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城本朔夜
著者:城本朔夜(しろもとさくや)
自称「心のカメラマン」。被写体は、見えなくて、水のようにいつも動いているもの。究極に目指すのは、世にも美しい芸術作品。でも好きなのは、なんの変哲もない「スナップ写真」。撮ったあと、ちょっと変わっているのが撮れていたりすると、嬉しくなって、誰かとシェアしてみたくなります。
小説/SF

生態刑(1)

[連載 | 完結済 | 全5話] 目次へ
地震を感じてからおかしなことになってきた。買い物はグリーンマネーでないと買えなくなり、牛が店先で人語を話し、お母さんもお父さんも帰ってこない。そうしてぼくのサバイバルが始まった!
「あ、地震だ」
 そのとき、ぼくは学校のトイレの個室に入っていた。よりによってこんなときに。トイレの扉がガタガタと小きざみにゆれている。ぼくは、心もとない下半身を気づかい、もし地震がひどくなる場合に備えて、両手でズボンをあげる準備を整え、ゆれの行方を目だけで静かに追っていた。
 地震は、たいしたことはなかった。ホッと息をつき、途中にしていた仕事をすませる。そして、トイレの様子をうかがうように個室をすべり出た。
 学校のトイレの個室に入るのは数年ぶりだった。個室に入っているのをだれかに見つかると、大変なことになるからだ。
 仲のいいやつならまだしも、クラスの中でもたちの悪いのに見つかると、後々までからかわれる。この間も女子がいる前で、「ウンコたれ」だの「残り香がする」などと言われているやつをぼくは見ていた。
 幸い、トイレの中にはだれもいなかった。ぼくは、あたかも小をすませて出てきたかのようなふりをして、康平たちが待っている昇降口へ急いだ。
 康平たちは、ぼくが消えていた時間の長さのことなど気にしている風もない。ぼくの姿を認めると、「行こうぜ」と、あごをしゃくって、外靴にはきかえ始める。かくr
「さっきの地震、震度二くらいだったかな?」
 ぼくが、何となくつぶやくように言うと、康平は「は?」とぼくの顔をいぶかしげに見つめた。
「地震だよ、気づかなかった?」
「はあ? 何のこと?」
 康平たちは、あの地震に気づかなかったようだ。ぼくは個室に座ってじっとしていたから、気づいただけなのかもしれない。ふざけて走り回っていたら、気づかないことだってよくあるものだ。ぼくは、たぶんそういうことだと思って、それ以上はその話にふれないことにした。


 新学期。六年生になって間もない四月。
 校庭には春とは思えないような強い日差しが降り注ぎ、ひと足も、ふた足も早い夏を運んできている。ぼくは、青いストライプの長そでシャツのそでをまくり上げ、康平や慎太郎たちと一緒に校門を出た。
「暑いなぁ、アイスでも食わねえか」
 胸元のボタンをひとつはずしながら、康平が言う。
「え、でも昼飯前だよ」と慎太郎。けれど、
「いいの、いいの」
 結局、康平の押しの強さが勝って、ぼくらはなしくずし的に、学校の裏のパン屋へと足がおもむいていった。
「すみませーん」
 店先で、めいめいアイスを選んで、奥にいるおばちゃんを呼ぶ。
「ハーイ」
 愛想のいい声がした。あれ、いつもより声がくぐもってる? と思って顔を見て、ぼくはぎょっとした。立っていたのはいつものおばちゃんではなく、牛顔の女の人だったからだ。牛顔っていっても、牛に似てるとかそんなんじゃない。牛そのものだったんだ。
 ぼくがたじろいでいるのに、康平たちは何てことはないって顔で、真新しい見慣れないカードをその店の牛に差し出した。牛はカードを受け取ると、「ちょっと待っててね」
と言って少しの間奥へ消えた。が、またカードを持って表へ出てきた。
「確かに。毎度ありがとうございます」
 何だよ、いつの間にみんなクレジットカードなんか作って。こんな小さな店でもクレジットカード、使えるようになったんだ。自分専用のカードといえば保険証ぐらいなもので、クレジットカードなんか、もちろん持っていなかった。ぼくは、手に用意していた百円を牛に渡した。すると牛は、首を横にふって、百円を乗せた手を引っこめようともしない。
「えっ?」
「何だ、忘れたのか? 仕方ねえなあ。貸しといてやるよ」
 康平が、自分のカードを牛に渡した。
 アイスをなめながら、ぼくらは歩き出した。康平と、慎太郎がきのうのプロ野球のことを話しているみたいだ。けれどぼくは、今目の前で起こったことがうまく飲みこめないままで、みんなの話は上の空だった。
 あの牛は? 
 カードがないと、お金が使えない? 
 みんなが持ってるカードは何なんだ? わからないことだらけだ。
 あまりにも何にもわからないから、みんなにきいてみることも、かっこ悪くてできなかった。
「昼飯食い終わったら、学校のグランドに集合な」
「何時にする、二時くらい?」
 康平たちは、サッカーをする約束をしているみたいだった。だけど、ぼくは相変わらず上の空で、はっきりと返事もしないままに家に帰ってきた。


