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天生諷
著者:天生諷(あもうふう)
極々平凡な会社員。毎日楽しい出来事はないかと、心の中で模索しながら生活をしている。旅行と昼寝をこよなく愛し、読書とゲームが生きる原動力となっている。群馬県在住。
小説/推理

世は並べて事も無し アノ子の理由(6)

[連載 | 完結済 | 全20話] 目次へ
聞き込みを続ける正義部メンバーだったが、誰も殴打した人物を見ていないこと、ムマの目撃情報を得ただけだ。そこに真理の幼馴染である残念なスタイルの元気な女子高生、朝輝が現れ助けを求めるが…。
 時間はすでに六時を指しており、東の空は青色から紺色へと変化させていた。
 北校舎四階、東側に美術部の活動する美術部Aがあった。人もまばらな美術室は静かで、油彩絵の具の独特の香りが立ち籠めていた。美術部員は各々の席に腰を下ろし、イーゼルに立て掛けられたカンバスに向かって肖像画や抽象画、静物画などを描いていた。
「すいません、矢上はいますか?」
 入口近くに座っていた男子生徒に、真理は声を潜めて尋ねた。男子生徒は筆を置くと、真理を振り返って頭を振った。
「たぶん、中庭にいるんじゃないかな。先月から色々な事がありすぎて、美術部も活動休止状態なんだけど、矢上は夏のコンテストに向けて頑張ってるんだ。アイツ、最近やっとまともな絵が描けるようになったからな」
「まともな絵、ね……」
「真理、お前も努力すれば少しはまともに描ける様になるかも知れないな」
「……放っとけって」
 笑う東光に背を向けた真理は、東側の壁に掛かってる絵に目を留めた。杏子も同じように真理の視線の先を追う。
 壁には様々な絵が掛けられていたが、そのどれも杏子には見覚えのない絵画ばかりだった。一年生の頃、杏子は授業でこの美術室を使っていたが、壁にあんな絵は掛けられていなかったはずだ。
「学徒、一つ尋ねる。あの絵は何だ?」
「ああ、あれね」
 杏子の問いに、美術部員は嫌な顔一つしないで答えてくれた。
「あれは、真壁先輩の絵だよ」
「真壁、志保の絵か……」
 目の前には、整然と死んだ人間の絵が飾られていた。杏子の足は、フラフラと誘われるように絵画に近づく。
 全部で絵画は十枚あった。杏子は左手から絵画を眺めていく。
 一枚目のタイトルは『人魚姫の恋』。夜空を背景に、黄色い花弁が浮かぶ海面から、人魚が崖の上に聳える塔を眺めている。塔の下に背の高い黄色い花が植えられている。恐らく、それはヒマワリだろう。海面に浮かんでいるのはヒマワリの花弁だ。杏子の想像だが、塔の中に人魚の思い人がいるのだろう。だが、それは決して叶わぬ恋。胸の前で手を合わせる人魚の表情からは、哀愁が漂っている。
 二枚目には、『儚い夢』というタイトルが付いていた。絵の全体に桜の花弁が舞っており、淡いピンク色の光と紺色の光が絵の上下を占めている。この何処にタイトルの儚い夢を掛け合わせるのか、杏子にはイマイチピンと来なかった。それよりも、杏子はいつの間にか横に並んだ真理を盗み見た。彼の手元に広げられた黒い扇子には、桜の花弁が舞っていた。同じ桜の花弁でも、真理の手にする花弁の方が元気が良く感じられる。
 次は『我が春』と銘打たれていた。遠方に長閑な農村が広がっており、色取り取りの花が咲き乱れている様子が描かれている。手前にある赤い椿の花には雪が被っているが、その白い雪と緑の対比が目に鮮やかだった。
 『NOW!』と言うタイトルの絵には、紫色の花を手にした少年が、勢いよく防波堤から青い大海原へ飛び込む様が描かれていた。見ているだけで胸がスッとする、「今だ!」と叫びたくなるような一枚だった。
 次の絵も、杏子には理解不能な絵だった。『魂の居場所』という絵は、中央にボンヤリと輝く黄色い固まりを配置し、その周囲を色取り取りの直線と曲線が取り囲んでいた。調和の取れた絵のように思えるが、その調和を壊すように、真紅の水玉が至る所に飛び散っていた。血のように禍々しいと思うのは、志保の結末と血文字の事件を知っているからだろう。
 胸に重い物を感じた杏子は、次の『輪廻』に目を向ける。オレンジ色の小さな花を咲かせる金木犀の木を背景に、テーブルの上に置かれた三つのリンゴがある。左側のリンゴはまだ新鮮で瑞々しく、見るからに美味しそうだ。真ん中のリンゴはグズグズに腐っており、異臭の放ちそうな茶色い液体をテーブルの上に滴らせている。最後に右側のリンゴは、すでに朽ち果て、無数の蟻によって殆どが分解されている。
 次は、『短冊に願いを』、というタイトルそのままに、笹の葉に沢山の短冊が括り付けられた絵だ。斜め下から笹を見上げるアングル。笹の下に映える白い花は、どうやら菊のようだ。短冊の一つ一つに何か文字が書かれているようだが、絵の具で霞んで何て書かれてあるのかは読み取れなかった。
