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天生諷
著者:天生諷(あもうふう)
極々平凡な会社員。毎日楽しい出来事はないかと、心の中で模索しながら生活をしている。旅行と昼寝をこよなく愛し、読書とゲームが生きる原動力となっている。群馬県在住。
小説/推理

世は並べて事も無し アノ子の理由(16)

[連載 | 完結済 | 全20話] 目次へ
事件から手を引いた真理と東光。強姦されかかれ限界のはずだったが、それでも諦めない杏子。そんな折、アサギの珍妙なコスプレの理由が明かされ絆を取り戻す彼女たちだった。
 四月二一日 月曜日

 真理は大きな伸びをして、脱力する。週末の気怠さを残したまま、月曜日はダラダラと過ぎ去り、放課後になった。
「こんな物しかなくて」
 高嶺は大きな湯飲みに熱いお茶を入れてくれた。真理は頭を下げると、両手で抱えるようにして湯飲みを手にした。隣に座る東光は、無言のまま頭を下げるが、出されたお茶に手は伸ばさなかった。
「話に聞いたが、本当にやめるのかい?」
 高嶺は背中を丸めてお茶を啜った。
「ええ」
 真理は窓の外を見る。相変わらずこの場所は静かだ。学校で凄惨な事件が起きているなど、ここにいる限り想像も出来ない。
「アサギも東光も怪我をしてしまったし、杏子もあんな事になっちゃって。流石にこれ以上続けることはね」
「あんな事って? 御厨さんだっけ? 彼女、何かあったのかい?」
 高嶺はテーブルの上に置かれたせんべいを口にする。せんべいの横には、相変わらずタバコの吸い殻が灰皿に山盛に盛られており、その幾つかは崩れてテーブルに無残に転がっていた。
 口紅の付いた細い吸い殻に、フッと息を吹きかけると、タバコの灰がフワリと宙を舞う。
「ムマに強姦され掛けたんですよ。俺達、ムマのことも調べていましたからね。だけど、俺達に危険が及ぶんじゃ、捜査は続けられない。杏子の正義部存続の為に、危険な目に遭うなんて、馬鹿馬鹿しいしな」
 隣にいる東光に同意を求めるが、東光は渋い顔でお茶をズズッと啜った。
「そうか、まあ、危険な事は止めた方が良い」
「全くです。此処らでいい加減止めておかないと、本当に取り返しの付かない事になるからね」
 真理は口元に笑みを浮かべ、流し目を高嶺に送る。真理の視線を受けた高嶺は、「うん、そうだね」と笑い返す。
「所で、俺達は何処を掃除すれば良い」
 話に区切りが付いた所で、東光が言葉を発した。真理と東光は、杏子の依頼を断った為、再び罰則である校内の清掃をすることになった。清掃箇所を聞く為、真理と東光は連れだって用務員室を訪れていたのだ。
「そういえば、そうだったね」
 すっかり最初の用件を忘れていた真理は、「ハハハ」と暢気に笑う。
「そうだな。今日はそこらの清掃で、明日はアプローチの噴水の清掃をしてもらおうか」
「はい、了解〜」
「了解した」
 真理と東光は立ち上がる。丁度用務員室をでる時、真壁美保とばったり出会った。ノックをする為、小さな拳を上げている彼女は、真理を見て「あっ」と目を丸くした。
「どうも、先生」
「珠洲君、今日も調査?」
 美保は真理の肩越しに用務員室の様子を伺う。
「調査じゃなくて、罰則の掃除場所を聞きに来たんですよ。先生は、タバコを吸いに来たんですか? 用務員室は、喫煙所じゃないですよ」
「言ってくれるわね、珠洲君。校内じゃ生徒の目があるからね、喫煙所に頻繁に出入りしていると、評判が悪くなるのよ」
 そう言って美保は胸ポケットからタバコを取り出した。まだ用務員室に入っていないのに、美保はタバコを咥えた。
「さ、学生は学生の本分を果たしなさい」
 美保に追いやられ、真理と東光は今日の清掃場所へ向かった。


 今まで狭いと思っていた探偵倶楽部の部室だったが、真理と東光がいなくなっただけで、急にガランとしてしまった。
 現在、部室には杏子とアサギが何をするともなしにイスに座り、ボンヤリと時間を潰していた。
