
著者:新美健(にいみけん)
1968年生れ。愛知県で育ち、石川県で卒業し、富山県で就職し、東京都に流れ着き、現在は地元に戻って愛知県豊田市在住。ゲームのノベライズ化というニッチ稼業で15年ほど漂っていたら、いつの間にか40代も後半戦へ。2015年、第七回角川春樹小説賞にて特別賞を受賞。探偵、怪奇、幻想、冒険、歴史モノの小説が好物。
小説/SF
Akiba-J-Gunman(5)
[連載 | 完結済 | 全5話] 目次へ
魔王を演じるモチヅキは、すべての謎を証す。ゴーグルを外し、システムの成果を知って愕然とするツバキ。すべてを話し終えたその時、一発の銃声が響く。屍体の散乱する《コロニー》に怒号が聞こえ、そして……。Akiba-J-Gunman最終回。
それは――視覚から受けた安直なイメージをそのまま描写するのであれば――胎児のように見えた。
薄い頭皮を透かしていびつにゆがんだ頭蓋骨の形がわかる。ボクサーのように拳をかため、足腰を曲げ、世界のあらゆるものから身を護るスタイルで丸くなっていた。
宙に浮かぶ、無垢な、巨人の胎児。
となれば、この部屋は胎盤であり、空間を満たしているものは羊水だということになる。
壁の一角から、高圧線を束ねたような管が伸び、胎児のへその緒と直結していた。
様々な太さの血管がおびただしく壁に浮き、絡み、収縮し、母体に栄養素を送りつづけている。表面は意外とつるつるとして、白く、内臓というよりは、マシュマロのような質感をツバキに伝えてきた。
「チャチなイメージだな」
『――時間がなくてな』
すまなそうな声が、胎児から響いてきた。
ここはモチヅキの部屋だった。ゲームの最終ステージだ。
『それにしても、よくここまでたどりついたものだ――勇者よ』
モチヅキは、まだ魔王としての役割を果たそうというつもりらしかった。
充分にふざけてはいるが、彼のゲームに対する誠実な想いを見たような気がして、ツバキは吹き出したい欲求をからくも堪えた。
『おまえは、私を殺しにやってきた。魔王を倒し、勇者としての称号を確立するために。しかし、自分を確立するために闘うのならば、なぜ勇者でなければならない? なぜ魔物であってはならない? 勇者と魔物の差はどこにある? ともに人を殺し、動物を殺すではないか。ましてや、自然を破壊するのは――』
「口上はいい」
『それもそうだな』
あっさりとモチヅキが応えた。
『……痛そうだな』
「矢にえぐられてな」
左肩は発熱をはじめていた。ずくっ、ずくっ、と疼いている。菌が入ったのかもしれない。
だが、それが疲労しきった身体を逆に覚醒させているのだ。
『さて、なにから聞きたい?』
「ああ、まずは……このシステムはなんなんだ……ってあたりからかな。コンシューマのゲームにこんな贅沢な設備が許されるわけがないからな」
『いいセンかもしれんな』
胎児が、にやっと笑ったような気がした。
「資金源はどこだ? 政府か?」
『クライアントはアメリカだな』
「アメリカ?」
『ああ――サバイバル・ゲームって知ってるな?』
ツバキは頷いた。
「餓鬼がエアガンで撃ちあう遊びだな」
『そうだ。サバイバル・ゲームの原形はアメリカにある。元々は牛に印をつけるためのペイントガンを使った遊戯だった。小さなペンキ入りカプセルを圧縮ガスで撃ちあう……まあ、大人の戦争ごっこなんだが、これが、戦争でトラウマを負った兵士の精神治療に絶大な効果があったらしいんだな。つまり、実戦での緊張で壊れた神経を、おもちゃを使った戦争ごっこで癒すわけだ』
それはツバキも聞いたことがある。ベトナム戦争で神出鬼没のゲリラを相手にしてきた兵士の話だ。あれからずいぶんたつというのに、彼らは今でも汗びっしょりになって夜中に何度も跳ね起きることがあるという。
「同じことをバーチャル空間でやろうとしたのか?」
『そう。戦争の後遺症に苦しむ退役軍人の治療システムとして、発注されたものだ。詳しい事情は知らないが、日米共同のプロジェクトではあったらしい。極秘のな』
「一種の洗脳システムかもしれんがな」
ツバキのからかうような言葉に、モチヅキが苦笑した。
『使い方はクライアントにまかせるさ』
「その極秘情報を、おれなんかにバラしていいのか?」
『かまわんだろ。しかし、旦那も妙なことを気にするね』
意外な情報に、ツバキも軽く困惑していたのだ。しかも、まだ話のとば口にすぎない。
あわてず、一つ一つ整理していくしかなかった。
「この悪趣味なゲーム内容も、アメリカの発注なのか? 完成はしていないようだが」
『内容は、おれの趣味だ。テストとして、まともに動くソフトが必要だったんだ。だが、もうそれもどうでもいいことだがね』
嘆息混じりの声だった。
「どういうことだ?」
『キャンセルをくらった。理由は聞くな。おれにもわからん。世界が平和なわけがないのにな。あるいは、予想よりも開発費が嵩んだのが原因かもしれん。他に安上がりで効果的なシステムを見つけたのかもしれん。とにかく、正確なことはわからん――極秘だからって、まともな契約書類を作らなかったのが裏目に出た。八割方、システムとしては完成してたんだが、キャンセル料もふくだくれない。おかげでうちは倒産だよ』
考えてみれば、《コロニー》空間の成立そのものが謎だった。が、たとえここが政府による洗脳実験室だったとしても、ツバキにはなんの意味もないことだ。
ツバキはガンマンで、ここは秋葉原だからだ。
気になるのは、あくまでもモチヅキの行動原理だった。
「倒産……それでヤケになったのか?」
『原因の一つではある。ま、そう話を急ぐな。そのゴーグル、よくできてただろ? 室内に張りめぐらせた特殊光線を解析して、3D映像を展開する。この技術だけでも一年はかかってるんだ。ただしモノクロ画面のみだがな。だから、旦那は被験者としても適任だったんだ』
「おれを雇ったのも、それが理由か?」
