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天生諷
著者:天生諷(あもうふう)
極々平凡な会社員。毎日楽しい出来事はないかと、心の中で模索しながら生活をしている。旅行と昼寝をこよなく愛し、読書とゲームが生きる原動力となっている。群馬県在住。
小説/推理

世は並べて事も無し アノ子の理由(17)

[連載 | 完結済 | 全20話] 目次へ
情報を得ても扱うすべを知らない彼女達――京子とアサギに事件解決は無理だった。謎解きをひかえ、いつになく真剣な表情で真理の前に現れた彼女達に、彼はどうするのか?
 四月二二日 火曜日

「ダメじゃ……」
 アサギはバンッとタブレットを叩いた。
 時刻は夕方の五時。授業そっちのけで事件の検討をアサギとしていたが、結局何の進展もなかった。
「割れるガラスに、一瞬にして書かれた血文字。一体、何がどうなっているのだ……」
 流石に、頭がおかしくなりそうだった。考えても考えても答えは見つからない。学校の勉強のように、親切に問題が出されているわけではない。問題は幾つもあるが、それは見方によって様々な形に変化する。それが生物か、数学か、はたまた英語か。あらゆる答えが用意されている為、正解が分からない。漠然と事件を解決すると言うのでは、答えは何年経っても見つからない。
「本当に私達は間違っていないのか? 見落としはないのか?」
「分からん。見落としがあるかどうかも分からない。儂達の考え方で正解かどうかも分からないのだ」
 考えれば考えるほど、頭の中は混乱する。焦れば焦るほど考えは纏まらず、掬い上げた手からサラサラと零れ落ちてしまう。
「やはり、真理しかないか……」
 舌打ちをしつつ、アサギは夕暮れの外を見る。
 杏子は内心頷いた。もう、頼れるのは真理だけだった。
「だけど」
 だけど、今更どんな顔で頼みにいけというのだ。真理がどんな思いで事件から手を引いたのか、杏子達は想像するしかないが、真理がもう一度事件解決に動いてくれるという保証は何処にもない。
「儂等は仲間じゃ。きっと、真理だって同じ事を思っているはずじゃ」
 アサギは断言する。それが根拠のない自信だということは、杏子にも分かった。そして、それしか事件を解決する道がないことも分かっていた。
「仕方がない、とは言いたくはないがな。実際、事件を解決するのは困難じゃ。儂等には、必要な情報を得てもそれを使う術が無い」
「探偵マンガや小説の様には行かないということか」
 所詮、マンガや小説は作り物だ。事件解決に必要なキャストしか登場しないし、探偵役は必ず必要な情報を得て、それを見落とさない。在校生三〇〇〇人からなる御陵高校の事件では、登場人物を絞り込むことは出来ても、本当にその中に犯人がいるかどうかは分からない。事実、ムマに関して言えば同時刻に様々な場所で目撃されている。
 真理は一体どんな真相に辿り着いたのか。もしかすると、真理も真相までは分かっていないのかも知れない。もしそうだとしても、今の杏子達に出来る事は、真理を信じることだけだった。
 杏子の心を察したのか。アサギは独り言のように言葉を天井に向けて放った。
「あのド間抜け二人は、今日は生徒玄関前の噴水の掃除をやっているようじゃ」
 杏子はアサギを見た。アサギも横目で杏子を見た。やれることやったが、杏子達に事件の解決は無理だった。あと一つ、やれることがあるとすれば、それは……。