 その次も、タイトルそのままに『UMI』、つまり『海』を表現していた。崖の上に立ち、遙か彼方まで広がる大海原を描いている。雲一つ無い快晴の空。様々な青が混じり合った海は、写真と言うよりも動画。今にも動き出しそうなほど細かく波頭が描かれている。絵の中で風が吹いているのだろうか、白い花弁が青空に舞い上がっているのが、とても清々しい。
 最後は『FREE MAN』だ。両手を広げた少女を、斜め後ろから描いた絵だ。風に長い髪靡かせる少女は、力一杯両手を広げ、空に顔を向けている。彼女の足元には黄色い菜の花が咲き乱れていた。
 以上の十点が、真壁志保の残した絵画だ。絵心の無い杏子だったが、これらの絵はどれも完成度が高い物ばかりだった。ただ、彼女のその後を知っている身にとっては、どれほど素晴らしい絵を見たとしても、心はそれを素直に受け取れない。
 真理も同じ気持ちなのだろう。絵を見終えた真理は、「なんだろう、モヤモヤするな」と、鳩尾辺りを扇子で押していた。
「アン子、行くぞ。外も暗くなり始めた」
 アサギに言われて時計を見ると、時刻は六時半を回っていた。三十分近く、志保の絵に見入ってしまったようだ。それほど、志保の絵には人を引きつける何かがあるのだろう。
 矢上の場所を教えてくれた生徒に礼を言い、杏子達は中庭へと向かった。
 人気のない南校舎。以前は文芸部で日が暮れても賑わっていたのだが、昨今の事件ですっかり人気はなくなっていた。
 一昨日の事件もそうだが、今、一番校内で噂になっているのが、強姦事件だ。学校帰りに市街地などで襲われるのではない。校内で女子生徒が襲われる。強姦された女子生徒の名前を聞いた事はないが、そんな噂がまことしやかに囁かれている。
 強姦されても、名乗り出る女性の数は驚くほど少ない。誰にも触れて欲しくない、早く忘れたい。それが女性の本音だ。だけど、それが出来ない。外を一人で歩く度、夜一人で布団に入る度、あの時の映像、痛み、怒り、憎しみ、全ての感情が溢れて来る。
 自分ではどうすることも出来ない感情に、ずっと振り回されることになる。本人は忘れたつもりになっても、ふとした拍子に恐怖が首をもたげる。時間は何も解決しない。悩みを記憶の奥底に閉じ込めるだけで、その蓋はすぐに開いてしまうのだ。
 本人が名乗り出ない限り、強姦事件は取りざたされる事はない。学園でもそうだ。誰も教師に相談できない。もし、周囲に自分が強姦された事が知れたとしたら、今まで築き上げてきた人生そのものが崩壊してしまうかも知れない。
 人は冷たい。外見上、心配してくれるが、本心は分かったものではない。強姦事件の被害者に対して、世間は同情と同時に奇異の視線を向ける。心ない人は、本人のガードが甘かったなどと、信じられない事を軽々しく口にする事だってある。
 ズキリと、真理に叩かれた頭頂部が痛みを発した。痛みに我を取り戻しながら、杏子は深呼吸をした。
 過去のトラウマに触れるような時、決まって杏子は視野狭窄に陥ってしまう。自分の心の中に引きこもり、他の事は何一つ見えなくなってしまう。
 三階から二階へと階段を下りながら、真理が皆に尋ねた。
「俺は現場は見ていないんだけど、杏子かアサギは現場を見たのか?」
 踊り場で振り返った真理。採光窓から差し込んだオレンジ色の光が、真理の女性的な面立ちを引き立たせる。一枚のスナップ写真の様に、時が止まったような美しいシーンだった。
「見てない。保健室で寝ていた」
 アサギの言葉で、再び時が動き出した。
「私は見たぞ。松下教諭と一所に現場に駆けつけた。その時、すでに血文字は真壁教諭によって消されかけていたがな。かなり取り乱していたぞ、真壁教諭は」
「妹さんの件もあるからな、真壁先生が取り乱すのも、分かる気はするけど。血文字の成分とか、調べた方がよかったんじゃないのかな。警察は入らなかったのか?」
「この学校の静けさ、恐らく警察は入ってないじゃろ。届けを出せば傷害事件として、処理されるじゃろうが、犯人の姿も形もないんだ。ヘタをすれば、被害者である橘は頭を疑われる。それに、ここは学校じゃ」
「……だよな。学校は少し特殊な空間だからな。ここで一つの世界が完結している。外部の干渉は極力避けたい。まして、血文字に見えない犯人。マスコミに知られたら厄介だしな」
「見えない犯人か……。これは、私達じゃなく、エクソシストの出番ではないのか?」
「仮面のサバトで事件を探ろうとしている奴は居ないのか?」
「どこぞの馬鹿が降霊術を行って真壁志保を呼び出そうとしているらしいが、信用できると思うか?」
「無理だろうな、間違いなく」
 杏子は断言する。死者を呼び出せると思うほど、浮き世離れしていない。
「死人の話を聞けるのなら、誰かが死んで悲しむ奴など居るわけがない。もう会えない、二度と会話できない。だから、人の死は貴重なんだ」
「ま、俺も杏子に激しく同意。どんな理由であれ、人の死を冒涜し、売り物にする奴は好きになれないな」
 一階に到着した杏子は、渡り廊下から中庭へ出た。上履きのまま中庭に出る事は禁止されていたが、幸いこの中に校則を気にする人物はいない。
