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新美健
著者:新美健(にいみけん)
1968年生れ。愛知県で育ち、石川県で卒業し、富山県で就職し、東京都に流れ着き、現在は地元に戻って愛知県豊田市在住。ゲームのノベライズ化というニッチ稼業で15年ほど漂っていたら、いつの間にか40代も後半戦へ。2015年、第七回角川春樹小説賞にて特別賞を受賞。探偵、怪奇、幻想、冒険、歴史モノの小説が好物。
小説/SF

Akiba-J-Gunman(4)

[連載 | 完結済 | 全5話] 目次へ
ツバキはゲーム空間の中で、地上では味わったことのない充実感に歓喜していた。《コロニー》での知り合いだったかもしれぬ、襲いくるモンスターを撃ち殺すと、それはたちまち本物の屍体となる。なんにせよ、モチヅキは殺さなくてはならないだろう――。
 約束事――というものがある。
 例えば、ヒットポイントが減ればキャラクターは死にかけ、マジックポイントがなくなれば魔法が使えなくなる。町に辿り着けば、必ず宿屋と武器屋と雑貨屋があり、教会では金次第で死人さえも生き返る。モンスターを倒せば必ずアイテムか金を落とし、経験値がたまれば主人公のレベルは自動的に上がっていく。
 ツバキは、その場で足踏みをした。
 目眩いのような感覚ととともに情景が変化する。
 階段を上がった、ということだった。
 物理的な段差は存在しないのだから、このくらいの嘘はしかたがない。
 でなければ、ゲームにはならない。
 ツバキは“初めて訪れる部屋”を隅々まで探索して、なにも目新しいアイテムが存在していないことを確かめると、すみやかに廊下へと出ていった。

 廊下での光景は、即物的に内臓を連想させた。全体的にはまっすぐだが、有機的な起伏がデコボコとあり、そのところどころが脈打っている。腐敗を示すように濃度が濃い。色がわかれば吐いていたかもしれない。
 気のせいか、靴の裏まで糸を引いているような気がした。
 ――中世風のデザインで統一されているわけではないのだな。
 近くの扉をいくつか試してみた。
 ノブの手応えは硬く、それだけが現実を思い出させる。
 だが、開かない。
 ――そうか。ダンジョンは彷徨うために存在するものだ。
 ダンジョン。プレイヤーの冒険を想定して、魔物やトラップ、宝石箱を配置した迷路だ。
 だから、ツバキは迷うことにした。

     *

『孤独なシェリー姫。親族を失い、城を失い、国を失った。絶望が魔王を呼び寄せ、彼女は塔に閉じ込められた。姫は待っている。勇者の訪れを。哀しみに擦り切れた心を修復し、魔王によって汚された身体を清め、魂を開放してくれる存在を――そのときこそ、彼女は誰かに大切なものを与えることができるであろう』

     *

 先日、ヤクザが侵入したあたりの扉――という表現は正しくない。手当たり次第に未知の階を探索した結果、ようやく開く扉を見つけた。
 開くと、二本足の巨大な蜥蜴が襲いかかってきた。
 躊躇なく銃をむけた。
 がぅん、と鼓膜を蹴飛ばすような銃声とともに蜥蜴は倒れた。
 頭部を正確に撃ち抜かれたせいか、ひくとも動かなかった。
 あたりまえだ。撃てば、死ぬ。人も魔物も同じだろう。でなければ、武器としての意味がない。むしろ弾の残数が気になった。先のことも考えて、少しは節約して発砲しなければならない。
 ゲームだから現実味がない、という意味ではない。
 むしろ逆だった。
 今、ここはツバキにとっては戦場なのだ。
 生き延びるためには襲いかかる相手を殺さなければならない。
 当然の話だった。
 蜥蜴に扮した相手が誰なのか、なぜ襲いかかってきたのか、もしかしたら本気でツバキを殺すつもりはなかったのではないのか――そんな疑問は戦場では意味がない。かつては《コロニー》内での知りあいだったかもしれないが、もともと現実世界でのバランスが崩れていた彼にとって、それすらも意味のあることではなかった。一瞬の躊躇が生死をわける。この認識こそがすべてだった。
 だからこそ――。
 ツバキは、生き生きとしている自分を発見していた。
 意識に一片の澱みもなく、知覚は鋭敏なほど研ぎ澄まされている。
 扉を開く前から敵の存在がわかっていたほどだ。
 ごと…、と。
 蜥蜴が手にしていた斧を奪いとった。鉄製だ。重い。指で刃先を擦ると、切れ味のよさそうな引っかかりを感じた。これならば即死も充分にありうる。あらためて自分の判断に満足し、斧を屍体の上に放り投げた。
 ――いや、武器に使えるか。
 もう一度拾い上げようとしたとき、ゴーグルの隙間から、現実が一瞬見えた。
 蜥蜴はグラフィッカーのハラダだった。
 だが、どうでもいいことだった。
 斧を脇に挟み、ゴーグルを隙間なくつけ直した。
 室内を見まわすと、元は机だったらしい、苔むした四角い岩があった。その上で、あからさまに携帯端末が光っている。覗き見ると、キーの形をしたグラフィックが表示されていた。
 自分の携帯端末に、データをコピーした。
 画面の左隅に、ようやく《二階》という表示が生まれた。
 ――あまりいいインターフェースではない。
 ツバキは冷静に評価した。

