小説/SF
葬送のフーガ(16)
[連載 | 連載中 | 全17話] 目次へ
白葬されたエリサに埋めるべき骨は欠片も残っていないが、墓石だけはあった。そこには予想通りハルの姿があった。そう思いたい不幸を直視できるか?
セリト(五)
「セリトさん……!」
病院の廊下を抜け、外に出たところで、レイの呼び止める声が上がった。
「……悪かったね、レイ。君まで巻き込んで」
外の冷たく清涼な空気を吸い込んで、私はそう口にした。
こんなこと、本来ならレイが関わるべきではなかったのだ。自分自身の大きな岐路に立たされているレイに、余計なことをしてしまったと、私は今さらながらに反省した。
すると、レイはなぜか目を伏せ、小さくつぶやいた。
「僕は……」
その後が、かすれてうまく聞き取れない。
「うん? 何だい?」
「いえ、何でもないです。それより、どこへ行くつもりなんですか」
何だかはぐらかされたような気もしたが、これ以上追及する必要もないだろう。それに、何より今はしなければならないことがある。
私は振り返り、短く答えた。
「墓参りだよ」
その言葉に、レイは目を丸くした。
「墓……ですか? だって、エリサさんは――」
「そう、骨はない。彼女は私の手元にいたんだからね。だが、墓石だけはあるんだよ」
正確に言うところの、エリサの「墓」というものは存在しない。何しろ、彼女は私の手で白葬にしてしまったので、埋めるべき骨は土に分解され、欠片も残っていないのだ。
だが、そんな私のやり方に反発して、エリサの一族は彼女の墓を別に作った。それを主導したのは、私を最も憎悪しているハルだったそうだ。
「私も墓参りはこれが初めてだよ。何しろこの敷地内に立ち入ることも許されなかったんだからね」
ユノは、自分がエリサを殺したのだと悔やんでいた。だが、そんなふうに思っているのは彼女だけだ。
実際に、エリサを殺したのはこの私だ。
だから、一族すべてから怨まれ、憎まれ続けている――今も。
「敷地内って、それじゃあ墓ってもしかして……」
レイが言い終わる前に、私たちはそこにたどり着いた。
彼女が最も愛した色――白い石に名を刻んだだけの、簡素な造り。その墓前には、一つの花と人影があった。
「やはりここにいたのか」
病院の敷地の片隅に、ぽつんと建てられた小さな墓。病室から見えるのはさすがに良くないと配慮したのだろうか、人目につかないようなところにある。
その前にたたずんでいたのは、墓を建てた人間だった。
「よく……わかったな、ここが」
私たちの足音に気づいたハルは、肩越しに振り向いた。十二歳のまま成長していない体のはずなのに、今の彼は実年齢以上の歳を感じさせた。
「君が墓を建てたと噂で聞こえてきたからね。でも、ここに来るのは今日が初めてだよ」
「おまえが来る必要はないだろう。エリサを奪ったまま返しもしなかったのは、おまえなんだからな」
「だけど、ようやく戻ったみたいだね」
相変わらずの台詞を吐く彼に、私はそれだけ告げた。
今、墓前には一つの花が置かれている。供花らしい切り花ではなく、鉢植えの。
その可憐な白い花の名は、スノードロップ。
見間違えるはずもない。白い特殊な箱に植えられたこの花は、私の家から持ち出されたものだ。
「これは、ユノが置いていったようだ。なぜこんなことをしたのか知らんが、恐らく墓に供えるつもりだったんだろうな」
リビングに置いてあった鉢植えは、ユノとともに姿を消していた。だから彼女が持ち出したのだろうとは思っていたが、その時には理由まではわからなかった。あの鉢植えの意味を、私は彼女に話していなかったのに、なぜ持ち去ったのだろうと首をひねった。
だが、今になってようやく明らかになる。
――スノードロップが表すのは、「希望」と「再生」。
ここへ来た時、彼女は自ら白葬にされることを願っていた。だから、先に白葬にされたエリサに、挨拶をしに来たのだろう。再生されることを願い、その象徴である花を携えて。
