擦過傷があったんです。つまり、犯されたということですね」
「部屋の中に避妊具などはなかったよな?」
「はい。犯人が持ち帰ったのでしょう。奈津美以外の毛髪ほかも見つかっていますが、内村の部屋には複数の人間の出入りがありますから……。あまり掃除もしていなかったようでして。つまり、渡辺を含めて男性が犯人らしいということしか、証明されたことにはなりません。
「そうだな。その渡辺には完璧なアリバイがある。あとは誰かに頼んだという線だな」
 佐々木が体を震わす。小声で安田に説明を求める。
「もしかして、殺し屋を雇ったとでも?」
「ああ……」
「私の見方では違いますね。プロの仕業にしては下手すぎます。それに腹部は狙いませんよ。凶器は解剖所見から言っても、普通の文化包丁でしょう。プロはもっと切れ味のいい道具を使うはずです」
「やはり、そう思うか。私も実は殺し屋の線はないと思っていたんだ。渡辺が雇ったとしたら、前金を準備するはずなんだが、そういうお金の出し入れをした様子もない」
 それまで黙って聞いていた成川が口を挟む。
「渡辺から離れて考えましょうか。彼は頭の回る男です。だから殺人が割の合わないものだということも理解できているはず。我々の想像しない第三者の犯行かもしれませんよ」
 重い空気が流れる。初動が肝心と言いながらも、捜査の方向性が定まらなかった。

 事件が起きてから1週間が経過した。奈津美の葬儀は2日前だった。内村は最後まで参列するかどうかを迷っていたが、最終的には行かなかった。
 当初、自分の娘が内村の部屋で殺されていたことを知った両親は、奈津美と内村の関係を疑ったが、警察が気をきかせて「カメラマンとして相談に乗っていただけ」と説明してからは、逆に何度も頭を下げて「うちの娘がご迷惑をおかけしまして」と内村に対して謝るばかりだった。
 事件の数日前、麻布十番のカフェで撮影した奈津美の写真を渡すと、彼女の両親は「とてもきれいに撮れている」と涙を流しながら喜んだ。
「事件があった翌日には、お世話になっているカメラマンさんを家へ連れてくるから、ちゃんと応対して頂戴ねって言っていましてね」
 内村より年下の父親の説明に、内村もつられて涙を流した。同情するというよりも、密かに深い関係にあった奈津美を思い出しての涙だった。皮肉なことに、その内村のショックを受けている様子が、彼女の両親には内村への信頼へつながった。
 麻布十番のマンションも引き払うことになり、目黒に小さな部屋を新たに借りた。奈津美の両親から、引っ越し費用として100万円を渡された。内村は「受け取れない」と最初は断った。「迷惑料を含めて絶対に受け取って欲しい」と説得されてのことだった。
 先立つものがない内村にしてみれば、助かったのは事実である。彼女が殺されたマンションに住み続けるのは無理があり、専門業者のクリーニングなど後始末にも時間と金が必要だった。
 奈津美の両親は会計事務所を経営していて、裕福であることは間違いなく、そのことが内村の罪の意識を少しだけ軽くした。
 警察の説明では、いまだに犯人の目星はついていないと言う。渡辺祐太郎はいろいろ調べられたが、結局シロという判断だった。それでも、内村は元彼にしか奈津美を殺す動機はないと考えていた。
 奈津美を失ってから、カメラマンとしての仕事は順調だった。ガイドブックの仕事だけではなく、インタビュー撮影や、商品撮影の仕事が舞い込んだ。忙しくすることで、彼女を失った悲しみを乗り切ろうと、内村は必死だった。そのことが内村への信頼につながり、さらに仕事が増える。まるで天国から奈津美が応援してくれているようだった。
 今日もこれから、新宿でインタビュー撮影の仕事がある。少し早目に出て、ランチを食べてから現場へ向かおうと考えているときに携帯が鳴った。
 リコだ。事件があった日の朝、竹川から連絡があってピーチクッキーをやめたという話は聞いていた。それからは連絡する気にもならず忘れていた。
「リョータ、久しぶりだね。彼女、殺されたんだって?」
 内村の表情がこわばる。なぜ、奈津美が殺されたことをリコが知っているのだろう。自分が知る範囲では報道もされていない。
 まさか……。
 内村の額に汗がにじむ。嫌な予感がした。
(つづく)
(初出:2014年03月31日)
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登録日:2014年03月31日 18時44分

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