 やらなければいけないことは沢山ある。調べなければいけない事もあるはずだ。なのに、体も頭も動かない。それはアサギも同じで、部室に来てまだ一度も口を開かず、抱えるようにして持ったタブレットを眺めているだけだった。
「……ハァ」
 口から出るものといえば、気の利いたセリフではなく、溜息ばかり。昨日から、一体何度溜息をついただろう。
「二枚舌と蚤の心臓はどうした?」
 時計の針が四時を指そうという所で、ようやくアサギが口を開いた。二枚舌が真理で、蚤の心臓が東光を指すのだろう。
「彼らは来ない。この事件からは手を引くそうだ」
「……そうか」
 そう言ったきり、アサギは再びタブレットに視線を落とした。メイクの下の表情は、窺い知れない。アサギは残念そうにも見えるし、心なしか怒っているようにも思える。
 暫くアサギを観察していた杏子は、いま思ったアサギの感情こそ、自分自身が抱えていいる感情だと言う事に気がついた。アサギは、たぶんいつもと同じ表情だ。アサギは東光並の鉄面皮だ。杏子程度の洞察力では、心の中という深遠を計り知る事など出来ないだろう。
「なんじゃ、儂の顔に何かついているのか?」
「メイクがキツイ」
「黙れ」
 再び沈黙が訪れた。カチコチと普段ならば気にならない時計の針の音が、今日はやけに耳に付く。部室というのは、こんなにも広く、こんなにも静かなものだったのか。少し前まで、いつも杏子はこの場に一人でいた。廃部が決まり、立ち退きを要求され、真理と東光、アサギに助力を求めた。三人が来て、パッと部室が華やいだ。
 話の切欠を作るのは、決まって真理だった。饒舌な彼は、本当にどうでもいい事を、一〇分後には頭のメモリから削除されてしまいそうなくだらない内容を、面白おかしく語ってくれる。真理の話にツッコミを入れるのが、アサギの役目だ。彼女は辛辣な意見を述べたり、真理個人を言葉で攻撃するが、真理は笑って受け流す。時折、東光がアサギの援護射撃を行う。普段無口な東光が発する言葉は、羽毛のように軽い真理の言葉とは違い、不思議と重みがあった。
 中学高校と、思い返せば仲間でワイワイやるのは初めてだったかも知れない。いつも一人で孤立していた杏子。この中では、杏子は輪の中心にいたと言っても過言ではないだろう。
 真理がいなくなった途端、部室は静かになった。元通りの静けさが戻っただけだが、何故かその事がとても寂しく感じられた。
「……アサギ、お前も良いぞ」
「……良いって、何がじゃ?」
 タブレットの電源を落としたアサギは、背筋を正して杏子を見やる。
「事件は私一人で何とかする。出来ないかも知れないけど、何とかする。ありがとう。アサギは普段通りの生活に戻ってくれて良い」
 こうするしかなかった。真理と東光が抜けてしまった今、事件解決は絶望的だろう。確かに、アサギは天才の部類に入るだろうが、アサギが持つのは真理の持つものとは違う。アサギは、知識、情報収集能力はズバ抜けているかも知れないが、それを纏め、事件解決までに導く閃きを、残念ながら持ち合わせてはいない。杏子に至っては何一つ持っていない。唯一持っていた物は、正義を貫き通す心意気だけだったが、今となってはその心意気さえも怪しい。
「杏子」
 アサギは笑った。毒々しいルージュを引いた唇が、可愛らしい笑みを浮かべた。
「私は、最後まで杏子に付き合う。どんな結果になろうとも、私は杏子と一所に居る」
「アサギ……。どうして?」
「……見ていられないから」
「え?」
 探偵倶楽部に漂う淀んだ空気。アサギが言葉を発する度、空気が透き通っていくのが分かる。
「杏子、どうしてお前はそこまでして正義を貫く。強姦され掛けたんだぞ? お前はもう限界のはずだろう?」
 唇を噛み、杏子は下を向く。手を腫れ上がった右頬に当てる。熱は引いたが、また赤く腫れ上がっている。今朝学校に来た際、皆が一様に杏子の顔を珍しそうに見ていた。何があったか、誰一人として杏子に尋ねてくる者はいなかった。話したくない杏子は、気が楽だったが、誰も気に掛けてくれないと思うと、少し寂しかった。
 杏子はアサギの質問を吟味する。昨日、真理にも同じ事を言われた。その時、杏子は自分の答えを見いだせなかった。何も言えない杏子に、真理は杏子の行う正義は独りよがりで、周囲を不幸にするとまで言われた。