まさかその鉢植えこそが、エリサの変わり果てた姿だとは、知る由もなかっただろうけれど。
「――君はどうして答えてやらないんだ?」
不意に放った私の問いに、ハルは無言で返す。意味がわからないはずはない。だから私は重ねて告げる。
「彼女が何を求めているのか、頭のいい君にわからないはずはないだろう。彼女には、冷たく突き放す手ではなく、強く支えてやる手が必要なはずだ」
そこまで言うと、ハルはついに激高した。
「おまえがそれを言うのか! エリサを手放し、殺したおまえが!」
「――わかってる!」
私もまた、思わず叫んでいた。
そう、私だってわかっているのだ。それでも言わずにいられないことがある。
「そんなことは、わかってるさ。だが……だからこそ、君に私と同じ轍を踏んでもらいたくないんだ。君のためじゃなく、彼女のために。君だって、むざむざ失いたいわけじゃないんだろう?」
「あいつは、俺を必要としていない」
ふてくされたような口ぶりに、私は思わず小さな笑みをこぼしてしまった。だが、ハルは気に入らなかったらしく、それを聞き咎めた。
「何がおかしい」
「本当に、君は子供だな。いつまで経っても」
その言葉に、ハルは憤然と顔を紅潮させる。
まったく、そんなところも子供だというのだ。頭だけは人一倍いいのに、体とともに心も子供のまま止まってしまっているような気さえする。
あいつが必要としていない、だって?
なぜ、理由を他人に求めるのだ。
なぜ、自分の心を見ようとしない?
「彼女が、君を必要としていないから、離れようというのかい? それなら、ちゃんと彼女の意見を聞いてみるんだね。本当かどうか」
突き放すようにそう言うと、私は一歩後ろに下がった。
そして、その動作を見ていたハルの瞳が、これ以上ないほど大きく開かれる。
彼の眼に映ったのは、憎たらしい私ではなく、その陰から現れた――。
「ユノ……」
乾いた声で、ハルは小さくつぶやいた。
周りに目を向ける余裕がなかったらしく、病室から抜け出してきたユノが、私のすぐ後ろまで来ていたことにも気づかなかったようだ。だからだろう。とっさに彼は口にしていた。
彼女は気づいているだろうか?
彼は自覚しているのだろうか?
私が知る限り、初めて彼が彼女の名を呼んだということに。
ユノの陶器のような頬は、今は赤く染まっていた。薄い恰好のまま出てきたせいで、晩秋の風が身にしみるのだろう。だが、それでも彼女は微動だにせず、じっと彼を見つめている。
一度はすべてを投げ出そうとした彼女が、今初めて真正面から彼に向き合っているのだ。その視線から逃れることは、もはやできないだろう。どんな形であれ、彼は本心をさらけ出さなければならない。
折しも、淡い白がひらひらと舞い降りてきた。冬の訪れを告げる、少し早い初雪。
一つの季節が終わったことを知り、私は頃合いを覚った。
「さあ行こう、レイ」
ずっと黙って見つめていたレイの手を取って、私は足早に歩き出す。突然の行動にレイも驚いたらしく、一瞬びくりと震えるのを感じたが、そのまま引っ張っていくことにした。寒さの中たたずんでいたせいで、握りしめたその手は思った以上にひやりと冷たかった。
「セリトさん、花が……」
レイが言いかけるのを遮るように、私はその手を強く引いた。
レイの言いたいことはわかっている。花を置き去りにしてもいいのかと訊きたいのだろう。
だが、私はあえて持ち帰らないことに決めた。というより、持ち帰るべきではないと思ったのだ。
死んだら土に還るという宣伝文句で広めた白葬発案者が言うべきではないかもしれないが、もし、死後も魂が残るとしたら――その魂があの土に宿っているのだとしたら――彼女はあの場に残していくべきなのだろう。
小さな箱に閉じ込めず、大地に安らかに眠りながら、彼女が思いをかけた若い二人の行く末を、見守らせてやるべきだろう。
建物の角で曲がる直前、私は最後に彼らをちらりと振り返る。
淡雪にかすむ二つの影と一つの花を残し、私たちは静かにその場を立ち去った。
