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天生諷
著者:天生諷(あもうふう)
極々平凡な会社員。毎日楽しい出来事はないかと、心の中で模索しながら生活をしている。旅行と昼寝をこよなく愛し、読書とゲームが生きる原動力となっている。群馬県在住。
小説/推理

世は並べて事も無し アノ子の理由(2)

[連載 | 完結済 | 全20話] 目次へ
十日間で事件を解決すると約束した正義部部長の杏子は、助っ人を求め真理と東光の元に向かう。校長の胸像の頭部を吹き飛ばし、罰としてプール掃除をするふたりを説得する杏子。一章「助っ人を探せ!」第一部。
一章 助っ人を探せ!

 生徒数三〇〇〇人を越す御陵高校。
 南北に分かれ校舎は二つある。五階に図書館、四階が一年生の教室、三階が二年生、二階が三年生の一般教室。一階には職員室と食堂、売店や書店が並ぶ五階建ての南校舎。美術室や音楽室など、特別教室が並ぶ四階建ての北校舎。
 此処までは普通の学校と大差の無い作りだったが、御陵高校を一目見た人は、間違いなく「なにこれ?」と、目の前に広がる圧倒的な光景に呟いてしまう。
 一言に校舎と言っても、御陵高校の校舎は普通ではなかった。御陵高校の南北の校舎は、ゴシック・リヴァイヴァル建築と呼ばれる手法で建てられていた。誰もが想像できる言葉に置き換えるならば、中世ヨーロッパを思わせる豪奢な作りの宮殿、そんな所だろう。
 ゴシック・リヴァイヴァル建築とは、十二世紀後半のフランスを発祥とするゴシック建築様式を踏襲したものである。元々、『ゴシック』とは蔑称であり、『ドイツ風』や『ゴート風』と呼んだのに由来している。ルネサンス以降、ゴシック建築はその姿を消していたが、十八世紀後半からゴシック建築の復興運動が起こった。その運動はイギリスから始まり、イタリア、ロシア、アメリカへと伝播していった。
 東西に延びる巨大な宮殿を想起させる校舎は、荘厳で壮麗だった。校舎の屋上には装飾となる小さな尖塔が等間隔で立ち並んでいた。縦に細長い窓が賽の目状に並び、巨大な大理石を幾つも組み合わされて建てられた校舎は、学舎とは思えない外観を形成している。
 南と北校舎は、東西にある渡り廊下で繋がっており、中央部には広大な中庭が存在していた。中庭には池や花壇があり、一年を通して季節の花々が見る者の目を楽しませてくれる。また、金木犀や桜、月桂樹などの木が点在しており、学校の中とは思えない落ち着いた雰囲気を作り出していた。
 しかし、一番この学校で人目を引くのはゴシック・リヴァイヴァル建築の校舎でもなければ、手入れの行き届いた中庭でもない。中庭の中央に建てられた、高さ二五メートルの白亜の時計塔だろう。校舎と同じく、細部まで細かな装飾の施された時計塔は、見る者の目を引きつけて放さない優麗さを備えていた。
 昔は時計塔の鐘の音で始業と終業を知らせていたが、騒音問題などがあり、最近では特別な行事以外で鳴らされる事はない。御陵高校のシンボルとして創設当初から建っている時計塔は、他校に誇れる物として大切にされていた。
 校舎の南側には一直線に伸びるアプローチがあり、その中央に巨大な噴水がある。アプローチの左右には、陸上部専用のトラックに、サッカーグラウンド、野球場、テニスコートなどが配置されている。校舎の東側には体育館があり、体育館の地下には一年中使用可能な室内プールがあった。
 御陵高校の鬼門の方角、北東の丘の上には神社がある。神社と言っても、滅多に人が踏み入れる事もなく、週に一度、用務員が清掃に赴く程度だ。御陵高校の敷地内にあるが、元々その神社は御陵高校建設以前より存在していた。寂れた社には特徴が無く、今は何の神様が祭ってあるのか定かではない。
 非常識な外観と恵まれた施設が充実する御陵高校だったが、やはりそこは普通の高校であり、ドラッグや売春、イジメなど何処の高校にもある問題が存在していた。生徒が多い分、御陵高校の内包する闇は深く濃かった。
 校則違反の生徒は厳重注意を受け、職員室前の廊下と食堂の掲示板に名前を晒される事になる。
 以前は掲示板に名前が晒されると学校中が大騒ぎになったが、この一年、毎日のように張り出されている紙を見て、反応を示す生徒はいなくなっていた。
 A4用紙には、短い一文がプリントされていた。