「……でも」
 口籠もった。その先の言葉が見つからない。言葉は見つからないが、杏子の心は焦っていた。
 不安定な眼差しが、穴の開くようにこちらを見つめるアサギの上を通過し、部室の天井、入口、紅茶セットの置かれたサイドテーブルを彷徨った。最後に行き着いたのは、校庭だった。そこでは、大勢の生徒が威勢の良いかけ声と共に部活動に励んでいる。友達と笑い、肩を並べて帰路につく生徒の姿も見える。
 そこには、杏子が手放してしまった日常があった。みんなとは違う、普通とは違う杏子。自ら正義のヒーローを自称し、回りの迷惑など考えずに様々な事件に首を突っ込み、場を混乱させてきた。だが、杏子は自分の生き方を後悔していない。確かに、知恵も力も持ち得ない杏子の正義は、皆を不幸にするかも知れない。だけど、杏子と同じような体験を他の女性にさせるわけにはいかない。
 自分が傷つこうとも、アサギや東光、真理が傷つこうとも、許せない犯罪がある。
「それが私だから。自分と同じような辛い思いを、他の人にもさせたくない」
「杏子じゃ力不足よ。口だけじゃ、お金だけじゃ解決できないことが山のようにある。それでもやるっていうの?」
「……私はヒーローになれない。もちろん、ヒロインにもな。だけど、やれるだけのことはやりたい。私はそれしか出来ないから。頑張ることしか、出来ないから」
 杏子は笑う。力のない笑いではない。自分を見つめ、自分の道を見つけた。細く険しい、ゴールに通じているのかさえ分からない道だが、今まで通ってきた自分の道を否定だけはしたくなかった。自分の心に嘘はつきたくなかった。
「ったく、仕方がない。私がいてどれだけ役に立つか分からないけど、私も杏子に付き合うわよ」
「え? アサギ、本当に私に付き合うのか?」
 杏子は目を瞬かせた。てっきり、アサギは事件から降りると思ってたからだ。
「……当然でしょう」
 窓の外を眺めたアサギの顔は赤く染まっていた。その赤みは、夕日により染まっているだけではないだろう。
「酔狂だな、お前も」
「お前に言われたくはない」
 誘拐の後から疎遠になってしまったアサギ。杏子とは全く違う方向へねじ曲がってしまったアサギ。今回彼女に協力を頼んだのだって、半ばダメ元だった。自分では話す切っ掛けがないから、真理と東光を向かわせたに過ぎない。これを機に、アサギとの仲を元通りにしたい、そう思う気持ちも少なからずあったのは確かだ。
「杏子、お茶を入れてくれ。普段低い声を出しているから、喉が痛い」
「ワケの分からんキャラ作りなぞするからだ」
 杏子は立ち上がる。こんな時は、特別な紅茶を振る舞っても良いだろう。
 一〇〇グラム五千円以上する高級茶、スペシャル・セイロン。お湯は黄金色に輝き、立ち上る湯気からはシトラスの爽やかな香りが広がる。杏子はティーカップと乾燥イチジクとストロベリーの茶菓子をアサギの前に置いた。
「アサギ、一つ聞いて良いか?」
 アサギの正面に座った杏子は、乾燥イチジクを囓った。凝縮されたイチジクの甘みが口一杯に広がる。
「何故、そんなコスプレをしているのだ? そんな事をしなくても、お前は十分に目立つ容姿をしていたはずだが」
 五年間、聞きたくても聞けなかった質問だ。アサギに何があり、どうしてこの様な事になってしまったのか、皆目見当も付かなかった。
「……何も知らないのか?」
 アサギはお茶を飲みながら、半眼でこちらを睨み付けてくる。
「すまない、全く分からない」
 昔の杏子は、耳を塞ぎ目を閉じてきた。正直な所、自分の事に精一杯で、他まで気に掛けている余裕はなかった。気分が落ち着き、やっと周りが見えるようになった時には、アサギは杏子の手の届かない所に行っていた。
「あの事件の後、お前は一人自分の殻に閉じこもってしまった。まあ、まだ幼かったからな、それは仕方なかっただろう。だが、私は一人になってしまった」
「……そうだな」
 杏子は頷く。