「セリトさん……!」
病院の廊下を抜け、外に出たところで、レイの呼び止める声が上がった。
「……悪かったね、レイ。君まで巻き込んで」
外の冷たく清涼な空気を吸い込んで、私はそう口にした。
こんなこと、本来ならレイが関わるべきではなかったのだ。自分自身の大きな岐路に立たされているレイに、余計なことをしてしまったと、私は今さらながらに反省した。
すると、レイはなぜか目を伏せ、小さくつぶやいた。
「僕は……」
その後が、かすれてうまく聞き取れない。
「うん? 何だい?」
「いえ、何でもないです。それより、どこへ行くつもりなんですか」
何だかはぐらかされたような気もしたが、これ以上追及する必要もないだろう。それに、何より今はしなければならないことがある。
私は振り返り、短く答えた。
「墓参りだよ」
その言葉に、レイは目を丸くした。
「墓……ですか? だって、エリサさんは――」
「そう、骨はない。彼女は私の手元にいたんだからね。だが、墓石だけはあるんだよ」
正確に言うところの、エリサの「墓」というものは存在しない。何しろ、彼女は私の手で白葬にしてしまったので、埋めるべき骨は土に分解され、欠片も残っていないのだ。
だが、そんな私のやり方に反発して、エリサの一族は彼女の墓を別に作った。それを主導したのは、私を最も憎悪しているハルだったそうだ。
「私も墓参りはこれが初めてだよ。何しろこの敷地内に立ち入ることも許されなかったんだからね」
ユノは、自分がエリサを殺したのだと悔やんでいた。だが、そんなふうに思っているのは彼女だけだ。
実際に、エリサを殺したのはこの私だ。
だから、一族すべてから怨まれ、憎まれ続けている――今も。
「敷地内って、それじゃあ墓ってもしかして……」
レイが言い終わる前に、私たちはそこにたどり着いた。
彼女が最も愛した色――白い石に名を刻んだだけの、簡素な造り。その墓前には、一つの花と人影があった。
「やはりここにいたのか」
病院の敷地の片隅に、ぽつんと建てられた小さな墓。病室から見えるのはさすがに良くないと配慮したのだろうか、人目につかないようなところにある。
その前にたたずんでいたのは、墓を建てた人間だった。
「よく……わかったな、ここが」
私たちの足音に気づいたハルは、肩越しに振り向いた。十二歳のまま成長していない体のはずなのに、今の彼は実年齢以上の歳を感じさせた。
「君が墓を建てたと噂で聞こえてきたからね。でも、ここに来るのは今日が初めてだよ」
「おまえが来る必要はないだろう。エリサを奪ったまま返しもしなかったのは、おまえなんだからな」
「だけど、ようやく戻ったみたいだね」
相変わらずの台詞を吐く彼に、私はそれだけ告げた。
今、墓前には一つの花が置かれている。供花らしい切り花ではなく、鉢植えの。
その可憐な白い花の名は、スノードロップ。
見間違えるはずもない。白い特殊な箱に植えられたこの花は、私の家から持ち出されたものだ。
「これは、ユノが置いていったようだ。なぜこんなことをしたのか知らんが、恐らく墓に供えるつもりだったんだろうな」
リビングに置いてあった鉢植えは、ユノとともに姿を消していた。だから彼女が持ち出したのだろうとは思っていたが、その時には理由まではわからなかった。あの鉢植えの意味を、私は彼女に話していなかったのに、なぜ持ち去ったのだろうと首をひねった。
だが、今になってようやく明らかになる。
――スノードロップが表すのは、「希望」と「再生」。
ここへ来た時、彼女は自ら白葬にされることを願っていた。だから、先に白葬にされたエリサに、挨拶をしに来たのだろう。再生されることを願い、その象徴である花を携えて。
まさかその鉢植えこそが、エリサの変わり果てた姿だとは、知る由もなかっただろうけれど。
「――君はどうして答えてやらないんだ?」
不意に放った私の問いに、ハルは無言で返す。意味がわからないはずはない。だから私は重ねて告げる。
