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天生諷
著者:天生諷(あもうふう)
極々平凡な会社員。毎日楽しい出来事はないかと、心の中で模索しながら生活をしている。旅行と昼寝をこよなく愛し、読書とゲームが生きる原動力となっている。群馬県在住。
小説/推理

世は並べて事も無し アノ子の理由(10)

[連載 | 完結済 | 全20話] 目次へ
聞き込みを続ける真理と東光。見えない犯人に殴られたという伊藤に、呪いは存在すると真理は言う。校内模試一位の三木、そして美術部顧問の美保。いくつかの情報を手に入れ、考察を深める真理だった。
 運動部のかけ声が、夕焼け空に響いている。昼間は暖かいが、日が沈み始めるとグッと気温は下がる。傾き掛けた日の光を受けた建物が、長い影をグランドの中程まで手を伸ばしていた。
 ジャケットの長すぎる裾を冷たい風にはためかせながら、真理は目的の人物に近づいた。
「怪我の具合はいかがですか? 先輩」
 伊藤空太はベンチに腰を掛け、陸上部の練習風景を見つめていた。真理に声を掛けられ、伊藤は溜息交じりに「大丈夫だよ」と応えながら振り返った。
「少し、昨日の話を聞きたいんですけどね?」
 返事も聞かずに、真理は伊藤の横に腰を下ろす。東光は、真理の背後に腕を組んで立ったままだ。
「話す事は無いんだけどな」
 素っ気ない伊藤の声に、真理は「ハハハ」と笑う。伊藤は真理に目を向けることなく、練習に明け暮れる部活動の仲間を見つめていた。
「走りたいですか?」
「……ああ、出来る事ならな。走らなきゃ、差は埋められない」
「先輩は、本当に走るのが好きなんですね」
 真理の言葉に、伊藤は頷いた。練習風景から、真理に顔を向ける。
「風になったような気がするんだ。走るとさ、気持ちが良いんだ」
「何となく分かります、その気持ち。俺もたまに運動すると、スカッとしますから」
「昔はそれで満足だったんだけどな」
 伊藤は唇を噛み、練習風景を見つめた。
「だけど、今はダメだ。前に走っているヤツに負けたくない、そう思ってしまう。だけど、俺は誰にも勝てない。今じゃ、後輩からも顎でこき使われる始末だ」
「それで、体育倉庫に?」
「……ああ」
 後輩にまで良い様に使われてしまう先輩。後輩に下心が無いにしても、先輩という立場から伊藤は悔しい思いをしているのだろう。しかし、それで文句一つ言わないのは、伊藤が本当に走るのが好きだからなのだろう。彼は、真剣に陸上と向き合っているのだ。
 部活動に入っていない真理が言えることでは無いが、伊藤の悔しさは、何となく分かる気がした。男ならば、少しでも上を目指したいと思うのが普通だ。それが、自分の好きな物だとすれば、尚更だろう。
 真理は少し間を置くと、事件の事について尋ねた。
「先輩は犯人を見ていないと言っていましたね」
 目の前を、短パンの女子生徒がもの凄い勢いで駆け抜けていく。黒いハーフタイツを下に履いているとはいえ、カモシカのように細く引き締まった脚線美は、それだけで男性の視線を引きつける。
「見てないんじゃない。見えなかったんだよ」
「見えない犯人ですか。面妖だな、それは」
 チラリと、真理は伊藤の様子を伺う。彼は長距離走の男子生徒を目で追っていた。頭には包帯が巻かれており、目元は青く腫れ上がっていた。襟から首筋に浮かんだ青痣が覗いていたが、話によれば体中に青痣があるようだった。ふと、真理は赤いリストバンドに目を留めた。運動中、汗を拭き取るリストバンドには、有名なスポーツメーカーのロゴが縫い付けられていた。
「運動をしていないのに、リストバンドですか?」
「ああ、癖なんだよ。部活中はいつもリストバンドをしているから。運動できなくても、つい、ね」
 伊藤は引きつるような笑みを浮かべた。
「誰かに恨まれる心当たりはありますか?」
 走り去る女子生徒を眺めながら、真理は尋ねた。後ろに立つ東光は、あえて女子生徒を見ないように、砲丸投げをしている男子生徒を見つめていた。
「……ないよ。だから、俺も困っているんだよ」
「そうですか。先輩が恨まれているのだったら、幾つか仮説が立てられるんですけどね」