 最初の階段口に戻り、足踏みしたが、階は変わらなかった。
 さらに探索し、いかにもといった感じて発光している扉を発見した。
 ――さて、どうやって開けるのかな?
 キーのグラフィックを画面に呼び出し、ペンで突っついてみた。なにかのプログラムが作動したようだが、扉は開かなかった。
 散々携帯端末をいじり、困ったあげく、廊下のあちこちに通信用の端子があることを思い出した。
 だが、ケーブルがない。
 ツバキは階段を下りて最初の部屋まで戻り、見つけそこなっていたケーブルを回収した。移動のとちゅうで通信用端子と携帯端末を接続してキーを再度突っつき、また光る扉の前に立った。
 扉は開き、新しい階段が出現していた。
「……あまりいいインターフェースではない。クソゲーというやつかもしれんな」
 腹だたしげに、ツバキはため息をついた。
 申し分けなさそうに、携帯端末がプピッと鳴った。

     *

『哀れな魔王は恋している。民衆の心を操り、なぶり、甘美な夢とともに大いなる苦痛を思うがままにふりまく男が。魔王は厭いていた。疲れていた。絶望していた。みずからの操作する業のすべてに。だから姫に恋している。けして自分のものにならないであろう存在を――自分にとっての破滅をもたらすであろう少女を』

