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北見遼
著者:北見遼(きたみりょう)
夢と現をさまよいながら、文章を連ねるさすらいの文字使い。信州産、現在は神奈川で培養中のもやしっ子。活字と美術と歴史をこよなく愛する。治したいのは積読本をためる癖。
小説/現代

園生に咲く花(4)

[連載 | 完結済 | 全7話] 目次へ
姉夫婦の子ども――海がさらわれた! 動揺するふたりはまともに思考できる状態ではない。小紅が呼んだ七樹と隆也は怪しい人物が出入りしていなかったか問いただす。ただの金目当ての誘拐ではないことが明らかとなり……。
  4

 ほんの少し、目を離した隙。
 これまで不幸な事件や事故のニュースで幾度も耳にしてきた言葉を、こんなところで聞くことになるなんて。
 優夫さんが海をベビーベッドに置いて離れたのは、十分ほどの間だったという。初めは、家の誰かが連れ出したのだろうと思ったが、一つだけ解せないことがあった。
 哺乳びんが、床に転がっていたのだ。
 もうすぐミルクの時間なので、ベッドの脇に置いていたそうだが、それがなぜか下に落ちていた。家の人間なら、それを放っておくだろうか。そのことが、優夫さんに胸騒ぎを覚えさせた。そして――結局、敷地内のどこにも、海は見当たらなかったのだ。
「おい小紅、どういうことだよ! おまえがついていながら、海ちゃんを見失ったっていうのか!?」
 その無神経な発言に、「私のせいか!?」と叫び出したいところだったが、さすがに今はそんなことが言える雰囲気ではなかった。
 開口一番、私の責任を追及してきたのは七樹である。そして、この七樹を呼び出したのは私なのだ。海が行方不明になったことで、我が家の空気は一瞬で暗転した。母はうろたえ、姉は取り乱し、義兄はおろおろするばかり。誰一人としてまともに動けないので、すぐに使えそうな人間を呼び出すことにしたのだ。当然、七樹は姉の一大事となれば何を置いても飛んでくる。だが。
「……何で僕まで呼び出されなければいけないんですか。こういうことは普通、警察に届けるのが先決でしょう」
 整った顔にこの上なく不機嫌な表情を浮かべて不平をこぼすのは、隆也である。応援を頼まれた七樹が、ついでに部室でくつろぎ中の隆也を引っ張ってきたらしい。確かにこの時期、受験生に応援を頼むことは難しいだろう。しかし非受験生の少年は、大いに迷惑顔だった。
「あのなあ、隆也。もし本当に誘拐だったら、身代金目的の可能性が一番高いだろうが。特にここん家は金持ちだから狙われやすい。そういう場合、警察に知らせるなってのが決まり文句だろ」
「でも、まだ向こうからそう指示されたわけじゃないんでしょう?」
 それどころか、まだ犯人から連絡も来ていない。だからこそいっそう、姉たちの不安がつのるのだ。
「小百合さんは、身代金が払える程度の金額だったら、まず間違いなく払うだろ? 誘拐されたのが赤ん坊だと、金さえ払えば戻ってくる可能性が高い。顔を覚えられる心配がないからな。海ちゃんを取り戻すのが先決なんだから、下手に警察を呼んで騒ぎ立てないほうが賢明だ」
「だからと言って、僕たちにできることなんてほとんどないでしょう」
 七樹はまだぶつぶつ言う隆也を無視し、今度は私に話しかけてきた。
「おい小紅、誰か怪しい人間を見なかったか? 犯人はまだそう遠くには行ってないはずなんだ。何でもいいから思い出せ」