「え?」
 伊藤はこちらを見た。真理は口元を歪めながら、夕日に輝く生足を眺めていた。
「呪いですよ、呪い。見えない犯人、だけど、確かに先輩は誰かに殴られていたんでしょう? だったら、もう呪いしかないじゃないですか」
「まさか。そんな非科学的な」
「だったら、先輩は透明マントを被った誰かが殴ったとでも言いますか? 完璧なステルス迷彩を着た何者かが、先輩を襲ったとでも?」
 伊藤は口を噤んだ。真理はなおも続ける。
「説明が出来ないんですよね。先輩の言う事が確かならば、状況を考えるに、呪いの一言で片を付けるのが一番しっくりくるんですよ。透明マントも、ステルス迷彩も、それこそSFの世界です。それにね」
 校舎が更に影を伸ばしてきた。丁度、真理を薄闇が包み込む。
「呪いは確かに存在しますよ。西洋問わず、呪いというのは太古の昔から存在していた。呪術となれば、尚更その歴史は古い。神様に生け贄を捧げ、雨を降らせる。その年の豊穣を願う。敵を呪い殺す。用途は違うかも知れませんが、どれも同じです。良く、白魔術と黒魔術を分ける人がいますが、それはゲームの中で発生した区分けが、世間に広まっただけです。元来、魔術には白も黒もない。人の役に立てるか、人を陥れるか、その二つしか無いんです。ま、魔術の内容、地域、時代によって、行う儀式に大きな違いはありますけどね」
「呪いも同じだって言うのか?」
「願掛けと呪い、似ていると思いませんか? 先輩は、初詣に行きますか?」
 伊藤は頷く。
「もし、初詣で神様に、『伊藤空太を殺してくれ』と頼んだとします。それは、呪いですか、願掛けですか?」
 伊藤は返答に詰まり、固まった表情のまま真理の横顔を見つめる。徐々に、校舎の影が伊藤に闇の触手を伸ばした。
「同じ事なんですよ。神様にお願いをして願い事を叶えて貰うのも、悪魔にお願いして人を殺して貰うのも、同じなんです。どちらかを肯定して、どちらかを否定する事は出来ない。コインの裏表と同じ。光がある所に影があるのと同じなんです。ま、影を見ないで生活している人がほとんどなんですがね」
「今は二一世紀だぞ、呪いなんて、馬鹿馬鹿しい。願掛けだって、ただの習慣だろう? 本当に信じてる奴なんて、いるものか」
 伊藤は真理から陸上部に視線を戻す。
「馬鹿馬鹿しいですか。それが普通ですよね。でも、確かに呪いは存在しますよ。先輩が幾ら否定しようと、それは事実です。何故、人は初詣に行くのですか? どうして墓参りに行くんですか? なんで、占いを信じるんですか? それはね」
 真理は立ち上がった。強い風が駆け抜け、真理の長い髪とジャケットの裾を大きく揺らした。真理は伊藤を見下ろす。伊藤も真理を見上げていた。二人の視線が中空で交差した。
「この世界にとって、有益だからですよ。実用的と言い換えても良い。オカルト的な力は別として、呪いも、願掛けも、占いも、有効的に活用できるからこの時代にも生き残っているんです。過去の歴史を調べてみて下さい。廃れていった宗教、儀式、そうしたものは数多く存在している。だけど、呪術は残っている。形も用途も変化させ、大衆的になりましたが、未だに残っている」
 真理は一旦言葉を切って、伊藤を見つめた。彼は、左手のリストバンドを右手で握り締めていた。
「何も、人を殺すことだけが呪いじゃない。その人の言動、思想を縛ることも、呪いの一種と言えるでしょう。『呪縛』という言葉は、『呪い』で『縛る』と書きますからね」
 伊藤は何も言えずにただ黙って真理を見上げるだけだった。最後に真理は笑みを浮かべた。
「先輩、何か思い当たることがあったら、何でも話して下さい」
 真理は東光を連れ立ってグランドから離れた。
「次は、何処だ?」
「科学室だ。三木歌音に会いに行く」


 真理と東光は科学室の中に通された。
 整然と並ぶ備え付けの長机の間には、実験器具などをその場で洗浄できるように流し台が備え付けられている。科学室特有のツンッと鼻を突く刺激臭を掻き分けるように、真理は窓際の机に座っている三木歌音の前に立った。彼女は、一人黙々と何かを作っていた。
「三木、少し話を聞きたいんだけど?」
 真理は返答を聞かず三木の前に腰を下ろした。
