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天野雅
著者:天野雅(あまのみやび)
埼玉県生まれ、千葉県育ちの関東人だった。結婚を機に関西の人間になる。現在は関西とも東海ともいえる近畿地方に在住。10年経って方言にも慣れた。血液型はマイペースで知られるB型。住めば都を地で行く性質。ネット作家歴20年。同人作家歴はプラス5年。趣味は映像鑑賞。写真撮影。歌唱。創作料理。好物は自然万物一般。美術芸能一般。パソコン。ゲーム。漫画。文章。
小説/現代

春までもう少し

[読切]
卒業式。在校生の妹が目元を真っ赤にして帰ってきた。東京の大学に行くという先輩にふられたらしい。東京まで付いていけば、と無責任に言う私はバンコクに思いをはせる。そこには転勤したあいつが……。
 3月10日、午後の陽射しがいちばん暖かくなったころ、高校から妹が帰ってきた。
 無言のまま居間の入り口で軽そうな鞄を乱暴に落とし、コートをタンスのハンガーに掛ける。
 私は目を上げて、その仏頂面に気づき、驚くよりも呆れてしまった。
「おかえり」
「……ただいま」
 セーラー服の白いスカーフを引き裂く勢いで抜きとり、大股で廊下に出ていく。洗面所から水音がして、すぐに足音が戻ってきた。
 妹の伏せた目もとは真っ赤に腫れあがっている。
「なんやの、あんた在校生やろ」
 制服を脱いでタンスにしまい、校章入りのブラウスに裸足の格好で鞄を提げて、襖続きの隣室に向かっていく。姉の質問をうっとうしいと感じる反面、話したがっているに違いないことを私はよく知っている。
 返事を待ちながら、居間のコタツでむきかけの冬みかんに爪をたてると、案の定よわよわしい言葉が返ってきた。
「あのなあ、バレー部の先輩が、東京の大学に行くねん」
「はん。男やな。つきあっとったん?」
「まさか。バレンタインデーに、みんなとチョコレート渡して、あたしは住吉大社の合格祈願のお守りつけた」
「駄菓子のおまけみたいやな。で?」
 妹が着替えを終えて敷居をまたぎ、背中を向けてコタツにもぐりこんだ。モヘヤの、萌葱をベースにピンクその他を混ぜた複雑な色あいのセーターを着ている。
 よく見るとハンカチを握りしめていて、まだ泣いているらしい。
「そんな、世も末みたいな……世紀末は過ぎたんやから、前向きにならな。大阪から東京なんか、のぞみで2時間半の時代やで」
 涙声になって、妹は訴えた。
「なんでホワイトデーより先に卒業式が来るん?」
「そりゃあ……」
 なるほど。
「デートの口実にしたらええやんか。まあ、あんたは学校があったかて、そしたらなにも14日にこだわらず、振り替えで休日にしてもろて」
「そんなん、引っ越しの準備で忙しい時に、彼女候補でもないのに、ずうずうしい」
 さすがに身のほどをわきまえている。
「せめてボタンくらいはもらえたんやろ」
「うん。みんな1個ずつ」
 敵もなかなか、という気がする。
「それがお返しって意味かも」
「違うねん。1年の子がひとりだけ、キーホルダーも貰ったって話しとった。お礼に今夜電話できて、日曜に会う権利があるのは、あの子だけなんや」
「ふうん。そこまで深い意味があるんかなあ」
 ある、という声はなかった。しかし、確かめてみる、もなかった。
「お守りよりいいもんついてたんちゃう?」
「先輩はそんな人やない」
「なら、あんたは結局フラれる運命やったんやな」
 思わずつぶやいてしまうと、妹はとうとう嗚咽を洩らしはじめた。
「まあ、泣きたいだけ泣いて忘れれば」
 私は恋の応援団長から、諦めさせ役に方向転換した。
「さっきは近いようなこと言うたけど、やっぱ東京なんて遠すぎるわ。言葉も料理の味も違うし。あんたは変わらなくても、朱に交われば先輩は変わってく。やめとき」
