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北見遼
著者:北見遼(きたみりょう)
夢と現をさまよいながら、文章を連ねるさすらいの文字使い。信州産、現在は神奈川で培養中のもやしっ子。活字と美術と歴史をこよなく愛する。治したいのは積読本をためる癖。
小説/現代

園生に咲く花(7)

[連載 | 完結済 | 全7話] 目次へ
事件が一段落つき、夜も明けようというころで気が付いた。「今日は受験日だった!」 焦る小紅をよそに姉の小百合は涼しい顔で飛ばしていた高速を降りる。そんなときが来た小紅の晴れやかな笑顔がまぶしい。園生に咲く花、最終章!
   

 時刻はすでに午前五時を回ろうとしていた。一晩中この事件に振り回されて一睡もできなかったわけだが、かえって目が冴えて今から寝ようという気にもならなかった。他もみな同様らしく、疲れのせいかぐっすり寝入った海以外の寝息は聞こえてこない。逆を言えば、知らない大人に連れ回されても平然と眠れる海は、なかなか大物なのかもしれない。
「まあ、何はともあれ無事に解決して良かったな、俺のお蔭で」
 帰りの車内、私の隣で偉そうにふんぞり返って述懐するのは七樹である。姉夫婦がすっかり仲直りしたため助手席は夫のものになり、私は後部座席に追いやられたのだ。
「何であんたのお蔭なんだよ」
「だって、ここまで導いたのは俺の名推理だっただろ。よし、今度から少年探偵でも名乗るかな」
「……悪いけど、名探偵の名推理のシーンがどうしても思い出せないんだけど」
「可哀想に。今から健忘症か」
 その瞬間、ごちん、という音が車内に響く。
「おい小紅、恩人に向かって暴力を振るうとは何事だ」
「寝ぼけたことを言ってるんじゃない! だいたい何だ、いつの間に着てるんだよ? そのコート、私のじゃないか!」
 思わず私は七樹の襟首を締め上げた。大柄な七樹が実に窮屈そうに羽織っているのは、紛れもなく私の新品のコートだった。
「俺のジャケットは不幸な事故でダメになっちまったんだよ。薄いニット一枚で、今夜のヒーローが風邪でも引いたらどうする」
 不幸な事故の原因は優夫さんで、その遠因は姉の暴走だ。私には関係がない。
「買ったばかりなのに、あんたが着たら伸びるだろ! さっさと脱げっ」
「お、おい、やめろって。いくら何でも人前で脱がされるのはちょっと――」
「このアホっ!」
 もう一度殴ろうと拳を振り上げたところで、運転席からくすくすと笑い声が上がった。
「まったく、小紅ちゃんったらそんなに見せつけなくってもいいのに。ねえ、まーくん」
「本当に仲がいいんだね、小紅ちゃんたち」
「は……はあっ!?」
 いったい何を言い出すんだ、この夫婦は。目と耳はちゃんとついているのかと聞きたくなる。そして、今度は逆隣から怨みがましい声が上がった。
「まったくですよ。傷心のブルーな青少年には目の毒です」
「おまえな……」
 暗い声でつぶやくのは、自称ブルーな青少年・隆也である。本来ならここで、「何が傷心だ」と突っ込んでいるところだが、今回ばかりはやめておいた。たとえ真性のヒモ少年でも、春美に向けた眼差しは確かに真剣そのものだった。こいつなりに傷ついてはいるのだろう。そっとしておくに越したことはない。
 と、私が反撃の手をゆるめたところで、隆也はまた余計なことを言ってきた。
「だいたい、こんなところでいちゃついてる場合なんですか? もうとっくに日付も変わって、そろそろ日の出が拝めますよ」
 誰がいちゃついてるか――と言いかけて、私は思わずその台詞を飲み込んだ。
 日付が、変わる?
 と、いうことは――。
「ああぁぁぁっ、じ、受験! 今日、受験日だったーっ!!」
 私は思わず絶叫していた。何という失態だ。今に至るまで、完璧に自分の受験を忘れていたなんて!