「……なに?」
 プラスドライバーを持っていた手を止め、三木は真理を、その後ろに立つ東光を見た。
「今日は、社会不適合者はいないの?」
「アサギは別件でね」
 アサギがいないことを告げられた三木は、つまらなそうに鼻を鳴らした。
「そう、今日も苛めてやろうと思ったのに、残念」
「やめた方が良い。一昨日は杏子が間に入ったけど、次、あんな事をしたら、アサギは黙ってないよ?」
「あの馬鹿が私を言い負かせるとでも?」
「まあ、恐らく」
「なんで? その証拠は? 確証はどこから来るの?」
 三木は突っかかってくる。真理は両手を挙げて肩を竦めた。
「確証なんてないよ。でも、あいつは天才。少なくとも、君よりは、頭の回転も速いし、弁も立つ」
「何が天才よ。アイツ、私より順位だってだいぶ下よ? この間の校内模試だって、私は圧倒的点差で一位、アサギは二二位よ?」
「ほら、それが証拠」
「え?」
 眼鏡の奥の瞳を三木は細める。小さな顔に不釣り合いな大きな白いリボンが、照明の光を受けてキラキラと輝いていた。
「だから、三木がアサギの順位を気にしている。それが証拠。いちいち、君は自分より下の者の順位を覚えているのか? そんな事は無いだろう? 順位を気にしているのは、気に掛けている人だけ。校内一の秀才が、アサギを気に掛けている。それは、アサギが自分よりも才能があると、暗に示している」
「ばっ、何を言ってるのよ!」
 バンッと机を叩いた三木。科学部員の視線が三木に集まる。
「アンタ! アサギの何なのよ! あのキチガイ女の男なの!」
「まさか、アサギの男じゃないよ。俺達は、アサギの仲間なんだ」
「友達だって言うの! アイツに友達なんか……」
「似てはいるが、友達とは違う。同じ志と目的を持つ同志だ」
 これまで沈黙を保っていた東光が呟くように言った。東光の発言に、頭に血が上っていた三木は冷水を浴びせられたかのように大人しくなった。
「三木だって仲間がいるだろう?」
 真理は科学部員に目を配るが、真理の目を避けるように、部員達は一様に目を逸らした。
「仲間なんて、友達なんているわけ無いでしょう。こんな馬鹿共と、私が話が出来ると思っているの?」
「少なくとも、俺とは会話が成り立っていると思うけどね」
 舌打ちをした三木は、ゆっくりと息を吐きながら気を落ち着けた。
「それで、何が聞きたいの? 話すから早く帰っててょうだい」
 真理は手にした扇子を開いた。真理は歌音の手元に広げられている機材を見て目を細める。
「それ、何を作っているの? 化学の実験と言うよりも、工作に見えるけど」
「実験のキットよ。と言っても、全部自作だけどね。この間話したでしょう?」
「んっと、中庭で実験していたってやつ? 確か、超音波とかナントカって」
「厳密に言えば振動ね。これの出力を調整して、もうちょっと物質がどのように振る舞うか見てみたくってね」
「そんな事して、何の役に立つの? ネットで調べるなり、本で調べればすむ事なんじゃ」
「分かってないわね」
 三木の言葉が真理を遮った。彼女はキットを机の下に隠すと、再び馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「百聞は一見にしかず。特に、こういった実験は、目で見て、感じた方が遙かに頭に入る。私はね、本に書いてある事実ではなく、この目で見た真実が知りたいの」
 「貴方達には分からないでしょうね」と、三木は付け加える。
 扇子を顎に当てた真理は、「まあ」と応える。
「分からないでもない。確かに、事実と真実は違う。俺にとっては、どっちもどっち。その場の都合に合わせて事実と真実を使い分けるけどね」
「でも、答えは一つだけよ」
「三木のやってる実験では、答えは一つで、真実は一つだろね。だけど、俺達が追い求めているのは、真実と事実、時には二つの解答が存在している。いや、事件に関わる人、全ての中で答えは一つじゃない。観察者の存在が、対象に対して何らかの効果を示すとも言うしね」
「それは、シュレーディンガーの猫と同じ、比喩でしかないわよ。死んでいるし生きている、そんな中間に位置する猫は、この世に存在しないわ」
