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寺尾豊
著者:寺尾豊(てらおゆたか)
1958年東京生まれ。千葉大学工学部画像工学科卒。子供の時からの夢は作家だったが、文学部に進学することを父親に反対され理系の道へ。卒業後、結局エンジニアにはならず、文章を書く仕事につくため日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社。日経パソコン、日経デザインなどの雑誌で記者や副編集長を務める。映像部に異動後も、日経ビジネスアソシエでエッセーを連載していた。2009年末に退社してからはフリーの映像制作者。
小説/現代

ハザードランプはつけたままで(5)

[連載 | 完結済 | 全33話] 目次へ
一方、リコは母親と自分がデリヘル嬢になるまでの過程を思い出していた。予定を一時間以上すぎて帰ってきた内村だったが、深夜に客が訪れる。
 内村のワンボックスカーが大通りを左に曲がるまでリコは見送り続けた。以前、キャバクラで働いていたときのように、去っていく相手の姿が完全に見えなくなるまで、いま立っている場所を離れないのが習慣になっていた。その間、頭の中にいろいろな情景が浮かんでは消えていく。内村を見送りながら思い出したのは、亡くなった母のことだった。
 リコが中学生になっても母親は、自分の姿が視界から消えるまで見送っていた。小学生のころはうれしかったが、いつもの朝の光景を偶然目撃した同級生の男子に、マザコンとからかわれてから嫌でたまらなくなった。「お願いだからやめて」と頼んでも、「わが子の成長を実感する楽しみを奪わないでくれ」の一点張りで、母は娘の意見を聞こうとはしなかった。リコに物心がつく前に離婚しており、母と娘の2人暮らしであることも影響していただろう。
 中学3年生のとき、リコに彼ができた。同級生だった。学校ではおおっぴらに仲良くできない。通学の時間と、塾の帰りに自宅の前で立ち話をするのが2人のデートタイムだった。ある日、彼が「これからは毎朝、家の前まで迎えに行くよ」と提案した。素直にうれしかったが問題は母だった。彼の存在は伝えていたものの、2人で家の前から出かける姿を見送られることを想像したらぞっとした。その晩に思い切って母親へ事情を話すと「あっ、そう。じゃあ明日からは見送らないね」と意外にも、あっさり引き下がってしまった。リコは面倒なやりとりにならなかったことにほっとしていた。
 翌朝、彼が到着したことを告げるチャイムが鳴る。母は起きてからずっと黙っていた。やはり怒っているのかもしれない。ごめんなさいの言葉を口にすることもなく、リコはあわただしく家を飛び出した。力を入れたつもりはなかったが、いつもより大きな音を立ててドアが閉まった。家が見えなくなるところまで来たとき、そっと後ろを振り返ったが母の姿はなかった。
 母親が乳がんで亡くなったのは、それから半年後のことだった。母の姉である叔母の家に引き取られ、高校卒業まで面倒をみてもらった。大学にも行きたければ構わないと叔父に言われたが、決して裕福な家庭ではないことが分かっていたこともあり飲食チェーン店に就職した。研修で一緒だった同期の男性とすぐに仲良くなり、連休明けには彼のアパートへ転がりこんだ。叔母からは「やっぱり、敦子の娘だね」と気になる言葉を聞いたが文句は言わせなかった。
 就職してから2年。同棲相手が浮気をしたのをきっかけに会社を辞め、キャバクラに勤めることにした。店が用意したワンルームマンションでの生活は快適だった。客あしらいは決して得意ではなく、営業のメールや電話をこまめにすることは苦手だったが、だれにも気兼ねなく自分だけの時間を持てるようになった。ただ、人気嬢にはなれず、収入も限られていたので、店には内緒でデリヘルのアルバイトをすることにした。あれから1年半。引っ越すだけのお金が貯まったのを機にキャバクラを辞め、デリヘルだけで稼ぐことにした。楽な仕事ではなかったが、自分のペースで働けるのが良かった。