 靴を脱ぎ、丸めたソックスをその中に押し込む。「珠洲真理」と柄に描かれたマイデッキブラシを手に、真理は踝程度までに水の引いた噴水に降り立った。
「よし、東光、チャッチャとやってゲーセンに行こうぜ」
「ムッ……」
 水の冷たさに一瞬体を固まらせたが、気合いを入れてブラシで水盤の清掃を始めた。
 直径にして約一五メートル程の大きな噴水だ。中心部には直径二メートル程度のウエディングケーキのように背の高い塔が立っている。塔には薔薇やオリーブ、天使などが細工されている。普段は間近で見ることのない部分だが、近くによって実際手に触れてみると、意匠である彫刻は細かく精巧に作られている事が分かる。
 クスクスと笑い声が聞こえて来る。見ると、噴水の横を通る生徒達が真理と東光を見て笑っていた。それも、一人二人ではない。申し合わせたかのように、道行く人は皆笑っていた。
「………」
 今更だが、真理達が罰則で校内を清掃していることは有名だ。学校側から名前入りの清掃道具を渡されるほど、清掃は日常化していた。笑われることはしょっちゅうあるが、やはり慣れるものではない。
「真理、手が止まっているぞ!」
 噴水の縁に腰を下ろした松下が真理を怒鳴る。真理は何も答えずブラシを動かした。
 全てが元通りの日常になった。杏子達から離れれば、あれほど学校を騒がしていた事件も全くの無関係。真理の耳に噂話は聞こえて来るが、頭に留まることはなかった。東光は未だ何かを思っているようだが、真理の決定に異を唱えなかった。
 あの事件は放っておいた方が良い。杏子に言った言葉だが、それは本当の事だった。落としどころの見つからない事件。真理達が謎を解き明かし、犯人を糾弾した所で、得する人物は誰もいない。逆に、不幸になる人が増えるだけだ。だったら、何もしない方が良い。この事件はこのまま静かに放置するのがいい。
 そのはずなのだが、真理の心は晴れなかった。日曜日、杏子が最後に見せた顔が頭に張り付いて離れない。杏子の過去、思いを知った上で判断したことだったが、あの判断が本当に正しかったのか、真理は迷っていた。
 水盤に薄く張り付いた土汚れは、軽く擦るとすぐに落ちた。杏子の依頼を不履行となったいま、事件解決に費やした日数を引いて、罰則は残り五日となっていた。噴水の清掃日程は三日だが、この分ではあと一日あれば楽に終わるだろう。
「やっほー精が出るわね」
 暢気な声が掛けられた。この脳天気で何の苦労も悩みもなさそうな声は、朝輝だろう。
「よう」
 背中向けながら真理は答えた。
「結局、アン子の味方するのは止めたんだってね。正解よ」
 嬉しそうに笑う朝輝を、真理は肩越しに振り返った。
「アン子、酷い顔してたわね。何かあったの?」
 ニコニコしながら尋ねてくる朝輝。彼女の無神経さにムッとしたが、噂に敏感な朝輝が知らないと言う事は、杏子がムマに襲われた事実は一般の生徒の耳に届いていないのだろう。
「ああ……さあな」
 曖昧に答えた真理。真理の様子を意に介さず、朝輝は続けた。
「でね、アン子、アサギと二人でまだ探偵ごっこ続けているんだって」
「え?」
 デッキブラシが止まった。真理は改めて朝輝に向き直った。杏子はまだ事件解決を諦めていなかったのか。しかも、アサギがいるのは誤算だった。てっきり、アサギは真理達が抜けたら同じように抜けると思っていたのだ。
「まだ、杏子は解決を諦めていないのか?」
「そうなの〜。真理だって無理だったのにね。明日の放課後、体育館でやるみたいよ。私、冷やかしに行こうと思ってね」
 にやにやと朝輝は笑う。何が原因か知らないが、杏子と朝輝は本当に仲が悪いのだろう。
「そうか、明日、か……」
 間違いなく、杏子とアサギは真相に辿り着けない。これが単一の事件なら、アサギがいれば真相に手が届いたかも知れないが、今回に関して言えば、二人では不可能だ。
「真理! 手が止まってるぞ! 東光を見習え!」
「うっせーな、ハゲ」
「何か言ったか?」
「言ってません!」
 溜息をつきながら、真理はデッキブラシを水盤に叩きつけるようにして擦った。
