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天生諷
著者:天生諷(あもうふう)
極々平凡な会社員。毎日楽しい出来事はないかと、心の中で模索しながら生活をしている。旅行と昼寝をこよなく愛し、読書とゲームが生きる原動力となっている。群馬県在住。
小説/推理

世は並べて事も無し アノ子の理由(12)

[連載 | 完結済 | 全20話] 目次へ
殴打事件の被害者、橘ヒカルを時計塔に呼び出した真理。自殺した真壁との間に何があったのか問いただすが、美術室で爆発が起きる。新たな展開を迎える事件に、真理たちは?
五章 最後の事件はみんなが目撃者?

 四月十九日 土曜日

 低い空には鉛色の雲が立ち籠めていた。湿気を孕んだ冷たい風が、ジャケットの裾を大きく揺らした。
 特別に許可を貰い、真理と杏子は時計塔へ来ていた。真壁志保の事件があるまで、入口の扉は常時開放されていたが、事件以降、扉は施錠されており許可が無くては入れなくなっていた。
 校内で一番高い場所にある時計塔。そこから見下ろす景色は、曇天の下であっても素晴らしいの一言に尽きた。
 細部に至るまで妥協を許さない職人達が作り上げた御陵高校。日本では余り目にすることの無いゴシック・リヴァイヴァル建築の学校は、こうして俯瞰した視線で見ると、まるで中世ヨーロッパの世界に迷い込んだかのような錯覚に陥る。
 目を閉じ、風に身を委ねる。
 水分を多量に含んだ風、曇天。そこから想像できるのは、イギリスのロンドン。テムズ川の畔に聳え立つ、ウエストミンスター宮殿。丁度、御陵高校もウエストミンスター宮殿と同じように横長である。スケールこそ違うが、九六メートルの時計塔ビックベンに対し、御陵高校も時計塔を有している。
 ビュウッと、強い風が真理の髪を揺らした。冷たく尖った風は、程なく雨を運んでくるだろう。
「それで、何かよう?」
 橘ヒカルに声を掛けられ、真理はロンドンから日本の地方都市、御陵高校へと戻された。
「もう余り時間が無いので」
 胸ポケットから鉄扇を取り出した真理は、パンッと左手に打ち付けた。
「橘女史、貴方に幾つか聞きたいことがある」
 杏子が歩みでた。今日も含め残り五日。たった五日で、事件を解決しなければいけない。きつく結ばれた唇から、杏子が必死に事件の謎を紐解こうとしていることが分かる。

「何故、この時間の無い時に橘女史なんだ?」

 半日の授業を終えた真理達は、土曜日の午後という貴重な時間を、謎解きの為に裂いていた。人気の少ない食堂で昼食を摂りながら、真理は杏子に応えた。
「あの人は何かを隠しているよ」
「それは今回の事件に関係のある事なのか? 正直な所、橘ヒカル殴打事件と落書き、それとムマ、この二件について、何一つ容疑者らしい容疑者の名前が挙がっていない」
 ナポリタンをフォークに巻き付けていたアサギが、手を止めてこちらを見つめた。
「確かに、容疑者らしい容疑者の名前は挙がっていないな」
 一足先にたぬきうどんを食べ終えた東光が、アサギの言葉に頷く。
「登場人物と言えば、殴打事件の被害者である、橘ヒカル。目撃者である伊藤空太、三木歌音、矢上雄平。このうち、伊藤空太は目撃者から被害者になっている。
 強姦事件に関しては、真理の幼馴染みの椎木朝輝と、被害者の田島麗華。
 その他の登場人物としては、真壁先生と、用務員の高嶺、写真部の井上御津、橘先輩と話していた一年生、湯川緑だな」
「儂の見立てでは、犯人は疎か、容疑者だってその中にはいないぞ」
「ん〜そうかな?」
 真理は小首を傾げる。真理の見立てが間違っていなければ、この関係者の中に犯人がいるはずなのだ。まだ確証もないし、霧のように実体のない犯人を糾弾するには時期尚早だが、間違った道を進んではいないという確信はある。
「真理、貴様、何か知っているな?」
 教えろと言わんばかりに、杏子が身を乗り出してくる。
「……まだ確証はない。今の状況で不確かなことは口に出来ないよ。だから、橘先輩から話を聞きたいんだ」
「つまらん男じゃな。もったいぶりおって」
「……なるほどな」
 何か分かったのか、杏子は頷いた。
「お前なりの答えがあるのか?」
 真理の問いに、杏子は腕を組みフンッと鼻を鳴らす。
「全くない! そもそも、それは愚問というものだ。何の為に、お前達三人に助けを求めたと思っているのだ。私では解決できないから、頼んだのだ」
「自分じゃ解決できないことが前提かよ」
「一応、私も考えている。だが、全く分からないのだからしょうがないだろう。東光とアサギは分かっているのか?」
 杏子の問いに、東光とアサギは目を見合わせる。
「俺も分かっていない。真理は、何かを掴んでいるみたいだがな」
「生憎、儂もじゃ。今まで知り得た情報の活用法が分からない」
 アサギの物良いに、真理は笑う。
「数学と同じだよ。公式が分からなければ、幾ら数字を示されたって解き方が分からない。事件を解決すると言う事は、無数にある選択肢から、知り得た情報を使って選択肢を絞っていく作業なんだ。これは頭の善し悪しの問題じゃない、センスの問題だな」
「なるほどな。では、その解き方というのを期待しているぞ、真理」
 「ああ、任せといてくれ」と言い、真理は食べかけのカレーをスプーンにすくった。
「では、午後から私は真理と行動を共にしよう。アサギは東光と一緒に行動してくれ」
「ウム、分かった。儂は何をすれば良い?」
「アサギと東光は、美術室に行って、もう少し矢上から話を聞いてくれないかな。自殺した志保と、橘先輩との関係も気になる」
「了解した。そちらは大丈夫なのか? 橘は、一筋縄じゃいかないぞ」
 心配そうに眉を下ろす東光を、真理は鼻先で笑い飛ばした。
「我に策あり、さ」
 真理はポケットから一つの鍵を取り出した。それは、松下から借りた時計塔の鍵だった。