 以下の者に二週間の清掃を命じる
 二年一組 遠藤 東光
 二年一組 珠洲 真理

 詳しくは生徒指導の松下、用務員の高嶺に聞くこと。

 今は誰もが素通りしてしまうプリントを見て、女子生徒はゴクリと唾を飲み込んだ。
「男子、か……行くしかあるまい」
 今頃、彼はプールの清掃を行っているはずだ。女子生徒、御厨杏子は長い髪を揺らしながら室内プールへと向かった。
 容姿端麗、スタイル抜群。烏の濡れ羽色の髪は絹糸のように艶やかで、颯爽と歩く姿はイヤでも人目を惹きつける。ぶしつけな男子生徒の視線を受ける度、杏子の呼吸は速くなる。ドクドクと早鐘のように心臓が鳴り響く。体を巡る血の流れは速くなるが、対称的に体温が下がったように感じる。冷たくなった指先で拳を握り、杏子は心に仮面を被る。
 臆病で弱々しい自分とは違う、正義感に溢れ、誰に対しても渡り合える強い自分。目標とする正義の味方になりきるのだ。
 左腕に巻かれた赤い腕章に手を添える。正義と記された腕章は正義部の証であり、杏子が自分でいられる証だった。この腕章を付けている限り、杏子は別人になりきる事ができる。
 弱い心を仮面で隠し、深呼吸をするとこれまで乱れていた鼓動が落ち着きを取り戻す。寒かった体も常温に戻り、指の先まで熱い血液が巡る。
 異性からも、同性からも羨む視線を全身に受けながら、杏子は体育館へと通じる渡り廊下へ出た。温かい春の風が、杏子の長い髪とスカートの裾を揺らした。
 グランドから部活動の声が聞こえてくる。チームメイトと語り合い、汗を流し、一つの目標に向かって邁進する。
 ここから少し行った所では、今まさに青春を謳歌している生徒が沢山いる。それに比べて自分はどうだろうか。仲間も、友人も杏子にはいない。かといって、一匹狼を名乗れるほどの実力を持ち合わせていないのが現状だ。
「……私にもっと力があったら」
 腕力でも良い、知力でも良い。他者にはない力があったなら、こんな事にはなっていなかっただろう。正義部は存続し続け、その名前を学園に轟かせる。もしかすると、杏子の姿を見て入部希望者もいるかも知れない。
 杏子は頭を振った。
 今の杏子にとって、仲間を求めることは二の次だ。まずは、部の存続を優先させなければいけない。学園に蔓延る悪を取り除き、良き学校を取り戻す。馬鹿馬鹿しい話かも知れないが、正義を執行することこそ、自分の存在意義だと思っていた。
 今の杏子には何もない。それが分かっているからこそ、杏子は助っ人を探しているのだ。事件さえ解決してしまえば、後はどうにでもなる。今一番重要なのは、事件を解決する手を探すことだ。
 体育館に辿り着いた杏子は、バスケット部の練習風景を横目に見ながら、プールのある地下へと向かう。
 僅かに湿気を帯びる空気。薄暗い階段を降りると、灰色の鉄扉が見えてきた。重厚で、冷たい感じのする扉。この扉の向こうに、探し人である遠藤東光がいるはずだ。数々の難事件を解決してきた彼ならば、きっと今回の事件も解決してくれる。
 込み上げてくる恐怖心を期待で押し隠し、杏子はプールへの扉を開いた。
 扉から差し込む光が薄闇を切り裂いた。その光は、まるで杏子の未来を照らすかのようだった。


