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天野雅
著者:天野雅(あまのみやび)
埼玉県生まれ、千葉県育ちの関東人だった。結婚を機に関西の人間になる。現在は関西とも東海ともいえる近畿地方に在住。10年経って方言にも慣れた。血液型はマイペースで知られるB型。住めば都を地で行く性質。ネット作家歴20年。同人作家歴はプラス5年。趣味は映像鑑賞。写真撮影。歌唱。創作料理。好物は自然万物一般。美術芸能一般。パソコン。ゲーム。漫画。文章。
小説/現代

レドモヨンカジ

[読切]
時間よ戻れ。幸福だったあの時代に戻れるとしたら? そんなことは信じないと宣言した若い頃。40年が過ぎて人生を振り返ったとき、どのように感じるものなのか。ひとりの女性の物語。
 映画鑑賞券をもらったので、大学が早く終わった午後、友人を誘って有楽町に出た。
 ざっくばらんにストーリーの粗をつついて感想はそこそこに、マリオンビルの向かい筋にある居酒屋で少し呑んで簡単に夕食を済ませると、腕時計の針は八時半をまわっていた。
 いつ通っても人も車もまばらな山手線のガード下を、カシミアのコートの襟をかきあわせつつ寒い風に吹かれながら歩く。
 水銀灯が明滅する薄暗い舗装道路。私が慣れないブーツの踵の高さを危ぶんで足もとに気をとられていると、友人がいきなり私の腕をひっぱった。
「ちょっと、何……」
「ねえねえ助教授へのアプローチさあ」
 またその話、と酒が入って以降うんざりするほど聞き役に徹してやった内容に冷めた気分で応じかけると、
「聞いてみるわ」
 おっと。
 友人は小走りに私から離れていって、数十メートル先のぼんやりと浮かびあがっている『手相』の黄ばんだ四角い箱の前で止まった。
 えーっこんなところで冗談じゃないよ。待ってろっての?
 あきれて呟くと、ふいに横から声がかかった。
「お嬢さんもどうですか?」
 見ると、細いこの車道を渡った反対側にも、掌の絵があかい光に揺れていた。
 気がつかなかった。
「あたしは、そういうのは、ちょっと」
「いえいえ見料はいただきませんよ。お互いに暇つぶしということで、いかが?」
 目を凝らして見ると、友人は小さな台の前に背中をまるめて既に話しこんでいる様子。
 私は白い息をついて、仕方なく誘われたほうへ近づいていった。
 自覚できない程度に酔っているのかもしれない。
「その椅子にどうぞ」
「どうも」
 おかしな具合だ。屋台によく置いてあるドーナツ型の薄いクッションは固く冷たく、鉄の四本足のすきまからコートの裾へと冷気がはいのぼり、早くも私は後悔しはじめていた。
「両手を見せてくださいね。ええと、お名前は?」
 毛糸の手袋をとる。我ながら辛抱強い。ちらりと視線をはしらせると、掌の絵の横に筆文字で『櫻井陽楓』とあった。このひとの名前らしい。
「……皆川菜穂」
「ふむふむ。生年月日は」
「昭和……」
 突然、その答えをかき消す勢いで、周囲が鳴動した。レールの上を山手線か京浜東北線か新幹線か何かが通っていったのだとすぐに判ったが、びっくりしてしばらく胸を押さえてしまった。
 慣れているのだろう、目の前の人物はまったく動じていない。
 むしろ、人生相談する者にとっては時折のこの音のカーテンがちょうど良いのかもしれなかった。
 私の両手に添えられた手は、明るくても嗄れた声にふさわしく、骨と皮ばかりに痩せて小さかった。
 年輪を経るごとに逆に縮んでしまっている。
「お若いねえ」
 タイミングよく言うので、考えていたことを見透かされたような気がして、思わず両手を引っ込めそうになった。
「おじさん、もしかして若い女の子の手が握りたくて、この仕事されてます?」
「ほほ」
 辻占い師は風に似た笑い声を洩らした。私の手はそんなに強い力でとめられているわけでもないのに、老人の手を振りほどけなかった。
