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天生諷
著者:天生諷(あもうふう)
極々平凡な会社員。毎日楽しい出来事はないかと、心の中で模索しながら生活をしている。旅行と昼寝をこよなく愛し、読書とゲームが生きる原動力となっている。群馬県在住。
小説/推理

世は並べて事も無し アノ子の理由(19)

[連載 | 完結済 | 全20話] 目次へ
ムマの事件は解決した。そして第二幕の犯人がこの中にいる。しかし真理は躊躇していた。解決したところで誰も救われないからだ。しかし周囲の声に押され真理は話し始めた。ついに不可解な事件の証明が終了する。
 野木政志は動かない。時折、ピクピクと痙攣を起こしているから、死んではいないだろう。誰も彼を助けようとはしないし、助けようとも思わない。
 この場はすでに探偵倶楽部のメンバーが支配していた。特に、その中心人物である真理の推理力と膂力を目の当たりにした一同は、好む好まないに関わらず、知らずの内に真理の言動に引きつけられていた。
 ムマの事件は解決している。犯人は高嶺健治こと、野木政志。
 杏子、東光、アサギを初め、体育館に集められた人達は皆、心の中では分かっていた。これから開く第二幕の犯人が、この中にいると言う事を。
 杏子はそれぞれの表情に注目した。
 まずは真壁美保だ。一時、彼女は取り乱したものの、今は平静を取り戻している。強ばった顔は、時折恐れるように真理へ注がれる。
 その志保に支えられているが、橘ヒカル。彼女は死人のように青ざめた顔で、爪先を穴の開くように見つめていた。橘はサバトのメンバーであり、ムマの一人だった。サラリと真理は橘のことを流してしまったが、それは橘の為を思ってのことだろう。
 橘の左に立っているのは、清々しい顔をした田島麗華だ。自らを襲った犯人。その全てを知った上で、田島は乗り越えた。自分の過去と一線を引くことが出来た。
 空っぽになったステージの前を通り過ぎ、右側へ視線を巡らせる。
 矢上雄平は神妙な面持ちで橘と、真理を交互に見つめている。何を考えているのか、杏子には窺い知れない。矢上は橘が好きだったのだろう。その橘がムマだったのだ。そのショックは計り知れない。
 矢上の隣にいる三木歌音は、落ち着かない視線を其所此処へ送っていた。彷徨う眼差しは、必ずアサギの上を通過し、再び別の所へ流れていく。硬く一文字に結ばれた口元は、視線とは逆に頑なな力強さを感じさせた。
 少し離れた場所では、湯川緑が俯いている。彼は、此処に来てからまだ一言も発していない。ただ黙って俯いているだけだった。杏子には、何故彼が此処に呼ばれたのか。全く分からなかった。
 最後は伊藤空太。最初は壁に背を預けていた彼だったが、今は三木の隣に立って凝然と真理を見つめている。ぶれることのない眼差しは、何処か挑戦的であった。
 松下が残っていたが、彼は明らかにこちら側。教師という役職を忘れ、目を輝かせて真理の謎解きの行方を見守っている。
「………」
 真理は無言で一同を見回した。政志を墜とした時とは違う、憐憫の情を浮かべていた。
「もう、分かっていると思うけど。俺は犯人が分かっている。もし良かったら、名のり出てくれると助かるんだけどな」
 真理の言葉に、皆は視線を寄越すだけで他の反応を示さない。
「さっきも思っていたんだけど、何故そんなまどろっこしいことをする? もう分かっているなら、さっさと謎解きをすれば良いじゃない」
 アサギだ。彼は真理のやり方を疑問に思っているようだ。それは杏子も同じだ。先ほどから、話があっちに行ったりこっちに行ったりして、理解するので精一杯だった。彼ならば、順序立て、理路整然と説明することが出来たはずだ。
「………ムマの事件は、確かに明確な犯人がいて、杏子の唱える『正義』を執行する必要があった。だけど、こっちの事件じゃ正義を執行したとしても、誰も助からないし、助けられない。皆が傷つくだけだ」
 薄暗い眼差しを真理は体育館の冷たい床に向ける。日もだいぶ傾いてきた。シンッと静まりかえった体育館は、足元から冷気が這い上がってくるようだった。
「だから、犯人に名のり出ろって言うの? アンタ、馬鹿じゃないの?」
 三木の声が体育館に響き渡る。真理は顔を上げる。
「アンタ、本当は犯人なんて分からないんでしょう? 人が傷つくとか言ってるけど、そんなの、アンタには関係ないでしょう? ムマだって、偶々分かっただけなんでしょう? あんな支離滅裂な、道筋も何もない話で、この場のみんなを混乱させただけでしょう?」
「珠洲君、そうなの? 犯人、分かってないの?」
 心配そうに美保が声を掛ける。チッと、真理は小さく舌打ちをする。
「犯人なら分かってるよ。ついでに、志保の自殺の動機も、彼女のが残したメッセージも解き明かした」
 その言葉に美保が凍り付いた。
「どこに、そんなのがあったの? メッセージって何?」
 美保が足早に真理に歩み寄る。美保が伸ばした手が真理に触れようとした時、東光が真理と美保の間に立ち塞がった。
「……真理はムマを墜とすと同時に、全ての謎を解き明かすことも可能だった。だが、真理はそれをしなかった。それは、傷つかなくても良い人が傷つくからだ。その人達を守ろうとして、ムマの事件はあんなゴチャゴチャな謎解きになった」
「……ま、話の要点をすり替えて話したからな。それは仕方ない。この事件はね、独立していると言ったけど、要所要所で絡み合ってる。例えるなら、一本の大樹から伸びた、真壁志保という枝に、ムマという蔦が絡みついている。俺は、一方向から見えている蔦だけを切っていった。だから、こんなまどろっこしいちぐはぐな解決方法になったんだ」