「一年が経ち、二年が経ち、ようやくお前が現実世界に戻ってきたと思ったら、お前は正義のヒーロー一直線だった。正直見ていられなかった。というか、近づきたくなかった。キモかったからな」
「……真理にも同じ事を言われた」
「ま、それは今も同じだが」
「なぬ!」
 否定せず、微笑むだけのアサギは、ストロベリーを口に投げ込んだ。
「それで、私とアサギのコスプレに何の関係があるというのだ? 一人きりになったからと言って、コスプレをする理由はないだろう」
 ムッとした表情をしたアサギは口を閉ざした。チラチラと視線をあちこちに飛ばし、最後に「ハァ」と盛大な溜息をついた。
「お前は正義の味方だろう。だったら、敵がいなければ始まらないだろう」
 グイッと紅茶を飲み干したアサギは、「おかわり」とティーカップを差し出した。杏子はティーカップを受け取ると、紅茶を注いだ。
「……と言う事は、お前が悪魔だの妖怪だの、おかしなコスプレをするのは、私に対する当てつけか?」
「違うわ! このスカタン! アンタの頭の中はどうなってるのよ! 財布と違って、頭の中はスッカラカンなんだから! 話の前後関係から、私の真意を掴もうとしろ!」
「……すまない」
 シュンッと杏子は肩をすぼめた。
「いい? 私はお前みたいなスットコドッコイの為に、コスプレをしているのよ! いつの日か、私を退治しに来ると思って、ずーっと待ってたんだから!」
 そこまで聞いて、ポンッと杏子は手を打った。
「あっ、そう言うことか。アサギは、私に構って欲しかったのか。遊び相手が欲しければ、いくらでもヒーローごっこをしてやったのに」
「このド阿呆! アンタの頭は、七割がスポンジで残り三割が妄想で出来てるんじゃない? 本当に、もう、救いようのない馬鹿ね!」
 アサギの絶叫が狭い部室に響き渡った。
「私は、孤立しているアンタに合わせていたのよ! ずっと待っていたの! いつの日か……こうしてアンタと……杏子と話が出来る日を……願って……」
 そこまで言って、アサギは俯いてしまった。水を打ったかのように部室は静まりかえったが、息の詰まるような沈黙ではない。温かく、心地よい沈黙だった。
 杏子は孤独ではなかった。一人ではなかった。アサギはずっと杏子の側に居てくれたのだ。少し、というかだいぶおかしな方向へ行ってしまったが、彼女は彼女なりに杏子のことを思っていたのだ。人よりも遙かに鈍感な杏子は、その事に気がつかず五年間もアサギを放置してしまった。
「アサギ、すまなかった……。そして、ありがとう」
 アサギは頷く。
「今となっては、この姿も中々良い。邪魔な男共も寄ってこないからな」
「なに? アサギ、お前はそんなにもてるのか? 私なんて、からきしだぞ。美貌も金も、容姿もスタイルも全て揃えているというのに」
「杏子の場合、知性の欠落が致命的なんだ。その点、私は全てを兼ね備えているからな。男共が放っておく分けないだろう」
「……強がりにしか聞こえないが、そういう事にしておいてやる」
 杏子はお茶を口に運んだ。口の中に広がるシトラスの香りが鼻に抜けていく。色も味も申し分なく、高級茶である理由が自ずと知れる。
 緩やかで、穏やかな時間が過ぎていくが、肝心の事件に関しては、何一つ進展は見られなかった。お茶を飲み終えた後、杏子とアサギはもう一度事件を洗い直した。


 すっかり外は暗くなってしまった。昼間の喧噪が嘘のように、夜の校舎は静まりかえっていた。カップ麺を食べながら、杏子とアサギは過去に起きた事件を振り返ってみたが、新たに得られた情報は何一つ無かった。
 アサギは目元を押さえ、壁に掛かった時計を見る。時間はすでに九時を回ろうとしていた。
「もう一度確認するが、真理の馬鹿はこれは放っておいた方が良い事件と言ったのじゃな?」
「ああ、確かに言った。だけど、それがどういう意味だか……」
 アサギは「ウ〜ム」と低い声で唸る。お茶を飲み終えたアサギは咳払いをして喉の調子を確認すると、結局いつも通り吸血鬼へと変身した。曰く、「どうせやるならトコトンやる」だそうだ。
「儂にも真理の考えは分からんが、奴はもうこの事件は起きないと判断したようじゃな」