 静かすぎる。廃校にでもなってしまったのだろうか、そう思ってしまう程に静かな学校だった。東西南北を校舎で覆われている中庭には、スポーツ部のかけ声なども一切届かない。
 中庭は薄暗く、肌寒かった。地平線に沈もうとしている太陽から放たれる光が、渡り廊下の窓から僅かに差し込んでくる。
 中央に建つ時計塔は、闇色とオレンジ色のツートンカラーで美しく彩られているが、その向こう側、池の方はドップリと闇に包まれていた。
 短く刈り込まれた芝生を、杏子達は歩く。矢上雄平はすぐに見つかった。
 彼は夕日を背に受け、闇の中に霞む池に向かっていた。芝生を踏みつける音と気配に、矢上は振り返った。
「矢上学徒だな」
 コクリと、矢上は神妙な顔で頷く。
「一昨日の事件の事で少し尋ねたい事がある」
 昨日の事件を口にした途端、矢上の表情が険しくなる。何も話さないとばかりに、口は真一文字に結ばれた。
「自己紹介がまだだったな、私は正義部(仮)部長、御厨杏子だ」
「ファーマ・フラテルニタテイスの吸血鬼、時雨アサギじゃ!」
「御陵高校探偵倶楽部、遠藤東光」
「……」
 皆の視線が真理に向けられる。真理は深呼吸すると、口を開いた。
「GHDC、真理だ」
「GHDC? 何それ?」
 素直に聞き返された真理は、「ゲッ」と表情を歪ませる。手にした扇子を開いては閉じるを数回繰り返し、仕方なく答えた。
「御陵ハイスクール・ディテクティブッ……」
 再び舌を噛んだ真理は、声にならない言葉を吐きながら口元を押さえた。
「ま、どうでも良いよ。一昨日の件に関しては、答えたくない。帰ってくれ」
 舌の噛み損だった真理の背中を叩いた杏子は、後ろに控えている東光に顔だけで振り返る。逆光で顔が暗転している東光。見つめられるだけで寿命が縮みそうなほど、怖い。
「東光、宜しく頼む」
 杏子の言葉に、「ムッ」と頷いた東光はズイッと前に歩み出た。三度も同じ事を繰り返すのだ、東光も勝手が分かってきている。そんな東光の姿を見て満足そうに頷いた真理は、ポンッと東光の肩を叩いた。
「じゃあ、東光。俺達が聞いたのと同じ事を聞いてくれ。俺達、テラスで少し休憩してるから」
「そうじゃの。儂は喉が渇いた、体が血を欲しておるわ」
「そうだな。久しぶりに人と話したから、喉がカラカラになった」
「……杏子、お前、寂しい学生生活送ってるんだな」
「ほっときなさい」
 杏子、アサギ、真理は連れだって歩き始める。残された東光は、目を見開き虚空に手を伸ばした。
「ちょっ、ちょっと待て! 俺一人か?」
 歩き出した杏子達は足を止めて振り返る。
「そうだよ。んじゃ、宜しくな東光」
 ヒラヒラと扇子を振って真理はスタスタと先に行ってしまう。「一言一句漏らさず覚えておくのじゃぞ」アサギは無理難題を押しつけて真理に続く。
「……」
「……」
 暫し、杏子と東光は見つめ合う。一人にしないでくれ、強面の中にある澄んだ眼差しからそんな感情が読み取れる。東光の背後にいる矢上も、「東光と二人はイヤだ!」と、悲壮な表情が浮かんでいる。フルフルと顔を激しく横に振る矢上。彼の耳に光る青いイヤリングが、夕日を反射してキラリと輝いた。
「……じゃ、頑張ってくれ」
 ピッと手を挙げ、杏子も真理の後に続いた。東光の無言の叫びを背中に聞きながら、杏子は中庭を後にした。


 南校舎一階の食堂横にあるテラスは、思いの外混んでいた。床は白いタイル張り、四方の壁はガラス張りになっていた。清掃の行き届いているガラス壁は、等間隔で縦に走るサッシがなければ、外かと思ってしまうほどだ。煌々と降り注ぐ白い光は冷たく、日の暮れたテラスを浮かび上がらせていた。
 昼は昼食のメニューだったが、夕方から部活動を行う生徒や残業の教員を対象とした簡単な軽食を用意していた。他にも、メニューにはケーキやパフェなどのスイーツも充実していた。
「意外に手間取ったな。他にも聞いて回る奴は居るのか?」
 煎れたてのホットコーヒーを一口飲んだ真理は、それとなくざわつくテラスを見渡した。
 広い面積を持つテラスには、およそ一〇〇席のテーブルがあり、テーブル一つにイスが五脚セットになっている。部活帰りの生徒が大半だが、中には明らかに帰宅部の生徒達も混じっていた。彼ら、彼女らは友人達と馬鹿騒ぎをして放課後を自由に楽しんでいるようだった。
 こうして見る限り、いつもと変わらぬ学校に思えたが、暖房の緩やかな風に乗ってくる話を耳にすると、血生臭い話が多いように感じる。
「後は、部長であり被害者の橘ヒカル女史、それに、出来たら真壁教諭にも話を聞きたいな」
 杏子はパンケーキを口に運び、フレッシュオレンジジュースで流し込んだ。
「それでも、解決の糸口になる情報が得られるとは限らん」
 アサギの言う事はもっともだった。伊藤と三木に話を聞いたが、得られた情報は全くと言って良いほどなかった。あえて言うのなら、見えない犯人が橘ヒカルを殴打した、と言う裏付けが得られたくらいだろう。
「それにしても、やはり人の血は美味じゃな」