「先輩と志保の話を、聞かせてもらえませんか?」
 腕を組んだ真理は、胸程までの高さしかない壁に寄りかかる。この場所は、丁度真壁志保が飛び降りたと思われる場所だった。
「この間話したでしょう? 私、部活があるから」
 踵を返そうとした橘だったが、その行く手を杏子が塞いだ。
「橘女史、貴方と真壁女史の間に何があったか、聞かせて貰おう」
「何かって、何よ?」
 出口を塞がれた橘は、落ち着きなく真理と杏子を交互に見つめる。
「初めて会った日、先輩は、自分をやったのは志保の呪いだと言いましたね? 先輩は、志保から恨まれるようなことをしているはずです。あの時は余り追求しませんでしたが、今になって、その事が重要な意味を持つことに気がついたんですよ」
 橘を威嚇するように、真理の手の中で鉄扇が音を上げる。
 橘は半身になって身構え、真理を睨み付ける。明らかに真理を敵視している眼差しだ。今の状況では、頑なな橘の口を割らせるのは困難だろう。もし話したとしても、それが真実である確証はない。東光はこうなることを恐れていたのだ。
 真理は時計塔を見渡す。目測だが、五メートル四方の狭い頂上部だ。四隅に柱が立っており、四角錐の屋根を支えていた。上を見上げると、巨大なベルがつり下げられている。昔は黄金色にでも輝いていたのだろうが、長い年月を時計塔で過ごしたベルのメッキは剥げ、其所此処に錆が見て取れた。
「確か、ここから志保は飛び降りたんですよね。飛び降りる瞬間、彼女はどんな気持ちだったんでしょうね」
 物憂げな表情を浮かべ、真理は下を見る。二五メートルの高さから見下ろす時計塔は、ビックベンの半分の高さにも満たないというのに、背筋に冷たい物を感じさせる。
「怖かったと思うな、俺は。杏子はどう思う? 先輩は、どう思いますか?」
 杏子と橘に水を向ける真理。杏子は表情を崩さずに、橘を見つめている。
「恨みを抱いていたのだとしたら、怖いとは思わないだろう。復讐してやろう、そう思ったのではないか?」
 柳眉を寄せ、杏子は真理を睨み付ける。予め、杏子には橘の恐怖を煽るようにと指示してある。橘を追い詰めることに杏子は乗り気ではなかったが、一緒に行動すると言った以上、真理の指示に従うより他はない。
「私は、私は……」
 明らかに橘は狼狽していた。
「先輩、死後の世界はあると思いますか? 俺は、あると思う」
「死後の、世界?」
 蹌踉めいた橘は、手摺りに掴まった。一際強い風が橘の髪を大きく揺らした。乱れた髪は、そのまま橘の心情を表現しているかのようだ。
「死後の世界と言っても、実際に天国や地獄がこの世界の何処かにあるわけじゃない。あるのは此処、自分の中だ」
 真理の手の中で扇子が弾ける。ピンク色の桜がパッと手の中で花開いた。
「人は死んだらどうなるか、それは恐らく、人類の決して到達できない命題だと思う。だってそうでしょう? 実験するには、一度死んであの世を見なければいけない」
「だが、臨死体験で死後の世界を見た人もいるぞ。どう説明する?」
 杏子がトゲのある言葉を真理に投げかける。やはり、杏子に橘を追い詰めることは無理だろう。だが、それが杏子の良い所なのかも知れない。真理と違う意味でぶれず、真っ直ぐ自分の正義に突き進む。一歩間違えると危険な方向へ行ってしまうが、行動力を生む原動力にもなる。熱くなることなく、淡々と物事を処理する真理には、決して手にする事の出来ない力だ。
「それは簡単明瞭な答えだ。脳の勘違い。それで説明が付く。
