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浅川こうすけ
著者:浅川こうすけ(あさかわこうすけ)
猫が好き。毛がつやつやの黒猫が特に好き。自分で飼ってるわけではなくて人様の猫相手に猫じゃらしを振ったりしています。でも本心では、自分自身が猫じゃらしにじゃれつきたいのです。時間やしがらみを忘れて一心不乱にじゃれつきたいのです。猫じゃらしを振っているのが美しい奥方ならなお嬉しい。――と、こんなことを真顔でいう30代の未婚男子でございます。
小説/現代

恐怖のニショク

[読切]
南春明の心臓は停止した。ただし一瞬だけ。――目の前に現れたウミナリニショクヘビ。正直な彼の心臓は、その高額な賞金のためではなく、ヘビの持つ毒性を恐れて一瞬だけ止まったのだった。執拗に襲ってくるニショクに南は……。
 南春明の心臓は停止した。
 ただし一瞬だけ。
 驚愕に停止した心臓は、しかし次の瞬間からは常時の三倍のスピードで動きだした。
 藪のなかから、ウミナリニショクヘビがはいすすんできたからだった。
 ひし形の頭部は水色をしているが、尾のほうに近づくにしたがい白くかわっていく。その美麗なるグラデーションはマニアのあいだで定評があり、愛着をこめてニショクとよばれていた。生息数が希少なため、捕獲すれば高額の賞金がでるらしい。
 南は緊張のあまり、土で汚れた手ぬぐいをにぎりしめた。呼吸も荒くなる。
 爬虫類界の金といわれるニショクに遭遇し、その高額な賞金に有頂天になったからではない。毒蛇だったからだ。毒性こそ低いが、牙をつきたてた瞬間から多量に毒を注入してくるため、かまれるとまず助からない。
 ニショクが先われ舌をチロリとのぞかせた。
 南の心臓が収縮する。
 高額の賞金よりも、おのが命が大事。心臓はそのことをよくわかっていた。
 そういえば町内会の放送で警告がでていた。マニアが飼っていた毒蛇が逃げだし、現在捕獲作業中だとか。
 そのヘビはいま、眼前にいた。
 なんという不運だ、と南は天をあおぎたくなった。社長の一人娘と婚約した矢先に、この災難。この世は神も仏もない。
 右手の方向、約五メートルほど先に坂がある。人ひとりがやっと歩けるくらいのやせた坂だ。それをあがり、森の獣道を疾走して、舗装された道へとでれば、車がある。
 遠い道のりだった。
 武器になりそうなものといえば、にぎりつづけている手ぬぐいだけ。そも、道具を車に戻したあと、この手ぬぐいを忘れたのを思い出し、取りにもどったのがいけなかった。
 南はニショクを刺激しないように、坂をめざして足をずらしていった。気が遠くなるほどゆっくりと、空気を動かさぬよう慎重に。
 ニショクは頭部を持ち上げたまま、赤いつぶらな瞳で、こちらをうかがっている。
 じつは南は、ニショクと顔をあわせたのは、これがはじめてではなかった。知人のマンションで、何度も遭遇している。そのときには、もちろんガラスケースごしだった。
 ヘビマニアの知人は、ニショクについて、赤い瞳がかわいいだとかいっていたような気がする。入手するのに、貯金をついやしたともいっていた。彼女のいうことは、半分は聞き流していた。ヘビの魅力など語られても、リアクションに困るだけだったから。
 思い出せ!
 と、南は自分を叱咤した。習性にかんして、重要なことをいっていたはずだ。
 思い出せ! 思い出せ! 思い出せ!