 四月十五日 火曜日 二日目

 体育館の地下にある室内プール。全天候、季節関係なく使用できるプールは、一年中塩素臭い水で満たされていた。水泳部が外で体力作りしている約一時間。その間にプールの清掃を行うのは困難を極めた。
 五〇メートルプールを、たった二人で清掃するのには、それなりに時間が掛かってしまう。しかも、水泳部の練習に支障が出ないよう、水を張らなければいけない。その為、実際清掃に費やせる時間は三〇分もなかった。
「くっそ〜……、マジやってらんねぇー」
 デッキブラシを床に叩きつけた珠(す)洲(ず)真理は、広大なプールを見て溜息をついた。去年もプール掃除を何度やったか分からない。掃除をする度、この広大なプールを見て気力が萎える。二年生になってまだ一週間と少し。それなのに、またプール掃除をやる事になってしまった。そもそも、こんな広いプールをたった二人で掃除しろという方が、どうかしている。
「仕方がないだろう。校長の胸像をまた壊してしまったんだからな」
 額に汗しながら真面目にブラシを動かしている遠藤東光は、真理を見てフウッと息をついた。言葉のニュアンスとこちらを見る目から、「俺は悪くないんだがな」という響きが伝わってくる。
 二メートル近くある長身に、格闘家顔負けの鍛え上げられた肉体。短髪の四角形の厳つい顔。常に真一文字に結ばれた口の上には、すでに何人も人を殺していそうな剣呑な眼差し。物静かだが、威圧感のある雰囲気。それが遠藤東光だった。実際、高校に入るまで、彼は地元でも札付きのワルで、中学生にしてこの周辺一帯を占める暴走族のリーダーだった。
 見かけ通りの腕っ節で、高校入学と同時に暴走族から足を洗った東光だったが、その悪名が消える事はなく、御陵高校でもっとも恐れられている人物の一人と言えた。
 そんな過去のある東光がこうしてプール掃除をやる事になっても、全校生徒が「ああ。なるほどな」、で済んでしまう。誰も詮索する人物がいない為、罰則を受ける度に東光のイメージは悪い方へと一人歩きしてしまう。
「そう言うなって、東光。俺たちゃ一蓮托生、そうだろ?」
 真理はズボンのベルトに挟み込んでいた扇子を取り出すと、パッと開いた。黒い扇子には、深紅の桜の花弁が舞っていた。真理は口元を扇子で隠した。
 黒髪黒目、長身痩躯で色白の珠洲真理は、今時のイケメンだった。切れ長の目は鋭利な輝きが宿っており、口元には常に不敵な笑みを浮かべている。放っておいても女性が寄ってきそうな風貌だったが、彼が纏う自堕落で人を小馬鹿にしたような雰囲気は隠せるはずもなく、女性どころか男性だって近寄らない。友達と言えるのは遠藤東光と他数名。それが現状だった。
 地味で目立たない。遠藤東光の腰巾着。パシリ。それが珠洲真理の一般的な見解、認識だった。実際、真理も学校における今のポジションが気に入ってる為、あえて否定する気も無い。
「コラ! 二人とも、口じゃなく手を動かせ!」
 生徒指導の松下がフールサイドに立って檄を飛ばした。
 だらりとだらしなく垂れ下がったネクタイを胸ポケットに押し込み、真理は億劫そうに返事を返す。
「どうせ二週間もやるんでしょう? 地道に少しずつやりますよ。なっ?」
「ムッ……」
「真面目なこと……」
 再びモップを動かし始めた東光を見て、真理はウンザリしたように松下を見上げた。天上に設けられている採光窓から差し込む光が、松下の禿頭に反射している。
「珠洲! お前には反省というものがないのか? 自分が何故掃除をしているか、分かっているのか?」
「だって先生、人の頭って、ボールとかぶつけたくなりませんか? その、当てやすい形状ってあるじゃないですか」
 言って松下の頭を無遠慮に見つめる。
 真理の視線を受けた松下は、恥ずかしそうに咳払いを一つすると、ジロリとこちらを睨み付けてきた。
「だからといって、校長の胸像の頭部を吹き飛ばすバカがいるか! これで何度目だ? 三度目だぞ、三度目!」
「三回も壊されて、また作り直す方もどうかしてると思いますけど。いい加減、無駄な金使うの止めればいいのに」
「今度は鉄格子付きだそうだ。誰かさんに壊されない為にな」