 臨死体験と一口に言っても、幾つも種類がある。ざっと思いつくのを上げると、トンネル現象、親類縁者などの他者との邂逅、体外離脱、光る生命との邂逅。こんなにも種類があり、更に住んでいる国などにもよって見るビジョンは様々だ。
 この中で、体外離脱というのは、死んでいる状態の自分を見下ろしたり、自分を治療している医者の行動や、計器類の数値、果ては廊下で自分の回復を願う家族や恋人の映像を見ており、蘇生した後も克明に覚えていると言う事だ。これは死後の世界とは関係ないと俺は思う。意識の拡大。死に際し、人の感覚が極限までに高められた状態だと思う。聴覚、視覚、触覚、味覚、嗅覚の五感はそれぞれの能力を補いながら俺達の生活を助けている。だけど、その中の一つでも失われると、その能力を補うようにその他の感覚が鋭くなる。光を失った人が、聴覚や触覚に優れているのは有名な話だ。
 だから、俺はこう思う。体外離脱は、五感が高められた為、目では無く、他の感覚で外の景色を見て、感じる事が出来るんだとね」
「じゃあ、他のは? 他のはどうなのよ!」
 橘が吠える。思惑通り、橘はこの手の話題に食いついてきた。
「死後の世界にだけ焦点を絞ると、宗教が大きく関係していることが分かる。キリスト教圏内では、花畑や光る神を見る事が多い。光る神というのは重要でね、それはとても大きな存在であり、まさに無償の愛を体現している存在らしい。家族愛などを遙かに超越した愛を感じ取れるという。それは、蘇生した後の人生を一変させるほどの威力を秘めた愛らしい。だけど、日本では違う」
 真理は言葉を切り、開いた扇子をヒラヒラと動かした。曇天に舞う黒い揚羽蝶のように、扇子は優雅に舞っていた。
「日本で主に見られるのは、川原だ。三途の川、賽の河原、呼び方は違うけど同じものを指している。川の対岸に死んだ親兄弟が立って、「こっちに来るな」と叫んでいると言うのは、良く耳にする話だ。それに、日本人も光を目にするけど、その光はキリスト圏とはとは少し違う。日本人の見る光は、神といよりも太陽、自然光に近いらしい。暖かさはあっても、愛を感じる事は無いと言うんだな」
「つまり、真理は死後の世界は宗教が大きく関わっていると言いたいのだな?」
「そう言うこと。もし死後の世界があるのなら、皆同じビジョンを見て当然。そもそも、宗教がこれだけ乱立することだってあり得ない。世界中に星の数ほど宗教はあるけど、その最終目的地点は決まって同じ。死んだら天国行って幸せになろうぜ、って事なんだからな」
「矛盾している……。貴方は、さっき死後の世界はあるって言ったじゃない。その話だと、幽霊も、呪いも、死後の世界も無い事になる」
 真理は首を横に振った。
「いや、でも死後の世界はある。それは、生きている人の中にね」
 扇子を閉じた真理は、橘の胸に向けて扇子を突きだした。橘は見えない扇子に突かれた様に胸元を押さえた。
「死んだ人が無念と感じる事があるか? 生きている人を憎いと感じるか?」
 ゆっくりと歩を進めた真理は、橘の前で足を止めた。橘は立つ力を失ったかのように、手摺りにしがみついた。
「……あるんじゃ、ないの……?」
「ないよ。そう思うのは、生きている人間だけだ。つまり、志保の恨みというのは、橘先輩、貴方が自分に掛けた呪詛に過ぎない。死後の世界を作りだしているのは、自分自身、人の心なんだよ」
 真理の扇子が、橘の胸をゆっくりと突いた。心地よい弾力が扇子を通して感じ取れる。
「馬鹿者! 女子の胸を扇子で突くなど、セクハラだぞ!」
 杏子の手が真理の後頭部を叩いた。
「お前、空気を読めよ……!」
 真理は踏鞴を踏んで、憮然とした表情で杏子を見た。格好良く決まるはずが、これで台無しだ。