 にじり進む足に、なにかがふれた。
 条件反射で、目線が足元へとむかった。
 足にふれているのは、木の枝であった。一メートルほどのそれは、先のほうが少しまがっている。身を守る武器としては、手ぬぐいよりもずっと頼りになるだろう。
 そう思うが早いか、南は無用心にしゃがみこんで枝を手にした。
 待ち構えていたかのように、ニショクが口をひらき、ガス漏れのような音で鳴いた。
 体を上下に波打たせながら、おそろしい速さですべりくる。
 噛まれると死ぬ。
 と、南の脳内に不吉な言葉がわきでた。
 その言葉は混乱を生んだ。
「わああああ!」
 南は叫びながら、手に持つものを投げた。
 枝ではなく、手ぬぐいをだ。
 冷静な思考が働いていれば、逆に枝を投げていたはずだ。
 しかし、この場合は、逆に手ぬぐいがよかった。冷静な思考ではないほうがよかった。
 投げられた手ぬぐいは空中でひろがり、ゆれながら落下してきた。
 南は瞠目した。
 体をたわめたニショクが、空中の手ぬぐいめがけて跳躍したのだ。一瞬とはいえ、空中にヘビが浮かんでいるのだ。
 南の思考内部で爆発がした。
 突然、記憶野に閃光がひらめいた。
 臨戦体勢のニショクは、一番近くの動いているものを優先的に襲う習性がある、ということを思い出したのだ。
 南は手ぬぐいを投げたあとは、動きをとめていた。
 手ぬぐいは空中でひろがり、ゆらめく動きを見せながら落ちてくる。
 とまった南に、動く手ぬぐい。
 ニショクはターゲットをかえたのだ。
 これが枝であるなら、すぐに落ちてしまっていただろう。
 軽い手ぬぐいのほうでよかった。ヘビが空中にのびあがり、その無防備な腹をさらけだす手ぬぐいのほうがよかった。
 ニショクが跳躍した刹那、南の脊椎が、いまこの瞬間にしかチャンスがないと判断し、独断で枝を持つ手をふるった。
 弧を描いた枝が、狙いあやまたず、ヘビの胴体を横にないだ。
 ニショクの体が直線をひき、木にあたって落ちる。
 南は脱兎のごとく、駆けだした。
 あの程度のことで、執念深い爬虫類が死ぬわけがない。いまこのすきに、全速力で逃げなければえじきとなってしまう。
 いまこの時間を稼げただけでも僥倖なのだと、南の本能は知っていた。
 転げそうになる体を必死で制御し、坂にたどりついた。駆けあがる。怖くて、うしろはふりかえられなかった。
 坂の途中に、拳大の石がころがっていた。
 またぐついでに、かかとで石を後方に蹴る。
 ニショクに直撃するかどうかは運まかせだが、進行を遅らせることはできるかもしれない。やらないよりも、やったほうがいいに決まってる。仕事にしても、恋愛にしても、なんだってそうだ。
 南は坂を駆けあがりながら、坂の頂上はまだかと顔をあげた。
 ニショクが牙を光らせて、坂をすべり下りてきていた。
 先まわりされていた!
 なぜ? という疑問と同時に解答をえた。葉が落ちてくるのが、視界にはいったのだ。
 目を上にあげると、枝がはりだしていた。
 その枝をさらに追っていくと、ニショクを吹っ飛ばしてぶつけた木へといきついた。
 執念深い爬虫類はその幹をのぼり、枝をはいすすみ、坂の上に到達すると、自分の意志で落下したのだ。
 なによりも南の背筋を凍らせたのは、遠回りになるルートをニショクが選んだということだった。人間の気落ちを計算にいれ、先回りによる精神的打撃をねらったのだ。
 このずるがしこさは、爬虫類ではなくむしろ人間に近かった。
 南は手にもつ枝をヘビにむかって投げた。
 ニショクが枝にかぶりく。
 人間なみのずるがしこさはあっても、動物としての習性は残っているのが幸いだった。
 南は踵をかえし、必死の形相で駆けおりた。
 ニショクはすぐに枝をはなすだろう。時間稼ぎにもなりはしない。
 それでも、いやだからこそ南は走った。
 ふりむかなかった。ふりむけなかった。
 坂をおりきった。
 ふみだした足がなにかをふんだ。
 見えている光景が、下から上に流れた。
 走りおりていた勢いそのままに、南は地面に熱烈なキスをした。
 もしこの場にバナナの皮がいれば、オレはいなくてもいいんだな、と自嘲気味にほほえんだだろう。
 南は、自分でけり落としていた石をふんずけて、バランスを崩してしまったのだった。
「ちくしょお!」
 南は怨嗟をこめて叫んだ。
 ちくしょうを連呼しながら、南は首だけをふりむかせた。