 真理は扇子で東光の肩をポンッと叩く。東光は僅かに横にずれる。真理は美保を正面から見つめた。
「志保のメッセージは美術室にありましたよ。先生も、矢上も、橘先輩も、そのメッセージを目にしているはずだ」
「何よそれ、どこに志保のメッセージがあるのよ! 私は、何も見ていないわ!」
 橘が酷く狼狽している。彼女は、未だ自分に志保が自殺した要因になっていると思っているのだ。
「珠洲! 部長のメッセージがあるのなら、教えてくれ! 何処にあるって言うんだ? 俺達は、何も知らないぞ!」
 感情的になった矢上が声を荒げる。
 杏子は改めて一同を見渡す。湯川緑以外、一様に真理に視線を張り付かせている。三者三様の表情を浮かべている。
「真理」
 杏子は真理の肩に手を置いた。思ったよりも華奢な肩だ。先ほど政志を吹き飛ばした力がこんなにも細い体に眠っているとは、目の当たりにしておきながらも信じられなかった。
「業をみんなで分け合うと言ったばかりだろう。結果がどうなろうと構わん。嫌なことは、皆で分け合えば良い」
 もはや、この場を終息させる方法は一つしか無いと思われた。何よりも、杏子自身が解決を望んでいる。どんな結果になろうとも、後悔はしない。
「そうだぞ、短小遅漏でマグロ真理」
 アサギは厳しい眼差しを三木へ向ける。彼女も、いい加減三木のぶしつけな視線に辟易しているようだった。
「もう洗いざらい話してしまえ。こいつらがそれを望んでいるんだ。やるべきだろう」
「ウム」
 アサギの言に、東光が頷く。
「そうよ真理。私だっているんだから。もし真理が傷ついたなら、私の胸で泣いて良いんだからね♪」
「朝輝、何を言っている。お前の何処にそんな胸があるというのだ? お前に泣きつくくらいなら、そこらに立ってる電信柱の方がまだマシだろう」
「なんですって、アン子!」
「事実を言ったまでだ!」
 やいのやいのと始める二人を見て、真理は頬を緩めた。
「ったく、こいつらみたいに俺も気楽だったらな」
 真理の呟きに、騒いでいた杏子と朝輝は口を閉じた。
「……これ以上貴様が気楽になったら、それこそ収拾が付かないだろう」
「そうよ。少しは東光君みたいにシリアスキャラになってよ。真面目モードは一時間と保たないんだからさ」
 東光が大きく頷いた。
「んじゃ、仕方ないか。此処らにいる何人かには、死んで貰うとするか」
 クルリと手の中で奥義を回転させた真理。彼が扇子を向けたのは、体育館の壁。そこに絶妙のタイミングで、新しい映像が映し出された。その映像は、時計塔の壁に書かれた血文字だった。


 これは、四月十四日に、時計塔の白い壁に書かれた禍々しい赤い文字。幾つもの筋がたれるその文字は、見ているだけで胸が悪くなる。
「まず、全ての発端となった真壁志保の事件。彼女が自殺の際に残したこの言葉。『天よりの死者、降臨し望みを叶えん』。これは、彼女の残した恨みのメッセージに思えるけど、それは違う」
 真理はゆっくりと皆に向き直った。
「違うって、どういうこと? あの子は、志保は私を恨んでいるんじゃ……?」
 すっかり体が冷えてしまったのだろう。青ざめた表情の橘が震える声で言った。
「……橘先輩、この前も言ったでしょう? 恨みというのはね、死んだ人間が残すものじゃない。死んだ人間は、そこで終わりなんだ。恨みというのは感情だ。死んだ人に感情があるはずがない。恨みを抱くのは、生きている人間。つまり、橘先輩自身が、自分自身を恨んでいると言う事なんだよ。真壁先生もそうです。もう、妹さんは死んだ。それを認め、現実に目を向けた方が良い」
「……そんな事は、死んだって何かが残るはずよ! そうじゃなきゃ、やってられないじゃない! そんな冷たく切り離しちゃったら、悲しいじゃない! 私の中にはまだ志保が生きているわ、絵だって沢山あるのよ。あの子は、私の中じゃ死んでいないのよ!」
 美保の慟哭が響く。真理は小さく溜息をつくと、扇子を広げた。
「死んだら悲しいでしょう? 人は死んだら終わりだ。偉人もそうじゃない人も、死んだら終わりだ。記憶の中に残ると言うけど、それは本人じゃなくて、記憶している人が作りだした幻と同じだ。人はね、失ってから初めて大切だったと気がつくんだ。そう思っている人ほど、死を受け入れられない。受け入れられないと言う事は、裏を返せば、死んだことを誰よりも認めている。取り返しの付かないことだと、分かっている証拠なんだ」
「……志保は、本当に自殺だったの? あの男に強姦されたから自殺したんでしょう? アイツが殺したんでしょう?」
 再び繰り返される質問。真理は首を横に振ると、腰を下ろしたまま立ち上がれない橘に手を差し伸べた。
「自殺です。S−NETで書いてある通り、自殺なんだ。彼女にとって、強姦されたという事実は、蚊に刺された程度にどうでもいい事だった。貞操観念があるとかないとか、そう言う意味じゃなくて、志保は、恐らくこの世界を諦めていた」
 冷たい手を取った真理は、橘を立たせた。
「諦めていた? どういうこと?」
 橘は涙を拭い、真理を正面から見る。
「その理由は、橘先輩と真壁先生が一番良く分かっていると思う。真壁志保には、絵の才能がなかった。そうだよね?」
 その言葉は、橘、美保、そして反対側にいる矢上に向けられた。矢上は真理の視線を受けると、サッと顔を背けた。
「……才能は、なかったんだと、思う……」
 矢上は掠れた声で答える。
「俺が言うのも何だけど、部長は、本当に努力していた。だから俺も、努力すればあそこまで行けるんだ、そう思っていたんだ」
