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天野雅
著者:天野雅(あまのみやび)
埼玉県生まれ、千葉県育ちの関東人だった。結婚を機に関西の人間になる。現在は関西とも東海ともいえる近畿地方に在住。10年経って方言にも慣れた。血液型はマイペースで知られるB型。住めば都を地で行く性質。ネット作家歴20年。同人作家歴はプラス5年。趣味は映像鑑賞。写真撮影。歌唱。創作料理。好物は自然万物一般。美術芸能一般。パソコン。ゲーム。漫画。文章。
小説/現代

夏色スケッチ(1)

[連載 | 完結済 | 全6話] 目次へ
悪友に誘われる学級委員長の綾瀬友だったが、スケッチブックを片手に美術室へと向かう。北小金知夏に会ったのは、やはり美術室だった。「どうして転入してきたの?」口ごもる友に知夏は……。学園青春ストーリー。
プロローグ 〜体育館〜

 誰かが倒れた。
 ワックスで蜜色に磨きあげられた板張りの床に、にぶい音と振動が伝わり、すぐに判った。
 何人かの女の子の短い悲鳴と、広い空間に瞬く間に波紋のように広がるざわめき。
 2年B組男子の列、先頭に立っていた学級委員長・綾瀬友(あやせゆう)は確かめるように背後へ振り向いた。
「先生っ、取手先生!」
 ステージの両脇にあるスピーカーから流れていた学年主任の訓話が中断する。その静寂を狙ったように叫び声があがる。同じクラスの女子のものだ。
 梅雨の名残を含んで蒸した空気に汗ばむ腕や顔へささやかな涼を得ようと、がんばってあおいでいたいくつものハンカチが動きを止めていた。体育館内のだらけていたムードが急に活性化する。
 館内にはバスケットコートとバドミントンコートとバレーコートの白や黄色のラインが引かれている。
 生徒はその床面積の半分を占めて並んでいる。
 担任が右壁のバスケットゴール下から駆けてきた。面積の大きい水色のTシャツが、白と紺の群れをかき分けてまぎれる。
「成田先生っ」
 取手の焦った声が聞こえた。やがて後方の扉から、女生徒を抱えた水色の後ろ姿と並ぶ細身の白衣が出ていった。
『あー、静かに。もう少しで終わりますが、坐りたい人は坐りなさい』
 壇上マイクの前に立っていた馬橋が指示した。
 いつも犠牲が出て初めてそう言う。うんざりしたような舌打ちが、姿勢を戻した友の耳をかすめた。
 ノイズ混じりの間延びした音声が再開され、生徒の態度も徐々に元通りになっていく。
「北小金だよ」
「えっ誰?」
「貧血でしょ」
「みたいね」
 交わされる囁きも、やがて聞こえなくなった。
『夏休み中も、気を抜かないように。全国一斉模擬テストは9月最後の金曜日、体育祭のあとすぐに行われます。それまでに必ず受験志望校を決めておくように――』
 うわ履きの薄い靴底に砂ぼこりの感触。
 高い天井近くの窓硝子から、するどい角度で射しこむ太陽光線とセミの鳴き声が、反響して威圧する。
 肌にはりつきそうになるYシャツの胸を指先で浮かせ、友は首筋に伝う汗を半袖の肩でぬぐった。


1.ファーストインプレッション

 高校2年の1学期は今日で終わりだった。
 終業式と学年集会のあと、体育館から戻った2年B組は教室で取手教諭から通知票や夏休みの課題と諸注意のプリントを受け取り、下校となった。約2名を除いて。
「委員長! たまにはオレらと一緒に遊んでかねぇ? 駅前の『ジャック』に新しい台が入ってさ」
 黒革鞄を小脇に抱えて、礼と同時に席をたとうとした友に窓際から声がかかった。
 どこから、と特定するより早く彼は答えた。
「悪い、これやってくから」
 片手のスケッチブックを持ち上げてみせる。
「これって?」
 続く質問にどう返そうかと思った時、別の声が割って入った。
「絵か。熱心だな」
 まだ教壇にいた取手だった。30代で独身の担当教科は選択数理物理。理数系を志望する生徒以外には比較的重要視されない科目であるのと同様にして、生徒からの人気度も可もなく不可もなしというところだ。生徒に対しての関わり方も適度な距離で無関心とも干渉過多というわけでもない。
「遊びに行くのは自由だが、下校途中に羽目を外しすぎるなよ」
 友に誘いをかけた男子生徒と仲間達が、注意を受けて「やっべー」と首をすくめながら悪びれず教室の後方を横切っていく。
「さよならセンセー。委員長、んじゃまたな」
 挨拶と誘いのキャンセルがてら手を振られ、廊下へと出ていくのを友が見送っていると、教師が言った。
「すまんが綾瀬はその前に保健室に寄ってな、北小金を連れて一緒に職員室に来てくれ。そろそろ起きられるだろう」
「……はい」
 ためらいがちに返す頃には、すでに生徒の大半が教室内から消えていた。

 2年B組の教室は3階の西側にあり、美術室は渡り廊下の先の特別教室棟2階の東側にある。保健室はその下だ。
 美術室の入口に鍵がかかっていたので、仕方なく荷物を持ったまま1階へ階段を降りた。