 口をあけたニショクが、牙から毒液をしたたらせながら、足元へとはいすすんでいた。
 南は固く目を閉じた。自分がかまれる瞬間など見たくもない。
 足に軽く衝撃がはしった。
 ああ、ついに。
 いまさらだが、目頭が熱くなった。鼻の奥がすっぱくなる。
 いまはもういない、ヘビマニアの知人の顔を思い出した。
 また軽く衝撃がはしった。
 南は、おや、と思った。痛みがないのだ。毒でマヒしたにしても、一番はじめにかまれたときの痛みがないのはおかしい。
 恐々と左眼をうすくあけた。
 ヒゲ面の男が足を軽く叩いていた。
「もう大丈夫だ。あぶなかったな」
 ヒゲの男が、白い歯をみせた。本人は微笑のつもりだろうが、威嚇にしか見えなかった。
「オレは保健所の者だ。ヘビはこのとおり」
 といって、ヒゲ男が麻袋のようなものを持ちあげた。
 麻袋がまるで生き物のように身じろぎしていた。きっとなかでは、ニショクがくやしさにもだえているのだろう。
 南は安堵におおきく息をついた。
 ヒゲ男に助け起こされ、心臓の動悸を沈めながら坂をのぼる。今度はわすれずに、手ぬぐいもちゃんと持ってきた。
 獣道を十分ほど歩き、アスファルトで舗装された道にでると、車が二台停まっていた。一台はヒゲ男のものだろう。
 麻袋の口をにぎりしめたままでヒゲ男が、、
「運転できないようなら、送っていくが」
「いえ、ひとりで帰れます。ありがとうございました」
 南は自分が乗ってきた車の助手席に、手ぬぐいをほうりこんで、
「そうだ。ひとつ教えてくれませんか?」
「なにかな?」
「ヘビはマニアが飼っていたものと放送されてましたが、その人の名前はなんと?」
 南は後部座席をあけながらいった。
 ヒゲ男は、ヒゲをなでながら、
「教えていいのかな。ま、きみは被害者だし、いいだろうな。早川美智子というそうだよ」
「へえ、そうなんだ」
 南は後部座席からシャベルをとりだし、ヒゲ男の眉間めがけてふりおろした。
 打撃でヒゲ男がふきとぶ。
「やっぱり、美智子のヘビだったか」
 倒れたヒゲ男にむかって、さらにもう一発。
 すでに、あたりは鮮血にそまっていた。
「このへんで、貯金をほとんどついやしても飼いたいと思うヘビマニアは、あいつだけだ。餌をくれる飼い主がいなくなったものだから、ヘビのやつは執念でマンションから抜けだした、といったところか」
 しゃべりながら、シャベルを何度もふりおろしていたため、すでに血だらけのヒゲ男はピクリともしていない。
 脈をとり、心音も聞いてみた。二人目ともなると、なれたものだった。
「よし。これでここにオレがいることを知る者はいなくなった」
 南は盗難車のなかへ、シャベルをほうりこんだ。あとでこの車も処分して証拠をなくす。死体を埋めたはいいが、手ぬぐいをわすれてしまうというようなミスは、もうおかさない。
 だが、これからどうしようと、南は腕をくんだ。
 ヒゲ男の死体をどうするのか?
 新たな問題がたちふさがった。
 もっとも、南は解答をだす必要がなかった。
「ぐえ!」
 足首にするどい痛みがはしった。
 愕然と見下ろすと、赤い紐が足首に巻きついていた。
 いったいなんなのか凝視する前に、足首の痛みが激痛へとかわり、南は苦鳴をはっしながら片膝をついた。
 赤い紐との距離がちぢまった。
「な、なんだとお!」
 赤い紐は、ウミナリニショクヘビであった。
 水色と白とのグラデーションが、すべて赤一色にそまっている。
 ヒゲ男の鮮血が周囲を赤く濡らしていたため、同じく赤く染まったニショクが見えなかったのだ。ニショクは二色だという先入観もあった。
 ニショクから男のわきにある麻袋に視線を転じると、口があいていた。
 いや、そもそも男は口を自分の手でしめていただけなのだろう。それを知らずに、なぐり殺してしまった。
 噛まれた箇所は、すでに痛みを感じていなかった。
 南の額に脂汗がにじむ。
「ちくしょう! なんてこった! どうしてオレがこんな目にぃ! 社長の娘と婚約してこれからだというのに! 邪魔者も殺して埋めたのに! ちくしょう! ちくしょう!」
 歯のあいだから声を押しだしながら、南はあおむけにたおれた。
 南春明の心臓は停止した。
(了)
(初出:2000年05月)
登録日:2010年06月14日 23時10分
タグ : ヘビ

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