 付け八重歯をテーブルの片隅に置いたアサギは、ラズベリーソースがたっぷり掛かったパンケーキを満面の笑みで頬張った。一昔前のビジュアル系バンドさながらの化粧を施したアサギ。素のままなら正統派美人なのだが、逆に化粧が彼女の美しさを損なわせている。むしろ、それを望んで化粧をしているとしか思えない。
 杏子と言いアサギと言い、元が良いだけに何とも残念だ。
「やはり、今回の事件は真壁志保の怨念なのか……?」
 神妙な面持ちで杏子は呟いた。
 そんな馬鹿な事があるはずはない。何かしらのトリックが扱われているのだろうが、今のところ皆目見当も付かない。確証のない事を口にしない真理は、チビチビとコーヒーを飲んだ。
「どうだろうな。兎に角、まだ情報が少なすぎる。調べなきゃならない事は、まだまだ沢山ある」
「陰険ムッツリ腰巾着、何か思う所があるのか?」
「仮面の生徒、ムマってのは気になるな。噂が出てるのは、最近の事なのか?」
 アサギはタブレットを弄る。
「噂好きが集まるS−NETを覗いたが、どうも五年ほど前から、度々ムマは目撃されているようだな」
「被害は?」
「今のところ、特にないな。ただ、最近そのムマに強姦されたという生徒の噂が出ておるようじゃ。噂じゃから、何処まで本当か知れたものではないがな」
「……そっか。まずは噂の検証から入るしかないのかな」
 ギィッとイスにもたれ掛かった真理。ふと、正面に座る杏子が頭を押さえている事に気がついた。
「どうしたんだ? 頭でも痛いのか?」
 杏子はジロリとこちらを睨むと、「誰かさんに叩かれたからな」と口にした。忘れていたが、先ほどボンヤリと涙を流していた杏子の頭を扇子で叩いたのだ。手加減したつもりだったが、痛かったのかも知れない。
「鉄パイプで殴られたような、例えるならそんな痛みを感じた。その扇子で殴ったのか?」
「ああ、軽く叩いただけだ」
「一見すると安そうだが、それは価値のある扇子なのか? 随分と執着があるようじゃの」
「ん〜、美術品としての価値はないけど、値のはる物なのは確かだな。用途としては、護身用かな」
「護身用? 扇子がか?」
「ゲーム脳かアン子の頭は。そんな物で敵を撃退できるのは、ゲームの中だけだぞ」
「そうとも限らないんだな、これが」
 懐から取り出した扇子をテーブルに置いた真理は、アサギの方へ滑らせる。何気なく扇子を指先で受け止めたアサギは、イスから飛び上がって絶叫した。
「いっっっったぁ〜〜〜〜!」
 親指の付け根を押さえて悶絶するアサギを見て、真理は腹を抱えて笑った。予想通りのリアクション。いつも人の事を小馬鹿にしていたアサギが、キャラを捨て去り、顔を真っ赤にしてテーブルの回りを飛び跳ねている。東光にも見せてやりたい愉快な絵だった。
「な、何よこれ! 痛いし重いし!」
 完全に素の表情をさらけ出したアサギは、テーブルの上に横たわる扇子を指さした。
「鉄扇だよ。これ、鉄で出来てるの」
「鉄? 真理、アンタ真性の馬鹿でしょう! こんな馬鹿みたいに重い鉄扇、何処で売ってるのよ!」
「鉄扇ならネットで購入できるな。護身用グッズで見た事もある。あと、コスプレファンにも大人気らしいな」
 僅かに腰を浮かした杏子は、テーブルの上に上半身を乗り出し鉄扇に触れる。瞬間、杏子の動きが止まった。杏子の細腕一本では、無理な体勢から持ち上げるだけの力を生み出す事は出来ないのだろう。
「それ、特注製なの。そこいらで売ってる鉄線は、一番外の骨、親骨だけが鉄で作られているんだけどね、それは全部の骨が鉄で作られている。普通の鉄扇の重量が三〇〇グラム程度だとすると、それは約二キロ。扇面にもこだわっていてね、合成繊維や布を使ったんじゃなくて、ちゃんと和紙を使っている。親骨の中には、細身の仕込みナイフが入っているから、いざというとき、何かと役に立つんだよ」
 鉄扇を手に取り、クルクルと指先で回転させ、持ち手の方向、要の部分を杏子に差し出す。重量を聞いた杏子は、両手で鉄扇を受け取る。
「重いな」
 感嘆の声が美しい形の唇から漏れた。
「ああ、思い切り殴れば、骨を砕き病院送り間違い無しだ」
「私は、そんな物で殴られたのだな」
 再び睨まれた真理は、サッと杏子から視線を逸らし、温くなったコーヒーを飲み干した。
 その時、泳いだ視線で真理は見覚えのある顔を見つけた。まだ隣でギャーギャー騒いでいるアサギに顎で示す。
「あれは、真壁先生ね……じゃの。横に居るのは、橘ヒカルじゃ」
 漸く元の(?)吸血鬼少女にキャラチェンジしたアサギは、親指をさすりながら元の席に落ち着いた。
「ちょうど良い。東光は居ないが、聞き込みを行う!」
 バッと立ち上がった杏子は、スタスタと二人の元へ歩いていく。風を切って颯爽と歩く杏子の背中を見て、真理は囁く様にアサギに聞いた。
「なあ、アサギ。杏子、男が苦手なのか?」
「ん? 気になるのか?」
「さっきの涙、お前は気にならないのか?」
「儂は俗世と縁のない物の怪じゃ。いつの日か、貴様と杏子の血も喰らってやるわ」
「マジな話だ。お前も色々と問題がありそうだけどな。……杏子は、少し危うい」
「……知ってる」