「ただいま」
 と言っても、いつものように返ってくる言葉はない。ウチは共稼ぎだからだ。家を閉め切ってあったせいで、むっとした空気が、ぼくの肌にまとわりつく。
 留守がちで、おまけにマンション。だから母さんはだめだと言うけれど、帰ってきたとき、出迎えてくれる犬がいたらどんなにうれしいだろう、といつも思う。ずんどうの体に、大きくピンと三角に立った耳。じんのすけという名前のコーギー犬が欲しい。ぼくはそんなことまで想像していた。けれど、今日はそれどころではなかった。
 南側の窓を開けながら、またさっきのできごとを考えていた。
康平たちが持っていたアレは、ただのクレジットカードじゃないみたいだった。あの店のポイントカード? いや、だからって、あれがないとアイスが買えないなんて変だ。そし てあの牛。あの店だけが変になったんだろうか?
 色んな考えがぼくの中をめぐり、ぐちゃぐちゃになってきた。
 ちょっと怖い気もするけど、考えていたって仕方がない。ぼくは、開けたばかりの窓を閉め、家を出た。
 お昼ごはんも調達しなくちゃならないし、とにかく近くのコンビニへ行ってみよう。

 コンビニは、ぼくの家から三分くらいの所にある。
 ガラスごしに、店の中をのぞくと、どうやらここの店員は牛じゃないみたいだ。ちょっとホッとして、店の中に入った。ノート一冊とお昼ごはん用の弁当一個を手に持って、レジへと向かう。
 レジに立っていたのは、アルバイト風のお兄さんだった。お兄さんはノートを手に持って、いつものようにピッ、とやりだした。それを見たぼくは、すっかり安心してポケットから財布をとりだした。
「二百五円と四百二十****円です」
「は?」
「二百五円と四百二十グ**ン円です」
 やっぱりわからない。顔がどんどん熱くなっていく。
「あのどっちが、二百五円なんですか?」
 消え入りそうな声で、やっときく。
「は? っていうか、ノートとサービス料ですけど?」
 さ、サービス料? 消費税じゃなくて?
「じゃ、じゃあ、ノートだけでいいです」
 ぼくは、二百五円ちょうどをカウンターの上に置いた。
「ノートだけなら百五円でいいですよ」
 お兄さんは押し出すように、百円玉をぼくにつき返した。ぼくは百円玉をつかみとり、ノートを奪うようにして持つと、店の外へ走り出た。
 やっぱり、何かおかしなことになっているんだ。
 恥ずかしい思いをして店から逃げてきたけれど、かといってこのまま家に帰って、わけがわかんないままなのはいやだった。それに、一番奇妙で頭から離れないのは、パン屋の牛顔のおばさんのことだ。
 ぼくは勇気をふりしぼってもう一度、学校の裏のパン屋へ行くことにした。学校の塀の陰からパン屋を見ると、やっぱりいる。あの牛のおばさんが店先に立っている。
 ゴクリとつばを飲んで、前に進み出た。今度は恥も捨てて、ちゃんと聞かなくちゃならない。
「あの、すみません。ぼくこのアイス欲しいんですけど」
「やあ、さっきの子だね。またアイスだなんてお腹こわさないのかい?」
 おばさんは、人懐っこくて話しやすい感じだ。
「あの、実はぼく、カードがないとこのお金が使えないの、何でだか知らなくて……」
 おばさんはちょっとびっくりしたようだった。
「まだ、知らない子がいるもんなんだねえ。今まで買い物なんかしなかったんだろう?」
 決めつけるように言う。
「私ら牛にとっちゃ、お金なんて何にも意味がないもんだからねえ。何にも知らない子に話すとなると長くなるけど、簡単に言えば、十年前に法律で決まったのよ。食べ物は今までのお金では、買えないことになるってね。その法律が、十日前の新年度から始まってるってわけ」
「じゃあ、アイスが欲しかったらどうしたらいいの?」
「グリーンマネーっていう食べ物の通貨と交換ね。それと、お店で買う場合は、ふつうのお金で払うサービス料。まあ、あたしら牛としちゃあ、グリーンマネーなんかじゃなくたって、直接このアイスに見合う量の草を持ってきてくれたら、文句はないんだけどね」
「さっきぼくの友だちが持ってたカードは?」
「あれは、食物及び肥料生産証って言われるもので、食べ物専用のクレジットカードよ。あれがあれば、普通のお金とグリーンマネー両方で払わなくても一枚ですんじゃうってわけ。そうだ、話すと長くなるから、これ、あんたにあげるよ。十年前の新聞だけどね。読むとよくわかると思うわよ。いよいよ、あたしら家畜が日の目を見る日が来たのよねぇ」
 おばさんはうっとりと、空を見上げた。
 ぼくは、牛のおばさんから新聞を受け取ると、お礼も言わずに歩き出した。
 そんなことちっとも知らなかった。でもきっと、お父さんもお母さんもあんまり忙しすぎて、ぼくに言い忘れていたんだ。母さんが帰ってくれば、きっと解決する。
「あ、そうそう、これからは食べ物を買うときはこれを使うのよ」
 なんて言って、康平たちが持っていたあのカードと同じものをぼくにくれるんだ。ぼくは、ちょっとホッとした。何だかわかんないけど、新聞を読めば全て解決するだろう。
 家に帰ると、さっそく、牛のおばさんがくれた新聞を広げて読み始めた。
新聞の見出しには「家畜達の一揆 牛集団自殺 自然保護団体解決の道探す」と書いてある。新聞の内容はこうだった。


 これまで人間以外の生物は、人間の知能に遠く及ばないと信じられていたが、この考えは、大きくゆるがされることとなった。牛、豚などをはじめとしたほ乳類はもちろんのこと、植物にいたるまで、全ての生物は人間と同じ、意志を持ち、それを伝える手段を持っていた。
 このことが今回の牛の集団自殺をきっかけに発覚した。牛が全生物を代表して人間の言葉を話し、次のようなメッセージを送ってきた。

