騒人 TOP > 小説 > 現代 > ハザードランプはつけたままで(4)
寺尾豊
著者:寺尾豊(てらおゆたか)
1958年東京生まれ。千葉大学工学部画像工学科卒。子供の時からの夢は作家だったが、文学部に進学することを父親に反対され理系の道へ。卒業後、結局エンジニアにはならず、文章を書く仕事につくため日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社。日経パソコン、日経デザインなどの雑誌で記者や副編集長を務める。映像部に異動後も、日経ビジネスアソシエでエッセーを連載していた。2009年末に退社してからはフリーの映像制作者。
小説/現代

ハザードランプはつけたままで(4)

[連載 | 完結済 | 全33話] 目次へ
ケガをしたリコを送り、仕事の続きに戻るため車を発進させた内村。この展開になぜか25年前の風景が浮かんでくる。
 目的地まで、あっという間だった。
「着いたよ」
 リコに声をかけるが返事をしない。どうやら眠っているようだ。やれやれという気持ちになりながら、腰をかがめてワンボクスカーの後席に移動する。肩を優しく揺すって起こす。思った以上に華奢だった。
「さあ、起きて。電話がかかってきたら、次の送迎に行かなくてはいけないから……」
「ごめんね。つい寝ちゃった。安心したのかな……」
 初めて見る笑顔だった。愛想笑いではない。形のいい唇の両端がきりっと上がり、真っ白な歯が整列しているのが見える。思わずキスをしそうになる。
 そのとき、リコの方から内村の首に手を回してきた。あっという間に2人の唇は重なった。リコは軽やかに舌を動かし、内村の歯を点検するかのようになぞっていく。くすぐったくもあり、官能的でもあった。こんなことを、すべての客にしているのだろうか。よく考えてみれば、先ほど彼女を追いかけて来た男と間接キスをするようなものだ。冷静になろうと、マイナスなことを想像しようとするが、リコの舌の動きが許さない。我慢できなくなって、内村のほうから激しくリコの舌を吸った。
 きつく抱きしめようとしたときに、リコの右手に目がいく。まだ出血しているようだ。急いで体を離す。
「だめだ。まずは手当てが先だよ。血は完全に止まってないね……」
 小さく首を縦に振ったリコは、悲しそうな顔をしながら内村に話しかけた。
「ねえ、さっきキスしているとき、私のことを汚い女だと一瞬思ったでしょ。分かるよ。だって、最初から積極的じゃなかったもん。仕方ないよね。ほかの男のモノをさ、いつも口にしていると思ったら、そういう反応が当然だよね」
 内村は黙っているしかなかった。何を言ってもウソになると思ったからだ。まるでファーストキスの後のように、2人を気まずさが襲う。言葉の代わりに、リコをやさしく抱きしめ頭をなでた。リコは顔を横にして、内村の胸に体を預ける。どこか懐かしい気持ちになる。
 2人の時間を邪魔するかのように携帯電話が着信を告げる。事務所からだった。
「内村さん、さきほど渡した地図に新宿の待機所の場所が書いてあるからそこに向かって。あかねちゃんをピックアップして、六本木のマンションまで行ってください。よろしく」
 電話は一方的に切られた。リコは状況を把握しているようだ。
「リョータ、鍵をちょうだい。あと、何号室か教えて……。大丈夫だよ、本当に何も触らないし、電話がかかってきても出ないから。家に戻る時だけ、私の携帯に電話をして……」
「ケガの手当てをしてから行くよ」
「ダメだよ。オーナーはうるさいんだ。首になったら困るでしょ。はい、これが私の番号」
 リコはそういうと、店の名刺に自分の携帯番号をメモしてよこした。
「分かった。もし、出血がひどくなるようだったら電話をくれ。何とかごまかして戻ってくるから……」
「ありがとう。でも大丈夫。血が固まってきた気がする。じゃあね、急いでね」
 部屋番号を伝えリコを降ろすと、内村は新宿3丁目に向かって車を発進させた。ルームミラーの中で、リコはいつまでも車のことを見送っていた。なぜか遠い記憶の中にある風景と一致する。

