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天生諷
著者:天生諷(あもうふう)
極々平凡な会社員。毎日楽しい出来事はないかと、心の中で模索しながら生活をしている。旅行と昼寝をこよなく愛し、読書とゲームが生きる原動力となっている。群馬県在住。
小説/推理

世は並べて事も無し アノ子の理由(13)

[連載 | 完結済 | 全20話] 目次へ
爆発があった美術室にいた東光とアサギ。アサギを守り血にまみれた東光を気遣わない真理に杏子は切れる。しかし、探偵倶楽部は事件解決が求められている。顰蹙を買う真理だったが、爆発時の様子を聞き出し推理を進める。
 杏子が美術室の前に到着した時、すでに美術室の前は人でごった返していた。
「こら! 危険だから下がれ! 下がれと言ってるだろうが!」
 禿頭を真っ赤にした松下が、大声を出して野次馬達を美術室の前から遠ざけていた。
 アサギは、東光はどうなっただろうか。杏子は人混みを掻き分け、最前列に辿り着いた。美術室のドアは閉まっており、中の様子は伺えない。杏子は仁王像のように美術室の前に立つ松下に声を掛けた。
「松下教諭! アサギと東光はどうした! 二人は無事か? どうなんだ!」
 杏子は松下に叫んだが、答えは意外な所から返ってきた。
「アン子、儂らなら無事じゃ」
 杏子のすぐ真横、壁により掛かるようにして、東光とアサギは立っていた。
「二人とも、大事ないか?」
 駆け寄る杏子は、二人の様子を見て息を飲んだ。見たところ、アサギは無傷だったが、東光は至る所に血が見て取れた。制服のジャケットは破れており、今は開襟シャツの姿になっている。
「儂は問題ないが」
 チラリと、アサギは東光を見る。東光は口を真一文字に結び、何かを考えるように閉じられた美術室の扉を見つめていた。
「大丈夫だ、問題ない」
 そう言った東光は、ぎこちなく口元に笑みを浮かべた。彼なりの優しさなのかも知れないが、端から見ると、その場から逃げ出してしまいたくなるほど顔が怖い。
「それよりも、真理は?」
 東光は周りを見渡す。血にまみれた東光の視線を受け、野次馬が蜘蛛の子を散らすように遠ざかっていく。そんな中、遠ざかる人混みを掻き分けて出てきたのが、真理と橘だった。
「東光……」
 真理は東光を見て、アサギを見る。一つ頷いた真理は、杏子と東光の間を抜けて、美術室へと向かう。
「先生、美術室に入れませんか?」
 労いも、体を気遣う言葉も東光に掛けず、真理は松下に歩み寄る。そんな真理の襟首を、杏子は掴んでいた。力任せに引っ張ると、真理はコテンと廊下に転がった。尻餅をついた真理は、舌打ちをして杏子を見上げる。
「なんだよ、杏子」
「なんだよではない! 貴様! 東光が怪我をしているというのに、大丈夫かの一言もないのか!」
「ダメならダメって言うだろう! そんな事よりも、美術室に行かないと。ガラスの割れた原因を……」
「馬鹿者! 珠洲真理、貴様はそれでも正義の使者か!」
 廊下に杏子の怒声が響く。
 何故、この男はこうなのだろうか。深謀遠慮のようでありながら、時としてこうして人の心を無視した行動に出る。非常識でも、態度が悪くても杏子は許せる。だが、真理のように気遣いの出来ない人間を、杏子は許せなかった。仲間のことを気に掛けない、そんな真理の心を、杏子は理解できなかった。
「だけど、俺達は事件を解決しに来たんだぜ? 早く調べないと、証拠が……」
 苛立たしそうに、真理は美術室を振り返る。丁度、用務員の高嶺が出てきた。両手に割れたガラスを入れた段ボール箱を持っている。
 真理はそれを見ると、高嶺に手を伸ばした。
「真理!」
 目の前が真っ赤になった。振り上げた手が、伸ばされた真理の手を叩き落としていた。
「貴様は……! 貴様は……!」
 彼には東光の気持ちが分からないのだろうか。大した傷ではないにしろ、彼は怪我をしているのだ。友人である真理が何一つ言葉を掛けず、事件解決にだけ意識を向けてるのを、どのように思っているか。
 いくら朴念仁である東光といえど、それでは余りにも可哀想だ。