「確かに。実験を行っていながら、観察してはいけないなんて、本末も転倒だな」
 真理は笑う。
「昨日、伊藤先輩が何者かに襲われたの、知ってるな? 三木も現場にいたんだけど、何をしていたんだ?」
「別に何も。私がグランドにいちゃおかしいの? 私だってこの学校の生徒よ? 騒ぎがあれば、見てみたくなるでしょう?」
「北校舎まで騒ぎが聞こえたか? そんなに大騒ぎだった?」
 真理は背後に立つ東光を振り返る。東光は頷く。
「学校中大騒ぎだった。用務員室にいた真理達以外は、皆知っていたはずだ」
「なるほど。一応聞くけど、怪しい人とか見ていなかった? 状況からして、前回と同じなんだけど」
「だから、私が知るわけ無いじゃない」
「アリバイはある?」
「アリバイ?」
 三木の眉間に深い皺が寄った。数瞬、言葉に詰まった後、溜息交じりに三木は応えた。
「ないわよ。アリバイはない。昨日は部活を休んで、図書室に行ってた。本を借りて、帰る所だったのよ」
「そっか……」
 パチッと、開かれた扇子が乾いた音を響かせる。
「何よ。私を疑っているの?」
「いや、その逆。心配してるんだよ。今回の被害者は、伊藤先輩だろう? 先輩は、橘ヒカル先輩が殴打された事件の目撃者の一人だ。この学園の生徒の数からして、偶然にしては出来すぎている」
「全校生徒が約三〇〇〇人。橘先輩の目撃者は、私を含めて三人。伊藤先輩は、その中の一人ですものね」
「そう言うこと。だから、気をつけてね。なんせ、相手は見えないって言うんだから」
「ええ、分かっているわよ。他に話は無いの? 終わったのならサッサと出て行って」
 腰を浮かそうとした真理だったが、「あっ」と何かを思い出したように声を出した。再び、イスに腰を落ち着ける。三木は真理を見て、面倒そうに眉根を寄せた。
「塩化コバルトが盗まれたけど、あれって見つかったのか?」
「ああ、先週の騒ぎね。いいえ、見つかっていないわよ。あんなの、何に使うのかしらね」
「三木でも用途は思い浮かばない?」
「思い浮かばないわね。あれを使っても、大した実験は出来ないしね」
「だよね、水分を吸うと青から赤に変色するだけだものな」
「そうよ。保存も難しいし。知らない人が盗んだなら、青い粉が化学反応を起こして真っ赤になってるでしょうよ」
「その様子じゃ、科学部じゃ余り問題になっていないのか?」
「鍵の置き場を変えたくらいね。……探すんじゃないわよ?」
「分かってるよ。化学の実験に興味は無いしね」
 真理は頷く。
「じゃ、俺達はもう行くよ。次は美術室に行かなきゃいけないからね」
「……ねえ、アンタ達」
 席を立った真理を三木が呼び止める。テーブルの上で手を組んだ三木は、こちらをいつになく真剣な眼差しで見上げてくる。
「本当に、事件を解決できると思ってるの? 本気で事件を解決する気なの?」
「……どういう意味?」
「ヘタに荒らさない方が良いんじゃないかって言ってるの。人が二人襲われてるのよ? 何かあったらどうするの?」
 真理は東光と顔を見合わせ、肩を竦める。聞かれずとも、答えは決まっている。
「どうもしない。何かあったら何かあったら、それはそれで事件を解決するチャンスだ。俺はね、三木歌音」
 真理は扇子を開く。
「箱の中の猫が死んでいるか生きているか。そんな事はどうでもいい事なんだ。俺にとって重要なのは、猫が生きていると信じて、箱を開けることなんだよ」
「結果よりも過程が大事って事? 過程を大切にする奴なんて、力の無い馬鹿な奴がすることよ」
「でも、過程無くして結果無し。過程を無視して結果だけを論ずるのは、それこそ愚か者のすること。それは、三木も良く分かっているはずだろう? 勉強に限らず、人が生きていく上で必要なことだ。結果を信じて、箱を開けることがね」
「……何が言いたいの?」
 突き刺さるように厳しい三木の視線を、真理は開いた扇子でかわした。
「それは自分で考えて。じゃ、また」
 真理は東光を連れだって科学室を後にした。次は、四階にある美術室だった。


 美術室に入った真理は、「へぇ〜」と感嘆の声を漏らしていた。