「真理は私達よりも多くの情報を得ていたのか?」
 杏子の疑問に、アサギは首を捻る。
「奴が持っている情報も、儂と同じじゃろう。真理はいま手元にある情報から、犯人を突き止めたのじゃろうな」
 アサギはタブレットの画面に指を滑らせる。画面に映し出されたのは、見知った顔ばかりだった。
「この中に犯人がいるのだろうな」
 アサギが示したのは、先週聞き込みした主な登場人物達だった。
 四月十四日。杏子が松下に直談判の最中に起きた事件の被害者、美術部の部長、橘ヒカル。彼女は、やけに人に依存する所があり、先月に自殺した真壁志保に随分と入れ込んでいたようだ。橘は、志保の自殺の原因が自分にあると思っているようで、情緒的に不安定な面を覗かせている。そういえば、時計塔の屋上で橘から話を聞いた際、真理は彼女から何かを掴んだようだった。
 同じく、美術部の部員で、最近は少しおかしな言動の目立つ矢上雄平。彼は、橘が襲われた際、最も近くで目撃している。彼の話では、橘は見えない何かによって殴れていたらしい。同じ美術部員の話では、矢上は絵に真剣に打ち込んでいるようだ。ただ、そのやる気と才能がマッチしていない。部員の話では、お世辞にも絵が上手いとは言えないようだ。最近は、部長である橘に対して不信感を抱いている。彼が美術部の顧問である真壁美保に、橘は部長に相応しくないと言っているのを、東光もアサギも目撃している。
 四月十七日に、校庭にある体育倉庫で見えない犯人に襲われた陸上部の伊藤空太。伊藤も、矢上と同じく橘の事件が起きたとき、中庭で筋力トレーニングを行っていた。先月自殺した真壁志保との面識はないと言っている。部員の話では、彼は万年補欠であり、今のタイムでは高校最後の夏の大会でもレギュラーになるのは難しいようだ。毎日、誰よりも練習している伊藤だが、思うようなタイムは出せないでいるようだ。
「犯人は、コイツではないか? 儂は間違いなく見たぞ、コイツは窓ガラスが割れる直前、儂を見て笑った!」
「見間違いではないのか?」
「あの真っ白く巨大なリボンをどこの誰が見逃すというのじゃ! あれは間違いなく三木じゃ」
 アサギが示すのは三木歌音。科学部所属の秀才だ。アサギとは犬猿の仲らしく、やたらとアサギに突っかかっていた。彼女も橘の事件の時、中庭にいた生徒の一人だ。彼女は超音波だか高周波だかの装置を作って、色々と実験しているようだった。真理と東光の話を総合するに、三木は科学部でも孤立しているようだ。人当たりがキツイのは、アサギだけに限ったことではないのだろう。
「三木女史がいたのは南校舎の図書室だろう。北校舎の美術室は、直線距離にして五〇メートルは離れているぞ」
「ムウ……」
 杏子は次の人物に目を留める。
 真壁美保。忘れてはならない、真壁志保の姉であり美術教師。彼女は志保に過大な期待とプレッシャーを掛けてきた。昔は絵で生計を立てようと思った時もあったようだが、自分には才能がないことを知り、早々に見切りを付け、自分の夢を妹である志保に託していた。今回の事件で、血文字が時計塔と美術室のカンバスに描かれたことに、酷く動揺していた。
「主要な登場人物は、この五名か?」
「血文字の事件と、殴打事件に関して言えばな。ムマの事件となると、椎木朝輝に田島麗華が関係してくる」
 アサギは杏子を見て「あとはお前じゃな」と付け加えた。
「問題は山積か。まず、丁度一週間前の四月十四日、時計塔の壁に『天よりの死者 降臨し望みを叶えん』と記されていたんだったな。そして同時刻、時計塔の前に橘が倒れていた」
「どう考えても理性的な回答を得られないのが、殴打事件だ。目に見えない犯人だと、矢上も伊藤も三木も言っておる。記された血文字の内容を見ると、志保が復讐した、とも考えられなくはないが、真理はこの血文字の意味を見いだせずにいたな」
「吸血鬼のお前がオカルトを否定するのか?」
「浅はかじゃの。真理がこの場にいたのなら、オカルトは科学じゃと言っただろう。今でこそ、眉唾なものとして雑多なものが十把一絡げにされておるが、昔は立派な科学じゃ。今ある科学の基礎、医術の基礎は錬金術などから派生したものじゃ。現代の科学で解明できないものを、人はオカルトとして一時保管しているにすぎない」