「んで、田島は?」
「ん、まだ引きずってるみたいだけど、前に比べると随分と元気になった」
「……そっか、良かった」
「だね」
 朝輝は真理に近い場所で噴水の縁に腰を下ろした。
「ねえ真理。一つ聞いていい? 今回の事件、私、ムマの事件だけは解決して欲しかったな」
「………」
 真理は無言でデッキブラシを動かした。
 朝輝の言いたいことは良く分かる。真理も出来ればムマだけは墜としておきたかった。だが、それは出来なかった。
「……ん」
 気乗りのしない返事を返した真理は、目の前の汚れを落とすことに意識を集中した。
 日も暮れかけ、風も冷たくなってきた。
「真理」
 声が掛けられた。見ると杏子が立っていた。朝輝は驚いたように杏子を見上げていた。
 夕日を受けた杏子は朱色に染まっていた。頬の傷はだいぶ赤みも引き、いつもの容姿に戻っていた。
 熱い熱を帯びた眼差しが、真理の視線を絡み取り、がっしりと掴んだ。目に宿る強い輝きは、出会った頃と変わっていない。
「明日、夕方五時から謎解きを始める。お前の力が必要だ」
「……本当にやるのか?」
「ああ。正義部存続など今になっては関係ない。私は私の正義の為に、悪を許しては置けない」
 杏子は左手に掛けられた腕章を握り締めた。その腕章は、正義部改め、探偵倶楽部の部員である証、正義の文字がある。
 冷たい風が走り抜ける。杏子の髪が大きく流れ、真理の足元にある水が波立った。
「真理、お前が欲しい」
『ええっ!』
 真理と朝輝は、同時に声を上げた。
「お前、大胆だな……」
「ちょ、ちょっとアン子! 抜け駆けは狡いわよ! こんな時に告白なんて! と言うか、幾つもの過程をすっぱ抜いて、恋人が行き着く最終段階に……!」
 必至に噛みつく朝輝に、杏子はこれでもかという冷たい視線を投げかける。朝輝はその眼差しに気圧され、口を閉ざした。
「冗談で言っているのではない。正義を執行するにはお前が必要なんだ。仲間である、お前と東光の力が必要なんだ」
 それだけを言うと、杏子は背を向けた。
「明日、待っている」
 言い残し、杏子は去って行った。
「困ったな」
 気がつくと東光が横に立っていた。
「困るものか! 素直に手を貸せ、馬鹿者共」
 今度はアサギだった。いつもの黒いローブを身につけたアサギ。キツイ化粧の顔は、明らかに怒り心頭の様子だ。
「真理、東光。お前達が何を守ろうとしているのか、儂には何となく分かる。儂は、断言できる。それは間違いだ」
 アサギは一旦言葉を止める。
 真理は彼女の左腕に注目した。アサギの左腕にも、正義と記された腕章が付けられていた。真理の視線を感じたのか、アサギの小さな手が腕章を撫でた。
 きつく結んだ口が再び開かれた。
「どんな結果になろうとも、杏子は明日、事件を解決するつもりだ。出来なくとも、その場には行くだろう。アイツの正義はアイツだけのものではない。杏子は、想いを背負っておる。だから、正義を執行するのじゃ」
 アサギは一歩下がる。
「自分で何が大切か、それを吟味するのじゃな」
 アサギは杏子を追うようにして走り去っていった。
「……ふん、馬鹿じゃないの二人とも。めんどくさがりの真理が、何の見返りもなくやるわけないじゃない」
 朝輝は強がっていったが、その声は僅かに震えていた。実際、真理も何も言い返せなかった。それほどの強い思いが杏子とアサギから伝わってきた。
「……これは独り言なんだがな」
 一部始終話を聞いていたのだろう。松下が真理達の横に来て話し始めた。
「五年前、御厨杏子が誘拐された事件で、彼女とその母親を救った警官は、その事件で命を落としたんだ。死ぬ間際になっても、その警官は笑って御厨を励ましてくれたようだ。彼女はその人の為にも、正義を貫きたいのだろう。無理強いはしない。だが、今の事件で学園がおかしくなっていることは確かだ。俺からも解決を頼みたいんだけどな」
「……東光、水を」
 真理が言うと、東光は水盤からでて、噴水のすぐ脇に埋設されているノズルを捻った。

