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樹都
著者:樹都(いつきのみやこ)
書棚に文学全集を並べていた母と、階段裏に自作ラジコン飛行機をずらりと並べていた父。学研のまんがひみつシリーズと水木しげるの妖怪百科。地元の図書館の児童向けホラー/SFの全集。こっそり買った古いアメリカのヌード写真集と、推理小説のカバーをかけた官能小説。90年代のライトノベルと花と夢。これらを混ぜると樹都になる。
小説/現代

MISS

[読切]
「あいっ! あいっ!」しゃくりあげながら叫ぶ幼児にいらだつ母。いらだちながら離婚の相談をする夫婦たち。夜空を見上げ、なにかがないと思うが何がないのかわからない。神がなかったことにした「それ」による人々の変化とは。
 神は『それ』をうっかり壊してしまった。
 造り直すのが面倒で、もともと無かったことにした。


※    ※    ※    ※


「あいっ! あいっ! あいっ!」
 と、発語だけを聞けばなにかを全力で肯定しているようにも思えそうだ。けれど幼児は懸命になんどもかぶりを振り、しゃくりあげながら叫んでいるのだった。
「なんだっていうのよ……もう」
 真夜中だ。二月の夜空は冷たく冴えている。どうしたの? と聞いても、ねんねの時間よ、と諭しても、抱きかかえられた子供はただ「あいっ!」と叫ぶだけだ。
 二歳になって、成り立つやり取りも増えてきた。けれど、まだ理屈が通じるわけでも、不満を全部聞き取ってやれるわけでもない。
「ねえもういい加減にしてよ。ご近所に迷惑でしょう?」
 言ってもわからないことを、わからないとわかっていて言う。そうして苛立ちを正当化する。付属の駐車場から見上げるマンションは、どの窓も明かりが消えている。そりゃそうだ、どの人にも明日の仕事や暮らしがある。私にだって。
 けれど、「私に迷惑だから黙れ」とは言えない。口をふさぐことはできない。親だから。無理だと思っても親だから。
「はいはいはい。あいね。あいねあいね。そうねそうね」
 わからないことをわかっているふりだけしてやると、それは思いやりのはずなのに心が冷えた。おざなりに縦にゆすり、背中をぽんぽんと叩き、自分も「無理! もう無理!」と叫びたい気分で空を仰ぐ。愛なんてどこにあるんだろうか。あったはずなんだけど。
 星がぽつぽつとまばらに見えた。いや、結構たくさん出ているのかもしれない。コンタクトをつけていないから数えるほどしか見えないけれど、空全体がぼんやりと滲んで光って見えるからきっと小さな星がたくさんあるのだ。明るいというよりは薄い、茫洋とした夜空。
「ああ、そうか……」
 なんて言っているのか、わかった。
「星はいっぱいあるねえ」
 ん、とそこだけうなずいた子供は、またすぐにかぶりを振った。言いたいことはそれではないから。
「うん。そうね。『ない』ね。『ない』。そうね。さびしいね」
「ん。あい。ない、ねえ」
 ぐりぐりと、肩口に目元をこすりつけてくる。ぎゅっと抱いた。できるだけくっつくように、近づくように、寄り添うように、抱き寄せた。
「ないね。どうしてかなあ……」
 なにがないのかわからない。けれどたしかになにかがない。空が、星ばかりでからっぽだ。
 そうだ。夜に泣きだしたこの子を外に連れ出すのは、なにかがあったからじゃなかったかしら。
「さびしいねえ」と問いかけたら「さいしいねえ」と一生懸命、新しい言葉をまねた。
 しばらく、母子で空を見上げていた。