 それにしても、なぜ、こんなタイミングで母のことを思い出すのだろう。少し癖のある髪の毛や、白い肌は母親ゆずりだ。違っているとしたら目かもしれない。母は切れ長の一重だったが、リコはぱっちりとした二重だ。きっと写真も見たことがない父親に似ているのかもしれない。少し重くなった気持ちを引きずって、内村の部屋に向かった。
 扉を開けると、清潔感のあるインテリアに唖然とする。中央に白いソファがあり、右側半分は写真機材とパソコンが整理されて置いてあった。キッチンの脇に小さな部屋があり、フローリングの床にマットレスをじかに敷いて寝ていることが分かった。すぐそばには布団がたたんである。つい匂いを嗅いでしまう。干したばかりなのだろうか。陽だまりのような懐かしい匂いが鼻孔をくすぐる。何だか安心して、そのまま寝てしまった。
 内村が仕事を終えてマンションに戻ってきたのは、予定を1時間以上過ぎた深夜2時過ぎだった。結局、リコを含めて5人の送迎をして1万円を手にする。正確に言えば、デリヘルの事務所に連絡したときに「本日のギャラは1万円ね」と告げられただけで、まだもらってはいない。当日払いも可能だったが、事務所に顔を出すのが面倒くさく、後日まとめてもらうことにしたのだ。電話に出たのが自分を面接した店長ではなく、ちょっととがった声の女性だったのもためらった理由だった。
 リコに渡したのとは別の合鍵で扉を開ける。人が待つ部屋に帰るのは離婚して以来だ。姿が見当たらなかったので、おそらく寝室にいるのだと思って仕切りを開ける。案の定、布団に顔を突っ込んで、リコは猫のように体を丸くして寝ていた。右腕には自分で手当てしたのか絆創膏が貼ってあった。傷口は小さかったのだろう。ほっとする。
「おい、こんな恰好で寝ていると体が固まっちまうぞ。起きろよ」
 びくっとして、すぐにリコが目を覚ます。
「あ……、リョータ。お帰り。いま、何時?」
「2時15分だよ。布団を敷かせてもらっていいかな。退屈な仕事だったけれど、ずっと車の中にいて疲れているんだよ。寝たいんだ」
「ごめん、いまどくね……」
 そう言ってリコは立ち上がるが、起きたばかりということもありふらついてしまう。すぐに内村が支える。ふと見ると、水色のカットソーが血で汚れている。腕からの出血は止まっていたように見えたが、寝返りをうっている間に服を汚してしまったのかもしれない。
「嫌じゃなければ、おれのTシャツとルームパンツを貸してあげるよ。そのままでは寝にくいだろ?」
 リコはうなずくと、寝ぼけた顔をしながらトイレに向かった。その間に寝床を整えることにした。これからリコと深い関係になってしまうのだろうか。疲れているはずなのに、下半身が反応している。いつもよりていねいにシーツのしわを直している自分に気づき、つい笑ってしまう。
 そのとき、携帯が着信を告げた。見慣れない番号だった。深夜でもあり、無視するのも手だったが、つい緑色のアイコンをスライドしてしまう。
「もしもし、内村さんですか? 昨晩、名刺をお渡しした刑事ですがね。至急、お聞きしたいことがありまして、いまから、そちらへうかがわせてください」
「えっ、こんな時間に?」
「実はもう、あなたの名刺にあったマンションの入口にいるのですよ。これからインタフォーンを押すので、オートロックを開けてくださいね」
 電話は一方的に切られた。間を置かずインタフォーンが鳴る。モニターには確かに、あの刑事が映っている。それも一人ではないようだ。一体、何があったというのか。悪い予感に、粘り気のある汗が噴き出す。選択肢はなかった。ドア開錠ボタンを押すしかなかった。
(つづく)
(初出:2014年01月01日)
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登録日:2014年01月01日 14時16分

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