『いや。前にも言っただろ? 旦那のコワれっぷりが気に入ったって。眼のことを知ったのは後からだったしな』
「それもそうだな」
『なあ、ゴーグル、外してみろよ』
突然、そう言われ、ツバキは自分でも予想以上に動揺した。
――外していいのか? いや、いけない理由はない。だが、外せば……。
『安心しろ、夢は破れない――まだ、今はな。この部屋には、さらに進歩したシステムが導入されている。空間自体が、そのゴーグルと同じ機能を持ってるんだ。フルカラーも実現している』
おそるおそる、ツバキはゴーグルを外した。
ひさしぶりに顔を素手で触ると、皮膚が汗と脂でヌルヌルしていた。眼のまわりにはゴーグルの跡がくっきりとついていることだろう。
「……っ」
『わかるか?』
興奮を押し隠したような、モチヅキの問いかけ――ツバキは眼を限界まで見開き、視界からの情報量に圧倒されていた。
「これが……システムの成果か」
色が、復活していた。
壁は淡いピンク色の粘膜に包まれている。青黒いグロテスクな血管。赤茶けた胎児の姿がゆらゆらと羊水に漂っていた。
『まあな。眠っているときでさえ、映像に折り込まれたプログラムが脳に働きかけていたはずだ。じつは旦那が食べた食料にも試薬品を混入させてもらった。麻薬ギリギリの不合法な代物だが、それがリミッターの外れた神経をじょじょにリラックスさせていく。たぶん時間のブランクも起こらなくなってるはずだ』
「ゲーム中にも自失状態になっていたのか、おれは?」
いつもながら実感がなく、ツバキは愕然としていた。
よく殺されなかったものだ、と思う。あるいは、モチヅキが魔物の出入りをコントロールしていたせいなのかもしれない。
『あれはあれで便利だった。そのあいだに汚れた部屋を掃除することもできたしな。治ってからは屍体も片づけられなくて困ったよ』
つまり、ゲームがはじまってから、ツバキは何度となくモチヅキに会っていたのだ。
不思議と屈辱感はなかった。
そういうゲームではないのだ。すべてはルールにのっとって進行されていく。ツバキの症状もシステムの一部として組み込まれていただけにすぎない。
『さて、そろそろ本題に入ろうか?』
「……」
『聞きたくないのか?』
「その前に――ユキオがシェリー姫なのか?」
『大当たりだ。いい名前だろ? じつは彼女の本名だ。娼婦をやっていた母親がアメリカ人と中国人とのハーフだったらしい。今は《貴賓室》にいるよ』
ふたたび、ツバキは沈黙した。
ゲームの背景は理解できたが、事件についてはまだなにも説明されていない。聞きたいことは山ほどある。
それでも――。
『どうした? ことの発端が知りたいんだろ? 聞けよ。どうしてこんなイカれたことになったのか、残らず説明してやるよ』
疑問がなくなれば、おそらくモチヅキは死に、物語はエンディングをむかえる。ユキオがどうなるのかはわからないが、ツバキがそのエンディングを拒否しなければ、たぶん死ぬことはないだろう。
魔王の死と姫君の解放だ。
ただ、終わってしまうのが怖かった。
モチヅキを失ってしまうのが、嫌だった。
自分が唯一正常でいられる世界の崩壊――。
そして、ツバキはそれが避けられない事態であることも知っていた。“誰の意志”かはわからないが、物語は発動してしまったのだ。後戻りすれば最悪の形での破滅が待っているのだろう。
――けっきょくはモチヅキのエンディングに従うしかない。
狂っている、といえば、ぜんぶが狂っていた。
モチヅキも、ユキオも、ミノベも、《コロニー》も、なにもかもが、だ。
ふいに怒りがわいた。
どのみち《コロニー》は崩壊していただろう。不自然な共同体は長続きしない。だが、他の終わりかたもあったはずなのだ。
物語は発動してしまった。
偶然に、残酷にも。
ツバキは、その引き金となった人物を知っている、と思った。
「彼女が、殺したんだな?」
『……誰をだ?』
かすれた、期待に満ちたモチヅキの囁き声。
ツバキは応えた。
「ミノベを」
嬉しそうな爆笑が胎盤を震わせた。
『旦那、旦那っ、つくづくこの世界の空気が合ってるんじゃないか? 冴えてるな。大正解だよ!』
「では、ユキオの部屋の血だまりは、やはりミノベのものか? あれが発端だったんだな? いつミノベは殺されたんだ?」
『旦那が、おれの部屋にくる前だ。フリーズしてるあいだに、な。廊下でユキオが旦那にしていることを見て、ミノベの馬鹿が逆上した。で、無理やり部屋に連れ込んで姦ろうとしたところを、刺されてしまった、と』
そして、事件を知らされたモチヅキか、あるいは声優青年が、屍体を運び出し、いったんどこかへ隠したのだ。
ここまでが第一幕だ。
第二幕は、ツバキがモチヅキの部屋へむかうところからはじまっていたのだ。役者たちは舞台裏で出番を待ち、ユキオは殺人の余韻で放心状態だった。
モチヅキさんは優しいわ――でも、だめだった――あなたが遅れたから――と。
「なぜ、そんなことに?」
ユキオは従業員の性処理をするために雇われたはずだった。セックスを求められて、人を殺すわけがない。
『今さらかもしれんが、誰だって神聖な時間を犯されれば怒るさ』
「神聖な時間?」
『ユキオは旦那に惚れていた。ちがうか?』
「おれは…」
『気づかなかったか?』
「……いや」
『旦那にゃあまり縁のない世界だからな、戸惑ってたんだろ、きっと。ユキオとセックスしなかったのは、おれと旦那くらいのものだ。だから、ユキオも惚れたのかもしれんが……まあ、理由はどうでもいい。人間は誰かに惚れずにはいられない生き物だ。恋愛シミュレーションが売れる道理さ。ミノベもユキオに惚れていた。彼女は素直すぎるくらいいい娘だからな。他の連中も惚れていたよ。もちろん、おれも惚れていた。インポだからセックスはできなかったが――』
「……」
モチヅキの心の動きをシミュレートしてみたが、ツバキにはよく理解できなかった。
殺人は殺人として、なぜ警察に処理させなかったのか?
