騒人 TOP > 小説 > 現代 > ハザードランプはつけたままで(30)
寺尾豊
著者:寺尾豊(てらおゆたか)
1958年東京生まれ。千葉大学工学部画像工学科卒。子供の時からの夢は作家だったが、文学部に進学することを父親に反対され理系の道へ。卒業後、結局エンジニアにはならず、文章を書く仕事につくため日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社。日経パソコン、日経デザインなどの雑誌で記者や副編集長を務める。映像部に異動後も、日経ビジネスアソシエでエッセーを連載していた。2009年末に退社してからはフリーの映像制作者。
小説/現代

ハザードランプはつけたままで(30)

[連載 | 完結済 | 全33話] 目次へ
絡みあった糸は必然だったのだろうか。奈津美の元を訪れたリコはバッグに隠し持っていた包丁を取り出し……。
 奈津美がドアを開ける。少し汗ばむぐらいの陽気なのに、リコは黒い長袖のTシャツを着ていた。よく見ると革の手袋をしている。奈津美の中でリコは、もっとフェミニンな格好をしていた印象があったため一瞬たじろいだ。
「奈津美さん、久しぶりですね。夕方からライブに行く予定なの。だから変なファションだと思わないで」
 そうだったのかと奈津美は合点がいった。きっと、ヘビメタ系のバンドなのだろう。
「どうぞ、中へお入りください」
「ありがとう。お邪魔します」
 リコの服装とは対照的に、奈津美はガーリーな姿だった。半袖の白いサマーセーターに、黄色いフレアのミニスカート。マンションの奥から差し込む光で、細身の彼女のシルエットが浮かび上がる。むき出しになった長い脚がリコをいらっとさせた。
「寝室に行かせてもらっていいかな?」
「えっ?」
 奈津美は戸惑った。リコの目的が分からない。内村の了承なしに、果たして応じていいものか。
「実は寝室にある机の上のファイルが見たいの。リョータの部屋で待たせてもらったことがあるから大丈夫よ」
 やさしい口調ではあるものの、リコの言葉には威圧感があった。奈津美はリコとの出会いを内村から聞いたことがあり、寝室で彼女が内村の帰りを待っていたことがあるのを知っている。
「じゃあ、どうぞ」
 奈津美の言葉を最後まで聞かずに、リコは引き戸に手をかけていた。呆然とする奈津美を気にすることもなく、乱暴に戸を開けると、まっすぐ机に向かいファイルを手に取った。
「ほら、これを見て」
 彼女が指したのは、日本的な女性の写真だった。20代前半なのだろう。切れ長の目が艶っぽい。直感的に昔の写真だと奈津美は分かった。
 リコが話を続ける。
「この人はね、私のお母さんなの。リョータはお母さんと同棲していた。私が生まれる前に、姿を消したけれどね。ひどいと思わない。奈津美さんが思っているより、ずっと悪い人なんだよ。母は私を苦労して一人で育てて、結局がんになって死んじゃった」
 何を言っていいか奈津美は分からなかった。少なくとも自分にとって内村は悪い男ではない。いままで知り合ったどの男性よりも優しく、自分を心から愛してくれている。どれぐらい前の出来事かは分からないが、別れ話のもつれぐらいあって当然だと考えていた。
「過去の話でしょ」
 ようやく口にした言葉が、リコをさらにいらだたせた。自分の都合を優先する男を受け入れられるのは、ふられたことのない女だけだ。まだ前の女の残り香があるのに、持ち前の鈍さで男を自分の色に染めていく。恋愛生態系の頂点に立ち、おいしい出会いだけを喰い散らかす。過去の話にするかどうかは、前の女が決めることだ。新しい女が口にすべき言葉ではない。
「奈津美さん、あんたもそうやって男を替えてきたんだろうね。ユウタロウが言ってたよ、ひどい女だってさ」
 なぜ、自分の元彼の名前を知っているのだろう。嫌な予感がして後ずさりする。
 だがリコの動きのほうが速かった。バッグの中に忍ばせた包丁を取り出し、奈津美の正面から一突きだった。目を見開いて奈津美が膝から崩れ落ちる。
「どうして?」
 末期の言葉は疑問形だった。ゆっくりと動いた奈津美の唇。リコの頭の中に断末魔が焼き付く。
 不思議なことに、取り返しのつかないことをしたという意識は生じなかった。寝ぼけながら深夜映画を観ているようで現実感に乏しかった。
 祐太郎から繰り返し説明されたように、あとは急いでこの場を去らなければならない。リコはバッグの中から着替えを取り出し、返り血を浴びた黒いTシャツはビニール袋に押し込んだ。
 マンションのエレベーターを待っているとき、リコに初めて震えがやってきた。包丁を握っていた右手のけいれんが収まらない。腕組みをするように左手の下に右手を挟み込み、無理矢理動きを封じる。リコにとっては幸いなことに、誰ともすれ違わずに外へ出られた。
 血まみれの奈津美が後ろから追いかけて来るような気がして、早足でマンションを後にする。途中、コンビニの前にあるゴミ箱にTシャツを捨てた。祐太郎の指示通り、紙袋をかぶせるのを忘れなかった。