「心配しなくても、手前も昔は若い女の子でしたよ」
 えっ。
「すいません。おねーサンだったんですね」
「かまいませんよ。おもしろい子だねえ、皆川さん」
 ははは。笑って誤魔化してしまう。
「手相にも出てたりして」
「まあねえ」
 含み笑いが真偽のほどを打ち消す。どっちでもいいか。どうせ暇つぶし。
「そうねえ。あんたにだったら教えてあげようかねえ」
 意味深長なセリフ。私の酔いがちょっとだけ醒めた気がした。
「なんですか?」
「疑ってもけっこうだけれど、この道を」
 私は顔をあげた。老婆の顔をまだよく見ていなかったが、しかし片腕をうしろへと差し伸べて、半身になったまま告げる彼女の表情は結局見えなかった。
 暗がりに、最初からそこにあったのか、唐突に今あらわれたような、自転車1台やっと通れるくらいの路地が左の脇からのびていた。誰の姿もない。
「ゆっくりと向こうへ歩きながら、『レドモヨンカジ』と1度だけ唱えますのよ。そうするとねえ、戻りたい時代に戻れますのさ。過去のご自分のいつかに」
「レドモヨ……? 『時間よ戻れ』って?」
 呪文はすぐにピンときた。子供の頃にやった言葉あそびだ。自分の名前だってさかさまに言える。ホナワガナミ。とりたてて意味はない。
「1度だけね。ここが肝心。つまり過去に戻れるのは一生に1度きりということで」
「幸せなファンタジーね。それが私の未来に必要ってことですか?」
「うーん。頭もいい子だねえ」
 弟子になりませんかいな? 冗談とも本気ともつかぬ口調で言う。
「人生を白紙に戻すとか……生まれ変わるとか、そういうのあたし信じないの。悪いけど」
 私は本当に罪悪感に襲われて、気がつくとまくしたてていた。
「輪廻転生っていうのも、あたし信じないの、そういうのは。赤ちゃんの時の可能性って100パーセントだっておとなは言うけど、違うと思ってるの。だって何も持ってないでしょう? 最初は誰だってゼロからのスタートなのよ。親との関係も社会での自分の場所もゼロなの、そこから育っていって、少しずつ決まっていくのよ。少なくともあたしは決めてきた。そうするとね、もうこれが何度も死んで生まれ変わったりしたら、気の遠くなるような無意味な努力でしかないのよ、100で死んでもゼロに戻っちゃうのよ。だったらあたしは死んだらアッサリ消滅するのも癪だから、いっそ永遠に幽霊でいて、たまにご先祖様と話したりして、子孫の行く末ってやつを観戦気分で眺めたいと思ってるんです」
 占い師は圧倒されたように黙りこくってしまった。
「つまり……」
 私がなんとか気まずさを取り繕うために続けようとすると、意外にも老婆は風の囁きを洩らした。
「お友達が終わったようですよ」
「えっ、ああ……」
「ナホナホ、行くよー」
 勝手なヤツだなあいつは。
 毒づいて慌てて立ちあがる私の頭上を、またひどい騒音をたてながら電車が走り去っていく。
 私は礼もそこそこに、その場をあとにした。
 そして40年間、私はその場所を訪れなかった。

     *

 驚いたことに……しかし内心ではたぶん期待もしていたのだ……『櫻井陽楓』の名は、変わらずにそこにあった。
「こんばんは」
 私はなんと言っていいか判らず、無難に挨拶からはいった。
「いらっしゃいませ」
 声は……嗄れ声だが記憶もあいまいで、あのときと同じかどうかはっきりしない。もちろん別人だろう。名を継いだ弟子。そうに違いない。
「ごめんなさいね、お客じゃないのよ」
 私は、でも冷やかしでもないの、と急いでつけ加えた。
 暖かな春にはまだ遠い。厚手のスラックスから冷気が染みてくる。あのときと同じような椅子をすすめられて、私は安心して坐った。
「坂井菜穂と申します。ちょっとおはなしがしたくて……40年の思い出話を。聞いてくださるかしら、おねーサン」
「かまいませんとも。手前などでよろしかったら」
