
著者:石川月洛(いしかわつきみ)
創作フェチの物語フェチ。時間と人間と山椒が苦手。迷ったときのおまじないは、「つま先の向いている方が未来」(byつきみん)。つまり、出たとこ勝負。創ることならなんでも好きな、やってみたがり。でも長続きはしない……。近頃は、自分の人生が「情熱」知らずだったことに気づかされて、いやでもそれってどこで修行すれば会得できんだよ、というのがテーマです。
小説/SF
住みやすい街づくり
[読切]
健康診断のため休暇届を出したというのに、部下のミスで書類に押印をするためだけに出社する男。やっと病院にたどり着いた男だったが……。石川月海のショートショート第一弾。
駅の自動改札機に定期をかざして外に出ると、そこはまるで知らない街だった。
真新しいアスファルトが、ギタギタと音をたてて初夏の陽射しを跳ね返している。
だだっ広いロータリーには乗用車が二台止まっていた。どちらも人は乗っていない。
バス停もタクシー乗り場も無人だなんて、こんな光景は見たことがなかった。
もちろん、乗客を待つタクシーもいない。
ポータブルプレーヤーの音量を少し上げて、お気に入りのサウンドトラックが再生になるのを確認してから、わたしは、歩き始めた。
ここからなら歩いても10分ほどで着くはずだ。
「あいつら、」
と、部下たちの顔を思い出して毒づきかけたが、止めた。
いつもは家から車で移動する。こんな暑い時間に影ひとつない広いだけの道路を歩いたりしない。
重要な提出書類のデータが間違っていたからと、朝、再作成された書類に押印するためだけに出社したのだ、年に1度の健康診断のために休暇届を出してあるというのに。
それにしても平日の昼間のこの街が、こんなに閑散としているものだとは知らなかった。
もう5分は歩いたと思うのに、車はまだ1台も通っていない。自転車に乗った女性に2度すれ違ったが、あとはずっと後ろの方でシルバーカーを押している老女を見ただけだ。
あまりに激しい陽射しだった。
ときおり吹く風は生暖かい。
シャツの中まで入ってきて体を撫でていくが、そのせいで、背筋を汗がすべり落ちる感覚が際立って、さらに暑さが増してしまっていた。
ようやく見晴らしのいい大きな交差点に辿り着いた。
もう、目指す病院の建物は見えている。
歩行者信号の赤が視界に入ったが、車どころか人影さえ見えない道路だ。
わたしは、陽射しに攻められるままに道路を渡った。
後ろの方でクラクションのようなブザーのような音が聞こえた気がした。
先ほどの老女を思い出して不穏な考えが頭を過ぎった。
しかし一刻も早くこの暑さから逃れたい気持ちが優先された。
ブザー音の記憶は、ヘッドホンからの音楽にすぐにかき消されてしまった。
お気の毒ですが、と言いながら医師は、わたしに受話器を手渡した。
電話の相手は役所の人物だった。
「お読みになっているはずですよ、あなたの印鑑が押されています」
確かに、先週だったか、回覧板に押印した記憶はある。
「この、地域内の秩序を重んじる条例への署名運動にも署名されていますね? 信号無視は犯罪です、弁明のしようがありません」
受話器の向こうの役人は、落ち着いた声で続けた、
「転居を強制はしません。しかし、条例により、この街でのあらゆるサービスは、受けられなくなりました」
買い物をすることも、病院で診てもらうことも、ゴミを収集してもらうことも、バスに乗ることもできないらしい。
「電気とガス、電話はお使いいただけます。ただ、申し上げにくいことですが、水道局はこの街にございますので、」
傍らで、医師は、冷ややかな視線を携えて、わたしが立ち去るのを待っている。
――そういえば今朝の書類の中身はなんだったんだろう。
汗がまた一筋、静かに背骨を撫でている。
真新しいアスファルトが、ギタギタと音をたてて初夏の陽射しを跳ね返している。
だだっ広いロータリーには乗用車が二台止まっていた。どちらも人は乗っていない。
バス停もタクシー乗り場も無人だなんて、こんな光景は見たことがなかった。
もちろん、乗客を待つタクシーもいない。
ポータブルプレーヤーの音量を少し上げて、お気に入りのサウンドトラックが再生になるのを確認してから、わたしは、歩き始めた。
ここからなら歩いても10分ほどで着くはずだ。
「あいつら、」
と、部下たちの顔を思い出して毒づきかけたが、止めた。
いつもは家から車で移動する。こんな暑い時間に影ひとつない広いだけの道路を歩いたりしない。
重要な提出書類のデータが間違っていたからと、朝、再作成された書類に押印するためだけに出社したのだ、年に1度の健康診断のために休暇届を出してあるというのに。
それにしても平日の昼間のこの街が、こんなに閑散としているものだとは知らなかった。
もう5分は歩いたと思うのに、車はまだ1台も通っていない。自転車に乗った女性に2度すれ違ったが、あとはずっと後ろの方でシルバーカーを押している老女を見ただけだ。
あまりに激しい陽射しだった。
ときおり吹く風は生暖かい。
シャツの中まで入ってきて体を撫でていくが、そのせいで、背筋を汗がすべり落ちる感覚が際立って、さらに暑さが増してしまっていた。