 しかし、大いに取り乱す私の横で、七樹はつまらなそうにつぶやいた。
「何だ、今頃気づいたのか」
「七樹! おまえ、気づいてたなら何で黙ってた!」
「じゃあ俺が言ったら、おまえは海ちゃんをほっぽって受験会場に向かってたのか?」
「そ、そんなことは、しない、けど……」
 しないけれど、やはり七樹の言いようはひどく意地が悪いと思う。事件が解決してから、すでに一時間以上が経過しているのだ。それまでに一言くらい言ってくれても良さそうなものなのに。
「そんなに慌てることはないでしょう。千葉から東京なんて、目と鼻の先ですよ。受験会場まで送ってもらえば済む話じゃないですか。荷物も一式積んであるみたいですし」
「に、荷物……?」
 意味がわからず聞き返すと、隆也は自分の足下を指差してみせた。薄暗い車内で目をこらすと、見覚えのあるギンガムチェックが視界に飛び込んできた。それは、私が受験生の宿に持っていこうと荷造りしていた、あのボストンバッグだった。
 だが、なぜそんなものが車内にあるのだろう。大いに動揺していた私は、そんなものを積み込んだ記憶はない。
「あたしが積んでおいたのよ。必要になると思ってね」
「姉さん……!」
 この時ばかりは姉が本物の女神に見えた。自分の子供が誘拐されるなどという非常事態にも関わらず、私のことにまで気を配ってくれていたなんて。
 いったい、姉はいつからこんなに段取りが良くなったのだろうか。それとも、単に私が今日まで気づかなかっただけなのだろうか。
「良かったね、小紅ちゃん。これで試験も受けられるじゃないか」
 優夫さんも、まるで自分のことのように表情をほころばせた。私がほっと胸を撫で下ろしたところで、しかし運転席からくすくすと忍び笑いが漏れてきた。
「たとえ会場に着いたとしても、試験は受けさせてもらえないと思うわ。小紅ちゃん、うっかりしてるから」
 その台詞は、ある一つの事実を思い起こさせた。
「まさか――まさか、受験票!?」
「小紅ちゃん、机の上に置きっぱなしだったでしょう」
 ――そういえば。
 私が荷物を指差し確認している最中、姉は部屋に入ってくるなり受験票を取り上げてひらひらさせていた。もしやあのまま机の上に戻したというのか!?
「だったら何で荷物と一緒に持ってきてくれないんだよ!」
 受験票を家まで取りに帰っていたら、絶対に試験には間に合わない。荷物をわざわざ運んでくれるくらいなら、なぜ受験票を放置しておくのか。しかし私の抗議にも、姉はしれっと答えてみせる。
「だって必要ないもの」
 いや、必要だから! むしろそれ以外に必要なものはないから!
 そう突っ込もうと思った瞬間、ワゴンが不意にがくんと揺れて、私はタイミングを逃してしまった。突然の揺れは、アクセルを踏みっぱなしだった姉が、ここへ来て急に減速したせいだ。
 ――でも、なぜ?
「小百合、どうした。高速降りるのか? まだ都内に入ってないけど……」
 優夫さんがいぶかしむのも当然である。姉は東京方面に向かうどころか、インターチェンジの出口を目指してぐんぐん降りていってしまう。まだ千葉県内から出てもいないというのに。いや、それどころか。
 インターの看板に書かれた文字を見て、私は呆然としてしまった。
「ね、姉さん……?」
 あまりのことに、私は言葉を失った。ぱくぱくと金魚のように口を開閉させていると、横から予期せぬ手が伸びてきた。
「ほら小紅、受験票の代わりにこれ」
 七樹は、何やら細長い紙を取り出すと、お札のように私の額に貼りつけた。悪霊退治じゃあるまいし、いったい何のつもりだ?
