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寺尾豊
著者:寺尾豊(てらおゆたか)
1958年東京生まれ。千葉大学工学部画像工学科卒。子供の時からの夢は作家だったが、文学部に進学することを父親に反対され理系の道へ。卒業後、結局エンジニアにはならず、文章を書く仕事につくため日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社。日経パソコン、日経デザインなどの雑誌で記者や副編集長を務める。映像部に異動後も、日経ビジネスアソシエでエッセーを連載していた。2009年末に退社してからはフリーの映像制作者。
小説/現代

ハザードランプはつけたままで(31)

[連載 | 完結済 | 全33話] 目次へ
リコは内村と連絡を取った。復讐のため内村をも殺害しようとするが、真実が明らかとなり泣き崩れしかないリコだった。
 午後5時5分。大粒の雨がアスファルトを濡らす。あっという間に激しさを増して、交差点の向こうが霞むほどだ。三菱東京UFJ銀行六本木支店の前に人影は見当たらない。おそらくリコは雨宿りをしているのだろう。
 傘が無意味なほど雨は強く、特に内村の膝から下はずぶ濡れになっていた。信号が青に変わる。いまさら急いでも仕方ないが、小走りで銀行の入口に向かう。
 リコはATMコーナーの中にいた。ほかにも雨宿りをしている客が数人ほど。その中でスーツ姿のサラリーマンらしき中年男性が、リコのことを気にしている。水色のカットソーが雨に濡れて、下着が透けていたのだ。胸の形がはっきりとトレースできる。デニムのショートパンツも、たっぷりと水分を含み、まるで水着のようにしか見えない。気にならないほうがおかしいだろう。
「リコ、悪かったな。打ち合わせが少し長引いて遅くなった」
「大丈夫だよ」
「まあ、ちょっとすれば落ち着くだろう。5分ほど様子をみようか」
「ええ」
 久しぶりに会うリコは、どこか冷たい雰囲気を漂わせていた。内村には分からなかったが、自分の計画を悟られまいと緊張していたのだ。
 リコの知人が経営するバーが歩いて5分のところにある。店が開くのは20時過ぎ。スタッフが出勤してくるのも早くて19時だ。店の鍵のありかをリコは知っており、そこに内村を連れ込んで、奈津美の時と同じように包丁で刺し殺すつもりだった。
 リコは焦る必要がないと思っていた。ただ、内村と話していると、自分の決意がにぶりそうで心配だった。
「そうそう聞きたいことがあったんだ。さっきの電話で俺のことをお父さんって呼んでいなかったかな?」
「………」
 何も返答がないので、あらためてリコを見ると怒ったような顔をしている。内村にはわけが分からない。
「なあ、聞こえている? 俺をなぜ、お父さんって呼んだのかな」
 リコはゆっくりと肩を上げてから、聞き取れない何かをつぶやきながら息を吐いた。深呼吸のように見えたが、大きなため息だった。
「教えてあげるよ。あんたが私のお父さんだからさ」
 隣に立って横目でリコをチェックしていた中年男がぎくりとする。忍び足になって内村とリコから遠ざかろうとしている。その間も内村は意味が分からず、ぽかんとしたままだった。
「もう一度言おうか。リョータはお母さんを捨てた男なのさ」
「誰のことを言っているんだ。はっきり教えてくれ」
「伊藤今日子……。名前も忘れたの?」
 リコは怒りを抑えきれなくなっていた。周りを気にせず、つい大きな声になってしまった。
「えっ? 君は今日子の娘なのか?」
「そうだよ。同棲して私を作っておきながら、あんたが母のことを捨てたんだろ?」
「ちょっと待ってくれ。今日子さんは元気にしているのか?」
「ふっ……、もうだいぶ前に死んだよ」
「そうだったのか、かわいそうに。いや、でも今日子さんの娘に会えるとはうれしいねえ」
 リコは内村の鈍感さにあきれていた。目の前に娘がいるというのに、亡くなった母のことばかり気にしている。
「どうして、俺のことを父親と思ったかは知らないけれど、事実は違うよ」
「えっ? どうして」
「まあ、大きな声で言える話ではないけれど、避妊に万全を尽くしていたからさ。君のお母さんとそういう関係になるときは、最初からゴムを着けていたし、それでも中ではいかないようにしていたぐらいだから」
 内村の言葉は真実だった。カメラマンとしての仕事がなく、金に不自由をしていたあの頃は、伊藤今日子にぶらさがるように生きていた。もともと好きで一緒に暮らし始めたわけではなく、セックスも儀礼的なものだった。
 今日子のご機嫌をとるために抱くことはあっても、心から愛したことはなかった。思い返してみればひどいことをしたと、いつも気になっていた。自分が撮影した写真をまとめたセンザイの中に、伊藤今日子の写真を入れているのも、罪滅ぼしのような気持ちからだ。
 当時は、もし間違って子どもができたら、今日子から離れられなくなると考えていて、避妊には細心の注意を払っていた。だから、リコの父親であるはずがない。
「おかしいよ、そんな話……」
 リコが口をとがらせている。どこか母親の面影がある。内村は胸の奥がきしんだ。
「だってさ、私の年齢から逆算して、リョータと別れる直前に私ができている計算になるんだよ」
 内村は目をつぶった。遠い昔に思いをはせる。どういう事情があったかは分からないが自分は確かに嘘をついていない。
「リコ、あまり言いたくないけれど、だれか他の男の子どもじゃないかな。断言するけれど、俺はそんな覚えがないんだよ」
「じゃあ、私のお母さんが浮気をしたとでも言うの」
 そう口に出してからリコはハッとする。これまでの自分の行動を振り返ったからだ。彼がいるときも、なりゆきで別の男に身を委ねたことが数回あった。ついこの間までは、デリヘル嬢として不特定多数の男性と性的な関係を重ねてきた。
 リコの母も同じようなところがあったとしたら、内村の言葉に正当性がある。同棲相手に心から愛されていないさびしさに、他の男からの誘惑に負けることがあったとしても不思議ではない。
 リコは奈津美を殺したことを後悔する。自分の憎悪の対象がまぼろしとなって消えた。赤の他人をうらんでも、自分に火の粉がふりかかるばかりだ。
 思わずその場でしゃがんでしまう。涙が吐き気のように噴き出す。バッグから包丁を取り出して、いっそのこと自分を刺したい。だが、体は固まったまま言うことを聞かなかった。
「おい、大丈夫か?」
 内村の手がリコの肩に置かれる。やさしい言葉が彼女をさらに追い詰める。
 ショックを受けるのも無理はないだろうと内村は考えていた。何か慰める方法はないものか。
「リコ、念のためDNA鑑定をしてみよう。俺が嘘をついていないことがはっきりすると思う。でも、君は父親が誰であれ、俺が迷惑をかけた今日子の娘には違いないから、これからもよかったら面倒をみさせてくれないかな」
 とうとうリコは声を上げて泣き始めた。内村はしばらく放っておくことにした。たまった悲しみは、すべて出し切ったほうがいい。