外部の人間が入ることを、それほどまでに嫌ったのか?
治外法権、と前にモチヅキは言った。ならば、外部に漏れないように処理すればいいだけのことで、ツバキを操って大量虐殺にまで発展させることはなかったはずだ。
妙に理性的になりつつある自分を、ツバキは逆に可笑しく思った。
『とにかく、旦那がおれの部屋にくるまでに、すべてのお膳立てを整える必要があった。忙しかったぜ。システムを調整し、シナリオを書き直し、従業員を各役柄に配置したり、半端声優を説得したり、旦那のモデルガンを本物にすり替えたり、な』
「彼女のために……こうしたというのか。だが、それでなんになる?」
問いかけながら、ふと脳裏に閃くものがあった。
――こいつ、状況を愉しんでたのか?
惚れた女を助けるために苦悩しているモチヅキよりも、ワクワクと子供のように眼を輝かせながら非常事態の処理に奔走している図のほうが、はるかに想像しやすかった。
『旦那はどう思った?』
「むちゃくちゃだ。意味があるとは思えない」
驚きの表現か、胎児がきゅっとしぼみ、ぼうんっと元に戻った。色が赤から緑、紫にと目まぐるしく変化していく。
『ありゃ、治療がうまくいきすぎてマトモになっちまったかな。旦那の口からそんな言葉が出るとは思わなかった』
ツバキは憮然となった。
「おれには理解できない」
『イベントさ』
「イベント?」
『せっかくだから、盛り上げるだけ盛り上げようというサービス精神のあらわれかな。正直いって、会社が潰れたときの借金なんか、どうにでもなるんだ。今ある技術をバラ売りすれば、いくらでも買い手はつくからな。侵入したヤクザが何人死のうとそれもかまわない。ただ、《コロニー》内での身内殺しだけはいただけない』
「どうちがうんだ?」
『ゲーム上の死と現実の死くらいのちがいさ』
「ヤクザの死は現実の死ではないのか?」
『《コロニー》内ではね。あんたなら、わかるはずだ。現実の戦争をリアルに感じられなかったあんたならな』
それはちがう、とツバキは思った。
リアルだからこそ、そこでしか生きられない、と感じたのだ。
――本当にそうなのか?
自分は、“リアルという虚構”を求めて、ひたすら戦場を彷徨ってきただけではないのか。ツバキのリアルは、けっきょく、ツバキの中にしか存在していない願望にすぎないのでは……。
言葉を失い、また沈黙した。
『まったく、ほめてもらいたいくらいだぜ。元々システムは旦那用に調整されていたから、それほどでもなかったが、シナリオは大幅に修正しなければならなかった。小道具も必要だ。時間がなかったから、あんな中途半端なインターフェースになっちまったが、これはしょうがない』
かくしてゲームがはじまり、ツバキは自分の部屋で最初の屍体を発見した。声優青年を射殺し、ルールに従って他の魔物たちも次々と殺していった。
モチヅキの目論見どおり、ツバキもゲームを愉しんだのだ。
ぶるっ、と身体中に染みついた戦闘の愉悦が、ツバキを一瞬だけ震えさせた。
「従業員たちはどうやって説得したんだ?」
『それほど連中が正常だったと思ってるのか? みんな外部では生きていられないくらい繊細なやつらばかりだ。世間から遮断され、向精神薬で薬漬けになることで、ようやく生きてこられた連中だ。クリエーターの中でも極端すぎる例だとはおれも認めるがね。おれが、そういった人間ばかり集めてきたんだから、とくに不思議でもないだろう。ゲーム創りに全神経を集中できるロボットのようなやつらが欲しかったんだ。どのみち、《コロニー》が消滅すれば、彼らも終わりだ。みんな、悦んで、魔物になりきって死んでいっただろうさ』
モチヅキの声には、侮蔑と愛情が複雑に絡みあっていた。
どちらも本当の感情なのだろう。
彼らの同類でありながら、空想世界に没頭することを許されず、統治者として君臨せざるをえなかった者の孤独と憤り、そして……ゆがんだ慈愛。
ツバキには、もうあまり聞くことが残っていなかった。
「あのカップルは――」
『ああ、男のほうは、自己が崩壊しかかってたからな、仕事に繋がれば屍体運びでもなんでもやるさ。女のほうは、騙して軟禁した。二人とも外部の人間にはちがいないが、今さら外に出すわけにはいかなかったからな』
「それで、おれに殺されるように仕向けたのか?」
『演出上、な――いや、これは半分冗談だが』
「……」
ツバキは次の質問を探していた。どうでもいいことしか頭に浮かばなかった。それでも考えずにはいられなかった。
でなければ、終わってしまう。
――終わってしまう。
『安心しろ、適当につじつまあわせをした告白文を、署名入りで警察には送っておいた。おれは希代の殺人鬼ということになるだろうが、旦那やユキオが、この先追いかけられることはないよ』
ツバキの沈黙を誤解したのか、モチヅキがそう保証した。
「罪を一人でかぶるというのか?」
『おれがプロデュースしたことだ。責任はとらなくちゃな』
「それで……本当にいいのか?」