「彼女が何を求めているのか、頭のいい君にわからないはずはないだろう。彼女には、冷たく突き放す手ではなく、強く支えてやる手が必要なはずだ」
そこまで言うと、ハルはついに激高した。
「おまえがそれを言うのか! エリサを手放し、殺したおまえが!」
「――わかってる!」
私もまた、思わず叫んでいた。
そう、私だってわかっているのだ。それでも言わずにいられないことがある。
「そんなことは、わかってるさ。だが……だからこそ、君に私と同じ轍を踏んでもらいたくないんだ。君のためじゃなく、彼女のために。君だって、むざむざ失いたいわけじゃないんだろう?」
「あいつは、俺を必要としていない」
ふてくされたような口ぶりに、私は思わず小さな笑みをこぼしてしまった。だが、ハルは気に入らなかったらしく、それを聞き咎めた。
「何がおかしい」
「本当に、君は子供だな。いつまで経っても」
その言葉に、ハルは憤然と顔を紅潮させる。
まったく、そんなところも子供だというのだ。頭だけは人一倍いいのに、体とともに心も子供のまま止まってしまっているような気さえする。
あいつが必要としていない、だって?
なぜ、理由を他人に求めるのだ。
なぜ、自分の心を見ようとしない?
「彼女が、君を必要としていないから、離れようというのかい? それなら、ちゃんと彼女の意見を聞いてみるんだね。本当かどうか」
突き放すようにそう言うと、私は一歩後ろに下がった。
そして、その動作を見ていたハルの瞳が、これ以上ないほど大きく開かれる。
彼の眼に映ったのは、憎たらしい私ではなく、その陰から現れた――。
「ユノ……」
乾いた声で、ハルは小さくつぶやいた。
周りに目を向ける余裕がなかったらしく、病室から抜け出してきたユノが、私のすぐ後ろまで来ていたことにも気づかなかったようだ。だからだろう。とっさに彼は口にしていた。
彼女は気づいているだろうか?
彼は自覚しているのだろうか?
私が知る限り、初めて彼が彼女の名を呼んだということに。
ユノの陶器のような頬は、今は赤く染まっていた。薄い恰好のまま出てきたせいで、晩秋の風が身にしみるのだろう。だが、それでも彼女は微動だにせず、じっと彼を見つめている。
一度はすべてを投げ出そうとした彼女が、今初めて真正面から彼に向き合っているのだ。その視線から逃れることは、もはやできないだろう。どんな形であれ、彼は本心をさらけ出さなければならない。
折しも、淡い白がひらひらと舞い降りてきた。冬の訪れを告げる、少し早い初雪。
一つの季節が終わったことを知り、私は頃合いを覚った。
「さあ行こう、レイ」
ずっと黙って見つめていたレイの手を取って、私は足早に歩き出す。突然の行動にレイも驚いたらしく、一瞬びくりと震えるのを感じたが、そのまま引っ張っていくことにした。寒さの中たたずんでいたせいで、握りしめたその手は思った以上にひやりと冷たかった。
「セリトさん、花が……」
レイが言いかけるのを遮るように、私はその手を強く引いた。
レイの言いたいことはわかっている。花を置き去りにしてもいいのかと訊きたいのだろう。
だが、私はあえて持ち帰らないことに決めた。というより、持ち帰るべきではないと思ったのだ。
死んだら土に還るという宣伝文句で広めた白葬発案者が言うべきではないかもしれないが、もし、死後も魂が残るとしたら――その魂があの土に宿っているのだとしたら――彼女はあの場に残していくべきなのだろう。
小さな箱に閉じ込めず、大地に安らかに眠りながら、彼女が思いをかけた若い二人の行く末を、見守らせてやるべきだろう。
建物の角で曲がる直前、私は最後に彼らをちらりと振り返る。
淡雪にかすむ二つの影と一つの花を残し、私たちは静かにその場を立ち去った。
(つづく)
(初出:2015年12月20日)
(初出:2015年12月20日)
登録日:2015年12月20日 18時27分
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