「檻付き? それ、端から見れば囚人じゃんか。まったく、あの自意識だけは人並み以上の校長が考えそうな事だ」
「お前達が壊すからいけないんだろうが!」
「過去の二度は遊びで壊しましたけどね。三度目のアレは、必要なアレだったんですよ。先生だって分かっているでしょう?」
 真理の言葉に、松下は言葉に詰まる。
「確かに、珠洲と遠藤がいなければ、怪我人、いや、死人が出ていたかも知れない。それは教員全員が感謝している。だから、何をやってもこの程度の処罰で済んでいるんだろう」
「巻き込んだのは、そちらでしょーに。俺に泣きついてきたのは何処の誰ですっけね」
 恨めしく松下を見上げた真理。立場が危うくなった松下は、フイッと顔を東光へ向けた。黙々とモップを動かす東光を見て、真理も溜息混じりにモップを動かし始めた。
 広い室内プールに、シャッシャッとモップを動かす音だけが聞こえた。
 静寂が破られたのは突然だった。
 バンッと勢いよく明けられた扉。真理と東光、松下の視線が扉へ向けられる。
 扉から颯爽と入ってきたのは、長い黒髪の美少女だった。青い膝丈のスカートに、スリムな白いジャケット。赤いラインで縁取られていると言う事は、真理と同じ二年生の証だ。
 キリリとした大きな瞳に、優しい弧を描く細い眉。少し大きめの唇に、小さく尖った顎。容姿、スタイル抜群の女子生徒。一際真理の注意を惹いたのは瞳だ。腕を組んでこちらを見下ろす眼差しには、満ち溢れんばかりの自信と、得体の知れない情熱の炎が見て取れた。何処かで見た事のある顔。真理は目の前に立つ女子生徒に、既視感(デジャヴ)に似た感覚を覚えた。
 彼女は松下を見るとニコリと笑い、続いて真理、そして東光へと視線を走らせた。東光の上で視線を止めた女子生徒は、ゴクリと唾を飲み込んだようだ。心なしか、顔色が悪い。
 東光が呆気にとられた表情で女子生徒を見上げた。東光の視線を受け、見えない手で押されたように、彼女は一歩後退した。東光の事を知らない人は、何の含みもない東光の視線を受けるだけで、たじろいでしまう。女子生徒には東光が怒気と殺意を発散しているように写っているのかも知れない。
「き、キミィ!」
 見事に裏返った声。真理はプッと吹き出してしまった。東光と一所にいると良く目にする光景。鉄面皮である東光の表情は一見すると変化がないが、真理には東光がショックを受けている事が手に取るように分かった。外見に似合わず、彼は繊細なのだ。
「俺に何か用か?」
 東光が手にしたモップを動かした瞬間、女子生徒は「キャッ」と身を固くして後ろに飛び退いてしまった。
「……」
「ブフッ……!」
 堪えきれずに笑い出した真理。東光が非難がましい視線を寄越すが、それを避けるように扇子を広げた。何度見てもこのコントのような光景は面白い。
「御厨杏子。この二人に何か用事か?」
 見かねた松下が助け船を出した。御厨杏子、それが彼女の名前らしい。聞いた事のある名前だが、何処で聞いたのか思い出せない。
 松下の援護を受けて、杏子は気を取り直したように毅然とした態度を取り繕った。東光に見つめられているせいもあるだろうが、杏子の顔は強ばり、頬が痙攣するように引きつっていた。
 一度深呼吸をした杏子は、伸ばした指をビシッと東光へ、ではなく真理に突きつけた。
「珠洲真理! 一緒に正義を貫こう!」
 叫ぶように放たれた力のある言葉は、高い天井に反響して木霊のように響き渡った。
 静かになったプール。訪れる深すぎる沈黙。静止したかのような時間が、十秒、二十秒と過ぎた。
「……は?」
 真理が漸く紡いだ言葉だ。その言葉を切欠に、杏子はマシンガンの如く語り出した。
「だから、一所に正義を執行しよう! 遠藤東光、珠洲真理、君たち二人の力が必要なのだ! 遠藤学徒、私と一所に事件を解決してくれ!」
 この言葉には東光も驚いたようだ。手からモップを落とし、困惑した表情でこちらを見る。もっとも、彼が困惑していると理解できるのは真理だけで、杏子には不機嫌極まりない、怒りに満ち溢れている表情に写っただろうが。
 モップが転がる音に過敏に反応した杏子は、裏返った声で真理に呼びかけてくる。