『虚構世界で葬られれば、おれは満足なのさ。それに――言ったろ? おれはユキオに惚れている。ついでに、旦那にもな。あと、愚鈍な一般ユーザーを相手にするのに、ちと飽きてきたせいもあるが、理由らしいものはそれだけだ。なんにせよ、たいしたことじゃない。人生も、仕事も、生も死も、すべてな。ようするにイベントだ。今後、おれの人生で、これほど好条件の整った引き際はないだろうさ。だから――おれはいいんだ』
くすっ、とモチヅキは笑った。
『いかれてるかね?』
「……おれが保証する」
『不思議だね――そう断言されると、いつもホッとするんだ』
ぶるっ、とツバキは、もう一度身を震わせた。
語るべきことは、ほとんど語られてしまったような気がしていた。
最後の質問を放った。
「これから、おれたちはどこへいけばいい?」
『流れていけよ』
「……」
『おまえは何者だ?』
「ガンマン」
『そうだ。それでいい』
「……」
『安心しろ。迷ったら、ユキオがおまえに役割を与えてくれる。だから、もういけよ』
いきなり、視界が、白く染まった。
ごぅん、と一発の銃声が耳を貫く。
ツバキは伏せなかった。
しばらく眼を閉じ、動かなかった。
「……モチヅキ」
眼を開くと、あの懐かしい、ガラクタだらけの光景がひろがっていた。
ベッドの中央で、口の中に拳銃を突っ込んだモチヅキが倒れていた。鮮やかな赤が枕を染めている。血と脳漿。弾丸が後頭部を粉砕したのだ。
親から見捨てられた子供のように、ツバキは、悲痛な顔で立ち尽くしていた。
《貴賓室》に《シェリー姫》はいた。
殺風景なコンクリ剥き出しの室内で、モチヅキが着せたらしい、ゆったりとした中世王族風の衣装を身にまとって――。
壁にもたれ、床に座り、安らかに寝入っていた。
人形のような清潔な寝顔だった。
テーブルの上には、いつのまにかツバキとユキオの荷物が鞄にまとめられていた。餞別のつもりか、無骨なスタイルのサブマシンガンも置いてある。フランスのレジスタンスが使用したというイギリス製のSTENだ。
「ユキ――」
姫を起こそうとしたとき、廊下のほうから怒号が聞こえてきた。
「なんじゃ、こりゃっ?」
「くそったれが、屍体の山じゃねえか……」
「おいっ、片っ端から調べて、誰か生きてるやつを探してこいやっ」
ツバキはSTENを手にとり、プレス痕も生々しいマガジンに九ミリ弾が込められていることを素早く確認した。
川に流された仲間の屍体を誰かが回収し、お礼参りにきたものらしい。
ツバキは、長い廊下を狼狽しながら駆け回っているヤクザの姿を想像した。意外とユーモラスな光景だった。
考えてみれば、《コロニー》には子宮幻想が充満している。
――すると、ヤクザたちは精子か?
できすぎだ、と一人で苦笑した。
その顔に迷いはなく、生気が満ちあふれていた。
――おれはガンマンだ。姫を護らなくては、な。
壮絶な脱出劇の準備として、STENのコッキングレバーをじゃごっと引いた。
(この作品はフィクションであり、現実の人物、団体、事件とは、いっさい、いっさい関係がありません(^^;))
参考文献
「ウッドストックガン物語」吉家世洋 著(データハウス)
「脳・免疫・ゲノム 「私」はなぜ存在するか」(哲学書房)
「完全武装マニュアル」銃器問題研究プロジェクト(同文書院)
ピストルと銃の図鑑」小橋良夫 関野邦夫 共著(池田書店)
薄い頭皮を透かしていびつにゆがんだ頭蓋骨の形がわかる。ボクサーのように拳をかため、足腰を曲げ、世界のあらゆるものから身を護るスタイルで丸くなっていた。
宙に浮かぶ、無垢な、巨人の胎児。
となれば、この部屋は胎盤であり、空間を満たしているものは羊水だということになる。
壁の一角から、高圧線を束ねたような管が伸び、胎児のへその緒と直結していた。
様々な太さの血管がおびただしく壁に浮き、絡み、収縮し、母体に栄養素を送りつづけている。表面は意外とつるつるとして、白く、内臓というよりは、マシュマロのような質感をツバキに伝えてきた。
「チャチなイメージだな」
『――時間がなくてな』
すまなそうな声が、胎児から響いてきた。
ここはモチヅキの部屋だった。ゲームの最終ステージだ。
『それにしても、よくここまでたどりついたものだ――勇者よ』
モチヅキは、まだ魔王としての役割を果たそうというつもりらしかった。
充分にふざけてはいるが、彼のゲームに対する誠実な想いを見たような気がして、ツバキは吹き出したい欲求をからくも堪えた。
『おまえは、私を殺しにやってきた。魔王を倒し、勇者としての称号を確立するために。しかし、自分を確立するために闘うのならば、なぜ勇者でなければならない? なぜ魔物であってはならない? 勇者と魔物の差はどこにある? ともに人を殺し、動物を殺すではないか。ましてや、自然を破壊するのは――』
「口上はいい」
『それもそうだな』
あっさりとモチヅキが応えた。
『……痛そうだな』
「矢にえぐられてな」
左肩は発熱をはじめていた。ずくっ、ずくっ、と疼いている。菌が入ったのかもしれない。