「人間の生態系の環からはずれる行動は目に余るものがある。このままでは、生態系は完全にバランスをくずし、生物の未来があやぶまれる。我々は、長い時をかけ、水面下でネットワークを築いてきた。これより先、食べ物を提供する我々の権利が受け入れられない場合は、全生物の集団自殺をもって報いる覚悟である。

一.食べ残すとわかっていながら大量の動物を殺しては、ゴミにして腐らせ、焼却する。
二.自らの排泄物を土に返さないで、海に流す、もしくは、焼却する。
三.自らの死体を土に返さないで、焼却する。

 あまりに著しい、以上の点を早急に改革されることを望む」

 政府は、今まで通りこの動きを力で押さえようとした。が、それに反対する環境保護団 体が、この問題に大きく乗り出してきた。
 そこで、話し合いがもたれた結果、今までのあやまちをわび、「三」については今すぐに土葬に変えること。「一、二」については十年の準備期間をもらい、グリーンマネーのシステムを確立して、食べ物に対する報酬を、土や植物に返すことを約束した。グリーンマネーのシステムは以下のとおりである。
 すべての人間は、排泄物をこれから十年かけて堆肥にした上で、土に返す。その堆肥の出来の良さを数値化したものをグリーンマネーという。食べ物はこのグリーンマネーでしか買うことができない。
 排泄した分に見合うグリーンマネーしか得られないので、むだな殺生が食い止められる。子供のいる家庭には、その成長予定分の係数をかけて、借金できるものとする。
 この法律は、十年後から施行される。

 新聞は、ぼくには難しいところもあって、わかるのは半分ぐらいだった。だけど、だいたいのことはわかった。つまり、ウンコがお金になったっていうことなんだ。
 そんな重要な秘密があったなんて、初めて知った。だけど、さっきこそは学校でウンコをしてしまったが、ウンコは必ず朝、出かける前に家でしていた。だから、きっとぼくのウンコだって、父さんたちがちゃんとしてくれているに決まっている。
 ぼくはウチのトイレが、金庫につながっている様子を思いうかべて、おかしくなった。本当はそんな仕組みではないのだろうけど、母さんが帰ってきたら、色々きいてみよう。
 結局コンビニでお弁当は買えずじまいだったので、お腹がすいていた。台所へ行き、カップラーメンを探すが見当たらない。仕方が無いので、食卓に無造作に置いてある食パンの袋から最後の一枚を取り出し、トーストして食べることにした。
 トーストを食べながら、康平たちが学校のグランドでサッカーをしていることを思い出したが、なんとなく今から遅れて行く気もしなかった。ぼくは、居間のじゅうたんの上に寝そべって、テレビゲームを始めた。


 画面に吸いこまれていたせいで、気づかなかったが、もうだいぶ家の中が暗くなってきていた。
 そろそろ母さんが帰ってくる時間だ。ぼくは、お腹がすいていた。いつもなら、カップラーメンでつないでおくところだが、あいにくだ。
「しょうがねえな」
 母さんが帰ってくるまでにご飯を炊く準備をしておけば、早く夕御飯にありつけるだろう。どうせおかずは、母さんがその辺で適当に買ってきた惣菜だ。
 いったんテレビのスイッチを切ると、台所へ行った。炊飯がまを米びつへ持っていき、ボタンを押す。二合炊こうと思ったのに、米は一合半しかなかった。とにかく一合半の米をといで、炊飯器にセットする。
 ついでに食卓の上の雑多な書類を追いやって、すぐに、おかずを並べられるように準備してしまおう。食卓を片付け始めたぼくは、奇妙なことに気がついた。ふと、手の動きが止まる。
 お金が置いてあるのだ。それも二センチほども厚さのある札束だ。さっきは、雑多なものにまぎれて気がつかなかったらしい。
 なぜだか恐ろしい気がして、その札束にさわる気になれなかった。結局、札束には指一本触れることはしないで、再び居間へ行き、不安から逃げるようにテレビをつけた。


 母さんの帰りは遅かった。いつもより、二時間も過ぎているのに、連絡はない。あまりにもお腹がすいていたので、ぼくは冷蔵庫にあるあり合わせの野菜と豚肉で野菜炒めを作り、食べることにした。夕飯をすませるともう九時を過ぎていたが、やっぱりだれも帰ってこない。
 父さんはいつも帰りが遅いが、今日は特に遅いように感じられる。思い余って母さんの携帯にも、父さんの携帯にも、何度となく電話をしてみるが、電源が切られている。
 ぼくはテレビの画面をいつまでも見つめながら、もしかして父さんか母さんのどちらかが事故にあって、連絡するどころじゃないのかもしれない、と考えたりしていた。他にもいろんな考えがうかんできたが、もっと考えたくないある不安が、頭をもたげてくるのを感じていた。
 それは昨日、学校で「ぼくの望み」という題で作文を書いたことだった。

ぼくの望み
六年一組 堀田聡

 ぼくのお母さんはとてもやかましいです。ごちそうさまの後に、お茶わんに米つぶがついていたり、きらいなピーマンを残したりしただけで、ガミガミいいます。
 お父さんも、やかましくてケチです。いっしょに遊んでくれないくせに、テレビゲームをしているとおこるし、少ししかおこづかいをくれません。
 もしぼくの望みがかなうなら、たくさんテレビゲームのソフトが買えるくらいのお金を置いて、しばらくの間お父さんもお母さんもいなくなってほしいと思います。