「………分かってたわよ。志保は、これ以上先へは進めないって。私も、志保も分かってた。だけど私は許せなかった。私の夢は志保に託したの。その志保が諦めるなんて、あり得ない。一人じゃダメでも、二人なら、きっと二人なら何とかなるって……。父さんに近づけるって、私は思っていたの」
「先生……」
 橘の伸ばした手を、美保は払い除けた。
「貴方が悪いのよ! 橘さん! 貴方が、貴方さえ志保の近くにいなければ! 圧倒的な才能の前には、どんな努力も無意味。志保は、橘さんを見てそう思ったのよ。誰が殺したのでもない、やっぱり、志保は橘さんが殺したのよ!」
 辛い叫びだった。美保に突き放された橘は、ボロボロと大粒の涙を零して嗚咽を漏らした。両手で顔を覆い、止めどなく流れる涙を拭っていく。
「イヤイヤイヤ! イヤヨ! 私は殺してなんかいない! 私だって志保のようになりたかった! ずっと一所に居たかった! でも、あの子は私を否定したの! 拒絶したの! 先生まで私を拒絶しないで! 見捨てないで! お父さんとお母さんみたいに、私を見捨てないで!」
「黙りなさい! 貴方がいなければ、志保は死なずにすんだ! 貴方が死ねば良かったのよ!」
「真壁教諭、それは違う!」
 杏子の力強い言葉は、乱れていた美保の心を宥め、壊れかけていた橘の精神を繋ぎ止めた。
「死んで良い命などあるはずもない! 真壁教諭、貴方は教師失格だ! 妹の本当の気持ちも分からない貴方が、生徒の気持ちが分かるはずもない! 志保を殺したのは、真壁教諭、貴方の父への強い執着心から生まれた醜い心だ! 責任転嫁は止め、いい加減それを認めるのだな!」
 杏子の言葉に真理は頷く。
「志保が自殺したのは、橘先輩が賞を取ったことでも、ケンカしたことでもない。志保の自殺は、一年前から決まっていたことだったんだ」
 真理が扇子を閉じると、壁に投影された映像が変化した。今度は、色鮮やかな十二枚の絵がズラリと並んだ。真壁志保の残した絵画だ。
「この中には、いま美術館に展示されているものも含まれている。高校になって書き始めた十二枚絵、左から順に作成されている」
 真理は鉄扇を先を一番左端の絵に向けた。
「タイトルを読み上げると、人魚姫の恋、儚い夢、我が春、静寂、Now!、魂の居場所、輪廻、短冊に願いを、幽玄の刻、UMI、名残雪、FREE MANとなる」
「真理、この絵にメッセージが隠されているというのか?」
「ああ。杏子は、この絵を見て何か気がつかないか?」
 杏子は多種多様なタッチと色彩で描かれている絵を見つめる。杏子だけではない、真相を知らない東光を覗く全員が、食い入るように絵を見つめている。今まで爪先を見つめていた湯川でさえ、興味を引かれたのか絵に視線を漂わせている。
「ん〜。タイトル……は、全く関連性がないな。絵にしてもそうだ。色使いも、使っている絵の具も皆違う」
 真理は頷く。確かに、一見すると関連性は見られない。しかし、この絵にはただ一つだけ共通している部分があるのだ。
「この絵には、全て花が咲いているな」
 アサギだ。真理は「良く出来ました」とアサギの小さな頭を撫でる。
「触るな、下衆! 妊娠したらどうする!」
 手を弾かれた真理は「妊娠するわきゃないだろう。俺、どんだけ遊び人なんだよ」と口の中で呟く。
「アサギの指摘通り、この絵には一二種類の花が咲いている。俺はこの絵を見て、最初から違和感を感じていた。最初は意味が分からず、モヤモヤが続いたけどね、改めてこの絵を見て気がついた。さて、次の質問だ。この並びを見て、異変に気がつく人は?」
 真理が目を向けると、誰もがサッと視線を逸らす。まるで、教師から指されることを恐れる生徒のようだ。事実、教員である松下も真理の視線を受けて恥ずかしそうに視線を逸らしていた。
「三木、学年一位の君なら分かるかな?」
 真理の言葉の中には、どこか嘲りの色が浮かんでいた。ニュアンスでは、分かって当然と言っているようだ。
「………分からないわ」
「そうだろうね。んじゃ、アサギは?」
 杏子の上を飛び越し、アサギに質問をぶつける。
「私はスルーか」と呻く杏子を、そのままスルーする。
「間違っているかも知れないけど、絵は丁度十二枚ある。それに花の種類も十二種類。季節か?」
 満足そうに真理は頷く。
「正解。この絵は、志保が書いた順に並んでいる。元々、絵の内容に季節を表すものが幾つかあるけれど、この絵に画かれている花は、その季節には咲かない花なんだ。俺が感じていた違和感って言うのは、このことだったんだ。絵の中の季節と花が矛盾している。そこで、俺は絵に画かれている花を季節順に並べ替えた。すると、志保が残したメッセージが浮かび上がったんだ」
 真理は言葉を止める。真理の話は理解できただろうが、どの花がどの時期に咲くのか、明確に分かるものはいないだろう。真理は声を張り上げる。
「まず人魚姫の恋。天高く伸びる塔を、海面から見上げる人魚。その海の中に漂っている花は、ヒマワリだ。これは、八月に相当する。
 儚い夢は、抽象画だな。淡い桜色の光と、紺色の光が上下に分かれていて、中央で混じり合っている。そして、絵の全体に舞っている花弁は桜の花弁だ。これは、今の季節、四月にあたる」
 真理の開かれた鉄扇にも、桜の花弁が舞っていた。志保の絵に比べると、こちらの方は血のように赤い。
「我が春は、花の咲き乱れる農村を描いた風景画だ。遠方に見える農村は緑が溢れて花が咲き乱れているのに、手前に見える花は雪を被っている。これは一月に咲く寒椿だ。
 静寂は、花瓶と机、イスを書いた具象画だ。花瓶に生けられている花は、誰もが知るチューリップだ。これは三月にあたる。
 Now!は、防波堤から海に飛び込もうとしている少年を描いている。少年の手にしている紫色の小さな花、これは十二月に咲く蛇の目エリカだ