だが、それが疲労しきった身体を逆に覚醒させているのだ。
『さて、なにから聞きたい?』
「ああ、まずは……このシステムはなんなんだ……ってあたりからかな。コンシューマのゲームにこんな贅沢な設備が許されるわけがないからな」
『いいセンかもしれんな』
胎児が、にやっと笑ったような気がした。
「資金源はどこだ? 政府か?」
『クライアントはアメリカだな』
「アメリカ?」
『ああ――サバイバル・ゲームって知ってるな?』
ツバキは頷いた。
「餓鬼がエアガンで撃ちあう遊びだな」
『そうだ。サバイバル・ゲームの原形はアメリカにある。元々は牛に印をつけるためのペイントガンを使った遊戯だった。小さなペンキ入りカプセルを圧縮ガスで撃ちあう……まあ、大人の戦争ごっこなんだが、これが、戦争でトラウマを負った兵士の精神治療に絶大な効果があったらしいんだな。つまり、実戦での緊張で壊れた神経を、おもちゃを使った戦争ごっこで癒すわけだ』
それはツバキも聞いたことがある。ベトナム戦争で神出鬼没のゲリラを相手にしてきた兵士の話だ。あれからずいぶんたつというのに、彼らは今でも汗びっしょりになって夜中に何度も跳ね起きることがあるという。
「同じことをバーチャル空間でやろうとしたのか?」
『そう。戦争の後遺症に苦しむ退役軍人の治療システムとして、発注されたものだ。詳しい事情は知らないが、日米共同のプロジェクトではあったらしい。極秘のな』
「一種の洗脳システムかもしれんがな」
ツバキのからかうような言葉に、モチヅキが苦笑した。
『使い方はクライアントにまかせるさ』
「その極秘情報を、おれなんかにバラしていいのか?」
『かまわんだろ。しかし、旦那も妙なことを気にするね』
意外な情報に、ツバキも軽く困惑していたのだ。しかも、まだ話のとば口にすぎない。
あわてず、一つ一つ整理していくしかなかった。
「この悪趣味なゲーム内容も、アメリカの発注なのか? 完成はしていないようだが」
『内容は、おれの趣味だ。テストとして、まともに動くソフトが必要だったんだ。だが、もうそれもどうでもいいことだがね』
嘆息混じりの声だった。
「どういうことだ?」
『キャンセルをくらった。理由は聞くな。おれにもわからん。世界が平和なわけがないのにな。あるいは、予想よりも開発費が嵩んだのが原因かもしれん。他に安上がりで効果的なシステムを見つけたのかもしれん。とにかく、正確なことはわからん――極秘だからって、まともな契約書類を作らなかったのが裏目に出た。八割方、システムとしては完成してたんだが、キャンセル料もふくだくれない。おかげでうちは倒産だよ』
考えてみれば、《コロニー》空間の成立そのものが謎だった。が、たとえここが政府による洗脳実験室だったとしても、ツバキにはなんの意味もないことだ。
ツバキはガンマンで、ここは秋葉原だからだ。
気になるのは、あくまでもモチヅキの行動原理だった。
「倒産……それでヤケになったのか?」
『原因の一つではある。ま、そう話を急ぐな。そのゴーグル、よくできてただろ? 室内に張りめぐらせた特殊光線を解析して、3D映像を展開する。この技術だけでも一年はかかってるんだ。ただしモノクロ画面のみだがな。だから、旦那は被験者としても適任だったんだ』
「おれを雇ったのも、それが理由か?」
『いや。前にも言っただろ? 旦那のコワれっぷりが気に入ったって。眼のことを知ったのは後からだったしな』
「それもそうだな」
『なあ、ゴーグル、外してみろよ』
突然、そう言われ、ツバキは自分でも予想以上に動揺した。
――外していいのか? いや、いけない理由はない。だが、外せば……。
『安心しろ、夢は破れない――まだ、今はな。この部屋には、さらに進歩したシステムが導入されている。空間自体が、そのゴーグルと同じ機能を持ってるんだ。フルカラーも実現している』
おそるおそる、ツバキはゴーグルを外した。
ひさしぶりに顔を素手で触ると、皮膚が汗と脂でヌルヌルしていた。眼のまわりにはゴーグルの跡がくっきりとついていることだろう。
「……っ」
『わかるか?』
興奮を押し隠したような、モチヅキの問いかけ――ツバキは眼を限界まで見開き、視界からの情報量に圧倒されていた。
「これが……システムの成果か」
色が、復活していた。
壁は淡いピンク色の粘膜に包まれている。青黒いグロテスクな血管。赤茶けた胎児の姿がゆらゆらと羊水に漂っていた。
『まあな。眠っているときでさえ、映像に折り込まれたプログラムが脳に働きかけていたはずだ。じつは旦那が食べた食料にも試薬品を混入させてもらった。麻薬ギリギリの不合法な代物だが、それがリミッターの外れた神経をじょじょにリラックスさせていく。たぶん時間のブランクも起こらなくなってるはずだ』
「ゲーム中にも自失状態になっていたのか、おれは?」
いつもながら実感がなく、ツバキは愕然としていた。
よく殺されなかったものだ、と思う。あるいは、モチヅキが魔物の出入りをコントロールしていたせいなのかもしれない。
