紫苑
著者:紫苑(しおん)
日々の出来事を、ふと書き留めておきたい時がある。何の変哲もない風景に、こよなく愛着を感じる時がある。思わず涙ぐんだり、手を合わせてしまうほど感動を覚える時がある。そんな時は目を閉じて、心のキャンバスに、一枚、また一枚と、自分の生きた証に描いてきた。現在は、二人の成人した娘達と、姉妹のように共同生活を楽しんでいる。なにはともあれ、今が幸せならすべてよし、と充実した日々を送っている。
小説/現代

[読切]
誰かとやらなければ、収まらない。ただ、欲望が満たされればそれでいい。だれでもよかった。重い言葉をいう男に、単純な繋がりでしかない、と一蹴するあたし。ただ何度も抱き合うふたり。
 言いようの無い腹立たしさと欲情の狭間で心が喘いだ。
 誰に声をかけてやろうかと鏡の中のあたしと相談をする。
 毒々しい紅いマニキュアで指先を染めた。
 血が滴り落ちそうなルージュを唇に引いた。
 黒でまとめたいでたちは、無造作に結い上げた褐色の髪にマッチして、まるで場末の娼婦と言ったところ。
 自分で吸い込んだメンソール入りの煙草の煙にむせた。
 どこかで無理をしているあたしがいた。

 けど、あたしを抑え込むことができない激情が再び襲ってきた。
 誰かとやらなければ、収まらない。
 思い切り大きな穴の中に落ち込んで静かに眠りたいと思った。


 傍らの黒電話のダイヤルをゆっくりと回した。
 今時流行らないこの黒電話があたしは好きだった。
 アナログな時間のあとに、かったるそうなオトコの声がした。
「葉崎」
「峻、あたし。暇ぁ?」
「何だよ。ご無沙汰じゃんか」
 急に生き生きとした声が返って来た。
 峻はあたしにぞっこんだったけど、あたしはそれほどでもなかった。だけど時間潰しに峻はちょうど良い。
「うん。暇だったら会う?」
「会うよ、会う」
「じゃ、いつものとこで待ってるから」

 あたしは煙草を灰皿に揉み消した。
 退屈な時間を埋める相手をみつけてほっとした。

「お前は良いよなー」
「何が?」
「何もかもだよ。俺が欲情する唯一のオンナかもしれない」
「皆、そう言う。峻だけじゃないわ」
 あたしは本当のことを言った。嘘じゃない。あたしが寝たオトコは皆終った後でそう言った。だけど、あたしには分からない。どこがどう良いのかなんて分からない。あたしはあたしの欲望を満たすことしか考えていない。

 峻のことをあたしは何も知らなかった。知りたいとも思わなかった。あたしが電話をした時、峻が居るか居ないかだけがあたしの興味であり、たまたま居なければほかのオトコに当ってみるだけのことだった。

 あたしは生理が近づくと、オトコが欲しくなる。
 オトコと交わうことが目的で、酒を飲むことも会話を楽しむことも必要じゃなかった。だから峻のことは何も知らない。

「お前なぁ、一体どこに住んでるんだい?」
「どこだって良いじゃない。何で?」
「普通さぁ、こんなに付き合ってりゃさ、相手のこと知りたいと思うものだぜ」
「あたしには関係ないわ。あんたがどこで何をしてたって、あんたのことには興味がないもん」
「変わったオンナだぜ、全く」
 そういうなり、峻は二度目の欲情を露に見せた。

「俺、実はバツイチ。いつでも結婚はスタンバイできてるんだ。何も障害なし」
 あたしは答えない。あたしは峻のペニスがあたしを満足させるかどうか以外、どうでも良い。あたしにはセックスに心が乗らなかった。身体が覚えてる快楽をただ追求しているに過ぎなかった。
 二度目は余裕が出てきたのか、峻の動きは遅かった。遅かったけれど、ゆっくりとあたしの敏感な部分に届いていた。さっきはまるで峻の欲望の嵐だったから、あたしが登る前に峻は果てた。

「俺、いくつだと思う?」
「歳?関係ないじゃん」
 オトコはどうでも良いことをこうして聞いてくる。そう言えばこの間、聡も同じ事を聞いてきた。あたしと三度やったあと涙を流してたっけ。自分でも驚いているって言ってたなぁ、三度もイッタことがなかったんだって。
「だから関係ないけどさぁ、いくつに見える?」
「うーん。39?」
「えー嬉しいなぁ、39?本当にそう見える?」
「当てずっぽう。だからぁ、興味ないんだってばぁ」
 39歳でも50歳でも、あたしにとっては同じことだから。
 あたしはひとり言を言う。
「俺、本当は52歳。娘が一人いるんだ。別れた女房が引き取って育てているんだけど」
「そう?だから?」
「実は俺がお前に惹かれるのには理由があるんだ。俺はうんと若い時以外、女と一晩に何回もイッタことがないんだ。ましてや前の女房とはその辺が上手く行かなくて別れたと言っても過言ではないしさ」
「だからさぁ、あたしと寝たオトコは皆そう言うの。あんただけじゃないんだってばぁ。だから何なのよ」
「だから、それだけのこと。お前と居るとオトコが欲情するってことよ」

 あたしには分からない。どうして寝たオトコが口を揃えて同じ言葉を繰り返すのだろう。あたしはあたし自身が満足することしか考えていない。考えていないというより、本能のままに身体が勝手に憑き動いていると言う感じなのだ。

「俺、お前のこと大事にするから、俺に独占させてくれないか。お前無しでこの先人生はない気がするよ」
「重い言葉は吐かないで。あたしたちもっと単純な繋がりでしかないはず。あんたがそんなこと言うんだったら、あたしはもうあんたと会わないよ」
「そんな事言うなよ。分かった、今までの通りで良い。またお前の暇つぶしで良いから電話を待ってるからね」
 峻は悲しそうに目を伏せた。あたしはその閉じた睫毛を下から見上げていた。小刻みに震える睫毛から涙が一粒落ちて来て、あたしの乳房の谷間を急いで転がった。

 彼が声を上げるのと、あたしが登ったのが殆ど同時だった。
 彼はわたしを抱きしめて、そのまま彷徨っている。あたしはやっと落ち着く穴を見つけた子供のように、目を閉じて深く眠った。

 翌朝、裸の足元からにゅるりと零れ出た。
 バスルームから水の音がした。飛び起きてシーツを思い切り剥がした。
 無造作に抱えてバスルームに押しかけた。峻は一瞬たじろいで、狭いバスルームを半分譲った。峻に背を向けてシーツの汚点にシャワーをかけた。ゆっくりと広がって、それはだらしなく輪染みを作っていった。

 峻は後ろからゆっくりと入って来た。
「厭じゃないの?」
「厭じゃないよ」
 あたしは峻の動きに身を任せた。
 シャワーを止めなくちゃ……。
 意識がそれっきり遠ざかった。
(了)
(初出:2001年08月)
登録日:2010年06月22日 16時19分

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