「だが今回の事件、証言通りだとすると、オカルトに一時保管されるのではないか?」
「奴等が皆本当の事を言っているのであればな」
「どういうことだ?」
 アサギは溜息をついて首を振る。
「杏子、まさかとは思うが、お前は証言全てを鵜呑みにしているわけではあるまい? 儂等が探さなければいけないのは、事件の真相じゃ。人は嘘をつく生き物じゃ。儂等は嘘から真実を導き出さなければいけないのじゃ」
「そう、だな……」
 こんな時、真理がいたら何と言うだろうか。彼ならば、杏子にも分かるような回答を用意してくれるのだろうか。闇色に塗り潰された窓の外を見て、杏子は目を細めた。
「随分と真理のことをお気に入りのようじゃな。ついにアン子にも春が来たか?」
 アサギに言われ、杏子の顔は茹でタコのように赤くなった。
「わ、わ、私が真理をだと? 冗談ではない! 誰があんな奴と! そもそも、アイツは五聖ジャーもろくに知らないのだぞ? 他のスーパー戦隊シリーズはどうだか知らないが、余り期待は出来ないだろう」
「何をそんなに必至になっておる。こうなればいっそ、真理に真相を聞くのも手じゃな」
 ポンッとアサギは手を打つ。数学の問題集で例えれば、問題を見ただけで考えもせず、巻末の答えを拝見。確かにその誘惑は凄まじいが、今更真理に頼むことは出来ないだろう。
「無理だろうな」
 杏子は溜息をついた。不思議そうにアサギがこちらを見る。
「何故じゃ?」
「昨日殴ったからな。グーパンチで思いっきり真理を殴った」
 我ながら体重の乗った素晴らしい一撃だったと思う。真理の体が吹っ飛んだのだから、中々のものだろう。
「……殴ったのか? お前もしょうもない奴じゃが、何だかんだ言っても、アイツもお人好しじゃの」
「お人好し? 真理がか?」
 アサギの言葉を聞きつけ、杏子は顔を曇らせる。あれの何処がお人好しだというのだろうか。
「お前がムマに襲われて、真理が何とも思っていないとでも思ったか? アイツは、恐らく一番自分を責めているはずじゃ」
「だとしたら、私のファンタスティックブローは、贖罪の為にワザと受けたとでも言うのか? アイツは、何も悪い事などしていないだろう」
「だが、予想は出来ていたはずじゃ。だから、真理は儂と東光を組ませたのだろう」
「東光の腕っ節の強さは認めるが、真理如きで私の護衛が務まるとでも思っているのか?」
「そこは微妙じゃがな。そもそも、杏子は東光と二人きりになったらまともに話す事さえできんじゃろ。だから、常に杏子には真理が付いていたのではないか? あくまで儂の推測じゃが、真理はそこまで考えていたのだと思うがの」
 杏子は押し黙った。
 思い当たる節は幾つもあった。いつも隣の席には当然のように真理が座っていた。たった四人しかいない部室で、横には常に真理かアサギがいた。東光が隣に来ることはなかった。それに、田島麗華の時もそうだ。真理は杏子がショックを受けると分かっていて、行かせたくなかったのではないか。もしあの場で杏子が自由に話していたら、恐らく田島の恐怖を煽るだけで、なんの解決にもならなかった。杏子にも田島の為にもならなかった。
 改めて部室を見渡すが、先ほどまで広く感じた部室は、とても貧相で狭苦しく感じられた。
「アイツは、私の為に憎まれ口を叩いたと言いたいのか? 私を事件から遠ざける為に……」
 だとしたら、本当に真理は馬鹿だ。頭は良いかもしれないが、馬鹿だ。アイツは何も分かっていない。杏子のことを分かった気になっているだけだ。
「誤算だろうがな。お前が懲りずに、事件解決に乗り出すというのは」
「アサギが協力してくれるからだ。もし一人なら、諦めていた」
「じゃな」
 アサギは「閑話休題じゃ」と言って話を事件に戻した。
「仮に、橘の時に犯行現場にいた三人が本当の証言をしているのだとすれば、相手は何らかのトリックを使ったと言う事になる」
「幽霊や呪いの仕業ではないのか?」