『あれはあれで便利だった。そのあいだに汚れた部屋を掃除することもできたしな。治ってからは屍体も片づけられなくて困ったよ』
つまり、ゲームがはじまってから、ツバキは何度となくモチヅキに会っていたのだ。
不思議と屈辱感はなかった。
そういうゲームではないのだ。すべてはルールにのっとって進行されていく。ツバキの症状もシステムの一部として組み込まれていただけにすぎない。
『さて、そろそろ本題に入ろうか?』
「……」
『聞きたくないのか?』
「その前に――ユキオがシェリー姫なのか?」
『大当たりだ。いい名前だろ? じつは彼女の本名だ。娼婦をやっていた母親がアメリカ人と中国人とのハーフだったらしい。今は《貴賓室》にいるよ』
ふたたび、ツバキは沈黙した。
ゲームの背景は理解できたが、事件についてはまだなにも説明されていない。聞きたいことは山ほどある。
それでも――。
『どうした? ことの発端が知りたいんだろ? 聞けよ。どうしてこんなイカれたことになったのか、残らず説明してやるよ』
疑問がなくなれば、おそらくモチヅキは死に、物語はエンディングをむかえる。ユキオがどうなるのかはわからないが、ツバキがそのエンディングを拒否しなければ、たぶん死ぬことはないだろう。
魔王の死と姫君の解放だ。
ただ、終わってしまうのが怖かった。
モチヅキを失ってしまうのが、嫌だった。
自分が唯一正常でいられる世界の崩壊――。
そして、ツバキはそれが避けられない事態であることも知っていた。“誰の意志”かはわからないが、物語は発動してしまったのだ。後戻りすれば最悪の形での破滅が待っているのだろう。
――けっきょくはモチヅキのエンディングに従うしかない。
狂っている、といえば、ぜんぶが狂っていた。
モチヅキも、ユキオも、ミノベも、《コロニー》も、なにもかもが、だ。
ふいに怒りがわいた。
どのみち《コロニー》は崩壊していただろう。不自然な共同体は長続きしない。だが、他の終わりかたもあったはずなのだ。
物語は発動してしまった。
偶然に、残酷にも。
ツバキは、その引き金となった人物を知っている、と思った。
「彼女が、殺したんだな?」
『……誰をだ?』
かすれた、期待に満ちたモチヅキの囁き声。
ツバキは応えた。
「ミノベを」
嬉しそうな爆笑が胎盤を震わせた。
『旦那、旦那っ、つくづくこの世界の空気が合ってるんじゃないか? 冴えてるな。大正解だよ!』
「では、ユキオの部屋の血だまりは、やはりミノベのものか? あれが発端だったんだな? いつミノベは殺されたんだ?」
『旦那が、おれの部屋にくる前だ。フリーズしてるあいだに、な。廊下でユキオが旦那にしていることを見て、ミノベの馬鹿が逆上した。で、無理やり部屋に連れ込んで姦ろうとしたところを、刺されてしまった、と』
そして、事件を知らされたモチヅキか、あるいは声優青年が、屍体を運び出し、いったんどこかへ隠したのだ。
ここまでが第一幕だ。
第二幕は、ツバキがモチヅキの部屋へむかうところからはじまっていたのだ。役者たちは舞台裏で出番を待ち、ユキオは殺人の余韻で放心状態だった。
モチヅキさんは優しいわ――でも、だめだった――あなたが遅れたから――と。
「なぜ、そんなことに?」
ユキオは従業員の性処理をするために雇われたはずだった。セックスを求められて、人を殺すわけがない。
『今さらかもしれんが、誰だって神聖な時間を犯されれば怒るさ』
「神聖な時間?」
『ユキオは旦那に惚れていた。ちがうか?』
「おれは…」
『気づかなかったか?』
「……いや」
『旦那にゃあまり縁のない世界だからな、戸惑ってたんだろ、きっと。ユキオとセックスしなかったのは、おれと旦那くらいのものだ。だから、ユキオも惚れたのかもしれんが……まあ、理由はどうでもいい。人間は誰かに惚れずにはいられない生き物だ。恋愛シミュレーションが売れる道理さ。ミノベもユキオに惚れていた。彼女は素直すぎるくらいいい娘だからな。他の連中も惚れていたよ。もちろん、おれも惚れていた。インポだからセックスはできなかったが――』
「……」
モチヅキの心の動きをシミュレートしてみたが、ツバキにはよく理解できなかった。
殺人は殺人として、なぜ警察に処理させなかったのか?
外部の人間が入ることを、それほどまでに嫌ったのか?
治外法権、と前にモチヅキは言った。ならば、外部に漏れないように処理すればいいだけのことで、ツバキを操って大量虐殺にまで発展させることはなかったはずだ。
妙に理性的になりつつある自分を、ツバキは逆に可笑しく思った。
『とにかく、旦那がおれの部屋にくるまでに、すべてのお膳立てを整える必要があった。忙しかったぜ。システムを調整し、シナリオを書き直し、従業員を各役柄に配置したり、半端声優を説得したり、旦那のモデルガンを本物にすり替えたり、な』
「彼女のために……こうしたというのか。だが、それでなんになる?」
問いかけながら、ふと脳裏に閃くものがあった。
――こいつ、状況を愉しんでたのか?