「そんなこと言ったって……」
 我が家は普段から業者の人間や、母のお弟子さんたちなど、他人が大勢出入りするのだ。その中に怪しい人間がいるかなど、いちいち考えてはいられない。
「とにかく、おまえが考えなきゃどうにもならないだろ。脳みそに血が通ってないなら、逆立ちしてでも思い出せ」
 無茶を言うな、無茶を。
 とはいえ七樹の言いたいこともわかる。事実、海の両親はすでに放心状態で、まともに思考できる状態ではない。私がしっかりしなければ、この厳しい状況を打開することは難しいだろう。隣の部屋では優夫さんが、着物の両袖で顔を覆って嘆く姉を胸に抱き止め、何とかなだめようとしている姿が見える。その様子を、七樹は複雑な面持ちで見やっている。どうせ自分が代わりたいとでも思っているのだろう。そんな七樹に、この非常時でも苛立ってしまう自分がほとほと嫌になる。だめだだめだ。可愛い甥っ子が行方知れずになっているのだ、よけいな邪念は捨てなければ。
 一つ頭を振って、私はつまらない考えを追い出した。そうして記憶の糸をたぐり始める。家の中では……家族の他には、何人か母のお弟子さんたちを見かけた。だけど、全員顔見知りばかりだし、何より赤ん坊など抱えていなかった。
 本当に、怪しい人物などいただろうか? 冬の田舎道はろくに人気もなくて、通り過ぎる人の姿も――……。
「……あ」
 ようやく私は思い出した。思わず漏れ出た声に、七樹が身を乗り出してくる。
「いたのか!?」
「いた、っていうか、普段見かけない着物姿の女の人が通り過ぎたんだけど……」
 そう、人通りの少ない通学路で、雪模様の着物を着た女性と私はすれ違っていた。確かに我が家は和服の女性が多く出入りしているが、あの人の顔は今まで見たことがない。それとも、新しく入った母のお弟子さんなのだろうか?
「そいつだ! その女が海ちゃんをさらったんだ!」
「ちょっと、気が早いですよ。ただの通行人かもしれないじゃないですか」
 呆れたような声でたしなめるのは隆也である。七樹はもはや完全に決めつけ、今にも玄関から飛び出しそうな勢いだったのだ。
 しかし、私はそんな七樹をいっそう勢いづかせるようなことをまた思い出していた。
「そういえば……あの時、写真も撮ってた気が、する」
「まじか!? でかした、小紅! 早く見せろ!」
 そう、あの時私は少し感傷に浸って、近所の風景をスマホのカメラで何枚も写真に収めていたのだ。その中に、あの着物姿の女も映っているはずだ。
 用意してあった荷物の中からスマホを取り出すと、七樹は引ったくるように奪い取った。いくら焦っているとはいえ、それはないだろう。まったくこいつと来たら、姉のことになると目の色が変わってしまう。そうして七樹は勝手に人のスマホをいじり始め、目的の画像ファイルを見つけ出すと、今度は盛大に舌打ちしてみせた。
「くそっ、腕が悪くて思いっきりブレてるじゃねえか」
「……悪かったね」
 確かに、その写真は完全にピンぼけしていた。しかも、その女は長い髪でややうつむいているため、顔が陰になっていっそう判然としなかった。
「こんなんじゃ、近所に聞き込みに行こうにも、見せたってわかる人間なんかいないぞ」
「……そうでもありませんよ」
 そう口を挟んできたのは、それまで不平ばかりをこぼしていた隆也だった。しかも、その顔はなぜかすっかり青ざめている。
 ――いったい、どうしたんだ?