「空気を読もうとしたが、目の前のセクハラを捨て置くわけにはいかないだろう!」
 杏子は腕を組んだ。
「私自身が……?」
 真理と杏子のやり取りが気にならないのか、橘は自分の胸を押さえて、その場に蹲った。橘を助けようと手を伸ばす杏子を、真理は手を上げて制した。
「話せば楽になります。教えて戴けませんか?」
「悪いようにはしない」
 橘は縋るような目付きでこちらを見上げてきた。ポロポロと、涙が流れ落ちた。
「ケンカをしたのよ、志保が死ぬ、一週間くらい前に……」
 握り締めた小さな拳が、時計塔の石畳を叩く。
「二人とも、志保の絵を見た?」
「見ましたよ」
「見たぞ。見事な絵だったな」
 橘は乾いた笑い声を上げた。
「確かに、素晴らしい絵かも知れない。だけどね、あれじゃダメなの。上には行けないの」
 上を向いた橘は、脱力したように壁に体を預けた。
「私、二年生最後のコンクールで、賞を取ったの。それ、志保も出していたの。志保はね、私に言ったの。才能のある人は羨ましいって。大した努力もしないで、賞を取れるんだからって」
「橘女史は、努力はしなかったのか?」
「人並みの努力だけどね。あの子、志保はね、自分に絵の才能が無い事を良く分かっていた。もの凄く頑張って、努力して、それでようやく才能のある人と同じスタートラインに立てるって」
「だから、ケンカしたんですか?」
 橘は頷いた。
「カチンと来たのよ。私だって努力はしてる。小学生の時から、ずっと志保を見てきて、後を追って、彼女と同じように頑張ってきた。一緒に努力してきたのだ。だから、私は、志保が褒めてくれると思った」
「だけど違ったというわけか?」
「つい、口にしちゃったの。才能がないからって、私に当たらないでよ、って。いっちゃいけない言葉だった。志保、自分に才能がないって分かっていたから。ずっと、努力してきたから。先生や、お父さんのプレッシャーに負けず、今までの人生を絵に捧げてきたんだもん。あんな事を言うべきじゃなかった。ケンカして、それで私は……」
 橘は口を止めた。
「……それで? 他に依存する相手を求めた、と」
 びくっと橘の体が揺れた。涙に揺れる眼差しが、戦くように真理を見た。
「貴方は、何処まで知っているの? なんで、分かるのよ……?」
 橘の言葉に、真理は溜息をついて目を伏せる。その表情には、言い知れぬ憂いが秘められていた。
「この世界には、真実しか存在しないから」
 橘は泣き崩れた。声にならない言葉を発し、大声で泣いた。
「真理」
 杏子の言葉には、「やり過ぎだ」と否定的なニュアンスが含まれていた。
「……悪かったよ。人の涙を見るのは、俺も好きじゃない。特に、女性は」
 真理は壁により掛かった。校舎を一望できる時計台から見下ろす景色に、斜が走っていた。いつの間にか、雨が降り出していたようだ。
「先輩、もう良いですよ。美術室まで送ります。とりあえず、真壁先生にでも……」
 視界の隅に白い影が走った。真理の視線がそちらへ向かう。美術室の下、三階の音楽室だ。
 そこには白い仮面を付けた生徒、ムマが居た。ムマは横たわっていた。そのムマの下には、女子生徒が倒れている。ムマは、女子生徒を組み伏せていた。
 言葉が出なかった。激しい動悸と対称的に、呼吸は止まり、手の先が冷たくなる。
 何が起こっているのか、理解するよりも先に、目の前で更に変化が起きた。
「真理、どうした?」
 遠くで杏子の声が聞こえてきた。
「あそこに、ムマが……」
 何とか絞り出された言葉は、最後まで言えずに止まった。