 真理の視線の方向、杏子の方を見たアサギは、僅かに眼を細めた。細い指が、神経質そうにテーブルの端を叩いていた。
「だけど、教えない。知りたければ、杏子の口から聞くのね」
「何だよ、ケチだな」
「プライベートな事よ。杏子の中に踏み込む権利、今の私にも、貴方にもないわ」
「……そっか」
 溜息を漏らした真理は、別の話をアサギに振る。
「杏子との付き合いは長いのか?」
「幼馴染み。家が近いってワケじゃなかったけど、時雨家と御厨家は資産家でしょう? そう言った所で家族ぐるみの付き合いがあったの。年末年始のパーティーとか、夏は海外の別荘で一所に過ごしたり、小学校三年生まで、とても仲が良かったわ」
 そこで言葉を止めたアサギは、探るように真理を見つめる。
「ヒントは此処まで。気になるなら、自分の力で探りなさいよ。……アンタなら、それが出来るでしょう?」
 アサギの視線に気付かぬ振りをして、真理は杏子の背中を見つめていた。
「気が向いたらね」
 その言葉を最後に、真理は姿勢を正した。頭に包帯を巻き、ヒョコヒョコとびっこを引いた、見るからに痛々しい橘ヒカルと、それに付きそう真壁美保が来た。


「……少し意外ね」
 真理達の前に座った美保は、居並ぶ三名を見ると感想を口にした。
「何がですか?」
「まさか、珠洲君が動くなんてね。しかも、このメンバーで。今日はパートナーの姿が見えないようだけど?」
 美保は周囲を見渡す。美保の言葉を計りかねているのだろう、橘は学園でも名高い曰く付きの人物達を、警戒する眼差しで見つめていた。
「東光は別の事で出張ってます。すぐに合流しますよ」
「真理、真壁教諭と仲が良いみたいだな。お前は空気のような存在で、誰からも相手にされていないものだと思っていた」
「少し意外じゃ。学園ナンバーワンのダメ人間が教師と仲が良いなんてな」
「お前等な、俺の事をどんな風に思ってるんだよ……!」
「透明人間だと」
「無駄人間じゃ」
 真理は目頭を押さえた。日頃やる気もなく流されるまま生きていると、こういった目で見られるのだろうか。杏子とアサギが一般的な良識と常識を持ってるとは言えないが、この指摘が間違っていると強く否定できない事が、悲しかった。
「……まあいいや。橘先輩、少し話を聞かせて貰っていいですか? 先輩と先月死んだ真壁志保、二人はどんな関係ですか? 仲は良かったんですか?」
 真理の質問に、橘は目を伏せた。テーブルの上に組んだ手が、強く握り締められ白くなっていた。
「私と志保は、幼馴染みだった。……まさか、志保があんな事になるなんて」
 言って、橘は流れる涙をハンカチで拭った。
 泣き崩れる橘を、物を見るかのような冷めた眼差しで観察する。
 ショートボブに小さな顔。小さな唇に、人を魅了する大きなアーモンド型の瞳。首筋には包帯が覗いていた。
「殴られたと聞きましたけど、本当に犯人を見ていないんですか?」
「……ええ。突然背後から殴られて、そのまま私は倒れて、背中や後頭部を何度となく叩かれたの」
「気配や衣擦れの物音は?」
「したと思う」
「思うとはなんじゃ? 断言できないのか?」
「私は気配も物音も聞こえたけど、一所にいた矢上君は何も見ていないって言うし。だったら、私の気のせいかなって……」
「凶器は? 病院や警察は、なんて?」
 橘は言葉を止め、横に座る美保を伺う。美保は頷き、膝の上で握り締められた橘に自分の手を添えた。
「病院の先生は、鈍器のような物で殴られた痕に似ているって。警察には言ってないわ」
「何故だ? これだけ大きな事件が起きたのだぞ? 行くべきだと私は思う」
 杏子は非難する眼差しを美保に送る。美保は僅かに顔を伏せた。
 美術教師であり、美術部顧問の真壁美保。自殺した真壁志保の姉でもある。大人の色気よりも、少女の幼さの残る美保は、綺麗と言うよりも可愛いと言った方がしっくりと来る。桜色のワンピーススーツを身につけた美保だったが、その顔色は悪く、真理の知る美保と比べると、随分とやつれた感じがした。
「……これは、呪いよ。志保の呪いよ。あの子は、私を殺しに来たのよ……!」
 情緒不安定になっているようだ。泣き崩れる橘に、真理は言葉を掛ける。
「呪いだなんて、そんな事はありませんよ。先輩は、志保に恨まれるような心当たりがあるんですか?」
 嗚咽が止んだ。橘は顔を上げると、涙に濡れた顔を真理に向けた。綺麗な顔も、涙と鼻水で台無しである。
「……ないわ」
「本当に?」
「……ええ、本当よ」
 真理は美保を見る。美保は細い溜息を吐きだし、それ以上聞くなと、目で合図を送ってきた。真理は矛先を変えた。
「分かりました。先生、妹さんとはどんな感じでしたか? 先生と生徒だと、家でもギクシャクしてたりしませんでしたか?」
「私達は、一緒に住んでいなかったのよ」
 困ったように表情を歪めながら、美保は遠い眼差しを真理に向けた。
「私は、堕落者だから。あの子は私を軽蔑していたわ。そんな私とは、居たくなかったんでしょうね」
「堕落者? 真壁教諭が? 真理より遙かにマシだと思うが」
 チラリとこちらに視線を寄越す杏子に、せめてもの反抗として唇を突き出した。