「おい、リコ聞こえているのか?」
 内村の声で我に返る。奈津美を殺したのは1週間前のことだ。すぐにでも内村に電話をして、どれだけショックを受けているかを確かめたかった。だが、祐太郎のアドバイスで、ほとぼりがさめるのを待っていたのだ。
「うん、ちょっと奈津美さんのことを思い返していたの。リョータはつらくないの?」
「つらいさ。ずっと泣いていたよ。気持ちを切り替えようと仕事に集中していたけれど、夜中に一人になると我慢しきれなくて……」
「犯人は見つかっていないの?」
「ああ、おれは元彼が怪しいと思っていたんだけれど、完璧なアリバイがあるんだ。その後、警察からは連絡がない。迷宮入りだけはさせたくないよ、じゃないと奈津美が浮かばれない」
 リコは不満だった。奈津美を失った悲しみを内村は説明するものの、うちひしがれた様子ではない。本当につらかったら仕事も手につかないのではないか。やはり、どこか冷たい男だと思っていた。
 事実は違う。内村は必死で平静を保とうとしていた。奈津美が生きていたときよりも、はるかに多くの時間を奈津美のことを考えて過ごしている。酒量が増え、胃が荒れているのを感じる。それでも、必要最低限にとどめようと努めていた。
 若くして死んだ恋人のためにも自暴自棄になるわけにはいかない。自分の心の中で、少しでも長く彼女に生きていてもらおうと考えていたのである。
「ねえ、久しぶりに会おうよ。伝えたいこともあるしさ」
 内村は少しうれしかった。リコは奈津美のことを知る数少ない話相手には違いない。
「そうしようか。これから打ち合わせがあるから、夕方5時頃でいいかな?」
「うん、早めに飲みながらっていうのはどう?」
「そうしてもらえたほうがいいな。俺も飲まないとつらいんだ」
「じゃあ、六本木の交差点のところにある銀行の前にいて。私がいいところへ案内してあげる」
「へえ、そいつは楽しみだな。それでは後で」
「オーケー。お父さん、5時にね」
 気になる言葉を残して電話は切れた。内村は首をかしげている。なぜ、リコは自分のことを「お父さん」と呼んだのだろう。ふざけたのにしては、あまりにも自然な言い方だった。
 リコが自分を殺す計画を立てているとは思いもよらなかった。先ほどまでの陽気が嘘のように、冷たい北風が吹く。いびつな白い雲が空の彩度を落としながら、ゆっくりと広がっていく。
 もうすぐ雨が降り出すのを察知していたのは、ビルの谷間を飛び回るカラスだけだった。
(つづく)
(初出:2014年04月14日)
前へ1 ...... 27 28 29 30 31 32 33
登録日:2014年04月14日 19時38分

Facebook Comments

寺尾豊の記事 - 新着情報

  • ハザードランプはつけたままで(33) 寺尾豊 (2014年04月24日 13時37分)
    いちどは否定された内村とリコの関係。殺人教唆でつかまった祐太郎の告白。内村がかつて捨てた女との邂逅。ついに最終回を迎えたハザード。内村の想いが収束してゆく。(小説現代
  • ハザードランプはつけたままで(32) 寺尾豊 (2014年04月21日 23時42分)
    リコは取調室で覚悟を決め、素直に自白していた。奈津美に謝りたい一心だった。アリバイを作り、つかまらないよう周到に計画した渡辺だったが悪いことはできない。事件の顛末が明らかになる。(小説現代
  • ハザードランプはつけたままで(31) 寺尾豊 (2014年04月17日 12時37分)
    リコは内村と連絡を取った。復讐のため内村をも殺害しようとするが、真実が明らかとなり泣き崩れしかないリコだった。(小説現代