 続いて、魂の居場所。白地に様々な色の線が引かれ、中央に魂と思われる黄色く輝く固まりを囲んでいる。この中で、異物のように吹き荒れる真紅の花弁は、二月に咲く梅の花だ」
 圧倒的な真理の言葉に、口を挟むものもいない。真理の説明に耳を傾け、壁に投影されたイラストを順に目で追って確認している。
「続く輪廻も具象画だ。皿の上に置かれた三つのリンゴ。左のリンゴは新鮮なもので、真ん中が腐っているもの、右側は蟻に分解され、ほとんど原形を止めず崩れている。この絵の中で、その背景となっている花がある。木に咲く黄色い花弁は、良い香りを出すキンモクセイ、つまり十月だな。
 短冊に願いをは、見た通り七夕の笹を描いている。複数の笹に括り付けられた色取り取りの短冊。笹の下に見える黄色と白の花は、十一月に咲く菊だ。
 幽玄の時は具象画だ。これは、セピア色の背景に、イスの上に置かれた花瓶と、そこに生けられた花をくすんだ様に描いている。この花瓶に生けられた白い花は、六月に咲くユリの花だ。
 崖とその向こうに広がる大海原を描いたUMI。青空に舞い上がる花弁は、七月に咲くコスモスの花だ。
 透き通った湖と、その向こうに広がる未だ雪を被った山々を描いた名残雪。湖の畔に咲き乱れる赤い花は、九月に咲くジニアの花だ。
 そして最後となるFREE MAN。両手を広げる少女の足元に広がる黄色い花は、五月に咲く菜の花だ」
 真理は全ての絵に画かれている花を言い上げた。
「十二枚の絵に描かれている花を元にして、一月から十二月まで並べ替える」
 真理はもう一度鉄扇を振る。それに合わせて、アサギがプロジェクターの映像を切り替える。十二枚の絵が命を得たかのように、壁の上を滑り、真理の指示通りに並び変わった。
「我が春、魂の居場所、静寂、儚い夢、FREE MANは自由人、幽玄の時、UMIは海、人魚姫の恋、名残雪、輪廻、短冊に願いを、Now!は今。これの頭文字を読み取ると、どうなる?」
 真理は隣にいる杏子に水を向ける。杏子は目を見開いて、それらの頭文字を読み上げた。
「わ た し は じ ゆ う に な り た い。私は自由になりたい、となるな」
「これこそが、真壁志保が高校生活と、自らの命を使って作られたメッセージだ。真壁志保は、最初から自殺する事を心に決めていた。彼女は死ぬ事でしか自由になれないと分かっていた。思い込んでいた。だから、彼女が橘さんを恨むなんて事は無い」
「嘘よ! 嘘嘘嘘、嘘よ!」
 美保が膝を付いた。
「私達はずっと二人で頑張ってきた。もしイヤなら、絵を書くのがイヤだったら、どうして一言言ってくれなかったの……。私達はたった二人の姉妹じゃない! 志保は、私の特別だったのよ!」
「だからだと思います。志保は真壁先生の特別だった。だけど、本人は自分を特別だとは思っていなかった。自分の才能では、真壁先生の望む『特別』になれないと分かっていた。だから、せめて自分を特別な存在にしようと、死の間際に、時計塔の壁にメッセージを残した。少なくとも、そうすることによって、自分は死んで特別になれると思っていたんだ。形は違うけど、それで志保は真壁先生の特別になれると思ったんだ」
 確かに特別だった。今、この瞬間までは。だが、真理が志保の命を掛けてまでも作りだした特別を、幻想を破壊した。
「志保……志保……志保! 何て馬鹿な子なの! 死んだら、それで終わりじゃない! 貴方は、ただいるたけで私の妹なの! 他に志保の変わりを出来る子なんていないの! 何で……何で、何で!」
 真理は目を閉じる。
「言葉はもの凄く不便だ。自分の気持ちを伝えるには、余りにも稚拙すぎる。口にした所で、聞く人によって様々に解釈されてしまう。それでも、大切な言葉は生きている内に言うべきだ。死んでから言っても、言葉は何の意味も持たない」
 真理は口を噤み、美保の元へと歩いた。蹲り、声を殺してなく美保の肩に、鉄扇をそっと当てる。
「これが、志保の自殺の真相です。他に異論を挟む余地はない」
 真理は鉄扇を手元に戻すと、アサギに向かった頷く。アサギはプロジェクターを消した。
 途端、体育館の照度がグッと下がったように感じられた。体育館に差し込む光は、徐々に少なくなってきている。血のように赤い光を、真理は一人で受けていた。誰もが、この劇は終幕に近いと感じていた。
「真壁志保の自殺は、あるS−NETの中に一つの変化をもたらせた」
「そのS−NETは、ミューズだな」
 杏子の言葉に真理は頷く。ゆっくりと、居並ぶ各人の前を真理は弧を描くように歩き出す。
「橘ヒカル殴打事件と同時に起きた、時計塔血文字事件。現場にいた人物は、被害者の橘ヒカル、矢上雄平、伊藤空太、三木歌音の四人だけ。橘先輩は、何者かによって後頭部を殴打され、さらに側頭部、背中を重点的に叩かれた」
 真理が橘に視線を向けると、橘は頷く。
「その時、一番近くにいたのは矢上、お前だな? 本当に、何も見ていなかったのか?」
 挑戦的な眼差しと、挑発的な口調。矢上は顎を引き口を閉じる。その視線は一つの信念に突き動かされているように頑なだったが、全てを見通す真理の視線を受け続けると、僅かに揺れた。
「……ああ、本当に何も見えなかった……」
「だろうね」
 真理は矢上の言葉を肯定した。
「確かに、矢上に犯人を見る事は不可能だ。だって、矢上こそ、橘先輩を殴打した犯人なんだからね。犯人に犯人を見ろって方が、無理な話だ。」
 ハッと、矢上の顎が上がる。その様子は、空気を吸う為に水面に口を出した魚のようだ。
「そして、矢上が先輩を殴っている隙を突いて、時計塔の壁に血文字を書いたのが、三木歌音と伊藤空太の二人だ」
 意外な事に、三木と伊藤は名前が挙がっても、微動だにしなかった。ただ、底光りのする眼差しを真理に注いでいるだけだ。