「珠洲学徒、君からも説得を頼む! 以前、遠藤学徒は殺人事件を解決しただろう? ニュースで見た。今回も事件を解決して欲しい! もちろん、私も一所に解決する! 君たちも正義の味方に憧れる一人だろう! 隠していても私には分かる! 遠藤学徒、君の中に燻っている熱い物、それは正義の炎だ! 君の怒りも憎しみも、すべて悪へ向けるべきだ! いや、むしろそうすべきなのだ! 一緒に正義部として、学園の平和を取り戻そうではないか!」
 話の半分からは真理と東光を無視し、西側の天井に向かって指先を突きつけていた。杏子の目には、真っ赤に燃える夕日でも映っているのだろう。
「誰だ、こいつ? やばいクスリでもキメているのか? 正義がどうとかって言ってたけど」
 扇子で口元を隠しながら東光に尋ねる。
「知らないのか、真理。彼女の名は御厨杏子。確か、現在は二年五組に在籍している。ヒーローオタクで、部員一名の正義部に所属している」
「部員一名って、それって部活というよりも同好会以下だろう? そもそも、正義部って何だ? そんな訳の分からない部活が容認されるのか、この学園は」
 前々から思っていたが、生徒の自主性を重んじる風潮からか、様々な事に関して寛容な学園である。
「一学年一〇〇〇人からいるんだ、こんな痛々しい奴がいても不思議じゃないか」
「ちなみに、去年俺と真理は、御厨と同じクラスだったぞ」
「マジで?」
「……やはり忘れていたか。一月前まで、同じクラスで机を並べていた。昨年の文化祭で行われたミスコンにもエントリーされていたが、発言と格好が余りにも痛々しくてな。なるべくしてグランプリは逃していた」
「……あ、そう」
 どうりで、見覚えある顔と名前のはずだ。よくよく思い出せば、確かにこんな奴がいたような気もする。真理は、およそ自分と関わり合いのない事柄の一切合切を排除してしまう。物忘れが激しいとか、そう言った問題ではなく。興味のない事は覚えられないのだ。だから、同じ教室で机を並べても、真理の頭の中には御厨杏子の名前も顔も入ってこない。
「初めてだよ」
 真理は目頭を押さえてウンザリと呟く。
「なにがだ?」
「目の前に立たれただけで、関わりたくないと思う人物はさ……」
「ムウ……」
 目の前に立たれ、こうして厄介ごとを押しつけられそうになり初めて、真理の中で御厨杏子の名前と顔が像を結び、為人(ひととなり)が頭の中に刻まれる。
「あの、御厨さん? 悪いんだけど、俺たち忙しいの。だから、他を当たってくれないかな?」
 未だに明後日の方向へ向かって訳の分からない事を叫んでいる杏子に、真理は言った。常日頃、トラブルに巻き込まれ続けている真理のカンが告げている。コイツに関わるとロクな事にならない、と。
 真理の言葉に我に返った杏子は、プールサイドから落ちそうになるほど身を乗り出してくる。鳩が豆鉄砲を喰らったような表情を浮かべる杏子。彼女は断られるのを想定していなかったのだろう。
「何故だ! 君の中に眠る熱い血潮を、迸る情熱と熱意を皆に示すチャンスなのだぞ! この底辺のような学園生活から這い上がるチャンスだ! それを、お前は見す見す見逃すというのか!?」
「いや、だから、俺達はお前の言う正義とか、血潮とか、そう言ったの無いから。それに、罰則の掃除があるから、そんな暇は無いの。な、東光?」
「ウム」
 東光は頷くと、手から滑り落ちたモップを拾い直し、掃除を始めた。
「ちょ、一寸(ちよつと)待って! 遠藤学徒! わ、分かった、タダでとは言わない! ……体で払う! それで良いだろう!」
 スカートの裾を持ち上げた杏子。真理と東光の動きがピタリと止まった。教員の松下は、頭を押さえて項垂れている。なるほど、生徒指導の松下も手を焼く問題児の一人のようだ。
 磁器の様に白く輝く足。少し膝を曲げて見上げれば、下着が見えそうな程たくし上げられたスカートの裾。真理の目は知らずのうちに杏子の下半身、ではなくて瞳に吸い寄せられていた。
 言葉や態度とは裏腹に、表情に見え隠れする怯えと恐怖。負の感情を覆い隠す正義への思い。それらがない交ぜになった表情は、真理の気を惹くものがあった。