「ちょっと、アン子! みんなの見てる前で何やってるのよ!」
 明るい声が背後から聞こえた。聞き覚えのある声に、杏子は我に返った。いつしか、美術部の騒ぎよりも、杏子の騒ぎに野次馬達が注目していた。
「朝輝……」
 再び気分が悪くなった。朝輝はそんな杏子の心情など察することなく、不機嫌そうに座っている真理の腕を取って立たせると、杏子の袖を引っ張った。
「アンタ、ここで真理を糾弾するのも良いけど、その前に東光君をどうにかした方が良いでしょう。幾ら頑丈だけが取り柄だからって、ここで放置は余りじゃない?」
 言われて、ハッとした。東光は傷の手当てもしていないのだ。真理のことばかりに目がいって、東光の手当をすっかり忘れていた。これでは、真理のことをとやかく言えないではないか。
「東光、保健室に行くか?」
「生憎、保健室は美術部の人で一杯よ」
 朝輝がすぐに否定した。
「アン子、アンタの部室を貸しなさい、私が応急処置をするから。ほら、アサギも来て、手、切れてるわよ」
 東光とアサギの手を引っ張り、朝輝は先に行ってしまった。残された杏子と真理は、顔を見合わせる。暫く見つめ合っていた二人だったが、真理が先に視線をそらせた。
「……行こう。二人が気になる」
 優しい言葉で呟いた真理は、長い裾を揺らしながら探偵倶楽部へ向かった。
「先生、真壁先生は? 無事なんですか? 本当に、無事なんですね」
 後ろでは、松下に詰め寄っていた橘が、真壁美保の無事を聞かされ、その場に泣き崩れた所だった。
 暫く、杏子は床に座り込んだまま泣き続ける橘の後ろ姿を見つめていた。


 人間、誰しも得意不得意というものがあるのだろう。こと、家事に関して言えば杏子はからきしダメだった。御厨家には常時数名の執事とメイドがいる為、杏子が家事をする機会は皆無だった。だからというわけではないが、傷の手当てなどやって貰うだけでやった事は無かった。
 朝輝の手当は、素人目から見ても完璧だった。傷口を水洗いし、傷の深さが浅いことを確認した朝輝は、家庭科室から持ってきたラップを使って傷を覆い、手早く包帯を巻いていく。
「面白そうだな、俺が巻いてやろうか?」
 真理が包帯に手を伸ばすのを、朝輝は鋭い一瞥で制した。
「見るな触るな寄るな! 真理、アンタがやったらアサギの細い腕、折れちゃうかも知れないでしょう! 靴紐もまともに縛れない不器用なアンタが、包帯なんて巻けるわけないでしょう」
「何だよ、ケチだな」
「治るものも治らなくなるから、隅っこでジッとしなさい。ただでさえ、この倉庫は狭いんだから」
「探偵倶楽部(正義部)の部室だ」
 杏子の言葉は完全無視の朝輝。真理はすごすごと引き下がり、入口の近くのイスに腰を下ろした。
「応急処置だけど、このくらいの傷ならこれで良くなると思う」
「……ウム、すまぬな、下賤のもの」
「アンタね、素直に有り難うって言えないの?」
 朝輝の言葉に、アサギはプイッとそっぽを向く。
「ったく、子供なんだから。はい次、東光君」
 アサギが退いたイスに、東光が腰を下ろす。
 朝輝は一番深そうな腕の傷から確認していく。
「消毒はしなくて良いのか? バイ菌が入ったら大変じゃないのか?」
 横で朝輝の処置を見ていた杏子は気になったことを尋ねた。杏子としては、水洗いだけでは少し不安だ。水洗いし、殺菌してからラップを巻くなり絆創膏をするなりした方が効果的のように思える。
「フフフ、アン子、アンタも馬鹿ね〜。えっとね、確かこれには意味があるのよね」
 東光の傷を確認しながら、朝輝は「確か、何だっけ」と首を捻る。
「真理、説明宜しく」
 数秒で考えることを止めた朝輝は、説明を真理に振った。杏子は真理の方を向かず、説明に耳を傾ける。あんな事があった直後だ、真理の顔は見たくなかった。
「分かってると思うけど、皮膚は無菌じゃないく、常在菌がいるんだ。消毒をすると、その常在菌まで殺してしまう。常在菌はな、化膿菌を押さえる役目を担うから、消毒すると逆効果の時もあるんだよ。擦過傷とか切り傷は、水で傷口を良く洗い流すんだ。傷口にゴミなどがあると、免疫が反応して傷口修復の邪魔になるんだよ」
「ラップを巻くのは正解なのか?」