     *

 ゲームをすすめるうちに、だいたいのルールが飲み込めてきた。
 まず一つの階に敵は一人。これは施設内の従業員数が限られているからだろう。魔物の姿は、蛙であったり蜥蜴であったり、犬、馬、蜘蛛、と動物や昆虫を模したものがほとんどのようだった。
 デザインにオリジナリティはないが、現実に襲われると、これは怖い。妙にリアルなディティールをもった等身大の化け物が、それぞれにナイフや棍棒、刀、槍などの武器をかまえて突進してくるのだ。
 表情まではわからないが、必死の気迫は伝わってくる。
 ツバキは、状況によって拳銃を使い、斧をふるい、敵から奪った武器をセレクトして器用なほどさばいていった。まるで生まれながらの異界の住人のように。
 倒さなければ次の階へは移動することができない。
 敵を倒すと、たいていのものがアイテムを残していった。
 武器はもちろんのこと、食料や弾丸、そしてデータのことだ。
 中にはパズルのようなプラスチックボードを残していった者もいた。パズルを解いて得た数字を携帯端末に打ち込むと、階段への扉が開かれる。馬鹿馬鹿しいとは思わなかった。そういう世界だと納得すればいいだけだ。
 ツバキは、ひたすら開いている部屋を探し、魔物を殺し、用意されていた謎を解いて次のステージへと移動していった。一つの階をクリアするのに三〇分から一時間。まずまずのペースだといえる。それでも確実に疲労は蓄積され、緊張の連続に神経が軋み、肉体と精神の両方を蝕んでいく。
 空腹になれば魔物の残した食料――菓子のようなバランス栄養食を貪り、疲れれば脈打つ廊下で休み、眠くなれば屍体の転がる室内で眠りこけた。眼が覚めれば、異様なほどの高揚感が復活し、また探索の旅に出かけるのだ。
 いったいゲームがスタートしてから何時間が、何日がたったか、ツバキにはまったく気にならなかった。
 性衝動にも似た激情が下半身で暴れている。胸をわくわくさせながらダンジョンを放浪し、膨れたペニスが歩くたびにズボンに擦れる。口淫でもほどこされているように、つねに生暖かな感触に包まれていた。
 扉越しに気配を感じ、相手が飛び出してきた瞬間、鋭利なナイフを鎧骸骨の首筋に突きたてる。ひゅー、どくどく、という音と手応え。どすっ、とあっけなく倒れて本物の骸になる。緊張と緩和。タイミングが勝負を決する。無限に凝縮した一瞬。エクスタシーに、ツバキは何度となく射精しかけた。
 達成感のあまり、糞尿を屍体にぶっかけ、高笑いしたこともある。
 ――生きている。おれは、生きて、いる。
 自分は狂っている、狂いつつある、とは思わなかった。
 もともと、正常な生き方など、ツバキは知らない。
 思えば、自分の人生は常軌を逸することで成立していたようなものだった。生きている実感など通常世界では味わったことがないが、幼少のころから馴染めない空間への違和感だけは満喫していた。
 家庭でも、学校でも、職場でも。
 笑う。
 皆。
 楽しそうに。
 いや、それはいい。だが、いつも自分だけがとり残されているような気がしていた。
 話題は、友人のことや昨日今日見聞きしたこと、テレビドラマのこと、贔屓のアイドルのこと、仕事のこと、恋人のこと、趣味のこと――ありとあらゆるとりとめのない断片が、節度なくだらだらと垂れ流されていく。
 笑う。
 皆。
 楽しそうに。
 だが、どこまでが本気なのか。心から笑っている者がどれだけいるというのか。それは本物の感情なのか。なにかを誤魔化して笑っているのではないのか。たしかな手応えのない、あやふやな日常を誤魔化すために。
 ツバキは、はっきりとこの手に掴めるものが欲しかった。
 求めていたのは生命そのものの感触だったのかもしれない。
 毎日が息苦しい。閉塞感とはちがう。この世界こそ異世界だ。空気がちがうのだ。自分の吸うべき大気は他にないのか。一瞬の充実が欲しかった。血がたぎり、命の漲る。シューティングレンジで近いものを見つけた。ターゲットを見つめ、呼吸すらも止め、神経を研ぎ澄ませて一点に集中していく。雑念の入る余地はない。頭が空になる。なにも考えず、自分が一人の人間であることすら忘れ、的を貫くことに全生命力を傾ける。狙って、撃つ――それだけの世界に、ツバキは魅せられていた。穿った穴のかわりに、なにかが空虚な胸を埋めてくれるような気がしていた。理由も根拠もない。人に説明などできることではない。しかし、その一瞬の世界だけが、彼にリアルな生の実感を与えてくれる小宇宙だったのだ。
 ツバキはめくるめく充実感に歓喜していた。
 蕩けるような愉悦に脳を犯されながら、次のステージ、次のステージへと果てしない煉獄のような世界を心から愉しんでいた。

     *

『魔王の塔は生きている。塔は囁く。魔王の力を利用するために。我を完成させよ、と。そうすればすべての栄光はおまえのものだ、と。塔の主は別宇宙に住んでいる。塔は知らない。その主がとっくに滅びていることを――自分が見捨てられた存在であることを』