「どーする、東光? 俺、初めてで三人プレイは……。俺たち、いきなり上級者の仲間入りかな? 少し、恥ずかしいな!」
 言って、横を見た真理は凍り付いた。いや、実際に凍り付いているのは真理ではなく、東光だった。顔を真っ赤に染め、フラフラと不安定そうに体が前後に揺れている。
「勘違いするな!」
 バッと水槽に飛び降りた杏子。その際、捲れ上がったスカートから白い布が見えた気がした。
「うっ……」
 東光が鼻を押さえた。指の間から、深紅の液体が流れ出していた。
「私が掃除を手伝う!」
 崩れそうな東光の手からモップを手にした杏子は、スカートの裾をショーツの内側に押し込んだ。提灯パンツのように半身を膨らませた杏子。露わになる大腿部を目にした東光が、ついに崩れ落ちた。
「グフッ……、眩しすぎる。し、刺激が……強すぎる……!」
 息も絶え絶えと言った感じで、東光が苦しそうに言葉を吐き出す。
 杏子は顔を真っ赤に染め、目に涙を浮かべ一心不乱にモップを動かした。モップを掛ける度、フワフワと不安定にスカートの裾が浮かび上がり、その度に東光が言葉にならない悲鳴を上げる。
「おい、お前! ちょっと待てって!」
「待たないし止めない! 二人が首を縦に振るまで、私は掃除を手伝う! だから、私の事件を手伝え!」
「どんな論法だよ! 無茶苦茶だろーが!」
 叫ぶ真理だったが、杏子の耳に届いていないのは明白だった。元より、彼女に引く気は一切なさそうだ。どんな事をしてでもこちらに引き入れる。そうした強い思いが、たくし上げられたスカートと真剣な表情から見て取れた。
「珠洲」
 疲れたように松下が真理に呼びかけた。言われなくても分かっている。
 水槽の底を鼻血で赤く染めている東光。彼は辛うじて意識を保っているが、もう一度、色を失いつつある目に刺激的な物を見てしまったら、糸のように細く保っている意識も切れてしまうだろう。
 この状況、真理が下せる決断は一つしかなかった。
「……ったく。手伝うよ、それでいいだろう? だから、スカートを下ろして東光から離れてくれ。ここで殺人事件でも起こすつもりか? ものの数秒で事件は解決すっけど……」
「そうか! 助かる!」
 モップを投げ捨てた杏子は、すぐさまスカートを下ろし、逃げるように東光から離れた。
「……すまない、真理……」
 蹌踉めきながらも立ち上がろうとする東光に、真理は手を貸した。鼻を押さえる指の間からは、未だに大量の鼻血が流れていた。折角掃除したプールが、鼻血で赤く染まってしまった。
「気にするな、少し、お前には刺激が強すぎたな」
 こうして、真理は杏子の手伝いをする事になった。
「事件を解決できたら、遠藤学徒と珠洲学徒の全ての罰則を免除して貰おう」
 腕を組んで一方的に告げる杏子だったが、驚いたことに松下は首を縦に振った。一介の学生にしか過ぎない杏子に、生徒指導の松下が従う。こんな事は、真理でさえ初めて目にする光景だった。

 パシャッ パシャ

 その時、フラッシュが瞬いた。真理は目を細め、フラッシュのした方を見る。
「一枚頂きました〜〜〜♪」
 入口の脇に立っていたのは、一眼レフのデジタルカメラを首に掛けた少女だった。おかっぱ頭に黒縁眼鏡の小柄な少女。杏子の名前は知らなくとも、この少女の名前は知っていた。彼女の名前は井上御津。写真部に所属する二年生だ。誰彼構わず写真を撮りまくっている、困った少女だ。
「井上女史、何のつもりだ?」
 杏子が器用に方眉を吊り上げる。
「いや〜、珍しい三名が揃っているのを見かけて。こんな機会は滅多に無いでしょう? さ、記念にもう一枚」
 御津がカメラを構えると、杏子は腕を組んでニコリと笑みを浮かべた。仕方なく、真理も東光もレンズに顔を向ける。
 フラッシュが瞬き、御津のお馴染みの声が響く。
「一枚、戴きました〜」
 こうして、真理と東光の身柄は、正義部部長である御厨杏子預かりとなった。
(つづく)
(初出:2012年08月)
登録日:2012年08月12日 14時29分

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