惚れた女を助けるために苦悩しているモチヅキよりも、ワクワクと子供のように眼を輝かせながら非常事態の処理に奔走している図のほうが、はるかに想像しやすかった。
『旦那はどう思った?』
「むちゃくちゃだ。意味があるとは思えない」
驚きの表現か、胎児がきゅっとしぼみ、ぼうんっと元に戻った。色が赤から緑、紫にと目まぐるしく変化していく。
『ありゃ、治療がうまくいきすぎてマトモになっちまったかな。旦那の口からそんな言葉が出るとは思わなかった』
ツバキは憮然となった。
「おれには理解できない」
『イベントさ』
「イベント?」
『せっかくだから、盛り上げるだけ盛り上げようというサービス精神のあらわれかな。正直いって、会社が潰れたときの借金なんか、どうにでもなるんだ。今ある技術をバラ売りすれば、いくらでも買い手はつくからな。侵入したヤクザが何人死のうとそれもかまわない。ただ、《コロニー》内での身内殺しだけはいただけない』
「どうちがうんだ?」
『ゲーム上の死と現実の死くらいのちがいさ』
「ヤクザの死は現実の死ではないのか?」
『《コロニー》内ではね。あんたなら、わかるはずだ。現実の戦争をリアルに感じられなかったあんたならな』
それはちがう、とツバキは思った。
リアルだからこそ、そこでしか生きられない、と感じたのだ。
――本当にそうなのか?
自分は、“リアルという虚構”を求めて、ひたすら戦場を彷徨ってきただけではないのか。ツバキのリアルは、けっきょく、ツバキの中にしか存在していない願望にすぎないのでは……。
言葉を失い、また沈黙した。
『まったく、ほめてもらいたいくらいだぜ。元々システムは旦那用に調整されていたから、それほどでもなかったが、シナリオは大幅に修正しなければならなかった。小道具も必要だ。時間がなかったから、あんな中途半端なインターフェースになっちまったが、これはしょうがない』
かくしてゲームがはじまり、ツバキは自分の部屋で最初の屍体を発見した。声優青年を射殺し、ルールに従って他の魔物たちも次々と殺していった。
モチヅキの目論見どおり、ツバキもゲームを愉しんだのだ。
ぶるっ、と身体中に染みついた戦闘の愉悦が、ツバキを一瞬だけ震えさせた。
「従業員たちはどうやって説得したんだ?」
『それほど連中が正常だったと思ってるのか? みんな外部では生きていられないくらい繊細なやつらばかりだ。世間から遮断され、向精神薬で薬漬けになることで、ようやく生きてこられた連中だ。クリエーターの中でも極端すぎる例だとはおれも認めるがね。おれが、そういった人間ばかり集めてきたんだから、とくに不思議でもないだろう。ゲーム創りに全神経を集中できるロボットのようなやつらが欲しかったんだ。どのみち、《コロニー》が消滅すれば、彼らも終わりだ。みんな、悦んで、魔物になりきって死んでいっただろうさ』
モチヅキの声には、侮蔑と愛情が複雑に絡みあっていた。
どちらも本当の感情なのだろう。
彼らの同類でありながら、空想世界に没頭することを許されず、統治者として君臨せざるをえなかった者の孤独と憤り、そして……ゆがんだ慈愛。
ツバキには、もうあまり聞くことが残っていなかった。
「あのカップルは――」
『ああ、男のほうは、自己が崩壊しかかってたからな、仕事に繋がれば屍体運びでもなんでもやるさ。女のほうは、騙して軟禁した。二人とも外部の人間にはちがいないが、今さら外に出すわけにはいかなかったからな』
「それで、おれに殺されるように仕向けたのか?」
『演出上、な――いや、これは半分冗談だが』
「……」
ツバキは次の質問を探していた。どうでもいいことしか頭に浮かばなかった。それでも考えずにはいられなかった。
でなければ、終わってしまう。
――終わってしまう。
『安心しろ、適当につじつまあわせをした告白文を、署名入りで警察には送っておいた。おれは希代の殺人鬼ということになるだろうが、旦那やユキオが、この先追いかけられることはないよ』
ツバキの沈黙を誤解したのか、モチヅキがそう保証した。
「罪を一人でかぶるというのか?」
『おれがプロデュースしたことだ。責任はとらなくちゃな』
「それで……本当にいいのか?」
『虚構世界で葬られれば、おれは満足なのさ。それに――言ったろ? おれはユキオに惚れている。ついでに、旦那にもな。あと、愚鈍な一般ユーザーを相手にするのに、ちと飽きてきたせいもあるが、理由らしいものはそれだけだ。なんにせよ、たいしたことじゃない。人生も、仕事も、生も死も、すべてな。ようするにイベントだ。今後、おれの人生で、これほど好条件の整った引き際はないだろうさ。だから――おれはいいんだ』
くすっ、とモチヅキは笑った。
『いかれてるかね?』
「……おれが保証する」
『不思議だね――そう断言されると、いつもホッとするんだ』
ぶるっ、とツバキは、もう一度身を震わせた。
語るべきことは、ほとんど語られてしまったような気がしていた。
最後の質問を放った。
「これから、おれたちはどこへいけばいい?」
『流れていけよ』
「……」
『おまえは何者だ?』
「ガンマン」
『そうだ。それでいい』
「……」
『安心しろ。迷ったら、ユキオがおまえに役割を与えてくれる。だから、もういけよ』
いきなり、視界が、白く染まった。
ごぅん、と一発の銃声が耳を貫く。