 あれは、おとといのことだった。ぼくは夕飯をほとんど食べなかった。好きなおかずじゃなかったし、母さんが帰ってくる前に勝手にカップラーメンを食べたからだ。ひと口ふた口、はしをつけ、ご飯を突っつきまわす。
「あら? 聡、食べないの?」
 言われたのをきっかけにはしを置き、テレビゲームのスイッチをつけて居間のじゅうたんに寝そべった。そしたら、母さんがいきなり怒鳴り始めたんだ。
「聡! 何なのその態度は? 母さん急いで帰ってきて、あんたのため思って作ってんのに、いい加減にしなさい! 食べ物を粗末にしたら承知しないよ!」
 何言ってんだ。とぼくは思った。母さんが帰ってくるのが遅いからカップラーメンとポテトチップスですませたんじゃないか。それに、カップラーメンの方がずっとおいしい。食べたいときに食べたいものを食べて何が悪い。だいたい、好き嫌いのことでいつも、母さんはうるさすぎる。
 そんなことがあって、ちょっと頭にきていたんだ。
 それにしても、お粗末な作文だった。書き直そうと思って、家に持って帰ってきた。
 でも、まさか作文のとおり、父さんと母さんがいなくなるなんて。もしも、ぼくの書いた作文が、父さんたちをどこかに消してしまったんだとしたら? いや、そんなバカなこと、あるわけないじゃないか。テレビのドラマじゃあるまいし。だけど、今日は奇妙なことばかりが起こっている。それに、食卓のすみに置かれた、札束が何よりの証拠じゃないのか? 
 そう考え始めると、そんな考えばかりが頭にこびりついて、離れなくなってきた。
 ああ頼むから、だれか早く帰ってきて。
 何だか急に、背中の方から怖いものがやってくるような気がして、ぼくはふとんにもぐりこんだ。心の中で両親の帰りをいつまでも待ちながら、頭の中の悪い考えをふり払おうとした。けれどそのうちに、いつの間にか眠ってしまったみたいだった。


 気がつくと朝になっていた。南向きの窓から、とっくに朝日とは呼べないような光が、カーテンのすき間から射しこんでいる。
 今日は土曜で、学校は休みだ。時計を見ると九時少し過ぎだった。急いで起きだして、台所や他の部屋をのぞいてみる。けれど、昨日から何も変わったことはなく、ぼく以外の人の気配はやっぱりなかった。もう一度、携帯に電話をかけてみる。やはり、結果は同じだった。
 戸棚の中を調べてみることにした。いつも母さんが大事なものをしまっている戸棚だ。グリーンマネーか、康平たちの持っていたカードがあれば助かる。けれどそんなものは見つからなかった。
「何なんだよ、いったい!」
 急に怒りがこみ上げてきて、戸棚の引き出しを、思いっきり蹴った。
 息子に肝心なもの置いていかないで行方不明とは、どういうことだ。
 戸棚を蹴っただけではおさまらない。母さんたちの部屋から出るときに、ドアがしゃくにさわって、壊すほど足で乱暴に閉めてみる。つま先にさわったゴミ箱を蹴り倒す。新聞、雑誌、もう手当たりしだいだ。なおも別の雑誌をつかもうとした手が、何かに当たった。
 昨日から数ミリも動いていない、札束だ。思わずハッとする。札束を投げる気にはならなかった。まだ恐ろしげなオーラを放っている。
 ぼくは自分の部屋に行き、あわててランドセルのポケットを探った。例の作文を見つけ、机に広げた。急いで書いてある字を全部消し、新しい作文を書きはじめた。

ぼくの望み
六年一組 堀田聡

 ウチの家庭は、ともかせぎです。だからなかなか、お父さんともお母さんともゆっくり話す時間がありません。休みの時でさえも、お母さんは家の仕事がたまっていて、いそがしそうだし、お父さんはいつもつかれていて、とても遊ぶようなふんいきにはなりません。
 ぼくは何でもない顔をしているけど、本当はさびしいです。ぼくの一番の望みは、お父さんとお母さんといっしょに長い時間をすごすことです。まだ家にはいないけれど、犬を飼って、その犬も一緒に車でキャンプに出かけて、どこか広々とした草原でキャッチボールとか、できたらいいなと思います。

 母さんたちが一晩いなかっただけで、ぼくにはいい薬だったのかもしれない。
 書いている途中で、ぼくの目から涙がこぼれ落ちた。どうしてあんなこと書いちゃったんだろう。こんな作文、もういまさらなのかもしれない。それでも書いた。書かないと、もう永遠に母さんたちに会えない気がした。
 作文をどうにか書き終わると、顔中の涙と鼻水を手の甲でこすりながら、原稿用紙のしわをのばした。涙で所々ふやけてしまっている。丁寧にのばして、広げたまんま、風で飛ばないように両はしに鉛筆削りと、鉛筆立てを乗っけた。そうしたら、なんだか少し落ち着いた。
 お腹がすいていることを急に思い出し、再び台所へ行く。気になる札束を意識的に避けて、昨日の残りご飯を半分、チンして食べた。
 食べながら、むしょうに残りの食材のことが気になってきた。
 もし、母さんたちが、なかなか帰ってこなかったら、ぼくには、どのくらい食べるものがあるのだろう? 
 台所中の戸棚を開けて調べ出す。残っている食べものは少なかった。台所の戸棚も全部調べたけど、うそみたいに何もない。冷やご飯がどんぶりに一杯。卵が2個に、キャベツとタマネギ、ニンジンがそれぞれ少しずつ。それにきゅうりの漬物。後は調味料があるだけだ。
「たったこれだけで、何日暮らせるって言うんだ」
 舌打ちしてはみるものの、ぼくは心底心細かった。
 父さんの会社に電話してみようか? 父さんたちがいなくなったこと、警察に知らせようか? 
 何か行動を起こさなくっちゃ、ぼくの頭の中でだれかが叫んでいる。けれど、ぼくは電話の前に立つことすらしなかった。
「だめだ。ぼくの作文のせいでいなくなったなんて、信じてくれるはずがないじゃないか」
 ぼくは、自分にそう言った。本当は勇気がないことを知っていた。でも、知っていてそれを認めたくはなかったのだ。
 起きている全てのことから逃げるように、テレビゲームのスイッチをつける。いつもはいくらやっても足りないと思うほど、早く時間が過ぎていくのに、今日はのろのろと時間が足踏みをしながら進んでいく気がした。何本もソフトを変えてみるものの、どれもこれも単調でうすっぺらいものに思えておもしろくない。
そしてやっぱり、帰ってこない母さんたちと食べ物のことばかり考えていた。食べるものが家にはあまりないと思うだけで落ち着かなく、さっき食べたばかりなのにもう口が寂しく感じられた。
 午後二時を過ぎた頃、どうにもお腹がすいて、目玉焼きと野菜炒めを作って、ご飯と一緒に食べた。これで、冷蔵庫の中は、卵一個だけになってしまった。
 もうちょっと考えて食べるべきだったかな? ぼくはまた不安な気持ちになってきた。不安な気持ちを少しでも隠すように、その日はずっとテレビゲームをして過ごした。