 振り向かず杏子は尋ねる。思わず質問してしまった。自分の好奇心が憎い。
「ラップは兎も角として、傷口を乾燥させないのが目的なんだよ。傷口からの滲出液には、繊維芽細胞や血管内皮細胞を活性化させる成分が含まれている。一昔は乾燥させるのが主流だったけど、それは逆効果なんだ。絆創膏でも、ガーゼがついているのは状況を見て使った方が良い。今では、市販でも傷口を乾燥させないタイプの絆創膏が売っているからな」
 真理は手を伸ばしてラップを手に取る。
「傷口が広い場合にはラップを使うと良いんだ。これなら、傷口が乾かないからな。でも良かった。アサギが無事だったみたいで。顔に傷が出来たら大事だったしな」
「……東光が守ってくれたからじゃ」
 流石にアサギも目を細めて真理を見た。低い声には、明らかに真理に対する非難が込められていたが、真理は気にする様子もない。
 杏子は真理に向き直った。
「真理、お前は東光が心配ではないのか? アサギの心配はもちろんだが、東光の心配もだな……」
「俺の事はいいんだ、杏子。それよりも真理、美術室で起きたことを説明する。出来るか、アサギ」
 アサギは憮然とした表情で頷く。タブレットを取り出し、アサギは語りながら内容を記録し始めた。
 治療を終えた朝輝も、目を輝かせてアサギの話に聞き入っていた。


「すると、時間的にガラスが割れてから、カンバスに文字が書かれたって事か」
「ああ。だが、ガラスが割れたのは一瞬だった。あの場には美術部員が十名程いた。その全員がいつカンバスに文字が書かれたのか分かっていない。もちろん、俺もアサギも分からない」
「東光、もう一度確認するけど、ガラスが割れるまで、カンバスの上に設置されていたスポット照明は消えていたんだな?」
「ああ、それは間違いない。最初から点灯していたのは室内灯だけだった」
「……やっぱり、現場を見ておきたかったな」
 鉄扇で腿を叩いた真理に、東光は済まなそうに顔を伏せる。
「すまない、真理。俺がもっとしっかりしていれば」
「ああ、いや、そう言う意味じゃ……」
「そうだ、東光。お前のせいじゃない。お前は十分良くやった。これだけの情報で謎を解けない真理が悪い」
「全くじゃ。何もしないで講釈をたれるだけの真理より、東光の方が遙かにマシじゃ」
「まだ何も言ってないだろうが!」
「言わなくとも分かる!」
「お前の話なぞ、聞く価値なかろう」
 女性陣二人が真理に一斉攻撃を行う。真理は溜息をつきながら、幼馴染みに助けを求めるが、「ま、たまには良いんじゃない」と、朝輝は真理が困っているのを見てニコニコと笑う。
 パチンと扇子を開いた真理は話を変える。
「それよりも東光にアサギ、爆発が起きる直前、ムマを見なかったか? 俺は爆発が起きた時、時計塔にいたんだけど、そこから三階の音楽室でムマを見た」
「真理、それは確かか?」
 杏子が驚いたように振り返る。真理は頷きアサギに「S−NETを」と指示を出した。アサギは素直にS−NETに接続し、噂話を確認する。
「……確かに、真理の言う通りじゃ。だが、同時刻に目撃談は複数ある。一つは、真理の言った音楽室、次に体育館の体育倉庫、プールの女子更衣室、学園の外れにある教会じゃな」
「四件も? それも、ほぼ同時刻に?」
 真理は声を上げた。
「S−NETの話を信じれば、じゃがな。やはり、真理が指摘した通り、ムマはS−NETに繋がっているとみるべきだろう」
「此処に来て、ムマの目撃情報が多数か。女性は襲われていないのか?」
「そうよ、アン子の言う通りよ。被害の女性はいないの?」
「ああ。そのような情報はないな。どの情報も、慌てて走り去るムマだけじゃ」
「……近くに女性の姿は無かったか? 襲われていたとか、そう言うんじゃなくて」
 顎に手をやった真理は、タブレットを覗くアサギを見つめていた。
「そこまでは書いてないな。気になることでもあるのか?」
「……うん。まあ、ね」
 それっきり、真理は黙ってしまった。
「考えることが山積みだな。まずは、どれから手を着けるべきか。実際、真理の言う通り、美術室を調べないことには何も分からないな」