「フフ……、珠洲君、酷い言われようね。普段の行いが悪いからよ」
「良いんですよ。半分、こうなるようにしてるんですから。先生が堕落者って、どういう事ですか? 俺にも意味が分かりませんがね」
「先生は! 先生は堕落者なんかじゃありません! 私達生徒の事を真剣に考えてくれてるし、美術家としても優れていると思います!」
 これまでにない強い口調で、橘は美保を擁護した。美保は悲しそうに笑うと、「良いのよ、本当の事なんだから」と、橘をなだめた。
「本当は、教師になりたくなかったの。私の家、父が有名な芸術家なの。知ってるかしら?」
 美保は杏子とアサギを交互に見る。突然話を振られ、二人はきょとんとした表情を浮かべた。美保の横で橘の表情が見る見る険しくなる。どうやら、橘は美保に対して特別な感情を抱いているようだ。
「……秋乃(あきの)蒼燕(そうえん)。本名は、真壁燕璃(えんり)でしったけ? 今、海外でもっとも注目を浴びている日本の芸術家の一人。彼が油彩で描いた大作、『秋の実り』はルーブル美術館に展示されているはずです」
 確認するように美保を見ると、美保は「よくできました」と頷く。真理は、そのまま杏子とアサギに説明を続ける。
「彼は希に見る多才な人物でね、洋画、日本画問わず描く上に、彫刻と彫塑(ちようそ)にも精通している。だけど、彼の得意とするのは風景画だと言われている。燕璃さんは、とても鮮やかな色を出すガッシュを用いていてね、ホワイトとブルーの扱いがとても上手いと言われている」
「ガッシュ? 聞いた事がないな」
 柳眉と小さな顔を曲げて杏子が尋ねる。
「一般的な水彩絵の具を透明水彩と言って、ガッシュは不透明水彩と呼ばれている。本来は、絵の具の事ではなく、不透明水彩技法の事を指していたんだけどね、今は絵の具の種類を指す言葉になっている。昔はアラビアガムと顔料を混ぜて作っていたけど、今はグリセリンを用いているんだ。揮発性が高くてすぐに乾き、重ね塗りも可能なんだよ。
 耐久性などにも問題のある色もあってね、長期保存するのには不向きだと言われている。だけど、燕璃さんはあえてガッシュを使っているんだ。そうですよね、先生?」
「流石、珠洲君ね」
「知っているだけです。だいぶ話を脱線しましたけど、二人の父である燕璃さんが何か関係があるんですか?」
 美保は視線をテラスに走らせる。何かを警戒しているのではなく、話すかどうか迷っている風だった。
 いつの間にか、テラスの人影はまばらになっており、調理場から食器を洗う音がやけに大きく響いてきた。
「父はね、教育熱心だったのよ。美術以外のことに関してだけど、私達姉妹に色々な事を教えたわ。以外でしょう? 絵描きなのに、娘に絵のことを何も教えないのよ?」
 寂しそうに美保は笑う。真理は言葉を選びながら、美保に質問を投げる。
「それは、何でですか? 親だったら、自分と同じ道を歩ませたいと思うと思いますけど」
「子供に自分の夢を託す、親のエゴと言うのじゃ、それは」
 アサギが辛辣なツッコミを入れるが、美保は「そうね、時雨さんの言う通りね」と頷く。
「私は父の絵が好きだった。絵を書いている父が大好きだったの。だから、見よう見まねで絵を書いたわ。父は私の絵を見て一度も褒めてくれた事は無いけど、アドバイスだけはくれたの。いつか父に褒められる事を夢見て、私はずっと頑張ってきたわ」
 美保は悲しそうに笑った。その表情を見て、橘が顔を伏せる。
「どの世界もそうかもしれないけど、努力だけじゃ一流になれないのよね。幾ら頑張っても、私はダメだった。高校に入る頃には、父は私に絵を止めるようにいったわ。私の才能が無いことに失望したんでしょうね。私も、自分の才能に絶望した。偉大すぎる父の血を引きながら、何も出来ないんですもの」
「違います! 先生は凄いです!」
 橘の言葉を遮って、美保は続けた。
「だけど、志保は違った。あの子は私にない才能があったわ。幼い頃からコンクールで何度も金賞を取って、将来も有望されていた。私は、志保の才能を伸ばす為に、きつく当たった事もあった。姉ではなく、常に教師として志保に接していたの」
 美保は真理を正面から見つめた。ギラギラと輝く強い眼差し。
「あの子はね、特別なのよ。私にとって、特別だったのよ」
 美保は言った。横では、橘が下を向いて押し黙っている。
 その時、チャイムが鳴り響いた。時計を見ると、丁度八時を指した所だった。
「もう八時ね。話は此処まで。探偵ごっこも良いけど、早く帰りなさい」
 話を切り上げて美保は立ち上がった。顔を痛みに歪ませながら、橘も立ち上がる。
「一寸待て!」
 イスを鳴らして立ち上がったのは、杏子だ。
「真壁教諭、聞き捨てならないな。私達は遊びでやっているのではない! 本気でやっている! 必ず、事件の謎を解いてやる。橘女史を殴った犯人も、必ず捕まえて見せる!」
「……ありがとう、御厨さん。じゃあ、三人とも、気をつけて帰るのよ」
 美保はそう言うと、橘を支えながらテラスから出て行った。入れ違いに、東光がテラスに入ってくる。彼の後ろには、見知った女性の顔があった。