ようやく見晴らしのいい大きな交差点に辿り着いた。
もう、目指す病院の建物は見えている。
歩行者信号の赤が視界に入ったが、車どころか人影さえ見えない道路だ。
わたしは、陽射しに攻められるままに道路を渡った。
後ろの方でクラクションのようなブザーのような音が聞こえた気がした。
先ほどの老女を思い出して不穏な考えが頭を過ぎった。
しかし一刻も早くこの暑さから逃れたい気持ちが優先された。
ブザー音の記憶は、ヘッドホンからの音楽にすぐにかき消されてしまった。
お気の毒ですが、と言いながら医師は、わたしに受話器を手渡した。
電話の相手は役所の人物だった。
「お読みになっているはずですよ、あなたの印鑑が押されています」
確かに、先週だったか、回覧板に押印した記憶はある。
「この、地域内の秩序を重んじる条例への署名運動にも署名されていますね? 信号無視は犯罪です、弁明のしようがありません」
受話器の向こうの役人は、落ち着いた声で続けた、
「転居を強制はしません。しかし、条例により、この街でのあらゆるサービスは、受けられなくなりました」
買い物をすることも、病院で診てもらうことも、ゴミを収集してもらうことも、バスに乗ることもできないらしい。
「電気とガス、電話はお使いいただけます。ただ、申し上げにくいことですが、水道局はこの街にございますので、」
傍らで、医師は、冷ややかな視線を携えて、わたしが立ち去るのを待っている。
――そういえば今朝の書類の中身はなんだったんだろう。
汗がまた一筋、静かに背骨を撫でている。
(了)
(初出:2012年06月)
(初出:2012年06月)
登録日:2012年06月06日 17時14分
タグ :
ショートショート
Facebook Comments
石川月洛の記事 - 新着情報
- よろめくるまほろば(2) 石川月洛 (2015年09月19日 13時58分)
- よろめくるまほろば(1) 石川月洛 (2012年11月14日 16時58分)
小説/SFの記事 - 新着情報
- 葬送のフーガ(17) 北見遼 (2016年02月04日 16時23分)
- 葬送のフーガ(16) 北見遼 (2015年12月20日 18時27分)
- 葬送のフーガ(15) 北見遼 (2015年11月26日 10時33分)
小説/SFの電子書籍 - 新着情報
- 生命の木の下で――THE IMMATURE MESSIAH―― 天生諷 (2016年07月06日 18時39分)
異次元の怪物ソフィアを切欠にした第三次世界大戦から数百年後――人類は高さ1万メートルに及ぶコロニー“セフィロト”を建造。ソフィアの出現に合わせるように、人の規格を遥かに凌駕する身体能力と一種の超能力であるマギを備えた新人類ネクストが登場する。彼らが組織したオラクルと反オラクルのゴスペルが覇権を巡りせめぎあう中、ゴスペルはオラクル攻略のためセフィロトの管理人である天才少女チハヤを狙う。執事のイルは命の恩人でもあるチハヤを守ろうと奮闘するが……。最強のネクスト、先代ゼロとソフィアを封印したネオらの戦闘に加え、ソフィア眷属によるセフィロト崩壊の危機にどう立ち向かう!? 近未来SFアクション登場!(小説/SF)
- ALI-CE ワンダーランドの帰還者 天生諷 (2012年03月12日 20時00分)
ニニ世紀初頭。テロや犯罪が頻発する人工島IEでは、人々は武装し、ナノマシンで身体能力を強化していた。そんな中、アメリカの特殊機関ワンダーランドで戦闘技術を学び、殺しのライセンス、スイーパーの所持者であるアスカは、三〇〇億という常識外れの借金返済のため学園に舞い戻る。想像の斜め右上をぶち抜く変わり者“天災”ミルティに翻弄されつつ、ナノマシンでもインプラントでも強化人間でもない不思議な力「ALI-CE」と燐光を放つ剣サディーヤを駆使して彼女を護衛するアスカ。彼らを襲う強化人間ソウルレスと哀しい事情を抱えた雄太、妖艶な魅力で誘惑するエルフィネル。テロリストたちの目的とは何なのか? 圧倒的な格闘シーンに酔え!(小説/SF)
あなたへのオススメ
- ちからの限り キラーメガネ (2013年11月05日 14時20分)
- キラーメガネのユーモア短編集 笑撃波 笑う門には福来たる編 キラーメガネ (2013年10月12日 13時16分)
爆笑間違いなし! SNSで小説を発表し人気を博したキラーメガネ氏のユーモア短編集第三弾。「でかすぎるからじゃない?」は、人類の行く末を決める戦いに挑む戦士たちなのだが、盛り上がらないのは何故か? 「名探偵 高峰亮」は、高峰は推理を邪魔する女のKYさにぶち切れ……。「ブラインドタッチ岩倉」は、仕事が出来ず閑職に追いやられ馬鹿にされる岩倉の意外な活躍。いちばんのオススメはユニークなだけでなくホロリとする短編「父さんのアドバイスファイル」。亡くなった父が残した事細かなアドバイスファイルを巡る娘の人生を描きます。電車の中で読んで笑い声を上げ、変な目で見られても責任持ちませんのでご注意を……。(小説/SF)
- キラーメガネのユーモア短編集 笑撃波 猿の尻笑い編 キラーメガネ (2013年09月13日 19時48分)