 翌日はもっと大変だった。何せ、前の日の夕飯の時間に、空腹にたえられなくなって、残り一個の卵をゆで卵にして食べてしまっていたからだ。  
 冷蔵庫は空になった。朝目覚めて、わかっていたはずなのに、空っぽのお腹にはみじめだった。
 もう食べるものは何もないんだ。
 少し残っていたマヨネーズと、少々のお砂糖、そんなものをなめながら、一日を過ごした。しょうゆや味噌は、なめてみたけど、しょっぱすぎて食べるわけにはいかない。味噌汁やスープも作ってみたが、だしがなくて、おいしくなかった。
 相変わらず、母さんたちからは何の連絡も無い。むだだと半分わかっていながら、昨日から何度も、何度も携帯電話に電話をかけている。むなしい女の人のアナウンス音を聞くたびに、深いため息と一緒に涙までがあふれ出てきた。テレビゲームも、もうやる気がしない。
 ただひざをかかえて、テレビをぼんやりとながめる。そうして暗くなるのを待つと、ふとんに入った。頭からふとんをかぶり、胎児のように身体を丸めた。


 翌日、月曜日。本当は学校どころの気分じゃないけど、今日から給食があるので、学校へ行くことにした。お腹がすいて昨日の夜はよく眠れなかった。学校についてもみんなに聞こえるんじゃないかと心配するくらい、お腹が鳴る。
「よ、おはよう、さん!」
 背後からやってきた康平が、ぼくの肩をたたいた。
「ああ」
 気のない声で短く返す。とてもいつものように話をする元気が出ない。
「おまえさー、この間からちょっと変だぞ、どっか調子悪いの?」
 ぼくの顔をのぞきこむようにして、康平がなおもからみついてくる。
 康平になら、父さんたちがいなくなってしまったこと、言ってみようか?
「週末からずっと……父さんたちがいないんだ」
 本当のことを話そうとして真顔になった。なのに、康平は、
「なんだそうか、わかった。それでママが恋しくなっちゃったんだな」
 からかうように笑った。ぼくの顔が赤くなる。
「ち、違うよ、そんなんじゃないんだ。ただじいちゃんの田舎にちょっと行ってるだけで。だけど父さんたち、オレに新しいお金置いてくの忘れちゃって。腹へって元気でねえんだ」
 ウチにはもう、じいちゃんの田舎なんて存在しない。母さんの両親は、ぼくが生まれる前からいなかったし、父さん方も、二年前にばあちゃんが、そして去年の夏、じいちゃんも他界してしまったからだ。けれど、とっさに出たうそは、康平には気づかれなかった。
「そっか。それでか。そりゃ大変だったな。じゃあお前、今日の給食費は? 今日からグリーンマネーで払うんだぜ? ってことはおまえ、今日の給食は食えねえなあ」
「え? そうなの?」
「これからの食糧事情は結構シビアだからな。前払いのはずだよ」
 果たして給食の時間になり、康平の言っていたことは、本当だということがわかった。給食は前年度までのものと大きく違っていた。まずはその量。全体的に少なくなった。おかずは、肉なしの野菜の煮物が少しと納豆。それと漬物。お米は白くなく、何かつぶつぶのものが混ざっていて固そうだった。それでもお腹がすいているぼくにとっては、おいしそうに見えた。けれど、給食費を払っていないぼくの分は、配膳してもらえない。
「ご両親に言って早く帰ってきてもらいなさい。先生も何とかしてあげたいけど、新しい法律は結構厳しいのよ。今日は少し、給食を分けてあげることしかできないわねえ」
先生がぼくの顔を見て、気の毒そうに顔をゆがめた。
 結局、みんなに少しずつ分けてもらうことになった。みんなの分も決して多いとはいえないのに、分けてもらうことになっちゃって、ぼくは申し訳なくて小さくなった。
 放課後、康平がぼくに言った。
「今日、オレの家に遊びに来ないか? 母さんがいいって言ったらだけど、夕飯もウチで食べてけよ」
「え、なんか悪いよ」
 ぼくは、だんだん自分がひくつになっていくのを感じていた。本当はまだお腹がすいていて、康平の家でまともな食事をしてみたい。これが今までのぼくだったら、友達と一緒に夕飯を食べられるのを素直に喜んだだろう。けれどぼくには本当に、食べ物を買うお金がないのだ。さっきもまるで、こじきが給食を恵んでもらうみたいだった。しかも、恵んでもらうのは今日だけではないかもしれない。これから先どのくらいこんなことが続くんだろう。
「遠慮すんなよ、たかが一回の食事くらいで」
「うん、じゃ、行くよ」
 ひくつな感じに聞こえないといいんだけど、と思いながら、結局、ぼくは康平の言葉に甘えることにした。
 どう自然にふるまおうとしても、ぼくにはこれといった話題が浮かばない。康平がぼくに一方的に話をするような形で歩きながら、ぼくらは康平の家へ向かった。
 康平の家に着くと、康平んちのおばさんが玄関まで出てきた。
「おじゃまします」
「あら、堀田君。久しぶりねえ。いらっしゃい」
 おばさんはいつも通り、おっとりとした感じでぼくにあいさつをした。
「母さん、今日、聡んちのおじさんとおばさん、里帰りしてていないんだって。うちで夕飯食べてもらってもいいでしょ?」
「そうねえ」
 ぼくは、康平のおばさんの顔が少しくもるのを、見のがさなかった。
「いいわよ。たいしたものは出せないけど」