ツバキは伏せなかった。
しばらく眼を閉じ、動かなかった。
「……モチヅキ」
眼を開くと、あの懐かしい、ガラクタだらけの光景がひろがっていた。
ベッドの中央で、口の中に拳銃を突っ込んだモチヅキが倒れていた。鮮やかな赤が枕を染めている。血と脳漿。弾丸が後頭部を粉砕したのだ。
親から見捨てられた子供のように、ツバキは、悲痛な顔で立ち尽くしていた。
《貴賓室》に《シェリー姫》はいた。
殺風景なコンクリ剥き出しの室内で、モチヅキが着せたらしい、ゆったりとした中世王族風の衣装を身にまとって――。
壁にもたれ、床に座り、安らかに寝入っていた。
人形のような清潔な寝顔だった。
テーブルの上には、いつのまにかツバキとユキオの荷物が鞄にまとめられていた。餞別のつもりか、無骨なスタイルのサブマシンガンも置いてある。フランスのレジスタンスが使用したというイギリス製のSTENだ。
「ユキ――」
姫を起こそうとしたとき、廊下のほうから怒号が聞こえてきた。
「なんじゃ、こりゃっ?」
「くそったれが、屍体の山じゃねえか……」
「おいっ、片っ端から調べて、誰か生きてるやつを探してこいやっ」
ツバキはSTENを手にとり、プレス痕も生々しいマガジンに九ミリ弾が込められていることを素早く確認した。
川に流された仲間の屍体を誰かが回収し、お礼参りにきたものらしい。
ツバキは、長い廊下を狼狽しながら駆け回っているヤクザの姿を想像した。意外とユーモラスな光景だった。
考えてみれば、《コロニー》には子宮幻想が充満している。
――すると、ヤクザたちは精子か?
できすぎだ、と一人で苦笑した。
その顔に迷いはなく、生気が満ちあふれていた。
――おれはガンマンだ。姫を護らなくては、な。
壮絶な脱出劇の準備として、STENのコッキングレバーをじゃごっと引いた。
(この作品はフィクションであり、現実の人物、団体、事件とは、いっさい、いっさい関係がありません(^^;))
参考文献
「ウッドストックガン物語」吉家世洋 著(データハウス)
「脳・免疫・ゲノム 「私」はなぜ存在するか」(哲学書房)
「完全武装マニュアル」銃器問題研究プロジェクト(同文書院)
ピストルと銃の図鑑」小橋良夫 関野邦夫 共著(池田書店)
(了)
(初出:2000年11月)
(初出:2000年11月)
登録日:2012年04月07日 13時46分
Facebook Comments
新美健の記事 - 新着情報
- いらない王様 新美健 (2015年07月21日 14時26分)
- Akiba-J-Gunman(4) 新美健 (2011年11月13日 20時06分)
- Akiba-J-Gunman(3) 新美健 (2011年07月21日 13時11分)
新美健の電子書籍 - 新着情報
- 麗人軍師とオアシスの魔法使い 新美健 (2011年04月20日 14時58分)
小説/SFの記事 - 新着情報
- 葬送のフーガ(17) 北見遼 (2016年02月04日 16時23分)
- 葬送のフーガ(16) 北見遼 (2015年12月20日 18時27分)
- 葬送のフーガ(15) 北見遼 (2015年11月26日 10時33分)
小説/SFの電子書籍 - 新着情報
- 生命の木の下で――THE IMMATURE MESSIAH―― 天生諷 (2016年07月06日 18時39分)
異次元の怪物ソフィアを切欠にした第三次世界大戦から数百年後――人類は高さ1万メートルに及ぶコロニー“セフィロト”を建造。ソフィアの出現に合わせるように、人の規格を遥かに凌駕する身体能力と一種の超能力であるマギを備えた新人類ネクストが登場する。彼らが組織したオラクルと反オラクルのゴスペルが覇権を巡りせめぎあう中、ゴスペルはオラクル攻略のためセフィロトの管理人である天才少女チハヤを狙う。執事のイルは命の恩人でもあるチハヤを守ろうと奮闘するが……。最強のネクスト、先代ゼロとソフィアを封印したネオらの戦闘に加え、ソフィア眷属によるセフィロト崩壊の危機にどう立ち向かう!? 近未来SFアクション登場!(小説/SF)
- ALI-CE ワンダーランドの帰還者 天生諷 (2012年03月12日 20時00分)
ニニ世紀初頭。テロや犯罪が頻発する人工島IEでは、人々は武装し、ナノマシンで身体能力を強化していた。そんな中、アメリカの特殊機関ワンダーランドで戦闘技術を学び、殺しのライセンス、スイーパーの所持者であるアスカは、三〇〇億という常識外れの借金返済のため学園に舞い戻る。想像の斜め右上をぶち抜く変わり者“天災”ミルティに翻弄されつつ、ナノマシンでもインプラントでも強化人間でもない不思議な力「ALI-CE」と燐光を放つ剣サディーヤを駆使して彼女を護衛するアスカ。彼らを襲う強化人間ソウルレスと哀しい事情を抱えた雄太、妖艶な魅力で誘惑するエルフィネル。テロリストたちの目的とは何なのか? 圧倒的な格闘シーンに酔え!(小説/SF)
あなたへのオススメ
- Akiba-J-Gunman(4) 新美健 (2011年11月13日 20時06分)
- Akiba-J-Gunman(3) 新美健 (2011年07月21日 13時11分)
- Akiba-J-Gunman(2) 新美健 (2011年03月09日 14時09分)