 腹立ちまぎれに勢いよく引っぺ返し、その印字に視線を落として私は凍りついてしまった。
「こ、これは――」
 たとえ英語が苦手な私でも、この程度の単語くらいは読める。
 ――FROM NARITA TO DELHI――
「デリー……」
 呆然と私はその一語を読み上げた。
「小紅ちゃんが女子大行きを思いとどまらないから、思い切って航空券買っちゃったの」
 私は、チケットを持つ手が震えるのを止めることができなかった。
 デリー。それはもちろん、暑くて辛いカレーの国の都市名である。そして、今向かっているインターの名は――成田。
 看板に書かれたその二文字が、これ見よがしにだんだん大きくなってくる。
「旅支度もできてることだし、このまま飛行機に乗っても大丈夫ね。もちろんパスポートはバッグに入れてあるから」
 目眩がした。受験票は机上に放置されたのではなく、抜き取られたに違いない。そのことに今さらながら気がついた。もし今回の事件がなければ、電車に乗るのを阻止されて、姉の車で空港まで直送されていたのだろう。予定は大いに変わったが、結局姉の思惑通りになってしまったわけだ。
「ね、姉さん! 何を考えてるんだよ!?」
 いったいどこの世界に、受験生を受験当日に異国の地へ送り出そうとする身内がいるというのか。しかし、私の叫びに答えたのは姉ではなく、なぜか隣の七樹だった。
「違うぞ、小紅。俺が小百合さんに頼んだんだ」
「はあ?」
「どうせまともに誘ったって、インドまで来ようとはしなかっただろ?」
「当たり前だ!」
 苛立ち、私は吐き捨てた。なぜ私までインドへ行く必要があるというのだ。しかし、七樹は私の怒りなどまったく意に介さない。
「だからさ。そう思ったから、小百合さんにちょっと協力してもらってたんだ。もしかしておまえ、まだ俺が人妻に横恋慕してるとでも思ってたのか?」
 馬っ鹿だなあ、と七樹は軽く笑ってみせる。
「だ、だって、七樹の理想の人は姉さんなんじゃ――」
「それは今だって同じさ。まあ、今日の小百合さんにはいろいろと驚かされたけどな」
 海を取り戻すため、悪鬼か妖怪のような形相になった姉の姿は、さすがの七樹も肝を冷やしたのだろう。それでもいまだに理想だと言い放つ辺り、こいつも只者ではない。
「ま、とりあえずこれでも読んで修行しておけよ」
 いったいどこから取り出したものか、いきなり七樹はソフトカバーの本を私に押しつけてきた。その表紙に目を落とし、タイトルを見て私は眉をひそめた。
「おいしいインドカレーの作り方……?」
 確かそれは部室で見かけた内の一冊だ。その名前を聞くと、姉はバックミラー越しに嬉しげな声を上げた。
「あ! それ、あたしが贈ったのよ。小紅ちゃん、おいしいカレーを七樹君に作ってあげてね」
 私は言葉を失った。いったい、いつからこの二人はグルだったのだろうか。パスポートやチケットに加え、インド本まで用意するなんて、ただの悪ふざけや思いつきでできることではない。この二人は相当に綿密な計画を立てていたのだろう。私にはそんな素振りすら見せずに。
 この姉の本質を、私はまだまだ知らなかったのかもしれない。
 私が呆然としていると、七樹がぐいと顔を近づけてきた。いつになく真剣な表情に、私は戸惑う。そして次に放たれた一言は、私をいっそう唖然とさせた。
「言っておくけど、インドまで連れて行きたいと思うのはおまえだけだからな」
 いつも人を馬鹿にしたような発言ばかりのくせに、こんな時だけ真面目な顔をするなんて卑怯だ。そう思うのに、いつもの憎まれ口が出てこない。私が必死で言葉を探していると、七樹はさらりととんでもないことを口にする。
「というわけで、強制連行だから」
 その台詞にかぶせるように、空からジェット機の爆音が降ってくる。もしかしなくても、どうやら目的地はすぐ目の前まで来ているらしい。
 ――まったく、いつだって勝手ばかりだ。
 こいつの気ままで奔放な性根は一生かかったって直りはしないだろう。振り回されることがわかっていても、やっぱり私は離れられないのだ。これが正真正銘の腐れ縁というやつかもしれない。
 興味深げに見つめる視線を三方から受けながら、私はゆっくりと口を開いた。
「――この、人さらいめ」
 ようやく出てきた憎まれ口に応えたのは、眩しい朝日と笑顔だった。
(了)
(初出:2016年08月13日)
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登録日:2016年08月13日 12時42分
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