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北見遼
著者:北見遼(きたみりょう)
夢と現をさまよいながら、文章を連ねるさすらいの文字使い。信州産、現在は神奈川で培養中のもやしっ子。活字と美術と歴史をこよなく愛する。治したいのは積読本をためる癖。
小説/SF

葬送のフーガ(12)

[連載 | 連載中 | 全17話] 目次へ
ついにセリトの口から“罪”が語られる。レイは返す言葉もなく聞き入った。愚かな男だと自嘲し、自らに罪を科すセリトの思いとは。
 セリト(一)

 手のひらに、鈍い痛みがじわりと広がった。
 しかし、彼はもっと強い痛みを感じているだろう。いや――もしかしたら、別の感情に覆われて、五感が麻痺しているのかもしれない。
 ハルは、私に殴られた左頬を押さえたまま、呆然としていた。驚くのも無理はないだろう。私たちは一度として誼を通じたことはなかったが、かといって殴り合うような喧嘩もしなかった。またそれだけでなく、ハルのような人間は、これまで他人から手を上げられたことなどなかっただろう。特殊な環境に生まれ育ち、特別な才を持ち合わせた彼にはありえないことだ。
 もちろん私だって決して暴力など振るいたかったわけではない。人に向かって拳を向けるようなことは、今日まで一度としてなかったのだ。にも関わらず、普段とは違う行動に出てしまったのは、どうしても我慢することができなかったからだ。
「私のことは何と言っても構わない。だが、無関係なレイに向かって八つ当たりした挙げ句、汚い言葉を投げつけるのはやめてくれ」
 ――中間性(インターリム)。
 生まれ落ちた時から与えられたその宿命を、レイは今も完全には受け入れられずにいる。無理もない話だ。まだ十八という歳で、決してまっとうすることのできない「性」を自分で選ばなければならないのだから。
 人生の大きな岐路に立たされ、思い悩むレイに向かって、こともあろうに「中途半端な存在」とは何事だ。
 人とは異なる生き方をしなければならない人生を、彼はレイよりも九年多く過ごしているはずなのに――。
「……なるほど、言葉によらず手に訴えるとは、呆れた人間以下の男だな」
 しばらく自失していたハルが、ようやく紡ぎ出したのは、そんな憎まれ口だった。
 しかし、よほどのショックだったのか、その手は心なしか震えているように見える。
 だが、私はそれでも構わない。エリサのことと、レイへの侮辱は別問題だ。
「――今日のことを必ず後悔するぞ」
 そう吐き捨てて、ハルは足早に立ち去った。
 必要以上に強い音で閉まる玄関の戸を見やりながら、私は一つ息をつく。
 この店も、いよいよ閉めなければならないようだ。今までも決して成功しているとは言い難い経営状況だったが、これで完全に終幕だ。恐らく、ハルは本気で潰しにかかるだろう。彼が指先を少し動かしただけで、こんなちっぽけな店は存続できなくなってしまう。いつもの仕入れ先は、あの巨大なグループの力で茶葉一つも売ってくれなくなるだろうから。
 それでも、私は決して後悔はしない。満足に生計を立てることもできず、情けない保護者ではあるけれど、子供の心も守れないような、くだらない大人にはなりたくなかった。
 もう一度小さく吐息すると、私はしゃがみ込み、床に散乱した土を手でかき集め始めた。
 ――これは、エリサの変わり果てた姿。
 一度、白葬用の箱に入れて埋めた遺骨は、しばらくして掘り起こした時には完全に分解されていた。これは、その土を鉢植えに詰め替えたものだ。
 丹念に土を拾い集めていると、不意に頭上に影が差した。ふと振り仰ぐと、それまで無言のままでいたレイが、私の真後ろに立っていた。
 その手には、さっきまで転がっていた鉢がある。
「この花――スノードロップには、『再生』の意味があるんですね」
 拾い上げた白い花を見つめながら、レイはそう口にする。私は一瞬、言葉に詰まった。
「……どこでそんなことを覚えたんだ?」
「ユノがそう言ってたんですよ。スノードロップが表すのは『希望』と『再生』……つまり、白葬に再生を願っているんだろうって」
「ユノちゃんが……?」
 絶句とはまさにこのことを言うのだろう。
 彼女は、この鉢に誰が眠っているかなど、当然知らなかったはずだ。
 それでも――わかってしまうのか。
 白い弔いの箱に植えた小さな花に、どんな意味を込めているかを。決して叶うはずのない、苦しくも愚かしい望みを、見透かしてしまうというのか。
「は……はは、いくら若くても女性は鋭いね」
 もはや力なく笑うことしか私にはできなかった。
 そう――そうだった。エリサもまた、他人の気持ちに敏感な女だった。いずれ将来傷つくだろう少女を気遣い、人としての尊厳を奪われた子供を哀れみ、自らにかけられる周囲の期待と胸に抱えた罪悪感の狭間で苦しみ――。
 そして、壊れてしまった。
 本来なら、最もそばにいた私が、真っ先に異変に気づくべきだったのに。彼女ならきっと乗り越えられるだろうと、どこか安心した気持ちで眺めていたのかもしれない。その内に抱いた闇の深さを思いやることもなく。
 私は――愚かだ。