 バンッ!

 音楽室の真上にある美術室から光が弾けた。美術室の窓ガラスが、申し合わせたかのように全て割れた。大勢の悲鳴が校舎全体に響き渡った。
「東光……」
「アサギ!」
 杏子が真理の肩を掴んだ。
「真理、ぼさっとするな! すぐに美術室に行くぞ!」
「あ、ああ……」
 鉄扉が壊れそうな程勢いよく開け、杏子は時計塔から飛び出していった。
 音楽室に居たはずのムマの姿は、消えていた。ムマに組み伏せられていた女子生徒の姿もすでに無かった。
 幻でも見ていたのか。そう思ってしまう光景だったが、窓ガラスの割れた美術室は、紛れもない現実の出来事だった。
 真理はヨロヨロと立ち上がった橘と共に、一足遅れて美術室へ向かった。
「先生……、真壁先生……」
 譫(うわ)言(ごと)のように橘の口から出る「真壁」の名前に、真理は東光を重ね合わせていた。


「俺は絶対に反対です!」
 東光とアサギは、美術室に響き渡る矢上雄平の言葉に顔を顰めた。
「なんで、橘先輩が部長なんですか! それは、真壁先輩に対する侮辱です!」
 真壁美保に詰め寄る矢上は、声を荒げて他の部員達に意見を求める。だが、他の部員達は冷ややかで、矢上の言動に戸惑った表情を浮かべていた。
「どうする?」
「どうするもこうするもなかろう。これじゃ、話を聞くことも出来ん」
 アサギは矢上に背を向け、壁に掛けられている絵を見つめた。
 東光達が美術室に入る前から、矢上は美保に詰め寄っていたようだ。一人で捲し立てるように叫ぶ矢上から、大まかな話の内容は理解できた。
 彼は、橘は美術部の部長に相応しくないと言っているのだ。橘を退部させ、他の三年生を部長にすべきだと。美術室に入った東光だったが、矢上があの調子ではまともに話をすることも出来ない。

「ったく、なんなのよ、矢上の奴」
「最近、アイツ変だぜ」
「真壁が死んでから、アイツ変わったな。前はあんな奴じゃなかったのに」

 ヒソヒソ声が聞こえてきた。東光が見ると、皆は逃げるように視線をそらせる。
「………」
「顔が怖すぎるのじゃ、お前は。儂みたいにガラリとイメージを変えたらどうじゃ? フランケンシュタインなど似合いそうだがな。何ならコスチュームを用意しても良いぞ。メイクも儂に任せろ」
「……遠慮しておく。人に避けられているのは慣れている」
「変わり者じゃな、お主も」
「お前には負ける」
 クツクツと喉の奥で笑いながら、アサギはゆっくりと志保の書いた絵を眺めていた。
「そういえば、真理の阿呆はこの絵が引っ掛かると言っておったな」
「ああ、最初に見た時から、違和感があるとかどうとか。俺にはさっぱり分からないがな」
「違和感か」
 アサギは顎に手をやる。
「違和感の意味が分かるか?」
「………。『人魚姫の恋』、『儚い夢』、『我が春』、『静寂』、『Now!』、『魂の居場所』、『輪廻』、『短冊に願いを』、『UMI』、『FREE MAN』、これと美術館に飾られている二作品か」
 アサギは「う〜む」と唸る。
「油彩に水彩、アクリル、手法も描き方も、構図も同じものは一つとしてないな」
「ウム。共通項を上げるとすれば、どの絵にも花がある事くらいか?」
「だが、取り分け違和感があるように思えない。真理は、これの何処に違和感を覚えたというのだ?」
 それは東光にも分からない。真理は絵を気にしていたが、東光はもっと別の事を考えた方が良いのではないか、そんな気がしていた。先ほどの話ではないが、今までの流れを見返してみても、容疑者は疎か怪しい人物さえいないのだ。ただ、被害者だけが増えていく、そんな事件だった。ムマの事件は、解決するには余りにも情報が少ないように思える。
「分からない事だらけだ。だが、矢上、奴がまともな精神状態ではないのは、一目瞭然だ」