 プシャッ……!

 勢いよく噴水から水が飛び出した。その水は大きく弧を描き、真理に降り注いだ。
「あっ、すまない真理」
 東光は水量を調節した。
 水に濡れた真理は、水嵩の増す水盤に立ちながら、噴水を見上げていた。吹き出る飛沫一つ一つが、夕日を浴びてルビーのようにキラキラと輝いていた。
「真理」
「何だ?」
 東光は真理の背中を見つめた。その口元には、微かな笑みが浮かんでいた。
「義を見てせざるは勇なりきり、と言う言葉を知っているか?」
 真理は溜息をつき、肩の力を抜いた。
「……東光、人を殺す覚悟はあるか?」
 真理の質問に、驚いたように朝輝と松下が東光を見る。
「俺に今更覚悟を問うか? 当然だろう、お前と一所に居ると決めた時から、お前に全てを捧げている」
「……先生」
「なんだ?」
「事件は解決します。ただし、一つ条件がある」
「条件だと?」
 松下は口元を歪める。その表情は、喜んでいるようにも、憎々しそうにも思えた。
「山のようにある借りの幾つかを、返す機会(チヤンス)を与えると言ってるんですよ。それと朝輝、お前にも頼みたいことがある。もちろん、引き受けるよな?」
 朝輝と松下は顔を見合わせたが、自分達は断ることが出来ないと分かっているのだろう。渋々と二人は頷いた。
 真理の話を聞いた松下は渋面を浮かべるも、「分かった」と力なく返事を返した。朝輝は、興味深そうに頷きながら、快く承諾してくれた。
「東光、残された時間はそう多くない。始めるぞ」
「ウム、まずは何をする?」
 真理は校門の脇に立つ人物に目を留めた。パシャパシャと、彼女の手元から閃光が放たれていた。「一枚頂きました〜」誰彼構わずシャッターを切る御津のかけ声が、小さく聞こえてきた。
「とりあえず、井上御津を拉致れ」
 数秒後、御津の悲痛な叫びが校庭に響き渡った。