「すみません」
 なぜかあやまる。
「じゃ、頼むね、母さん」 
 ぼくらは康平の部屋に入った。
 相変わらず康平とは、いつものようには会話がはずまない。きっと、ぼくのせいだ。いつもは、二人でテレビゲームなんてしたこともないのに、康平が「ゲームでもするか?」言いながら、コントローラーを引き出し始めた。手渡されたコントローラーを無言で受け取る。
 ぼくたちは、ほとんど話もしないで、画面を相手にしばらく遊んでいた。しばらくすると「康平」と、おばさんが呼ぶ声がして、康平は居間の方へ出ていった。
ぼそぼそという声がもれ聞こえてくる。夕飯のことで何か言われているってことは、察しがついた。
 給食がそうだったように、これからの食糧事情はきっとシビアなんだ。一人一人のウンコの量に合わせてしか、グリーンマネーは支給されないのだ。がんばれば二人分かせげるというものではない。
「なあ、本当にいいのか?」
 康平が部屋にもどったときに、ぼくは念を押すように聞いてみた。
「いいよ。いいって言ってただろ?」
「迷惑そうだったよ」
「ああいう性格だから、いつも優柔不断な言い方するんだよ。気にすんなって」
 康平がそう言うので、ぼくはそれ以上その話にはふれなかった。
 夕飯はおいしかった。おばさんが言ったとおり、決して豪華なおかずではなかったが、給食なんかよりはずいぶんましだ。ぼくは相変わらずおばさんの顔色を気にしながら、はしを口へ運んでいた。何も言われていないのに「ほどほどにしてね」と言われているような気がして、気後れがした。
 後片付けを少し手伝ってお礼を言い、ぼくは家に帰った。帰る道々、もう康平の家には迷惑はかけられないな、と考えていた。
 次の日から、ぼくは学校に行かなくなった。また給食のことでみんなに迷惑をかけるのはいやだったし、何より自分がみじめだったからだ。


 母さんたちが消えてから五日目、ぼくは、母さんたちの携帯に電話をかけるのを、とうとうやめることにした。ここでじっとしていても、事態は変わらなかった。かといって警察に行くのは、勇気が必要だ。ぼくは何より知らない大人に話しかけることが、昔から苦手なのだ。しかも警察だなんて、どう逆立ちしたって自分から電話をかけることは、ぼくにはできない。そして今はとにかく、お腹がすいていた。康平の家で夕飯をご馳走になってから丸二日、何も食べていなかった。
 飯、飯、飯。グリーンマネーなしでも、何とか食べられる方法はないものか。今はそんなことばかりを考えていた。
 ふと、パン屋にいた牛顔のおばさんのことが頭にうかんだ。牛顔のおばさんは何かぼくに言っていなかったか? そうだ。草だ。その辺に生えている草を、あのおばさんの所へ持っていって、食べ物と交換してもらえばいいんだ。
 ぼくの家はマンションだから庭はない。マンションの入り口付近もアスファルトにぬり固められていて、草らしい草なんて一本も生えていなかった。こんなこと、今まで気をつけて見もしなかったけど、土が出ているところはまったく見あたらなくて、お目当ての雑草はなかなか見つけられなかった。
 マンションの前の道に出ると、下ばかり見ながら、草を探して歩いていく。道ばたにちょろちょろと生えている草を見つけては、スーパーの袋の中に入れていったが、草はなかなか集まらない。ぼくはちょっと考えてからいいことを思いついた。学校だ。学校にはたくさん草が生えているじゃないか。知っているやつに見つかると具合が悪いが、幸い、あたりはもう暗くなりかけている。
 学校を休んでいる後ろめたさから、かぶっていた野球帽を目深にかぶりなおし、学校へ向かった。
 学校に着くと、思ったとおりフェンスの周りにぼうぼうと生えている。ぼくは、にわかにうれしくなって片っぱしから草をむしり始めた。ところが、もう少しで袋がいっぱいになるというときに、ぼくの後ろで声がした。
「ここでなにをしとるのかね?」
 ぼくの背中がびくっと動いた。ゆっくりと振り返る。立っていたのは、用務員のおじさんだった。
「あの、ぼく草をとってるんです。ここの草少し分けてもらいたいんです。……だめですか?」
 正直に言った。
「だれかの許可は取ったのかね?」
「……いいえ」
「そうか、じゃあここの草は分けてやることはできないな。あの法律ができてからはね、これは価値ある国の財産というわけだ。悪いが、子供だからといって許したらそんなのが後を絶たないからね。さあ、今ここでとった草を全部置いて帰るんだ。いいね?」
 ぼくはしぶしぶ、今とった草を元の場所にばらまいた。
「すみませんでした」
 口をとがらせてあやまると、校庭を後にした。
 学校がだめとなると公園だって見つかれば怒られてしまうだろう。道ばたの草だってだれのものかといえば、都や国のものだ。以前にはだれも気にとめなかった草は、お金と同じ価値を持っている。それをだまってとることは、お金を盗むのと同じことなんだ。ぼくはそれを知ってて、見つからないように草をむしるなんてことはできなかった。
「ウチに、庭があったらなあ……」
 雑草の五本や十本でも、生えていたに違いない。自分の家に庭がないということを、犬を飼う夢以外に、真剣に考えたことは初めてだった。