 時計の針が三時を示した。杏子は立ち上がると、いつもの様にお茶の準備を始めた。狭い部室に、紅茶の香りが立ち籠めた。
 スンスンと鼻を鳴らした真理が、顔を上げて「ジャスミンか」と呟いた。
「へぇ〜、アン子って、紅茶をいれるんだ。ちょっと意外」
「何でだ?」
 不機嫌そうに杏子が朝輝に聞き返す。
「だって、超が付くほどのお嬢様じゃない。自分でいれず、メイドさん達がやりそうだと思って」
「普段はそうだ。これは趣味でな。こうすると、落ち着いて考えを纏められる。家では茶室で茶を点てる事もある」
 サラリと流した杏子に、朝輝は「ブルジョアが……」と喉の奥で呻いた。
 銀のトレーに乗せたカップを、アサギ、東光、真理の順に置いていく。杏子はイスに腰を下ろし、淡い緑色のジャスミンティーの香りを楽しんだ。
 皆がカップを手にする中、朝輝だけが手ぶらで杏子を睨み付けていた。
「……アン子、私のがないんだけど?」
「何故私がお前に茶をいれなければいけない? これは探偵倶楽部(正義部)の備品だ。よそ者にやるわけなかろう。用が済んだのなら、サッサと帰ったらどうだ。部室の酸素が無駄だ」
「アンタね! 今日は私だって大活躍したでしょうが!」
「ギャーギャー騒ぐな、必殺フェニックスチャージで事象の彼方まで吹き飛ばすぞ」
「え? 何よそれ」
「愚民はテレビも見ていないのか?」
 アサギがクツクツと笑う。
「低脳な上に貧乳、さらに世間知らずとはな。これでは救いようがない。フェニックスチャージは五聖レッドの必殺技だぞ。一見すると炎属性のようだが、これは実は無属性攻撃でな……」
「ああ、もう良いわよ。アンタ達の相手をしていると、頭が痛くなってくるわ。ったく、このメンツじゃ、根暗で昼行灯の東光君がまともに見えるじゃない! ……あっ、東光君、これ褒めてるんだからね」
「明らかに褒め言葉を間違えているぞ」
 ポツリと東光が呟くが、朝輝は「アハハ、そう?」と笑って受け流した。
「ま、確かに用事も済んだし、私帰るわ。東光君、アサギ、もし血が止まらなかったり化膿したら、ちゃんと医者行くのよ」
「ウム」
「分かっておる」
「じゃね」と真理に手を振り、朝輝は部室から出て行った。
 暫く、無言の時間が続いた。物音と言えば、鉄扇の開閉音とティーカップがティーソーサーを叩く音だけ。
 東光は無表情でお茶を啜り、アサギはタブレットを弄っている。杏子はボンヤリと強い雨が降り注ぐ校庭を眺め、真理は一人壁を見つめ何事かを思案している。
「真理はあの血文字を全く検証しないが、いいのか?」
 何の前触れも無く東光が尋ねた。
「天よりの使者、降臨し望みを叶えんってヤツか?」
「そう言えばそうだな。ミステリならば、犯行予告とも取れる血文字は重大な意味を持つ。それに、血文字は繰り返し犯行現場に現れておる」
「考えたよ、真っ先にね。だけど、あの言葉に意味があるとは思えない。あの言葉は確かに犯行現場に残っているけど、あの言葉の何処に犯行を示唆する言葉がある?」
「降臨し望みを叶えると行っている。それは、復讐と言う事ではないのか?」
 アサギは顔を上げる。真理はアサギに頷きながらも、その言葉に反論をする。
「確かに、そう思うのも無理はない。だけど、真壁志保は本当に恨みを持って死んだのか? 俺には、それが良く分からない。志保の死と、時計塔に書かれた血文字が、一致しないんだ」
「だが、あの血文字は最初に志保が書いた物だろう」
「そうなんだけどな……。あの血文字、アナグラムでも何でも無い。かといって、犯行に使われるトリックを明示しているわけでもない。あの血文字は、志保の呪いがやった、そう思わせる為だけに存在しているかのようだ」
「志保の霊がやったと思わせることが目的だというのか?」
「……そう思うしかない」
 真理は沈黙した。その沈黙を切欠に、再び探偵倶楽部に沈黙が訪れた。
「よし、東光にアサギ、お前達は帰れ」
 立ち上がった杏子は二人に向けて言い放つ。東光もアサギも、目を丸くして杏子を見た。
「まだ四時にもなっていないぞ?」
 東光が真理を見た。真理は杏子の案に頷いた。
「今日は色々あった。東光、アサギを送っていけ。俺は、もう少し此処に残って考え事をするよ」