「だから言ってるでしょう!」
「あの女は! 美術部も」
「この学校にも相応しくないんだ!」

「耳障りだな。儂らも暇ではない。東光、奴を一発殴って黙らせろ」
「……教師の目の前でか?」
「今更だろう、お前達の場合は」
「ムッ……」
 東光は巨体を揺すって美保と矢上に近づいていった。アサギはフラリと窓際に近づいた。窓から時計塔を見上げる。あの頂上に、真理と杏子、橘がいるはずだが、このアングルでは伺うことが出来ない。
 目の前に、水滴が落ちてきた。鉛色の空から、ついに雨が降ってきたのだ。
「おい、何をするんだ!」
 一際大きな叫び声が聞こえてきた。振り返ると、東光が矢上の肩を掴んでいた。
「黙れと言っている」
 ドスの聞いた声一つで、美術室がシンッと静まりかえった。他の美術部員も、息を飲んで東光の言動を見守っていた。下手に動いたら殺される、本人はそんなつもりはサラサラないのだろうが、端から見ると、剣呑な気配が東光から漂っているようだった。
「本気でやるとは、馬鹿な男じゃな」
 慌てて美保が東光を止めに入る。美穂の登場に東光は狼狽していたが、その仕草が逆に周囲を怖がらせることを東光は知らない。こちらに助けを求めるように寄越される視線を無視し、アサギは毒々しいルージュを引いた口に笑みを浮かべながら、再び外を見た。
 窓ガラスには美術室の光景が映り込んでいる。その向こう、ガラスの向こう側には図書室が見えた。
(あれは、三木歌音か?)
 図書室の窓際に座った三木は、こちらを見つめていた。アサギと目を合わせた三木は、口元を歪ませた。一瞬、アサギの背筋に冷たいものが走った。

 ブブブブブッッッッ……

 何処かで虫の羽音が聞こえた。それは徐々に大きくなり、ついには美術室全体に聞こえた。
「え? なに、この音?」
「なんだ?」
 皆一様に美術室を見渡す。アサギも美術室を見渡した。特に変化は見られない。西側に吊されたカンバスも、微動だにしていない。東光も矢上も、美保も不安そうに佇んでいる。

 カタカタカタカタ……

 窓枠が揺れ出した。最初、風で揺れているのかと思ったが、違った。徐々に、窓が大きく揺れ出した。
「なんじゃ、これは……」
 アサギは目を丸くした。窓の外、図書室にいたはずの三木の姿は消えていた。
 更に窓は大きく揺れた。
 虫の羽音が大きくなった。
 ピリピリと、皮膚が引っ張られる様だ。
「アサギ!」
 東光がアサギの名を叫んだ。
 アサギが東光を振り返ったのと、窓ガラスが割れるのが同時だった。
 大小様々なガラスの破片が、アサギに降り掛かってきた。
 悲鳴さえ上げる事無く、アサギは目閉じて身を固めた。それが、アサギに出来る唯一の防御行動だった。

「アサギ!」
 気がつくと、東光はアサギに覆い被さっていた。降り注ぐガラスの破片が、露出している手と顔を切り裂く。

 キャーーー!

 女子生徒が叫び声を上げながら美術室から逃げ出した。
 不愉快な音は収まっていた。窓枠も、今は何事もなかったかのように静かに佇んでいる。
 割れた窓から吹き込む雨が東光の頬を叩く。
「アサギ、怪我はないか?」
 ゆっくりと立ち上がった東光は、制服に付いたガラス片を落とす。
「ええ、私は無事だけど……」
 吸血鬼の仮面を落としたアサギは、東光の顔を見てクシャクシャに顔を歪めた。
「東光、お前が……」
「……問題ない。いつものことだ」
 実際、大した傷ではないはずだ。一メートルもない高さから落下したガラス片は、東光の分厚い皮膚を切り裂いただけで済んだ。何よりも、女性であるアサギの顔に傷が付かなかったのが幸いだった。
「それよりも、問題はあちらだな」
 我先にと逃げていく美術部員を見送った東光は、いつの間にかライトアップされていたカンバスに目をやった。真っ白だったカンバスには、赤い文字が浮かんでいた。先ほど書かれたかのように、赤い筋が禍々しく滴り落ちていた。

「天よりの使者、降臨し望みを叶えん」

 カンバスに書かれた言葉を呟き、矢上はその場に崩れ落ちた。
「何よこれ、誰のイタズラ? 誰がやったの!」
 美保がヒステリックに叫んだ。近くにあったペインティングナイフを手に取ると、カンバスに突き立てた。ビリビリと音を上げ、カンバスが引き裂かれていく。
「志保は死んだのよ! 死んだの!」
 美保は泣き叫んでいた。引き裂いたカンバスを力任せに引きずり下ろす。
「もう止めて! お願いよ、もう止めて!」
 静かな美術室に美保の叫び声が木霊した。
 ポツポツと、東光の頬に雨が降りかかった。見上げた空は薄暗く、まだ日暮れには早いというのに、夜の帳が降りたかのように暗かった。
(つづく)
(初出:2013年04月03日)
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登録日:2013年04月03日 15時35分

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