 話は25年前にさかのぼる。内村は江戸川区にあるワンルームマンションで、飲食店に勤務する女性と同棲していた。それまでに勤務していたメーカーを辞め、貯金を全部使って機材を購入し、フォトグラファーの肩書きの名刺を作った。大学を卒業してエンジニアの道を進んだはずの息子が、何の相談もなく会社を辞めたことに両親が腹を立て、家を追い出されたゆえの行動だった。
 一緒に暮らしてくれるなら誰でも良かった。サラリーマン時代から行きつけの居酒屋で、まじめに働くホール係の女の子に目をつけデートに誘った。その日のうちに、彼女の家に押し掛けて深い関係になり、それからずっと居座っている。好みのタイプでもなんでもなく、自分の言うことを素直に聞きそうだという理由だけで選んだ。スタイルがいいのが取り柄だったが、地味で少し暗く見える顔立ちのせいか、男から口説かれたことはなかったようだ。それでも処女でなかったことを、内村は自分のことを棚に上げて責め続け、彼女は必死になって謝ることの繰り返しだった。最後は涙を流している彼女を抱き寄せ、別の男に抱かれている姿を想像しながらセックスに持ち込む。内村もまだ30歳になっておらず、彼女の体に飽きることはなかった。
 名刺を作って数カ月しても、カメラマンとしての仕事依頼はなかった。昼過ぎまでゆっくり寝た後は、近所のパチスロ店で時間をつぶすのが日課だった。たいていは負けて、せっかく買い込んだ機材の中から必要がなさそうなものを中古カメラ店へ売って次の遊ぶ金を作っていた。家賃を含む生活費はすべて、彼女の負担だった。
 ある日、運が良く1万枚以上の大当たりとなった。1万枚ちょうどを換金して、残りのコインは思いつきで安物のアクセサリーと交換する。仕事を終え深夜に帰宅した彼女にプレゼントだと言って渡すと、信じられないぐらいの喜びようだった。それから毎日、彼女の胸元でペンダントは揺れ続けた。異変があったのは2週間してからだ。ある日、彼女の胸のあたりが赤くなっているのに気づく。どうやらネックレスはニッケル合金製で、彼女の肌がアレルギー反応を起こしたらしい。
「もう、つけるのはやめろ」と怒鳴って、胸元から引きちぎってゴミ箱に捨てると、それまで聞いたことのない大声で彼女は泣き続けた。抱きしめてなだめようとしても、顔を上げず固まったままだ。「もう知らないぞ」と言って内村は先に眠ってしまった。翌朝、早く目が覚めて横にいる彼女を確かめると、ペンダントを握り続けて静かな寝息を立てていた。
 仕方なく、有り金をはたいて、中古ブランド店で一番安いプラチナのネックレスを買うことにした。以前と同じように、仕事から帰って来た彼女に渡すと、頭が狂ってしまうんじゃないかというほど飛び跳ねて喜びを表現した。仕舞いには照明に頭をぶつけ、痛そうにしながら笑っている。いつのまにか内村は彼女の無垢な想いを感じながら、そこから逃げることを考え始めていた。
「ねえ、今晩は仕事がないんだ。リョータも早く帰って来れる?」
「ああ、打ち合わせが終わったらすぐにね。何かあるのか?」
「うん、相談したいことがあるんだ」
「そうか、じゃあ電話するよ」
 彼女とかわした最後の会話だった。打ち合わせの予定はなかった。めぼしい荷物はすべて、前日のうちに実家から持ち出した車へ積み込んでいた。もう帰らないつもりでいたのである。
 バックミラーの中で彼女が次第に小さくなっていくのを確かめたとき、胸の奥に小さな穴が開いたの感じた。だが、すぐにかぶりを振って、アクセルを強く踏んだ。車は加速する。半年間の同棲生活の記憶は、まるで口に含んだ綿菓子のように、あっという間に消えてなくなった。
(つづく)
(初出:2013年12月24日)
登録日:2013年12月24日 12時47分

Facebook Comments

寺尾豊の記事 - 新着情報

  • ハザードランプはつけたままで(33) 寺尾豊 (2014年04月24日 13時37分)
    いちどは否定された内村とリコの関係。殺人教唆でつかまった祐太郎の告白。内村がかつて捨てた女との邂逅。ついに最終回を迎えたハザード。内村の想いが収束してゆく。(小説現代
  • ハザードランプはつけたままで(32) 寺尾豊 (2014年04月21日 23時42分)
    リコは取調室で覚悟を決め、素直に自白していた。奈津美に謝りたい一心だった。アリバイを作り、つかまらないよう周到に計画した渡辺だったが悪いことはできない。事件の顛末が明らかになる。(小説現代
  • ハザードランプはつけたままで(31) 寺尾豊 (2014年04月17日 12時37分)
    リコは内村と連絡を取った。復讐のため内村をも殺害しようとするが、真実が明らかとなり泣き崩れしかないリコだった。(小説現代