「儂は一人で大丈夫じゃ」
「ダメだ。アサギ、お前も女の子なんだ。正直、今日の事は堪えただろう。ゆっくり休め」
「儂は……女の姿をしているが、これは仮初めの姿で……!」
 アサギの言葉を遮るように東光が立ち上がった。
「帰るぞ。支度をしろ」
 有無を言わさぬ東光の言葉に、アサギは渋々立ち上がった。
「いいか、真理。お前に言われて帰るのではないからな。東光には借りがある。その東光に言われたから、仕方なく帰るのじゃ」
「ああ」
 東光とアサギが部室から消え、杏子と真理が残された。二人きりになっても、真理は相変わらず扇子を弄びながら一人思考の迷路に迷い込んでいた。
「真理、私は美術室を見てくる」
「……一緒に行こうか?」
 チラリと杏子を見る真理。杏子は「必要ない」と突き放した。
「気をつけろよ」
「分かっている」
 杏子も出て行った。
 背もたれに凭れ掛かると、ギシッとイスが悲鳴を上げた。
 天井近くまで鉄扇を放り、それをキャッチする。
「……もう少しなんだよな。もう少しで、刺せるんだけどな」
 真理の呟きは、誰もない部室の空気に霧散した。薄暗い部室。降り注ぐ雨音。
 血文字、S−NET、見えない犯人、ムマ、強姦事件。
 全てがバラバラのようで、何処かしら繋がりのある事件。真理はボンヤリと全体像を眺めていた。必要な情報は着実に揃いつつある。だが、決め手になるものがまだ手元になかった。一つだけ確かなこと。それは、全ての事件の根底にあるのは、先月末に起きた真壁志保の自殺と言う事だ。
「……やっぱり、ヒントは美術室か」
 真理は立ち上がると、十分ほど杏子に遅れて美術室へ向かった。


 真理と杏子に言われ、東光とアサギは雨の中帰路についていた。
 女性と一緒に歩くことなど皆無だった東光。案の定、何一つ話す事無く、ただ黙々とアサギの後ろを着いていくだけだった。東光は真理のように弁が立つわけでも、機転を働かせることも出来ない。
 少し癖はあるが、聡明なで可憐な少女、時雨アサギ。後ろに自分のような者が付いていては逆に迷惑だろう。そう思い始めた時、アサギは歩く速度を緩め東光の横に並んだ。赤い傘が邪魔で、彼女がどんな表情をしているか、東光には分からなかった。
「しかし、お前も物好きじゃな」
「……何がだ?」
 アサギの言葉に、東光は何を言っているのか分からなかった。
「真理じゃ。何が楽しくてあんな奴と一所に居る」
 どうやら、先ほどのことをアサギは気にしているようだ。そういえば、杏子もしきりに真理が冷たいだの、友達思いじゃないと罵っていた。
「ああ、その事か」
 真理が取った行動。やはり、それはアサギ達にしてみれば、非常識で冷酷に映ったのかも知れない。だが、東光は知っている。真理は誰よりも優しく、気配りの出来る男だと言う事を。非常識な言動がどうしても目立ってしまう為、彼の心まで皆気が回らないのだ。
「腹は立たないのか? お主、噂通りケンカだけは強いのだろう? その豪腕であの口だけ男を黙らせることくらい造作もないだろう」
 傘をずらし、アサギは頭二つ大きい東光を見上げた。東光は「ムウ……」と呻き、苦笑いを浮かべた。ビクリと、アサギは東光の笑顔を見て上半身を仰け反らした。
「まだお主の笑顔になれぬ。しかし、お主も残念な顔じゃな」
 溜息雑じりに言われたが、アサギは口元に笑みを浮かべていた。
「真理か……」
 東光は真理を思うかべる。細い体に女性のような顔立ち。常に鉄扇を手にし、歯に衣着せに発言と、突拍子もない行動を繰り返す。彼が壊した学校の備品は数知れず、罰則も御陵高校の記録を更新し続けている。彼を知らない普通の生徒は、彼は東光の腰巾着だと思っているが、本当のところは逆だ。東光が真理に惚れ込み、その後を付いて回っているに過ぎない。
「アサギ、普通の人間が、人並み以上の知恵を持つゴリラとケンカして勝てると思うか?」
 人並み以上の知恵を持つゴリラ。真理を例えるなら、それ以外の例えが思い浮かばなかった。
「まあ、無理じゃろうなゴリラの握力は四〇〇キロだろう。人間の成人男性の平均が五〇キロ程度だからな。パンチ力は握力に大きく依存するから、殴り合ったらまず勝てないだろうな」