 しかも妹はこれから受験か、就職活動が待っているのだ。遠距離恋愛はキツいだろう。片想いならなおさらだ。追いかけて東京へ行くのも勧められない。
「このみかん、甘いで。食べ」
 ふたつめに手をのばそうとして、私は言ってみた。
「うん……」
 しゃくりあげながら、妹は体を起こして鼻をかんだ。
 みかんの籠を寄せてやると、てごろな大きさの実をひとつ取り、しばらく手の中で転がしながら、
「今日、体育館の扉のところで先輩を見送りながら、ヨッシーと話してん」
「ふん?」
 ヨッシーというのは、たまに妹の話に出てくる男の子で、同じクラスで男子バレー部の部員なのだ。
「事情、知ってるんか」
「泣いてたから、バレてもた」
「あ、そう」
 鈍い妹にわざわざ指摘するような野暮なことはしてないが、過去の話を総合するにヨッシーは妹に気があるっぽい。彼も今日はショックでうなだれてたりするのだろうか。卒業には、いろんなドラマがあるものだ。
「3年になっても同じクラスやし絶対からかわれるから内緒にしてようと思ってたんやけど、説明してるあいだじゅう静かにしてると思ったら『早く言ってくれれば協力したのに』やて。そうやったのかなあ。そしたら、うまくいっとったんかなあ」
「うーん」
 私は言いよどんだ。微妙なところだ。協力してるあいだ、ヨッシーの気持ちは凍結されてることになる。もしうまくいって妹が先輩の彼女になっていたら遠距離恋愛に突入し、彼は温かく見守っていなくてはならない。あるいは、もっと気持ちが身近になって、妹はヨッシーに傾いていたかもしれない。
 今となっては、これからのヨッシーの活躍次第ということか。私としては東京なんかと1年生を選んだ先輩よりも、今後のヨッシーに頑張ってもらいたい。
「お姉ちゃん、もしかして今モーソー大爆発?」
「なんやねんそれ」
「いやあ。うまくいった場合、オトナはどう考えるのかなあと」
「やーらしいわ。あんたエッチねえ」
「ええっ。エッチなこと考えてるんか。なるほど」
 私は笑って、妹の頭をはたくふりをした。だいぶ元気が回復したようだ。
「あんた、お母ちゃんが心配するから、あとで目の周り冷やしとき。ひどいで」
「えー? ほんまに? 化粧水貸して」
「冗談キツいわ。タオルに水で充分やわ」
 言ってるそばから、みかんをひとふさ口に放りこみ、立って隣室の鏡の前で悲鳴をあげている。
「あした学校やのに」
「しゃあないなぁ。そこの青い瓶なら許す。1回100円やで」
 ハンカチをハンドタオルに持ちかえて、水〜ぅ、と洗面所へ走っていった。
 学生の恋は、考えてみれば単純なものだ。クラスが変わったり卒業したりで目の前からいなくなれば、たいていは新しく次の誰かに気持ちが移っていく。
 社会に出れば驚くほど行動範囲は広がり、同時に人間関係も複雑になる。大阪から東京に転勤したくらいじゃ、せいぜい片想いに区切りがつけられる程度で、恋愛がすぐに別れ話に発展するほどあっさりとはいかない。
 でも……、東京ならともかく、タイのバンコクじゃあ、やっぱり遠いよなあ。
 黄色くなった指先をティッシュでぬぐい、私はたたみに肩から倒れこんだ。あおむけになると、アルミサッシ窓の透明なガラス越しに、冬の終わりの冴えた空が見える。ちぎれたコットンみたいな雲が、ほんのわずかずつ、右へと動いていく。中学の時、教室から見た外の景色を思い出した。はるか下界に屋根瓦の輝く地平を見下ろし、流れていく雲に自転を感じた。今も、自分は自転している。
 バンコクの空の下も、自転しているだろう。
 妹が廊下をやってくる振動が響いて、私は起きあがった。
「ど、ど? お姉ちゃん見て。マシになった?」
「そんな急に治るわけないやん」
 絶望のにじむうめき声をあげてコタツに入り、妹はふと私に不思議そうな目を向けた。
「そういえば、なんで居るん? 会社は?」
「自主休暇ー」
 みっつめのみかんを取る。
 歓送会になんか誰が出るもんですか。なんで私が、歓んで送らなあかんの?