「腹へったぁ」
 次の朝、空腹が耐えられないほど、ぼくのお腹を苦しめていた。仕方がなくて、一時しのぎのためにぼくは、蛇口から水をコップに注ぎ、一気に水を飲む。と、突然ウンコがしたくなった。食べる量が少ないせいなのか、何日かぶりの便意だ。
「ああ、そうか」
 急に思いついた。ぼくにはウンコがあったんだ。この際、スマートじゃないけど、これを直接お店に持っていけばいいんだ。背に腹は代えられない。毎日ウンコが出ればその分のご飯は食べられるんじゃないか。ウンコがお金ってことなんだから。
 ぼくは急いでトイレの床に新聞紙を敷き、その上にウンコをした。結構な量だ。それをそのまま、新聞紙にくるんでビニール袋に入れ、口を閉じた。なぜか検便のときのことを思い出した。
 あの時は、つまようじでちょっととって、袋に入れただけなのに、持ってる手がくさくなる気がして、袋をつまんで持っていったっけ。
 だけど、今日は全部だ。ぼくは自分のウンコをこうして袋に入れて持ってみるのは初めてだった。その重みを手に感じていると、何だかはずかしくも誇らしい気持ちがして、ちょっと勇気がわいてきた。
 そうはいってもどこへでも持って行けるということではない。いろいろ考えた結果、やっぱり学校の裏のパン屋へ行くことにした。あの牛のおばさんなら、ちょっとはぼくの事情を知ってるし、やっぱり牛だから、ウンコを見せてもそれほどはずかしくないだろうと思ったのだ。
 それでも何回も、ウンコを持って行くのをやめようと思った。行ったり来たりを頭の中で何回も繰り返して、やっとぼくは玄関を出ることができた。
まだ朝早い時間なのに、店は開いていた。よかった。後は勢いで言ってしまおう。ぼくは、右手にぶら下げた袋と店とを交互に見ながら、心を決めた。
「あのう、すみませぇん」
「ハーイ。いらっしゃいませー」
 奥から例のくぐもった声が聞こえてきた。
「あら? 君はこの間の。何か御用?」
 ぼくは、自分の顔が赤くなっていくのを止められなかった。
「えっと、その……」
 一気に言え、言うんだ。
「ぼくやっぱりまだグリーンマネー持ってなくって、それでこれなら食べ物と交換してもらえるのかと思って、持ってきたんですけど」
「あら、何かしら、草?」
 右腕をさっと前に差し出した。においが袋から少しもれてくる。
「まあ、これは……!」
 おばさんはちょっと笑ってから、困ったような、それでもぼくの状況を納得したような、複雑な表情をしてこう言った。
「そうね。確かにこれはグリーンマネーそのものといった感じではあるけれど…。このままじゃお金としては使えないわね。残念だけど」
 顔が熱い。どこもかしこも汗ばんで、じっとりとしてくる。
「ど、どういうこと?」
「これをそのまま畑に持って行ったらどうなると思う?」
 ぼくは頭を横にふる。
「これを畑に持っていっても、草木の栄養にはならないのよ。そこにね、十年間の準備期間のわけがあるのよ」
 ぼくはだまっていた。
「動物たちのウンコは長い時間をかけてなじんでいくの。土の中の虫や微生物たちの力を借りながらね。そうして初めて草木の栄養になるのよ。逆にそのままの未熟なウンコは草木にとっては毒にもなるのよ。土にもどされて時間がたつものほど、熟成されたよい肥料になるの。熟成されたものほど、高いお金の価値があるってことね。逆に、今日とれたてのものはゼロ円ってことになるわね。わかる?」
 無言でうなずく。ショックだった。せっかく勇気を出したのに、はずかしい思いをしただけに終わってしまった。そして、また食べ物を得る手段は絶たれてしまったのだ。
「今日だけは、少しだけど、交換してあげるよ」
ぼくがあんまり落ちこんでいるので、おばさんは見るに見かねて、菓子パンを一個くれた。歩きながら、そのパンにむしゃぶりついた。なぜだか、涙がボロボロとこぼれ出て、止まらなかった。