「違うな。考えても見ろ、幽霊を触れたという話を聞いた事があるか? 幽霊は見て驚くもので、殴られて驚くことはまずないじゃろう。そもそも、実体のないものに殴られて肉体が傷つくというのが信じられん」
「……身も蓋もないが、確かにそうだな。幽霊が敵では、お互いに何も出来ない。ただのシャドーボクシングで終わるな。私のように異世界からの力を得たディメンションスパイラルニーを使えるなら兎も角だがな」
「なんじゃ、ディメンションなんたらとは?」
「二年前、衛星放送のヒーローチャンネルでやっていた、魔光戦隊と呼ばれる戦隊物の必殺ブローだ。異次元からの来訪者、ディメンターが悪役で、そいつらを倒すのに皆が異次元から力を得て敵を倒すんだ」
「そうか、では話を続けるぞ」
 あっさりと流したアサギは、呪いについて語り出す。
「そもそも、呪いというのは精神的に人を追い詰めるものじゃ。ゲームやマンガの様に、呪ったからと言って体が切り裂かれたり、痣が出来るなどあり得ない。相手が呪われていると思い込み、プラシーボ効果によりちょっとずつ体調が悪くなる。杏子のように単純馬鹿には効果は絶大だろうがな。大概の人には効果は薄い。呪いの手法にも寄るが、橘にも伊藤にも、そのような話は聞かれないな」
 アサギはタブレットでS−NETの仮面のサバトに接続していた。御陵高校のオカルトマニア達が集まった掲示板には、先週の事件の事で熱い議論が交わされていた。
「情報収集をしているが、橘も伊藤も誰かに呪われているなんて話は聞かんな」
「矢上学徒はどうだ? 橘を嫌っているのだろう?」
「……どうだろうな。奴と橘の間に何があったのか、儂には分からんな。……そこで思ったんだが、覚えているか? 志保の所属していたS−NETを」
「確か、ミューズとか言うS−NETだったな。志保女史が自殺してから、更新が止まっているな」
「ウム。その中の一人が、矢上雄平ではないかと思っている。つまり、矢上雄平は美術部で志保と、S−NETの中でもRISである志保と繋がりを持っていた」
 タブレットにミューズの掲示板が映し出される。やはり更新は止まっている。
「この中のマルセイユが矢上ではないかと儂は思っている。そして、マルセイユの言っているあの人というのが、橘ではないか、とな」
「なるほどな。それならば筋は通る。矢上学徒は橘女史とケンカをしたのだな」
 アサギは目頭を押さえる。トントンと苛立たしそうに机を指先で叩いたアサギは、気分を紛らわすように深呼吸をした。
「……いや、筋は通らないだろう。本当にアン子じゃな、お前は。儂が思うに、矢上雄平は橘ヒカルに恋慕の情を抱いていた。しかし、矢上はある時、橘の何かを見てしまった。そこでムマが出てくる」
「ムマが……。奴が何をしたというのだ? やはり、志保の自殺にもムマが関係してくるのか」
 杏子の表情が険しくなる。
「恐らくな。この二つの事件は、繋がっていると儂は思っている」
 アサギは深く息を吸い込んだ。
「あのS−NETが何を指しているのか。その名前さえ分かれば、ある程度情報が得られるのだが」
「真理も気に掛けていたが、フリーセックスのS−NETか? 本当にそんな物があるのか?」
「あくまで噂だがな」
 アサギは考え込んでしまった。

 コンコン……

 突然、部室の扉がノックされた。
「誰だ?」
 杏子は立ち上がって扉を開けようとするが、アサギが袖を掴んでそれを止めた。細められた瞳には、強い警戒の色が浮かんでいる。ハッと、杏子も状況を察した。体を庇うように後退すると、清掃用具入れからモップを掴んだ。

 コンコン……

 もう一度ノックされる。
 杏子はアサギと顔を見合わせる。アサギの手には自在箒が握られていた。獲物が普通の箒ならば、まさしく魔女なのだが、生憎と此処にそんな物は無かった。
「鍵なら開いている」
 杏子の声に反応し、ドアノブが回される。ゆっくりと扉が開いた。開いた隙間に、光が逃げるように吸い込まれていく。
 部室の光が照らしだしたのは、作業服を着た高嶺だった。彼は手に懐中電灯を持って、驚いた顔でこちらを見ていた。
「高嶺庶務ではないか」