 四月二十三日 水曜日

 午後五時。
 いつになく強く感じる西日が体育館に差し込んでくる。外気温はそれほど低くないはずだが、体育館はやけに肌寒く感じた。
 南北に延びる体育館。ステージを南側に置き、北側と西側に出入り口があった。体育館は校舎の東側に位置するが、その大部分は校舎の南側にある為、強い西日をもろに受けるような形になる。
「……これだけか?」
 杏子は体育館の真ん中に立ちながら、居並ぶ人物を見つめた。
「そのようね。……もっとギャラリーが集まるかと思ったけど、意外ね」
 隣に並ぶアサギが杏子に聞こえるように囁く。
「ああ……」
 杏子はアサギを見て目を細める。
 横に居るアサギは、御陵高校の白い制服を身につけていた。赤いウィッグを外し、肩まで伸びるストレートの黒髪を夕日に反射させて光らせていた。化粧をしていない素のアサギは、日本人形のように楚々として美しかった。いつものようにコスプレをしていないし、口調も普通だ。それほどアサギは本気と言う事だ。
 アサギから、ステージの前に立つ人達に目を向ける。誰に声を掛けたわけではないが、不思議と事件の関係者と思われる人達が揃っていた。それ以外のギャラリーは、誰一人として姿が見えない。もっと人が集まるかと思ったが、少し拍子抜けした。杏子達が思っているよりも、この事件の関心は低いのだろうか。
「それで? さっさと謎解きを始めるんでしょう?」
 何故か皆の先頭に立っているのは椎木朝輝だった。
「朝輝、何しに来たのだ? 外野は帰れ!」
「何しにですって? アン子、アンタを笑いに来たのよ! ここにいる人、みんなに迷惑を掛けたんですって? ほら、謝るなら今のうちよ」
「チッ」
 腕を組んで仁王立ちする朝輝。彼女の後ろには、これまで杏子達が話を聞いた面々が不満そうな表情で待機していた。杏子は深呼吸をして気を落ち着けながら、集まった人達を見ていく。
 向かって一番左にいるのが、美術部顧問で、志保の姉である真壁美保。彼女は自分を抱くようにして、不安そうに杏子とアサギの顔を見比べていた。
 美保に寄り添うようにして立つのは、美術部の橘ヒカル。彼女は落ち着かない様子で美保の横顔を見つめていた。
 橘の横に所在なく立っているのは、朝輝の友人である田島麗華だ。彼女は何故自分がこの場所に居るのか分かっていない様子で、戸惑う視線を自分を連れてきた朝輝に向けていた。
 オドオドした様子の田島の横に立つのは、用務員の高嶺健治だ。皺のある顔により深い皺を刻み、興味深そうに居並ぶ人物を見渡していた。
 そして中央に立ち、杏子と向かい合うのが朝輝だ。初めて会った時から気が合わなかったが、杏子を馬鹿にする為、わざわざ出向いてきたというのだから、この性格の悪さには頭が下がる。
 朝輝から少し離れた場所にいるのが、美術部の矢上雄平だ。彼はこちらに意を介することもなく、ほぼ正面に立つ橘を見つめていた。彼の耳に付けられた青いイヤリグは、鈍い輝きを放っている。
 矢上の横に並んでいるのは、三木歌音だ。頭に大きな白いリボンを付けた彼女は、矢上とは違う意味で、熱の籠もった瞳をアサギに向けていた。
 そして、三木の少し後ろ、体育館の壁により掛かっているのが伊藤空太だ。いつものようにジャージ姿で、赤いリストバンドをしている彼は、しきりに時計を気にしている。
 何故此処にいるか分からないが、一年の湯川緑が端の方にポツンといた。彼は俯いたきり顔を上げようともしない。
「どうした、時間だぞ。始めないのか?」
 声を張り上げたのが、最後の一人となる生徒指導の松下だ。立場上、彼は此処にいなくてはいけない人物なのだろうが、その様子からすると、一刻でも早く切り上げたい様子だ。
「そうよ、アン子。早く謎解きってのを初めて頂戴。この中に、犯人がいるんでしょう?」
 朝輝まで松下に乗っかり冷やかすように声を上げる。
「………」
 杏子は唇を噛み締め、黙ることしか出来なかった。
 この期に及んでも、事件解決に繋がる回答は何一つ用意できなかった。頼みの綱である真理と東光は、時間を過ぎても登場しなかった。
「アサギ、真理達は?」
「分からない。学校には来てるみたいだけど、授業には出てないみたい」