 テーブルが美術室の東側に集められており、西側の壁にあるホワイトボードを隠すように、巨大なカンバスが天井から二本のワイヤーでつり下げられていた。つり下げられているだけで固定されていないカンバスを、等間隔に建てられた四本の支柱がイーゼル代わりになって支えていた。
「あら、珠洲君に東光君。熱心ね」
 カンバスの前に立っていた美保がこちらを見て満面の笑みを浮かべた。久しぶりに見る、美保の笑顔だった。
「先生、どうしたんですか、このバカでかいカンバスは」
 美保は目を細めてカンバスを見つめると、赤いルージュの引かれた唇を緩ませた。
「久しぶりに、絵を描いてみようと思ってね」
「わぉ、それは楽しみですね」
「あら? 珠洲君は絵が好きなんだっけ?」
「こう見えても、音楽と美術は大好きですよ」
 真理は胸を張って応えるが、後ろに控えている東光は深々と溜息をついた。
「下手の横好きだな」
「悪かったな! 俺はお前みたいに、何でも器用にはこなせないんだよ! 一年生の時、あれでも俺は本当に真剣にやっていたんだぜ?」
 東光に投げつけた真理の言葉に、美保は「え?」と意外そうな声を上げる。
「珠洲君、君はあの絵で真面目にやっていたの? 私はてっきり、適当に授業をサボっているとしか思わなかったわ」
「クロッキーに至っては、人を画くはずが四つ足の動物を描いたからな」
「私は、四本足のタコを書いたのかと思ったけど、あれ、人だったの?」
 真理は恥ずかしそうに扇子で顔を隠した。
「ええ、ちゃんとイスに腰を下ろしているモデルを書いたつもりだったんですけどね。そんなに、訳の分からないものに見えましたか?」
「ああ」
「ええ」
 ゲンナリと肩を落とした真理は、逃げるようにして美保から顔を背けた。沈みはじめ、最後の力を振り絞って光を放つ太陽。その光に当てられ、向かい側に見える南校舎の窓ガラスは輝いていた。光ガラスから、複数の生徒の行き交う姿が見える。南校舎の五階にある図書室だ。
 図書室から、机の纏められている東側を向く。東側の壁には、自殺した真壁志保の絵画が飾られていた。追悼の意を込め、校内にある志保の絵を飾ってあると言っていたが、こうして眺めると、やはり他の生徒の画く絵画とは、一線を画すほどの出来映えだった。
 美保ではないが、これだけの腕前があるなら、期待を掛けられてもおかしくない気がする。
「志保の絵なの。二枚ほど、県の美術館に展示さているから此処にはないんだけどね」
「ってことは、全部で十二枚なんですか?」
「ええ。美術館に行ってるのは、去年の秋と夏に画いた、『幽玄の刻』と『名残雪』の二つの作品よ。ほら、壁に冊子が掛かっているでしょう? もし絵を見たかったら、冊子に載っているわ」
「これは、画かれた順番で並んでいるんですか?」
「向かって左から順にね」
 絵を見つめながら、真理は美保に尋ねる。どれも素晴らしい絵だったが、左から眺めていくと、どうも何かが腑に落ちない。心の中に、言葉に出来ないモヤモヤが沸きだしてくる。
 真理は暫く絵を見つめていたが、閉じたセンスで頭を掻き、美保に向き直った。彼女は、タバコのケースを手にし、弄んでいた。いつも目にする、青いパッケージのメンソールのタバコだ。
「先生、一応、校内ですよ。タバコを吸うなら、指定の場所にして下さい」
「あら? 珠洲君は気にする人だっけ?」
 美保は美術室の入口の鍵を閉めると、窓を開け、窓枠に体を預けた。ケースからタバコを取り出し、口にくわえて火を付ける。一切の無駄のない、流れるような仕草から、彼女がヘビースモーカーである事を物語っていた。
「これでも、普通の生徒のつもりなんですけどね〜。東光は、散々吸っているから違和感ないだろうけど、俺、タバコの煙って苦手なんですよ」
「真理、一応断っておくが、お前と知り合ってタバコは止めた」
「ですってよ、先生。先生も止めた方が良いんじゃないですか? 値段も上がってきてますし、百害あって一利無し、ですよ」
「何言ってるのよ、喫煙者は他の人よりも税金を多く払っているのよ? お国の為に貢献しているんじゃない」
「寿命と健康を削って納税していることには頭が下がりますけどね。俺はゴメンですね。血管が収縮し、頭に血が行き渡らなくなる」
「頭でっかちな君らしいわね。でもね、大人になると、健康に悪いと分かっていても、これでスッキリしたいことがあるのよ。ね、遠藤君」