「珠洲、証拠はあるの? 私達がやったって証拠はあるの?」
「証拠はないよ。ただ、それは一つの事件を見た時の話。他の二つの事件も同時に考えれば、それぞれが補足しあい、全てが合致が行く」
「俺が先輩を殴ったって? 馬鹿な、だって、凶器がないだろう!」
「凶器ならある。東光!」
 真理が叫ぶと、東光がポケットからペットボトルを取り出した。東光の放ったペットボトルを、真理は受け取る。ペットボトルの中には、三分の一ほど水が入っていた。
「実際に使われたのは、このサイズじゃないけどね。橘先輩を殴打した凶器は、ペットボトルなんだ。水を少しだけ入れて振りかざすとね、振り下ろされる力と遠心力で、水は底の方に押され、もの凄く硬くなる。ヘタをすれば、人を殺すくらいワケのない凶器になる。ペットボトルを持っていても誰も不思議には思わないからな。それに、壁に書いた血文字。そこに寝転がっている野木政志から聞いた所、血ではなく絵の具のようだったと言っている。事実、大した時間も掛からずに落ちたのだから、それは本当なんだろうな。
 美術部である矢上が、水の入ったペットボトルと絵の具を持っていたとしても、誰も不思議には思わない。違うか?」
 矢上は言葉を失う。真理は矢上から、伊藤へと視線を向けた。
「次に、伊藤先輩の事件。貴方は、体育倉庫で見えない犯人に殴られたと言っていましたね? それは、半分正解で半分嘘だ。殴られたのは本当だけど、犯人は見ているはずだ。いや、共犯なんだから、当然と言えば当然。貴方は、真壁志保を『特別』の存在にすべく、自らを犠牲にしたんだ。殴ったのは、矢上雄平だ」
 伊藤は矢上を見やる。矢上も伊藤を見る。わななく唇に、青ざめた顔。二人の顔には、明らかに動揺の色が浮かんでいた。
「……なら、第三の事件は、私が犯人だって言いたいの?」
 三木の言葉に、真理は「まあ、実行犯じゃないけどね」と意地悪な笑みを浮かべる。真理の笑みを受け、三木の表情がサッと険しくなる。
「窓ガラスが割れたのは、三木歌音、お前が作っていた高周波発生器だ。それを、窓枠にでも繋げれば、共鳴反応を起こし、窓ガラスを割ることだって出来る」
「それじゃ、カンバスに浮かんだ血文字はどうなの? あれは、どう説明するのよ!」
 噛みつく三木。その様は、すでに自分が犯人の一人であると認めているようなものだった。真理はそんな三木に真っ向から立ち向かう。
「塩化コバルトの水溶液を使ったんだろう。塩化コバルトは、水分を含むと赤く着色するからな。アサギ、お前が言っていたよな。科学準備室から、百グラムほどの塩化コバルトが盗まれたって」
「ああ、S−NETに書き込みを私が読み上げた時だな。あの時は、取り分け気にもしていなかったが。なるほどな」
 アサギが呆れた様子で三木を見る。アサギの蔑んだ眼差しを見て、カッと三木の顔が真っ赤に染まる。
「馬鹿ね、塩化コバルトは青色で、少しの湿気でも着色するのよ? 予めカンバスに文字が書かれていたなら、青く見えたはずだわ! 土曜日は、一日中曇り空。事件があった時には、雨が降っていたわ。幾ら室内でも、すぐに湿気を吸って色が変わってしまう」
「知ってるよ」
 真理は扇子を三木に突きつける。気に押され、三木の細い体は後方へ傾ぐ。三木の心情を表すかのように、頭上の白いリボンが細かく揺れていた。
「だから、水溶液を塗ったカンバスに、蝋を塗っていたんだ」
「蝋だと? あの、百目蝋燭などに使われる蝋か?」
 杏子の呟きに、真理は「そうだよ」と答える。
「女の子らしく、キャンドルとか、可愛らしく言えないのか、お前は」
「ム、キャンドルだろうがキンドルだろうが、蝋燭は蝋燭だろう」
「真理、女子力ゼロのアン子にそんな事も言っても無駄だって。それに、キンドルはリーダーだって」
「確かにな。杏子には女王様が使う赤い蝋燭が似合っている。で、その蝋を使って、絵を保護したのか」
 杏子に朝輝がツッコミ、それをアサギが纏める。何ともおかしな図式が出来上がりつつあるが、真理は逸れかけた話を元に戻す。
「石油の精製工程で作られる、常温で白色の固体。普通は蝋というより、ワックスと言われる。知っての通り、常温では板状、針状など、様々な形に変容する無定型の結晶体だ。これが塩化コバルトの上に塗ってあれば、青い文字はワックスの白色が消してくれるし、表面をコーティングして湿気を吸わない。ワックスは、四十度から容易に融解し溶融粘度は低い。だから、窓ガラスが割れた隙に、表面温度が250°以上に上昇するハロゲンランプを点灯すれば、その照射熱であっという間に蝋は溶け、周囲の湿気を吸ってカンバスに塗られた塩化コバルトは赤く変色する。血文字がたれて見えたのは、実はその逆で、ワックスが流れ落ち、変色した所とムラが出来たからに過ぎない」
「そして、それが出来るのは、やはり矢上と言う事か」
「三木が知恵を出し、矢上と伊藤先輩が実行する。現場にいた三人が共犯で、犯人を見ていない、見えない何者かが橘先輩を殴っていたと証言すれば、そこで犯人の足取りは途絶える」
 矢上雄平、伊藤空太、そして三木歌音。いつの間にか、三人は肩が触れ合うほど近づいていた。
「だけど、やっぱり証拠がないわ。私達三人がやったって言う証拠がない!」
「確かにね、犯行現場から、お前達三人を糾弾できるような証拠はない。けど、お前達三人がミューズのメンバーだと言うのなら、話は別だ。動機も生まれるし、三人が知り合いだったと言う事も証明できる」
「証拠があるのか?」
「俺達三人が、ミューズのメンバーだという確証が、お前にあるのか?」
「ある。証拠は此処にある」
 矢上、三木、伊藤の顔色が変わった。