「ムッ! 貴様は朝輝(あさひ)! 何のようだ!」
 意外な事に、真っ先に吠えたのは杏子だった。
「アンタが真理を誑かせているって聞いたから、救いに来たのよ!」
 僅かに茶色がかった長い髪は後ろで一つに揺ってある。身長は杏子と同じくらいだが、そのスタイルは溜息が出てしまうほど残念な物だった。愛嬌のある切れ長の目に、人懐っこい笑みがよく似合う大きな口、元気のオーラが溢れて止まらない、極々普通の女子高生。彼女の名は椎木(しぎ)朝輝。同じ二年生で、真理の幼馴染みの女性だった。


 真理達五人を覗いて、テラスに人影はなくなった。
 静まりかえったテラスに、杏子と朝輝の罵声が絶え間なく響いていた。
「貴様! 真理の何だと言うんだ!」
「幼馴染みよ! 文句ある? アン子、アンタは真理の何だって言うのよ!」
「幼馴染みだと? そうか、恋愛シミュレーションゲームでは、絶対にヒロインになれないという、幼馴染みか。主人公が好きだが、素直になれず恋の応援をするという、定番の負け犬ポジションだな。私は真理と志を共にする者だ。おっと、お前は部外者だったな」
「何ですって〜! 負け犬はアンタでしょうが! 根暗なヒーローオタク!」
「私の何処がイノシシ娘に劣ると言うのだ? 容姿にスタイル、家柄に教養と知性、全てにおいてお前に勝っている」
「アン子、アンタは女子力じゃ世界最下位でしょうよ!」
「女子力だと!? あの某有名ギャル雑誌購読者がよく口にする、女子力か!」
「そうよ! アンタのどこに女子力があるって言うのよ!」
「……スカウターで計測すると、私の女子力は二万くらいか?」
「戦闘力じゃないのよ! この根暗! そもそも、二万ていうのが高いのか低いのか全く分からないわ!」
 舌戦を繰り広げる杏子と朝輝はそのまま放置し、真理とアサギは東光が聞き出した矢上の話を聞いていた。
 本来、アサギは几帳面な性格なのだろう。東光が語る矢上の話の内容は当然として、矢上の視線から手の動きまでを事細かく記入していった。
「やっぱり、内容は前の二名と同じだったか」
「ああ、ただ、目の前であんな事件があって、かなり動揺していたな。橘の事に話が及んだ時、涙が見えた」
「目の前で起こっている犯行にも関わらず、犯人の姿は見えないか」
「霊的な事は、儂は否定せん。論じもせずに否定を繰り返す馬鹿も大勢いるがな」
 アサギの言葉に真理は頷く。
「今の科学が全てだとは、俺も思えない。だけど、アサギの言った事は可能性の一つに過ぎない。他の可能性を無視して、霊的な力を前提にして調査は出来ない」
「当然じゃな」
「ウム」
 興味なさそうに、真横で罵り合っている二人を見上げた真理。東光もアサギも、二人はいない事のように淡々と話を進めていた。
「素行不良の筆頭から見てから見て、矢上雄平に変わった事はなかったか?」
「一つだけあった」
 真理の視線が杏子から東光に向けられる。
「やけに耳を弄っていたな。青い石の入った綺麗なピアスだった。俺がピアスの穴の様子を見ようと手を出したら、飛び退いてがくがく震えていた。素人がピアスを開けると、感染症を引き起こす事もある。熱でもあったのだろうか」
「元不良ならではの心配事だな。でも、矢上の反応は、全く持って正常だろう」
「じゃな。お前に耳でも引き千切られると思ったのじゃろう」
「……むぅ」
 東光は渋面を浮かべるが、その顔はどう見ても怒っているようにしか見えない。
「何よ! 根暗のアン子! アンタなんかに指図される覚えはないのよ!」
「言ったな、三下! この洗濯板! 二年五組の面汚しが!」
「面汚しはそっちでしょうが!」
「お前だ!」
 鼻先を付き合わせる二人を見上げた真理は、ポンッと手を打った。
 今まで気になっていた事が、一つ解決した。
「そうか! アン子の意味が分かった! 杏子(きようこ)の名前を杏子(あんず)に変更して、杏を暗に変更。そうすると暗子になる。そして、アン子ってなっているのか!」
「……何よ今更。そんな事も知らなかったの? ヒーローオタクで男性恐怖症のこの子は、アン子って言われているのよ」
「……っク!」
 フフンッと鼻を鳴らした朝輝は、先ほどまで美保の座っていた席に腰を落ち着けた。憎しみの宿った眼差しで朝輝を見下ろしていた杏子も、仕方なくイスに座る。
(……男性恐怖症か)
 薄々感じてはいたが、やはり杏子は男性恐怖症なのだ。自分で言うのも何だが、中性的な真理はまだしも、東光のように、「THE・男子」な感じの男は受け付けないのだろう。
 東光の報告も、杏子と朝輝の漫才のようなケンカも一段落した所で、真理が場を纏める。
「で、お前は何の用だよ」
「あ、そうそう! 話があったのよ! お願い真理、力を貸して欲しいの!」
 テーブルに額を付けるように懇願する朝輝。一体何をお願いしようとしているのか分からないが、ろくでもない話である事は間違いない。
「あ、無理無理。俺、今杏子を手伝っているから」