「……ウム」
 東光は言い難そうに応えた。
「ったく」
 真理は腰に手をやり、ガランとした美術室を見渡す。人のいない美術室は、やけに広く感じられる。
「そういえば、今日は美術部は休みですか? 橘先輩と、矢上に話を聞きたかったんですけど」
「今日は部活休みよ、私も少し絵に集中したかったし。……橘さんと矢上君か。最近、二人の様子がおかしいのよね」
 ポツリと美保は漏らす。
「おかしい? 確かに、橘さんは先生に懐いているように見えたけど。あんな事件があったからなんですか?」
 真理の問いに、美保はタバコを一息吸い、溜息と共に煙を吐き出す。
「前は、志保にべったりだった。仲が良い、と言うのとは少し違うかな。依存って言った方が良いかもしれない。橘さん、少し特殊な家庭環境でね。親の愛情を知らずに育ったというのかしら」
「親に与えられなかった愛情を、他人に求めるって言うんですか?」
「……そうかも知れないわね。私もどう接するべきか、悩んでいるのよ」
「矢上の様子がおかしいとは?」
 東光が尋ねる。
「彼、前まで橘さんを熱っぽい目で見てたのよ。本人は隠しているみたいだけど、回りにはバレバレ」
 美保は口だけで笑う。
「バレバレって、何が?」
 真理は東光に聞くと、東光は「ムッ」と眉根を寄せた。
「本当に、そう言うことには疎いな。矢上は橘にホの字だった、と言う事だろう」
「好きだったって事?」
「真壁先生の話から察すると、な」
 東光の言葉に美保は頷く。
「でも、最近はそんな目で見ないの。親の敵を見るような、憎しみの籠もった目で見るのよ。だから少し心配でね」
「それは、いつからです?」
「志保が死ぬ前の話よ。志保が死んで、少し経ってから矢上君と話したけど、何も話してくれなくってね」
「生徒の相談に乗るのも、教師の勤めですか」
「妹が死んでも、私は教師だからね。なんだか、美術部も変わっちゃった」
 「色々な事があったからね」と、美保は紫煙を吐きながら寂しそうに言った。
「で? そっちはどうなの? 正義部だっけ? 御厨さんのお手伝いは順調?」
 東光と目を合わせた真理は、肩を竦めて首を横に振る。
「今は正義部改め、御陵高校探偵倶楽部です。色々と、杏子が引き受けちゃいまして。先生は知ってますか、ムマの強姦事件」
「……噂にはね」
 美保は露骨に顔を歪める。やはり、女性は男性以上にこの手の話題に嫌悪感を感じるのだろう。
「実際に、被害に遭ったって人がいます。学園は、対処しないんですか?」
「その子が言い出してくれれば、動くんでしょうけど……。どうかしたらね、珠洲君も遠藤君も知っているでしょう。学校は組織であり、一つの社会であり、会社でもあるの。生徒主体とか言っていても、やっぱり、実権は私達教師が持っているし、私達が統率しているわ。利益を求める関係上、倫理に反することがあっても、目を瞑ることがある」
「……知ってますよ。くだらないシステムに、何度も煮え湯を飲まされましたからね。な、東光」
「ああ。それには、俺も頭にくる」
「でも、その為にあるのが探偵倶楽部でしょう? 珠洲君と、遠藤君がいるんでしょう?」
「学校のトラブルを解決する為に在校しているワケじゃないんですけどね」
「右に同じだ」
「……そうよね。私達教師がもう少ししっかり生徒と向かい合っていれば、こんな事件は起きなかったんでしょうね」
 美保が示すこんな事件というのは、先に起こった殴打事件だろうか、妹の志保の自殺のことだろうか。もしかすると、その両方かも知れない。真理は言葉を止め、再び志保の絵を見つめた。
 真壁志保。彼女は最後の作品を書き上げたその夜、中庭の時計塔から飛び降り自殺をした。彼女は、毎日美術室に遅くまで残り、作品を仕上げていたのだという。一体、どんな気持ちで一人絵を描いていたのだろう。
 真理は美保を、その後ろに聳える時計塔を見つめた。志保も、今の真理と同じような光景を何度も見たのだろうか。死を選ぶほどの苦しみが、後悔があったというのだろうか。彼女には輝かし未来があったように思える。この世に未練は無かったのだうか。
 一番右側の作品を見る。志保が最後に仕上げた作品の名前は、『FREE MAN』、自由人と銘打たれていた。