 真理は胸ポケットから、写真の束を取り出した。それを、思い切り空へ向かって放る。沢山の写真が天井付近で弾け、ヒラヒラと、色取り取りの写真が花弁のように舞い落ちる。
 朝輝は手元に落ちてきた一枚の写真を手に取った。その写真では、真剣な表情で絵に向かい合う一人の少女が写っていた。真壁美保に似た風貌の美人だ。
「これって、真壁先輩……? こっちは、三木さんの写真に、伊藤先輩の写真」
「フム、これは矢上学徒の写真だな」
 体育館中に散らばった写真を、矢上、三木、伊藤意外の人は手に取っていた。どの写真にも、志保を含めた四人が写真に載っている。メインで写っているのもあれば、風景の一部として遠くの方に写っているのもある。真理は皆が写真を見ていることを確認すると、声を張り上げた。
「その写真にミューズのメンバーだと示す物が映っている」
 真理は四枚の写真を手にした。写っているのは、登校時の気怠い表情を浮かべた志保。食堂で一人で食事をする三木。友人と談笑をしている矢上。練習に打ち込んでいる伊藤。
「真理、この写真に共通点があるというのか?」
「ああ、この写真に、三人がミューズだという証拠がある」
 足元に広がる写真を見て、杏子は眉根を寄せる。そして、やおら手を叩いた。
「リボンか……。真壁女史は、常にトリコロールカラーのリボンをしているな。三木女史は、白いリボン。矢上学徒は青いイヤリングで、伊藤学徒は赤いリストバンド」
 満足そうに真理は頷く。一同の視線が立ち尽くす三人に注がれた。今、この時も三人は杏子が指摘した通り、白いリボンに青いイヤリング、赤いリストバンドをしていた。三人は、ショーウィンドに立つマネキンのように表情をなくし、固まって身じろぎ一つしなかった。
「S−NETの主催者である真壁志保は、トリコロールカラーのリボンを常にしている。そして、そのメンバーたる三人は、トリコロールカラーを構成する赤いリストバンド、白いリボン、青いイヤリングを常に着用している」
 鉄扇を広げた真理は、その上に手にしていた写真を載せる。三名が、鉄扇に載せられた写真を見た。悔しそうに、三木が唇を噛んだ。
「この写真は、写真部の井上御津の協力で手に入れた」
「あれを協力というのか? 最後の方は、美の顔は鼻水と涙で見られた顔ではなかったぞ」
「無断で写真を撮りまくってるんだ。それくらい協力して貰わなきゃな。昨日の夕方からさっきまで、東光と御津は寝ずに写真を選別してくれた」
「俺は寝ちゃったけどね」と、真理の調子の外れた笑い声が体育館に響き渡った。
「………何で分かったの? 私達がトリコロールカラーの品物を身につけていたからと言って、それだけでミューズと結びつけられるとは思えない」
 真理の笑い声を、小さな三木の声が遮った。真理は笑うのを止めると、再び鋭い眼差しを三木へ注ぐ。
「それが、結びつけられるんだよ。真壁志保がRISと名乗っていた時から、俺は怪しいと思っていた。オルレアン、ニース、マルセイユ。名乗っていたお前達なら知っているだろう、この名前の由来を」
 オルレアン、伊藤空太が顔を上げた。
「これは、フランスの都市の名前だろう?」
 マルセイユ、矢上雄平が答える。
「それで、何故そうだと分かった? 説明になっていない」
 ニース、三木歌音が応じる。
「そうよ、矢上の言う通りよ。この名前だけじゃ、私達と関連づけられない」
 真理は「んじゃ、もう一つ聞くけど」と前置きをした。
「RISって、何の名前か知っている? 何故、RISだけ、アルファベット表記だか分かるか?」
 真理の質問に、三人は口を噤んだ。他の人達も、誰も何も答えられない。それもそうだろう、RISなんて町は、フランスには存在しない。
「これはね、パリを指しているんだ。Parisと書いてパリ。だけどね、RISという都市も、遙か昔には存在していたと言われているんだ。ParisのPaには、近いという意味がある。現存するパリは、本当は『Pa・Ris』となる。つまり、『リスに近い』、若しくは『リスに似ている』という意味になる。リスと言うのはね、余りメジャーじゃないけど、アトランティスやムー大陸と同じく、一夜にして海の底に沈んでしまった都市と言われているんだ」
 真理は言葉を切り三人を見つめる。真理の眼光に射すくめられたかのように、三人は表情を強ばらせた。
「真壁志保は本物になりたかったんだろう。偽りではなく、本当に特別な存在になりたかったんだろう。だから、自らをパリではなく、リスと名乗った。俺はね、三人と話して良く分かったよ。お前達は、真壁志保と同じ傷を抱えている。誰かの特別になりたくて、ずっと一人で頑張っている」
「クッ……」
 矢上が崩れ落ちた。悔しそうに、何度も何度も、体育館の床を叩く。そんな矢上の背中を、両脇にいた三木と伊藤が優しく撫でた。
「三木歌音。お前は本当は一人がイヤだったんだろう。勉強も出来て、教養もある。お前にとって、同学年の生徒は、子供に映った」
 三木は唇を噛み締めて、真理を見上げた。眼鏡の奥にある瞳は、充血して赤くなっていた。
「だけど、本当は一緒に遊びたかった。同じ部活の人達と、一緒に実験やおしゃべりをしたかった」
「馬鹿な……私が、この私が、あんな低脳な奴等と……」
「何を今更。S−NETに書いていたじゃないか、一人はイヤだと。こんな生活はイヤだと」
「だけど! アイツ等は、アイツ等は、私を受け入れてくれなかった……私を、一人にしたのよ! そこのアサギもそう!」
 指を刺され、アサギは面食らったように目を丸くした。
「私が何をした?」
 不機嫌そうにアサギが口を尖らせる。
「小学生の時、私は……貴方と仲が良かった……。他の馬鹿共と違って、アサギとは話があった。だけど、アサギは変わった! そこの女が変わったのと同じ時に、ガラリと変わった!」