 アサギの顔にも焦りが見え始めた。時間は五分経過していた。杏子達を見る目が、徐々に厳しさを増す。
「アサギ! アンタ、何か言ったらどうなのよ! 結局事件が解決できないなら、出来ないって認めれば良いじゃない! 所詮、アンタなんかにこの事件は解決できないのよ!」
「三木、何故アイツは私に絡んでくるんだ?」
 不快そうにアサギは眉根を寄せる。
「謎解きするからっていうから来たのに、何もやらないのなら、俺は帰らせて貰うぜ? 選考会も近いし、早く部活にいかないといけないんだ」
 伊藤が壁から背を離した。
「ああ、ちょっと待って下さい伊藤先輩。帰らないで下さい」
 声を掛けたのは朝輝だ。彼女は満面の笑みを浮かべながら杏子を見た。
「折角ですので、アン子がどんな恥を掻くか、見ていきませんか?」
「は? 俺はそんな事より部活に」
「だって、先輩は真理にも散々言われたんでしょう? ここで杏子に詫びを入れてもらった方が、スッキリしませんか? あの御厨グループの一人娘が、泣きながら私達に謝るんですよ? こんな愉快な経験できないと思いますよ」
「さあ、謝りなさい!」と、朝輝は杏子に詰め寄る。
「……朝輝!」
 杏子は喉の奥で呻くが、次の言葉が出てこない。
 皆の視線が痛いほど体に突き刺さる。
「御厨さん、貴方、自分の過ちを認めた方が良いわよ」
 美保だ。彼女の瞳には憐憫の色が浮かんでいる。
「貴方は特別な人かも知れない。だけど、できないものはできない。ここは、ちゃんと謝って解散すべきだと、先生は思うわ」
「広げた風呂敷は自分で畳まないとね」
 朝輝がクスクスと笑う。
「私は……私は……正義を貫きたいだけだ。こんな事件が、あって許されるわけないだろう!」
 杏子は叫んだ。
「橘女史の事件も、伊藤学徒の事件も、そして、田島麗華の事件も、許されるものではない! 何故、皆はそこまで他人事に出来るのだ! この学園を取り巻く空気が嫌にならないのか? 息苦しくはないのか?」
「杏子の言う通りよ」
 アサギが声を出した。
「私は納得出来ない。壁に書かれた文字の謎、見えない犯人、割れた窓ガラスに、突然浮き出たカンバスの文字、そして、連続強姦魔のムマ。私は許せない。一つの事件が人の人生を、それに連なる人の人生を壊す事を、私と杏子は良く知っている。だから、私達は引くことが出来ない」
「……だからなんだって言うの? 正義感じゃ、答えは導き出せないわよ。そうでしょう、アサギ?」
 三木がせせら笑う。
「その通りだ」
 杏子の言葉に、三木は目を丸くする。
「正義感だけでも、やる気だけでも、努力だけでも、どうにもならないことはこの世には沢山ある。だけど私には、私達には仲間がいる。一人じゃ無理でも、二人なら出来る」
「二人でも無理なら? どうするの?」
「決まっているだろう。三人目、四人目の仲間を作る」
 杏子は言い切った。
「じゃあ、その仲間を連れてきなさいよ! 真理は何処? 東光君は何処なのよ?」
 朝輝が喜々とした表情で攻撃してくる。
「……それは」
 再び杏子は口籠もった。二人は何処にいるかも分からない。来るかどうかも分からない。こうして時間を稼ぐだけ無駄なのかも知れない。
「そうよ、もう良いでしょう? さっさと私を解放して。私は、もう事件の事とか考えたくないのよ」
 美保のブラウスの裾を掴みながら、橘は叫んだ。
「うむ、確かに。儂もそろそろ仕事にいかないと。面白い集まりなんだが」
 高嶺が腰を叩いて背筋を伸ばす。
「御厨さん、諦めることも勇気よ。誰も貴方を馬鹿にしないわ。貴方は、事件を解決する為に頑張ったんだもの。誰もしなかったことを、頑張ったの。胸を張って良いわよ」
「さあ、アン子どうるの? とっくに定刻は過ぎているわよ?」
 皆がこちらを見つめる。胸が苦しい。正義を振りかざしたとしても、何も解決できない。自分の無力さが悔しかった。自分には待つことしか出来ない。だが、それももう此処までのようだ。
 杏子は膝を折った。両手を突いて頭をたれる。
「杏子……」
「……こうするしか、ないだろう……」
 拳を握り締める。悔しさの余り涙が溢れてきた。
「みんな……」
 言葉が掠れた。流れ落ちる涙が、握り締めた拳の上で弾けた。
「すまな……」