「どういうことだ?」
 七樹も隆也の様子がおかしいことに気づいたらしく、怪訝な顔で聞き返した。そして返ってきた言葉は予想をはるかに超えていた。
「これは――春美さんです」
 一瞬、私と七樹が同時に息を呑む音が、室内にこだました。その静寂を破ったのは、七樹のほうだった。
「春美さんって、おまえがふられた彼女じゃねえのか!?」
「ふられたわけではありません」
 隆也はこの期に及んでも、憮然とした顔でそう返した。こんな時でも、こいつは無駄な矜恃を捨てないつもりらしい。
「しかも彼女、やけに大きな風呂敷包みを抱えていますね。この中に赤ん坊一人が入っていても、不思議ではないほどの」
 隆也は画像の荒い写真を見ながら、冷静に分析する。確かに言われてみれば、不自然なほど大きな風呂敷包みは、赤ん坊一人くらい入りそうだった。普通なら、そんなことをすれば赤ん坊が大泣きするだろうが、運の悪いことに海は滅多なことでは泣かないのだ。それなら難なく持ち去ることができるだろう。
「だけど……たとえそうだとして、何で隆也の彼女が海を攫う必要があるんだよ」
「それは――僕ではなく、そこの旦那さんがよくご存じなのではありませんか」
 一拍、二拍。ほんの束の間、凍ったような空気が室内を満たした。それに対する返答は、だが場を和ませるようなものではなかった。
「やっぱり……そうか」
「まーくん!?」
 瞑目し、小さな声を押し出したのは優夫さんだった。隣で姉が小さな悲鳴のような声を上げたが、優夫さんはうつむいたまま続けた。
「彼女とは……小百合と結婚する前に付き合っていたんだ」
 苦渋に満ちた優夫さんの言葉は、その場の空気をいっそう重くさせた。その沈黙を打ち払ったのは、本来は部外者である七樹だった。
「それで、元カノが腹いせに海ちゃんを誘拐したっていうんですか? でも、小百合さんと結婚してからもう二年にもなるのに、何で今頃復讐なんてするんですか?」
「わからない……でも、これがあいつ――春美であることは間違いないだろう。うちは外部の人間もよく出入りするから、きっとその中に紛れ込んでいたんだろうな」
 特に今日は母の和裁教室の日だ。いつもより人の――特に女性の出入りが多い。そこに見知らぬ女が一人入ってきても、すぐにはわからないだろう。それをあらかじめ知っていたからこそ、普通なら逆に目立ちそうな着物を着ていたに違いない。我が家では、そのほうがかえって怪しまれないからだ。
「そうか……そういうことだったんですね」
 突如、意味不明な独り言が発せられた。その声の主は、最も我が家と縁の薄い隆也だった。なぜだか一人で納得しているようなので、私がわけを訊ねてやると、相変わらずの淡々とした答えが返ってきた。
「この前、春美さんは僕に『子供ができたから別れよう』と言ったでしょう? その『子供』というのが、小紅さんの甥っ子だったんじゃないんですか?」
 そういえば……ふられたての隆也がそんなことを口にしていた気がする。あの時は、子供の父親が隆也ではないのかということばかりが気になって、細かいことは忘れていたが。
 それにしても、子供ができたというのは妊娠したという意味だと思っていたが、実際にはよその子供をさらってくるという意味だったのか。そして、それがばれないよう、隆也を遠ざけたということなのか。
 前もって計画して誘拐を企むほど、その女は憎んでいたのだろうか。自分を捨てた恋人を、それを奪った姉を、その間に生まれた子供をも――。
「……やっぱり……あたしがいけなかったの……?」
 不意に、ぽつりとつぶやく声が上がった。その声の主――姉はうつろな視線を宙にさまよわせながら、小刻みに赤い着物の肩を震わしていた。
「あたしが……まーくんを無理やり奪ったりしたから、罰が当たったんだわ……!」
「小百合、よさないか!」
 優夫さんは珍しく姉を叱りつけた。普段、柔和な顔しか見せたことのない義兄の怒声を私はこの時初めて聞いた。しかし、姉は夫から何と言われようと硬い表情を崩さず、唇を噛みしめてたたずんでいた。また、慣れない怒声など上げたところで、優夫さんもこの後どうすればいいのかわからない様子だった。
 その場に、ただ冷たく重い空気が立ちこめる。そこに割り込んだのは、部外者である隆也のシビアな台詞だった。
「今は夫婦喧嘩をしている場合ではないでしょう。早く春美さんを追わないと、子供を取り戻せなくなりますよ」
 声もなくうなずいただけで、子供を攫われた夫婦は目も合わせようとしなかった。
 どちらも、私が初めて目にする顔だった。
(つづく)
(初出:2016年05月03日)
登録日:2016年05月03日 14時51分
タグ : 誘拐

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