     *

 携帯端末のモニタは、今いる場所が二一階であることを告げていた。
 ふと疑問がわいた。
 ゲームの設定では、姫は七九階にいるはずだ。各階に魔物が一匹ずつ待機しているとすれば、近い数だけの従業員が必要だということになる。部屋数もそれだけあるわけではないから、とうぜん、使いまわしになる。あえて意識してはいなかったが、ツバキも何度となく同じ部屋をちがう階で探索したはずだった。
 ただ、過去に倒した魔物の屍体と再会するような、興醒めな事態はまだおこっていない。
 おそらく魔物のいる部屋は封印し、階段のある部屋を使いまわしているのだろう。ツバキが頻繁に行き来することから、いちいち屍体を回収していたとは考えづらい。
 そう。
 今までは、だ。
 部屋の総数はいくつだったろうか?
 正確な数は思い出せなかったが、収納用の小スペースをあわせても三〇はないはすだった。従業員数はさらに少ないだろう。
 それとも、あの声優のように外部から雇われた人間がまだいるのだろうか?
 ツバキにはわからなかった。
 ――まだゲームは完成していないのではないか?
 そう考えれば、この中途半端なインターフェイスにも納得できる。
 さざ波のような不安が、腹の底を震わせた。
 ゲームには必ずエンディングが用意されている。
 ましてや、未完成品ともなれば、それは思いの他早く、とうとつな形でやってくるのではないか――たまらないほど嫌だった。
 T字型の通路の突き当たりを左に折れると、背後で空気を切り裂く音がした。
 がり、という骨を削るような衝撃。
 上半身を半回転させ、ツバキは膝を突きかけた。左肩で激痛。ぶるっ、ぶるっ、と痙攣してしまう。ふり返った。身体をぐずぐずに崩れさせたゾンビがボウガンをかまえて立っていた。
 油断だった。飛び道具があるとは予想していなかったのだ。
 しかし、どこから?
 蔦が密集しているあたりにポッカリと穴。エアコン装置のある部屋だと思い出した。
 第二射が脇をかすめる。
 ツバキは右手をまっすぐ伸ばした。
 二回、手首が跳ねる。
 ゾンビが前のめりに倒れた。
 硝煙を吐く拳銃をホルスターに戻し、肩に刺さった軽金属製の矢を握った。あまり深くは侵入していない。機械的に引き抜いた。ハンカチをあてがい、血管を圧迫して止血を試みた。
 傷口が熱い。
 ――おれはこの世界の住人だ。
 ツバキは演じられた魔物への愛すら感じた。

     *

『勇者は、誰でもなく、何者でもない存在だ。だが、彼はそれを求めて放浪する。生きている実感を求めて、証を求めて。勇者は魔王を倒し、塔を破壊し、シェリー姫とあいまみえることで求めていた応えを得るだろう――』