 パチンッ……!

 その時、何処からか聞き慣れた金属音が聞こえてきた。

 カッカッカッ……

 続いて靴の音が聞こえてくる。その音は、徐々に体育館に近づいてきた。
 杏子は溢れ出る涙をそのままに、立ち上がることなく背後を振り返った。
 場にいる一同も、開け放たれた扉を見つめている。闇色に染まる廊下。そこから何者かが近づいてくる。

 パチンッパチンッ

 白い服が見えた。長い裾をはためかせながら歩く人物。その身に宿した濃い闇が、廊下の薄闇を押し退ける。
「あっ……」
 誰かが息を飲んだ。その人物はムマの白い仮面を付けていた。
 闇を押し退け、ムマは体育館に足を踏み入れた。彼の背後から、もう一人のムマが登場した。後から入ってきたムマは、先に入ってきたムマよりも頭二つ大きい。もう一人のムマと対照的に、こちらは短い裾の制服を着ていた。
 彼は、ゆっくりと、だが確実に杏子に向かって歩いてきた。
「遅いぞ、馬鹿者」
 アサギが口元を歪めた。
「いや、いや……誰? 誰よ貴方! イヤーーー!」
 田島が叫び声を上げた。
 彼女の横では、橘と高嶺が呆けたように口を開け、目を見開いていた。
「俺が誰かって?」
 仮面の下からくぐもった声が聞こえてきた。
「受け取れ!」
 アサギが何かを放った。二人のムマがそれを掴み、腕に装着した。白い制服の左腕には、正義の文字が認められた腕章があった。
「御陵高校探偵倶楽部、二年、珠洲真理」
 ムマは、真理は悪趣味な仮面を放り投げた。
「同じく二年、遠藤東光」
 もう一人のムマ、東光も仮面を投げ捨てる。
 真理は座り込む杏子に向け、優しく微笑み手を差し伸べた。反射的に、杏子はその手を取ってしまった。
 温かい、凍えるように冷たい体に温もりが入ってくる。
「悪いな、杏子。準備に手間取った」
「……遅いぞ、馬鹿者」
 立ち上がった杏子。真理は目を細めると、流れ出る涙を指先で拭ってくれた。嬉しさの余り、喜びの余り、涙が溢れてくる。止めたいのに止まらない、胸の奥から熱い物が込み上げ、まともに言葉も紡げなかった。
「……すまない。私は、無力で……。馬鹿で……。だけど、悪は放っておけなくて。力も知恵も、何も持たない私は、正義の味方になれなくて……」
「泣くなよ杏子。お前はこの物語の主人公だ。お前は十分にやった。後は、俺の番だ。何も出来なくたって良い。俺達の後ろに立って、根拠のない自信を振りかざし、いつものように声を張り上げていれば良いんだ」
「……だが……それでは」
 涙が止まらない。真理は両手で顔を掴むと、頬を優しく撫でてくれた。
「真理の言う通りだ、杏子。真理を無条件で動かすなど、尊敬に値する。誇って良い。お前には、それだけでリーダーたる資格がある」
「そう言うことよ、杏子。貴方はそのままで良い。杏子が道筋を見つけ、情報収集は私と東光が行い、真理が謎を解く。私達、良いカルテットじゃない」
「だな。……って、お前、アサギか? 何処の美人が居るのかと思ったぜ」
「ただの真面目モードよ。遊びでは出来ないでしょう」
 ジロジロと、ぶしつけな視線を真理はアサギに注ぐ。確かに、アサギの制服姿は新鮮ではある。
「やっぱり、お前は素のままの方が綺麗だよ。な、東光」
「ウ……ウムッ」
 頬を染めて明後日の方を向く東光。その様子を見て、杏子は笑ってしまった。アサギは不服そうに鼻を鳴らす。
「ウジ虫、貴様の言葉は軽いのだ。何も心に響かん」
 鋭い叱責を受け、真理はへらへら笑いながら杏子から離れた。後ろに居並ぶ一同を見渡し、そしてこちらを見た。その顔には、先ほどの笑いは消えていた。
 真理が見せるいつになく真剣な眼差し。人を切り刻み、分解する鋭利な輝きの宿った眼差し。彼は、ゆっくりと口を開いた。
「杏子、アサギ、お前達に尋ねる。お前達二人は、人を殺す覚悟はあるか? 事件を解決すると言うことは、その人の人生を破壊する。それは、社会的にその人を殺す事になる。二人にその覚悟はあるか?」
 杏子は頷く。そんな覚悟、五年前からずっとしている。今更答えるまでもない。
「当然だろう。覚悟なら、とうの昔に出来ている」
「私もだ。覚悟はある」
 二人の答えを聞いた真理は、満足そうに頷く。
「今までは、俺と東光二人で業を背負ってきた。だけど、俺達はチームだ。仲間だ。これからは、全てを四人で分かち合う。喜びも、悲しみも、業もな」
 懐から鉄扇を取り出した真理は、手の中でクルクルと回転させると、居並ぶ人達に突きつけた。
「さあ、杏子。景気づけだ。いつものヤツを宜しく頼む」
 杏子は頷くと真理の横に立った。
「東光」
 杏子は東光を見る。東光は力強く頷いた。
「アサギ」
 アサギはニコリと愛らしく微笑むと、居並ぶ人物達に厳しい視線を投げかけた。
「……真理。後は任せたぞ」
「ああ、任せときな」
 真理の口元には、いつもの笑みが浮かんでいる。人の心を柔らかくする、強くて優しい笑みだ。
 杏子は大きく息を吸い込んだ。今までの不安が、嘘のようになくなっている。見えない手で背中を支えられているかのような安心感。この仲間の中こそが、杏子の求めていた場所なのだと再認識した。
 これまでにない強い眼差しで、杏子は居並ぶ人物を見つめた。
 真壁美保。橘ヒカル。田島麗華。高嶺健治。椎木朝輝。矢上雄平。三木歌音。伊藤空太。湯川緑。松下教諭。
 杏子は右手を突き出し、左から右にゆっくりと動かした。
「御陵高校探偵倶楽部! これより正義を執行する!」
 杏子の声が体育館に響き渡った。
(つづく)
(初出:2013年12月14日)
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登録日:2013年12月14日 11時55分