 青空を背に、両手を広げる髪の長い少女。彼女の足元には、黄色い花を咲かせる菜の花。下からのアングルで青空を背景に背を向けている少女の顔は、窺い知れない。空、少女、それと一面に咲き乱れる菜の花。それだけの絵だったが、アクリル絵の具で、比較的シャープなタッチで描かれたその絵には、自由を全身で感じ取れる力が備わっていた。
 生前の志保は知らないが、もしかすると、両手を広げる少女は、志保自身をモデルにしているのかも知れない。彼女はこの作品を描き、本当に魂だけの自由人になってしまった。
「真理、何かこの絵から読み取れるのか?」
 美保に聞こえないように、横に立った東光が囁く。
「ん? あ、いや……。何だろう、分かりそうで分からないんだよな」
 やはり、絵を眺めていると胸の奥がモヤモヤする。もしかすると、志保の絵の持つ不思議な力に圧倒されたのかも知れない。

 カチッ

 美術室が明るくなった。気がつくと、日は沈み外は暗くなっている。向かいに見える図書室は、すでに灯りが灯っていた。窓際の席に座った女子生徒と目が合った。彼女は、先ほど話をした三木歌音だった。三木は真理と目を合わせると、何事もなかったかのように手元に目を落とした。
「長座させてごめんね。タバコも吸ってスッキリしたから、帰って良いわよ」
 美保は美術部の出入り口の鍵を開けた。
「色々と話せて、少し気が楽になったわ。君たちには、助けて貰ってばかりね」
「良いですよ。話を聞くくらいで助けられるなら、いつでも呼んで下さい」
 真理は真壁を残し、紫煙の残滓が漂う美術部を後にした。
 その五分後、探偵倶楽部の部室に戻った真理は、突然杏子の平手を受ける事になった。
(つづく)
(初出:2013年01月24日)
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登録日:2013年01月24日 12時43分

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    体育館に集まったギャラリーを前に、ついに真理の推理が披露される。志保の飛び降り自殺、ムマの強姦事件、見えない犯人による殴打事件、美術室での爆発――。何がどう繋がっていただろうか?(小説推理

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  • スコルピオの星 御陵高校探偵倶楽部事件簿 天生諷 (2015年10月27日 14時30分)
    評判の占いの館「サイン」を舞台に起こる連続殺人事件。軽い気持ちでサインを訪れたふたりだったが、それ以来、おかしくなってしまう佐野。蓮音も「消したい過去を乗り越えるために道を示す」という言葉にぐらついていた。そんな折、蓮音が所属する生徒会で立ち寄った教会でスコルピオの第一の殺人事件が発生。捜査によって占いの館に疑いの目が注がれることに。凄惨な事件に巻き込まれる蓮音と生徒会の面々。そして、ついに御陵高校探偵倶楽部が動きだす。部長でヒーローオタクの杏子、斜め上の天才、真理。武闘派だが女に弱い東光、コスプレマニアのアサギと一癖も二癖もある部員たちにもたらされた事件は思いもよらぬ展開が待ち受けていた!(小説推理

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  • 世は並べて事も無し アノ子の理由(19) 天生諷 (2014年03月29日 19時18分)
    ムマの事件は解決した。そして第二幕の犯人がこの中にいる。しかし真理は躊躇していた。解決したところで誰も救われないからだ。しかし周囲の声に押され真理は話し始めた。ついに不可解な事件の証明が終了する。(小説推理
  • 世は並べて事も無し アノ子の理由(18) 天生諷 (2014年02月13日 19時28分)
    体育館に集まったギャラリーを前に、ついに真理の推理が披露される。志保の飛び降り自殺、ムマの強姦事件、見えない犯人による殴打事件、美術室での爆発――。何がどう繋がっていただろうか?(小説推理