「ええなあ、あたしも有給休暇が欲しいわ」
 妹は濡れタオルで顔をおおい、背中で柱にもたれた。
 休暇がとれたら東京に行くんか、と訊きそうになってやめる。
 学生は、月末には春休みになるのだ。
 けれどどっちにしろ、恋愛と結婚は違う。遠距離恋愛なら旅行気分で往復して会えば終わる。結婚は、そうはいかない。
 私はずっと大阪で生まれ育ってきたし、ここが自分の性に合っている。ほかの場所なんて、ましてやほかの国で過ごすなんて想像もつかない。
「東京ってさあ」
 タオルをのせたまま、タイミング良く妹が言い、私はなぜかぎくりとしてしまった。
「そんなに言うほど怖いところなんかなあ。修学旅行で行った時には、大阪より綺麗だけど山がないなーとしか感じなかったんやけど」
「さあねえ。私だって長くて1週間、研修で行っただけやけど。気ぃ遣うところやったわ。満員電車でもしーんとしてて、女子トイレでも女同士やのに澄ましちゃってて、なにかっていうとブランド品か芸能人の話題ばっかし。ちょっと男のひとと喋ると陰口になるし、つまらんかったわ」
「ふうん。やっぱりあたしらには窮屈なんかな」
「どうやろね、住めば都、ともいうけど、住んでも大阪、なんと違う? やっぱり地元で彼氏ゲットして、近所に新居見つけた方が便利やて、会社の人は言ってるで。自分らふたりだけならまだいいけど、子供ができたらそれこそ環境に気ぃつけな」
「そっかあ。オトナはいろいろ大変やね」
 私は黙りこんだ。だんだん、妹に話してるというよりも自分に言い聞かせているみたいになってきた。
 東京のことは、胸張って言えるほどたいして知らないけど、今の話は嘘じゃない。だから私は自分が東京で生活なんてできないと思ってる。
 バンコクのことは、何も知らない。遊びに行ったこともない。知り合いもいない。
 突然あいつの転勤が決まって、だからついてきてくれなんて、いきなりすぎて返事のしようもない。私は関西弁以外喋れないし、関西人以外になれない。俺がフォローするって説得されたけど、ビジネス英語と旅行用の英会話だけじゃ頼りない。タイ語なんてもってのほかだ。ただでさえ新婚生活は不安がつきものだって聞くのに、近所付き合いすらままならなくて、どうやって暮らしていけるっていうのか。
「北海道やったら、どうなんかなあ。寒いんかなあ」
 のんびりと妹が言った。きっと何も考えていないに違いない。
「そんなん、行ってみな分からへん」
「高校卒業したら、バイトしてお金貯めて日本一周しようかな。お姉ちゃんも一緒に行く? お金、あるやろ」
「あるある。お金も休暇もたっぷりや。日本一周どころか」
「じゃこの際、景気よく世界一周しよか。あかん、英語勉強せな」
 惰性で笑いながら、頭のすみに今まで感じたことのない醒めた部分があるのに気づいた。それは和紙に垂れた雫のように徐々に広がり、ついには洪水みたいになって私の心を呑みこんだ。
 私はいたたまれずに立ちあがった。
「ちょっと出かけてくる。みかんの残り、食べてええで」
「ええ? どこに」
「天王寺」
 あそこにはパスポートセンターがあるし、戸籍登録している市役所は幸い近所だ。急げば今日1日で間に合う。ビザは別として。
 いっそ有給休暇を全部つかって、旅行気分で遠恋してから、破局を見るのも悪くない。まるでドラマのヒロインみたいに。
「あんたもしっかりな」
 ざっと仕度して、いってきます、の代わりにひとこえかけて、まだ肌寒い風の吹く外へ出た。
 真っ白い雲の浮かぶ青い空の下。
(了)
(初出:2011年03月)
登録日:2011年03月21日 20時37分

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