 雨が小降りになるころ、リコはATMコーナーを離れ、近くのビルのエントランスに腰を下ろしていた。膝の上にのせた両手に顔を預け、泣きはらした自分の顔を人には見せないようにとしていた。
 内村もリコにつきあうように座っていた。道行く人の視線は痛かったが、過去に一人の女性を悲しませたことのつぐないだと思っていた。ようやくリコが口を開く。
「リョータ、もう遅いんだ」
「何が?」
「間違ったことをしたの。リョータがお父さんだと思っていたから」
 その言葉だけを聞いて、内村は何が起こったかのすべてを理解した。リコが心の中で再生している奈津美殺害のシーンが、なぜか内村の頭の中に浮かんだ。
「まさかとは思うけれど奈津美を殺したのはリコなのか?」
 力なく、ゆっくりと、しかし確かにリコは首を縦に振った。
 だが、内村の中に怒りの感情は湧いてこなかった。自分の最愛の女性を、リコが手にかけた事実が判明したのにもかかわらず、気持ちは穏やかだった。
 むしろ実の親子のように、リコの心の痛みを共有している。
「自首しよう。罪をつぐなって社会復帰したら一緒に暮らそう」
 意外な言葉にリコは顔を上げる。内村はやさしく微笑んでいた。
 これまでリコの心の中にたまっていた澱(おり)のようなものが一気に浄化されるのを感じた。自分の置かれた不運な環境を嘆き、記憶にない父親を憎み、幸運を当たり前のように消費する世間に嫉妬していた。そんな暗闇から解放されたのだ。
 母親から贈られた自分の肉体を傷つけることで、折れてしまいそうになる心を強くして生きてきた。だが、もういい。リコは流れに身を任せても、これからは幸せになれるような気がしていた。
「隣の交番に行けばいい?」
 リコの質問に内村は笑った。
「いや、麻布警察署がすぐだから歩いて行こう。知っている刑事さんもいるしね。俺が付き添うよ」
 内村に腕を取られてリコは立ち上がる。
 いつのまにか雨も上がり薄日が差している。濡れた路面を西日が照らす。リコの中で懐かしい気持ちが込み上げある。
「お母さんとね、雨が上がるのを待って買い物に出かけたことを思い出した。お菓子を買ってくれるかどうかドキドキしていたんだ。うちは貧しかったからね」
「いい思い出だね。で、買ってもらえたのかな?」
 リコは頭を振った。でも微笑を湛えている。
「買ってもらえなかったけれど、それでいいの。一緒に歩いているだけで幸せだったから」
 水たまりに2人の影が映る。オレンジの光がきらきらと揺れている。
 内村はリコと手をつないだ。リコは内村の手を強く握り返した。
(つづく)
(初出:2014年04月17日)
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登録日:2014年04月17日 12時37分
タグ : デリヘル 親子

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