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    ニニ世紀初頭。テロや犯罪が頻発する人工島IEでは、人々は武装し、ナノマシンで身体能力を強化していた。そんな中、アメリカの特殊機関ワンダーランドで戦闘技術を学び、殺しのライセンス、スイーパーの所持者であるアスカは、三〇〇億という常識外れの借金返済のため学園に舞い戻る。想像の斜め右上をぶち抜く変わり者“天災”ミルティに翻弄されつつ、ナノマシンでもインプラントでも強化人間でもない不思議な力「ALI-CE」と燐光を放つ剣サディーヤを駆使して彼女を護衛するアスカ。彼らを襲う強化人間ソウルレスと哀しい事情を抱えた雄太、妖艶な魅力で誘惑するエルフィネル。テロリストたちの目的とは何なのか? 圧倒的な格闘シーンに酔え!(小説SF

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  • 世は並べて事も無し アノ子の理由(20) 天生諷 (2014年03月29日 19時42分)
    エピローグでは、探偵倶楽部の正式な発足の顛末が語られる。そしてカーテンコールでは美保と静かに語り合う真理の姿が――。これにて世は並べて事も無し連載終了!(小説推理
  • 世は並べて事も無し アノ子の理由(19) 天生諷 (2014年03月29日 19時18分)
    ムマの事件は解決した。そして第二幕の犯人がこの中にいる。しかし真理は躊躇していた。解決したところで誰も救われないからだ。しかし周囲の声に押され真理は話し始めた。ついに不可解な事件の証明が終了する。(小説推理
  • 世は並べて事も無し アノ子の理由(18) 天生諷 (2014年02月13日 19時28分)
    体育館に集まったギャラリーを前に、ついに真理の推理が披露される。志保の飛び降り自殺、ムマの強姦事件、見えない犯人による殴打事件、美術室での爆発――。何がどう繋がっていただろうか?(小説推理

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  • スコルピオの星 御陵高校探偵倶楽部事件簿 天生諷 (2015年10月27日 14時30分)
    評判の占いの館「サイン」を舞台に起こる連続殺人事件。軽い気持ちでサインを訪れたふたりだったが、それ以来、おかしくなってしまう佐野。蓮音も「消したい過去を乗り越えるために道を示す」という言葉にぐらついていた。そんな折、蓮音が所属する生徒会で立ち寄った教会でスコルピオの第一の殺人事件が発生。捜査によって占いの館に疑いの目が注がれることに。凄惨な事件に巻き込まれる蓮音と生徒会の面々。そして、ついに御陵高校探偵倶楽部が動きだす。部長でヒーローオタクの杏子、斜め上の天才、真理。武闘派だが女に弱い東光、コスプレマニアのアサギと一癖も二癖もある部員たちにもたらされた事件は思いもよらぬ展開が待ち受けていた!(小説推理

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  • 風が哭く(6) 天野雅 (2013年03月03日 13時48分)
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  • 風が哭く(5) 天野雅 (2013年02月05日 14時10分)
    帰宅途中の公園で福本は違和感を感じた。どうして誰もいないのか…? 衝動に駆られ、走り出した彼女の前に現れた、目に狂気を宿した男子生徒。彼の差し出したノートにあった言葉を見て、福本は悲鳴を上げた!(小説推理