     *

 ツバキはひたすら頂上を目指していた。
 しかし、あのゾンビが最後の従業員だったのか、もういくつ階を重ねようと魔物の出てくる気配はなかった。
 キーのある部屋も使いまわしで、しだいに謎もおざなりなっていった。
 一階分上がったつもりが、とちゅうの階を抜かして到着することもあった。
 バグなのか、壁のテクスチャーが剥がれて、コンクリの地肌が露出している場所もいくつかあった。
 なによりも、部屋には倒された魔物がそのまま残されていた。
 すべての部屋に。
 ありとあらゆる異形の屍体が。
 ――やはり、このゲームは未完成だったのだ。
 どことなく虚しい想いで、ツバキはダンジョンをすすんでいった。電源の落ちた遊園地で置いてきぼりにされた子供のような気分。すでに高揚感は跡形もない。やりきれない哀しみだけが残っていた。
 眼にしている光景は、廃虚と呼ぶにふさわしかった。
 ――まさしく死者の塔だ。
 勇者の到着を待ちきれずに滅んでしまった一つの都だった。
 半ば義務感で、ツバキは脚を運んでいた。モチベーションが薄れかけている。
 五〇階を過ぎ、六〇階、七〇階と越えていき、いよいよ絶望感はつのっていった。
「残酷だな、モチヅキ……おれにどうして欲しいんだ?」
 応える声はない。
 携帯端末からの反応もなかった。
 ――モチヅキに会ったらどうする?
 撃つか、刺すか、とにかく殺すしかないだろう、と冷静に考えていた。おそらく、魔王はモチヅキ自身だ。ならば、ゲームを終了させるためには彼を殺すしかない。
 そのために、ツバキは勇者の役割を与えられたのだから。
「言い訳だけは、たっぷりと聞かせてもらいたいものだな」
 自分も愉しませてもらったのだから、恨みごとをぶつける気にはなれなかった。
 ただ、理由だけは聞いておきたかった。
 ツバキは勇者ではない。
 ツバキは――。
 最後の階段への扉が開き、用なしの携帯端末を投げ棄てた。拳銃からシリンダーをふり出し、五発弾が入っているのを確認する。これだけでよかった。他の武器はいらない。ナイフと手裏剣を床に落とした。
「――っ」
 一瞬で腰を落とし、ふりむいた。
「待って、撃たないでっ」
 ネット・アイドルだった。
 憔悴している。顔色が悪く、頬もわずかに削げたようだ。くせのないロングヘアは艶を失い、化粧もなきに等しい。ジーンズとTシャツがかなり汚れている。だが、もともと整った顔の造形のため、それほど惨めには見えなかった。
 幸い怪我はないらしい。
 今までどこに隠れ、どう逃げまわっていたのか、彼女は必死の表情でツバキに抱きついてきた。
「ねえ、お願い、あたしを外まで連れてってよ。ここの連中、みんなおかしいんだよ。なんかさ、シゲちゃんが消えてから、ずっと目つきがおかしいんだよ。イカれちゃってて、ヤバいよ、ここっ」
「シゲちゃん?」
「ほら、あたしといたカレ、覚えてないの?」
「ああ…」
 血まみれの蛙を脳裏に浮かべていた。
 ツバキが殺したのだ。
「とにかく、もうシゲちゃんのことはいいから、あたしだけでもここから出たいの。お願い、外まで案内してよ」
「おれもイカれてるかもしれんぞ」
「あのモチヅキっていうデブよりましよっ」
「なにがあったんだ?」
「わかんないよ、そんなこと、あたしに聞かれてもさ。あのデブの部屋にずっと閉じ込められてたんだから」
 ネット・アイドルは、Tシャツ越しにバストを押しつけてきた。意外なボリュームと弾力が腕に伝わってくる。下着を着けていない。
「あれから何日たったかわかるか?」
「え…えっと、まだ四日くらいじゃないかな。よくわかんないけどさ」
「モチヅキはそのあいだどうしてた? なにか君に話したか?」
「ずっとパソコンいじってただけよ。それから、ときどき部屋から出て、誰かに指示してたみたいだけど、なんか、もう、みんなロボットみたいでヘンになっちゃってて、最初は大きな音がしたり、ばたばた廊下を走る音がドアから聞こえてきたんだけど、そのうちぜんぜん聞こえなくなって……なにがなんだかわかんないんだってばっ。デブの隙をついてようやく脱出してきたんだから、はやくあたしを――」
 すでにツバキは女の言葉を聞いていなかった。
 彼女はもう一つの世界の象徴だった。話しているだけで現実へと強引に連れ戻されるような不快感があった。空気さえも変質させている。せっかく馴染んだ皮膚を無理やり剥がされ、冷たい空気に直接神経をなぶられるような感覚があった。
 ツバキは彼女を憎んだ。
 つまり、“こちら”側の人間ではないのだ。
「ねえ……お願いだから」
 甘く粘つくような声。
 ――この女は逃げだしてきた。一度モチヅキの部屋までいってみるか?
 たぶん無駄だろう、と思った。
 どちらにせよ、この階段を上がってしまえば終わりなのだ。
 ツバキは怖れと興奮に火照ったネット・アイドルの身体をもぎ離した。
 背をむけ、無言のまま階段へとむかっていく。
「ちょ、ちょっと」
 怒りに満ちた声とともに、かち、と金属音が重なった。
 反射的に、ツバキは抜き撃ちをおこなっていた。
 ふりむきざまで一秒とかかっていない。
 女は小型オートマチックを握っていた。眼が狂気で笑いゆがんでいる。喉元を拳銃弾で貫かれ、ぴしゅーっ、と体液を噴出させ、ゆっくりと後ろむきに倒れていった。即死だった。
 モチヅキの指示で演技していたのか、それとも、やけになって部屋からくすねた拳銃を発砲しようと思ったのか――。
 もはや、どちらでも同じだった。
 彼女は屍体となって、初めて“こちら”側の住人になれたのだ。
 残念がることではないが、だからといって祝うほどのことではない。
 ツバキは足踏みした。
 最後のステージへの移動を終了した。

 はやくモチヅキと語りたかった。
 そして――。

 なぜか無性にユキオと会いたくなった。
(つづく)
(初出:2000年10月)
登録日:2011年11月13日 20時06分

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