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寺尾豊
著者:寺尾豊(てらおゆたか)
1958年東京生まれ。千葉大学工学部画像工学科卒。子供の時からの夢は作家だったが、文学部に進学することを父親に反対され理系の道へ。卒業後、結局エンジニアにはならず、文章を書く仕事につくため日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社。日経パソコン、日経デザインなどの雑誌で記者や副編集長を務める。映像部に異動後も、日経ビジネスアソシエでエッセーを連載していた。2009年末に退社してからはフリーの映像制作者。
小説/現代

ハザードランプはつけたままで(3)

[連載 | 完結済 | 全33話] 目次へ
客とトラブルになったデリヘル嬢のいずみちゃんことリコ。ストーカーに狙われるリコは、ドライバーをしている内村にお願いをする。
 内村はブレーキをかけた。このまま車を走らせ続けるわけにはいかない。
「いずみちゃん、事務所に連絡して病院へ行こう。その前に警察に連絡した方がいいな……」
「ちょっと、ドライバーさん、やめてよ。そんなことしたら、警察でデリヘルのことも詳しく話さなくてはいけなくなるし……。どんなサービスをしたのか、客のをくわえたのかどうかとか、余計なことまで聞かれるんだから……」
 どうやら、何度か捕まったことがあるらしい。といっても罪を犯したというわけではなく、事情聴取をされたことがあるのだろう。大学生にしか見えないが、意外と風俗経験は長いのかもしれない。
「分かった。ただ、傷の手当はしなくちゃいけないだろ?」
「大丈夫。少し薄いハンカチだから、血がいっぱい滲んでいるだけ。しばらく押さえていれば止まるから。下手な医者のところに行って縫われたりしたら、かえって跡が残るんだから……」
「ねえ、もしかしたら君、看護士さん?」
 いずみちゃんは黙っていた。認めたようなものだ。あれだけの血を流す傷を負ったら、普通なら平静でいられるはずがない。ただし、看護士や医者を除いてだ。これぐらいなら、誰でも推理できる。
 ルームミラーで自分のことを無遠慮に観察し続ける内村の視線を避けるようにして、いずみちゃんはスマホを取り出した。
「もしもし、いずみです……。ええ、お客さんとトラブルがあって……。このまま、今日は帰りたいんですけれど、いいですか?」
 相手はオーナーだろう。少しもめているようだ。次の指名予約が入っているのかもしれない。客に斬りつけられたと報告したらいいのにとも思うが、ただトラブルとしか説明しない。もっとも、デリヘルの経営者も、本当の事情を聞いたら警察に連絡しなくてはならないし、面倒なことはお互いに共有しないという暗黙のルールがあるに違いない。
「ドライバーさん、オーナーが電話を替わって欲しいって……」
 いずみちゃんが後席から手を伸ばしてスマホを渡す。いい香りがして、少し心がざわつく。やはり若い女性であることに変わりない。
「内村です……」
「ああ、いま聞いたけれど、客とのトラブルで次の仕事をしたくないらしいんだ。悪いが彼女の家まで送っていってくれるか? いずみは指名ランキングでもトップ3に入る売れっ子だから、こっちとしても辞めて欲しくないんだよ。だから、ていねいに対応してくれ……」
「すみませんが、その場合のギャラはどうなるんでしょう?」
「細かいやつだな。女の子を1人送迎するごとにギャラを払う決まりだろ。今回も同じ。近い場所だから2000円だ。彼女の住むマンションは市ヶ谷だから、送り届けたら四谷辺りで待機していてくれ」
「分かりました」
「おい、送って行っても変な気を起こすなよ。いいな」
 最後に低い声ですごんで電話は切られた。
「けがの具合はどう? 本当に医者に行かなくていいのかな?」
「しつこいね……。大丈夫だよ。それよりさ、相談したいことがあるんだけれど……」
「何かな? 事務所からは、女の子と必要以上に話をしないように言われているんだ」
「ドライバーさん、まじめだね。黙っていれば分からないよ。そう、この話はオーナーにナイショだけれど……。私を斬りつけた男は、ストーカーだと思う」
「えっ……」
 内村は言葉を失う。ストーカーだとしたら命を狙われるケースも少なくない。やはり警察を頼った方がいいのではないか。先ほどの刑事に連絡を取ろうかと一瞬考える。
「相談というのはね、さっきの客に私の家も知られているから、今晩、ドライバーさんの家に泊めてもらえない? もしかしたら、奥さんとか彼女とか家にいるの?」
「いや数年前に別れて、いまは一人暮らしだ」
「そうだよね。そういう雰囲気が漂っているもの。で、どう?」
「言っておくけれど、ベッドは一つしかない。しかも、撮影機材がいろいろ置いてあって狭いんだ」
「ソファとか、布団ぐらいあるでしょ……。それに泊めてくれるんだったら、お礼にベッドで一緒に寝たっていいよ」
「おいおい、大人をからかうなよ。おれだって男だから同じベッドで寝たら君にせまると思う」
「はははっ」
 いずみちゃんはカラッとした笑い声をあげた。彼女との間に引かれていた線が取り除かれたような感覚になった。親しくするなと言われていた商品が、生身の女となって再び目の前に現れたような気持ちだ。心のどこかで「理性を失うな」という自分の声がする。だが、血流は頭ではなく下半身に集中しようとしている。
「せまると思うだって……。ドライバーさん、正直でいい人だね。別に私は構わない。仕事じゃないからサービスしたりしないけれど、普通にエッチすればいいじゃない?」
 内村は声が出なかった。ルームミラー越しではなく、初めて振り返って彼女を観察する。普通の女の子と思っていたが、よく見れば色白で細身の可愛い娘だった。ゆるふわボブとでも言うのだろうか。ショートカットが良く似合っている。その外側の毛を細長い指でもてあそんでいる。薄いピンク色のジェルネイルが目にとまる。看護師というのは勘違いかもしれない。
「ねえ、いいでしょ?」
「ああ、でも今晩は12時までドライバーをしなくちゃいけないんだけど……」
「ドライバーさんの家で待っているよ。家の中のものを触ったりしないから大丈夫だよ。信じて……」
 内村は意を決して、麻布十番にある自分のマンションへと向かった。最初はゆるやかだった興奮が、次第に大きな波となって自分を支配している。
「名前教えて……。もうドライバーさんって呼びたくないし」
「内村良太だよ」
「じゃあ、リョータでいいね、私のこともリコって呼んでね」
 いずみちゃんからリコへ、名前は2時間足らずで変わってしまった。
「いったん部屋で、君のケガを手当てするよ。血は止まったかな?」
「うん、大丈夫。ねえリョータ、君じゃなくてリコだからね」
 車は六本木の交差点を通過する。ルームミラーで確かめると、リコはドアに身を預けるようにしていた。赤や緑、さまざまな街の灯りが、リコの顔を染めては消えていった。
(つづく)
(初出:2013年12月17日)
登録日:2013年12月17日 08時47分

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