「ウム。それが質問の答えだ」
「真理の短小ヘタレがゴリラなのか?」
 訝しそうな視線を東光に向けるアサギに、東光は頷くことしか出来なかった。東光の知る限り、口で彼を説明するのは本当に難しい。いや、それは真理だけじゃないだろう。アサギも、杏子も、朝輝だって一言で説明するのは難しい。一緒に時を過ごし、笑い、怒り、泣き、同じ感情を共有して初めて相手のことが分かる。千の言葉を並べたとしても、人一人を説明することは困難だろう。
「俺は、真理の今日の行動は間違っていないと思う」
「何故じゃ? アイツは、儂らの体よりも事件を優先したのだぞ? 友として腹が立たないのか? ……儂は他人だから、腹は立たなかったがな」
 そう言うことを口にする時点で、アサギは余程腹立たしかったのだろう。アサギも杏子も、東光を心配してくれた。その事が、東光は嬉しかった。
「真理は、ちゃんと俺達の容態をチェックした。そして大丈夫と判断したから、美術室に入ろうとしたんだ」
「だが、それは人でなしのすることだろう? 『大丈夫か?』の一言もなかったんだぞ」
 アサギは足を止め、語気を強めた。東光は真っ直ぐ、目を逸らさずその眼差しを受け止めた。
「もし、あそこで真理が足を止めたら、俺達の怪我が無駄になってしまうだろう」
「あっ」
 アサギは小さく言葉を発し、目を丸くした。
「真理は真っ直ぐなんだ。俺達は、罰則免除の代わりに、杏子の手伝いをしている。半ば強引に巻き込まれたが、真理は真剣に事件を解決しようとしている。そして、俺も真理と同じだ。アイツは、誰よりも優しい。ただ、その優しさの表現の仕方が少し違うだけだ。あそこで言葉を掛けることは誰でも出来る。だが、それで事件は解決できない」
「あの場での最善の行動は、儂たちを傷つけた爆発とカンバスに浮かび上がった血文字のトリックを解き明かすこと、か……」
「そうでなければ、俺達はただ怪我をしただけになる。俺とアサギの証言があるが、それが完璧に現場の状況を表現できているとは思えない」
「……奴は、儂よりも、杏子よりも、事件解決に真っ直ぐだったわけか」
「杏子も真剣に解決しようとしてるが、真理と若干ベクトルが違っている。今回の諍いは、その差だと俺は思う」
「……そうか。思慮が浅かったのは、儂たちの方か」
 クルリと傘を回したアサギは、歩き出した。東光は再びアサギの後に続く。
「そういえば東光、そろそろ儂の家だ。まだ日が暮れるには時がある。どうだ、良かったら茶でも飲んでいくか? 儂からのささやかな礼じゃ」
「ムッ?」
 どきん。心臓が高鳴った。
 チラリと、イタズラな笑みを浮かべてこちらを振り返るアサギ。
「それとも、茶だけじゃ足りないか?」
 ちろりと口から覗いた赤い舌が、ルージュの引かれた唇を舐めた。
 東光の脳裏に、初めてアサギを見た保健室での出来事がフラッシュバックした。
 一糸まとわぬ姿でベッドに横たわるアサギ。白い肌、くびれた腰、小さなヒップ。その全てが官能的で、嵐のような激情が東光の体を駆け巡った。
「ぶっ……」
 鼻から生暖かい液体が流れてきた。東光は慌てて鼻を押さえる。
「……お主、弄ると面白いな」
 クスクスとアサギは笑った。
「むぅ……」
 結局、東光はアサギの申し出を断り、アサギを自宅まで送り届けると自らも帰路についた。
 その日の夜、真理から電話で、東光は珍しく大声を上げて驚くことになった。
(つづく)
(初出:2013年05月15日)
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登録日:2013年05月15日 16時10分

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  • 世は並べて事も無し アノ子の理由(18) 天生諷 (2014年02月13日 19時28分)
    体育館に集まったギャラリーを前に、ついに真理の推理が披露される。志保の飛び降り自殺、ムマの強姦事件、見えない犯人による殴打事件、美術室での爆発――。何がどう繋がっていただろうか?(小説推理