 北小金知夏(きたこがねちなつ)が美術室にやってきたのは、つい先週の放課後のことだった。
「なあんだ、委員長か」
 ノックなしにドアを開け、無遠慮に数歩入ってきてからつまらなさげにそう言った。
 実習目的の室内は、6人掛けの机を縦3列横2列に配し、前方に黒板、左側に窓。右の棚に複製画と石膏像を並べ、後方のスペースには工芸用のろくろが置いてある。
「なんだとはなんだよ」
 友は腰を浮かせながら、早口に答えた。窓際の通路スペースに椅子を置き、イーゼルを立てていた。
 運動部のかけ声が大きく開け放った窓から流れてくる。吹奏楽部の練習も聞こえた。
 しかし美術部で活動しているのは彼ひとりきりだった。
「誰もいないと思ってたのよ、そしたら今度は知った顔でさ」
 多分に途中を省略して話しながら、石工像の前を通って軽い足どりでやってくる。
 半袖の丸襟ブラウスにエンジ色の棒タイを蝶結びにして、紺のプリーツスカートは膝丈、白い靴下は三つ折にして、足元には赤いゴム底のうわ履き。学校指定のスタイルを規則から外れない程度に守っている。
 友は知夏がたどりつく前にイーゼルからスケッチブックを取り上げて閉じた。
「何描いてたの? 校庭?」
「うん……まあ」
「これって、油絵に使うんじゃないの?」
 すぐ隣まできて木枠に触れた。
 木製のイーゼルは学校の備品で何年も使われているために、あちこち絵の具がついている。ニスが剥げている箇所も古いせいで黒光りしていた。組んだ時ビスが抜けておしゃかになることもたまにある。高さは友の身長を越える程でかなり大きいようだが、イーゼルのサイズとしては珍しくない。
「水彩でも使うよ」
 友はしなやかに動く手入れのいい細い指先から、窓外へと視線を移した。陽光を反射して揺れる柳の枝葉が優しかった。
「ただのデッサンでも?」
 知夏は大きく瞳をみひらいて、友が胸に閉じたスケッチブックとイーゼルの上にある4Bの鉛筆を見比べている。
「……使うよ」
 友は目を戻し、あとずさりした。校則検査時以外はストレートに下ろした知夏の長い髪が、ぬるい風をまいて彼の腕に届きそうだった。
 集会のときにクラスの列の先頭に立つ友は、身長がいちばん低いというわけではないが高いほうでもない。中肉中背、高2男子の平均よりはやや小柄な方だ。愛想のない銀縁眼鏡の怜悧な印象が一見近寄りがたい堅さを与えるものの、笑みを浮かべれば180度も変わるもので、級長を任されてからは気軽にそう呼ばれるようになった。
 けれど。
「ねぇ、見せて」
「嫌だよ」
「あっ、ハッキリ言うじゃない」
 知夏は唇を尖らせた。桜貝の色をした、形のいい唇。
 友は頭のすみで、どうしてこんなことになったのかと呟いた。少なくともこの学校に編入してきた4月から今まで、こんなふうに話したことはなかった……知夏とも、他の女子の誰とも。
「美術室に、なんか用?」
 スケッチブックを背中にまわして話をすり替えると、知夏はこだわることなく表情をやわらげた。
「そう、これ」
 今まで見えなかった、薄い左肩に軽そうなカメラを提げている。
「写真部?」
「当たり」
 彼女の瞳が輝きを増す。
 友はまた窓へ視線を飛ばした。風景を八割がた占領する空は濃い蒼色になっている。
「昼休みも絵を描いてるでしょ」
 不意な知夏のひとことに、友は素直に振り向いた。ほぼ同じ高さから覗きこんでくる大きな目。返そうと思い浮かんだ言葉が消えてしまった。
「知ってる? 言われてるよ、最近つきあい悪いって」
「ああ……そうかもな」
「冷静なんだね」
「そんなことないけど」
「いいわよね。人気者だもの。転入してきて全員一致のクラス代表」
「それイヤミ?」
 軽く切り返した。突然そんなふうに言われる理由が思い浮かばなかったし、不思議と怒る気もしなかった。
「あんなの雑用係り押しつけられただけだよ」
「ふうん、わかってたのか」
 あっけらかんと、知夏は笑った。つられて友の心もゆるんだ。
「ねぇ、転入した時、何か言われた? キミ頭いいんだね、とか」
「先生から? 別に何も。テストは受けたけど」
「じゃあやっぱり成績は関係ないのね」
「何?」
「編入するのに」
「多少はあるだろ。じゃなきゃ受験の意味がない。オレってそんなにバカみたい?」
「逆よ。秀才って感じ。そのメガネも似合ってる」
「そうかな?」
 照れ隠しに鼻の頭をかいた。その、ガードが弱くなった隙をついて、知夏がスケッチブックを奪った。
「あっ、きたねーぞ」
「いいじゃない、ちょっとくらい。どうせ文化祭とかで展示するんでしょ?」
 友の追跡の手をかわし、黒板の前まで行って、彼女はスケッチブックをひらいた。
「これは下絵だっ」
 一瞬でスケッチブックは友の手に戻った。
 背後にやると、知夏は追いすがってこなかった。
「……何も描いてないページだった。残念」
 ぺろっと舌を出して笑い、踵を返してゆっくりドアまで歩いていく。
「写真、いいのか? オレ鍵まかされてるんだ」
 追い出す形になったかと、そこまで悪気のなかった友が引きとめようとしたが、
「うん。窓からの眺めを見てみたかっただけなの」
 足を止めずに廊下に出る、その前に振り返り知夏は友と視線を合わせた。
「どうして転入してきたの?」
「え」
 口ごもると、知夏は廊下へ出ながら声をあげた。
「すっごい入道雲」
 反対側の窓から見えているのだろうか。友が何も答えないうちに、後ろ手にドアを閉めて行ってしまった。
 ドアを隔てて廊下の向こう、硝子を2枚通して真っ青な空が見えた――
(つづく)
(初出:2010年09月)
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登録日:2010年09月06日 22時44分
タグ : 青春 恋愛 学園

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