 鬼の形相で、杏子を睨み付ける。杏子は眉を僅かにしかめたが、その眼差しを受け止めた。
「………そうだったか。思い出したわ。高校から一緒だと思っていたけど、小学生の時からの馴染みだったのね。ほとんど引きこもっていたから、すっかり忘れていたわ」
 ポリポリとアサギは頬を掻く。そんなアサギを見て、更に三木は怨嗟の念を口から吐き出す。
「忘れていたですって? 貴方は訳の分からないコスプレにはまって! 私は、ずっとずっと寂しかったの! だって、誰も私を見てくれないんだもん! 都合の良い時だけ、ノートを写すような奴等ばかり! 必要がなくなると誰も声を掛けてくれない! でも、私はまだ我慢できた。悲しかったし、寂しかったけど、真壁さんは私の痛みを分かってくれた! 私を、特別な友達だって言ってくれた! このリボンをしていれば、皆と繋がっているような気がした。そんな真壁さんが、特別じゃないって、そんな事を言って死んじゃったら、私はどうすれば良いの? 私にとって真壁さんは特別な存在だった! かけがえのない存在だった!」
 三木の瞳から涙があふれ出した。顔をクシャクシャにしながら涙を流した。夕日に照らされ、涙はルビーのように美しく輝いていた。
「……三木。お前は勘違いをしている」
 三木の表情が強ばった。アサギは息を吸い込むと、ハッキリと三木に告げた。
「回りがお前を拒否したのではなく、お前が周囲を拒否したのよ! 他人を見下し、嘲り、その結果が今のお前だ! 他人のせいになどするな!」
「……だけど……皆は……」
「三木、お前は皆に溶け込もうとしたか? していないだろう? 誰もが普通に人と接していると思うのは、間違いだ!」
 アサギは声を上げる。三木は、堂々と声を張るアサギから顔を背けるしかなかった。
「私は人のことを言えないけど、そこにいる朝輝が良い例だろう。こんな馬鹿そうに見える女だって、意外に人望がある。コイツはコイツなりに、必死に努力して人望を築き上げた。人付き合いというのは厄介なことに、多くなれば多くなるほど、トラブルというのは多くなる。それを、この朝輝は自分なりに調整している。
 真理も東光もそうだろう。こいつら二人は、お前とは違う意味で教師や一部の生徒から絶大な信頼を勝ち得ている。それは、この二人が自らの利を捨てて人の為に尽くした結果だろう。
 人は自然に集まってくるものではない。こちらが歩み寄り、初めて近づくことが出来る。お前は利口だ。私が言わなくとも、そのくらい分かっているだろう?」
 三木は項垂れた。もう、アサギに対して敵意の込められた視線を投げかける事も無い。ただ、力なく俯くだけだった。
「伊藤先輩。貴方は陸上部で特別な存在になりたかった。レギュラーになって、大会に出て活躍したかった」
 三木から伊藤へ視線を向ける。伊藤は真理から逃れるように顔を逸らした。
「ああ、そうだよ。中学の時から、ずっと陸上をやってきた。走るのが好きだったんだ。でも、好きだけじゃどうにもならないことがある。絵と同じだな、才能の前じゃ、努力なんて微々たるもの。幾ら練習量を増やしてもタイムは一向に伸びない。それどころか、後から入ってきた後輩にも抜かれる始末。俺はな、恥ずかしいけど一度も大会に出たことがないんだ」
「……努力は報われない、そう言いたいんですか?」
 伊藤は力なく首を横に振った。
「いや、そうは言わない。言いたくない。志保を間近で見たら、俺の努力なんて、何もしていないのと同じだったよ。俺はな、志保を尊敬していた。彼女はいつも言っていたよ。努力は無駄にならない。絶対に報われる時が来るって。それが、直接結果に結びつかなくても、絶対に、自分の為になるって……」
 乾いた笑いが伊藤の口から放たれた。
「だけど、アイツは死んじまった……。俺は、俺達は、せめてアイツの願いを叶えようと思った。形は違うが、アイツは特別だったって皆に知って欲しかった。俺は、志保ほど生きることに必死だったヤツを知らない。アイツが生きた証を、この学校にも残したかったんだ」
「結局、ばれちゃったけどな」、伊藤は力なく呟くと、両手で顔を覆った。
 最後に、真理は矢上へ目を向けた。
「矢上雄平。橘ヒカルを殴打し、窓ガラスを割り、カンバスに血文字を浮かび上がらせた実行犯。お前には同情の余地がない、と言いたい所だけど、たぶん、お前が一番根が深い」
 蹲り、肩を振るわせる矢上から橘へ視線を向ける。橘は真理の視線を受け、サッと目を逸らす。
「本来、この事件は矢上雄平、三木歌音、伊藤空太の三人の中で完結するはずだった。だけど、そこに橘ヒカルが入ったのは、恐らく偶然。あの時、あの場所に橘先輩がいたことが、計画を狂わせた」
「そうだな? 矢上」真理は蹲る矢上の背中に声を掛ける。矢上は涙で濡れた顔を上げると、橘を見つめた。矢上の視線を受けた橘は、憎々しそうに唇を噛み締める。
「俺は、橘先輩が好きだったんだ……。あの日、俺は真壁先輩に相談したんだ。二人は、本当に中が良さそうに見えたから」
 矢上の独白が薄暗い体育館に響く。僅かな陽光が、真理と矢上を照らし出していた。
「俺は、真壁先輩と一緒に橘先輩を探した。そして、見つけたんだ。誰もいない、放課後の美術準備室。そこで橘先輩はムマとやっていた。セックスをしていたんだ。俺の中で壊れたよ。清楚で、少し弱い部分がある橘先輩が、どうしようもなく穢れて見えた。真壁先輩は俺を慰めてくれたけど、俺は許せなかった。こんなにも俺は橘先輩を想っているのに。先輩は誰とも分からない男に股を開いて、よがっていたんだから」
「………」
 橘は何も答えない。顔色を失った橘は死人のように無表情だった。