 占い師は私と同じくらいか少しだけ年上のように感じた。冬によく似合う風のような笑みを洩らし、私の次の言葉を静かに待っている。
 以前よりは改善された電車の走行音がそれでも大きく反響し、しばらく耳に残った。
「40年間、いろんなことがあったの。夫を亡くしたり、息子に先だたれたり」
「それは辛うございましたねえ」
「40年前に、そこの路地の秘密を教えてもらったときから」
 と私が声を低くして言うと、彼女は示し合わせたかのように口をつぐんだ。
「ずっと忘れたことはなかったわ。もしも、死にたくなるほどの耐えられない目にあったら来ようって、……あのときはその選択を否定したんですけど。でも信じていなかったわけじゃありませんでしたわ。素敵なファンタジーは、大好きでしたもの」
「さようでございますか」
 私のことを思い出したか、いや、先代から聞いていたのかもしれない、どこか懐かしい想いの混じったような相槌が返ってきた。
 私は続けた。
「新婚当時は、夫を失くすことが一番の不安でした。もし幸せな日々が突然に終わって、私ひとりぼっちになってしまったら、きっと生きていかれない。もしも運命に見放されるようなことがあったら、その時は不幸を消せる時にまで戻るか……、彼と出会う前にまで戻るかって」
「愛してらしたのですねえ」
 いきなり言われて、私は年甲斐もなく照れた。
「幸いにも、そんなことにはならなくて、私たちは子供を授かりました。長男と、3年おいて長女と、次男と」
「まあまあ、おめでとうございます」
「そうなの、とっても嬉しかった」
 私は、まるで櫻井陽楓さんのおかげといった雰囲気で頷いた。実際、感謝していた。
「それから私の一番の恐れは、子供たちを失うことになりました。子供がいくつになってもね。これは長かったわね」
 溜め息をつく、それは幸福な吐息で、白くならなかった。
「夫が病気で死んで、次男が事故で逝ってしまって、……でもその時は、一番の恐怖は、孫を失うことになっていたのよ」
「では、そういたしますと、現在は」
「今はね……」
 私は無意識のうちに両手のミトンをとっていた。小さな台の上に掌を上向きにのせると、条件反射なのか辻占い師の細い指がそっと添えられた。
「100パーセント幸せなの」
 占い師は納得したのか深く頷いた。
「自分が死ぬことも、別に怖くないし。だってあのひとたちに会えるものね」
 私は手を膝に引いてバッグを持ち替えた。
「ただ、その路地の秘密を教えてもらってなかったら、今こうだったか判らないわ。失業、非行に家出、親友との断絶、両親の死……山あり谷ありでしたから」
 一番哀しくて苦しいこと、それだけに私は集中してこれた。それは幸運だったと思う。
「それが人生の醍醐味と言うかたもおられますけれどもねえ」
 彼女は私よりももっと、何もかもを知っているに違いなかった。何度も頷いて、初めて光る瞳を私に向けた。
「手前も、教えてさしあげた甲斐があったというものです」
「ありがとう。それだけ言いたかったの」
 私は財布から相場と思える1万円を取り出した。無粋かもしれなかったが、40年前と今日の見料だ。寒空の下、暇つぶしにこんなところにいるわけじゃないのだから。
 案の定、占い師は断らなかった。
「また、会えたらいいわね」
 私は立ち上がった。
「さようでございますねえ。お会いできましたら嬉しゅうございます。そのときはまた、拝見させていただきますとも」
 私たちは微笑みを交わし、そして私は振り返らずに立ち去った。
 もし振り返ったら、彼女も路地も消えてしまっているかもしれない。
 それだけが今は唯一の、私の不安だった。
(了)
(初出:2011年04月)
登録日:2011年04月28日 13時13分
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