 とんかつ、から揚げ、ハンバーグ……。目の前においしそうな惣菜が並んでいる。並んでいる数がいつもより少ないのは、気のせいだろうか? 
 スーパーの惣菜売り場の前を行ったり来たり、もうどのくらいの時間、うろついているんだろう? 
 あれからのぼくは、家にこもって空腹と戦っていた。けれどついに限界がきた。そして日曜日の今、ぼくは、何かに憑かれたかのように、ふらふらと家の外に出てきていた。
駅前の大きなスーパーが目を引いた。ここは他のどこよりも品ぞろえがいい、仕事帰りにここへ寄った母さんがそんなことを言っていたっけ。
 初めは、惣菜にばかり気をとられていたぼくだったが、いつの間にか、人の視線に気を配りはじめている。
(今はだめだ、あのおばさんが、いつこっちを向くか、わからない)
 体中にアンテナを張りめぐらせて、機会を待っている。
そんなぼくにチャンスが訪れた。見渡す限り、通路に人はいない。
(今だ!)
 心の中で叫ぶと、ぼくは、目の前にあったハンバーグに手をのばした。そして、ものすごい速さでハンバーグを持っていたカバンに忍ばせた。動き始めた手は止まらない。おにぎり、サラダ、次々につかみとると、カバンの中に落としていく。それが終わると、目を伏せがちにわき目もふらず、店を出た。心臓が壊れそうにバクバクしていた。
(やってしまった、やってしまった、やってしまった)
 ずっと心の中で同じことを叫びながら、そのままの心臓で家まで走った。
 玄関を後ろ手に閉めると、ぼくの小さな心臓は、今度はちくちくと痛み出していた。だけど、どんな良心もこのみじめなお腹にはかなわない。心の痛みなんかには、しかとを決めこむと、大急ぎで惣菜を取り出した。
 食べなれた味。けれど、今までにこんなにおいしいものを食べたことがない。あっという間に全てをたいらげると、ぼくのみじめなお腹は、何日かぶりに落ち着いた。
 初めは、その度に罪の意識と戦った。そして、あれをやるのはどうしてもお腹がすいたときだけ、と自分に言い聞かせた。けれど、回数を重ねるごとにその胸の痛みは、うすらいでいった。それに、コツをつかんでしまえば、絶対にばれないと思えるくらいコトは簡単だった。
 いたいけな少年がこのまま飢え死にしていいなんてこと、あるもんか。
 ぼくは、自分に大義名分を掲げると、当たり前のように、スーパーへ繰り出していくようになっていった。


 こうして、三週間が過ぎていった。相変わらず、父さんと母さんは、帰って来ない。
 時々、先生と康平たちがぼくを心配してか、代わる代わるぼくの家に寄ってくれていたが、合わせる顔がなくて、その度に居留守を使った。
 そんなある日のことだ。
 カタンと玄関で音がして、見ると郵便受けに手紙が入っていた。
「何だこれ?」
 表にはぼくの名前が書かれている。けれど、差出人は
「食物管理協会」
 聞いたこともない名前だし、心当たりがない。いったい何だろう。さっそく、封を切って中身を見てみる。そのとたん、ぼくの心臓に、氷の手でぎゅっとつかまれたような冷たい衝撃が走った。

堀田聡様
請求書
 あなたが摂取した有機物の代金をここにご請求申し上げます。
 五万四千八百五十一グリーン円
 食物管理協会が定めた規定により、本日より三日以内に、お支払いいただけない場合、直接、身柄から有機物をいただくか、環境犯取り締まり委員会へ身柄を引き渡すこととなります。
 環境犯取り締まり委員会へ身柄を引き渡した場合、基本的に命の保障ができかねることを前提としておりますので、その旨、申し添えいたします。 


 ぼくは玄関のチャイムを鳴らす音で目が覚めた。来たんだ。やつらだ。やつらがぼくを迎えに来たんだ。やっぱり昨日のうちに、どこかへ逃げればよかった。あれからぼくは、恐怖でどこにも行けなくなってしまった。この三日というもの、亀のように背中からふとんを背負って、ずっと布団の中に隠れていたんだ。隠れながら必死で考えていた。身柄から有機物からいただくって、どういうことだろう? どんなに好意的に考えたって、髪の毛をそられる程度にはいかない気がする。腕一本? 足一本? どっちにしたってぞっとしない。それに最後の一文。
 絶対に開けるもんか。ぼくはまだ、死にたくない。
 立て続けに、何度もチャイムを押す音が、家の中に鳴り響く。ぼくは、頭からふとんをかぶり、両手で耳をおさえ震えていた。
 チャイムがとだえた。
(あれ、どうしたんだろう? ただのセールスマンだったのか?)
 ふとんを背負ったまま、玄関へ行き、のぞき窓から、外を確認してみる。だれもいない。
(やっぱり、違う人だった)
 ほんの少しほっとして、そのままの格好で台所へ行った。お腹がすいていた。コップに水をくみ、何杯も水を飲んだ。こうして、少しでもお腹をふくらますことでしか、ぼくのみじめなお腹をなぐさめることはできないのだ。
 部屋の中が蒸し暑い。けれど、窓を開けるわけにはいかない。ふとんのはじっこで、汗をぬぐった。
 ふいに、スタンと金属の小気味良い音がして、ふり返った。玄関の扉が少し開き、丈夫そうな大きなペンチが中にのびてくる。ぼくは、その場で凍りついていた。切られたドアチェーンがジャランとノブの下に垂れ下がるのを、スローモーションのように見つめていた。
 牛であることを隠すように、つばの広い帽子をかぶり黒の背広に身を包んだ二人がなだれこんできて、あっという間に、ぼくを後ろ手に羽交い絞めにした。
「堀田聡さんに間違いありませんね? 環境犯取締り委員会のものです」
 身体に触れられて初めて、解凍したかのようにぼくは暴れる。
 けれど、ツンとした刺激臭がぼくの鼻をおおい、頭の中が白くなったと思うと、ぼくはもう何もわからなくなっていた。
(つづく)
(初出:2011年02月)
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登録日:2011年02月20日 17時36分
タグ : 自然保護 環境

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