小説/現代の記事 - 新着情報

  • 園生に咲く花(7) 北見遼 (2016年08月13日 12時42分)
    事件が一段落つき、夜も明けようというころで気が付いた。「今日は受験日だった!」 焦る小紅をよそに姉の小百合は涼しい顔で飛ばしていた高速を降りる。そんなときが来た小紅の晴れやかな笑顔がまぶしい。園生に咲く花、最終章!(小説現代
  • 園生に咲く花(6) 北見遼 (2016年05月31日 14時28分)
    「見つけたわ!」深夜の高速道路を爆走するピンク色のワゴン車。誘拐犯の車を見つけた一行はカーチェイスの末、ついに犯人を追い詰める。重苦しい現場で露わになるそれぞれの想い。(小説現代
  • 園生に咲く花(5) 北見遼 (2016年05月12日 14時06分)
    誘拐犯と思わしき晴美――姉の旦那がかつてつき合っていた女性のアパートに雪崩れ込むがすでに空っぽだった。取り乱す姉に愕然とする小紅だったが、事態はそれどころではない。(小説現代

小説/現代の電子書籍 - 新着情報

  • オンラインマガジン『騒人』総集編  (2015年08月20日 17時44分)
    オンラインマガジン騒人に掲載の編集者オススメ作品と書き下ろし作品をまとめて発刊した投稿Web小説『Sohzine.jp』Vol.1から10までを一冊にしました。一巻ずつ購入するよりお得。単体で電子書籍化した「作家の日常」は小説家、阿川大樹氏の日常を公開。また、宇佐美ダイ氏の「LeLeLa」は、不思議な力を手に入れ吸血鬼となった男の対決を描く伝奇小説。眠太郎懺悔録シリーズの青島龍鳴氏「ファーストキスは鉄の味」、城本朔夜氏の電子書籍「イペタムの刀鞘」外伝など、充実した内容でお送りします。コメディや児童小説の他、時代小説、ファンタジー、笑える・泣けるエッセイまで、70作品を一気に楽しめます。(小説現代
  • 投稿WEB小説『Sohzine.jp』Vol.9  (2015年08月20日 17時29分)
    騒人編集部お勧め作品を掲載! 青島龍鳴氏『ファーストキスは鉄の味(前編)』は、退治屋不足のため狐の女王と取引をする帝家。眠太郎懺悔録シリーズ。樹都氏『ヤミネコ』。猫にまつわるあらぬ話。阿川大樹氏『作家の日常』では、お金にまつわる話しを赤裸々に告白。宇佐美ダイ氏『LeLeLa』。美智子は朋子に“気”を扱うための栓を抜かれるが……。綺羅星沙々羅氏『太陽は君に輝く』はククルの森に入った一行の前に難敵が出現。南川純平氏『ポトゲラヒ』。下田にやってきた久之助は写真術を学ぶ機会を得る。いちばゆみ氏『ゆうきゃんの人生迷走案内』。電車で見たポスターに思い出したのはカオルくんのことだった。あのとき、何が出来たろうか? (小説現代
  • 投稿WEB小説『Sohzine.jp』Vol.8  (2015年08月20日 17時24分)
    騒人編集部お勧め作品を掲載! 浅川こうすけ氏『恋人ボックス』。モニターに映し出された恋人、デアルを独り占めしたい村木は作戦を練る。天野雅氏『永遠の海』。中学三年の千彩子。案内された崖の上。彼女の計画とは? 阿川大樹氏『作家の日常』は編集者との出会いについて。宇佐美ダイ氏『LeLeLa』は逃げ出した美智子の前に“新人類”を称する吸血鬼が現れる。綺羅星沙々羅氏『太陽は君に輝く』では、貴族と一般人の混合チームで試験に挑むことに。新連載、南川純平氏『ポトゲラヒ』は日本における写真の開祖、下岡蓮杖の青春を描く。おおみち礼治氏『宣う躰 キンタマチェック』は当時十六歳だった著者の入院録。今号も面白いに決まってる! (小説現代

あなたへのオススメ

  • ハザードランプはつけたままで(32) 寺尾豊 (2014年04月21日 23時42分)
    リコは取調室で覚悟を決め、素直に自白していた。奈津美に謝りたい一心だった。アリバイを作り、つかまらないよう周到に計画した渡辺だったが悪いことはできない。事件の顛末が明らかになる。(小説現代
  • ハザードランプはつけたままで(26) 寺尾豊 (2014年03月31日 18時44分)
    殺された奈津美の元彼である渡辺は麻布署の事情聴取においてシロと判断されていた。奈津美の死を忘れるかのように仕事に励む内村だった。(小説現代
  • ハザードランプはつけたままで(25) 寺尾豊 (2014年03月24日 19時08分)
    警察で事情聴取を受ける内村。動機がありそうな人物と言えば奈津美の元彼でしかありえない。しかし、その元彼にはアリバイがあった。しかし――。(小説現代