 嗚咽を漏らし、これ以上言葉が続かない矢上に代わり、真理が続けた。
「橘先輩、この中で、一番深い業を背負っているのは、此処の三人じゃない。貴方です」
 真理の言葉に、ピクリと橘は反応する。言われた意味が分からず、「私は被害者よ?」と掠れた声を発した。
「それは、被害者の振りをしている、の言い間違いでしょう? 貴方は、自分を殴った犯人が誰だか分かっていた」
 橘の頬を引きつった。憎々しそうに、唇の端を釣り上げる橘。真理は、鋭い舌鋒を橘に向けた。
「あの時、貴方は運悪く中庭に訪れた。本来ならば、伊藤空太か、三木歌音が殴られるはずだった時に。俺の推測だけど、そこで矢上と言い争いにでもなったんじゃありませんか? そして、矢上に殴られた」
「では、どうして橘女史は何も見ていないと?」
 杏子の問いに、真理は「それはね」と前置きをした。
「ここで下手なことを口にしたら、何故矢上に殴られた、と言う話になる。そうすれば、自分が今までムマとして何をしていたか、それが白日の下にさらされる。もちろん、学校となればそんなS−NETを野放しには出来ない。停学か、ヘタをすれば退学処分だ。そこで橘先輩は考えた」
 鉄扇を顎に当てた真理は、橘の前で足を止めた。橘は、怒りの籠もった瞳で真理を睨み付けた。
「矢上、三木、伊藤先輩は犯人も何も見ていないという。時計塔に書かれた血文字を含め、全てを理解した橘先輩は、その話に乗った。自分も何も見ていないと言えば、彼ら三人に恩を売ることも出来るし、自分の身も安泰だからな。三人にしても、計画を続けられるから好都合だった。ここに、お互いがお互いを利用する図式が出来上がった」
 スッと差し出された鉄扇。ゆっくりと進む鉄扇が、橘の胸をトンッと突く。軽く押された橘だったが、ヨロヨロと蹌踉めいてペタンと腰を落とした。
「貴方は、誰かに依存しないと一人で立つ事も出来ない。この中では誰よりも弱い人だ」
 橘は反応しない。ただ、悔しそうにグッと小さな拳を握り締めた。
「……仕方ないでしょう?」
 虚ろな眼差しで橘は真理を見上げた。
「だって、この世界は大変じゃない! 一人で歩くなんてこと、できっこない! あの志保だって死を選ぶほどの、そんな過酷な世界なのよ? 私なんかが、一人で生きていけるわけがない! 誰かに頼らないと、生きていけるはずがない!」
「心で依存し、さらに体までも他人に依存する。それで、何かが変わったか? 今の自分を省みて、満足か?」
「……それは」
 次の言葉は続かなかった。橘は、口を開けたまま固まってしまった。
「橘先輩の言う通り、この世界は過酷だ。弱いものに対しては、残酷と言っても良い容赦ない仕打ちを下す。だけど、それは貴方だけじゃない。この世界に生きる、全ての人間に対して同じだ」
 真理は鉄扇を突きつける。
 橘は鉄扇の先を見つめた。
「貴方は、戦うことを諦めただけだ。いや、戦ってさえいない。早々に、白旗を揚げた」
「……そうね」
 橘は口を噤んだ。
 真理は溜息をつくと、目を細めて外を見た。予告した通り、あと少しで太陽は沈む。
「松下先生、これは俺からのプレゼントです」
 胸ポケットから小さく折り畳まれた紙を取り出し、松下へ向かって放った。松下は紙を受け取ると、それを開いて眉を顰めた。
「この名前は?」
「そこに書かれている十名が、現在のムマです。それをどうするかは、学校に一任する」
 真理の言葉に、橘は目を見開く。そして、今まで一言も話さず、俯いていた湯川へ目を向けた。
「その通り。そこにいる湯川緑が話してくれた。矢上が見た時、貴方の相手をしていたのは、そこの湯川緑だったんでしょう?」
 ビクリと湯川の体が震えた。
「どうして? あのことは、どんな事があっても話してはダメだって……」
 湯川は涙を浮かべた顔を上げた。幼さの残る表情は、悲壮を湛えていた。
「ムマなど、所詮はお遊び。高校生の火遊びでしかない。東光が聞いたら、快く話してくれたよ」
「……快く、じゃないけどな」
 東光は渋面を浮かべる。
「真理、お前って男は」
「最低ね」
 杏子とアサギの言葉に、真理は疲れた笑みを浮かべた。
「……なんで、分かっちゃうのよ。隠していたのに、なんで分かっちゃうの?」
 真理よりも疲れた表情で、橘は真理を見上げた。
「この世界には真実しか存在しない。唯一、嘘が存在するというのなら、それは人の心の中だけだ」
 謎解きを聞かされた者達の中に、この言葉に異論を挟は者はいなかった。
「以上が俺のQ.E.Dだ。質問は……あるわけないよな」
 橘の前から踵を返した真理は、僅かな残光を投げかける太陽を見つめた。真っ赤に染まった太陽、その光が徐々に弱まり、ついには消えた。
 真理の言う通り、誰も得した人のいない事件。謎を暴くことにより、ただ傷つく人が増えたという結末。後味の悪い解決に、関係者の誰もが一様に沈んだ表情を浮かべていた。
 遠くからサイレンの音が聞こえてきた。手はず通り、日暮れと共に警察が動いたのだ。
「終わったな、真理」
 浮かない表情をした杏子が呟いた。真理は杏子を見て口元を緩めたが、その視線はまだ厳しいままだった。
「いや、まだだよ。かだカーテンコールが残ってるさ」
 真理の言葉は、体育館の闇に飲み込まれて消えた。
 闇という幕が舞台に降りた。これで、事件は解決した。
(つづく)
(初出:2014年03月29日)
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登録日:2014年03月29日 19時18分

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