※    ※    ※    ※


「『性格の不一致』でいいんじゃないのか。こういう面倒を避けるための言葉だろう。便利じゃないか」
「だからそういうことじゃないでしょう。大事なことでしょう……」
 夫婦は二人とも疲れ果てていたし、苛立っていた。
 冬の夜だけど、暖房は付けていない。冷え切ったテーブルの上に、両者の印を押した書類が一枚乗っている。
 夫婦がまだ夫婦なのは、単に『なぜそうではなくなるのか』ということがはっきりしないからだった。
 二人とも自分のせいではないと思っているし、かといって相手のせいだと罵りあいになるような相手と結婚するほど愚かでもなかった。
(本当にそういうことなんじゃないのか)
 性格の不一致。実際、どこが一致していたのか探すほうが難しい。たとえば、彼女は決別の理由がはっきり言葉になるまで話し合わなければならないと思っているし、自分にはその必要がまるで感じられない。必要がない話題でぎすぎすしたやり取りをするのはひどい苦行だ。そう思いながらタバコを取り出し、火をつけようとする。
「ちょっと。中で吸わないで」
「ああ……わかったわかった」
 わかってるからわかってくれよ、と言いたい。落ち着いて根気よく話につきあうためにタバコの煙が必要なのであって、一人で考えることなどもうありはしないのだ。
 ベランダに出た。星明かりの中にライターの火をともすのが、やけに乱暴なことのように感じられた。
 シュッと一瞬明るくなって、あとはタバコの先に赤い点が残る。
 見下ろすと駐車場に人影があった。さっきまで子供の泣き声が聞こえていたから、影は一つだけど一対だとわかる。子供を抱いた若い母親だ。子供はもう泣きやんだのか。
 今となれば幸いにして、子供には縁がなかったから、離婚しても被害者はいない。いや、子供がいれば、別れる必要も生じなかったのだろうか? いやいや、いた上でやっていけなくなればそれこそ悲惨だ。
 いるから。いないから。不在。
「なあ……」
 ぽつ、っと思い浮かんだことがそのまま口をついて出た。
「一ヶ月って、なんで大体30日なんだっけ?」
「……は? いや。知らないけど、一年が12カ月だからじゃない?」
 間が、こちらの言葉に対して堅く身構えていたために生まれたものなのはわかった。けれど結局、返ってきた答えは単純だった。脈絡がなさ過ぎて深読みのしようがない話題だ。
「あなたって本当に妙なこと気にするよね」
「気になったんだからしょうがないだろ」
「じゃあ調べてみたら?」
「ああ……」
 電子辞書はどこに置いたっけ、と取りに行きかけて、やめた。気になった理由に気付いたから。
「なあ、こっちに来てくれよ」
「やだ。タバコ臭いもの」
 タバコを消そうとして、落として踏み消せばまた言い争いになるのを思い出した。
「いいから来いって。来ればわかるから」
「どういうことよ」
「じゃあ、灰皿持ってきてくれ。すまん。持って出るのを忘れた」
 はいはい、と物憂く呟いて、灰皿を持ってきてくれた、その手をぐっと掴んでベランダに引っ張り出した。
「ちょっと! なに?」
「あれだよ」
 赤い火の先で空を指した。指した、とは言えないかもしれない。そこには取り立ててなにもないのだから。
「……なにも、ないじゃない」
「だからさ。ないだろ?」
「そうね。……ない」
「ないよなあ」
 なにが、とは二人とも言いだせない。なにがないのかわからないのだから。ただ、ない。
「なんだったかしら……」
「なあ。なんだったかなあ……」
 灰皿を受け取ってタバコをもみ消した。
「とりあえずさ」
 なにがないのか分からないから、話の脈絡もわからないけれど、思ったことを言った。
「思い出したら、でいいんじゃない か?」
 なにがとは言わなかった。
「……そうね」
 それにしてもなんだったっけ、と二人でしばらく話したけれど、わからないものはわからなかった。


    ※    ※    ※    ※


 結局誰にもそれは思い出されないまま、年月が過ぎた。


    ※    ※    ※    ※


 その演説は、全世界に同時に配信され、間違いなく世界中で注目されているものだった。にもかかわらず、吹きさらしの夜空の下で、ただ単に頑丈で大きいだけの土台の上で行われた。
 演者は、一国の指導者であり、近い将来に世界で最も責任が重いポストに就くだろうと目されている人物だ。
 演説は、そこが莫大な国家予算を投じて行われていたプロジェクトが終焉したことで生まれた空き地だ、と紹介するところから始まった。
 それから、予算どころかこの地球上のあらゆるものがすでに不足していることがシンプルに指摘された。土地も水も食料もエネルギーも、すべて、すでに奪い合われているものだ。
「私たちはずっと、分かち合うことが出来なかった。外見が違い歴史が違い正義が違い神が違い、親愛の情の現れ方すら違う。共有していないから分かち合えない。問題は実にシンプルだ」
 だが、希望はある。と。
 天を仰ぎ、中天をまっすぐに指す。そこにはなにもない。
「私たちが共有しているものは間違いなくそこに『ない』。誰もが知っている通りに」
 だから、と言葉を継ぐ必要はなかった。
 そこはかつてロケットの発射台だった。宇宙開発に莫大な予算をつぎ込ませた道しるべがなんであったか、科学者にも政治家にも史家にも説明できない。動機すら説明できないプロジェクトに予算が与えられなくなったのは当然だった。
 そこには、ただ強固な土台が残されていた。
 世界中で共有されうる土台が。
 夜空を見上げるとみんな寂しいから、人はつながり始めていた。
(了)
(初出:2011年05月)
登録日:2011年05月24日 14時20分
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