 杏子もアサギも、高嶺の顔を見て肩の力を抜いた。同様に、高嶺も安堵の表情を浮かべた。どうやら高嶺は見回りをしていたようだ。
「そうか、此処は正義部の部室だったね。もう十時を過ぎている。早く帰らないと親御さんが心配する」
 高嶺に言われ、杏子は十時を回ってる時計を見た。確かに少し長居が過ぎたようだ。
「そうだな。アサギ、帰るとしようか」
「そうじゃのう。今からは夜の帝王たる儂の時間じゃ。こんな所で油を売っていないで、美女の生き血を啜りにいこうかの」
 「クックック」と笑うアサギを見て目を丸くした高嶺。彼は危ないからと、校門まで杏子とアサギを送ってくれた。
 空には大きな月が浮かんでおり、明るかった。事件解決まであと二日。未だ事件の闇は深く、道のりは遠かった。
(つづく)
(初出:2013年10月22日)
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登録日:2013年10月22日 17時15分

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  • スコルピオの星 御陵高校探偵倶楽部事件簿 天生諷 (2015年10月27日 14時30分)
    評判の占いの館「サイン」を舞台に起こる連続殺人事件。軽い気持ちでサインを訪れたふたりだったが、それ以来、おかしくなってしまう佐野。蓮音も「消したい過去を乗り越えるために道を示す」という言葉にぐらついていた。そんな折、蓮音が所属する生徒会で立ち寄った教会でスコルピオの第一の殺人事件が発生。捜査によって占いの館に疑いの目が注がれることに。凄惨な事件に巻き込まれる蓮音と生徒会の面々。そして、ついに御陵高校探偵倶楽部が動きだす。部長でヒーローオタクの杏子、斜め上の天才、真理。武闘派だが女に弱い東光、コスプレマニアのアサギと一癖も二癖もある部員たちにもたらされた事件は思いもよらぬ展開が待ち受けていた!(小説推理
  • ALI-CE ワンダーランドの帰還者 天生諷 (2012年03月12日 20時00分)
    ニニ世紀初頭。テロや犯罪が頻発する人工島IEでは、人々は武装し、ナノマシンで身体能力を強化していた。そんな中、アメリカの特殊機関ワンダーランドで戦闘技術を学び、殺しのライセンス、スイーパーの所持者であるアスカは、三〇〇億という常識外れの借金返済のため学園に舞い戻る。想像の斜め右上をぶち抜く変わり者“天災”ミルティに翻弄されつつ、ナノマシンでもインプラントでも強化人間でもない不思議な力「ALI-CE」と燐光を放つ剣サディーヤを駆使して彼女を護衛するアスカ。彼らを襲う強化人間ソウルレスと哀しい事情を抱えた雄太、妖艶な魅力で誘惑するエルフィネル。テロリストたちの目的とは何なのか? 圧倒的な格闘シーンに酔え!(小説SF

小説/推理の記事 - 新着情報

  • 世は並べて事も無し アノ子の理由(20) 天生諷 (2014年03月29日 19時42分)
    エピローグでは、探偵倶楽部の正式な発足の顛末が語られる。そしてカーテンコールでは美保と静かに語り合う真理の姿が――。これにて世は並べて事も無し連載終了!(小説推理
  • 世は並べて事も無し アノ子の理由(19) 天生諷 (2014年03月29日 19時18分)
    ムマの事件は解決した。そして第二幕の犯人がこの中にいる。しかし真理は躊躇していた。解決したところで誰も救われないからだ。しかし周囲の声に押され真理は話し始めた。ついに不可解な事件の証明が終了する。(小説推理
  • 世は並べて事も無し アノ子の理由(18) 天生諷 (2014年02月13日 19時28分)
    体育館に集まったギャラリーを前に、ついに真理の推理が披露される。志保の飛び降り自殺、ムマの強姦事件、見えない犯人による殴打事件、美術室での爆発――。何がどう繋がっていただろうか?(小説推理

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