「いくら願ったところで、叶うはずもない……それでも私は願わずにはいられなかったんだ。エリサたちの魂が、再び生を受けることを――……」
「たち……?」
 複数形で語ったことに、レイは引っかかりを覚えたようだ。無理もない。私は、レイにまだ一度も話していなかったのだから。だが、そろそろ潮時なのかもしれない。すべて吐き出してしまうなら、今をおいて他にないだろう。
「エリサは一族が経営する病院の医師だった。ゆくゆくは後継者と目されていたから、周囲からも過剰な期待を受けていた……だから意に添わない、非人道的な手術でも、一族のためと言い含められて、執刀に立ち会わなければならなかった」
「それが……ユノの手術なんですね?」
「その話も聞いていたのか」
 恐る恐る問うレイの言葉に、私は深く息をついた。それもきっとユノから直接聞いていたのだろう。彼女が、心を打ち明ける相手としてレイを選んだのなら、それでいい。もう隠す必要もないだろう。
「そう……ユノちゃんの手術は非人道的どころか、ほとんど非合法だった。それでも断るわけにはいかなかったんだ。エリサが拒んだところで、どうせ誰かが代わりにする。それならば、直前に担当医が代わったことでユノちゃんが不安にならないようにと、あえて受けたんだ」
 実際に執刀したのは、ベテランの院長だったが、エリサもそこに立ち会わざるを得なかった。自分自身の心を納得させられないままに。
「だが――やったことは結局、殺人に他ならない。その罪の重みが、絶えずエリサを苦しめていた……それなのに、私はそのことに気づけずにいたんだ」
 手術後、エリサはいったん病院を退き、私たちはこの地から離れた場所で暮らし始めた。エリサの一族は渋っていたが、彼女に秘密をばらされても困るので、仕方なく退職届を受理した。
 その後のエリサは特に何事もなく、穏やかに過ごしているように見えた。彼女は二度とあの手術のことは話さなかったし、私も決して聞こうとはしなかった。だから、いつか記憶も時とともに風化されるだろうと、私は漠然と考えていたのかもしれない。それが甘い幻想に過ぎないとも知らずに……。
「私たちが結婚してから一年後、エリサは出産した。しかし……生まれた子供には、脳がなかったんだ」
「脳が……」
「胎児の時のまま、分化せずに未成熟な脳を持って生まれてきた。ユノの双子の片割れ……あのリノよりも育っていない状態で」
 出産後、エリサはただ一言だけを口にした。
(――私の罪の証ね)
 あの声が、今も頭から離れない。
 ユノの体内に自分の罪を埋め込み、縫い合わせた時、エリサは二度と塞がらない深い傷を負ったのだ。
 小さな命を奪った罪。それに対する罰が、こんな形で現れたのだとエリサは感じた。
 だから。
 だからエリサは――。
「――子供は死産だった。そしてエリサは、その子を抱いたまま自ら命を絶った」
 だが、その時の記憶が私にはない。
 ただ覚えているのは、人間未満の子供の虚ろな眼と、体温を失ったエリサの冷たい体だけだ。
 それだけが、私に残されたすべてだった。
「……じゃあ……ここには、エリサさんとその子供が……?」
 レイは肩を震わせながら、かすれる声でそう訊ねた。
 私は重い息を吐き出してから、口を開く。
「ユノちゃんの予想は、半分だけ正解だ。私は確かに『再生』を願った。だが、ここには『希望』なんてない。あるのはただ、私自身の罪の証だ」
(――おまえは、エリサを殺した)
 エリサの訃報を伝えた後、ハルがよこしたのはその一言だった。
 そんなことはわかっている。ハルに言われるまでもない。彼女の負ったものの重さに気づきもせず、彼女の毅さに慢心して、救いの手を差しのべることさえできなかった。
 私は彼女を殺したのだ。
「セリトさん――……」
 レイは何かを言いかけて、それきり言葉が続かないようだった。
 当然だ。こんなことをいきなり聞かされて、適切な言葉がすらすらと出てくるはずもない。
 ああ、そうだ。私はまた一つ、余計なことをしてしまったのかもしれない。こんな話をレイに聞かせて、いったいどうするつもりだと言うのだろう。今、自分の人生の岐路に立たされている子供を、ますます悩ませるようなことを口にして――。
 何年経っても、私は愚かなままだ。いい加減、自分自身に嫌気が差す。
「悪い、レイ。少し頭を冷やしてくるよ……」
 一度こぼれた言葉は、二度と口には戻らない。今の話は、すでにレイの記憶に深く刻まれてしまったことだろう。これ以上、余計なことを口走らないうちに、頭を切り換えなければならないようだ。
 まだ何か言いたげなレイの視線を感じながら、私は背を向けた。レイの目を見つめ返す勇気が私にはなかったのだ。
 レイ、君は失望しただろうか。
 私はこんな愚かな男だ。無限の可能性を秘めた君が、いつまでも関わっていいような人間ではない。だから一刻も早くここを離れなさい。
 私は、人の親になる資格などないのだから。
(つづく)
(初出:2015年09月30日)
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登録日:2015年09月30日 20時39分

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