小説/現代の記事 - 新着情報

  • 園生に咲く花(7) 北見遼 (2016年08月13日 12時42分)
    事件が一段落つき、夜も明けようというころで気が付いた。「今日は受験日だった!」 焦る小紅をよそに姉の小百合は涼しい顔で飛ばしていた高速を降りる。そんなときが来た小紅の晴れやかな笑顔がまぶしい。園生に咲く花、最終章!(小説現代
  • 園生に咲く花(6) 北見遼 (2016年05月31日 14時28分)
    「見つけたわ!」深夜の高速道路を爆走するピンク色のワゴン車。誘拐犯の車を見つけた一行はカーチェイスの末、ついに犯人を追い詰める。重苦しい現場で露わになるそれぞれの想い。(小説現代
  • 園生に咲く花(5) 北見遼 (2016年05月12日 14時06分)
    誘拐犯と思わしき晴美――姉の旦那がかつてつき合っていた女性のアパートに雪崩れ込むがすでに空っぽだった。取り乱す姉に愕然とする小紅だったが、事態はそれどころではない。(小説現代

小説/現代の電子書籍 - 新着情報

  • オンラインマガジン『騒人』総集編  (2015年08月20日 17時44分)
    オンラインマガジン騒人に掲載の編集者オススメ作品と書き下ろし作品をまとめて発刊した投稿Web小説『Sohzine.jp』Vol.1から10までを一冊にしました。一巻ずつ購入するよりお得。単体で電子書籍化した「作家の日常」は小説家、阿川大樹氏の日常を公開。また、宇佐美ダイ氏の「LeLeLa」は、不思議な力を手に入れ吸血鬼となった男の対決を描く伝奇小説。眠太郎懺悔録シリーズの青島龍鳴氏「ファーストキスは鉄の味」、城本朔夜氏の電子書籍「イペタムの刀鞘」外伝など、充実した内容でお送りします。コメディや児童小説の他、時代小説、ファンタジー、笑える・泣けるエッセイまで、70作品を一気に楽しめます。(小説現代
  • 投稿WEB小説『Sohzine.jp』Vol.9  (2015年08月20日 17時29分)
    騒人編集部お勧め作品を掲載! 青島龍鳴氏『ファーストキスは鉄の味(前編)』は、退治屋不足のため狐の女王と取引をする帝家。眠太郎懺悔録シリーズ。樹都氏『ヤミネコ』。猫にまつわるあらぬ話。阿川大樹氏『作家の日常』では、お金にまつわる話しを赤裸々に告白。宇佐美ダイ氏『LeLeLa』。美智子は朋子に“気”を扱うための栓を抜かれるが……。綺羅星沙々羅氏『太陽は君に輝く』はククルの森に入った一行の前に難敵が出現。南川純平氏『ポトゲラヒ』。下田にやってきた久之助は写真術を学ぶ機会を得る。いちばゆみ氏『ゆうきゃんの人生迷走案内』。電車で見たポスターに思い出したのはカオルくんのことだった。あのとき、何が出来たろうか? (小説現代
  • 投稿WEB小説『Sohzine.jp』Vol.8  (2015年08月20日 17時24分)
    騒人編集部お勧め作品を掲載! 浅川こうすけ氏『恋人ボックス』。モニターに映し出された恋人、デアルを独り占めしたい村木は作戦を練る。天野雅氏『永遠の海』。中学三年の千彩子。案内された崖の上。彼女の計画とは? 阿川大樹氏『作家の日常』は編集者との出会いについて。宇佐美ダイ氏『LeLeLa』は逃げ出した美智子の前に“新人類”を称する吸血鬼が現れる。綺羅星沙々羅氏『太陽は君に輝く』では、貴族と一般人の混合チームで試験に挑むことに。新連載、南川純平氏『ポトゲラヒ』は日本における写真の開祖、下岡蓮杖の青春を描く。おおみち礼治氏『宣う躰 キンタマチェック』は当時十六歳だった著者の入院録。今号も面白いに決まってる! (小説現代

あなたへのオススメ

  • ハザードランプはつけたままで(33) 寺尾豊 (2014年04月24日 13時37分)
    いちどは否定された内村とリコの関係。殺人教唆でつかまった祐太郎の告白。内村がかつて捨てた女との邂逅。ついに最終回を迎えたハザード。内村の想いが収束してゆく。(小説現代
  • ハザードランプはつけたままで(32) 寺尾豊 (2014年04月21日 23時42分)
    リコは取調室で覚悟を決め、素直に自白していた。奈津美に謝りたい一心だった。アリバイを作り、つかまらないよう周到に計画した渡辺だったが悪いことはできない。事件の顛末が明らかになる。(小説現代
  • ハザードランプはつけたままで(31) 寺尾豊 (2014年04月17日 12時37分)
    リコは内村と連絡を取った。復讐のため内村をも殺害しようとするが、真実が明らかとなり泣き崩れしかないリコだった。(小説現代