「そう言う事だ。真理は東光のオプションだがな。まあ、条件次第ではレンタルしてやらない事もない。床に這いつくばって私に土下座しろ! 今すぐに、ナウ!」
 ビッと、杏子は長い人差し指を足元に向ける。
「……お前、自分の事をヒーローとか言ってなかったか?」
 とてもではないが、ヒーローを自称する人間の言葉とは思えない。杏子は真理の指摘に得意げな笑みを浮かべた。
「ヒーローは弱者を守る。悪には何をしても許されるのだ!」
「何をしても許されるわけじゃないと思うけど。朝輝、俺と東光の身柄は、杏子預かりになってるんだ。事件の解決って話だったら、無理だ」
 無言で東光は頷く。
 真理と東光を縋るような眼差しで見つめていた朝輝だったが、頑なに拒否する真理に、瞳は失望の色を宿した。失望は寂しさとなり、怒りへと転化していく。一瞬のうちに気持ちをコロコロと変えた朝輝は、大きく息を吸い込んだ。
「もういい! 馬鹿真理! 東光君の木偶の坊! けちんぼアン子! 肝心な時に用が足りないんだから!」
 テラスは疎か、食堂にまで響く怒鳴り声を発した朝輝は、猪さながらの猛ダッシュでテラスを走り抜けていった。
「……騒がしい奴じゃ、儂はああいうのは好かん」
 ポツリと呟いたアサギの言葉が、まだ反響する朝輝の怒声に飲み込まれて消えた。


 遠藤東光の考察

 俺は夜道を歩きながら、隣で音程のずれた鼻歌を歌う真理を見た。
「……朝輝は放っておいて良いのか?」
「ん? いつもの事だろう。瞬間湯沸かし器だからな。明日になれば、今日の事はすっかり忘れてまたお願いしに来る」
「ムッ……」
 冷たい夜風に目を閉じながら、俺は今日の出来事を頭の中で纏める。
 まず聞き込みを行ったのは、橘が殴打され、時計塔に血文字が書かれた際に、現場にいた三名。陸上部の伊藤空太、科学部の三木歌音、美術部の矢上雄平。
 彼ら三人の証言は共通していた。まず、橘を殴打した人物は見ていない。見ているにも関わらず、橘は殴打され続けたらしい。そして、気がつくと時計塔の壁に血文字が記されていた。橘が倒れていた場所と、血文字が書かれた時計塔は、十メートルと離れていない。それなのに、三人ともいつ血文字が書かれたのか、全く分からなかった。
 これは三人の証言ではなく、他の生徒の証言をS−NETからアサギが拾ったのだが、橘が殴打されたのとほぼ同時刻、近くでムマが目撃されている。
 ムマの噂は、五年ほど前からあるそうだ。その噂が最近になって変化したようだ。あくまで噂の域を出ないが、ムマに強姦された女子生徒が居るらしい。真偽の程は定かではないが、俺は今回の事件とムマは、どこか関係があるように思える。行く先々でムマのことを耳にするから、関係があると思い込んでいるだけなのだろうか。
 被害者である橘も、やはり殴られた相手を見ていないという。ただ、気配だけは身近に感じたという。その点は、目撃者三名の証言とは異なっていた。橘は、自分を襲ったのが先月死んだ志保だと断言していた。真理は何も口にしないが、幽霊が橘を襲ったという短絡的な結論に至ってはいないようだ。そもそも、橘が幼馴染みである志保に恨まれていたのだろうか。襲われたと言っているのだから、何かしら因縁や確執が二人の間にあったのかも知れない。これは重要かも知れない。
 志保の姉であり、美術教師兼美術部顧問の美保は、彼女を妹としてではなく、生徒として見ていたようだ。自分が出来なかった夢を、妹に託したのかも知れない。家族から期待を掛けられた事のない俺は、志保の気持ちは想像できないが、それはきっと心地よい物ではなかっただろう。諦めも期待も、過ぎれば対象者を苦しめる事になる。俺はそれを良く分かっていた。
 俺は誰からも期待されなかったし、相手にもされなかった。このガタイと怖面で、俺には友達がいなかった。小学校、中学校ともに常に一人だった。家に帰っても俺は一人だった。両親は俺がいないかのように、自分だけの世界に閉じこもっていた。寝食を共にする他人、それが俺の家族、家だった。
 だが、俺には真理という掛け替えのないパートナーが出来た。真理は、俺が必要だと言ってくれた。誰かに必要とされるのは、初めてだった。俺も、ずっと真理を必要としていたのだ。
 志保にはいなかったのだろうか。本当の自分を見てくれて、必要としてくれる友人が。橘では、真理の代わりが出来なかったのだろうか。
 まだまだ調査は始まったばかりだ。丁度、期日まで一週間。それまでに、トリックを解き明かし、犯人を見つけなければいけない。
「あ、東光、今日は星が綺麗だね。明日も良い天気だね」
 大きく伸びをした真理。俺は頷く。
 真理ならきっと大丈夫。全て納める方法を、彼は導き出してくれる。俺はそう信じていた。
(つづく)
(初出:2012年09月)
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登録日:2012年09月27日 15時43分

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